名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

日本のエクストリームミュージック⑤山塚アイ その1

東京オリンピック覚えてますか? もう存在すら忘れかけてますよね。色々議論があったと思いますが、特に開会式は開催までの経緯を含めてドイヒーでしたね。

まず新型コロナウイルスが蔓延している状況下での開催に賛否が分かれ、小山田圭吾の(実際は傍観者だった)いじめ問題による降板があり、小林賢太郎はいちゃもんにより電撃降板しました。そして実際に開かれた式典はなんか想像してたのよりしょぼかったという人も少なくはないだろうと思います。

 

↓想像してたやつ


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話は変わってフジロックも賛否ある中で開催されました。こっちもこっちでミュージシャンが出たり出なかったりで色々大変だったみたいです。タダで配信してたので、無料に弱い私は欲望に屈し見てましたが、客側が映るたびに「いや普通に密じゃね?」と思いました。でも彼ら曰く密ではないらしいです。そうなのか......。

 

まあそれは置いといて、

FINALBY( )というグループが参加していました。ファイナルビーエンプティ(ただしエンプティは発音しない(←は?))と読みます。山塚アイとCOSMIC LAB、HORIO KANTAやNIIMI TAKAKI、MASUKO SHINJIによるユニットなのですが、ご存知でしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フジロックが初のパフォーマンスなので知らなくて当然です。

演目がこちら。


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闇のライゾマティクスみたいでかっこいいですね~。とはいえこれは全然ロックじゃなくてノイズです。フジノイズフェスティバル状態。

インターネットストーカーである私は、突然のノイズに全国のロックファン(特に若者)が泡吹いて卒倒してるんじゃないかと思い、リアルタイム検索をかけまくりました。多くの人が泡吹いて卒倒してましたが、それと同じくらいの割合で

東京オリンピックの演出この人たちだったらよかったのにね~」

という声がありました。

 

 

正気か?????

山塚アイだぞ???????????

 

山塚アイという男

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山塚アイ。特徴的な髪型はワックスでもポマードでもなく瞬間接着剤によるもの。

皆さんに山塚アイのヤバさを知っていただくためには、彼の活動初期のノイズユニットハナタラシ」の爆裂エピソード集を見てもらう必要があります。

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数々のライブで行われた主な行為

ライヴ自体が犯罪行為となりかねない以下のような数々の事件を起こしている。

 

ユンボライヴハウスの壁を壊しながら登場する。

・チェーンソーで猫の死骸を切り刻み、客席へ投げつける。

・ビール瓶をステージ上で割り、客席へ投げつける。

・コンクリートブロックを客席へ投げつける。

・大量の板ガラスを客席やフロアへ投げつける。

・大量のドラム缶をステージの上で転がし、殴りつけ、ディスクグラインダーで火花を散らした挙句客席に投げ込む。

・金属スクラップを大量に持ち込み、チェーンソーで切る。

・チェーンソーを振り回し、誤って自分の太ももを切る。

・逃げる客をチェーンソーを持って追いかけ回す。

・鎖の付いた鉄球を振り回す。

ガソリンを床にぶちまけ、火炎瓶を投げ込もうとする(止められたために未遂だが、山塚自身は完全に投げ込む気があったとされる。また、ライブハウスの運営に壊して良いと言われたため壊したが、関係の無い水道管を破裂させたため弁償が必要だったという説がある)

壊したライヴハウスの弁償代と称し、マリファナ吸い放題の入場料10万円のライヴを決行するが観客はゼロだった(この一連の行為自体がネタだったとも言われている)。

・「当該コンサートの開演中にいかなる事故が発生し危害が加わろうと主催者側に何ら責任がないことを誓約いたします」と、観客に誓約書を書かせたうえでライヴを行う。

サイキックTV来日の際のフロントアクトに選ばれるが、ライヴ当日会場にダイナマイトを持ち込みハナタラシの出演は中止となる。その時、それに激怒したサイキックTVのリーダー、ジェネシス・P・オリッジは山塚に「お前なんかに音楽をやる資格はない」、「いい加減にしろ」、「音楽をやめて真人間になれ」と説教した。

ボアダムスとして長年活動を共にする山本精一ハナタラシには参加したことはない)が店長を務めている難波ベアーズでも、出演禁止との誤情報がこのサイトなどで出回っているが、そのような事実はなく、ベアーズでもライヴは行われている(訂正編集:難波BEARS)

京都のライブハウスのステージや客席、音響PAブースのミキサー卓、楽屋、ロッカールーム、さらにはトイレまでもすべて突撃して手当り次第徹底的に破壊し、結果として閉店に追い込んだ。(この時破壊した故障箇所の修理代、被害額、さらにライブハウスを破壊されたことの慰謝料を合わせると、およそ800万円だったという。)

 

ライブ自体が犯罪行為になりかねないというか、犯罪ですね。

山塚は当時のことを「怒りに身を任せたトランス」と振り返っているようです。トランス状態でダイナマイトや火炎瓶は持ち込まないと思います。

 

実際の映像を見てみましょう。

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板ガラスぶん投げてる!すごい!これは音楽なのだろうか?(多分違う)

 

こんなことを続けていたので、当然ですがあらゆる場所から出禁を食らい、活動困難になってしまいました。じゃあ山塚アイはここで終わりなのかというとそうではないんですね。BOREDOMSなどのグループを結成し、ライブ活動を再開します。名前が変わればそれで許されるんだ......。

しかし流石に懲りたのか、ハナタラシの活動が事実上凍結されてからは比較的穏やかなライブ活動を行っているようです。

 

 

 

 

とはいえこんなですが


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ということで今回は山塚アイにオリンピック開会式の演出を頼んだら会場を破壊されかねない」ということを覚えて帰りましょう。

 

いやそっちの方がよかったかもしれないな......。

 

つづく

トルコ5人組についてーレイとアルナル

どうも皆さん、gです。今回は前回に引き続きトルコ五人組の詳細についてできる限りお話します。話の流れがわからない、忘れてしまったという人は前回の僕のブログをのぞいてみてください。 

トルコの国民楽派の成立について - 名大作曲同好会 (hateblo.jp)

今回はジェマル・レシット・レイとハサン・フェリト・アルナルの二人についてお話します。音源を実際に聴いて見ると同じトルコ国民学派でもかなり方向性に違いが現れているのがわかり面白いですよ。

なお参考文献は

著 濱崎友絵『トルコにおける「国民音楽」の成立について』(2013年 早稲田大学出版部)です。それではいきましょう。

 

・「トルコ五人組」という言葉

ロシア五人組」「フランス六人組」にちなんで付けられた名称である。トルコ共和国成立から15年ほど経ったころ、ある五人全員が集まった演奏会で音楽学者のハリル・ベディイ・ヨネトケンが「ロシア五人組」を引き合いに出した上で「トルコ五人組」という名称を用いることを論じた。この話をした次の日の新聞には「トルコ五人組」という言葉は使われていないが彼らを一つのまとまりと見なして称賛する記事が掲載された。

 しかしその内の一人であるサイグンは五人がそれぞれ独自の音楽性を持っていることを理由に「五人組」という枠組みに否定的な見解を残していたりもする。

 

・ジェマル・レシット・レイ(1904~1985)

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エルサレムで生まれる。

青年期はパリとジュネーヴの音楽院で西洋音楽教育を受け、19才でイスタンブール音楽学校のピアノ、作曲講師になった。

先ほども述べた濱崎先生の文によると、レイの音楽には大きく3つの方向性があるとされる。

 国民音楽の定式に沿った音楽技法の探究、民衆に対して西洋音楽の普及と促進、そして自身の思想、内面の探究による作品の創出の三つである。

これらの特徴はそれぞれ1920年代、1930年代~40年代、それ以降といった順で現れている。それぞれ順番に参考音源と共に見ていこう。

 

 「アナトリア民謡Sarı Zeybek」 Anadolu'dan Türküler Sarı Zeybek(1926年)

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アナトリア地域に古くから伝わっていた単旋律の民謡をメロディーとして、西洋的な和声付けを施している。

 

「スナップ写真(オーケストラの為の印象群) Enstantaneler ( Impressions pour Orchestre ) (1931年)

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局所にトルコ民謡の様なテーマがあるものの、全体としてフランス印象主義の影響を受けていると考えられる作品である。

 

交響詩 トルコ」Türkiye (Symphonic Poeme)(1971年)

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後年になるとトルコ古典音楽に注目するようになり、マカームに基づいた旋律を扱うようになった。

また、レイはトルコ五人組の中で唯一オペラなど民衆音楽に近いジャンルで作品を残している作曲家である。

 

・ハサン・フェリト・アルナル(1906~1978)

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幼少期からトルコ古典音楽による訓練を受けていて、優秀なカーヌーン奏者であった。

カーヌーンとはトルコの民族楽器である。

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その才能を買われ1927年から1932年にかけてウィーンに留学し作曲法をヨーゼフ・マルクスに学んだ。「プレリュードと二つの舞踊」(1)、「カーヌーン協奏曲」(2)などが代表曲であり、西洋的な楽器編成ではあるものの、伝統的なマカームを用いた曲を作曲した。ただ、伝統的な要素を含みながらもあくまでもオリジナルの表現を追求したことが評価されている。

また、楽譜の多くが所蔵場所不明になっており、上記2曲と「チェロ協奏曲」(3)の三曲が現在演奏されるもののほとんどである。

 

(1)Prelude and Two Dances(1935年)

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(2)Kanun Konçertosu

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(3)Viyolonsel Konçertosu ( Cello Concerto )(1942年)

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今回はここまでです。同じジャンルの枠組みでも作風にかなりの違いがみられつつも、しかし根底にはトルコ各地の民謡が存在していることがハッキリと分かります。次回の担当回はトルコ五人組の残りの三人について触れていきたいと思います。

日本のエクストリームミュージック④おきあがり赤ちゃん

もうなんだか疲れてしまった、赤ちゃんにかえりたい。そう思う人間が一定数いるのは間違いない。赤ちゃん、それはこの世に産み落とされた人類の中でも原罪以外の罪を背負っていない最も清らかな存在であるから、そこにある種の神性を感じざるを得ないのは、最近兄弟姉妹が生まれて親にかまってもらえない第一次反抗期の少年少女でない限り皆さんそうだろう。たとえ感じていなくてもこの世には赤ちゃんプレイが大好きなどうしようもない大人が存在する。

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私が何を言いたいのか。そうそれは、


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おきあがり赤ちゃんを聴けということである。

 

おきあがり赤ちゃんとは

ソース画像を表示

見ての通り、起き上がりこぼし演奏家である。度肝しか抜かせねえ。

起き上がりこぼし以外にも子供のおもちゃで演奏活動を行っていることが、発売されているCDの説明文から確認できる。

https://diskunion.net/jp/ct/detail/1007395446

「還暦を前に音楽経験も無いままおきあがりこぼしの音に感動して何か音楽作品に出来ないかと思い、おもちゃの音だけで宅録と音の加工でCD製作」したらしい。なんたるエクストリーム・アウトサイダーミュージック。もはや日本音楽界のグランマ・モーゼス やはり人間60年も生きると、干支だけでなく赤ちゃんにも戻ってしまいたくなるのだろうか?

それはそれとして、還暦だから何かやろうというバイタリティが凄い。私もそういう人間でありたい。あと特典DVDRに収録されている「おきあがりオーケストラ」が気になりすぎてやばい。

 

にしてもこの音楽、異様である。

幼い頃、自分(は怪しいが)や弟・妹が起き上がりこぼし使っていた記憶を想起させられるのだが、色んなサイズ・音程の起き上がりこぼしが乱打され続けるので、思いだされる記憶がすべて歪んでいく。幼少期に見た怖い夢がこの年になってフラッシュバックしているかのようだ。それでいてなにか懐かしい気持ちも同時に抱いてしまうので、ついつい最後まで聴いてしまう。私も赤ちゃんにかえりたい。ばぶばぶ。

 

ちなみに

YouTubeチャンネルが存在する。

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ここからいくつか紹介して今回は終わりにしたいと思う。

 

おもちゃの国おかしの国

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手作り感満載だがめちゃくちゃ凝っているし、このチープさが逆におもちゃっぽさを演出できてて良い。しかし全体に漂う不穏さは一体何なんだろう。人形はよく見ると怖いとよく言うが、その類いのものなのだろうか。

 

おきあがり赤ちゃん1

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世にも妙な物語のアバンストーリー???? 「世にも」なら3つ並んだ起き上がりこぼしのうち、どれか1つが爆発するはずだ。糸で上から操作してるだろうが、ひとりでに動く起き上がりこぼし怖すぎる。映像としてはシュールで本当に良い絵面だ。

 

おきあがり赤ちゃんデビューライブ

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この世に1つの狂気が爆誕した瞬間の映像が公開されていた。しかし彼は一体いくつの起き上がりこぼしを、おもちゃを所有しているのだろう? おわり

 

 

 

 

自然共生と音楽 - レイモンド・マリー・シェーファーに寄せる

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冬のカナダ

 訃報というものはいつも突然飛び込んでくるものである。カナダの大作曲家、レイモンド・マリー・シェーファーが亡くなった。コロナ禍に世界が揺れる2021年8月14日のことだった。
 この時期、人の死の知らせを聞くとどうしても「そのこと」が頭をちらついてしまうが、彼はどうやらアルツハイマーの合併症による死であったようだ。

 マリー・シェーファーの名を私が初めて聞いたのは、かつての黛敏郎氏が司会をする時代の題名のない音楽会で、カナダ特集が組まれたときだった。当時の大使閣下を招き、会場全員起立の中、高らかにカナダ国歌を演奏してスタートした同企画の大トリで、シェーファーの音楽が紹介されたのである。
 「ノース・ホワイト」と題された、彼のオーケストラ作品の代表作であった。そして若き頃の私は大きなショックを受けることになる。鍋の底を打楽器として扱い、内部奏法を用いたピアノが出てきたかと思えば、打楽器奏者が何やらおかしなチューブを振り回し始め、最後にはスノーモービルまで登場する理解を越えた展開だった。
 しかしその音楽が紡ぎ出す音は、目に見える手法の過激さとは違い、透明で純粋、北国に吹きすさぶ冬の激しい気候と、そこに佇む一人の作曲家の姿であった。

 

 実に不思議な経験であり、鮮烈に記憶に残ったのである。

 レイモンド・マリー・シェーファー、この作曲家のことをもう少し知ってみようではないか。

 

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レイモンド・マリー・シェーファー

 レイモンド・マリー・シェーファーは1933年カナダオンタリオ州のサーニアというところに生まれる。トロント王立音楽院で、リチャード・ジョンソンに師事し、ヨーロッパ各地を回って勉強続け、サイモンフレーザー大学で教鞭をとるようになった。教育者としても音楽評論家としても優れており、これに関わる著書も多く著している。
 しかし彼の名を一躍世界的にしたのは独自の「サウンドスケープ」という表現を提唱したことにある。日本語にすれば「音の風景」あるいは「音景」などとも約される。
 この概念は大変ユニークであり、現代になっていくにつれ、音は本来環境とともにあったものが環境から切り離され、音単体として見られるようになった。そしてそれを音楽としてきたことは本来的には不自然なことであるとして、音を元の環境に返そうといういう概念である。
 この概念をもってかれはあらゆる場所の音を調べあげ、ランドマークならぬサウンドマークを地図上にプロットし、その場所固有の音に注目し、これを作曲に活かすというアイディアにたどり着いたのである。
 こういった本来音楽を構成する音自体は自然の産物であったとする彼の考えは、その後の自然はミニマリストの考えにも影響を及ぼしていくこととなる。
 また彼の音楽は、その楽譜もまたユニークである。ここで彼の作品を総合的に理解できる合唱の代表曲「ミニワンカ」を聴いてみよう。

 

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 ミニワンカとはカナダにある湖のことである。
 冒頭に素朴に歌い上げられるテーマは音を減少させながら、抽象記譜になってゆく。しかしいわゆる現代音楽のそれと異なり、そこにあるのは人為的なノイズではない。素朴に自然の中にある音を取り出した、あるいは飛び去る水鳥のようでさえある。
 様々な工夫をこらした美しい楽譜は、見ているだけで一種の風景画のようでもあり、音楽もまたとても透明感のある美しさを終始一貫保っている。

 

 もう一曲彼の作品を聴いてみよう。
 彼が生涯描き続けた室内楽弦楽四重奏」のシリーズより、第3番である。

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 ステージ上に順に入ってくる演奏者、オフステージで演奏するもの、そして集合してからは、様々なノイズを口で発しながら、狂気のような空間が展開する。この様にこの曲もどこかの「音」に取材したものだろうし、それをあらゆる表現手法を用いながら作曲の根幹にしてゆくという姿勢は、極めて独自であり、また極めて自然な美を生み出してくれる。

 上でも書いたとおり、こういった姿勢というのはある意味で自然回帰の流れとも符合する。同じ様な視点をもった新旧の作曲家を合わせてみてみよう。

 

一人は「アメリカの野人」ことヘンリー・カウエルである。

 

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ヘンリー・カウエル

 カウエルは1897年アメリカはカリフォルニア州に生まれ、カリフォルニア大学で、チャールズ・シーガーに師事して作曲を学ぶが、幼い頃から親しんでいた非西洋音楽への興味から離れられず、アジアなどに研究良好を行うなどして独自の道を歩んでいった。そういった姿勢は非西洋的前衛音楽へと結実することになり、かのジョン・ケージもカウエルの教えを受けた一人であることは、必然とも言えるもののように思う。
 こういった姿勢は、ガラクタのノイズを集めて打楽器アンサンブルを書いたり、ピアノを腕で殴打し、トーン・クラスターを作るなど、自由奔放なアイディアに結びついてゆく。しかしカウエルの前衛性というのは常に、概念だけで出来上がっているものではなかった。
 それは自然との共存、あるいは非西洋的に言えば、自然の一員としての自己を探求し続けたように見えるのである。

 彼の代表的な作品に「The Tides of Manaunaun」という曲がある。

 

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 素朴で美しいアイルランド民謡調のメロディのしたでは快適な不協和音がゴンゴンと鳴らされる実に不思議な音楽だ。「マノノーンの潮流」と約されるこの曲は「3つのアイルランドの伝説」の第1曲目とされ、マノノーンとはアイルランド神話に出てくる「動」の神の名であるとのことだ。この左手のゴンゴンした音はなんだろう。
これこそがカウエルの発明した「トーン・クラスター」である。
 腕で鍵盤の広域を押さえ「波の音」を模しているのである。その後この手法は二十世紀における極めて重要な手法となって行き、それこそ「自然から切り離された音」となり、活用されてゆくのだが、カウエルのそれはまさに自然の岸壁に打ち付ける波の轟音そのものである。

 

 この様な例を見てみると、マリー・シェーファーの言っていることの意味がはっきりと感じ取れるのではないだろうか。そしてこういった思想は、ポスト・ミニマル世代の作曲家にも間接的な影響を及ぼしていると考えられるのである。

 

 ポスト・ミニマル世代の作曲家とは、アメリカのBang on a Canというグループの構成メンバーらが、イェール大学で教鞭をとり、ミニマル・ミュージックを基本とした広範な表現を、旧来の都市賛美的なものから解き放って、ある意味で反体制的な語彙とともに、世に問う方法論として確立していった潮流である。
 そしてこの潮流は、ミニマリストというシンプルで自然と共生することを良しとする思想を持つものとも親和性がよく、その思想を持つ作曲家にも影響を及ぼしてゆくことになる。その代表例として、ジョン・ルーサー・アダムスの名を挙げたい。

 

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ジョン・ルーサー・アダムズ

 ジョン・ルーサー・アダムスは1953年にミシシッピに生まれ、ロックバンドに夢中な青年時代を送る。その後カリフォルニア芸術大学でジェームズ・テニー、レオナード・スタインに師事し作曲を学んだ後、突如アラスカに引っ越し、大自然の中で極めてシンプルな語彙による大規模作品を書き始め注目されることとなる。また彼のこういった作風はメディアともある種の相性の良さを見せ、ドキュメントフィルムの音楽なども手掛けているようだ。
 決定的に彼の名を世界に知らしめたのは2014年のピューリッツァー賞の受賞であろう。彼がここで書いた作品はラージオーケストラのための「Become Ocean」という作品である。極めて規模が大きい作品で、長大であるが、語彙は明瞭そのもので海における異なる位相の波の様子を描くことで、まさに自身が海と一体になる経験を描き出している。

 

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 非常にシンプルな素材の長い持続と繰り返しだけによる音楽であるが、やはりそこには透明感というか、自然の美が宿っているように聞こえる。

 

 こういった作風の音楽家は他にもいるが、今回はその中でも特に顕著と思われる三人を紹介しつつ、レイモンド・マリー・シェーファー死を悼みたい。


 実は私もシェーファーの思想には部分的に影響を受けている。
 彼とは採る方法は異なるかもれないが、日常の自然のノイズに耳を傾け、その音をアイディアに作曲をするというのは一種の必然だとすら思っていて、Popsの表現であってもこういったことを下敷きに様々なアイディを考えてきたつもりである。
 そしてどうしてそういう視座を私が獲得したのかと問われれば、若き日に出会ったマリー・シェーファーの音楽の衝撃が原体験となっていると答えるだろう。

 

 唯一無二、そして自然に音を還した作曲は、自らもまた自然に還って行った。

 

 ここに深い哀悼の念を示し、レイモンド・マリー・シェーファーの業績を称えるとともに、冥福を祈るものである。

映画「BILLIE」レヴュー -ジャズ歌手ビリー・ホリデイについてー

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BILLIE

先日、我らが名作同の会員で映画を見に行ってきました。

ビリー・ホリデイ」というジャズシンガーのドキュメンタリーです。

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Billie Holiday

僕は、そもそもビリーホリデイという歌手の存在を知りませんでした。

彼女の生涯はかなり壮絶で、悲惨ともいえるかも知れません。

そんな彼女に共感し、関係者たちにインタビューを重ねてドキュメンタリーを書きあげようとしたのは、ジャーナリストのリンダ・リプナック・キュール。

妨害を受けながらも、なんとかビリーの伝記を書きあげようとしていた彼女は、しかし不可解な死を遂げてしまいます。

この映画は、リンダが残した録音テープやビリーの秘蔵映像をまとめ上げてドキュメンタリーにしたものです。

 

というわけで、今回はこの映画の感想を書いてみようと思います。

映画の内容には多少踏み込みますが、このレヴューを読んでから映画を見ても十分楽しめると思います。

名古屋の小さな映画館「シネマテーク」にて、9/17まで上映されていますので、気になる方はぜひ。

 

 

「黒人差別」というテーマ

映画「BILLIE」では、大きなテーマとして黒人差別が挙げられています。

ビリーは1900年代中ごろの黒人女性歌手ですが、作中では当時のアメリカの生々しい様子が語られています。

当時は今と違い、黒人が差別を受けることが普通と思われていたわけで、作中ではこんなエピソードが語られます。

  • 黒人は給仕を断られることがあるので、ビリーはいつもハンバーガーを余分に注文して持ち歩いていた。
  • 演奏先のキャバレーで白人警官に「black bitch(アバズレ黒人)」となじられ、バンドメンバーが警官をクラリネットでぶん殴って乱闘騒ぎに。
  • ビリーと組むのを了承しない白人奏者が多数いた。

みたいなエピソードが山のように語られるんですが、中でも映画の山場となるのが「

Strange Fruit(奇妙な果実)」という歌です。

ひとつ聞いてみましょう。

この歌は、白人による黒人リンチに抗議する内容の歌です。

「南部の木には奇妙な果物がなる……」

という歌詞は、木の上に首を吊ってぶら下げられた黒人の死体のことで、かなり生々しくむごい情景が歌われています。

この衝撃的な歌は当時ニュースになり、コロムビア・レコードがこの歌の収録を拒否するなど、センセーショナルな影響を引き起こします。

 

ただ、リンダはビリーが被害者として描かれるのを嫌っていたと言います。

事実、ビリーの知り合いが故郷の黒人街について

「貧しかったが、自由で幸せだった」

と語っているシーンもあり、印象に残っています。

後にも語る通り、ビリーは単に”差別を受けた可哀想な黒人”という以上の壮絶な闇を抱えており、この映画は彼女のそういった真実を初めて明らかにしているかもしれません。

 

酒・薬・セックス

ビリーは44歳という若さで亡くなりましたが、晩年は酒と薬物依存でボロボロだったといいます。

また、性的な倒錯も多く語られており、作中ではこんなエピソードが語られています。

  • 女性と好んでセックスしたので「ミスター・ホリデイ」というあだ名がついた。
  • 彼氏とさんざんセックスした後、さらに男娼を呼んでいた。
  • 極度のマゾヒストで、暴力癖のあるクズ野郎と好んで交際していた。

 

しかし、同時に彼女がこうならざるを得なかった背景も語られています。

黒人の地位の低さや貧しさ、彼女の生い立ち、今とはだいぶ違う世相など、理由はたくさんあってどれか1つに絞れるようなものではありません。

ありとあらゆる事柄が絡まりあって、否応なく彼女という人間を生み出したようなのです。

事実、彼女は生涯に何度も薬物所持で逮捕されていますが、

「有名人だから、若手警官が名を上げるための食い物にされた」

という見方もあり、むしろ彼女に同情する立場の人もいたようです。

また、出所後すぐの公演にも多くの観客が集まり、列をなしたとか。

 

映画を見ると、何度も逮捕される彼女に対してある種の悲しみを感じこそすれ、「なんて悪い奴なんだ!」という気持ちは抱けませんでした。

芸能人がちょっと不祥事やるとすぐ大騒ぎして社会的制裁を加えようとする現代日本、多少は相手の視点を想像してみてもいいんじゃないでしょうかね。

作品に罪はないんだし。

 

未完の伝記という生々しさ

この映画、先に述べたようにジャーナリストのリンダが不可解な死を遂げたため、伝記としては未完の状態です。

なので、映画を見ていてもこれといったオチはなく、ただ色々なことを考えさせられて終わっていきます。

ストーリーに分かりやすい着地点がないし、ビリーについての関係者の証言も食い違いが多く、何が真実なのかもわかりません。

これが非常に生々しくて、リアリティがあっていい。

しかも、リンダの死んでしまった経緯が不自然すぎて、何かしらの陰謀があったのではないかと勘繰らずにいられません。

アメリカという国の闇を余すところなく、リアリティたっぷりに抉り出した作品だったと思います。

 

まとめ

この映画を通して、歌で表現するということの壮絶さ、残酷さと異常さを感じることができました。

一見の価値ありです。

上演期間が短いので、見たい方はお早めにどうぞ。

トルコの国民楽派の成立について

「トルコ国民音楽の成立について」

 

こんにちは。gです。今回はトルコの国民音楽の成立について少し語っていきたいと思います。

 

トルコって...?

   では皆さん、トルコの音楽っていうとどんなものがあるでしょうか。

多分最初に思い浮かぶのはモーツァルトの「トルコ行進曲」などでしょうか。18世紀後半に作曲されたと考えられているこの曲は、オスマン帝国の軍楽隊メフテルの影響を受けて作られたいわゆる「トルコ趣味」の音楽です。純粋なトルコの音楽とは言えません。ではトルコ人の作曲家というと誰が思いつくでしょうか。

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...すぐには出てこないですね。頑張ってひねり出すとトルコ行進曲つながりでファジル・サイなどが出てくるかもしれません。これは一昔前に日本で「鬼才!天才!ファジル・サイ!」というキャッチコピーで売り出されちょっとしたブームになったことに起因していたりします。

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 ちょっと脱線しました。話をトルコに戻しましょう。トルコには「トルコ五人組」と呼ばれるクラシック音楽の作曲家たちがいました。これは「ロシア五人組」や「フランス六人組」といった表現から借用されたものです。彼らは西洋音楽理論を学びながらトルコの民衆音楽を取り入れて、「トルコ国民学派」とも呼べる流れを作りました。今回は彼らが国民学派を形成するに至った経緯とその背景に焦点を当てていきます。

 

 

トルコ革命直後の情勢とケマリズムについて

1923年、トルコはそれまで6世紀以上にわたって続いていた皇帝制を廃止し、共和政を宣言した。イスラム世界で初めて世俗主義国家として成立したトルコ共和国だったが、決して安心できる状況ではなかった。何故なら第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国がセーヴル条約で治外法権などを認めさせられたように、また西欧列強が植民地支配の魔の手を伸ばしてくるかもしれなかったからである。トルコは早急に国民が一丸となる必要があり、そのためのイデオロギーの確立が求められた。

19世紀から次第に衰退していったオスマン帝国はそれを「イスラム」に求めた。すなわち世俗的な権威であるスルタン(皇帝)に加えて、宗教的な権威であるカリフを名乗ることでオスマン国民、ひいては全世界のイスラム教徒をまとめ上げようとしたのである。

しかし、それはうまくいかなかった。何故ならイスラム教には生活規範を記した聖法、シャリーアがあったからである。シャリーアは通常の法律ではなくアッラーによって定められた「神の法」である。そのため時代が変化してもそうやすやすと変えることができない。例えば「電気」がヨーロッパで発明されて、トルコに持ち込まれた時イスラム法学者はこれをシャリーアに基づいて神の創造物を人工的につくり出す「悪魔の発明」であるという評価を下した。この評価は結局アブデュルハミト2世によってスルタン自らが電信機でコーランの一節を送受信するというパフォーマンスを行うまで覆される事はなかった。

 

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フェイを被ったアブデュルハミト2世

 また、スルタンの評価も、イスラム教の教えに適しているかという価値観で評
価されるため、指導者そのものに支持が集まりにくくなってしまったのである。

それに対してトルコ共和国初代大統領であるムスタファ・ケマルはそのイデオロギーとして「トルコ民族主義」を掲げて数々の世俗化政策を行った。具体的な事例としては従来のアラビア文字を廃止しローマ字を用いるようになり、またアラビア語からの借用語を撤廃し新たに「トルコ語」を作る「文字改革」や、カリフ制の廃止や女性のヴェール着用を禁止し社会参入を認める政策などが挙げられる。こうしたトルコにおけるイスラム教を政治から分離する徹底的な改革は後に「ケマリズム」と呼ばれるようになり、今回のトルコ国民学派もケマリズムの影響を強く受けて形成されたものである。

 

 

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ムスタファ・ケマル・アタチュルク アタチュルクとは後に議会によって贈られたトルコの父を意味する言葉である。

・ケマリズムにおける音楽

 さてトルコ民族主義を国民に広めるには、一つ大きな問題があった。識字率である。当時のトルコは国民の9割が文盲であり、文字の読み書きは官僚など国民のごく一部しかできなかったのである。そこでケマルは文字を必要としない美術や音楽を用いて新しい国民文化を創ろうとしたのである。具体的な政策としては各地で口伝されている民族音楽の収集と楽譜化、イスタンブル音楽院、アンカラ国立音楽院の設立などが挙げられる。また収集された音楽は国営トルコ・ラジオ・テレビジョン放送協会(TRT)によって放送された。

 

 

・トルコ古典音楽

 トルコには元々はアラブ音楽の系列の古典音楽が存在した。マカームと呼ばれる微分音を含んだ複雑な旋法体系とウスールというリズム周期によって構成された音楽である。しかしこのトルコ古典音楽に対して、ケマルはこれがトルコ地域独自の音楽であるにも関わらず国民的な音楽として取り上げようとはしなかった。何故なら古典音楽は主にイスラム教の一派であるメフレヴィー教団によって継承されていたため、政教分離を掲げた共和国政府にとって都合が悪かったからである。また、和声を持たず単旋律が主であったため、和声が発達した西洋音楽から見ると「遅れた音楽」といった評価がされていたことなども理由の一つである。結局このトルコ古典音楽は政府の支持が得られないどころか、1976年になるまで公的機関での古典音楽の教育が禁止されるなどの排除政策が行われた。

 しかしケマルがこの音楽を嫌っていたかと言われればそうではない。むしろその逆でケマルはトルコ古典音楽を好んで聴いていたとされ、2015年にアタチュルク廟で行われた祭典などではケマルの愛した音楽として古典的トルコ民謡が演奏されるなどした。

話はそれるが、個人的にこういったトルコ古典音楽に触れる際に紹介しておきたいアーティストがいる。

 上記のアルバムは2007年にトルコ系カナダ人のアーティストMercan Dedeによる宗教家のジャラルディーン・ルーミー生誕800年を記念として製作されたものである。スーフィーの影響を多く含みながらも現代的クラブミュージックの要素を織り込んだ極めて完成度の高いアルバムである。

 

・国民音楽とトルコ五人組

こうした背景からトルコ国民楽派は収集された民衆音楽に西洋的な和声を組み合わせて成立した。国立音楽の最初の担い手として「トルコ五人組」が挙げられる。

 

ジェマル・レシット・レイ(1904~1985)

交響詩”Türkiye” 

youtu.be

ハサン・フェリット・アルナル(1906~1978)

カヌーンの為の協奏曲 

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ウルヴィ・ジェマル・エルキン(1906~1972)

交響曲1番 

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アフメト・アドナン・サイグン(1907~1991)

交響曲1番、2番 

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ネジル・カズム・アクセス(1908~1999)

ヴァイオリンコンチェルト Allegro(1) 

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の五人である。それぞれの音楽教育を受けながらも共通してパリ、ウィーン、ジュネーヴといったヨーロッパの音楽院に留学して西洋音楽を学んでいる。これは当時の政府が優秀な人材を海外に留学させる支援制度を行っていたことに影響されている。

 彼らのうちサイグン、アクセス、エルキンの三人はバルトークと交友があり、バルトークがトルコに訪問した際の民謡の現地調査に付き添っていたことが分かっている。収集された民謡の音階などのデータから、バルトークハンガリー音楽がトルコ民謡の影響を受けている事を論文で発表している。

 それぞれトルコ各地の民謡をテーマとした多くの曲を作った五人組はラジオなどを通じてトルコ人の間で大きな反響を呼び、後世の音楽界に強い影響力を持つようになった。

 少々長くなってきたので、今回はここらで一旦切り上げてトルコ五人組の細かな詳細についてはまた次回行いたいと思う。

日本のエクストリームミュージック③MARUOSA

こんばんは。エクストリームミュージックのお時間です。

今日はMARUOSAを紹介しようと思います。お耳の準備はよろしいでしょうか?

 

いかがでしたか?

これはいわゆるブレイクコアと呼ばれる音楽に属するものです。多分。

ブレイクコアとはジャングルドラムンベースといった音楽が更にヤバくなったものです(ブレイクコアを説明するだけで記事がひとつ書けてしまうので今回は軽く説明するにとどめます)。ジャングルとドラムンベースをご存じない方は以下の動画をご確認ください。

 

ジャングル


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ドラムンベース


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手数の多いドラムが特徴ですね。ぶっちゃけこの二つのジャンルの違いはよくわかりません。ドラムがサンプリングか否かくらいですね。

 

そしてブレイクコア


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うるせーですね。クラブミュージック的な律動がほぼ排除され、爆音ドラムの複雑なリズムパターンのみがのこりました。

 

ここでもう一回MARUOSAを聴いてみましょう。

どうですかね?私は明らかにメタルを感じるのですが。

だからブレイクコアというよりはグラインドコア(ヤバいメタル)に近い気がします。その証拠にMVもゴアグラインド(やたらグロいメタル)っぽいんですよね。*1

 

MARUOSAとセキンタニ・ラ・ノリヒロ

 

MARUOSAのMVはセキンタニ・ラ・ノリヒロというコラージュ作家が担当することが多いです。セキンタニは人体とか内臓とか内臓とか内臓とかを使って最高のコラージュを作る世界的に有名なアーティストです。なのでこの映像に既視感を覚えた人もいるかもしれません。

 

そう、

 

 

Supremeとコラボしているから。

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しゅぷり~む

左肩に「シュプリーム」、右側におっぱい丸出しの網タイツ女(全くエロさを感じない)がプリントされた服出すのSupreme相当イカれてんなと思いましたが、私もイカれてるので3万出してこの服買いました。最高!

 

このコラボが発表されたときの映像がこちら。

 
 
 
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MARUOSAが音楽担当しています。最高。 

 

ちなみにこのセキンタニ×Supremeコラボは、ネットで死ぬほどたたかれててクソ面白かったです(当然すぎて)。

てな感じでMARUOSAの暴力的な感じとセキンタニのコラージュは非常に相性が良くて好きです。

 

ブレイクコアだけじゃないMARUOSA

ちなみにMARUOSAブレイクコアだけではなく、いわゆるテクノミュージックも作っています。初めて聴いたときMARUOSAの作品かどうか疑ってしまいましたが、本当にMARUOSAの作品のようです。流石に違いすぎるだろ。

 

maruosa.bandcamp.com

 

そして最新作

maruosa.bandcamp.com

タイトル通りまさに原点回帰といった内容。原点回帰の中にもかつては見られなかった緩急が見られ、よくあるブレイクコアへ一石を投じる内容となってます。

なぜ最初がツァラトゥストラはかく語りきなのかはマジで謎です。

 

かた焼きそば研究家としての一面

かた焼きそば研究家としてちょくちょくテレビに出てるので、人によってはこっちのMARUOSAになじみがある人もいるかもしれません。

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燦然と輝く"KATAYAKI"の文字

公式HPにKATAYAKIの文字がある人が他にいますか?

最初見たとき意味わからなさすぎて爆笑してしまいました。

 

今後もかた焼きそば研究家としてのMARUOSAに注目です。ウソです。音楽家としての彼にも注目します。

*1:ここらへんの謎ジャンルたちもいつか解説したいと思います。そう、いつか......。