名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

日本のエクストリームミュージック①The Gerogerigegege

クリスマスも近いし、世の中には閉塞感が漂ってるし、実は世界ももうすぐ終わるので、エクストリームミュージックの話をしましょう。エクストリームミュージックとは究極にヤバいクリスマスにぴったりな音楽のことです。多分。聴けばわかります。

 

今回紹介するのはThe Gerogerigegege(ザ・ゲロゲリゲゲゲ)、通称ゲロゲリです。

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ちょっとゲゲゲの○太郎に似た名前のこのお茶目な音楽グループは、山之内純太郎(写真左)によるソロユニットです。随分前にチラッと紹介しましたが、今回はもっと詳しくやります。

 

 

来歴

1985年、ゲロゲリゲゲゲこと山之内は、高校時代にメルツバウ秋田昌美に一本のカセットテープを送り、秋田が主宰するレーベルからデビューしました。

 

そのメルツバウの音楽というのが

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こんななので、送ったテープも相当狂っていたことでしょう。

 

その一年後のデビューライブで早稲田大学の講堂ステージに穴をブチあけますが、エクストリーム・ミュージック界隈ではよくあることなので特に言及しません。

 

さらに翌年に記念すべき1stLP「センズリチャンピオン」をリリース。

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ゲロゲリの曲は大体こういう感じなので、以後気にしないでください。気にしたら負けです。

 

このようにしてゲロゲリはエクストリームミュージック街道を爆進していったのです。

 

山之内以外のメンバー紹介

ゲロゲリはソロユニットとは言っても、常にいるのが山之内というだけで、その時々にはメンバーがおり、流動しています。以下はその例です。

 

ゲロ30歳

名前があまりにも衝撃的すぎますが、それを遙かに超えるレベルでゲロ30歳はヤバいです。その証拠をご覧いただきましょう。

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動画開始大体1分後から見てください。ステージ中央で金玉を掃除機で吸われ恍惚としている全裸の男性、これがゲロ30歳です。形容詞のインパクトが強すぎて内容が頭に入ってきませんね。

ちなみにその下の方でひっくり返って奇声を上げているのが山之内純太郎です。本来はこれで十分ヤバいはずなのに、そのヤバさが完全にかき消されてしまっています。

 

ゲロ30歳が登場する曲で有名なのは、この「B面最初の曲」ではないでしょうか。

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アイドルとお喋りができる虚しい楽しいCD音声と言葉のドッヂボールをするのは、我らがゲロ30歳です。あらゆるオブラートを突き抜ける性欲100%の言葉の一つ一つから、婉曲表現に塗れた現代日本人のへの批判が込められているように感じられます。そんなわけあるかい。

 

ストロング金剛

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このビデオの冒頭で叫んでいる男は元プロレスラーのストロング金剛(ストロング小林)です。日本人初の覆面レスラーとして大変有名です。

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彼はまだ常人の域を脱してないので、米軍基地前で叫んだ後恥ずかしそうにしてたり、横でノイズをまき散らしまくる山之内を見て、「うるさ......何やってるんだろう俺」とでも言わんばかりの目をしてたりしていますね!その反応で合ってると思います。

 

彼の声が聴けるアルバムは知りません。ゲロゲリはめちゃくちゃ作品数が多く、かつライブ会場限定で数十枚単位で発売されてたりするので把握が困難なのです。ということもあり、めちゃくちゃ高価でレアでもあります(一応通販で買える)。まあこんなの普通欲しくならないからレアだわな......

 

ゲロゲリの音楽性

そんなゲロゲリの音楽性は、上記からなんとなく察せるように、あまりにも自由で広大です。

 

例えばエクストリーム・ハードコアパンク

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方やアンビエント・インダストリアル

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その音楽性は広すぎて、作品の中には最早音楽なのかもわからないようなものもあります。

 

最早音楽ではない「昭和」

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昭和天皇のご尊顔をジャケ写にしたアルバム、その名も「昭和」音割れ君が代が流れたかと思えば、後はAVの音声が流れるだけです。

 

何故コレを売ろうと思ったのか。そういうことを考えてはいけないのです。何故ならそれは何故聴いてしまったのか、という問いと同じであり、そこにあるのは圧倒的無意味のみであるからです。アングラは基本的にナンセンスがセットでついてくるので、意味を求めない方が健康に良いと思います、本当に。

 

更にゲロゲリには「音楽/音楽でない」以前の問題もあります。

 

発売前のシングルを全部燃やす

見出しの通りです。センズリチャンピオンの後に出したシングル「SEXUAL BEHAVIOR IN THE HUMAN MALE」の発売記念ライブで、このシングル盤を全部燃やしてしまいました。商業主義に真っ向から対立するこの姿勢はまさしくパンクそのものであり、やはりゲロゲリの根幹にはパンク精神が存在していると言えるでしょう。

 

 

......本当にそうなのか?

 

別にゴミみたいな音楽ばかり作っているわけではない

ここまで読むと、ゲロゲリはノイズ撒き散らすだけのヤベー奴らと思ってしまいがちですが(実際そういう面もありますが)、必ずしもそうではありません。

ノイズや奇行はあくまでも手段であり、ゲロゲリの音楽性は時とともに移り変わっているのです。

 

2019年発売のアルバム「Uguisudani Apocalypse」を見てみましょう

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なんとノイズの姿はほとんど見られず、80年代風の音楽(のサンプリング?)になっています。みんなノイズが無いと一周回って不安なようで、YouTubeのコメント欄で外人が困惑しててウケました。

 

まさにこのようにリスナーの期待を裏切りまくっていくところがゲロゲリの最大の魅力であり、ゲロゲリがカルト的人気を誇っている所以なのです。多分。標本が自分しかいないのでなんとでも言えます。本来なら実際にゲロゲリ聴いてる人に魅力を聞くべきですが、そんな人に絶対会いたくないですし......

また、ゲロゲリは近年アルバムを精力的に発表しているため、今後の作品から目が離せませんね。というか離さないでください。おわり。

 

 

我が国の作曲家シリーズ「番外編2」

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我が国の作曲家シリーズ

 久しぶりのこのシリーズだが、今回はこのシリーズで取り上げるような忘れられてしまった作曲家でもなければ、無名のままひっそりと消えた作曲家でもない。
確固たる仕事と、足跡を残し日本音楽史にその名を刻んだ作曲家2名である。
無論一般的な知名度という観点から見たら、そこらへんのクソアイドルにも及ばないのかもしれないが、日本音楽史の中でも孤高の存在であり、自らの音楽を徹底的に追求した真の芸術家なのである。

 

八村義夫という作曲家
一人目に紹介するのは八村義夫という作曲家だ。

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八村義夫

 八村義夫は1938年10月10日に東京に生まれた。
 ご多分に漏れず英才教育を受けていたようで、桐朋学園大学が開いている「子供のための音楽教室」(通称「音教」)に入って勉強を開始している。
 前衛の風が吹き始めていた当時、音教でも当時の最新鋭を行く作曲家が教えており、柴田南雄や入野義朗に出会ったのもこの頃だという。
 しかし作曲ということになると、松本民之助に長くついて学んでおり、その後島岡譲についていることを考えると、名伯楽を渡ってきたなという印象もある。


 芸大卒業後、一旦は教職の道へ進むが、大学院に再入学更に研鑽を深めたという。
しかし作品はというと、彼は生涯を通じて極めて寡作であったことが知られている。
その理由の一つは、圧倒的な個人主義による音楽への美学を持っており、徹底的に自作に厳しい姿勢を貫き、中途半端なものを書かず、また納得行かなければ破棄してしまう上に、恐ろしく遅筆であったからだ。
 もう一つは、精神性の脆さというか、もともと人格形成における歪みのようなものがあったと思わせる、非常に危うい面を持ち合わせていたことによるものと思われる。

 

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星辰譜

そんな中「星辰譜」という作品を完成させ、これが彼の出世作となって、桐朋学園大学、芸大と両母校で教鞭をとることとなってゆく。
 お弟子さんも野川晴義、藤家溪子、久木山直、杉山洋一など特徴的な作風をもつ人々が多くなっているのもまた、八村義夫という人物を表しているように思う。

 八村の音楽は一般的に超現実主義と個人語法の極端な集積として語られる面が多く、初期作品を除くとその音楽はポスト・モダン初期のネオ・ロマンのような趣があり、個人の美学を極限まで追求し、そこに論理性やある意味ではエリクチュールを遠ざけ、たった一人で心中の不安定と孤独に向き合い、それをカミソリで切りつけながら描いた絵画のような痛みの音楽である。

 

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錯乱の論理

 そんな八村の音楽が最もはっきりと形になって現れたのが、彼の代表作である「錯乱の論理」だろう。

 


八村義夫:錯乱の論理~ ピアノとオーケストラのための

 

 この曲はピアノ協奏曲のスタイルをとっており、本来これを超える大作となるはずだった未完の遺作「ラ・フォリア」を除けば、唯一八村が完成させたオーケストラ曲であることも重要である。
 極限まで積み上げられた彼の美意識というものは、一般のそれを遥かに凌駕しており、きっとぱっと聴いただけでは轟音との区別はつかないかもしれない。
しかしこれが彼のロマンであることは言うまでもない。

 

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カルロ・ジェズアルド

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シルヴァーノ・ブソッティ

 彼は「歌いたい歌もなければ、響かせたい和音もない」ということを言っている。
そんな音楽を書く基本と思われる前提が「存在しない」のになぜ音楽を書くのだろうか。
 そして八村は、殺人を犯したことで罪の意識から病み、その鬱々たる精神を描き出したともいわれるカルロ・ジェズアルドの音楽を愛し、またセクシャルで極めて表現的、センセーショナルで常に破滅的な芸術を得意とするシルヴァーノ・ブソッティに心酔したのはなぜだろうか。

 

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彼岸花の幻想

 私はその答えの一端を彼書いた子供のためのピアノ作品である彼岸花の幻想」に感じられるように思う。

 


Yoshio Hachimura: Medaitation "Higan-Bana" for piano Op.6 / Rikuya Terashima[pf]

 

 「少年の頃に感じた言いしれぬ不安感を表現した」というこの曲は、子供のための音楽という前提を(技術難度的には)完全に無視し、自身の音楽感とそして、脆すぎる精神性をあえて打ち出して書いてきた。
 そのことは彼の「生への苦しみ」の独白であろうし、それが少年時代から彼に宿っていたという告白であるように感じる。

 こうして極めて不安定な土台の上に、極めて苛烈な美学を併せ持った八村が正気を保つのは難しく、彼は次第に酒に溺れてゆくこととなる。

 混声合唱のための「愛の園」(アウトサイダーNo.1)やエリキサなどの充実の作品を発表するが、その頻度は芳しく無く、
 相変わらず一曲の完成度の高さに比して、作品数は伸び悩んでいき、身体に不調きたし始めると一層それは顕著になった。

 そしてそんな中、彼に期限なしの作曲依頼として、オーケストラ作品の依頼が来た。
その頃はすでに八村の体はぼろぼろであり、結腸がんに侵され創作ペースは絶望的な状況となっていた。
 しかし本人はこの依頼に奮起し、体調を顧みない巨大な構想を用意し、作曲に取り掛かったものの、遅々として進まず完成に至る前、1985年6月15日にその命が尽きてしまったのである。

 

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La Folia

 その曲は「ラ・フォリア」というオーケストラ曲であり、未完のまま演奏された音源があるのでぜひ聴いていただきたい。

 


八村義夫:ラ・フォリア

 

 この曲の解説に三善晃が寄せた文の末尾にこんな言葉があった。

 

「『変わりたい』と言っていた八村さんの変容のきざしが私たちにも聴こえてくるだろうか。そして猶かつ、変り得ないはずの類まれな資質もまた。」

 

 日本音楽史においてここまで自分の闇と対峙した作曲家はいなかっただろう。
そして寡作ながらそれを発表する姿は、耳を切り落とし、鼻を削ぎ、最後には心臓まで差し出すかのような壮絶な痛みを感じる。
 私は八村のようにまで自らの痛みに向かい合うこと、あるいはそれと知って逃げようともがくことはできないと強く思わされるのだ。

 

 

・甲斐説宗という作曲家
二人目に紹介するのは甲斐説宗という作曲家だ。

 

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甲斐説宗

 奇しくも八村と同じ1938年生まれ、11月15日に兵庫県に生を受けている。
変わった名前の作曲家だが、これは甲斐の生家が寺であったことに由来する。
 甲斐もまた芸大に進み、長谷川良夫に師事をして卒業するが、八村とは違いここからドイツに渡って、ベルリン音楽大学ボリス・ブラッハー等に師事し、その間にはジェルジ・リゲティの教えを受ける機会もあったそうだ。
 帰国後は学芸大で教鞭をとり、やはり個性的な嶋津武仁、井上郷子などを育て上げた。

 

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ピアノのための音楽I

 甲斐の作風は一言で言えば非常に個性的な訥々とした世界観の中に、確かな狂乱が隠れていることにあるように思う。
 例えば度々取り上げられる代表作の一つ「ピアノのための音楽I」はそのことが顕著に伺える作品ではないだろうか。

 


甲斐説宗 Sesshu Kai - Musik für Klavier; Music for Piano (1974) played by Aki Takahashi (ca.1980)

 

 1音を執拗に聴かせる姿勢と、クラスターの殴打という素材から徐々に音楽は上方に慎重に展開してゆく。
 偏執的な繰り返しを経ながらも少しずつ変容した音楽は、今度はプリペアードされたことを理由に変質してゆく。
 変容と変質の先にはカオスが待ち受けており、激しい無意味の支配するコーダへ向かって霧散してゆくのだ。

 

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武満徹

 この音楽に禅的な東洋思想の影響を論じることも出来るだろうし、本人の語るところの「音響作法の一種」という観点から、西洋音楽におけるポスト・モダンの潮流に位置する音楽と語ることも出来るだろう。
 甲斐の音楽にはしかしそれでいながら二項対立は存在しないのである。

 このことは武満徹が、ノヴェンバー・ステップスで「決して交わらない西洋と東洋の激しい対立、更には日本の伝統の中の異種対立をすべて舞台上に上げて、多層的な対立空間を見せつけたこと」真反対のベクトルである。
 真反対のベクトルと言っても、本来そこには大きな矛盾が生じてしまうものだ。それは西洋音楽西洋音楽であるという歴史的根源と、東洋音楽が東洋音楽であるという歴史的根源を超え、それぞれの文化思想の原点までさかのぼった上での決定的な差があるからに他ならない。

しかし甲斐の音楽にはなぜかそれがない。一体なぜだろうか。

更に後年書かれた前作の続編である「ピアノのための音楽II」を聴いてみよう。

 


KAI Sesshu : Music For Piano II (1975-76) EMURA Natsuki, piano

 

 甲斐の音楽性が更に淡白なものに集約され、前作で見せたようなカオティックな狂乱も鳴りを潜め、訥々とした音の中に神秘に満ちた静謐と一種の闇の美を強調させてきている。

 

甲斐は生前こんな事を言っている。

「盆栽にパチパチとハサミを入れる。そうやって無駄をできるだけ削ぎ落とした音楽を書きたい」

 

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盆栽

 確かに甲斐の音楽を聴いたときに感じる訥々とした静謐は盆栽を鑑賞するときに感じるそれに非常に似ているようにも思う。
この背景には間違いなく、彼が寺の生まれであったことが影響していると言えるだろう。
 無駄を削ぎ落としてゆく姿というのは、無に向かおうとする僧侶のサガなのかもしれないし、その静謐は寺の本堂の凛とした冬の朝の空気なのかもしれない。
 それでいながら、音響作品としての立体性と、音響変移の面白さがちゃんと備わっているのは一体どういうことだろう。

 

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ヘンリク・ミコワイ・グレツキ


 その単純でいながら静謐に変化してゆく音響像には、例えばホーリーミニマリズムという形で表現されたポーランドの作曲家、ヘンリク・ミコワイ・グレツキを重ねる見方もあるようだ。
 確かに日本版のまさに「ホーリーミニマリズム」とも言える甲斐の音楽の西洋性に対して、最も近似値をとった解釈であると思う。
 しかし問題はそこではない。なぜ二項対立が起きなかったのかということだ。

 なおポツリポツリと音を削いでいった甲斐は、その独特のイディオムを確立させるが1978年10月31日に39歳という若さで亡くなっている。
 39歳にしてこの静謐の世界を作り上げてきたのかと思うと、背筋が寒くなる思いすらする。

 

 

 

・二人の相違点と共通点

 上述のように、明らかに日本作曲史に追いて異質で奇異な孤高の作曲家である二人には、まず大きな相違点がある。
 八村の音楽はあからさまにスキャンダラスな狂気が満ちていて、その果にある種のエクスタシーにも似た狂気が全面に押し出されてくることを特徴としている。
 これは八村の項で書いたとおり、シルヴァーノ・ブソッティへの共感があることは言うまでもないだろう。
 それに対して甲斐の音楽は静謐で、極めて禁欲的であり、そこには仏教とグレツキのようなホーリーミニマリズムとの関連が指摘されていることも前述したとおりである。

 

 この2つの対立はあまりにも強烈なものであり、全く交わることのない二人の根本的に違う作曲姿勢と、まさに人間の差である。

 

そうであるはずなのに、二人の音楽には一方で強烈な共通点があるのだ。

二項対立が起きないということ。

 八村の音楽はとかく個性的で、個人的な美学によって貫かれた狂気の世界である。
その音楽は西洋の一部の音楽への強い共感を得ながらも、子供の頃から変わらぬ彼自身の「不安」と強烈に結びついている。
 もしかすると「不安」がもたらす「不安定」を埋めるものが「酒」であり、また狂乱と狂気であったのかもしれないし、彼にとってはそれ自身がロマンティシズムそのものだったのかもしれない。

 甲斐の音楽は再三書いたとおり、西洋的なイディオムであるはずの音響作法を用いているのに、その音楽がもたらすのは日本的な無の世界感であり、諸行無常の観念である。
 そこには西洋の方法論の受容と、本人の音楽観がやはり対立を起こさずに静かに同居している。

 

作曲を行う人は是非試してみてもらいたい。

 

・個人言語のみで西洋的なイディオムに対抗しうるロマンティシズムを打ち立てること
・西洋的方法論と東洋哲学をなんの違和感もなく同居させること

 

 ほぼ無理難題であるはずのこれらのことが、それぞれの音楽で現実に起きているのだ。

 なぜ二項対立が起きないのだろう。

 一つの見方として、それは彼らが「真に個」であったからではないかと考えられる。
 音楽は経験芸術であると、私自身は信じてやまないが、一方で個人言語の極地としても成立しうるものであるのだ。
 無論それは、理論学習が面倒で堅苦しいからと逃げ出した上で批判するような、現代のバカなコンポーザーの姿とは根本的に違うことは言うまでもない。

 追い詰められ、究極に探求された自己というもの、あるいは自己の不全性の直視からくる、強烈な痛みという立脚点、あるいは訥々と盆栽の枝を落としながら、ポツリと呟く独り言のような姿勢。
 これら独自の「個」にたどり着いたものだけがなし得る、二項調和の世界がここにはあるのだ。
 こんなことはめったに起こらない、奇跡のような状態であるが、彼らの音楽を聴くだにそのことに対する疑問は晴れ、確信に変わってゆく。

 

音楽とは「自分自身」でなければならないということなのである。

【R-18】アンチ・アイドル音楽の絶望的新星「ルイス・コール」を語る

最近、音楽とアイドルとの関係は切っても切れないものになりましたね。
聖子ちゃんブームがあり、おニャン子クラブが世間を騒がせた時代から時は流れ、ジャニーズが一世を風靡したかと思うと、AKB48だかAK-47だかわかんねー奴らがオリコンチャートを壊滅させたりもしました。
今やアイドル業界はシッチャカメッチャカの様相を呈しています。

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AK-47

なんでこうなったかといえば、それはもう可愛いおにゃのこor性的なボーイズが歌唱してんのを見ると人間の幸福中枢は活性化する傾向にあるからです。
つまり一言でいうと、アイドルというのは外見がいいのです。
外見がいいからアイドルなのであり、アイドルだから外見がいい。
もはや歌すらヘタクソでもいいのです。
アイドルは歌手ではなく、あくまでアイドル。
歌がうまければその分魅力的ではありますが、別に下手でもそれはそれ。
ただし、外見だけは絶対に良くないといけません。
だってアイドルだかんね!!!

 

 

え、それ音楽と関係あんの??????

 

【もくじ】

 

下ネタと反骨精神の化身「knower」

そう、アイドル文化は音楽文化と並行しているように見えて、実際は全然違うもんです。
見た目の良い男女が音楽を利用して自身のカッコよさ・可愛さを売る、というのがアイドル文化の正体なので、それはもう音楽というより演劇的の方が近いと思います。
実際、アイドルが歌うためのBGMと化したアイドルソング(特に最近の)は酷い質のものばかり。
そしてその歌詞も、当然ですが性的な魅力を誇張したものが多いです。
抱き合うとか濡れるとか脱がすとか何回言えば気が済むの???

www.dailymotion.com

 

さて、こんな感じに蔓延したアイドル文化ですが、これは別に日本だけの話ではありません。
アメリカなどの海外を見ても、アーティスト=アイドル=見た目が良い&セクシー、という構図は同じ。

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K-popアイドルとか

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ジャスティンビーバーとか


そんな中、ある音楽グループが2010年頃からyoutubeに動画をアップし始めます。
その名も「kower」。
まずは音楽を聴いてみましょう。


色々ツッコミどころはありますが、一旦無視して話を進めますと、「knower」はルイス・コール(Louis Cole)ジェネヴィエーヴ・アルタディ(Genevieve Artadi)(すげー名前)の2人による音楽グループです。
で、失礼なことを言いますとこの2人、ルックスはお世辞にもいいとは言えません。。。

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kowerのふたり

「なんだブスじゃん、動画見んのやめよ……」と思ったそこのあなた。
今すぐ悔い改めて雷に打たれ転生してknowerの歌を聴いてください。
歌はめちゃくちゃにカッコいいのです。
新世代らしいDTMサウンドを大胆に取り入れつつ、ルイス・コールの高い演奏技術と作曲センスを存分に生かしたサウンドになっています。
ベースラインの動きとドラムのフィルインがドチャクソカッコいいですね。

が、今回特に注目してほしいのは歌詞の方。
上に挙げた「BUTTS TITS MONEY」の歌詞を見てみると……

Butts and tits and money (Yes!) (x3)
Cause I'm broke and ugly

〈日本語訳〉

おケツ、オッパイ、そんでお金(Yes!)
だってアタシは文無しのブスだもん

おお…………
なかなか重い歌詞ですね。
MVでは、白鳥の首に跨った下着姿のアルタディが体をくねくねさせるシーン(oh...)を見ることができますが、歌詞を知らない人が見ても多分エロいというより不気味に思うでしょう。
というのも、アルタディが全然かわいく見えないからです。
本人の外見のせいというより、製作者の意図として明らかに可愛く見せようとしてないでしょう。

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全くエロくなくむしろ怖い

さらに、「THE GOVERNMENT KNOWS」の出だしの歌詞を見てみましょう。

The government knows when you masturbate

〈日本語訳〉
政府はあんたがいつシコってるか知っている

う~~~ん前奏明けの歌詞がいきなりこれかい?????
ちなみに、それ以外の部分の歌詞も

They fill the sky full of drones
To check and you and your bone
〈日本語訳〉
政府は空をドローンで埋め尽くす
あんたとあんたの亡骸を確認するためだ

They can see your dick from outer space

〈日本語訳〉
あいつらはあんたのちんちんを宇宙からでも見ることができる

The only dick they haven't seen is Edward Snowden's

〈日本語訳〉
政府が観察していないちんちんはエドワード・スノーデンのやつだけだ

などと供述しておりひどいもんです。
全体的にド直球な下ネタと政府批判に満ちています。
MVにドナルド・トランプ出てくるし。
ちなみに、「BUTS TITS MONEY」のMVにはちんちん型ロケットが出てきて2人の顔面を粉々に粉砕していきます。
ちょいと下ネタが直接的すぎやしませんか?????

 

…………というように、knowerの音楽性は極めて変わっています。
音楽自体はめちゃくちゃクールなのに、歌っている内容はぐっちゃぐちゃの下ネタ・ナンセンス・大衆批判に政治批判ときたもんです。
そして特筆すべきは、2人とも明らかに意図的にルックスを良く見せようとしてません
むしろ、自ら進んでブサイクを演じているように感じます。
”ブッサイクな2人組がクソみてえな歌詞をめちゃくちゃイカした音楽に乗せて歌い上げる。”
それこそが、knowerなりの表現のしかたなのです。

 

歌詞は数行、後は暴走「ルイス・コール」

彼らの音楽に込められたメッセージは、ルイス・コールのソロ作品からも存分に味わうことができます。
まず、「When You’re Ugly」を聞いてみましょう。

MVは開始早々いきなり混沌に支配されますが、それはいいとして注目すべきは歌詞です。

We all live on planet earth and this is how it works (x2)

When you’re sexy, people wanna talk to you
When you’re ugly, no one wants to talk to you
When you’re ugly, there is something you can do, called
Fuck the world and be real cool 

 

〈日本語訳〉

僕らはみんな地球に住んでる
そして、これがこの星の仕組みだ(x2)

 

あんたがセクシーなら、みんながあんたと話したがる
あんたがブスなら、誰もあんたと話したがらない
でも、あんたがブスでもやれることはある
つまり、
世界をブチ犯して本当のカッコ良さを手に入れろ、ってことさ

歌詞はたったのこれだけ。
4分間ずっとこの歌詞を繰り返して終わるのですが、この短い歌詞が心に染みます。
Fuck the world and be real cool 」ってメチャクチャかっこよくないですか????????

ちなみに、MVでは途中からルイス・コールが実際に近所の町を破壊しはじめます。
それどころかキーボードまで破壊したうえ、今度はコール自身がイスでぶん殴られて最後は車に轢かれて吹っ飛んでいきます。
因果応報ということでしょうか。

 

他にも、「F it up」という曲も見てみましょう。

If life is asking, here's what's up
I would rather f- it up
Easy, safe and dreams with dust
I would rather f- it up

I don't know what I'm doing but I want to live (x3)

 
〈歌詞〉
人生が俺に「何があった?」といちいち求めてくるなら、*1
そんな人生ぶち壊したほうがマシだ
簡単で安全で、でも夢はホコリをかぶっている
そんな人生ぶち壊したほうがマシだ
 
俺がしていることが分からない
でも俺は生きていたい(x3)

 やっぱり歌詞はほとんどこれだけ。
一通り歌詞を歌い終わると、長い長い間奏に入ってみんな好き勝手に暴れ始めます。
「言いたいことは言い終わった、よし暴れっぞ!!!」みたいなノリですね。

ちなみに、上の2つのMVにはどちらにもアルタディがゲスト出演しています。
というか、ルイス・コールのMVにはだいぶ頻繁にアルタディが出てきますね。
おめーら仲良しかよ…………。

 

「アイドル」の対義語は「ルイス・コール」でいいと思う

というわけで、ルイス・コールはじめknowerの音楽性はかな~り独特でした。

  • 直截な下ネタ・風刺・ナンセンス
  • 短く直球なメッセージ
  • 不快で混沌としたMV
  • 圧倒的な演奏技術とクソかっこいいサウンド

これらがバカみてえなバランス感(なんてあるのか???)で配合された結果、歴史的な要注意ポップス量産マシーンが完成したわけです。

これに対して、冒頭に挙げたようなアイドルたちは、

  • 遠回しな性的表現
  • メッセージ性を失い道具と化した歌詞
  • アイドルの外見を映えさせることに特化したMV
  • 演奏や音楽の質は二の次

というわけですから、これはもう実質対義語と言っていいでしょう。

 

最後に余談ですが、実はルイス・コールはもう一つ別のバンドも手掛けています。
「Clown Core」という覆面バンドです。
一つ聞いてみましょう。

 

 

 

 

 

「Toilet」

 

 

 

 

 

いやバカなのか??????

 

 

*1:翻訳に自信がありません。間違ってても知らないよ。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 第二回 ~スケッチブック編~

≪前回≫

nu-composers.hateblo.jp

 

 

どうも、gyoxiです。そして、アニメサントラ選第二回です。

 今回ご紹介するのはこちら。

 

スケッチブック~full color's~

より

サウンドスケッチブック』 

 

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サウンドスケッチブック

 

「スケッチブック~full color's~」について

スケッチブック〜full color's〜は小箱とたんの4コマ漫画「スケッチブック」を原作とした作品だ。

原作漫画は無口な少女、梶原空と彼女が所属する美術部の部員達、そしてその周囲の人々の何気ない日常を描いた所謂ほのぼの4コマのジャンルだ。割と生活感あるエピソードもあるので気軽に読めて、面白い。

 

magcomi.com

 

...のだが、昆虫ネタがマジで多い。美術部の先輩である栗原先輩はガチの自然好きのため、栗原先輩が出てくると必ず昆虫ネタが出てくる。最近買った8巻に登場する、栗原先輩絡みの昆虫・自然ネタはこんな感じ。

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昆虫ネタが多い!!!!!


とたん先生自身も生き物大好きな方故、栗原先輩は実質、とたん先生の自然に対する熱意の擬人化である。

 

 

 

さて、そんなスケッチブックのアニメーション作品の監督を務めているのは平池芳正だ。

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平池芳正監督

11月16日生まれ。

代々木アニメーション学院卒業後、スタジオジュニオ(現ジュニオ ブレイン トラスト)を経て、現在フリーランスで活動している。

2003年の『カレイドスター』で初めて監督を務める。

https://www.satelight.co.jp/creators/%E5%B9%B3%E6%B1%A0%E8%8A%B3%E6%AD%A3/

平池芳正とは (ヒライケヨシマサとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

平池さんが監督をしていた作品で個人的に見ていたものだと、カレイドスターとかWORKING!!とかが印象深いですね。カレイドスター、熱血スポコンで面白いんすよ、オススメです。

 

 そして監修をしているのはお馴染み佐藤順一さんです... 自分、なんか好きなんですよね、サトジュン監督の作品。今まで何度も紹介しているので、詳しくは過去の記事をお読みください......

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佐藤順一さん


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何故こんなにハマったか

 さて、そんなスケッチブック~full color's~ですが、今年の4月に視聴してそれはもうドエライ勢いでハマりました。一体何故でしょうか。その理由を、考えてみました(事実上の布教活動)。

 

明確なストーリー展開がない

一般的な日常アニメというものは、巨大な山場のあるような急激なストーリー展開はあまり無い。が、それでも明確なストーリー展開はあるもので、例えば前回紹介したARIAでも、物語の起承転結が存在している。しかし、スケッチブックは元が四コマ漫画である所為もあってか、明確なストーリー展開をあまり感じさせず、物語の起伏にとらわれる事なく作品を視聴することができるのだ。

 

話のベースが梶原さんのモノローグ

とは言うものの、「明確なストーリー展開のないアニメ」なぞ探せばなんぼでも出てくるだろう。それでも、この作品が他の作品と違うのは「ストーリーの根底に梶原空のモノローグがある」ということだろう。

例えば自分の大のお気に入りである第4話「三人だけのスケッチ大会」でどれだけモノローグが語られているかを実際に調べてみると、合計で115秒もある。またそのモノローグもハキハキとしたモノローグでは無く、「...と、わたしは思うのだ」といった無口な梶原空らしい語り口であり、それらによって一人の時間を過ごしているような静けさと不思議な心地よさがこの作品にもたらされるのだ。

 

サウンドが良い

そして何より、サウンドが良い(直球)。サントラ選シリーズで紹介しているので、そりゃあ音楽が良いんでしょう、と思うかもしれないが、それだけでなく環境音も良いのだ。

美術部が活動するのは主に放課後であるが、活動しているその後ろでは吹奏楽部が練習している音や、運動部が活動している音が聞こえてくる。先に例に挙げた第4話は雨の降りそうな日に写生大会に行くという話であるが、雨の降る前にはカエルの鳴き声や風に揺れる草木の音が聞こえる、そして、雨が降り始めて雨粒が草木を打つ音が聞こえる。そんな誰もがどこかで聞いたことのある音劇伴がそっと寄り添いどこか懐かしいような、大きな感傷を呼び起こす風景を描いているのだ。

 

スケッチブックのサウンドトラックについて

スケッチブックの劇伴をしているのはピアニストの村松健だ。

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村松健さん

なつかしゃ唄の島、奄美大島のピアニスト、作曲家、そして三絃(奄美三線)弾き。幼少からピアノをおもちゃ代わりに、東洋〜民謡やシマウタから、西洋〜クラシック・ジャズ・ブラジル音楽までボーダーレスな音楽環境で成長し、独自のなつかしい音世界を育む。成城大学在学中の1983年にデビュー。以来、自作自演のスタイルで送り出したCDは40作を超え、季節の彩りから生まれた優しくせつないアルバムは多くのファンに愛されている。

PROFILE

プロフィールで語られている「独自の懐かしい音世界」が、この作品の雰囲気に本当にビタとはまり込んでいるんです。すごいんです(語彙力)。村松さんの音楽は各種音楽サービスで配信してるので、是非聴いてみてください、お願いします。これ、オススメです。

 

 

それでは、スケッチブックのサウンドトラックで村松健によって奏でられるどこか懐かしい音楽たちを紹介したい。 

 

遠まわりして帰ろ


Sketchbook ~full color's~ OST - 01 - Toomawari Shite Kaero

最初はコロコロとしたピアノで始まり、ワンフレーズが終わると、流れるような演奏に変わる。ストリングスがそのピアノに優しく寄り添う。いつものように流れる時間。何気ない静かな帰り道。まさにこの作品の雰囲気そのものを表現しているといえる曲だ。

 

夕焼けを歩いたね

 


Sketchbook ~full color's~ OST - 09 - Yuuyake wo Aruita ne

西の空に太陽が沈みゆくその瞬間、この曲が描いているのはきっとそんな光景だろう。誰しも、日没の瞬間を毎日眺めている訳ではない。でも、ふと気づけば、日常の側にはこんな壮大で美しい光景もあるのだ。ちなみに最近、村松さんによるこの曲のロングバージョンの野外演奏動画がリリースされたので、そちらも要チェックだ。


なかさつ音まちWEBシリーズ(野外編) 村松健 秋の“やさしい時間”夕焼け坂

 

雲の澪を行く


Sketchbook ~full color's~ OST - 21 - Kumo no Rei wo Iku

どこまでも深く青い空。流れゆく雲。雲は壮大な旅をする。時には入道雲のように大きく盛り上がり、時には形を成さずにサラリと流れていく。雲は旅の途中、様々な景色を目にしているだろう。 そんな雄大で美しい雲の行く道を、ピアノとストリングスが描き出している。

 

バルーンムード~夢からさめても~


Sketchbook ~full color's~ OST - 07 - Balloon Mode ~Yume Kara Samete mo~

上で紹介してきた曲とは打って変わって、柔らかで温かい雰囲気の曲だ。放課後に友達と一緒に過ごす穏やかな時間。人生でこの一瞬しかない、とても大切な時間。この曲からはそんな風景が頭に思い浮かぶ。

 

おわりに

今回は、スケッチブック~full color's~のサウンドトラックを特集した。音楽もアニメも共に素晴らしい作品なので、機会があれば是非一度ご覧になってはいかがだろうか。

 

 それではまた。

渋谷系の時代⑦カヒミ・カリィ編

さあ誰も呼んでなくともやって参りました渋谷系の時代です。

~前回の記事~

 

nu-composers.hateblo.jp

 前回トラットリアを紹介したので、トラットリア所属のミュージシャンを紹介できるようになりました。あれはそのための記事です。

 

ということで、今回は前回も登場したカヒミ・カリィを詳しめに見ていきましょう。

 

カヒミ・カリィ

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カヒミ・カリィ

名前から国籍が全くわかりませんが、どうやら本名のアナグラムらしいので多分日本人です。見た目が良い。

やくしまるえつこや青葉市子などの、邦楽における所謂ウィスパーボイスのはしり*1なので全ウィスパーボイス好きは感謝しましょう。あとマジで見た目が良い。

 

デビュー

 MIKE ALWAY'S DIALY

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1992年に小山田圭吾プロデュースでソロデビュー。プロデューサーが小山田というだけあって、ザ・渋谷系的なサウンドジャケ写もマジでそれっぽいですね。

ボーカルはかろうじて音程があるのがわかる程度にカスカス(言い方が悪い)ですが、大体こんな感じなので頑張って付いてきてください。

 

また、先ほど申し上げましたように見た目がよろしいからか、イッセイミヤケのモデルとしてパリコレなどに参加したりしていたようです。あと先ほど申し上げましたように見た目がよろしいからか、若い女性から大変人気がおありだったようで、ファッションアイコン的存在でもあったようです。なぜ僕はこんなに敬語が丁寧なんでしょうか?

 

そんなこんなでミニアルバムを次々とリリース

MY First Karie

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I AM A KITTEN

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カヒミの曲は海外のミュージシャンが書いたり、スタンダードナンバーのカバーだったりが多いので日本っぽさをあまり感じないのが面白いです。

 

そうこうしてるうちにアニメ「ちびまる子ちゃん」のOPに抜擢されました。カヒミ・カリィを知らない人でもこれは知ってるという人も多いのではないでしょうか。

 

ハミングがきこえる

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ちびまる子ちゃんのOPになったので一番有名。作者のさくらももこは趣味が高じすぎて、自身原作のアニメの主題歌には渋谷系の面々や電気グルーヴといった当時新進気鋭のミュージシャンを起用しまくっていました。いまやE-girlsとかですけどね......

ちなみに先代OPの踊るポンポコリンとの落差に、そのコケティッシュさにめちゃクレームが来たらしいです。無粋!

 

その後勢い止まらず2年連続でフルアルバムをリリース

クロコダイルの涙

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K.K.K.K.K

youtu.be

 

とてもどうでもいいですが、僕はK.K.K.K.Kの一番最初の曲のOne Thousand 20th Century Chairsが一番しゅきです。

かつてこの曲がMステで披露されている動画がYoutubeに存在していましたが、爆音で演奏するドラム・ギター、グリッサンドキメまくるピアノ、囁きすぎてマジで聞こえないボーカルとめちゃくちゃカオスでした。

 

このアルバムをリリースした後ワールドツアーを決行。当時はワールドツアーが流行ってたので、興行的にどうだったのかは微妙ですが、とにかくワールドツアーを決行しました。東京公演のライブ映像がYoutubeに何故か存在するので見てみましょう。

 

youtu.be

実に渋めな音楽をやってる割に若いおにゃのこの歓声が目立ちますね。貴様、ファッションアイコンだなッ!(それはそう)小癪な!!!!!!!

 

ちなみにこのライブのために特注のマイクを作ったらしいです。それまではどうしてたかというと大量のマイクをぐるぐる巻きにして束ねて集音してました。

なのでクッソハウリングが多いのはウィスパーボイスの宿命だと思って勘弁してやってください。

 

その後も精力的に活動を続けますが、00年代に突入する頃から曲の毛色が変わってきます。

全体的に生楽器によるセッションから、DTM的な編集が目立つようになったなという印象です。

TILT

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この曲とかはまさに00年代らしい硬さと冷たさのある音像でとても良いです。

 

Trapeziste

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 かと思えばノイズやフリージャズ的な音響になったりもしています。このころになると最早渋谷系というカテゴライズにはまらない、自由な音楽活動をしていると言えるでしょう。

 

Montage

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この曲は割と昔のカヒミっぽいですが、音が完全に「今」感あります。

 

NUNKI

youtu.be

ここまで来ると何か悟りでも開いたのかな?と思ってしまいますね。

 

この悟りを開いたタイミングで結婚し、2010年にアルバムを発表して以来ほとんど曲を発表しなくなりました。

 

It's Here

Nouveau Paradis

Nouveau Paradis

  • provided courtesy of iTunes

めちゃくちゃ良い感じに枯れたな(曲が)と思うのは僕だけでしょうか。

 

というところで今回は終わりです。また次回。

 

 

 

 

 

*1:Charaとかもいますけど、Charaはサビとかはちゃんと声張って歌うじゃないですか。カヒミはサビまで全部囁くので、つまり何が言いたいかというと、トッポみたいに最後までチョコたっぷりなんですよね。岡崎律子もウィスパーボイスですが、あの独特のコケティッシュ感はやはりカヒミならではだなあと思います。ただし邦楽の話。

同詩異曲のススメ

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天気/草野心平

同詩異曲-つまり同じ詩に別の作曲家が別の曲をつけた音楽のことである。

 皆さんは案外この同詩異曲が多く存在しているということを知らないのではないだろうか。
 特にPOPSなどではメロ先といって、まずメロディを作ってから歌詞を流し込んでいくことから、詩に対しての意味合いが純文学的なそれより価値が下がり、詩が詩だけとして独立に見られることが少なく、一つの楽曲の一部として認識されることから、ほぼ起こらない現象になるといえる。
しかし純音楽では、大抵の場合詩のほうが先にあって、それに曲をつけるという形になってくる。

 昔は謡曲もメロ後であったが、いつの間にか、効率を追う中でメロ先が普通になってしまった。


なので今のPOPSの作家はメロ後の作曲が大抵できない。

 

 かつてあるコンポーザーにメロ後の話をしたら「それじゃ曲が作れない」と言われたことがあって、失笑を通り越してすべてのやる気が無くなったことがある。
まあそれだけ作曲のテクニックが劣化し、幼稚な児戯にも劣る領域にまで堕落したということだ。

 

話を戻そう。

 

 純音楽では今でも尚、メロ後の原則は大体において守られており、偉大な詩人の芸術作品に、作曲家としてその魂をかけて挑んでゆくという行為が行われている。
そうなってくると、名作と言われる詩であったり、音楽的に非常に魅力を引き出しやすいと思われる詩は人気が高くなってきて、多くの作曲家が曲をつけてみたいと思うようになるのだ。
その結果、同詩異曲というものが誕生するのだが、それだけに各作曲家の詩へ理解や思い、考えや作風を比べるのには最適の素材となる。

 

今回はいくつかそんな同詩異曲を通じて、作曲家の眼差しにアプローチしてみようと思う。

 

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Johann Wolfgang von Goethe(1749.8.28-1832.3.22)

 西洋のクラシックで同詩異曲が多くあることで有名なのはゲーテの書いた詩「野ばら」であろう。

 

 日本では特にシューベルトのものとウェルナーのものが有名である。
これは近藤朔風による訳詞とともに知られたという経緯があるからなのだが、実はゲーテの詩にはその他にもブラームスベートーヴェンシューマンなどといった名だたる巨匠が曲を付けているのだ。

 

まずはそれらをざっと聴いてみよう。

 

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Franz Peter Schubert(1797.1.31-1828.11.19)

フランツ・シューベルト

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Heinrich Werner(1800.10.2-1833.3.3)

ハインリッヒ・ウェルナー

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Johannes Brahms(1833.5.7-1897.4.3)

ヨハネス・ブラームス

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Robert Alexander Schumann(1810.6.8-1856.7.29)

ロベルト・シューマン

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あれ?ベートヴェンも書いたと書いてなかったっけ?
その通り。ベートヴェンもこの詩に挑んで作曲を試みている。しかも3回も。
しかしいずれも満足行く結果を出せなかったのか、未完のまま放置され完成されたものにはならなかったのである。
 ベートヴェンはもしかするとこのゲーテの詩に、他の作曲家とは違う深遠なものを見出していて、それが故に完成に至らなかったのかもしれないというのは、些か勘ぐり過ぎかもしれないが、こうやって詩に負けてしまうということは、作曲家にはしばしばあることなのだ。


さてでは日本語詩ではどうだろうか。
実は沢山あるのだ。

 

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加藤周一(1919.9.19-2008.12.5)

 加藤周一という評論家で医者だった人物が居た。
 彼は国内外の様々な大学の教授を歴任したほか、まあ色々異論のあるところだが大江健三郎らと九条の会を結成、呼びかけ人の一人になった人物だ。
 その一方で医学から文学へと歩みを変え、韻律をもった詩を残すなどした。
そして書かれた代表作の一つが「さくら横ちょう」という詩である。
 この詩は「再会」をテーマに桜の花とその儚さ、人との距離や過去を映し込んだ、なんとも憂いに富む美しい詩である。

この詩に魅了され、また見事な解釈で曲を付けた二人の作曲家がいる。

 

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中田喜直(1923.8.1-2000.5.3)

 一人は日本歌曲のレジェンド的存在である中田喜直だ。
日本の音階をほのかに感じさせる処理を加えた、流れるような音楽には、日本的な翳が宿っていて極めて美しい。
 中田喜直その花と再会に陰影を見出して、日本的な情緒の中に淡々と、そして少し熱っぽくその過去を乗せてみせたように感じる。

中田喜直

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別宮貞雄(1922.5.24-2012.1.12)

 もう一人は徹底的にロマンティシズムに満ちた作風を貫いた別宮貞雄である。
別宮はこの詩の中の情熱の影に着目したように感じる。
 再会の裏にある悲しみや、情熱を桜の花に象徴させていると読んでいるかのような前奏と、個人の思い出のような独唱を舞曲調のリズムが支える。

別宮貞雄

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神戸孝夫(1955.12.12-)

 長くこの詩には前述の二人の名作があって、これに挑もうという人は現れなかったが、声楽家神戸孝夫が新たにこの詩に挑んだ。
 出版された楽譜が入手困難になっているのは少々もったいない気がする作品である。
過去思いだすと、その情熱が胸を高鳴らせ、儚く散った思い出の断片に桜の花が散るように感じさせる美しい曲である。

神戸孝夫

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歴史的名作ともなると様々な形でそれに挑む芸術家が現れてくる。
その一つの例が宮沢賢治の書いた「春と修羅であろう。

 

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宮沢賢治(1896.8.27-1933.9.21)

 生前に完成された第一集は69編の詩からなるもので、個々に含まれる詩を何らかの形で用いた作品は枚挙にいとまがない。
 更に未完ではあるが同名の詩集は三集まであり、これらを考えると付けられた曲の全容を追うことはかなり難しいだろう。

そこで春と修羅というタイトルに限定してみよう。

 

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信長貴富(1971.5.16-)

 まず大人気の合唱作曲家信長貴富の挑まれた合唱曲が出てくる。
氏の作品はそのポップ感あふれるキャッチーなメロディと、適度にシリアスなハーモニーが人気だが、この作品はかなりシリアス寄りの作品と言えよう。

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新実徳英(1947.8.5-)

 また男声合唱のための楽曲としてやはり合唱界のレジェンドたる新実徳英も曲を付けている。
こちらも非常にシリアスな雰囲気に満ちた難解な楽曲である。

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塚本文子(1949-)

 春と修羅の詩集冒頭の「序」に混声合唱を付けたものとして塚本文子氏の楽曲もある。
この曲はシリアスさは抑えられているし、個人的には表現が隅々に行き渡ってるようには思えず少し残念である。

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引野裕亮(1983-)

 声楽を専攻され、青島広志氏に作曲を学んだ引野裕亮氏も同名の男声合唱曲を書いている。
こちらはなかなかに緊張感が全体に行き渡っており、有名ではないが良い楽曲であると感じられる。

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藤倉大(1977.4.27-)

 最後に昨今注目の作曲家藤倉大が映画「蜜蜂と遠雷」のために書かいた「春と修羅」というピアノ曲を紹介したい。
 歌ではないが、こういった形で宮沢賢治のそれに挑む方法もあるということをしっかり示している素晴らしい名作だと思う。

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この他にも堀悦子、鈴木輝昭など錚々たる顔ぶれがこの詩に曲を付けている。

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堀悦子(1943-)

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鈴木輝昭(1958.2.16-)

それぞれの作曲家の生き様が、宮沢賢治の名作に重なっていくさまは、まさに芸術と芸術の高まり合いと言えるだろうし、ある種の闘いのようにすら感じる。

 

 

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谷川俊太郎(1931.12.15-)

 作曲家に最も人気の詩人というと谷川俊太郎の名を挙げなければならない。
そして人気であるということはまた、同詩異曲の宝庫ということでもある。

 特に人気のある「生きる」という詩に付けられた曲を聴いてみよう。
ただし、谷川は同名のタイトルの詩を複数書いているので、ここではひとつの「生きる」に絞ってみることにする。

 

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三善晃(1933.1.10-2013.10.4)

 もちろん初めは不動の人気を博する三善晃先生の書かれた曲を挙げないわけには行かない。
 谷川は「生きる」ということは「あなたとあなたのすべて」であると詩に託しているのだが、それを反語的に解釈し「死」の影に満ちた「レクイエム」に書いてみせたのがこの楽曲であると思う。

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大熊崇子(1961-)

 同じ詩でも本当に「生きる楽しさ」にフォーカスアップして書かれたものもある。
こちらも合唱の大家である大熊崇子先生の書かれたものだ。
あまりの違いに戸惑いさえ感じる。

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松下耕(1962.10.16-)

 そしてこのコロナ禍にあってやはり合唱界の大物である松下耕先生「生きる」を動画で配信されている。
 英訳された同詩を用い、演奏は有志が各家庭で録音したものを編集したのだという。
こちらは「生きる」ということは希望の光に満ちていると言わんばかりの優しい音楽である。

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なかにしあかね(1965-)

 また日本和声の体系を作られた中西覚先生の娘さんで、昨今注目の作曲家であるなかにしあかね氏もこの詩に挑戦している。
 非常に明瞭で、また温かさに満ちている楽曲であるが、ほんの僅かに薄っすらと影を加えているのが楽曲の彫りを深くしている。

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 この他にも数曲この詩には曲が付けられている。そしてその多くが再演率が高いということは、いかにこの詩が力に満ちているかを端的に示しているようである。


 このように多くの同詩異曲の例を見てきたが、私たち作曲家はある時、名作の詩に立ち挑まねばならないのかもしれない。
 そしてそこで討ち死にするのか、はたまたイーブンの拮抗を見せるか、なぎ倒し我が物にするのか。
まさに死闘となるであろう名作との闘い。


我が名作同でもそろそろそういうチャレンジを聴いてみたい気もする。

悪魔の第七旋法 "ロクリア" の封印を解く 最終話「実用と譜例」

前回までで、ロクリア旋法がだいぶ実用的ということが分かっちゃいました。

ここまできたら、後は作曲するだけ。
というわけで、僕が実際にTLTを用いて作曲したピアノ曲集、
「夜の窓辺にて」
からいくつか譜例を見てみましょう。

【もくじ】

 

譜例1:「あめんぼと流星群」

この曲の7小節目~(11秒~)を見てみましょう。

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「あめんぼと流星群」7小節目~

この曲の調はA-locrianですが、前半部は基本的にT-E-T(トニック-エニモッド-トニック)という単純な進行を繰り返しています。
7小節目からの部分に着目すると少し工夫してあり、借用和音や転調も挿入されていますね。
転調してからは、I-IV-Iを繰り返したり主張に戻ったりするだけで、やはり割と単純な作りです。
最後の終わりの和音は何とも奇妙な響きになっていますが、この点を最も工夫しました。
転調したまま元に戻らず、V調のVIの和音(平行長調のI)に終止するのですが、ここにテンション・ノートを乗せてみたのです。
結果的に、こんな構成音の和音が鳴ることになりました。

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最後の和音に注目

この終止和音はとてもロクリア旋法らしい、TLTらしい響きだなあと思います。

 

譜例2:「いらなかった鎮魂歌」

この曲は、冒頭がメロディ独奏で始まります。
ロクリア旋法らしい旋律とは???というのは割と難しいのですが、上手くいったものを聞いてみるとどこか日本民謡らしい雰囲気が漂っている気がします。
というのも、日本民謡とロクリア旋法には実は密接なかかわりがあって……というのは今回は語りませんが、とにかくそうして始まるこの曲の17小節目~(1分12秒~)を見てみます。

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「いらなかった鎮魂歌」17小節目~

ここではとても単純な反復進行をしており、しかもかなり良い効果を上げています。
従来の音楽で使われている技法は、TLTにも問題なく応用できるということが分かりますね。

 

譜例3:「水底に沈んだ星座」

最後に、この曲の9小節目~(26秒~)を見てみましょう。
かなり挑戦的な借用ずれ和音を使っていますが、全体としての響きは統率が取れているように思います。

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「水底に沈んだ星座」9小節目~

こういった譜例を見ると、TLTがマジで使えるということを分かってもらえるでしょう。
分かってくださいお願いします……。

 

ロクリアの封印を解いたぞ

というわけで、ロクリアの封印はばっちり解きました
これから先、この咎なき邪神が音楽の世界で大いに暴れまわってくれることでしょう(願望)
みんなもぜひロクリア旋法を使って作曲してください。

「いやこんな簡単な説明だけじゃ無理だべ??

という人は、上で譜例とした「夜の窓辺にて」を購入してみてもいいかもしれません。
全曲が長短ロクリアで書かれていて、譜例集としても最適ですよ。

それでもなお

「いやこんな譜例集だけじゃ無理だべ??

という贅沢さんは、ぜひ僕に師事でもしてください。(?????、?)
ロクリア旋法で作曲する人、マジで増やしてえ…………