大変ありがたいことに、わたくしの新曲「Δ/Replication」が初演されました。
移植していただいたBRIDGE SCOREの佐々木裕健氏と演奏してくれたその息子さん、楽器準備を手伝ってくれたご家族、なんかよくわからない曲を演奏させてくれたピアノの先生、および聞いてくれた人たちには感謝の気持ちでいっぱいです。
そしてこの楽譜は出版されたので、買ってくれるであろう貴方にも感謝の気持ちがいっぱいになる予定です。
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こんな機会は(私には)あまりないと思われるので、せっかくなので依頼から初演までの流れを時系列順に追っていきます。
①委嘱がくる
2023/1/1
名古屋作曲の会はハンドフルートコンサートの配信を行いました。私はハンドフルート+手回しオルゴール+電子音響という編成の「エア」という曲を出しています。
その後なぜかBRIDGE SCORE社長の佐々木氏と配信をした我々は急速に接近していき、
冨田悠暉の「Requiem No.1」やなんすいの「組曲『新栄』」の出版が決まりました。
(新栄はまだ出版されていません)
私はと言えば内心うらやまし~~と思っていましたが、ヒューマンフレンドリーな曲を全く書いていなかったので、まあそうだよなとも思っていました。
2023/1/18
そんなある日、1件のDMが来ました。
(佐々木)
榊原様
こんばんは。あらためまして、年始では突然の配信の企画にお付き合い下さり、本当にありがとうございました。遅くなりましたがお礼申し上げます。
榊原さんの公開されてる作品を聴きながら、一つご提案したいことがございまして、電子音源+アコースティック(具体的にはピアノ、打楽器)のアンサンブルを作ることにご興味はありませんか?
毎年春に、息子の通うピアノ教室の発表会がありまして、そこでは現代作品も演奏してきました。(弊社のYouTubeチャンネルでも公開しています) そこで、榊原さんの新作を初演したら面白いのではないかと考えています。
時間としては3分ほど、ピアノは息子担当なので簡単めに、打楽器は私が担当し、家で揃えられる打楽器なら基本なんでもOK(ただし、車に積み込ませることができる範囲で) (中略)
初演は来年4月なので、出来上がりは今年10月頃が望ましい… ざっとこんな条件なのですがいかがでしょうか? お忙しいところを恐縮ですが、お時間のあるときにでもお返事を頂けますと幸いです。勿論、質問や要望なども承ります。
合同会社BRIDGE SCORE 佐々木裕健
よっしゃ~と思いました。
ということで、9歳児がピアノ発表会で演奏するためのピアノと打楽器(佐々木さんが担当)と電子音響の小品を書くことになりました。なんだそれは。
佐々木さんは先ほど述べたハンドフルート曲「エア」を聴いて委嘱を決めたようです。
普通にエアを出版することを一瞬考えたようですが、記譜が困難なので断念したそうです(そりゃそうだ)。そこで「ピアノと打楽器と電子音響のための新作を委嘱して、息子のピアノ発表会で演奏すればいいのでは?」と思い至ったそうです。普通そうはならんのではないか? でもまあ普通ではないからな。
なにはともあれ、委嘱は大変ありがたいことです。
さて、この依頼で重要視するべきポイントはなにかなあと考えました。
考えた結果
1.子供のピアノ発表会のための曲であること
2.自分がピアノや打楽器を演奏できないこと
3.電子音響の使い方
4.出版されることを悪用すること
5.締め切り
を念頭に置いて書くことにしました。
ちなみに演奏する際に参考にしてもいいですし、参考にしなくても一向にかまいません。*1
1.子供のピアノ発表会のための曲であること
ピアノは簡単めに、という注文をいただきました。子供用ですからね。
(佐々木)
ピアノだとなんとか頑張って《エリーゼのために》が弾けるレベルです。
あと、片手で掴める音域は7度が限界です。
ただ今回の場合、「エリーゼのために」よりは難しくないと、あまり弾いてもらう意味がありませんね。多少難しくしましょう。
さらにピアノ(息子)+パーカッション(佐々木)の親子共演という点ですが、ピアノ発表会ということであくまで子供が主役であるべきでしょう。が、その舞台に親が出てくるので、ある種のゆがみが生じてしまいます。ここに言及しないとウソになると思いました。腐心した結果、電子音響をコンダクターとして活用し、ピアノは打楽器を全く聴かなくても淡々と弾き続けることが可能な譜面にしましょう。打楽器はピアノの演奏を聴かなければならないが、分離したような演奏を強制されるようにしておきましょう。というようにパーカッションよりもピアノが優位な状況を保ち、来るべき反抗期を予見したような内容にしてみたらどうか。このことは意識しないで演奏したほうが面白い気がするので、初演が終わるまで秘密にしておきます。
ピアノ発表会なので当然時間制限もあります。この場合3分でした。
3分でなにをやろうかな~と思い小曲を3曲くらい下書きしたんですが、普通過ぎたので全部没になりました。この時点ではピアノ発表会にふさわしい曲を書こうと思っていたのです。でもそれは驕りでした。そもそも「エア」を聴いて委嘱してきたんだから、そんなものは望んでいないはずです。ちゅうか、ピアノ発表会で急に意味不明な曲が演奏されたら会場の空気が変になっておもろい。もう全部ぶち壊そう。
ということで、おおよそピアノ発表会で演奏されないような曲を書くことにしましょう。
さらに言うと転換も高速で行う必要があるので、大量の打楽器を使うとかはできません。必然的に簡素なセッティングを目指しました。とすると使用する打楽器の制約が結構あります。使用する打楽器が少ないというところでClown Coreを思い出してしまいました。
結果的にスカムミュージックっぽい音響に向かうことになります。
2.自分がピアノや打楽器を演奏できないこと
特にピアノですが、技術的な意味で「子供のため」に書くことは、ピアノが弾ける人間と比較して難しい。ということで、(一応技術的な面にも配慮はしつつ)非技術的な側面から子供のための曲を書くことを目指しました。
じゃあどうするか。というところで地方のピアノ発表会(出たことはないので想像でしかありませんが)に思いをはせてみたんですが、大体クラシックの名曲かポップス、たま~にやばい超絶技巧を披露する人がいるとかそんな感じじゃないでしょうか。違ったら教えてください。ここにないものはなにかわかりますね?ヤバいポップスです。
よくよく見るとBRIDGE SCOREから出版されている楽譜はかなり幅広いとはいえど、ヤバいポップスはありません。ここに非常に異質な曲を置いて悪目立ちしたい。
ということで、全く非アカデミックなポップス的アプローチをとることによって、音楽(や文化)の多様さを認知してもらうことを狙いに盛り込みました。私の好きな曲の要素を色々ぶち込んでみましょう。別にこれを好きになってもらう必要はなく、あるいは自分の好きなものを全く別で見つけてもらえてもそれはそれでうれしいですね。
3.電子音響の使い方
(佐々木)
ちなみに、電子音源はiPadにスピーカーを着けて流すような形になると思います。
ここから察するに、ミキサーを介した音量調節、イヤモニを装着してのクリックとの同期演奏はおそらくできないでしょう。クリックがない状態で演奏するには電子音響自体にクリック的な要素を入れる必要があります。普通に困ったので、いろいろリファレンスを探しました。最近の現代音楽は電子音響との同期演奏が多いので結構助かります。
まあこいつらイヤモニしてるんですがね。
クリック音(ぽいもの)が楽音として機能するという点でBen Nobutoの曲は大いに参考になりました。
4.出版されることを悪用すること
これまでの話とは別で「せっかく出版されるんだから、絶対にこの機会を悪用した~い」と思いました。ということで、こどものために~とはまた別でテーマを設定しました。ということで呪いをテーマに書いています*2。
当時の私は人を呪い殺してみたかったので人を呪い殺す方法を調べていました。中二病だからそういうことをしたくなってしまいます。
調べた結果、この世には多種多様な呪殺方法が存在し、時代によっても変遷するため、ステレオタイプ的な呪殺にこだわるのはナンセンスだということがわかりました。つまり大事なのは「人を呪う心」そのものであり、儀式はその心によって成立しているわけです。心は十分にあるので、そのための儀式として曲を作り上げてみましょう。
そして今回はオンライン出版なので、ネットを介していくらでも伝播することが可能です。黒沢清の「回路」みたいだったので、その内容も儀式に取り込みました。非常にポップに虚飾されているせいで演奏と聴取、頒布が儀式であることに気づくことは困難ですが、私の(デルタ像の)人を呪う心は確かに増幅され伝播していくはずです。そのためにも買ってください。
5.締め切り
なんかいろいろ書きましたが、これが一番大事です。相手がだいぶ上手ければちょっと慢心できますが(しませんが)、子供相手に何か月も遅れると普通にまずい。どの面下げて子供のための曲と言ってるのかわけわかんなくなってしまう。なので今回に関しては特に締め切りを守ることはマストでした。いつもマストです。
今回、1月18日に依頼を受け10月締め切りなので、大体9か月くらいは時間をいただきました。実験や書類に忙殺されているので締め切りが長いのは助かります。が同時にちゃんと書けと暗に示されているわけなので、気が引き締まります。
こんなに時間があることも珍しいのでコンセプトしっかり練るぞ~と張り切った私ですが、就活やら学会やらでなんか時間が無くなり、実際にコンセプト練り始めたのは6月ごろだった気がします。そして作曲に取り掛かったのが9月なので普通にお馬鹿さん。
ただ、忙しいことを理由に書けないのはダサいし、何らかを犠牲にしながら何とかすればいいんじゃないでしょうか。
というようなことを考えながら書き、
2023/9/30
できました。
テンポ240で遠隔調転調しまくる変拍子の曲がな!!!!!!!
(佐々木)
ピアノだとなんとか頑張って《エリーゼのために》が弾けるレベルです。
あと、片手で掴める音域は7度が限界です。
(ピアノは8分音符までしか登場せず、かつ七度は厳守しました)
②頑張って練習してもらう・頑張って校正する
エリーゼのためにとは程遠いものができたので、「弾けるかな?」と大変心配していました。なんすいや冨田にも聞かせたんですが、同じことを口にしていたので相当大変なんだと思います。
(佐々木)
息子にも聴かせてみましたが、マシンガンみたいな音がする、ロボットが壊れてるみたい、などのイメージをもって受け入れられそうです。
マシンガンかもしれねえ。
(佐々木)
ちなみに、バイエルレベルなら比較的苦もなく譜読みできる息子が、本作には大苦戦しておりましたw
予想通り大苦戦されてしまい、終わった......と思いました。
この時点で不安はマックスだったのですが、なんだかんだ好ましく受容され、転調に対応するための全調音階練習をすることになり結果的にピアノが上手くなるというミラクルも発生しました。要するに私は子供の可塑性をなめていたアホです。今までさんざん子供のために書いたことをアピールしてきましたが、正直だいぶおこがましいと書きながら思っています。
これと並行して校正を行いました。今回の曲では、五線譜で作曲したものを一回DAWに取り込んで編曲して編曲した結果できたものを五線譜に落とし込む、みたいな回りくどい作業を延々としていたので、結構記譜に揺れがあったりなかったりしました。今はないはずです。あったら教えてください。本当はそこまで含めて10月までにできればよかったのですが、10月は学会みたいなもの(若手の会)で出張しなければならず、ないよりはましだろうということで提出してしまいました。よくないですね。
なのでミスが色々......
③初演される
2024/4/7
いよいよ初演されるということで香川に行きました。
だいぶ無茶な楽譜でしたが、ちゃんと形にしてくださり、奏者のお二人には頭が上がりません。
この曲は電子音響を使うということもあり、相当がDTM的発想によって作られています。なので、中間部を除く全編にわたってグルーブ感を殺すよう指示しました。奏者にとってはあまりない発想だそうです。たしかにそうかも。
そんな感じで初演されました。
これもまた意外なことに、そこまで会場はお通夜みたいな雰囲気になりませんでした。好ましく受容されたのか、佐々木親子またやってるよと思われたのかはわかりませんが、どちらにしてもあの空間には意味不明な新曲を受容できる何かがあったということなので、希望のある話だと思います。
という感じで初演までこぎつけたのでした。この後すぐに微妙な校正を経て......。
④出版される
出版されました。
委嘱から初演、出版まで、佐々木さんには大変お世話になりました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。
そしてすでに誰かが買ってくれたそうです!
誰かも、ありがとう。
そしてこれから買う誰かも、ありがとう。
そして本筋とは一切関係ありませんが、名作会の新作アルバムもでてますんで、よかったらぜひ。
おわり
*1:自分のこういった演奏者優位な姿勢はどこから来ているんだろうと考えたのですが、自分が大学時代にコンボジャズなどの即興性の高いポップスを通過したことに由来している気がします。あの辺はプレイヤーがコンポーザーなわけですが、クラシック畑の人間にも同じような心持で演奏してほしいのかもしれません。
*2:ということを生放送で言ったら「軽率に呪うね~(意訳)」と言われてしまったのですが、人を呪う心それ自体はだいぶカジュアルなんじゃないかと思うし、大仰な儀式ではないだけで実は毎日のように行われているのではないか?そして創作の世界ではモキュメンタリーを介した呪いの拡散をテーマにしたメタフィクションが流行しており~と思いましたが、そう答える前に話題が進んでしまいました。会話って難しいですね。それはそれとして私のテーマ設定は割と軽率(と客観的には見える)なんですが、本人的には軽率なつもりもなく、なんで軽率(と捉えられてしまう)んだろう?と思っています。思った結果、科学実験と同じノリでやっているからそう見えるのだろうと一応結論付けています。私は普段植物を使って実験していて、目的遂行のために葉っぱや茎を切り刻み、遺伝子を破壊するんですが、それはあまりにも当然のこと過ぎて何も思うことがありません。それと全く同じ心持で人の心に踏み込むので、人文系の素養がある人々には軽率に見えるのかもしれません。ある意味で、神の視点に立とうとしていると言えます。でもサイエンスに神は不在なので、恐れがなく驕りがあるのかもしれませんね。