名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選〜風人物語編〜

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名作同第4回ピアノコンサートクラウドファンディングが始まっております!期間は4/23〜5/31です。ご支援・拡散の程何卒よろしくお願いします。

クラウドファンディングページ★

★コンサートの曲目★
〈オンライン開催決定〉四季を巡るピアノコンサート 伊福部昭、中田喜直、Debussy、Schwantner 他…… | 名大作曲同好会
【PV】ピアノコンサート「四季を巡る」新曲PV - YouTube

〜前回〜

 

暖かくなり風も心地の良い季節、いかがお過ごしでしょうか。どうも、gyoxiです。そしてのサントラ選シリーズです。今回ご紹介するのはこちら。

 

風人物語

より

風人物語 Original Soundtrack Image Album

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風人物語について

風人物語は第1回アニメ企画大賞の大賞を受賞した大鳥南の企画・原案をアニメ化したものだ...

 

...が大鳥南さんに関する情報が調べても全く出てきませんでした。本業では脚本・企画等々はされていない方なのでしょうか、はてさて。

 

で、この作品の監督は西村純二だ。

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西村純二の画像・写真 | 押井守監督、新作アニメ『ぶらどらぶ』制作発表 吸血鬼少女&女子高生のドタバタコメディーが来春放映予定 1枚目 | ORICON NEWS

1955年12月23日生まれ。佐賀県東松浦郡呼子町出身。

明治学院大学卒業後、にしこプロダクションへ入社。1980年に『宇宙戦士バルディオス』で演出家としてデビュー。1982年にフリーとなり、その後は主にスタジオディーン作品を手掛ける。

1985年に『プロゴルファー猿』で初めて監督を務める。2006年の『シムーン』からは西村ジュンジ名義で脚本も手掛ける。

西村純二とは (ニシムラジュンジとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

 

私が(名前だけ)知ってる西村監督の作品はtrue tearsとかDOG DAYSとかばくおん!とかですね。未履修!

そしてそして、この作品の監修をしているのはなんと押井守だ。

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押井 守(おしい まもる、1951年8月8日 - )は、日本の映画監督、アニメーション演出家、小説家、脚本家、漫画原作者、劇作家、ゲームクリエイター東京大学大学院特任教授、東京経済大学客員教授などとしても活動している。

押井守 - Wikipedia

 

GHOST IN THE SHELL「劇場版 機動警察パトレイバーなどなど、超有名作品に関わっている、あの押井守さんです。私、今年2月に4DXで初めて機動警察パトレイバー 2 The Movie」を観ましたが、その後もう一度観に行き、さらに家でも7回くらい観たのでパトレイバー2はガチでオススメです、ええ。この話はまたの機会があれば...ね。

 

作品内容について

さて、この作品は「風」を操ることができるようになった中学生たちの日常を描いた物語だ。「風を操るなんて、どうやってそんなことを」と思った方のために、その経緯となった1〜2話のあらすじを紹介しよう。

 

主人公ナオはフツーの女子中学生だ。

「ね、聞いた?カオリなんてさ二股かけられたんだってよ!

「ウソ!?サイテー」

友達とそんな会話をしてる、フツーの中学生。彼女は屋上から落ちそうになったのを「風使い」である大気先生に助けられたことから、風の使い方を教えてもらうべく、友人達と先生の帰省先である「風使いの里」へと押しかける。風使いの里での生活風使いの老人から受ける風の手解き恋の悩み、そして強風吹き荒ぶ中の「風の祭り」...そんな様々な経験を経て、ナオは「風」を習得する、というのが1〜2話のストーリーだ。

 

この1〜2話はある種の青春モノとして楽しむことができるし、それ以降は一話完結で話が進むので日常モノとして楽しむこともできる。


 

そしてこの作品の見所はやはり、節々に出てくる風の描写であろう。上に載せたオープニング映像でも、その表現は見ることができる(1:15〜1:19の所とかラストの所とか)。細かな線無数の矢印そして草木のざわめき... この作品では、この少し独特な画風のなかで様々な手法で風が表現されており、観ている我々は映像から風を感じることができるのだ。

 

風人物語サウンドトラックについて

この作品の劇伴を担うのは川井憲次だ。

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川井 憲次(かわい けんじ、Kenji Kawai、1957年4月23日[1] - )は、日本の作曲家、編曲家。東海大学工学部原子力工学科中退、尚美音楽院中退。本人が自分のことを「かーい」と表すため「かーいさん」と呼ばれている。インストゥルメンタルバンドであるfox capture planのカワイヒデヒロは甥。

川井憲次 - Wikipedia

 

うる星やつらめぞん一刻Fate/stay nightひぐらしのなく頃に等の超有名TV作品の劇伴から、前述のGHOST IN THE SHELL「劇場版 機動警察パトレイバーのような劇場版作品の劇伴まで、ありとあらゆる作品の劇伴を担当している大御所だ。

 

そんな川井憲次の作る風人物語の音楽は、風の持つ様々な表情をその音楽で表現している。壮大さ、冷たさ、柔らかさ... そんな風の持つ顔を余すことなく詰め込んだのがこのアルバムなのだ。

 

それでは早速、風人物語の音楽を紹介したい。

 

風のはじまり

風はどのように生まれてくるのだろうか。きっと、何も無いところからふわりと生まれるのだろう。そしてその風は私達の住む街を優しく吹き抜け、世界の旅に出るのだろう。そんな一つの工程を表現しているのがこの曲だと私は思う。

 

風使いの休日

この曲は軽やかでとても楽しげな曲だ。風で例えるならば、暖かくて気持ちの良い春の風といったところだろうか。そよ風の中をサイクリングしているような、そんな心地良さがこの曲からは感じられる。

 

風に抱かれて

この曲から私が想像した風は、宇宙に近いところを吹いている風だ。地球が薄青く、そして丸く見えるような、そんな場所を吹いている風。それは、私達の住む地球を見守り、包み込んでいるのだ。

 

おわりに

さて、今回紹介した風人物語だが、dアニメストアくらいでしか配信されておらず、CDもプレミア価格つきまくりという現状です...配信してくださいマジで。

しかし、DVDは安い価格で転がっておりますので気になった方は是非一度視聴してみてください。心地の良い“風”が、そこにはあります。

 

ではまた。

「四季を巡る」自作解説④ 榊山大亮「last day of summer for 2 pianos」

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last day of summer for 2 pianos

 先に行われる名大作曲同好会第4回「ピアノコンサート」
今回はコロナ禍という未曾有の事態にあってオンライン配信でお送りすることになった。

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 他のメンバーも書いていることかも知れないが、配信コンサート自体は誰でも無料で観られる形態なので、どうかその代わりと言ってはなんですがクラウドファウンディングにご協力ください。
 若い音楽家たちが身を削って、この時代に準備した文化の灯に温かい眼差しとご支援をお願いできたらと心から思っております。

 

 ということで、今回はこのコンサートに出品した新曲の解説をブログの特集としてお送りするということで、私も自作解説をすることになった。
 自作解説というと、以前のオルゴールコンサートの際に書いた「塑像」の自作解説があるが、今回は趣を変えてみたいと思う。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 どう変えるかというと、作曲ノートをそのまま公開するスタイルにしたいということだ。
 このため、内容は専門的な語句や理論を多く含み、付加する説明も無いので、一般的には理解しづらいものとなってしまうが、なるほど作曲家というのはこうやって自分と対峙しているのかということをリアルに感じて頂けたら幸いである。

 

 とは言えあまりにノートだけであると厳しいので、はじめにこの曲の概要を示したライナーノーツをそのままここに書くこととする。

 

 

「時の終わりに置くブーケ」
 この曲は2020年の夏の終わり頃、なんとはなく書いたピアノ独奏のための小品がベースになっている。
 毎年折に触れて小品をなんとはなく書いたりしていたが、ここ数年は夏の情景の間に間に漂う日本的な、あるいは感傷的で個人的な風景を切り取って、茫洋とその響きを書き留めていたが、2020年はある意味で極めて特殊な年になってしまった。
 当然青天の霹靂が如く、令和の世の中に悪疫が蔓延し始めたのである。全く未知のウイルスのことが少しずつ分かってくるに連れ、人と人との接触を抑えることが重要ということが言われ始め、花見もなく、歓送迎会もなく、学校や通勤でさえも一時はなくなった。飲み会も会食も、帰省さえも奪われてゆく世の中で、誰にも愛でられることなく散ってゆくソメイヨシノを眺め、なんとも言えない寂寥感に襲われた春が過ぎ、プールや海のレジャーさえも取り上げられて、気がつけば家の中で夏の終わりを迎えていた。
 ふと、耳を澄ませるとツクツクボウシが鳴いている。今年の法師蝉の声は誰も季節の風物詩として聴いてくれないのかなと思ったときに、私はまた春と同じ寂寥感に襲われた。
 そこでツクツクボウシの声、ヒグラシの声をサンプリングして周波数解析を行い、これに晩夏の最も遅い頃、誰もいない夜の帳の中で感じた空気の匂いを表現した和音群を混ぜ、一片の小品に仕立ててみたのが始まりである。
 どこにも発表することもなく書いた断片的な小品だったが、2021年になって未だ続くコロナ禍にあって、我が弟子たちが運営する名大作曲同好会がオンラインによるピアノコンサートを企画した。
 実を言うとそれ以前に本来のピアノコンサートを企画していて、別の曲も書いていたのだが、様々な事情で流れてしまい、配信形式となってもう一度一から企画することになったのだ。
 しかもちょうどそのコンサートのテーマは「四季」。とかくある時期に限定せず円環の思想が如く流れ行く四季の間に、私はこの曲を出品したくなった。そこで二台のピアノのための作品として抜本的に書き直してみることにしたのだ。
 原曲を大幅に拡張し、失われた夏の亡霊をふんだんに盛り込んで再構築した。ツクツクボウシ、ヒグラシ、なくなった祭りの高揚、かき消された海風と人々の歓声、そんなものを織り込んで曲は展開する。
 もし我々が、我々人類が一人もいなくなっても、この歌はずっと聞こえ続けるのだろう。聴き手がなくても続く歌は寂しいのだろうか、果たして寂寥とは一体どこからやってくるのか。時の終わりにそっとおいてみたい音のブーケである。

 

 

作曲ノート

 

前提とキーワードの設定

・四季の切り取り、流転、円環
・失われた夏に感じる人間的寂寥感
・感覚的に感じる夏の色彩の象徴
・聴覚的に感じ取られる夏にある実際の音
・時間の外側からの眺望
・人類が時間の一員でなくなったとしたら
・そのときに寂寥はあるのか
・寂寥とは傲慢な完成に過ぎないのか
・円環とは我々の時間の中だけに作用するのか
・滅亡の後の誕生への大きな意味での円環
・そのピリオドとしてのある夏の1ページ

 

素材

01

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夏のハーモニーテーマ

・直接感じた音Gを中心にする
・Eを第二中心とする
・T機能が連続するためにはすべてが経過的かD的である必要がある
・経過が経過の役割を放棄するようにする(円環分断の予兆)
・感覚的にまとめ上げるためにあえて和声的違反をわかりやすく付加する(対斜する進行)

 

02

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実際の夏の音1

ツクツクボウシの音
・スペクトルアナライズを用い、テンポ割に嵌入させることでリズムを得る
・特に特徴的と思われる部分を切り抜き素材源として用いる

 

02-02

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特徴的な部分1

・ハーモニーテーマと半音関係が多く結びつくとは考えにくいと感覚的に感じるもの

 

02-03

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特徴的な部分2

ツクツクボウシの鳴き止み前のカオス
・PCSによる音列化によって素材転用する

 

03

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実際の夏の音2

・ヒグラシの音
・スペクトルアナライズと平均律による平均化
・漸減リズムとフェード(時の停止への予兆)

 

 

実際の作曲に際して

 

04

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素材の変奏1

・ハーモニーテーマの変形
・繰り返しを多くミニマリズム的な処理にする(時の連続性と円環の実感)

 

05

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素材の変奏2

ツクツクボウシの変容
・ミニマル的変奏、時の一員としての表現、恣意性のある聴取の比喩として

 

06

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人間の瞬時消失

ツクツクボウシの変容のみでなる部分
・拍動を5/16を1単位とするものにして変奏する(時の連続性への疑義)

 

07

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挿句1

・失われた夏祭りの挿句
・伊福部先生的土俗性(かつて普通だった人間の夏)
・音列をツクツクボウシ由来とする(人間が気が付かない円環の象徴として)

 

08

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挿句2

・失われた歓声の挿句
・ハーモニーテーマの変奏を伴う(人間主体の象徴として)
ツクツクボウシの音列を動きのあるパッセージとして用いる
・徐々に高まる音密度(歓声の高まりとして)

 

09

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いつの間にか加わってくるヒグラシのテーマ

・ヒグラシ音形を連打のみに変形する(隠喩)
・夏のハーモニーテーマとの共存(時の終わりへの予感)

 

10

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セミの共演

・2つのセミが鳴き合う
・人はその声を意識しなくなっている
・時の交代

 

11

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ヒグラシの原型

・ヒグラシのテーマを原型のまま繰り返す
・夏の夕方の象徴として
・時の夕暮れの象徴として
・人類の夕暮れ

 

12

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コラール

・夏のハーモニーテーマの回帰
・ヒグラシの音列を和声進行化(ただし調的な並びに拘泥しない)
・人の時間にセミが介在している(という錯誤)

 

13

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終結

・すべての素材の単純化とはじめの感覚的中心への回帰
・和声中心は複数用意する
・次の人類の登場の予感
・四季は時であり、時は人のものではなく、また時もまた流転する

 

以上


あなたはコロナ禍に何を聴いたか。
私は人のエゴを聴いたのかも知れない。あるいは時の一員であるものの自然で無垢な声を聴いたに過ぎないのかも知れない。

「四季を巡る」自作解説③ 榊原拓「星色の水面」

我々は、かつての四季を失いつつあるだろう。

こんばんは。榊原です。センセーショナルな見出しを書いてしまいました。さて、今回はピアノコンサート用に書き下ろした曲「星色の水面」について書きます。

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これは楽譜の表紙の一部

 

 

過去の記事にも書きましたが、現代の季節感と過去の季節感にはズレが生じている気がしてなりません。温暖化により平均気温は上昇しましたし、文明機器により冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるようになり、昔より温度変化に対しての反応が希薄になったといえるでしょう。ちなみに僕はお腹が弱いので文明(エアコン)大好きです。ありがとう文明社会。

 

それとは別に、日本文化は都市化・西洋化の波に揉まれてきました。明治維新や高度経済成長期にこの傾向が顕著ですが、これは現在進行形で起こっているこっていることでもあります。

www.chunichi.co.jp

(別に女人禁制が日本文化だと言ってるわけではありませんよ。伝統が時代の要請により変化する一例として取り上げているだけです。念のため)

このように時代の要請によって文化は姿を変えるのです。また、姿を変えるだけでなく都市部への人口流出によって失われる文化も多いですね。

 

このように、都市化・西洋化は気候変動の主要因であり、季節を改変するだけでなく、我々の季節感・しいては日本文化を塗り変えているといえます。

今回、この両者の関係性に注目し、実際の現象としての四季、そして我々の四季感の変化とその展望について考えることにしました。

 

星色の水面について

前述の通り、この曲は自然・文化両面から日本の四季、あるいはその感受の変化について表したものです。この変遷がリズム、メロディ・和声の両面で進んでいきます。

 

リズム

この曲は5/4拍子で始まります。そしてこの5/4拍子は自然の象徴です。この説明をするには、ごく個人的な旅行の話をしなければなりません(理由が個人的すぎて)。

 

8月の終わりに、私はコロナ禍で精神的に調子を崩し、療養も兼ねて静岡県沼津市を訪れました。

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沼津


クソ暑かったので熱中症になり、体調的にも最悪になりました。

ぐったりした私とは対照的に海は澄み、極彩色の魚が大小泳ぐお魚天国でした。


www.youtube.com

 

そこで私は夜光虫を見たのです。

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夜光虫

夜光虫はルシフェリン-ルシフェラーゼ反応により発光する生物です。夏頃に大発生し機械刺激により容易に光るため、夏夜の波打ち際は、まるで星が零れたかのように賑やかになります。この光景に大変感激した結果、夜光虫は私の中で自然と強くリンクした生物になったのです。

 

ということで、星色の水面では自然の象徴たる夜光虫を海面に浮かぶ星に喩え、曲は5/4拍子としました。5/4にしたのはこうして各頂点を結ぶと星型になるからです。単純~*1

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さらに途中から5/4拍子と4/4拍子のポリリズムが始まります。これはDC/PRGの構造Ⅰにもろに影響受けてます(くわしくはこちら)

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演奏者に負担かけて申し訳ないの図

4/4はすなわち四つの季節、四季です。これまた単純な発想。
そして5/4と4/4を同一の小節に収めているこの状態=夜光虫の概年リズムと一年の周期が一致している状態を、現象としての季節がある状態としました。


さて、私は夜光虫に感激すると同時に不安にもなっていました。夜光虫は今でも比較的見ることができる生物ですが、これすらみられなくなる日が来てしまうかもしれない、と思ったのです。なぜこのような不安を抱くに至ったかというと、それは私の住む町に問題があります。

 

私の住む町は、沼津市同様港町です。決定的に違うのは工業港であることです。工業港なので工場があります。化学工場なのか何なのか知らないですが、マジで臭いです。そして常に海が濁っています。こうなってしまってはもはや夜光虫が増殖する隙はありません。しかし漁業やるより漁業権売って工場に土地明け渡す方が金になったんだから仕方ないですね。漁港に限らず田舎というのは常にこうなる可能性があるのです。――このようにして我々の営みは自然から切り離されていく、という思いが私の根底にあります。

 

我々の営みから切り離された自然は、無関心の下に破壊されていきます。

 

このこと、つまり現象としての四季の喪失は、曲中では5/4拍子のメロディー(あるいはリフ)と4/4拍子のリフが徐々にずれていくことで表現されています。
そして最終的に5/4拍子は4/4拍子に取って代わられます。このことが何を表しているかは、記すまでも無いですね。

 

メロディ・和声

私にとって身近な、四季を感じられる日本文化は、地元の春祭りでした。

星色の水面で象徴的に用いられているモチーフは、その祭りのお囃子「神迎え」の冒頭三音からとられたものです。

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これ以外にも色々モチーフをとりました。これらは古来からの日本文化を象徴しています。

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採譜したもの。どれが使われたか、実際の演奏を聴いて答え合わせをしよう!

さて、このお祭りは漁師による信仰の下に行われていたと推測されますが、その元々の意義は工業港化により喪失しました。以後徐々に形骸化し、今では町おこし的なサムシングとして市に利用されています。さらにユネスコ無形文化遺産に登録されてからというもの、外国人向けの観光化を市の上層部は目論んでおり、このことが現場との軋轢を生んでいます。マジでうんこみたいな状況です。何が春祭りだよ文化財全部燃や

これを表すように、モチーフたちは海面の波紋のように徐々に形を変えてゆき、和音はメロディと乖離します。そして本来の姿を完全に失うまで変容は続くのです。これが四季感の喪失です。

 

また、この曲には「日本和声」を用いています(日本和声の記事はこちら)。

初めは非常に日本的な和声で始まりますが、徐々に西洋的な和声付けに変化していきます。これもまた日本的な四季感の喪失であります。

 

 

とまあここまで都市化・西洋化による四季(感)の喪失をひたすら描写してきたわけです。

都市化と西洋化、これらを否定するつもりはないですが(エアコン好きなので)、確実に破綻に向かっているのではないでしょうか?

 

そう、我々は今、岐路に立っているといえます。

この曲で表したように、四季(感)≒日本文化というのは都市化・西洋化により良くも悪くも変質してしまいました。

悲観的に考えれば、このままいくと少子高齢化により各地の文化は無くなってしまうでしょうし、開発=ジェントリフィケーションによって既存の文化が排除されようとしています。温暖化にも歯止めが掛からなくなり、地球が金星のような不毛の惑星になるという可能性すらあるそうです。

 

果たして希望はあるか

しかし私は、このような状況でもなお、一縷の望みを抱かずにはいられません。存続し続けようと思う人々が、自然に対する眼差しを持つ人々が少しでもいる限り、希望は存在する。少なくともそう思いたいです。

 

また多少楽観的かもしれませんが、文明の発達がもたらしたのは必ずしも破壊だけではありません。我々は口伝の代わりに、インターネット上に容易に情報を残すことができます。それによって、かつては考えられないくらい不特定多数の人間が文化・自然の担い手になり得る時代に生きているのです。


この曲の終結部には、そのわずかな希望を託したつもりです。そしてこの曲がオンラインコンサートにより多くの人々に聴かれ、その同志を増やすきっかけにでもなれば、そんなに嬉しいことはありません。

 

ということで

6/29、是非聴いてくださいね!

nu-composers.main.jp

クラウドファンディングに協力していただけると、なおうれしいです!

nu-composers.main.jp

以上曲紹介と宣伝でした。

*1:一応Tigran HamasyanのLevitation21に着想を得ています。(10) Facebook

「四季を巡る」自作解説② 冨田悠暉「巡るものたちの輪舞曲」

どうも、冨田です。

ちょっと前までトイドラと名乗っていましたが、最近はアート活動の時には本名で通すことにしています。

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冨田悠暉フェイス

 

そんなことより、コンサートですよコンサート。

あれは正直面白い企画になりました。

ぶっちゃけて言うと、コンサートの企画は2年近く前からずっとしていたんですよ。

それが色んなこと(コロナとか)があって、中止になったり延期になったり、会長として肝を冷やした時期もありました。

でも、随分と遅くなってしまった代わりに、時間を使って企画をちゃんと磨き上げることができました。

最後の問題は、私たちの新曲の出来だけ、ということですね。

 

もくじ

 

僕の新曲

「巡るものたちの輪舞曲」という曲を作りました。

「輪舞曲」と書いてロンドと読みます。

この曲、6/26のコンサートで初演されるんですよ。

最高ですよね。

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巡るものたちの輪舞曲

 

一丁前にコンセプト練って、小っ恥ずかしいタイトルつけて、それに何週間もの時間をかけて。

自分の中の一番大事な部分を裸にして。

自信たっぷりに僕が生み出しました。

そんな僕の分身が、舞台の上で全世界に暴露されるわけです。

いや~最高。

 

というわけで、その一丁前なコンセプトとかを全部話していこうと思います。

 

季節・時・循環

音楽はアートですが、全ての音楽がアートというわけではありません。

僕には、この曲を通して訴えかけたいことがあります。

それは音楽として、響きで、音で訴えたいメッセージです。

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アートとは

最初、「四季」をテーマにしたコンサートをやると決まった時、僕は

「え、曲作るの難しそう……」

と思いました。

テーマがありきたりな気がして、どう広げていけばいいか分からなかったからです。

しかし、いろいろ考えていくうちに、こ~んなことを思いました。

  • 過去の作曲家たち、「春」とか「夏」とか個別の季節をテーマにした曲作りがちじゃね?
  • でも、そもそも季節を春夏秋冬の4つに分ける根拠なくね?
  • 季節は時間の流れに伴って移り変わるので、本質的には始まりも終わりもなく切れ目なく連続しているはずじゃね???

だとすると、春夏秋冬という言い方だけで季節を把握した気になるのは固定観念です。

季節が春から始まる道理はないし、4つの季節がはっきりとした境界線を持っているわけでもないからです。

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また、こんなことも考えました。

  • 季節を感じているのは自分なので、単なる時間の流れが「四季」として体験されるには「わたし」という存在が不可欠なのでは?

僕は9月生まれなので、僕にとって季節の始まりは秋だったはずです。

それに、僕にはこれまで22回ずつ体験してきたそれぞれの季節に対して、僕なりの思い入れを持っています。

澄んだ空気を湛えた、透明な秋。

全てが白く繊細で、張りつめた冬。

半年ぶりの暖かさに、子どもらも面映ゆい春。

重厚な緑の中、うごめく夜を感じる夏。

一般的な四季観とは違っても、僕の中にある僕だけの季節観を、情緒を、音にしなくてはならないと思いました。

 

これらの考えを音にするにあたって、僕はこんな発見もしました。

  • 1年は12か月でできててグルグル巡っていくけど、1オクターヴ12半音でできててグルグル巡るから同じ(大発見)

ピアノの鍵盤を半音ずつ上にたどっていくと、やがて1オクターヴ上の同じ音にたどり着きます。

時の流れに似ていますね。

本当は、ピアノの鍵盤もドから始まるとは限らないのかもしれません。

 

巡る「者たち」の終わらない輪舞

季節について考えを巡らせた結果、3つのキーワードが浮かび上がってきます。

  • 時の流れ
  • 「わたし」
  • 無限に続く円環

これらのキーワードが指し示すもの。

それは…………

 

 

はい、どう見ても 生命の輪廻 ですね。

本当にありがとうございました。

 

真面目な話をすると、僕は無神論者なのでべつに輪廻転生とか信じていません。

でも、輪廻って多分

「親が子に、子は孫に、次の世代へ命を託していく」

ということを宗教っぽく言い換えただけだと思うんですよ。

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生と死

命には、始まりも終わりもありませんよね。

ちょうど季節や時の流れと同じように。

だとしたら僕らは、連綿と繋がれてきたこの「命」というものを通じて、終わらない踊りを、つまり輪舞曲を踊らされているのかもしれません。

 

この「巡るものたちの輪舞曲」では、僕が生まれた9月、すなわち秋から音楽が始まり、1か月経つごとに半音ずつ上に転調していきます。

季節の流れは連続していて、秋の終わりには冬の兆しが、冬の終わりには春の兆しが、当然のように顔を覗かせてくれます。

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秋のシーン終盤

それぞれの季節はライトモチーフによる主題で表しました。

秋・冬・春・夏それぞれの季節の間には「『わたし』の主題」が差し挟まれ、全体としてロンド形式を形作っています。

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素材集

季節を眺める「わたし」の存在は、あるとき突然生まれ、外界を彩る季節に、時の流れと共に触れます。

彼が再び秋を迎えたとき、1年前と同じような秋を迎えたとき、それは何を意味するのでしょう。

 

 

それが僕の伝えたいことです。

「巡るものたちの輪舞曲」、聞きに来てください。

以上。

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表紙

 

追伸

このコンサートは、オンラインの無料公演です。

よって、開催には皆様のご支援が不可欠となってきます。

クラウドファンディングへのご協力、切に、よろしくお願いいたします。

「四季を巡る」自作解説① なんすい「鏡の都市Ⅰ『秋』」

 こんにちは、なんすいです。

 好きな季節は冬です。

 

 このたび、6月26日(土)開催予定第4回名作同ピアノコンサート《四季を巡る》のために、『鏡の都市Ⅰ「秋」』という曲を書かせて頂きました。

 

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曲集『鏡の都市』について

 私の実家はでかい川とでかい山に囲まれたド田舎だったので、大学生になって愛知に移り、初めて名古屋の街を見た時は本当にびっくりしました。

 何というか………こんなに人間が居ていいんだというか、こんな高いビル立てて神様に怒られないんだというか、豚カツに味噌はさすがに無いだろというか………とにかく大都市名古屋は、見慣れた故郷の風景とは何もかもが異なっていました。

 

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名古屋駅

 そんなわけで、田舎育ちの私にとって、都市での新たな生活は驚きと発見の連続でした。名古屋に来て2年が経った今になっても、未だに都市の新しい一面に気付かされることは少なくありません。

 大学を卒業したら実家に帰るのかどうかはまだ分かりませんが、とにかく名古屋にいる今のうちに、そうした気付きをアウトプットしておきたいと思いました。

 それで作ろうと思ったのが、曲集『鏡の都市』です。

 コンセプトはそのまま、私が名古屋での生活の中で考えた「都市」についてのあれこれを、様々な切り口で描いてみようというものです。

 

第Ⅰ曲「秋」について

 さて、その第Ⅰ曲「秋」では、都市の季節感について取り上げています。

 「都市の季節感」というものを直接描くのはあまりに漠然としていて難しそうだったので、特に「秋」の季節に絞って、秋の名古屋の街での私自身の具体的な気付きをそのまま描写する方法を採りました。

 なので、でかでかとそのまま「秋」!!!というタイトルになってはいますが、描いた場面が秋であることには特に理由はないです。この曲を通して、都市の季節が持つ性格に対する、何らかの共感や発見を促せたら良いなと思っています。

 

四季について(過去の作品からの示唆)

 でも………都市といったら、無機質なビルがひしめき騒音が昼夜うるさく、自然とはかけ離れた場所って感じがしますよね。季節の花が咲く野も無ければ、春を告げる鳥の声も聞こえなさそうです。

 実際私も名古屋に来たばかりの頃は、「川でサワガニ捕って遊んだり、野生の木苺食べたりしたこともない都会の人間に、四季の何がわかるんだよ」と思っていました。

 美しい自然などほとんど見られない都市に、四季と呼べるようなものってあるんでしょうか?

 色々ある都市の側面として、敢えて「季節」について取り上げる意味ってあるんでしょうか?

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いわゆる「四季」のイメージ

 そもそも四季とは何物なのか、考えてみましょう。

 実は既に公開されているピアノコンサートのプログラムから、幾らかの示唆を見出すことが出来ます。

 

〈オンライン開催決定〉四季を巡るピアノコンサート 伊福部昭、中田喜直、Debussy、Schwantner 他…… | 名大作曲同好会 (main.jp)

 

 〈前半ステージ〉で過去の作曲家たちの既存作品、〈後半ステージ〉で私たち作曲会員の新曲という構成になっていて、〈前半ステージ〉の曲目は以下の通りです。

 

1.Igor Stravinsky:「春の祭典」ピアノ4手版 より「序奏」「春のきざし」

2.長尾淳:「春の風景」より「1. 春の夜の夢」

3.Robert Muczynski:「A Summer Journal」より「1. Morning Promenade」「2. Park Scene」「3.Midday」「6. Night Rain」

4.伊福部昭:「ピアノ組曲」より「4. 佞武多」

5.Joseph Schwantner:「Veiled Autumn」

6.淸一二:「月下の秋」

7.Claude Debussy:「子供の領分」より「雪は踊っている」

8.中田喜直:四手連弾のための組曲「日本の四季」より「6. 冬がきて雪が降りはじめ、氷の世界に、やがて春の日差しが」

 

 色分けしたように、海外と日本の「春」の作品、海外と日本の「夏」の作品…という風に、2曲セット×4つの季節って感じで並べられています。

 春→夏→秋→冬とそれぞれの季節を順に巡りつつ、同時に海外と日本の季節観を聴き比べてもらうことが出来るというわけですね。

 

 さて、この〈前半ステージ〉の最後を飾るのは、中田喜直組曲「日本の四季」の終曲です。

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中田喜直 組曲「日本の四季」

 「冬がきて雪が降りはじめ、氷の世界に、やがて春の日差しが」というタイトル(長いですね)からもわかる通り、この曲は”冬の訪れから春の兆しまで”の季節の移り変わりを描いています。

 固定されたそれぞれの季節ではなくて、季節が移ろいでいくさまに目を向けてこそ、真に「日本の四季」なのだというメッセージなのかもしれません。

 かくして、春の祭典から始まり夏→秋→冬と進んできた〈前半ステージ〉は、最終的にまた初めの春に戻ることになります。

 

 今一度まとめると、

・四季はどこかへまっすぐ進んでいくものでも、どこかで終わるものでもない。春夏秋冬春…とまたもとの季節に戻ってきて、そうしてぐるぐる回り続けていくものである

・四季とは、絶えずアナログに変化し続ける自然の移ろいを、敢えてデジタルに切り分けたものである

➡〈前半ステージ〉では切り分けられた「春」「夏」「秋」「冬」を巡ってきたけど、それって本当に適切なアプローチだったのか?

 

 という示唆・問いかけを残して、ステージは後半へと移ります。

 今度は現代を生きる私たちが、四季に思いを馳せる番です。

 

私が考えたこと

 さて、上の示唆は四季の特徴についての指摘となっているわけですが、四季の他にも、同じような特徴を持つ概念があることに気付きました。

 それは、「日節」です。

 日節って何だ…?と思われるかもしれません。実は私が勝手に作った言葉なのでそりゃそうです。

 季節が”1年”を切り分けたものであるのに対して、”1日”を切り分けたものを「日節」と呼ぶことにしました。既存の言葉でこれを指すものが思い当たらなかったんですけど、もし知ってる方いたら教えて下さい。

 1日を切り分けたものですから、代表的なのは朝・昼・夕方・夜といった切り分けでしょう。これが四季・・・春夏秋冬に相当するものになっています。

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 暗い夜はいつまでも夜のままじゃありません。そのうち明けてまた新しい朝がやって来ます。そうして日節はぐるぐるループします。

 また、1日の移り変わりはアナログなもので、日節はそこに切れ目を入れる概念に他なりません。

 どうでしょうか?季節とかなり似てますよね。どっちも一定時間のサイクルを切り分けてるものなんだから、当たり前の話ではあるんですが。

 

 では季節と日節の違いは何かと言えば、これも当たり前ですが、サイクルの長さです。季節は1年、日節は1日のサイクルでぐるぐる回っています。

 重要なのは、特に私たち人間の物差しで考えた時に、それぞれがどのような効果をもたらすのか、ということです。季節も日節を表す言葉も、人間が居なくては生まれないし何の意味も持たないのですから。

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私たち人間にとっての"1日"と"1年"の長さ

 「1日」は、私たち人間にとってはあまり長くない時間です。

 1日でめっちゃ背が伸びたりはしないし、人間関係がガラッと変わることも基本的には無いでしょう。また、私たちを取りまく世界も1日で劇的に変わることはほとんどありません。

 だから私たちは「明日も変わらない世界と自分がある」と信じて、毎晩ぐっすり眠ることが出来るのです。

 「変わらない」ことってどんなにか人を安心させるでしょう。

 

 対して、「1年」は長いです。

 土から出たセミは夏のうちに死んでしまいます。冬には多くの植物が枯れます。

 1年は長いから、そのサイクルの間にたくさんの命が生まれ、消えていきます。それは、世界がどんどん変わっていくということです。

 私たち人間も同じです。

 1年あれば容姿も変わりうるし、感性や人間関係も変わっていたりするでしょう。

 その長さが、季節と日節の決定的な違いです。

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1年は長い

 さらに、季節とはぐるぐるループするものでした。

 寒い冬が過ぎ、再び春が訪れたら、公園の桜は去年と同じように白い花を咲かせます。

 生まれ死んでいく多くの生き物の命それぞれは短いですが、それらが紡ぐ円環は無限に巡り続けます。

 でも、私たち人間は違います。逆行することも無く、四季の円環のようにどこかで戻ることも無く、そして有限です。

 大人の私がまた赤ちゃんに返って、二度目の青春を謳歌することは、残念ながら叶いません。そして私も生き物なので、そのうちどうにかなって死にます。

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 1年のサイクルで変わらず巡ってくる季節の風景、それは、 不変と信じて過ごしてきた日々の集積で、いつの間にか変わってしまった自分にはたと気付くトリガーになります。

 小さな命が紡ぐ無限円環の外で、不可逆的に変わり続けていく自らを自覚するのです。

 だから、季節は日節よりもずっとロマンチックで、そしてグロテスクなものだと思うのです。

 四季を慈しむ気持ちは、言うなれば、私たち人間の叶わぬ片想いみたいなものなんじゃないでしょうか。

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文化の円環

 私たち人間は、四季の円環に思いを馳せながら、そうはなれない自分たちの宿命をただ憂いているだけなのでしょうか。

 違います。長い歴史の中で、人間はその知恵と創造力をもって「文化の円環」を作ってきました。

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 お正月、お花見、夏祭りなどの年中行事……自然の季節に合わせた文化の集積は、自然の円環に対して「人工の円環」を形成しました。

 〈前半ステージ〉の「夏」の曲である『佞武多』の湧き上がる轟きは、紛れもなく私たち人間のものです。人間が獲得した「文化の円環」は、自然の四季に宛てた、終わることの無い祈りです。

 だから私は自然の四季そのものよりむしろ、それに伴って生み出された文化の集積が作る「四季」の方が、より本質的であるとすら思うのです。

 

 だとしたら…

 

 最初の疑問に戻りましょう。

 都市にはもちろん、人で溢れかえっています。

 文化を作り出すのは人間です。

 人間が生み出す文化こそ四季であるならば、都市に四季が無いはずないですよね。

 

 街路樹にひっそり咲いた花も、素敵じゃないですか。

 クリスマスにスーパーに並ぶショートケーキだって、季節毎に出る新作コスメだって、立派な都市の季節です。

 無機質にそびえる四角いオフィスビルすら逆説的に四季なのだ、と多少強引に言ってしまったって、おかしなことではないと私は思います。

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都市の季節

 

 という感じで、ここが私の思考の終着点でした。

 ここまで思い至って、やっぱり都市の季節を取り上げてみたい、もっと愛したいと思って、『鏡の都市Ⅰ「秋」』を書かせていただきました。

 5分間の音楽の中に、都市の季節に触れる自分自身の鏡映、そしてユニークな都市の季節の魅力を、私なりに詰め込んでみたつもりです。

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 《四季を巡る》ピアノコンサートは無料オンライン配信なので、ぜひお気軽に聴きに来て頂ければと思います。 [終わり]

 

▽名作同チャンネル▽

渋谷系の時代⑧United Future Organization

皆さんこんばんは。今日は初めにPRをば。

名作同HPやTwitter でも告知されてますが、「四季を巡る」と題したコンサートが6/29の17:00からあります。私も一曲書いて参加します。見てね。

nu-composers.main.jp

記事にもあるようにクラウドファンディングもします。支援していただけるとめちゃくちゃ助かります!返礼品もご用意しておりますので、こちらも検討していただけると幸いであります。

 

それはそれとして、今回はUnited Future Organization (通称UFO)を紹介します。未確認飛行物体でも焼きそばでもないよ。

 

UFOとは

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United Future Organization

1990年に矢部直、Raphael Sebbag、松浦俊夫により結成されたUFOは、DJユニットです。90年前後は日本のクラブカルチャー黎明期なので、日本DJ界のパイオニアと言うべきでしょう。

そんな彼らがかけていた曲のジャンルはジャズでした。そしてそれらは特にクラブジャズと呼ばれるものだったのです。

 

ってかそれ渋谷系関係なくね?

 

クラブジャズ

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クラブジャズとはDJに好んで流されるようなジャズの総称です。よくわからないですね。なのでめっちゃ簡単に言います。

 

・ジャズとかファンクっぽい

・リズムが大体一定

 

この二つを満たしてれば多分クラブジャズとみなせます。あまりにざっくりとしすぎて怒られそう。なので感覚的に理解してもらいます。

 

  • クラブジャズじゃない

 

Jonathan Kreisberg - The Spin

youtu.be

 

  • Tohru Aizawa Quartet - Philosophr's Stone

youtu.be

 

  • クラブジャズ

Pharoah Snders - You've Got To Have Freedom

www.youtube.com

 

なんとなくわかっていただけたでしょうか。

ちなみにファラオ・サンダースのyou've got to have freedomはアンセム的な存在で、クラブジャズ全盛期にはどの箱でも流れていたそうな。


とはいえロバート・グラスパーに代表される、ヒップホップとのミクスチャージャズは、クラブ文化であるヒップホップとのミクスチャーであるにもかかわらず、クラブジャズには分類されない(というかDJが好んでかけない)そうです。

youtu.be

というのもクラブDJが音楽を流す時、客にいい感じに踊ってもらうために前の曲から次の曲へスムーズに移行させる必要があります。ロバート・グラスパーなんかはリズムがよれまくってたり、インタープレイが凄まじかったりと、クラブ用というよりは鑑賞用の演奏になっているなっているため、この目的には即さないというわけです。分類超めんどいですね。

 

そんなUFOが流していたクラブジャズですが、彼らは流すだけではなくちゃんと(?)作ってもいます。代表曲はやはりLoud Minolityでしょう。

 

Loud Minority 

youtu.be

マ~ジでMVが最高。

 それはそれとして、この曲はサンプリング主体で作られています。

 

サンプリングが異常に上手い

急に渋い声のおじさんがしゃべり出すのでサンプリングだな、というのはわかるのですが、全く違和感がなく驚きです。

具体的に書き出してみると、

 

冒頭:ミシェル・ルグランのLa pasionaria

youtu.be

 

メロディ:アート・ブレイキー&ザ・ジャズメッセンジャーズのNight in Tunisiaのトランペットソロの一部

youtu.be

なんか女の人がしゃべってるところ:Frank FosterのLoud Minolityのアジテーション部分

youtu.be

 

などなど、大小さまざまなネタが一切の違和感なく同居してるんですよね。巧すぎる。

これらのネタをスムーズにつなぎ合わせてしまう優れたリスナー感覚が、音楽的にはかけ離れていながらも渋谷系と分類されてしまった所以のように感じます。

 

その他の曲

一曲だけ紹介しても仕方ないので、他の曲も紹介して終わりにします。

 

United Future Airlines

youtu.be

Loud Minolityと同じくらい有名(らしい)。こちらはよりハウスミュージック的要素が押し出されていますね。

 

Nemurenai-Insomunie

youtu.be

この曲はR&Bやアシッドジャズ的な要素が強いです。それもそのはずで、クラブジャズはアシッドジャズから派生したとかしていないとか。それでは今回はこの辺で。

我が国の作曲家005 「淸一二」

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シリーズ我が国の作曲家

 最近は番外編が続いていた本シリーズですが、今回は久しぶりに研究経過発表の意味も込めて「淸一二」について書いてみようと思います。
 相変わらずこの作曲家を知る人はごくごく僅かでしょう。そしてその再評価の機運も全く高まっているとは言えません。しかし名作同ではこの作曲家に注目し、今年行われる二台ピアノのオンラインコンサートでも取り上げることにしています。

 淸一二についてはまず名前の読みからルビが必要でしょう。古い資料では旧字体表記が基本のようですが、JASRACのデータベースを始めとする新しい資料では新字体表記で「清一二」と書いてあります。読みは「せい いちじ」です。
どうしても「一二」と来ると、あの有名な将棋棋士のおじいちゃんのせいで「ひふみ」と読みかけてしまいますが違います。さらに「かずじ」と普通に読んでしまいがちですがこれも違います。あくまで「いちじ」なのです。
 生まれについてもよくわかっていませんので、名字についてのサイトで当たりをつけてみることにします。

 

name-power.net

 

 調べてみると生まれの家の家系は古いことが分かります。そうなると後で拡がった地区と考えられる、神奈川県や北海道は除外できるかも知れません。
 古くこの姓が古くから伝わるのは静岡県、宮崎県、徳島県、鹿児島県であるということからそのどれかではないかと当たりをつけられます。ちなみに最も多くこの姓がお住まいなのは静岡県であるようですね。

 次に生年についてですが、没年と合わせてそのことが分かるサイトは現状1つしか無いと言えます。

 

musicsack.com

 

 このサイトの内容は、サイト内の表記にもある通り、アカデミア・ミュージック刊「A checklist of published instrumental music by Japanese composers」という本で、著者は松下均さんという方です。
 この資料は出版された作品とその資料名、そしてその作曲家の名と生年没年が分かる範囲で記載されている、極めて重要な資料です。
 ということで淸一二は1899年(明治32年)12月26日生まれで、没年は1963年(昭和38年)3月12日で有ることがわかりますので、63歳没ということになります。
 またこのことから2021年(令和3年)現在、淸一二は没後58年ということで、70年に伸びた著作権保護期間ある作曲家ということができるため、その作品には著作権があり、おそらくご遺族がその版権者ということになっているはずです。

※ご指摘により2014年に失効した著作権は延長後に復活しないはずとのことで、基本的に彼の曲の著作権は失効している模様です。

※ただし歌詞のある曲については、作詞者の著作権があるのでそちらの著作権が生きているケースが有るようです。


 このことをターゲットに国内最大手の著作権管理団体JASRACのJ-WIDで楽曲の信託状況を調べてみることにします。

 

www2.jasrac.or.jp

 

J-WIDは検索結果のアドレスを張っても無効になるクソ仕様なので結果をキャプったものを画像で貼ります。

 

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J-WID

 意外と言っては失礼ですが9曲の信託があることが判明しました。
 これらの作品群は、そのタイトルからみてもおそらく童謡か唱歌では無いかと思われますが、この曲が載った資料は見つけられませんでした。
とは言え、淸一二の仕事の片鱗が明らかになってきたとも言えますので、これはこれで大きな成果とみることができます。

 一般に童謡や唱歌を多く書いている場合、その作曲家は教育分野に近いことが多く見受けられます。
 これはやはりこれらの歌の性質上、教育自体と密接なつながりがあるからと言うことになりますが、その線で更に調べを進めてみます。

 

今度はおなじみ国会図書館の蔵書検索をしてみます。

 

ndlonline.ndl.go.jp

 

この結果、4点の資料を発見することができます。

・日本作曲年鑑 昭和16年版(大日本作曲家協会 編. 共益商社)
・日本作曲年鑑 昭和14・15年版(大日本作曲家協会 編. 共益商社)
・日本作曲年鑑 昭和13年度(大日本作曲家協会 編. 共益商社)
・情操教育新らしい学校劇(日本児童劇協会 編. 宏元社書店)

この中で最後の資料に注目してみましょう。

 

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新しい学校劇

「情操教育新らしい学校劇」
日本児童劇協会 編
宏元社書店

 この資料はデジタル化されており、国会図書館デジタルコレクションの図書館間閲覧が利用可能です。

 

dl.ndl.go.jp

 

 あるいは非常に稀ではありますが、古書として流通することがあります。

 

www.kosho.or.jp

※現在売り切れ

 

 この著作物の内容から共同著者について調べてみることができます。作曲者として挙げられた人々について抜粋してみます。

犬童信蔵(1879.4.20-1943.10.19)、別名犬童球渓、詩人、作詞家、教育者。熊本県人吉生まれ、東京音楽学校卒、1943年人吉市で自殺。

宮良長包(1883.3.18-1939.6.29)、作曲家、教育者。沖縄県石垣市出身。沖縄師範学校卒、県師範学校唱歌担当教諭。

尾形茂春 不明。

三津屋義男 不明。

 この本はどうやら学校劇の台本とその挿入歌をまとめたもののようで、主に教育関係者用として作られたもののようです。
 またそこで作曲者として名を連ねている方々は、皆さん教員であり、また唱歌等の教育音楽の作曲に携わっていたメンバーであるようです。
 さらにその人々は基本的に九州地方に偏っていることから、先程の姓についての調べと合わせて考えるに、淸一二は宮崎県か鹿児島県の人ではないかと予想を立てることができます。

 

 ということでこの資料を入手してみることにしました。

 すると、この中に以下のようなページを発見することができます。

 

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新しい学校劇2

 「作曲 宮崎縣立高千穂實業學校 淸一二 先生」

 確証ということまでは行かないものの、淸一二が宮崎県出身の人らしく、また宮崎県立高千穂実業学校の教職にあった人であることが分かりました。
 ちなみに「宮崎縣立高千穂實業學校」とは現在の「宮崎県立高千穂高等学校」の前身にあたり、宮崎県西臼杵郡高千穂町に存在します。
また「宮崎縣立高千穂實業學校」の名称が用いられていたのは1929年(昭和4年)4月1日から1945年(昭和20年)3月31日までであったことが以下の記事から分かります。

 

ja.wikipedia.org

 

 大分作曲者の横顔が見えてきたように思います。


 話を先程の本の中身に移して行くと、この本は台本と劇中歌で構成された著書という事がわかりました。
 この中で淸一二が作曲を担当したのは「コンナコトハヨシマセウ」「討れぬ敵」「百兩の說敎」「米は土から人も土から」の4曲です。
参考までにどんな感じで記載されているか見てみましょう。

 

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新しい学校劇3

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新しい学校劇4

 なるほど台本に挿入歌の楽譜が書かれており、簡単な伴奏もしっかり付けられています。曲調はどれも唱歌的で簡便、簡素であり、際立って歌いやすいメロディが付されている点も見逃せない要素と言えそうです。


 さて作曲者について大分わかってきたところで、その他の資料、つまりは日本作曲家協会の「日本作曲年鑑」に目を移していこうと思います。
 

 淸一二の曲が件のシリーズに記載されたのは3回で、そのうち昭和13年度版収載の「月下の秋」と昭和16年版収載の「惜秋譜」はピアノ曲昭和14・15年合併号収載の「船の灯」は山村耕二の詩につけた短い歌曲となっています。

 これらの作品はJASRAC信託はなく、おそらく事実上「難民楽曲」という宙ぶらりんな状態になってしまっていると考えられます。

 ちょっと各曲について見てみようと思います。

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船の灯

 唱歌を主に手掛けていたと思われる淸一二ですが、これは流石に唱歌より遥かに複雑で、情感のたっぷり感じられる歌曲になっています。

 

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惜秋譜

 シンプルなピアノ曲ですが、こちらも情感を表に出しており、タイトルも味わい深い言葉が使われています。作風は穏やかで極めて保守的ですが、それは普段のお仕事を考えても納得の行くところです。

 

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月下の秋

 淸一二の確認できる作品の中で最も充実していると思われるのがこの曲です。
はじめは意外な和音から展開し、響きを中心とした前半部分、そして舞曲調の後半からなる、比較的演奏時間も長めの楽曲です。
 また前半はややフランス的な情緒を、後半はドイツロマンの流れを感じさせ、淸一二が多くの楽曲を研究していた、あるいは実際にピアノで演奏していたのではないだろうかと想像をたくましくしてしまう部分でもあります。


 と、ここまで調査してきましたが、全く忘れ去られてしまっていた淸一二の作品、実際に聴いてみたいなと感じる方もおられるのではないかと思います。
 そこで名作同の力を借りつつ、私が展開しているYouTubeチャンネルRMCのプロジェクトとして、この「月下の秋」をデータ化して公開してみています。

 

www.youtube.com

 

 なるほど格調高い楽曲で、極めて保守的ではあるものの情感がたっぷりで、なんとなく郷愁を刺激される佳曲ではないかと思います。

 しかし「うーん打ち込みか」と思われたあなたに朗報です。

 名大作曲同好会では今年会員の新曲発表、演奏会員の演奏発表を兼ねてオンラインピアノコンサートを企画しています。

 

nu-composers.main.jp

 

 非常に凝ったプログラムで綴る、日本の四季の流転をテーマにしており、普段聞けない曲が目白押しな上に、私を含む4名の作曲家の新曲初演もあるという内容です。
 コロナ禍にあえぐなか、当会でも当初は通常コンサートとして企画していたピアノコンサートが実行不可能になってしまい、また安全の目処が立たないと判断しての配信コンサートです。
 配信機材を揃えるなど、お金もかかってしまう上に、配信自体はYouTube上で行うために収益を上げることは難しく、チケット代わりと言ってはなんですが、クラウドファウンディングも計画しておりますので、皆様のご支援と、何より当日のご視聴、名作同チャンネルの登録をこの場をお借りしてお願いいたします。

 この様に当会では日本が営々と積み上げてきた音楽文化を後世に残すために今後も積極的に発掘、発表を続けていくつもりでいます。
 そして普段はRMCチャンネルにてこれらの研究成果を発表していきますので、RMCチャンネルの登録も是非お願いいたします。

 

名大作曲同好会チャンネル

www.youtube.com

 

RMCチャンネル

www.youtube.com

 

 少し宣伝になってしまいましたが、上記のように作曲家淸一二について、殆ど残っていない情報を手繰り寄せていくことで、大分とその実情と生きた足跡が見えてきたように思います。
 こういった作曲や作品を、このまま忘れ、埋もれたままにするのはあまりに惜しく、そして先人に対して後輩としての敬意を欠く行為だと思えてなりません。
 音楽とは経験芸術です。色眼鏡なく多くを聴き、多くを読み、多くを演奏することで、作曲家の息吹や思考に迫り、それを学び取りながら後世へ伝えることこそが、作曲を生業として選んだものの、創作意外の大きな使命なのではないでしょうか。
 淸一二先生の音楽も、そんな我々の活動を通じて、もう一度知られ、もっと演奏されるようになったら良いなと心から思います。

 最後にここまで判明している淸一二の作品を一覧にしてご尊顔とともに今回を締めくくりたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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淸一二

淸一二 作品一覧

器楽曲
・月下の秋
・惜秋譜

歌曲
・船の灯

唱歌・童謡
・雲のかいだん
・雫の汽車
・旅のしらさぎ
・トンボの船頭さん
・萩の花こぼれるころ
・ひまわり草
・ひよこ
・螢のランプ
・水鳥

学校劇
・コンナコトハヨシマセウ
・討れぬ敵
・百兩の說敎
・米は土から人も土から

 

※Erakko I. Rastasさんのご指摘により、本文の一部を訂正しました。