名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

コンテンポラリーの回廊 俺の視聴部屋2

コンテンポラリーの回廊 俺の視聴部屋2

 さて今回も世界中の新しい音楽を、この遅れきった国日本に紹介してこうではないか。JAPANがどうのCool Japanなんて本当にバブルの亡霊まだいたのと言う感じで、口にするのも恥ずかしいというものだが、まあどうやら文化についても我々はその亡霊に飲み込まれてしまっているようだ。前回のこのシリーズでも書いた通り、ここで紹介する作曲家は何も世界の最先端でいま売出中の存在ばかりではないのに、日本では未紹介、未演奏なんてのはザラなのである。先生方の学閥門閥のお話ほどくだらないものはないが、音楽が政争の具になって本質を見失っている間に、日本は衰退してしまっただけのことである。指導者の責任は極めて重いと言わざるをえないだろう。

 

 さて少し前置きが長くなってしまったが今日の一人目はエストニア出身の作曲家である。

Helena Tulve

 ヘレナ・トゥルヴェ(Helena Tulve)は1972年にエストニアに生まれ、自国でエルッキ=スヴェン・トゥールに師事し、リゲティやストロッパの夏期講習などを受講、IRCAMにてスペクトル・ミュージックを学んだ。このことで彼女の音楽は倍音とノイズを特徴としながらも、インスタレーション的な作品、電気増幅や変調を加える作品も多く、いわゆるエレクトリックアコースティックというスタイルを基調としていると言って良いと思う。
 エストニアは歴史的に非常に合唱が盛んな国であり、彼女もその作品群に合唱作品が多い。器楽曲で見せるのとはまた違う味わいがあって面白い。今回はオーケストラの作品「Extinction des choses vues」を紹介しようと思う。
 タイトルは難解で約すとすると「見えているものの消滅」ということになろうか。ノイズから様々な倍音を追いかけながら響きが変容していくが、構成が非常にうまく、また美しく鳴るオーケストレーションが心地よい。このあたりには合唱の影響や、本人が学んだグレゴリオ聖歌などの中世の音楽の影響があるのは間違いないだろう。特殊奏法や、珍しい打楽器が美しく響きに調和しており、厳しい現代音楽というイメージを一掃してくれる名曲ではないだろうか。

Extinction des choses vues

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Irini Amargianaki

 続いてはギリシャ出身の作曲家、イリーニ・アマルジアナキ(Irini Amargianaki)である。高名な民族音楽学者を父に持ち、1980年にアテネに生まれている。
 基礎的な作曲をテルザキスの下で習得すると、ドイツにわたり、ヴァルター・ツィンマーマン、クリステン・リーゼ等に師事、さらに電子音楽経も興味を持ちこれらも習得した。極めて興味と習得に長けた作曲家のようで、その後アラビアの民族楽器ウードを習い、これも習得している。
 作風は電子音響を伴うアンサンブルを好み、ドローンやノイズの持続を基調とするちょっと辛口のもの。今回はフルート三重奏とアンサンブルのために書かれた「N 37° 58' 21.108 E 23° 43' 23.27 Athens」という曲である。
 タイトルは座標でありアテネの遺跡「アレオパゴス」を指し示している。古代の裁判所である地の座標をタイトルにいかなる音楽が開陳するか聴いてみよう。

N 37° 58' 21.108 E 23° 43' 23.27 Athens

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Andrea Tarrodi

 最近の若い作曲家は「調性」「無調」という区別にこだわらなくなってきており、それぞれ必要なら躊躇なく選び、混在も全くいとわない。同時にノイズについても同じことが言え、語法の差を意識しなくなっている。
 そんな作風を持つ一人として、高名なトロンボニスト、クリスチャン・リンドベリの娘であるアンドレア・タッローディ(Andrea Tarrodi)がいる。彼女は1981年にスウェーデンに生まれ、ストックホルム王立音楽大学他海外を含む数校ででヤン・サンドストレム、ペア・リンドゲン、ファビオ・チファリエッロ=チャルディ、ジェスパー・ノルディン、マリー・サムエルソンに師事した。楽譜のうちトロンボーンに関するものは父のリンドベリの出版社で刊行されてはいるが、その他の作品はまだまだこれからのようだ。
 非常に北欧らしい純度の高い音楽を書き、先程指摘したように作曲技法の自由な混在を特徴としている。こういった音楽が出てくることは同じような語法を探る私としても心強く、勝手活躍を応援したくなってしまうものである。

Birds of Paradise

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Vasiliki Kourti-Papamoustou

 こういった状況から、今までは一部予算の少ない劇伴や、アマチュアの音楽家のおもちゃと言ってもいいくらいに扱われてきた「打ち込み」の手法や、midi自体もコンテンポラリーに取り入れられてきている。もちろんサンプリングした音の解析や変調には今までもそういった手法は使われてきたが、もっと直截に介入してくるようになってきた。
 そういった作風を取る一人としてヴァシリキ・コウルティ=パパモウストウ(Vasiliki Kourti-Papamoustou)がいる。ギリシャ出身の作曲家で生年を公表しておらず、また詳しい経歴もまとまったものがない。
 非常に現代というものを感じるのに十分な作風を持っており、なるほどもはやこの次元まで音楽というものは形を変えたのかと思うばかりである。私には隔世の感があるが、若い人には違和感はないのではなかろうか。

Interlude

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Eygló Höskuldsdóttir Viborg

 今回最後に紹介するのはエイグロ・ヘスクルドスドッティル・ヴィボルイ(Eygló Höskuldsdóttir Viborg)である。アイスランド人ではあるが、バークリー音大で学び、ニューヨーク大学のマスタークラスを受講したという。そしてあのポスト・ミニマル世代の代表的な牽引者であるジュリア・ウォルフ、ロバート・ホンステインに師事している。
 2019年にアイスランド交響楽団の委嘱で「Lo and Behold」を書いたことが名を知られるきっかけになったまだまだ売出中の若手である。師事した師匠を見れば明らかだが、彼女の音楽はミニマリズムを極めて特異な形で取り込み、自分の言語にしている。
今回紹介する曲も、ハーモニクスのみで構成された弦楽四重奏曲となっていて、極めて純度が高くまた静かでドライな音楽だ。アイスランド人の特性とアメリカの音楽の出会いについては、前回このシリーズで紹介したフョーラ・エヴァンスにもにた部分があるように思う。

Silfra

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 いかがだっただろうか。今回選んだのがすべて女性の作曲家であるということはもちろん偶然ではない。少し前まで女性に立派な音楽など書けぬなどと言われていたのがどうだ、今となっては自由闊達そして見下していたものを吹き飛ばす勢いではないか。そして何より大切なのは、それぞれの個性がしっかり発揮されみな「自分の言葉」を用いて音楽を書いていることだろう。ポスト・モダンの時代にあっては当たり前のことだが、これが出来ていない人は非常に多い。
 過度な批判は控えるが、良くも悪くも芸術は芸術なのである。商業に牽引され客のいいように書いたものは、やはり芸術ではなく商品である。そして世界の動向を研究し、古典を学ぶこともせず、自分の思い上がりで音楽らしきものを書いている人は、その愚かしさに気づき恥じるべきであろう。音楽を作るハードルが下がって裾野が広がるのは本末転倒であり、専門職としてきちっとした研究と発信をしてこそ音楽であり、今はそのことをもう一度見つめ直すいい時期ではないだろうか。