名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

ヘテロフォニーの死 - 西村朗の訃報に接して

西村朗

 2023年、収まらぬコロナ禍の中9/7に大きな訃報が飛び込んできた。我が国を、いやアジアを代表する作曲家、西村朗の突然の死である。私は、久しぶりに、いや一柳先生以来だからそれほどでもないが、思わず「えっ!」と声を上げてしまった。西村先生は1953年生まれ、まだ69歳であった。しかも誕生日は9/8なのでその前日、70歳を目前にしての本当に突然の、若すぎる死だ。

 このところ日本は残念なことに国際的にも衰退激しく、もはや国力は途上国並みとも言われる。その中でも妙脈を保っていた音楽文化の独自性だが、その担い手たる巨匠の相次ぐ死に言葉もない。特に西村先生は今や大巨匠の域に達し、これからさらなる熟練の筆が期待されていただけに、その喪失は計り知れない。さらに、日本の伝統音楽や汎アジア主義の作曲家多い中でも、ひときわ異彩を放ち、その個性的な音楽言語は他を圧倒していた。汎アジア主義とはこういうものだという、一つ確固たる答えを出した作曲家だったと言えるだろう。

 彼の武器はもう誰でも知っていると言っても過言ではない「ヘテロフォニー」である。

 このブログの読者に今更ヘテロフォニーとは何かを説明しても、それは釈迦に説法だということは重々承知の上だが、念のために軽く触れておきたい。

 ヘテロフォニーとは今日我々が聴く殆どの曲、つまりは西洋式の音楽が和音、メロディ、リズムの三要素を主体とするポリフォニーであるのに対し、同じ音を複数の楽器でなぞり合い、その楽器の個性から生まれるズレで形作られる音楽のことである。
ちょっとそれぞれの例を聴いてみよう。

ポリフォニー音楽
マタイ受難曲/J.S.Bach

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ヘテロフォニー音楽
三曲合奏「夕顔」

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 一聴にして明らかだが、全く別の音楽哲学の上に立脚した形態である。西洋のポリフォニー成立以前には、一つの旋律を歌うモノフォニーというものもあったが、これはそれぞれの歌い方によるズレは考慮されない点で全く違う。この東アジア近辺に見られる「ヘテロフォニー」に注目したのが西村朗だったというわけだ。

 西村先生は大変に多作家であった。そしてその多くが出版、録音されている人気作曲家でもあったから、その中から代表作を絞るのは難しい。しかし今回はそんな西村先生の作品の中から、個人的に好きなもの、重要なものと思うものを紹介して行こうと思う。


 西村朗は1953年9月8日に大阪府に生まれた。両親は自転車屋と公務員という全く音楽的な家ではなく、何故かその頃の夢は比叡山で僧侶になることだったそうだ。
 実はこの幼い頃の夢がヘテロフォニー音楽への傾倒に至ったのではないかと個人的に思っている。
 作曲は東京藝術大学で池内友次郎、矢代秋雄、野田暉行という、いずれも名高い対位法の名手について学んだ。なお本人曰く自分はそれほどピアノが上手くないのに、その時の藝大作曲家には野平一郎、藤井一興というピアノの大名人がいたおかげで、課題の難易度がどんどん上がり非常に苦労したといっていた通り、周りにも超人が集まっていたのである。

 1974年の日本音楽コンクールの第一位受賞を皮切りに、在学中より活躍を始めた西村朗は、実は当時から色濃く旋法性、それもアジア的旋法性を意識していたことがわかる。

 次にお聴きいただくのは、彼が大学院在学中1978年にかいたピアノのための小品「TRITROPE」である。この曲は「3つの」「屈折」いったような意味で、激しい同音連打とエネルギッシュでダイナミックな音楽性がすでに完成されている。

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 一聴にして西村作品とわかる個性的な音楽が10代20代の若い頃より出来上がっていることに驚嘆を禁じえない。ありとあらゆる作曲賞を受賞している作曲家で、ことに尾高賞はもはや常連という感じで、5回の受賞経験を持つに至る。


ヘテロフォニーは複数の楽器でなぞり合いズレゆく音楽

 

 であるなら単一の楽器のために書かれた音楽ではどうするのか。その一つの答えが、先程の作品のように激しい同音連打と旋法性、そしてピアノの場合その連打の効果で高音の揺らぐ倍音を聴かせることができる。というのが一つの答えであったのだろう。この思想の発展形態として初期の大傑作の呼び声高い「2台のピアノと管弦楽のためのヘテロフォニー」が生まれる。1987年の作品である。

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 実はこの頃西村は交響曲をよく発表していた。その数は3曲あるが、なんと多作家で知られる彼の作品にしてこれらの実態は全くよくわからない。かろうじて藝大修士卒業作品である第二番の「3つのオード」と題された1979年の作品は楽譜も出版されており、その中身を知ることができる。すでにアジア性への傾倒がみられ、西洋的な方法を拒絶して響き合いにヒントを求めた作品だ。そして前述のヘテロフォニーへの発見へとつながるのである。

 西村は晩年に室内交響曲のシリーズを5曲書いており、こちらの印象が強く、初期の交響曲が忘れられているのはもったいない。できれば出版と音源化を果たしてほしいと切に願う。

 そして西村の汎アジア主義を象徴する大傑作である打楽器6重奏曲「ケチャ」が書かれたのは、先程の「2台の~」より前の1979年というからまた驚きだ。脂ののった作品に聞こえるから中期ころの作品と思う人もいるだろうが、修士在学中の作品だ。

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 名人時を選ぶことなしということか、こんなに若い頃から凄まじい作品を連発しているのは改めて名人の凄さを再認識させられる。


 さて同音連打でヘテロフォニーの弱点を克服したとも言える西村だが、そうも行かない場面も出てくる。あまり語られることがないもう一つの側面をちゃんと抑えておきたい。一時ラッヘンマンにも傾倒していたと本人が言っていたが、1992年に書かれた弦楽四重奏曲第2番「光の波」は少々趣が異なる作品だ。

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 アジア的旋法性はキープされているが、冒頭などは明らかにルトスワフスキのカルテットの引用だ。その後もどちらかというと西洋ポストモダンの技法をたどるかのような作品展開となっており、彼の作品としては異質に聞こえるかもしれない。民謡的旋律を持ち、和声もつけられていてそれがなぞられるからヘテロフォニックではあるものの、少しこれまでと様子が違う。

 このアジア性を失わず西洋音楽を再取り込みしようと試みたことが、彼の名人とその後の大作曲家としての人生を支えていると私は思う。一つに拘泥しているように見えて、実はあらゆる音楽への研究を絶やしておらず、まるでカメレオンのように自在に自身の作風の形を組み替えて取り入れて見せる。まさに超人的な筆である。

 次に1997年にアルト・サクスフォンとピアノのために書かれた「ラメント」を紹介したい。

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 Youtubeに見つからなかったのでナクソスのリンクであるが、聴ける方は聴いてみてほしい。サックスは重音や特殊な指使いによるトレモロによって書かれ、ピアノが混じると一気にガムランのゴングのような響きになる不思議な楽曲だ。サックスの大名人である須川展也氏の異色で書かれた曲だが、微分音もふんだんに用いられ、新境地という感じすらする。

 こういう風にどんな曲でも、編成でも、自分の汎アジア主義という根底を変えず、あらゆる方法論を取り込み、また素晴らしい構成力で聴かせてくることが、実は彼の一番の魅力なのではないかと思う。実際にそれをやってみようとすると、手法に食われたりして本当にうまく行かないものなのだ。

 野心的な中期を経て晩年は、より自由変奏を多くした汎ヘテロフォニーと言った面持ちの作風が強くなってくる。オーケストラでは室内オーケストラ作品を多く書き、また板倉氏や隠岐氏といった人々の誘いもあり、全く魅力のない吹奏楽の世界にも新作を書くようになった。

 その中でも特異なものに平成6年度のNコン高等学校の部の課題曲になった「そして夜が明ける」がある。この曲の作詞は局の要請でなかにし礼が手掛けている点も変わっていて、その詩は青春の暗闇に焦点をあてながらも、やはりちょっと歌謡曲調である。
これに西村先生がどんな風に曲をつけたのかは興味深い。

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 お聴きの通り、エモい、クサいメロディーでなかにし礼のらしさを引き出し、通常通りの和声を汎ヘテロフォニックな手法でクリシェの多様という結節点からまとめ上げてしまった。東洋、西洋、調性、旋法性、歌謡、芸術という様々な音楽の交差点にこの楽曲は言いしている。忘れられがちな大名曲だと私は思う。

 同じように2015年度の吹奏楽コンクールの課題曲として、本人曰く「初心者でも吹けるように」という注文付きで吹奏楽連盟の委嘱で書かれた「秘儀III~旋回舞踊のためのヘテロフォニー~」もまた度肝を抜かれた。もう難曲が生まれたりする素地がなくなり、すっかりばかみたいに似通った音楽が芸術の顔をして跋扈しているだけの世界にあって、吹奏楽連盟の野暮な「注文」をすべて叶えた上で、彼は全く揺るぎない自分の音楽を書ききった。今の偽芸術を量産している作曲家たちよ、この曲の前に懺悔するが良い。

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 この課題曲が「難解な現代曲」として嫌われるなら、なぜ9番まで書かれるロングシリーズになり得たのか。答えは嫌われてなどいないからだ。もう十年一日のクラシック風味の商業曲と下手なオーケストレーションは飽きられてきてるかもしれないぞ。

 

 こうやってその晩年までセンセーショナルかつ、実に自由に音楽を書き続けた西村朗先生。最後に私がなにか一つ彼の曲を挙げよと言われたらどうするか大分悩んだ。
 その結果、演奏で辛酸を嘗めさせられた打楽器アンサンブルの名作「マートラ」を挙げることにしたい。二度と演奏はゴメンだ。しかし何度でも聴きたい。

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 もう二度と新しい高揚には出会えないのか。
 我が国は巨大な作曲家を、辛辣なユーモアと若者を慈しむような笑顔とともに失ってしまった。

 心よりご冥福を祈りたい。


西村朗 2023年9月7日右上顎癌により死去 享年69歳

POP MARTのフィギュアがかわいい

名古屋パルコを適当に歩いていると、見つけました。


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「POP MART」という名前のお店。

フィギュアがいろいろ売ってるみたいです。

 

最初は海外アニメのグッズを扱うショップかと思ったんですが、ポップな雰囲気はアメリカのそれっぽいけど、色味の毒感からはヨーロッパ的な印象も受ける。どこのメーカーなんだろう。

 

調べてみると、中国でした。

POP MARTというのが中国のフィギュアメーカーの名前で、売っているグッズは全てフィギュアオリジナル、ということになります。

お店は世界中に展開しており、日本だとロフトとかによく売っているそうです。

 

こちらは人気シリーズの「Dimoo」f:id:nu-composers:20230917175536j:image

不思議な男の子Dimooくんが、色んな世界で色々やる、というコンセプトです。


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こちらは中国人デザイナーAyanとのコラボシリーズ。Z世代的なポップカルチャーにも歩み寄りつつ、プラスワンの魅力を感じさせる造形です。

 


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人気シリーズの「Labubu」

モンスターたちが色んな世界で色々やる、というシリーズです。

Dimooと比べると、こちらは欧米ポップの影響を強く感じます。

 

いかがでしょう。

こうしたフィギュアを販売しているPOP MART、若い女性を中心にSNSで大人気らしいですが、私は全然知りませんでした。流行ってるんですか?

 

でもこれは流行るな〜という要因は確かにいっぱいあって、特に「手頃な大きさ」「価格の安さ」が最も強く寄与している感じがしました。

大体高さ10cmくらいの小さめサイズで、価格は1個1400円くらいだった気がしますが、同じ大きさのねんどろいどだと3000〜5000円はするので、かなりの安さだと思います。

フィギュアってなかなか手が出にくいものですが、これならお試しで1個くらい買ってみようかな〜、と思えるちょうどいい値段になってます。

 

私も1個買いました。

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オイオイ

かわいすぎて


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ガスマスクみたいなやつは磁石でくっつける仕様になっていて、外すことも出来ました。かわいい

なんか、値段相応のいわゆる中国品質だろうなとちょっと思ってましたが、全然ちゃんとした高品質なフィギュアでした。

やっぱもう昔の中国では無いんですね。服だって全然SHEINで買っちゃうし。

 

こちらのフィギュアは「Azura Y2KシリーズのNo entryちゃんという名前らしいです。
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残念ながらPOP MARTのシリーズ物は須らく「ランダムブースター」方式、つまりいっぱい買っても全然被りが発生してしまう悲しいシステムになっているので、全部集めるとなると相当大変そうです。

 

 

 

というわけで、今回はPOP MARTをご紹介しました。いかがでしょうか。

安くて手が出しやすいと思うので、気になったら1個買ってみてほしいです。みんなで始めようPOP MART活。

私は全然知らなかったけど一応若い女性中心に流行中という触れ込みだったので、みんなもう知ってたらすいません。

ローワン・アトキンソンを訪ねて

 初ブログです。本当は音楽に絡めて、だいぶ前にトイドラさんから紹介された、田村文生の「太宰治作『饗応夫人』のための音楽」で書こうかなと思っていたのですが、書いてる途中で何をどう書けばいいのか分からなくなり、おどおどして、おどおどしたまま頭蓋骨が亜空間に飛んでいきそうになるのを必死に抑えることでしか自我を保てない時期が数日続いたのでやめました。嘘だよ。

 

 皆さん、ローワン・アトキンソンって知ってますか?

 

ja.wikipedia.org

 知っている人もいるかもしれないし、知らない人もいるかもしれないし、5分の3は知ってるよって人もいるかもしれないし、5分の2は知らないよって人もいるかもしれないし、5分の3知ってるのと5分の2知らないのは同義だろって突っ込む人もいるかもしれないし、俺には突っ込みの才能があると思っていたけど実はボケの方が得意なのかもしれないと人知れず悩む人もいるかもしれないし、そんな風に悩む気持ちも分かるけど前を向いて生きていこうぜと励ます親友もいるかもしれないし、よく分からないのですが、結構知名度はあるのではないかと思っています。どちらかというと年配世代の方が知ってるのかな。「ミスタービーン」と言えば思い出す人もいるかもしれません。

ja.wikipedia.org

 ミスタービーンについて長々と説明する気はないのでここに貼ってあるWikipediaのリンクでも見ておいて欲しいんですが、要するにコメディです。ローワン・アトキンソンが「ビーン」という男の役で色々したりしなかったりする話なのですが、1990年にイギリスでテレビシリーズの第1話が放映されるとたちまち人気を博し、世界各国に広まっていきました。映画も2作品公開され、アニメーションなんかも展開されています。また、2012年のロンドンオリンピックの開会式にて、ビーン役に扮したアトキンソンがパフォーマンスを披露したりもしていました。なんかこの頃の五輪は良かったなぁと思います。最近の五輪は……おっとこれ以上の言及は作物公安委員会*1に燃やされる可能性があるのでやめておきます。

 

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 今はありがたい時代で、テレビシリーズについてはYouTubeで見ることができるので、機会があればぜひ見てみてください。特におすすめなのを以下に挙げておきます。

 

 

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 というか全部面白すぎるので、いっぱい話が詰め込まれてるやつも貼っときます。

 

 面白さとかについてはとりあえず見てくださいとしか言いようがないのですが、Wikipediaにもある通り、フィジカルコメディであるという点はミスタービーンの面白さを語る上でかなり大きな要素を担っているように思います。フィジカルコメディなので、英語が分からん奴でも理解できるし、実際私も英語はそんなに得意じゃないのですが普通に楽しめます。あと頭も使わなくていいんで気軽に見ることができる。そういうのもあって世界中で流行ったんでしょう、という分かり切ったことを言っておきます。あとこれも分かり切ったことですが、演技が上手いですね。演技が上手いからこそ映像がするする頭に入ってくるし、やっぱり間合いの取り方とか、一瞬の空気の読み方とかが上手いので見てて飽きない。好きです。付き合ってください。

 暴発してしまいました。私は少女漫画の主人公並みにすぐ好き好き言うので、私の「好き」はハイパーインフレを起こしており、あまり価値がないです。体感10秒に1回くらい何かに好きって言ってる気がします。すみませんさすがに盛りました。でもマジでめっちゃ言う。ゆえに価値なしです。どれくらい価値がないかというと、第二次世界大戦後のマルク(ドイツの通貨)くらい価値がないです。卵10個で3兆マルク~~~!!!

 

タマゴ、それはコダックの生き別れの兄弟

 

 私はミスタービーンからアトキンソンを知り、そこからアトキンソン好きが高じて「ジョニー・イングリッシュ」にも手を出してしまいました。

ja.wikipedia.org

 こちらも私の文章力で説明しきるのは難しいのでWikipediaを参照してほしいのですが、ジャンルとしてはスパイコメディ映画で、イギリスの諜報機関MI7に所属するジョニー・イングリッシュの役を演じているのがアトキンソンです。彼はエース・エージェントを夢見ているのですが、ドジを踏みまくりミスばかりしてしまう。でも最終的にはなんかいい感じに事件を解決する、みたいな話です。コメディですが、イギリスが誇る有名スパイアクション映画「007」シリーズの制作スタッフも制作に携わっているらしく、スパイアクションもきちんと楽しめます。


 ジョニー・イングリッシュに関しては、正直あんまり面白くなくて記憶にないのですが、なんでしたっけね……本当に記憶にないです。知らぬ間に宇宙人に拉致されて、ジョニー・イングリッシュの記憶だけをボコボコにされたのかもしれないです。でもかろうじて脳内に残っている1ミクロンほどの記憶を頼りにジョニー・イングリッシュのつまらなさを説明するとするならば、ボケのスケールを筋が置いてきぼりにしているという点でしょうか。ジョニー・イングリッシュは、ミスタービーンと比べて台本が整い過ぎているというか、そういうものがあるんですよね。ミスタービーンは、日常で起こることに対して馬鹿な小ボケを挟んでクスっと笑わせるという割と地に足の付いた笑いで、だからこそ面白いんですが、ジョニー・イングリッシュはスパイという設定で、国家レベルの重要任務を担っていたりする。こういう非日常かつスタイリッシュな舞台のもとでは、お茶の間をクスっとさせるような小ボケは上手い事機能しないんじゃないかなという気がするのです。ボケの大きさに対して設定やら筋の大きさがデカすぎるのが敗因とも言えます。1ミクロンほどの記憶を頼りにこの文章は生成されているのではっきりと断言はできませんが、まあ中らずと雖も遠からずでしょう。

 ちなみにジョニー・イングリッシュを見始めたきかっけですが、YouTubeで「“Mr.ビーンローワン・アトキンソンが私物の愛車でカーアクション!」というタイトルの動画があって、それはぜひ見てみたいと思ったことです。「ジョニー・イングリッシュ アナログの逆襲」の中で、ローワンが自身の愛車を運転するというシーンがあるという内容です。

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 ローワンは、車の運転にかけてはカーレースに出るほどの腕前で、ミスタービーンの作中でもその腕の良さが垣間見えるシーンが出てきます。確証はないですが、恐らく本人が運転していたのではないでしょうか。

 


www.youtube.com( 8:02からのシーンとか、10:27からのシーンとか。普通にすごい。かっけえ。こんな運転したい。)

 他の動画にも同様の事を感じ取れるシーンがありますが、いちいち挙げるのも面倒なのでぜひ探してみてください。なんでも与えられると思っていると、あの世でちくわになってしまいますよ。あの世でちくわになる唯一の利点は、先祖の霊としてお盆にこの世に帰省する際に精霊馬に乗ることで、ちくわきゅうりという最強のおかずになれることです。そのまま子孫にマヨネーズをかけられ、彼らに食べられることで子孫の身体を乗っ取ることができると思います。頑張ってください。エンジョイ、第二の人生!

 

ちくわきゅうり、それは人生のイデア

 

 先ほどちらっと触れましたが、ミスタービーンにはアニメーション作品もあります。

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 最近は海外のアニメーションの中にも日本のアニメの影響を受けているのかな? と感じるものもあり、お前は自分の道を貫けよとイライラすることもあるのですが、ミスタービーンのアニメーション作品はわりと我が道を行っていて好きです。アニメーションの方もフィジカルコメディになっています。ただ、当然と言えば当然かもしれませんが、やっぱりアニメーションよりリアルの方が面白いのでなんかどうしても暇なときに適当に流しとくくらいしか視聴する場面がない気がします。一応動画も貼っときますが、あまりお勧めはしません。この動画の見どころは、明らかにGoogle翻訳より15段階くらい精度の悪い翻訳機を使った事がまるわかりの概要欄です。意味わかんなすぎておもろい。今どきここまで精度の悪い翻訳機を見つけてくることの方が難しいと思うのですが、一体何を使って訳したのでしょうか? 私としては、地元の中学のヤンキーに委託して翻訳させたか、日本向けのミスタービーンのチャンネルがあまりにも伸びないので翻訳担当者の気が狂って日本語が壊滅状態になってしまったのか、茂木健一郎に家族を拉致された恨みで茂木健一郎を呪ったら何を打ち込んでも変な日本語が表示されてしまうバグに遭遇したか、動物園のワニの死体を食べたか、川端康成の「雪国」(カス小説)を読んでしまったかのどれかだと思うのですが、どれなんでしょう? それだけが気になります。ぜひ皆さんの意見もお聞かせください。

 

 そんなこんなでアトキンソンが出演する作品を色々見ていたんですが、最後に彼のコント作品の話をして終わろうと思います。こちらはバリバリに英語を喋っているので、英語が苦手な方には少々厳しいかもしれません。もちろん私も「英語が苦手な方」に含まれるので、普通に厳しいです。字幕がないと訳が分かりません。発狂しかけます

 

 

 なんというか、めちゃくちゃ上品じゃないですか? 言ってることは結構馬鹿げてるんですが、でもどこか知的な要素もあって、爆笑って感じじゃないけど「フッ」って笑えるって感じです。というか、なんかイギリス英語喋ってるだけでかっけ~となってしまう安易な人間性が炸裂してるかもしれません。あと、宗教ネタや国民性のネタは鉄板なんだろうなという印象を受けます。
 一番好きなのは、初めに挙げたオウムのやつです。オウムのやつは、動画内にある「50年代後半の特筆すべきはそのオウムの尋常でない食欲でした」という一文に惚れ込みました。頼むからそのまま回れ右して小説を書き始めてください。読むから。なんか雰囲気が阿部公房みたいで好き。阿部公房と言えば、私はちょっと前までよく読みもしないくせに阿部公房の小説を舐め腐っているというクソカス舐めプ野郎だったのですが、最近きちんと読む機会があり、読んでみたところめちゃくちゃ面白いことに気が付きました。阿部公房含め、もう本当に色んな人に頭が上がりません。申し訳なさでいっぱいです。ごめんなさい。とりあえずしばらくは阿部公房に足を向けて眠らないように阿部公房の位置を常に把握しておこうと思ったら、もう亡くなっているんですね。なんだか、仲良くしたいと思っていた同級生に結局声を掛けられずに卒業してしまった学生のような気分になってしまいました。悲しいね。
 阿部公房はあの世でどんな姿をしているのでしょうか。馬かもしれないし、鳥かも知れないですね。よもやちくわということはないと思うのですが。


 話を戻しますが、字幕付きのアトキンソンのコントはここら辺しか発見できないのですが、こういうチャンネルがあるんですよね。

 

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 見てもらったら分かりますが、ここには大量のアトキンソンのコントがアップロードされています。じゃあなんでこっちを見ないのかって? 皆さんもう分かりますよね??

 

 字幕がねーからだよ!!!なんて言ってんのか分かんねーんだよ!!!!!

 

 誰か訳してください。(切実)こんなところで日本の英語教育の敗北を知ることになるとは思いもしませんでした。もう本当にリーディングとかどうでもいいんでリスニングをやっときゃ良かった。まあ自分が英語できない責任を国だけに押し付けるなという話ですが、本当に要所要所しか分かりません。悲しい。

 

敗北者は北へ向かう

 というわけで、なんか眠くなってきたし今回のアトキンソン特集は終わりです。今ブログを見直してみたら、くだらない小ボケが隠し切れないままに噴出していて戦慄しているのですが、これも人の性、仕方のないことでしょう。内容の薄さをボケの手数で乗り切ろうとしていることがバレないうちに退散したいところです。しょ~~~もない小ボケを挟むという行為は母親の子宮にいる時から行っているのでこれだけは負けられないと勝手に感じているのですが、どこかに小ボケ世界大会とかないですかね? ちなみに、産まれた時の第一声は「浜田雅功とチャーハンやったらどっちが美味いん?」でした。このエピソード話せば吉本のオーディション受かるんじゃないかという胸の内を友達に明かしたところ、お前、前世パンダのくせに生意気言ってるんじゃねえよとぶん殴られました。このブログは8割嘘で構成されているのですが、そんな荒れ果てた荒野の中で、「私の前世がパンダである」という事実だけは本当なのです。信じるかどうかはあなた次第。しかし、もし信じてくれるのであれば、今日からあなたと私はお友達だ。

*1:全国の作物プレイヤーを総括する親玉の機関。主食はモンゴルの油。

ヒットチャート世界一周2023 アジア編

こんばんは、榊原です。私は毎月毎年プレイリストを作成しては公開し続けているのですが、そのために日々ありとあらゆるポップミュージックを聴きすぎて頭が爆発しそうです。最近はクラシックや現代音楽を再び聴き始めたので爆発しています。今日は世界中の音楽を一度に聴くことでより一層爆発していきたいと思います。みんなで世界中のヒットチャートを周遊しましょう。と言いつつも、思ったより文量が多くなってしまったので今回はアジアのみの紹介ですが。

 

*爆発した例*

nu-composers.hateblo.jp

nu-composers.hateblo.jp

3年前と比較しても面白いかもね!

 

BillboardのHits of the worldから抜粋

3年前はApple Musicのチャートを参照していましたが、今回はBillboardの世界チャートを参照していきたいと思います。Apple MusicのチャートはApple Musicのストリーミング再生回数しか反映していないんですが、BillboardはストリーミングだけじゃなくてCDとかダウンロードとかラジオでの放送回数とかも加味されるんですよね~。なので前回より各国の音楽事情を反映しているのではないかと思います。

 

 

またあれから3年が経過したということで、音楽を取り巻く事情もだいぶ変化しているようです。

 

*前回からの大きな違い*

①DABABY、干される

前回チャートを見たときに欧米を中心に爆発的に売れていたDABABYが干されました。夢幻泡影。


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コンプラ的にマズいことをする→バッシングが集中→干される」という現代のキャンセルカルチャーの王道を突っ走ってしまわれたご様子。ストリート出身のラッパーにお行儀の良さを求めるのはフツーに無理があろうと思われます。

(思えばポリコレ的でないミュージシャンはボコボコにされる時代になりました。The1975とか。)

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そうでなくともラッパーは一発屋が多いです。大体売れるとそれまでのストリート精神を忘れたゴミみたいな「家族やパートナーラブだぜ!」的なリリックになるケースが多い様子。

 

オリコンチャート、ついに死す

Billboard JAPANのチャートが、秋元康により破壊されたオリコンチャートにとって代わりました。

これによってこれまで数値的にはなかなか見えてこなかった本来の日本の音楽動向が可視化されるようになりました。うれしー!

 

③握手券商法、ついに死す

コロナ禍で握手ができなくなり、握手券商法が死にました。今月に満を持して復活するようですが、そうこうしているうちにオリコンチャートも死に、シングル売り上げがかつてほどの意味がなくなった今、どれだけの影響力を持ち続けられるのか気になるところです。

握手券商法でブイブイ言わせていたAKB48自体もかつての存在感はなく、KPOPブームも相まってアイドルは群雄割拠の時代を迎えたように見えます。

 

3年って短いようで長いですね。

ということで、3年前から世界各国の音楽情勢はどう変化していったのか見ていきましょう。

(2023/8/19現在)

 

日本

Bilboard ChartはApple MusicCDのチャートは違ってCD売り上げも加算されるため、ジャニーズやAKBなんかもランクインしますが、なんと関ジャニしかいません。普通に意外です。

ランクインした曲の中でも特筆すべきはVAUNDYの「怪獣の花唄」で、これは発表から既に3年が経過していますが、今でもバキバキに聴かれているようです。後の時代に振り返ったとき、20年代の楽曲として代表的なものとして扱われることでしょう。

 

*Pick Up*

アイドル - YOASOBI


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YOASOBIは3年前「夜に駆ける」で1位を獲得してから新曲を発表するたびに1位ですね。もはや押しも押されもしないところまで来てしまいました。

Bilboardの世界チャートにランクインしたとかしないとかで話題になりましたが、以降のランキングで上位に出てこないところから察するにドメスティックな人気の影響が強そうです。

 

エンジョイ - めいちゃん


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いわゆる歌い手。後にボカロPになった。現在はYoutuberユニット「肉チョモランマ」としても活動している。らしいです。なんやねん、「肉チョモランマ」って。

曲についてコメントするところがびっくりするくらいないです。youtuberが人気なのも時代ですね~。なんでも時代の所為にしてしまおう。

 

ETA - newjeans


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Newjeansは韓国人、オーストラリア系韓国人、ベトナム系オーストラリア人からなる韓国の音楽グループ。有名すぎて今更語るまでもないですが、私は厚顔無恥なので普通にこういうことを書きます。最近の韓国音楽グループは多国籍が多いですね~。国内市場だけでなく海外市場にも積極的に働きかけようという意志を以前よりも強く感じますね。

最近はハウスミュージックぽいのがトレンドなんでしょうか。最近のKpopは昔より落ち着いた曲が多くてききやし~と思いました。私のK-pop認識はポンチャックで止まっているので。


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嘘です。Kpopは今でも普通に低音を強調したヒップホップとかビートミュージックが主流だと思いますが、その中でもNewjeansは異質な部類のようです。

なんか最近寿司ランド発言で炎上していましたが、日本は寿司ランドだし韓国はキムチペニンスラだから何の問題もないと思います。

 

さて、日本のチャートを見てみました。K-popがブームとはいえトップテンに食い込んでいるのは2組(jung kookとNewjeans)と、やはり国内ミュージシャンが強いですね。あとボカロP出身がだいぶ増えました。三年前の時点ではYOASOBIだけだったんですが、今回は4組もいます(歌い手を含めると5組)。いわゆるZ世代の若手ミュージシャンにとって、そのへんはもはや通過儀礼みたいなものなんでしょう。私は通過し損ねたのでわかりません。Z世代なのに。

 

韓国

さて次はお隣の国、韓国です。
3年前から今までずっと、Kpopの破竹の快進撃は止まらない!

全部Kpopです。3年前はジャスティンビーバーとかアリアナグランデとかもいましたが、見事に消えました。音楽産業の国産化に完全に成功しています。

 

*Pick Up*

Seven - Jung Kook feat. Latto


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BTSのメンバーJung Kookによるソロプロジェクト。この曲はアメリカのフィメールラッパーLattoとのコラボですね。人気グループのメンバーの曲ということもあり、国内外で大変な人気を博しているようです。
BTSは曲もアメリカの大物とかが作っていたりと。もはやKpopなのかよくわかんね~ところまで来てしまった気がします。すごすぎて。

 

ISTJ - NCT DREAM


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こういうのだよなKpopって、という謎の安心感を覚える一曲。

とはいえ明らかに年々曲のクオリティが良くなっていってますね。ただのブリブリのダンスミュージックではなくなっていっている。久しぶりにまとまった曲数を聴いてびっくりしちゃいました。

 

中国

中華ポップは都市圏ではかなり洗練された音楽(C-pop)がここ10年くらいで勃興してきた印象がありますが、全体としては日本では40-50年以上前に流行ったような演歌調の曲がチャートのトップに上がる印象もあります。今はどうなんでしょうか。

中国のチャートはBilboardが情報収集できないためか、中国の企業(TME UNI)のチャートを流用しているっぽいです。
そしてランクインしているのは見事に全部中国人。東アジアは自国の音楽を消費する傾向にあるのでしょうか。まあ英語聴いてもよくわかんね~からな。

 

*Pick Up*

罗刹海市(Luo Cha Hai Shi)- 刀郎(dao lang)


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伝統音楽っぽいレゲエ、しかし歌がダサすぎる、など謎のバランス感覚が面白い。と思ったら刀郎は民謡の現代アレンジなどをよくやるようで、そういった文脈の下この曲が作られているのかもしれない。が、中国語が読めないのでよくわからない。唯一わかるのはこの曲がチャートのトップになる中国はおもろい国だということです。「アイドル(曲)」がトップになる日本を客観的に見たら同じくらいまあまあおもろい可能性もありますが。

 

明天見(Ming Tian Jian) - TFBOYS


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中国の三人組男性アイドルグループ。なんと中国初の国産少年アイドルグループらしいです。知りませんでした。しかし2013年から活動しているため、もう少年ではなくなってしまっています。青年アイドルは腐るほどいるので、できれば少年のうちに知りたかったですね。

肝心の曲についてですが、中国的な泥臭さ、ダサさみたいなのが一切感じられない非常に都会的なサウンドで驚きです。まったくヒップホップしてないKpopにありそう。だから正直全然面白くはないんですが。

 

タイ

東アジアの次は東南アジアに行きましょう。

タイには東南アジア諸国からみんな出稼ぎに来てるので、タイは実質8カ国分のマーケット規模があるってDJ社長が言ってました。ということはタイのチャートを見れば東南アジア全体の流行がわかるってことですね。すげ〜。

タイポップ、マジでなんもわかんね~~です。なぜならばストリーミング配信ではアーティスト名がタイ語で書かれているため、アルファベット表記との対応ができないから。タイ語、読めなさすぎる。でもタイポップはかなり面白いので好きです。

 

*Pick Up*

Shall We - Percy feat. 4ouryou & GENA DESOUZA


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次の駅名が全く読めなかったが、歌はゴリゴリに英語でした。

4ouryouはおそらくタイのシンガーソングライターです。マジで情報がないので何者なのかよくわかりませんが、この曲だけ突出して再生されているので、TikTokかなんかでスマッシュヒットでもしたんじゃないでしょうか。Billboardのチャートは様々な媒体での音楽の再生回数をもとに算出されるので、こういうことがよくあります。今最もナウい音楽がここに。

 

Yindi Ost.Matarada - Sarah Salola


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Sarah Salolaはタイのシンガーソングライター。多分。ギター持って歌ってるし、日本でいうあいみょん的な立ち位置なんじゃないかな~~~~????(適当)

それはそれとして、まあまあ洗練とされた感じじゃないですか? タイポップはこういうのとか、謎のファンクミュージシャンとかが存在するので結構侮れないです。特に後者。

 

インド

さてアジア編最後を締めくくるのは超大国インドです。なぜなら、中央アジア西アジアにはBillboardのチャートがないからです。つくれ。

それはそれとしてインドは、異質すぎてもはやアジアでくくるのも申し訳ない、魔境です。

 

Shree Hanuman Chalisa - Hariharan


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度肝しか抜かせねえ。サムネからして既にほかの国家とは違いますね。

hariharanはインドのプレイバックシンガーです。プレイバックシンガーというのは映画「雨に唄えば」のキャシーよろしくサウンドトラック用の楽曲を俳優に代わって歌う人たち。なので、この曲もおそらく何かしらの映画のサウンドトラックなのでしょう。

インド映画ではプレイバックシンガーを使うのが一般的で、さらにプレイバックシンガーは実際に映画に出演している俳優らと同じ待遇を受けているらしい(!)です。裏方もちゃんと評価されるの素敵。

というかこの動画、33億回再生されてるんですが、マジでなんなんですか????

 

とまあhariharanはインド国内で絶大な人気を誇っているようですが、現在ボリウッドの第一線で歌うということはないようです。大御所ポジですね。

 

 

Main Nikla Gaddi Leke - Udit Narayan 


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現在進行形のボリウッドだとこんな感じ。我々が想像する典型的なインド映画の様相を呈しておりますが、さも当たり前のように間奏でコナッコルをしないでください。

全体的にEDMっぽい音なのでサラっと聴けてしまいますが、ほぼ和音が鳴ることなく単旋律で曲ができていることに驚きを隠せません。民族音楽ナチュラルに根付きすぎだろうよ。

ちなみにUdit Narayanも例に漏れずプレイバックシンガーです。

 

というところでアジア編は終了です。インドが異次元すぎましたね。

次はヨーロッパ編の予定ですが、これがクライマックスだった気がします。頑張れヨーロッパ!

知られざる東欧シンフォニズムの系譜

東欧諸国

 私には交響曲は長すぎる。しかし年に何度か交響曲を欲する時期があると数回前の記事でも書いた。


またやってきてしまった。


 ちょっと収まっていて、前回は重い論文的な記事などもあげて、興味は中田喜直などの研究に向いていた。


しかし来てしまったのだ。

 

 きっかけは単純明快、現代的な出会いからだった。Youtubeを開くと、なじみのチャンネルの過去にあげられた動画がオススメとしてレコメンドされていた。見れば全く知らない作曲家の未知の交響曲であった。「ほう、どんなものかな」と軽い気持ちで開くと、直前どっぷりウストヴォーリスカヤに浸っていた私にはお誂え向きの厳しいクラスターを伴う音楽であった。
 かくしてこの作曲家のことが気になってしまい、ついでにこの作曲家が東欧出身ということも手伝い、いつもの病気が始まったというわけだ。

 そんなわけで今回は「その作曲家」を中心にまた数曲私の趣味にお付き合いいただきたいということである。前回はかなり重い内容のもの書いたので今回はなるべく簡潔にまとめたいと思う。


Jiří Válek

Jiří Válek

 その出会いとなった作曲家はJiří Válek(イルジー・ヴァーレク)という作曲家である。各国の交響曲事情を大作にまとめられた、大崎滋生氏の著作にもその名は登場していない作曲家でありながら、実に20曲+番号なし1曲という量の交響曲を書いたという。

 1923年プラハにピアノ制作者の父アロイスの下に生まれ、ギムナジウムからプラハ音楽院でJaroslav Řídký(ヤロスラフ・ジードキー)に学んだ。また個人的に哲学、美学、音楽史なども同時期に学び哲学の博士号を得るに至ったようだ。その後は出版社に奉職し、2005年に癌を患いプラハで没したのだという。

 私は全く知らなかったが、かなり多作家であり、交響曲群の他にも多数のコンチェルトや声楽曲も残している。出版社勤務であったのだが、自作の出版は多くなく(あるいは今は探しにくくなってしまっているのかもしれない)、交響曲の出版譜は2作しか見つけられなかった。非常に興味をそそられているので、できれば沢山楽譜を読み漁ってみたい。

 話を交響曲に戻すと、一貫してモダニストとして作品を書いていることがわかる。しかもそのほとんどは交響曲でありながらソリストを伴い、編成も特異なものが多く、またサブタイトルを持つものが多いのも特徴的である。

 ということでまず初の交響曲である第1番から聴いてみてほしい。サブタイトルは「1948年」と題され、トランペットとピアノのソロを伴う作品となっている。まあ世界史に通じる人ならわかりやすいタイトルだが、この年の二月にチェコスロヴァキアではソ連を背景とした共産主義革命が成功し、勝利の二月などと呼ばれる出来事があったが、それをテーマとした曲といったところだろう。

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 いかがだろう、晦渋であり共産主義的な書法も見られる中、決してこれを手放しに喜んでいる曲には見えない。本人のインテリジェンスがこの事件を単純なものと感じさせなかったのだろうし、闘い自体に対する悲劇性や絶望も見え隠れする。しかしおおっぴらにそう書くわけにもいかない事情もあったのか、どちらともとれる不思議な折衷性を持った、やや狂気を感じる曲ではないだろうか。
 また構造的にもこの時代のものはその骨格はしっかりしているが、テーマの中断などとりとめのなさを示す彼の作風がもう現れているといえる。彼の作品には哲学性と政治性が打ち出されることが多く、第5番の交響曲は「ゲルニカ」と題されていたりすることから、創作態度は一貫していた言えるかもしれない。

 さて次に聴いていただきたいのは、私が彼を知ることとなった偶然の出会い第6番の交響曲である。サブタイトルは「Ekpyrosis」と哲学者らしいもので、ギリシャ哲学の用語で「火から出たもの」すなわち「世界の破滅・再生の際の大火」を意味する。

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 いかがだろうか。晦渋な表現の色合いが強くなり、東欧の暗さと重さが備わった上に、実に散発的でとりとめがない音楽になっている。しかしその一方でこの散発性と表現性のコントラストがなぜか絶妙なバランスで成り立ち、崩壊しそうでしない音楽になっている。
 私が聴いた限り、彼の色合いが最も強く感じられると思ったのがこの第6番である。小規模な室内オーケストラを背景にフルート、ピアノ、打楽器アンサンブルがそれぞれ独立してフィーチャーされていて、極めて特異な世界観を形成している。なるほど哲学的な作品と言うことを強く感じさせるにあまりある曲だ。

 最後に晩年の作品をということで第20番を紹介したかったが、どうやら音源がないようだ。聴ける交響曲の中で一番後期のものは第14番であったのでこれを紹介してみたい。サブタイトルは「Triumphal」と付され「勝利の交響曲」ということらしい。例によってソロが付けられ今回は二台のピアノがフィーチャーされている。チェコ65周年と二次大戦終結40年を記念して書かれた作品だという。

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 なるほど祝典をテーマにしているので少しばかりわかりやすいが、相変わらず晦渋でピアノは表現的なフレーズを多く弾かされている。とりとめのなさこそ弱まっているが、彼の考えが「祝勝」というものの後ろにある「犠牲」に向けられているのは間違いなさそうだと感じる。この曲も一見支離滅裂だが、力強さと抽象性に哲学性の浮かぶ実に知的な音楽だと感じる。しかし彼はシンフォニーとコンチェルトにどのような区別を持っていたのだろうか。興味は尽きない。

 

Jaroslav Řídký

Jaroslav Řídký

 ヴァーレクの師にあたるJaroslav Řídký(ヤロスラフ・ジードキー)も実は隠れたシンフォニストであったらしい。大崎本には複数の作曲家の師として紹介され「7曲のシンフォニーを書いたが詳細不明」とわずかな情報しかない。どうやら名伯楽であったが、作品はあまり知られていないようだ。


そこで私も調べてみた。

 ジードキーは現チェコ共和国のリベラックに大工の助手と使用人という両親の下に生まれた。裕福とは言えず音大への進学を諦め従軍しながら軍楽隊で音楽の基礎を学ぶが、これを脱退したことで逮捕され罪に問われるという、不遇な若年期を過ごす。しかしその後に正式にプラハ音楽院で学ぶことが叶い、Jaroslav Křička(ヤロスラフ・クジチュカ)、Josef Bohuslav Foerster(ヨゼフ・ボフスラフ・フェルスター)、Karel Boleslav Jirák(カレル・ボレスラフ・ジラーク)に師事した。特にフェルスターとの関係は深く修士課程でも彼のクラスに在籍したという。
 在籍中からすでに成功を収めており、そのまま母校で教鞭を執り、特に交響曲室内楽で代表作というべき優れた作品を残したという。しかし重病を患い、1956年に58歳にしてチェコスロバキアの温泉にて亡くなったが、死後胸像が作られるなど、本国ではその偉業が大きく知られているようだ。しかし本邦でその名を聞くことはまずない。

 さてその交響曲群だが、確かに先述の本の通り7曲が書かれており、代表作は最後に書かれた第7番であるらしい。本来は初期作品から聴いてみたいところだが、音源が見つからない。なんとか代表作たる第7番は音源があったのでこれを紹介したい。

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 作風はドヴォルジャークスメタナなど郷土の国民楽派のレジェンドに続くスタイルであり、穏健かつ朴訥とした風味が実に趣深い。ことに緩徐楽章の美しさは素晴らしいもので、これは国が誇る作曲家として十分な風格があると言える。逆に言うとこういった作風の師の下からヴァーレクのようなモダニストが誕生したことが驚きかもしれない。他の交響曲も早く聴いてみたいというところが本音である。

 さてこのジードキーは名伯楽だったらしいということでその弟子の名前を見てみると確かに素晴らしい弟子を多く育てたことがわかる。その中から二人の作曲家が目についた。ヴァーレクという未知の出会いが既知の作曲家と結びついていく瞬間に、なんとなく高揚感を感じる。

 

 

Josef Matěj

Josef Matěj

 Josef Matěj(ヨゼフ・マチェイ)の名はトロンボーン奏者なら結構知っているのではないだろうか。以前マチェイのトロンボーン協奏曲がコンクールの課題曲として選ばれ、その難易度の高さとあまりの録音、資料の乏しさに泣いた人はきっと多いはずだ。
もしかするとマテイの名がある程度大きな形で本邦に紹介された瞬間がそれであったかもしれない。


さてどんな作曲家なのか見てみたい。

 

 マチェイは1922年にチェコスロバキアのブルーシュペルクに音楽一家の一員として生まれた。父親からトロンボーンの指導を受け、オーケストラ団員となるに至り、その後プラハ音楽院で今度はオルガンと作曲を習ったようだ。作曲の師はEmil Hlobil(エミル・フロビル)とZdeněk Hůla(ズデニェク・フーラ)であったとのことで、ジードキーとの出会いはその後の舞台芸術アカデミーでのことだったようだ。
 もっぱらトロンボーン奏者として活躍し、このため協奏曲の内容が技術的にも高いのは必然だったと言えるだろう。交響曲は5つ書き時期によって音楽性は少し変わっていくようだ。

 

まずは最初の作品交響曲第1番を聴いてみよう。

 

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 牧歌的で民族的、はっきりと国民楽派に連なる作風を持っていたことがわかる。
そして自らの得意とするトロンボーンセクションが非常に活躍する。ジードキーに連なる手堅い作風とも言える。いやより民謡的になっているとも言えようか。

 

では最後の交響曲となった第5番はどうか。

 

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 作風の変化が著しいと感じられる。牧歌性は打ち消され突き刺さる表現が多くなったことに加え、全体に悲痛さが感じられるようになった。これはやはり戦争の影響が彼の作風を変えたと考えて差し支えないのではないだろうか。
 それでも同門ヴァーレクなどよりはずっと穏健ではあるが、モダニズムの影がはっきり加わってきた。この重さこそ戦後東欧の多くの作曲家に見られる暗さと言える。同じように大きな戦争による痛手を経験した我々にもこの影のある響きは突き刺さるものがある。

 なるほど聴き応えのある作品であるし、自らが演奏家であったという強みがオーケストレーションに生きている。本邦では先述のコンチェルトなど数曲が知られるのみだが、この第5番などは演奏される価値があるのではないだろうか。
なおマチェイは1992年に他界したとのことである。

 


Karel Husa

Karel Husa

 最後にジードキーの弟子として目を引いたのは、吹奏楽、それも本格的な吹奏楽愛好家なら誰しも知っているだろうKarel Husa(カレル・フサ)である。吹奏楽愛好家ならソ連の介入で弾圧された1968年のプラハの春を題材とした「プラハ1968のための音楽」や「この地球を神と崇める」といった作品は忘れ得ぬ大傑作として知っているだろう。
そんなフサもまたジードキーの教えを受けた一人であった。

 

 1921年プラハに生まれ、プラハ音楽院で指揮と作曲を習う。無論作曲の師はジードキーであり、在学中より高い才能を発揮し、修士課程でもジードキーに師事している。しかし祖国での経歴はあまり語れることがない。それは彼が後年アメリカに渡ったことから本国では顧みられない存在となってしまったこと、さらにパリでの経歴、すなわちパリ音楽院とエコールノルマルでオリヴィエ・メシアンとナディア・ブーランジェに師事したというインパクトが大きいことが原因であろう。
 パリに渡ったフサはそのまま長くパリにとどまり、その後はアメリカに渡ってコーネル大学で教鞭を執ることになった。そしてアメリカの地で「プラハの春」を迎え、これに抗議するために先述の作品を書き上げたのである。あからさまに政治的、また「この地球を神と崇める」では環境問題をテーマにするなど、リアリズムとシリアスさを持った作風を確立。セリエリズム、音列主義など当時最先端のモダニズムを取り込み、極めて濃度の濃い作風を持っていたが、その土台には祖国の民族主義に連なる精神があったと言われている。ご存じの方も多いかもしれないが、フサは長命であったが2016年にアメリカで95年の生涯を閉じた。

 フサというと本邦では吹奏楽のイメージが先行してしまっているが、交響曲は2曲書いている。第1番は「プラハの春」より前、フランス時代の再末期の1953年に書かれており、「リフレクション」の副題のある第2番は大分後期になってから1983年に書かれている。このことから作風の変化が非常にはっきり感じられるようになっている点が面白い。まずは第1番から聴いてみよう。

 

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 実に堂々としてモダンな交響曲である。非常に高度な書法を用いて書かれており、この頃から厚みのある作風を確立していたことがわかる。しかし民族主義の匂いも強く、いかにも東欧の響きを感じ取れるのもまた事実である。
 しかし苛烈と言えるあのフサの音にしてはまだ軽いとも言える。特に副題はないが、なるほど若い頃からすごい才能を持っていたことがわかる。


さてでは第2番「リフレクション」は一体どんな感じだろうか。

 

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 非常に厳しくまたある種繊細な音の動き、響きの移ろいが特徴的ではっきりといわゆる現代音楽といわれるスタイルになっている。しかし慎重な構成の中に重厚な暗さが表れる彼の元々の作風には全く変化はなく、むしろ先端語法に習熟するほどにその純度が上がっている気さえする。非常に沈痛であるが、その中に美意識をはっきりと感じられる名曲だと思う。

 

 と、なんと偶然の出会いは、最近炎上に巻き込まれるなど私の身近な吹奏楽の世界にまでつながってしまった。東欧についてはまだまだ不勉強なのだが、こういったジードキーという作曲家を中心に、シンフォニズムの輪が広がっていたとは驚きである。
 そしてばったり出会ったヴァーレクの作風がいかに特異なものかも、同門、同時代人の作品を聴くとよくわかった気がする。

 よくPopsの楽しみ方で気に入ったグループのプレイヤーやプロデューサーに着目して、それらが関わる作品を連鎖的に聴き倒していくやり方をすることがある。これは当然クラシックにも応用可能であり、今回もそんな感じで偶然の出会いを、一瞬の出来事に終わらせず、しっかりと調べを進めていくことで、一つのシンフォニズムの輪を探り当てられた。
 こうやって知らないことを知ることは無上の喜びであり、こういうことが楽しめないとか面倒だと感じる人は、それこそ私には「音楽が好き」とは映らない。音楽が大好きなら、こんなに楽しい瞬間、これほどの学びは他にあるまい。こういった経験や知識を積み上げることもせず、口をとがらせて自分の狭い世界を人に押しつけ、あるいは誹謗中傷の限りを尽くしてくるなど言語道断であり、昨今の一部アマチュアはもっと音楽を知ってから出直してこいと思うことしきりである。

知のない批判は、何よりも愚かである。

最近の東方の音楽

東方Project最新作「東方獣王園」がついにリリースされました!

やったー!

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若い人「東方ってなんですか」

 

↑!?!!!?!!?!!????

 

東方Projectとは (トウホウプロジェクトとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

東方Project』とは、ZUNが運営する個人サークル「上海アリス幻樂団」制作の弾幕シューティングゲームを中心とする作品群の総称。

ニコニコ動画三大ジャンル(御三家)のひとつ。

 

東方なんて言わずと知れたビッグコンテンツだったんですが、このごろ、東方って何?と言われることがマジで増えてます。

サブカルの栄枯盛衰凄まじく、もう最近の若者はあまり東方を知らないみたいです。恐ろしい。

 

東方は1995年に始まり、凄まじい勢いで人気を広げていきました。

だいたい2010年くらいにピークを迎え、そこから次第に勢い衰えつつも、なお人気長寿コンテンツとして今日まで続いています。

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さて、東方には色々な魅力がありますが、その中でもよく言われているのが「BGM」です。

東方の音楽はとてもエモでかっこいいものが多く、「音楽から東方界隈に入った」という人も少なくありません。

そして、音楽の内容を見てみると、ほとんどの曲に似通った特徴があることが分かります。

 

【いわゆる東方曲の特徴】

「ヘキサトニック」を基本としたキャッチーなメロディ

IV-V-VImやその派生系のコード進行

・ピアノなどによる細かく激しいフレーズ

・特有の楽器編成(トランペット、ピアノ、ドラム、コーラスなど…)

 

東方原曲 花映塚 四季映姫テーマ 六十年目の東方裁判~Fate of Sixty Years - YouTubeyoutu.be

こちらは東方花映塚「六十年目の東方裁判」。

主題の1つとコード進行を見てみましょう。f:id:nu-composers:20230820173440j:image

和風だったり中国風だったりカントリーな雰囲気を作るのに有用なペンタトニックスケール

ここにさらにviiを追加したヘキサトニックスケールは、ペンタトニックの雰囲気を残しつつ、より豊かな表情を持ったメロディを作るのに向いています。

「六十年目の東方裁判」のメロディを見ると、確かにヘキサトニックスケールになっています。

ただし、一部#vが現れていますね。これは、和声的短音階の導音として変位したものですね。

このタイプの変位音は東方の音楽では頻出です。同様にコード進行についても、IV-V-VImから変位音を含ませた派生系IV-III-VImが頻繁に使われています。

 

もう1つ頻出の変位があります。それはピカルディ終止の#iです。

[http://東方原曲 妖々夢 PHANTASMボス・八雲 紫のテーマ ネクロファンタジア - YouTubeyoutu.be

こちらの「ネクロファンタジア」では、サビのコード進行がIV-V-VImの繰り返しになっているんですが、その最後だけIV-V-VIとピカルディ終止になります。

その結果、メロディも#iに変位しています。f:id:nu-composers:20230820173623j:image

 

以上の2つの変位は非常によく使われていますが、一方でこれら以外の変位音はほぼ全くと言って良いほど登場しません。(まれにドリア/属調由来の#ivも出てきます)

つまり、東方のメロディは「ヘキサトニック」+「2種類の変位」によって特徴付けられると言えます。

 

コード進行、細かいフレーズ、楽器編成についても、有名曲をいくつか聴いてみるとすぐに確かめられます。

細かいフレーズについては「発狂ピアノ」、またよく使われるトランペットの音は「ZUNペット」と呼ばれていたりします。

俗称が付いていることからも分かる通り、これらの東方曲の特徴として最初に箇条書きしたものはどれも愛好者達の間では常識として知られているものばかりで、「東方曲といえばこうだよね」という強固なセオリーになっています。

 

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さて、ここまで踏まえてようやく本題なのですが、実は最近の東方の音楽には先述の特徴に当てはまらない「新しい傾向」が見られます。

今回の記事では、それらの変化がどういったものなのか、具体例を上げながら紹介していきます。

かつて全盛期の東方界隈にどっぷり漬かってたけどもう今はあまり追ってなくて、今は原神とかブルアカとかで忙しい、そんなような人達が最も目覚ましく楽しめる内容になるかなと思います。

 

最初に、以下で扱う「最近の東方作品」を古い順に書いておきます :

 

・東方天空璋

・東方鬼形獣

・東方虹龍洞

・バレットフィリア達の闇市場

・東方獣王園(最新)

 

一番上の東方天空璋は、シリーズ第16弾、2017年にリリースされた作品です。

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タイトルに「天空」を冠し、発表当時は誰しも清涼感溢れる青空シューティングゲームになるだろうと期待したと思うんですが、蓋を開けてみるとすげー渋い内容でした。

 

[作業用BGM] 真夏の妖精の夢 [東方天空璋:1面ボス] - YouTubeyoutu.be

何とも言えない不気味なイントロで始まる1面ボス曲。

この時点で昔の東方しか知らない人は結構びっくりするんじゃないでしょうか。

私もリアルタイムで聴いた当時面喰らいました。

 

続けざまに2面道中も聴いてみましょう。本題はこちらです。

[http://[作業用BGM] 色無き風は妖怪の山に [東方天空璋:2面道中] - YouTubeyoutu.be

f:id:nu-composers:20230820173737j:image

なんと都節音階(陰音階)が使われています!

けっこうびっくりしませんか?

 

一般的にはそんなに驚くようなことじゃないんですが、今まで和風っぽさをヘキサトニック一辺倒でやってきた東方においては、かなり画期的な試みです。

そしてこれに伴い、ヘキサトニックでは避けられてきたivをここではしっかりと踏んでおり、増四の音程がメロディ内で強く印象付きます。

一部ヘキサトニックから離脱しivを使用する曲は、天空璋以前でも無くは無いんですが、数は相当少ないです。また増四の音程を意識させる使い方もあまりされていませんでした。

 

次は東方鬼形獣の曲を見てみましょう。

[作業用BGM] 石の赤子と水中の牛 [東方鬼形獣:2面ボス] - YouTubeyoutu.be

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かつての東方曲では変位音は2種類に限られましたが、こちらはブルーノート由来の変位を取り入れたより自由なメロディになっています。

 

鬼形獣屈指の名曲、4面道中「アンロケイテッドヘ
ル」のメロディも同様に自由な変位が見られます。

これにより、キャッチーながら引っ掛かりのあるメロディ作りに成功しています。

[作業用BGM] アンロケイテッドヘル [東方鬼形獣:4面道中] - YouTubeyoutu.be

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そして続く東方虹龍洞ですが、こちらはより二足飛びに攻めたアプローチが各曲からうかがえます。

まずは2面道中曲。

深緑に隠された断崖 | 東方虹龍洞 原曲 BGM - YouTubeyoutu.be

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このメロディにもivが使われています。ヘキサトニックのメロディに突然挟まるので結構違和感を醸しています。

また、拍子に対して恣意的にズラされたリズムも目を引きます。繰り返しのフレーズが小節線ガン無視で奏され、聴いていても拍感がよくわからなくなります。

 

虹龍洞の特に前半の曲は、どれもやや煮え切らないメロディが多い印象です。

かつての純度100%のエモーショナルで真っ直ぐぶん殴ってくるようなキャッチーなメロディは、音階やリズムの工夫により敢えて避けられています

そしてその結果、より「BGM的」な音楽に仕上がっています。

 

4面道中とかもそれが顕著です。

廃れゆく産業遺構 | 東方虹龍洞 原曲 BGM - YouTubeyoutu.be

お決まりのトランペットで奏されるメロディ。綺麗なんですが、やはり背景に徹している感じがあります。

一方でメロディよりも耳に残るのは、頻りに繰り返される細かいリフの方です。

 

虹龍洞ではほとんどの曲に特徴的なリフの繰り返しが使われており、メロディよりもリフが曲を支配しています。

 

そしてラスボス曲。

東方のラスボス曲は大体構造が決まっていて、大まかに2つのパートに分けられます。(全然そうじゃないのもあります)

一方は割と流し目のメロディを中心にしていて、その後雰囲気を変えてもう一方に激エモのサビがあるとか、そういう2パートの対比構造を作って1つのアニソンみたいな感じにしているものが多いです

最初に上げた「六十年目の東方裁判」もだいたいこのタイプになります。

 

さて、虹龍洞のラスボス曲はどうでしょうか。

あの賑やかな市場は今どこに ~ Immemorial Marketeers | 東方虹龍洞 原曲 BGM - YouTubeyoutu.be

大まかに2つのパートで大きく構成されており、核になるメロディもそれぞれ確認出来ます。

[パート1]
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[パート2]

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しかし、この曲においてカタルシスの中心を担っているのは、これらのメロディのどちらでも無く実はパートを繋ぐ役割にあり何度も繰り返し使われる「ファンファーレ」部分であるように思えます。f:id:nu-composers:20230820174212j:image

これです

 

すごく巧い構成になっていて、虹龍洞の中では一番完成度の高い曲だと思います。めっちゃかっこいい。

しかし一方で、この曲を思い出した時にどの部分のフレーズを思い浮かべるかは、人によってバラバラになるんじゃないかと思います。それはこの曲のアイデンティティを握る部分が分散していることに起因します。

本曲がキャッチーなメロディ一本が目立っていたかつての作風とはかなり異なるアプローチの曲であるということは、特筆すべきです。

 

 

 

さて最後に小数タイトル、バレットフィリア達の闇市場の曲も見てみましょう。

 

妖怪フックオン | バレットフィリア達の闇市場 原曲 BGM - YouTubeyoutu.be

キャッチーな曲ですが、ここにも新しい風が吹いています。
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メロディがやたら装飾音に包まれています。場所によっては短いグリッサンドみたいになっていて、ちょっとしたモードクラスターのような響きすら一瞬生じさせる効果を出しています。

 

そして、コード進行にも注目です。

前半部分、素直にIV-V-VImとすれば良さそうなところをIV-VImと繋いでいます。またベースも第二転回形のベース音を使って変わった動きをしています。

これらの工夫により、進行の強さが弱まり、音楽に浮遊感が与えられています。

こういったオーソドックスなIV-V-VIm進行を弱めたりあいまいにするアプローチは、天空璋の頃からちょっとずつ使われてきています。

 

最後に同作品の終盤テーマ曲、「100回目のブラックマーケット」もキャッチーながら新しい雰囲気を持った名曲として紹介します。

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やはりヘキサトニック縛りから自由になり、トライトーンが印象強く残るイントロのメロディ。

サビでは「妖怪フックオン」同様、特徴的な装飾が唸っています。


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まとめ

まとめます。

以前の作風と比較して、最近の東方曲はまずメロディが大きく異なってきました。

キャッチーでほぼヘキサトニックに制限されていた旋律は、より自由に、そして背景的な印象に。その結果、メロディ以外のリフが曲をより支配するようになり、「BGM的」な内容になってきています。

 

これはつまり、曲とキャッチーな主題が一対一対応していたかつての「歌謡的」な作風に比べて、最近の曲はアイデンティティを担っている部分を取り出すのが困難であり、二次創作に向いていないとも言えると思います。

実際最近の東方の曲は二次創作の数が大きく減っていて、それはコンテンツ全体が下火になっているだけが理由では無いような気がします。

 

そもそも、初期の東方曲が二次創作のゆとりを考えて戦略的に作られたとは思えませんし、今の方向性にしても、作者のZUN氏はあまり一般にウケることを第一には考えていなさそうです。

どちらかというと逆に、メロディだけミーム化されて音楽だけが一人歩きすることを嫌って、よりゲームと一体になったBGMという方向性を模索しているんじゃないか、と個人的には考えています。

実際ゲームをプレイしながらBGMを聴いてみると、主張しすぎないメロディやより多様化した表現は、かつての作風よりもゲームとの相乗効果が高いように感じます。

何にせよ、これらの作風の変化が恣意的であり、色々実験途中そうであろうことは伝わってきます。

 

そして最後に、これらの変化は東方を追ってきた人にとっては大きな変化に見えますが、客観的にはかなり微々たる変化であることも認めなければいけません。

しかし一方で、同じに見える中でもちょっとずつ新しい方向性の模索があって、そのミニマルな価値観の変化を捉えることにも一定の価値があるのではないかと思っています。

そういえば記事でなんとなく触れそびれた楽器編成の変化についても、作品を更新するごとに如実に出ているので、ぜひ気にしながら色々聴いてみてほしいです。

 

そんな感じで、今回は最近の東方曲の特徴を解説しました。いかがでしょうか。

リリースされた最新作「東方獣王園」の楽曲でも、さらにまた新しい進化が見られるのか、ぜひ皆さん自身で確かめてみて下さい。

俺がエスペラントやる話〜八ヶ岳編〜 後編

前回までのあらすじ

 

nu-composers.hateblo.jp

 

クッッッソサボってたけど、ようやくエスペラントを本格的に勉強しようと志した私。時を同じくして、八ヶ岳エスペラント集中学習」なるイベント情報が舞い込んだ。なんやかんやあって参加することになったので、ほな行ってきます。

 

八ヶ岳に行くゾ

という訳で行きます、八ヶ岳とりあえず目指すは最寄駅の甲斐小泉です。

 

意気揚々と出発しましたが、まず乗るのは連休初日のしなの号。切符の前日購入に失敗していたので、「こりゃ自由席狙いしかねぇな...」と考えていましたが...なんと!グリーン車が一席だけ空いているではありませんか!背に腹はかえられません。重課金した私は、まず2時間ほどかけて塩尻駅へ...

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塩尻駅で乗り換えて1時間、諏訪湖を横目にしつつ小淵沢駅へ向かい...

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さらに小海線に乗り換えて...

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やっと着きました!甲斐小泉駅!

この時点で到着した達成感がすごいのですが、本番はこれからです。さて、どうなることやら...

 

到着!エスペラント

近くの店で昼食にありついた私は食べ終わると早速、ドキドキする気持ちを抑えつつ、八ヶ岳エスペラント館」へと向かいました...


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つ、ついに着いた...

 

しかし入っていいものか...外で若干ウロウロしていると、ほかの受講者らしき人が中に入って行きました。これは俺も覚悟を決めて入るしかねぇ...!

 

...と、中に入るなり、名前を確認され、寝室へ案内されて、ベッドメイキングをさせられました。そう、ここでは、自分のベッドは自分でベッドメイキングしなければいけないのです。なんとなく、中学・高校の合宿の感じを思い出すのでした。

 

なお、ベッドメイキングには電気毛布を敷くように言われました。ここ八ヶ岳は山というだけあって夜は寒く、5月といえど油断はできません。自分も、3月〜4月初旬くらいの装備を持ってきていました。

 

ベッドメイキングが済んで、居間へ戻ると、ここからは各自勉強に取り組んでください、と言われ、ヌルッと合宿が始まりました。とりあえず手始めに、私は単語帳作りをすることにしました。単語帳(ペラペラめくるやつ)作りには1時間ほどかかるので、作り終えた頃にはちょうど三時のティータイムです。

 

で、三時のティータイム。この合宿に参加するほぼ全員が居間に集いました。8人程度しかいませんが、年齢層は20代くらいから80代くらいとめちゃくちゃ広いです。

 

んで、全員が集まったところで自己紹介が始まりましたが、ここで一つの問題が発覚しました。

 

「自己紹介ができない」

 

自己紹介はエスペラント学力検定4級でも求められる重要スキルなのですが、私、何も対策をしておりません。しかし、皆さんは、大体の人が割とちゃんとエスペラントで自己紹介していきますし、中には完全にペラッペラ話せる方までいます。いよいよ自分の番が回ってきました。これはやるしかねぇ...

Mia nomo estas "gyoxi".(私の名前は“ぎょくし”です。)
...よろしくお願いします...

※"gyoxi"の部分は実際は本名

 

他に自分のことについて(日本語で)色々尋ねられましたが、自己紹介はマジでこの程度しか話せませんでした... もっと勉強しねぇとな...

 

ティータイムの後はまた各自勉強に戻りました。自分は持ってきたテキストを進めました。確か、丁度前置詞の章を進めました。だがしかし、この章本当に長い!英語よろしく、エスペラントもまた大量の前置詞が存在しているのでちょっとテキストを進めるだけでも大変な労力を費やします。近くに主催の藤巻先生がいらっしゃったので

 

「いや〜前置詞の章が大変です...w」

 

と話してみると

 

「そりゃあ大変ですよ、前置詞のことだけで本一冊書けるくらいですから」

 

と教えていただけました。どうりで大変な訳ですわ...こんなちょっとした質問ができるのも、合宿の良さの一つですね。

 

その日は疲れからか、肩こりがあまりにも酷かったので、合宿メンバー内でただ一人、風呂に湯を張って入浴したのでした... 明日の為に俺は眠るぞ!

エスペラント館の周りには

2日目も1日目と同じように自分でテキストを進めました...が、お昼を過ぎるとそれにも疲れてきたので、ちょっとだけ勉強をサボって、外に散歩に行くことにしました。外では鳥たちが囀っており、何処からか何かの植物の綿毛がふわふわと漂ってきている、そんなのどかさです。めちゃくちゃ雰囲気良いな、おい。

 

そしてまたここ八ヶ岳は、やはり山というだけあって景色も良いのです。その証拠に...
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このように天気が良いと富士山がめちゃくちゃ綺麗に見えるのです。こりゃ最高ですね。

 

また、この近くには「三分一湧水」という名所もあるそうなので行ってみることにしました。

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つきました。これは、昔々、湧水を三つの地域に平等に届けるために作ったものだそうです。何度か土砂崩れで破壊されたはものの、その度に復元されて現在の形となっているようです。

近くには公園もあり、多くの人達がそこを訪れ、子どもたちが元気に走り回っていました。

GW感を満喫したところでそろそろエスペラント館に戻ります...

自己紹介ができるようになりたい!

散歩から戻ってきたところで、問題が山積みであることに気付きました。そう、まだロクに自己紹介すらできないのです。このままでは合宿に来た意味がありません。

 

と、困ったところで、とりあえず先生に相談すると、「では対策をやりましょう」と言っていただくことができました。

 

〜10分後〜

 

簡単な自己紹介ができました。なんだかすげぇ達成感です!やった!(これを試験までに覚えなければいけないことを忘れてはいけませんが)

 

では早速言ってみましょう。

 

Mia nomo estas gyoxi.

(私の名前はぎょくしです。)

Mi havas 26 jarojn.

(私は26歳です。)

Mi estas la inĝeniero de aŭto-kompanio.

(私は自動車会社のエンジニアです。)

※一部嘘の情報を含む。

 

おお!それっぽい!たったの3文だけですが、自己紹介が出来なかったあの頃と比べると大違いです!やったぜ!

 

この後も面接時に訊かれそうな質問の対策をしていただくことができました...参考図書まで探して持ってきていただけました...本当に...ありがとうございます...(頑張って覚えます...)

使う人がいてこそ、言語がある

夕食のあと、軽くお酒を飲みながら雑談をしていると、先生がこのようなことをおっしゃっていました。

 

例えば「ら抜き言葉」というのが有名な誤用に挙げられます。

「食べられる」が、ら抜き言葉だと「食べれる」に。

しかし、「食べられる」という言い方は尊敬の「〜られる」と混同されるかもしれません。

その点、「食べれる」という言い方は“可能”の意味のみをよく表していると言えます。

このように「言葉の誤用」というのは進化の一つと考えることもできるのです。

 

なるほど...今まで言葉なんて何気なく使っていましたが、こう言われて、言葉の奥深さというものに気づくことができたような気がします。

 

そしてまた、このようなこともおっしゃっていました。

 

言語というのは、簡単に作ることができます。

例えば、今ある言語に何かしら新たな文法規則を追加すれば、それはもう新しい言語です。

しかし、実際に使われなければ意味がありません。

皆に広く使われてこそ、『言語』であると言えるのです。

 

確かに、架空言語人工言語なるものはそこそこ多く存在していますが、実際に使用されているものとなると数はかなり限られてきます。そう考えると「皆に広く使われてこそ」という言葉がますます重く感じられました。また、「自分もちゃんとエスペラントを使えるようになりたいな」とぼんやり考えたのでした...

 

2日目はこんな感じであとは寝ました...

アムリラートコーナーは存在した!

3日目、残り少ない時間をどう過ごそうかと考えていると、他の受講生の方に「二階にことのはアムリラートのコーナーがあるよ」と教えていただきました。そういや二階は全くノータッチだったので、それは是非行かなければ。

 

というか館内の説明をしていませんでしたので、ここで説明します。私が3日間勉強していたのは、「メイン棟」で、寝泊まりしていたのは「宿泊棟」になります。「メイン棟」と「宿泊棟」は分かれていて、メイン棟から宿泊棟へ行くには一度外へ出るような構造になっています。メイン棟の今から階段を数段下がると、そこは図書室になっており、エスペラント関係の書籍がそれはもうズラッと並んでいるのです。

 

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で、その図書室には二階へ続く螺旋階段がありまして、その階段の先に小さくはありますが、ことのはアムリラートコーナーがあるわけです。

 

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おお...これはまさしくアムリラートコーナー...!私も持っている「百合でおぼえるエスペラントの他に、公式ガイドブック過去のイベントで使われたらしきカードのようなもの(???)も置いてあったりして、これは眼福、眼福... ちょうどこの頃、新作の発売をかけたクラウドファンディングが開催されており、なんとか成功して欲しいもんだな...と強く願ったものです... なおクラウドファンディングの結果は大成功で、そのうち新作の「ことのはレルナード」が、出ます!!!!買えよ!!!!!!!!!!!

 

そして合宿の終わり...

そんなこんなで楽しかった合宿ももうおしまい、昼食を食べ、最後はみんなで協力して掃除をし、解散となりました。こんなにガッツリ勉強できる機会なんてなかったので、すごい満足感と充実感です。機会があったらまた来たいな、八ヶ岳...

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おわりに

と、いうわけでこれが八ヶ岳エスペラント集中学習」の一部始終となります。ちょっとだけでも合宿のイメージを掴んでいただけたら、幸いです。そしてもし、興味があるなら次回開催の機会を待って是非参加してみてください。きっとあなたの想像を超える体験が待ち受けていますよ!

 

ではまた!