名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

Easy Listnerのためのアニメサントラ選 ~GA編~

【前回】

nu-composers.hateblo.jp

 

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いつもよりちょっと早く桜が咲き始めたこの季節、皆さんいかがお過ごしでしょうか。どうもgyoxiです。今回紹介するのはこちらのサウンドトラック。

 

GA 芸術科アートデザインクラス

より

GA 芸術科アートデザインクラス music palette

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GAについて

GAはCOMICぎゅっと!およびまんがタイムきららキャラットで連載されていた、きゆづきさとこによる4コマ漫画だ。

 

漫画家としての商業デビュー作は、『ファンタジアバトルロイヤル』(富士見書房)2004年春号から連載された「パノのみに冒険」[2][3]。イラストレーターとしての活動はそれ以前からあり[3]、以前はプレイバイメールゲームの会社でイラストの仕事をしていたという[4]。

COMICぎゅっと!』(平和出版)創刊号から連載された「GA 芸術科アートデザインクラス」は、その後同誌の休刊に伴い掲載誌を『まんがタイムきららキャラット』(芳文社)に移しながらも連載を継続、2009年7月にはテレビアニメ化された[5]

きゆづきさとこ - Wikipedia

 

そしてこのアニメ作品の監督は桜井弘明監督が行っている。

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大学に5年半在籍し、バンド活動に明け暮れ、ベーシストオーディションなどを受け続ける日々を過ごす。ある時、ふとしたキッカケでアニメーションに興味を持ち、卒業後は代々木アニメーション学院を経て、25歳で演出助手を募集していたスタジオワールドに入社。演出助手として最初に携わった作品は『超時空騎団サザンクロス』。テロップに最初に名が出たのは『よろしくメカドック』。よろしくメカドックを担当していた頃の先輩が小島正幸と馬場健だった。1988年春にスタジオワールドが解散し、馬場健が設立したフィルムマジックへと移籍し、そこを拠点とした。しかし、同社は『赤ずきんチャチャ』のグロス請けが原因で倒産[2]。その後はフリーに転じる。

「キャストの力で大いに助けられた」桜井弘明監督がシリーズへの思いを語る<斉木楠雄のΨ難 Ψ始動編> | WEBザテレビジョン

桜井弘明 - Wikipedia

 

ジャンルは“賑やかな感じの”ほのぼの日常アニメといった感じだろうか。毎話ほのぼのはしているのだが、課題の絵を仕上げたり、美術館へ行ったり、闇鍋をやったりと、いつでもワクワクするイベントや出来事がそこにはあり、視聴者を飽きさせることがないのはきらら作品ならではといった感じだ。私も1話を初めて観た時は心地良すぎてなんだか頭をボーーーっとさせながら観ていましたが、それ以降はキャラクターのやり取りに時々笑いながら楽しませていただきました。あと、所々に美術の知識が出てくるのもなかなかにおもしろいです。最近お疲れの方には是非是非オススメな作品です。

 

GAのサウンドトラックについて

さてそんなGAのサウンドトラックを作っているのは安部純武藤星児の2人組だ。

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1991年、ワーナーミュージック・ジャパンよりシングル『胸いっぱいの風』にて歌手デビュー。
歌手活動を中断後、主に作詞家、作曲家として活動を行う。渡辺美里、NEWS、椎名へきる中川亜紀子SMAPTOKIO等に楽曲を提供する。

安部純 (@junabe33) / Twitter

安部純 - Wikipedia

 

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日本における編曲家として多くの人気曲を編曲。代表曲に、木村カエラのシングル曲「Level 42」、「happiness!!!」、南野陽子がスマッシュヒットを飛ばした「吐息でネット」の2005年のセルフカバー版、坂本真綾のシングル「雨が降る」のカップリング曲「プラリネ」、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」がある[1]。2000年代に入り、秋元康プロデュースのアーティストの楽曲製作に携わることが増加している。一息坂スタジオというプライベートスタジオを運営している。

℃-want you!アルバムリリース記念 ℃-want you!&武藤星児&本秀康 スペシャル鼎談 | Record People Magazine

武藤星児 - Wikipedia

 

Wikipedeia情報によると主に作曲を安部純さん編曲を武藤星児さんが担当しているそうだ。そんな2人の作るGAの音楽だが、明るく、楽しくはもちろんのこと、実にオシャレに仕上がっており、アニメ初見時はそれはもう大いに驚かされました。

 

それでは早速、明るく楽しいGAの音楽を聴いてみましょう。

 

GA~art design class

タイトルからしてこのアニメのメインテーマと言って良いだろう。ピコピコとしたキャッチーなフレーズから始まり、この先どうなるかな?と聴いていると、シンセがメロディを奏で始め、そこにギターやフルートが加わってきて、非常に賑やかで、かつお洒落な雰囲気に仕上がっている。キャラクターたちのワイワイと、そしてほのぼのとした空気感を良く表す一曲だ。

 

ノダミキ(Sunflower)

個人的神曲を選ぶならこの曲だ。ノダミキというのは登場人物の一人の名前で、Sun flowerという副題の通り、明るく、元気で、ちょっと子供っぽさもある感じの性格をしている。そんなノダミキのテーマ曲がこの曲だ。元気いっぱいなノダミキの性格を見事に表現している。因みにベースの奏でる音が非常にカッコイイのでそこに注目して聴くのも良いかもしれない。

 

Lemonade Serenade

アニメ中になんとなく落ち着いた雰囲気を醸し出すのはこの曲だ。ピアノとギターとフルートの音色、そしてベースの奏でる低音がとても心地よい一曲になっている。「レモネード」とタイトルについているように、爽やかでどことなく切なさもあるメロディがちょっぴり心に沁みる

 

Here We Go

"Here We Go"のタイトルの字の如く、「次回へ続く!」感のあるのがこの曲だ。2分に満たないコンパクトな曲だが、オシャレで格好良く、そして聴いている私たちもどこか明日への活力を貰えるような、そんな曲だ。

 

おわりに

今回はGA 芸術科アートデザインクラスのサントラを特集した。紹介した曲以外にもなかなかに面白い曲が揃っていると思う(&音質も良い気がする)ので、是非一度ざっと聴いてみてはいかがだろうか。

ではまた!

キメラみたいな音楽 Jack Stauber's Micropop

こんばんは。永遠の副会長こと、榊原です。

今後は新会長の片足を切断し、副会長として物理的に支えていけたらいいなと思っています。嘘です。

 

今日はJack Stauber's Micropopを紹介します。


www.youtube.com

 

アメリカの映像作家Jack Stauberによるソロプロジェクトです。映像が特に顕著ですが、80-90‘s懐古趣味的な音楽・MVなのが特徴です。

 

曲調としてはサイケポップと呼ばれるものになるんでしょうか。音作りはイギリスっぽい陰鬱さを感じなくもないんですが、全体に通底するこの底抜けに明るい感じはアメリカンフォークロックっぽいです。その上にマジで意味のわからない詩が乗るのでかなり奇妙な世界観になります

なお、個人的に特に気になるのはめちゃくちゃテクノポップっぽいことです。White Magic Orchestra (WMO)がいたらこんな感じになっていたかもしれないと私は思うが、皆さんはどう思うか。

 

と、ここまで懐古趣味的であるという説明をしましたが、同時に現代的でもあると思います。以下に理由を幾つか列挙します。

 

理由① 曲が異常に短い

Micropopとあるように、YouTubeに上げている曲は1分を超えることがまずなく、異常に短いです。TikTokとかに載せる前提の編集をしていると思われます

(Jack Stauberは実際にTikTokでも活動している)。時代ですね。ただし、spotifyなど配信サービスでは4分くらいの長尺版をリリースしており、媒体によって柔軟に曲を作り替えているようです。

 

理由②曲の展開が早い

めちゃくちゃ短い曲を配信する前提で作られているので、展開が盛り込まれまくっています。アニソンと成立過程が同じすぎる。

 

理由③サビが異常にキャッチー

サイケかあ〜と思って聴いていたら、サビがめちゃくちゃキャッチーで驚きました。どの曲にもほぼ必ずキャッチーなサビが現れます。短い曲のインパクトを高めるためにはキャッチーなサビが必要ということでしょうか。

 

......とここまで書いて思ったのですが、音はアメリカっぽいのに作りがめちゃくちゃJpopっぽくないですか? 少なくともアメリカンメインストリームっぽくはないと思います。インターネットサブカルチャーが融合を繰り返した結果生まれたキメラ、みたいな感じかもしれません。おわり。

 


www.youtube.com

我が国の作曲家シリーズ 番外編5 成田為三の楽曲発見!

シリーズ我が国の作曲家

 新型コロナが低調になる中、梅毒、サル痘に続き、マールブルク病、鳥インフルエンザの人への感染といったように、令和という時代は本当に感染症の時代となってしまいました。恐ろしいやら、以前の生活が懐かしいやら思いは複雑ですが、私も今年はコロナ禍で止まっていた種々の事柄を動かしだすときときめて気合を入れています。
 そして私は数年前より「日本近代音楽を中心とした再発見、再評価、文化伝達」を柱とした研究をスタートさせ、このブログでもその成果を書いてきました。今回は以前に特集したことのある、成田為三について新たな発見がありましたのでその報告に紙面を割きたいと考えています。
 ひとまず本題に入る前に成田為三について過去記事を貼りますので、経歴など基礎的な背景の参考にしてください。

 

成田為三について書いた以前の記事はこちら

 

nu-composers.hateblo.jp

 

成田為三

 ということで、成田為三について理解していただいたと思うので話を本題に進めます。

 今回、前回にも紹介した成田為三の残存したピアノ曲をすべて取り上げたはずの白石光隆さんのCDに、収録漏れがあり、未収載の楽曲があること。またそれらの楽譜が閲覧できるものであることが判明しました。

www.amazon.co.jp

 と、仰々しく書いては見ましたが、同じ発見をしている方は案外多いことも付け加えねばなりません。現にいつも貴重な情報をくださるErakko E. Rastas様も同様の発見Twitterでなさっていますし、気がついている方は存外いらっしゃるはずです。

何故か。

 答えは簡単で、国立国会図書館デジタルライブラリーの個人利用における会報資料の充実と、検索方法にAIを導入し画像から文字を抽出して検索結果に反映させるというアップデートが施され、かなりの範囲拡張がなされたということが背景にあるからです。そしてそこで「成田為三」とタイプしたときに、ちょっとした目の錯覚を掻い潜ればこれらの資料にアクセスできるようになったのです。

 ここで多くの人は以前のCDの収録作品研究のときに、なぜそれらが見つからなかったのかという疑問に立ち当たると思います。

 

 しかしこれにも明瞭な答えがあるのです。

 

1.すでに発見されている曲と同名タイトルだった
2.掲載されたのが音楽誌や販売楽譜ではなく、大衆誌であったこと

この2点から先行研究からこぼれ落ちてしまったのだろうことが想像されるのです。


 大衆紙とはどういうことでしょうか。
 それは1922年に「プラトン社」から創刊された雑誌「女性」という物がありました。これは大変に文化的な雑誌で、小節やエッセイ、詩歌から音楽に至るまで一冊に収載され、阪神間モダニズムの勃興に寄与したというものでした。

女性

 この雑誌はその廃刊の1928年までに48巻刊行され、また復興合本が1991年から1993年にかけ6巻出されたとのことです。

 この中の音楽の項は当初山田耕筰が担当していましたが、その後を受けて成田為三が担当し基本的には童謡・唱歌・歌曲を寄稿していました。ところがその中にガチガチの難解な器楽曲が少なくとも3曲含まれていたのです。

 

1.RONDO h-moll(1925)
2.FUGE C-Dur(1926)
3.KANON für Violin und Piano(1925)

がその全容です。

 

 また成田為三が著作者となったワルツ集なる楽譜集が上下巻発刊されていたことも同時にわかっています。ここにはかなりの数の簡単なワルツが収載されており、これも前述の研究からは抜け落ちているようです。

 これらの資料はすべて国会図書館デジタルコレクションの個人送信もしくは図書館送信で閲覧ができます。(※個人送信は要登録)

dl.ndl.go.jp

 

 ところが前掲の「KANON für Violin und Piano」は収蔵資料にカケがあり全体が揃っておりませんでしたので、私個人で当該巻号の資料を古書として買い求め、全ページ揃った楽譜を確保いたしました。

KANON für Violin und Piano

 こういった事情を鑑みるに、まだまだこれからの知財関係の規制緩和などを踏まえて、残存楽曲が見つかるおそれは高く、前述のCDは第2巻を発表するべき時が来ているのかもしれません。


 こうして発見に至った「RONDO h-moll」と「FUGE C-Dur」については私の運営する、研究発表チャンネルでもあるRMCから再現音源を発表させていただきましたので、お聴きいただけたら幸いです。

 

RONDO h-moll

www.youtube.com

FUGE C-Dur

www.youtube.com

 

 

 ワルツ集は資料の精査が必要なためまだ音源化はしていません。
 Kanonについてはヴァイオリンという楽器の性質を考え生演奏のほうが好ましいのではないかと思案している段階です。しかしいずれも当チャンネルで取り上げていこうとは考えておりますので、引き続きお聴きいただければ幸いです。

 ということで今回は少し短いのですが、成田為三の未発見作品の発見の途中報告とさせていただきたいと思います。

会長として過ごした6年の総括

どうも、会長のトイドラ・もとい冨田悠暉です。

実はこの度、2017年の当会発足から丸6年間つとめてきた会長の座を降りる運びとなりました。

2023年4月以降、2代目会長のなんすいに名作会を託し、僕は一般会員として活動に参加することになります。

週に1本ずつ上げているこの名作会ブログも、僕の担当は今回が最後となる予定です。

最後のブログでは、会長を継承することになった経緯と、この6年間の名作会について総まとめ的に書き綴っていこうと思います。

 

【目次】

 

会長降板の理由

まず、僕こと冨田が会長職を降りる理由について。

端的にひとこと、「本格的に音楽を仕事にしていくため」です。

 

もともと自分は、音楽で食べていくという野望を持ってこの6年を過ごしてきました。

その過程で「名古屋作曲の会」を発足し、コンサートを行う・CDを作って売るなどの興行をしてきました。

クラウドファンディングで利益を上げたこともあったし、コロナ禍では県の助成金を取ってオンライン・コンサートを実施するに至り、1人の大学生がいきなり発足した団体にしてはずいぶん規模が広がったな、と思っています。

 

一方で、名作会の運営とは別に、僕は個人的な音楽活動にも力を入れています。

名作会の特別顧問・榊山先生の門下生として作曲の勉強をしつつ、その成果を「冨田悠暉」名義や「逆さまのイドラ。」名義で発表し、あらゆるジャンルの音楽を作り続けてきました。

作曲技術を磨くため、最近ではYouTubeの「音楽ガチ分析チャンネル」で楽曲分析にも取り組んでいます。

そうした地道な活動が最近になって実り始め、ぼちぼちと作曲のご依頼をいただくようになりました。

 

そうはいっても、まだ音楽で食えているとは到底言えないレベルです。

ここからさらに自分の活動を広げるために、名作会の運営よりも自分のソロ活動を優先したいという気持ちが強まりました。

 

もう1つの理由として、「次世代にこの経験を継承したい」という思いもあります。

自分の手でこの会を発足してから、実にいろいろなことがありました。

思えば、当たり前のようにホールを借りて曲を書いて企画書を作って……とやれているのが信じられないくらいです。

当然はじめから全部できたわけではなく、山ほどの失敗があったし、その先にたくさんの学びや成長もありました。

短い人生、経験しないと得られないものは無数にあります。

この経験を僕が独り占めする理由はもはやない、と判断しました。

 

なんすい会長抜擢の理由

ただ、2代目会長を誰にするか?ということで非常に悩みました。

順当に言えば、5年間副会長をつとめている榊原氏を会長にすべきだったと思います。

しかし僕が会長に抜擢したのはなんすい会員、会の中でも年少の一般会員です。

挑戦的な人選ではありますが、なんすい新会長の抜擢にはもちろん理由があります。

 

まず、彼の作る楽曲が非常に優れているという点です。

作曲企画にこれまで精力的に参加してきた彼ですが、会の中でもとりわけよく構想を練る方で、比較的規模の大きい重厚な楽曲をよく制作しました。

名作会には演奏会員・作曲初心者などの会員もいますが、やはり「作曲の会」である以上、会長には作曲技術に長ける者が就任すべきと考えました。

 

次に、その人間性が非常に独特でアーティスティックである点です。

分かりやすい例を挙げると、直近のオンライン・コンサートで彼はなぜかメイド服を着用して会場に現れました。

当日までこんな奇行に出ると聞かされていなかったので、会長の立場としては心底イラっとしましたが、彼のこうしたユニークさは表面的なものではありません。

彼の楽曲や言葉からは、通底した繊細な孤独と萌芽を待つ狂気的な質量が感じられます。

同時に、こうしたニヒルな感性は実に "現代の若者" 的でもあります。

チャレンジングではありますが、こうした極度に新しい価値観を積極的に取り込んでいくのは、在野芸術集団の使命と感じています。

また、副会長を続投する榊原氏の安定した存在感があれば、会がむやみにかき乱されることはないと信じています。

 

長かった6年間

さて、肩の荷が下りた気分です。

この6年、本当に短いようで長かった。

大学で吹奏楽部の意識の低さに絶望し、茫然とキャンパスを彷徨った18歳の夏を起点に、この旅は始まりました。

本当に少しずつ積み重ねてきた成果ではありますが、名作会が今後2代目の手に渡っても失われず続いてほしいことがいくつもあります。

今後も続けてほしいこと

まず、自由な芸術表現を忌憚なく行える団体であること。

名作会は、一般的な演奏団体と比べて演奏する音楽が非常に独特です。

会員たちが作る音楽は極度に個性的で、個人的で、時として音楽の枠組みすら飛び越えていきます。

現代の日本において、こうした試みを在野が行うことは非常に有意義であり、使命的です。

音大をはじめとするアカデミックな土俵が大衆化に飲まれつつある今、本当の意味で先進的な芸術、「破壊と創造」を旨とする本質的なアートに従事できるのは、我々のような在野芸術団体に他なりません。

 

次に、本気で音楽をやれる団体であること。

大学生や社会人のサークルをはじめとする音楽団体は、往々にして本気で取り組めるほど強固な土台を持っていません。

そういう緩い居場所があることも、決して悪いことではないと思います。

その一方、僕や会員たちのように並々ならぬ熱量を持って音楽をやっている人間は、緩い居場所に収まることができず排除される運命にあります。

名作会がそういう誰かの受け皿として機能することを切に望みます。

また、妥協や惰性など唾棄するほどのエネルギーを持って何かに取り組む経験は、人生において大きな意味を持つと信じています。

 

そして最後に、この会を存続させること。

当然のようでこれが一番難しいかもしれません。

僕の築いた6年間の結晶が、今後も世界に何らかの作用を及ぼし続けていくことを望みます。

 

今後は改善すべきこと

逆に、僕の治世では実現できなかった反省点もあります。

まず、業務・責任を分担すること。

この6年間、悪く言えばずっと僕のワンオペ状態が続いていました。

他の人に責任を負わせることが苦手で、ずっと克服できずにいました。

しかし、みんなで責任を分担し手分けして運営する方が、会員たちの当事者意識も向上するし、企画が無理なく進むはずです。

ぜひうまくやってほしいと思います。

 

次に、アクティブな会員を増やすこと。

コンスタントに作曲企画に参加してくれるような作曲会員、精力的に演奏に取り組んでくれるような演奏会員がもっといれば面白いでしょう。

特に最近の企画で、作曲者が固定化してしまっているのが少し気がかりです。

新しい風をどんどん吹かせられたらいいですね。

 

さいごに

偉そうにいろいろ書きましたが、結局ここまでやってこられたのは全て仲間たちや師の協力があったおかげです。

ただ反抗心に満ちていて叫ぶばかりだった自分が、6年経って一応大人の形になってきた気がします。

この会の会長として積んだ経験は、そのすべてを今後の人生に生かすものとします。

ここまで応援してくださったすべての方に深く感謝の意を表しつつ、次期会長であるなんすいに持てる期待の限りをかけ、今後も名作会の一員として活動していく所存です。

今まで本当にありがとうございました。

自己流Hakkenの踊り方

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みなさんこんにちは。gyoxiです。

今回は、以前クラブダンス大百科で紹介した"Hakken"という踊りについてです。ちょっとオサライすると、こんな感じのダンスですね。

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主にBPM180以上のgabbaやHardcoreTechnoに合わせて踊られており、BPM200越えのハイスピードで踊っている人も少なくない。因みに私はこのダンスが一番好き&得意です。

クラブダンス大百科 - 名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

 

この踊り、コツを掴めば結構簡単に踊れますし、マスターすればBPM200以上の曲だって踊れちゃう素敵なダンスなのですが、踊れる人はまだまだ少ないように思います。そこで今回は自己流のHakkenの踊り方を皆さんに伝授しちゃいたいと思います。

 

 

まずは普通に足踏みから

まずは普通に足踏みしてみましょう。こんな風に。

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できましたね?はい、これでもうHakkenは踊れたも同然です。というのはGabbaに合わせて足踏みさえできていればそれはもうhakkenだからです(極論)。しかし「これじゃまだhakkenとは言えないだろ!」「これだけじゃなんか物足りない!」という熱心な人も多いと思いますので、ここからはhakkenをよりカッコ良く見せるエッセンスを紹介してゆこうと思います...

 

“脱力足踏み”をマスターする

まず皆さんにマスターしていただきたいのは「全身の脱力」です。この「脱力」はとても重要なのです。というのは、脱力をしているからこそ、hakkenはいつまでも踊り続けることができるからです。ではやってみましょう。
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足は自力で振り下ろそうとせず、重力に任せて踵からストン!と落とす感じです。踵を地面に落として地面を「タン!」と鳴らす(←あくまでイメージ)、という方が伝わりやすいでしょうか。

また全身を脱力しているお陰で、地面に踵を落とした時の振動が伝わり、肩、および腕が「ガクン!」と動いているのがお分かりいただけると思います。この動きは後々非常〜〜〜〜〜に重要になってきますので、この感覚をどうかお忘れなく...!

 

足パタパタ運動

では次です。次は爪先を地面につけたまま、足をパタパタさせてみましょう

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この時に忘れてはならないのがさっきの脱力!踵を地面に落とす時は、必ず脱力をしてください。

なんとなくですがちょっとhakkenに近づいてきましたね...!?ですが動画を見ての通り、hakkenは足を前に出す踊りです。このままではまだhakkenとは言えませんね。では、次項ではその「足を前に出す動き」をやってみようではありませんか。

 

足を前に出す〜二通りの方法〜

ここは少し伝えるのが難しいので、2通りの方法で紹介させていただきます。

その① 爪先で地面を軽く蹴る

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先程の足パタパタ運動の続きと考えてください。足の裏を地面から離す時に、軽〜〜〜〜く爪先の方で地面を蹴ってみましょう。するとフワッと爪先が地面から離れてゆきますね。これがhakkenの足を前に出す動きの一つ目のポイントです。

 

その② 爪先を“地面に残して”足を上げる

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その②は爪先を最後まで地面に残して足を上げてゆく感じと言いましょうか。脱力した状態で、爪先を地面についたまま足を上げてゆき、ついに爪先が地面を離れると、足は勝手に前の方にブランと動いてゆきます。これが二つ目のポイントです。

 

hakkenの足の動きはこの2つを掛け合わせた感じ、と申しましょうか。もし、片方が難しいと感じたらもう片方だけでチャレンジしてみるのもアリかも知れません。片方だけ練習しても、hakkenの動きはできると思います(たぶん)。

 

 

これまでの動きを全部ミックスしてみる

ではこれまでやった全ての動きをミックスしてみましょう。こんな感じに...!

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はい、もう完全にhakkenの動きが出来ましたね!おめでとうございます!!!が、なんとなくまだ何かが足りない気がしませんか...?そう、上半身の動きが足りていません。

 

上半身に動きをつける

では上半身に動きを加えてみましょう。上半身の動きはは脱力足踏みの時の「肩がガクン!となる感じ」を利用します。「ガクン!」に合わせて両手を前に出してみましょう。すると...
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上半身に動きが加わり、hakkenがより格好良くなりました。やったね。

 

プラスアルファの動き

ここまでマスターできたなら後は好きな動画を見て「カッコいいな!」と思う動きを吸収してゆきましょう。

例えば足を完全に上げずに途中でクンッと止めてみたり...
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手で足をタッチしてみたり...

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ここまでできればもうあなたはhakkenマスターです!

 

おわりに

今回はHakkenの踊り方について解説しました。皆さん踊れるようになったでしょうか?もし少しでも踊れるようになった人は、クラブイベントへ行ってそこで踊ってみてください。きっと今まで以上に楽しむことができると思いますよ...!また、是非Hakkenを周りの人に布教してみてください。Hakken人口が増えれば、Gabba・Hardcore人口も増えるはずです...!

 

Gabba・Hardcoreがもっとみんなに広まりますように...

ではまた!

なんでもQとかいう番組がかつてありました

むしむしパワーでばぴっちょばぴばぺ

 

あるいは

 

ここなんとすなんきょっきょ

 

あるいは

 

ぽっちゅわりわりぱんげらびぃ~

 

あるいは

 

ぷりゅちゅびよ〜んとうりゅたりほ〜

 

という奇声(CV 三石琴乃)と共に始まる番組がかつて存在していました。なんでもQです。

www2.nhk.or.jp

今日はこの教育番組の音楽について見ていきます。

 

この番組は扱う動物によってコロコロ名前が変わってややこしいのですが、その中でも最終シリーズむしまるQゴールドのテーマ曲「すてきなきみ」は、当時4,5歳の私から見ても大変お気に入りでした。


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子供向け番組だからといって露骨に子供向けにしないのが好感持てますね。この曲は堀井勝美という作曲家によるものです。同じNHKだとしぜんとあそぼのOPが有名です。


www.youtube.com

なお堀井氏は作曲以外にもミュージシャンとして活動していまして、具体的には堀井勝美プロジェクトというフュージョンバンドを組んでいます。


www.youtube.com

カッコよかですね。

 

さて、番組の話に戻ります。

テーマ音楽のそれとは別に、歌のコーナーもありました。

動物の生態や特徴を歌詞に盛り込むことで、歌って楽しいだけでなく教育にもなるという実にNHKらしい歌です。(基本は。)

こちらの初期のメインライターがつのごうじです。彼は父の津野陽二も作曲家という音楽一家の生まれで、娘が実は赤い公園の故・津野米咲だったりします。

個人的に気に入っている曲がこれ。


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毛虫の三角関係の話。毛虫は幼虫なので三角関係になりようがありません。本当に教育番組なのでしょうか?

 

なんでもQは関係ありませんが、NHK繋がりで言うとこれ↓も、つのごうじ作曲です。


www.youtube.com

 

歌のコーナーは後年になるにつれて洋楽パロディが多くなってきます。

(動画、なし......)

後期のメインライターである堀井勝美、西原俊次、大森俊之の仕業です。

堀井勝美は先ほど紹介したので割愛するとして、残り二人の紹介をします。

西原俊次はオメガトライブの元キーボーディストです。バンド活動をメインに活動しているため番組への楽曲提供はあまりしていない様子。


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オメガトライブは1980年台に活動したバンド(?)です。なぜ(?)かというと、バンドというよりはプロデューサー主導のプロジェクトのようで、あんまりバンドっぽくないから。

現在はvaperwaveなどに端を発するシティポップ・リバイバル・ブームの波に乗り、再評価が進んでいる模様。ちなみにオメガトライブの前身バンドには西原俊次の前任者としてまさかまさかの千住明が所属しており、もしそのまま所属し続けていたらどうなったのか大変気になるところです。

 

大森俊之はCMや映画ドラマのサウンドトラックを手掛けることが多く、「残酷な天使のテーゼ」編曲および「魂のルフラン」の作曲が最も有名です。


www.youtube.com

かつては「そうだ、京都行こう。」の例の曲の編曲もしていたとか。NHKではいないいないばあなど他の教育番組への提供も多く、知らないうちに刷り込まれている人も多いでしょう。

 

 

という感じです。NHKの番組は音楽に結構こだわりがある(というか、他の局の番組が音楽に対してあまりに無頓着すぎる)ものが多く、昔見た番組を改めて調べると意外な発見があったりして面白いです。ではでは。

 

 

 

 

 

 

ロマン好きへの手紙 -ラトビアの天才三兄弟

ラトビア

 日頃現代音楽の普及と理解に筆を走らせて少しでも力になろうとしていますが、たまにはロマンティックな作品を聴きたいという声にも応えなければと思うこともあります。しかし研究の進んだジャンルを私が取り上げることにはあまり意義がないとも感じるので、あえてあまり知られていないロマンを追い求めて、そういった作品の再評価や知名度控除に貢献できればと思う次第です。
 昨今は何でも「自分が知らないものは誤りだ」と言わんがばかりに、無駄に強気にアホくさい価値観を押し付けられる世の中ですが、本当に必要なのは柔軟な受けと真摯な態度で行う研究であると強く思いを新たにして原稿に向かいます。

 

今回はラトビアの天才的三兄弟を紹介してみようと思います。

 旧ソ連を構成していた各国の音楽史にはある共通性があります。それは国民楽派運動の伝搬と受容が西洋音楽の受容の歴史の初期に必ずあるということです。どの国もそれ以前の支配国の影響や自国独自の西洋音楽の受容が最初期にあり、これらは大体において宗教音楽と関係が深く、教会のオルガニストや合唱曲で占められています。
 そこにパイオニアたる作曲家が現れ、本格的な作曲の勉強のためロシアに出て、多くは国民楽派運動の中心であったリムスキー=コルサコフに師事して自国に戻り、この思想とともに作曲法を教え始めることになります。
 そのパイオニアのもとに育った第2世代は、多くこの国民楽派運動の影響を強く受けた世代となり、いわゆる第二世代として初期の黄金期を形成するわけです。第0世代を宗教音楽としての受容の時期、パイオニアの登場を第1世代と見ていくと、各国の特徴と西洋音楽の受容が結びついた最初の黄金期となっていくのは自然なことであるといえます。

 

Jāzeps Vītols

 ラトビアの場合も同じくして、第0世代から大変賛美歌のたぐいが盛んに作られました。そして第1世代にヤーゼプシュ・ヴィートルシュ(Jāzeps Vītols)という大パイオニアが登場、そのシーンは一気に変わっていきます。今回紹介するメーディンシュ(Mediņš)三兄弟は1.5世代というくらいの位置にあるといっても良いかもしれませんが、兄弟すべてが極めて優秀で、さらに素晴らしい楽曲を残しているので、是非多くの人に知っていただき、できれば日本での評価確定につながってほしいと思います。

 


・ヤーゼプシュ(Jāzeps Mediņš)

Jāzeps Mediņš

 三兄弟の一番上はヤーゼプシュ・メーディンシュ(Jāzeps Mediņš)です。1877年に現リトアニアカウナスに生まれ、父はクラリネット奏者でした。
 ヤーゼプシュの音楽歴はヴァイオリン、ピアノ、チェロからスタート、オーケストラの団員になりあらゆる楽器を身に付けていきました。その後劇場指揮者として働くも、戦火から逃れてモスクワに出ることになります。ここでオペラ指揮者として働き、その後アゼルバイジャンででも指揮者として活動しました。
 作品はこういった彼の人生が現れており、オペラ、オーケストラ曲が多くを占めています。また彼は第1世代に位置するとも捉えられるだけに、オルガン曲も多く書きました。最後は本国ラトビア音楽院で後進の指導にあたり、1947年に70歳でこの世をさりました。

 

 ヤーゼプシュの代表作とも言われる「ヴァイオリン協奏曲イ短調」をまずは聴いてみましょう。

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 北欧的な情緒と乾いた空気感に、切ないロマンティックなメロディが極めて印象的な作品ではないかと思います。ヨーロッパ各国の状況に比べると些か遅れているとも言えるかもしれませんが、まさにロマン派感がプンプンと立ち込めていて非常に美しく、どこか懐かしさを感じる作風なのかと思わされますね。

 協奏曲では物足らないという生粋のシンフォニー好きには彼の「交響曲第3番変ホ長調」をおすすめしたいと思います。ちょっとドイツ的な響きに、やはり北欧感を伴った極めて立派なシンフォニーです。特に木管の使い方に豊かな自然を感じさせる気もします。

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 というように、ラトビアクラシック音楽の初期を支えると言っても、その音楽はすでに円熟の極み、素晴らしいロマンティシズムに満ちていることがわかります。


・イェーカブシュ(Jēkabs Mediņš)

Jēkabs Mediņš

 三兄弟の二番目はイェーカブシュ・メーディンシュ(Jēkabs Mediņš)です。1885年にリガに生まれ、教員資格を得たのちに兄のヤーゼプシュが指揮をしているリガ音楽院にて本格的な音楽の勉強を始めました。兄がオーケストラを中心に活躍する一方、イェーカブシュは合唱を中心に活動をしていくことになります。そしてベルリンに渡り、ベルリン音楽学校のマスタークラスを終了するも、兄と同じく戦火を逃れモスクワに渡った後、1920年に故郷に戻りラトビア音楽院で教鞭をとる事になりました。しかしその職を1年で辞し、イェルガバに移って、民族音楽研究所の所長として指揮者を兼ねて活動をしました。その後再びリガに戻り、合唱を中心とした活動以外にオーケストラの指揮者としても活動し、1971年に86歳の天寿を全うしました。
 三兄弟の中では一番知名度が低い様に思いますが、私は個人的に極めて好きな作曲家の一人です。多くの作品が未紹介ですが、小品と室内楽、合唱曲に強みを発揮しているといえ、兄よりも幾分民族色が強いのも特徴と思います。

 

 まずは比較的よく演奏されている「ヴァイオリンとピアノのためのロマンス」を聴いてみましょう。小品ですが極めて美しく、民族的な匂いが仄かに漂う珠玉の作品です。

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 個人的に痺れた作品は「トロンボーン協奏曲」です。音源は2つ確認できますがいずれも一楽章のみで、ピアノリダクション版ですが、それでもこれは大変な名作だと思います。

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 極めて叙情的かつ、民族性が溶け込んだ美しさを持ち、知られざる名曲を多く残した作曲家と言えるのではないでしょうか。


・ヤーニシュ(Jānis Mediņš)

nis Mediņš

 さて三兄弟(実はもうひとりマリアという女性も居るので四兄妹)の最後はヤーニシュ・メーディンシュ(Jānis Mediņš)です。
 1890年にリガに生まれ音楽一家であった家庭を強みに、メキメキとその才能を開花させていき、兄が所長を務めるシゲルツ音楽院でヴァイオリン、ピアノ、チェロを学びました。その後ソリストとして活動を開始しましたが、作曲も行っておりそちらでの成功が早かったようです。そしてオペラ、バレエとラトビア音楽史上極めて重要な仕事をし、その名が知れ渡りました。
 兄たちと同じく次代に翻弄されるも、ラトビア音楽院で教鞭をとり、この時期に傑作を多く書き上げたと言われています。その後彼はスウェーデンに移住、1966年に75歳で亡くなりました。

 

 彼の代表作は多くありますが、まず「24の前奏曲」をご紹介したいと思います。
多くの作曲家が挑んだ「24の前奏曲」は彼も挑戦し、民族主題と後期ロマン的様式を見事に統合、素晴らしい作品に仕上げています。

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 最近アルメニアの作曲家、アブラミアンやバグダサリアンの「24の前奏曲」が一部で見直され、楽譜が再販されるなどの動きがありますが、この作品も早くそういった扱いを受けてほしいと思う傑作です。

 二人の兄よりモダニズムの影響が入ってきていますが、更にモダンになりつつもショパン的なピアニズムを加えた素晴らしい曲に「ピアノ協奏曲嬰ハ短調」があります。

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 非常に卓越した筆でオーケストレーションも野暮ったくないという名曲ですが、知っているという人は非常に少ないと思われます。

 

 

 と兄弟3人の作品を見てきましたが本当にしびれるロマンティシズムに満ちているとは思いませんか。これらすべてがほぼマイナー曲で国内くらいでしか取り上げられていないのは、あまりに惜しい。


その原因の一つが楽譜の入手が至難であるということが挙げられます。

 

 世界的出版社を通じて、こういった楽曲の紹介がなされることを強く願わねばならないと思いますし、そういったことこそが人類の文化伝承への義務なのではないかと思います。
 昨今ろくろく勉強もしないで頭でっかちになって糞の役にも立たないことを喚く人が多い本邦でこういった文化継承の大きな仕事がなされるとは思えませんが、微力でもそれに貢献できたら幸いです。引き続き楽譜の捜索はしていきたいと思いますし、そういったものが見つかったあと、校正、再販される未来を願ってやみません。