名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

ターキッシュ・ポップス紹介

          

こんにちは! gです。突然ですが今回はターキッシュ・ポップスというジャンルについてお話します。

 

 といっても突然こんなことを言ってもわからないと思うのでまずは一曲聴いてみましょう。Tarkan で≪Dudu≫です

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いやーかっこいい…

でも家族からは「インド人が経営している料理店の有線放送みたい」と言われました。言いたいことは分かるが、良さがなぜわからんのだ。

 ここでターキッシュ・ポップスの歴史的系譜を見てみましょう。大衆音楽の分野においてターキッシュ・ポップス以前にトルコに存在していた音楽は概ね2種類ありました。「ハルク」と「アラベスク」です。

 「ハルク(Halk)」は英語で考えると ”folk” のようなモダンな都市的音楽の意味も含んでいますが、”folklore” のような民謡や語り部による伝承のような意味もハルクには含まれています。1930年代ー1960年代が最盛期で、演奏には主にバーラマやサズといった民族楽器が用いられていました。

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動画はアーシュク・ヴェイセル・トゥルオウル(Asik veysel )によるもの。現在のトルコ大統領エルドアンも彼の曲を聴いていたそうです。*1

 さらにいうとハルクのもっと前には、オスマン帝国時代の古典宮廷音楽の歌謡化したものである「サナ―ト」と呼ばれるジャンルも存在します。マカームによる微分音を多く含み技巧的であった宮廷音楽をラジオやテレビを通して大衆の耳に届けたという観点から大衆音楽の先駆けともいえるでしょう。

 一方で「アラベスク」は1960年代に入って盛んになった音楽で先ほどのハルクに加えて文字通りアラブ音楽の要素や欧米の音楽要素を取り込みながら成長していった音楽ジャンルです。トルコの経済の発達に伴う経済格差の影響を受けた音楽で、時に”退廃的”と批難されるような表現を歌詞に取り入れ1970年代にトルコ国営テレビでは放送を禁止していたこともあります。

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フェルディ・タイフールの≪Aramizda Engeller Var≫を紹介します。

 放送禁止を受けたこともありますが、しかしこのアラベスクによってアーティストのアルバムの売上は一人につき数千万枚(フェルディは生涯2700万枚で第3位)にも上り、トルコ音楽産業の商業的な発展が進んだことは確かです。

 

さて、こうした背景のなかでターキッシュ・ポップスというジャンルはアラベスクの同時代に発展しました。初めはエルヴィス・プレスリーなど他国のロックスターの活躍に伴い英語の曲のカバーやそれのトルコ語訳という文化の輸入という形でしたが次第に独自のポップスの形態を取るようになりました。

ターキッシュ・ポップス初期には映画女優でもあるアジタ・ペクカン Ajda pekkan(1946ー)とセゼン・アクス Sezen Aksu(1954ー)が先頭に立って牽引した。

というより二人ともまだ現役だし、ペクカンに至っては若返っているようにさえ見える

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そして最初に紹介したタルカンTalkan(1972ー)がターキッシュ・ポップスで最も活躍している人物であるといえるでしょう。ドイツ生まれではあるが両親がドイツ移民でありタルカン自身もルーツはトルコにあると宣言しています。ウシュクダル音楽アカデミーで音楽を学んだ後イスタンブール・プラク・レーベルと契約して発表したファーストアルバム≪Yine Sensiz≫ではトルコ音楽史上初めてスラングを取り入れた歌詞で若者に大きな影響を与えました。

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タルカンの曲で個人的に好きなのは2017年のサナートを歌ったこの映像。伝統的なオーケストラと共に上手くマカームの揺らぎを表現しており、タルカンが確かな歌唱力を持っていることが伺い知ることができます。

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ターキッシュ・ポップスの特徴としては

・伝統に囚われずに積極的に西洋やアラブ諸国の要素を取り入れていること

・様々な要素を含みつつも根本のリズムパターンや器楽編成にはある程度共通した要素があること

の二点が挙げられます。

 

最後に現在私が注目しているアーティストを紹介して終わろうと思います。

Cem Belevi(1987ー)2013年にデビューしたアーティストです。

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典型的なターキッシュ・ポップスの特徴を抑えつつもクラブ・ミュージック的な新しい音を積極的に取り入れて独自のサウンドを創り上げています。

また≪Dön Bebeğim ≫では全体的にボサノバ的な雰囲気をまとわせつつ力強い歌声を上手く調和させています。

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ではまた!Güle güle!

謎のCDを聴く ~大学の古本市編②清水碩二 Memorial Recital~

数あるCDの中で、ある意味目を引いたのがこのCDでした。

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バキバキに割れているケース。ガビガビのジャケット。どう見ても私家版です。

ということは、とても希少ということですね(ポジティブ)。

そして皆さん気になっているであろう、清水碩二とは一体何者なのか。インターネットストーカー検定1級の私が解き明かします。

 

まずはこのジャケットに記載されている情報から推測していきます。

ジャケット右側、外人っぽい人と握手している白髪の男性。彼がおそらく清水碩二でしょう。そしてホールでバックバンドを率いて演奏会を開いていることから、結構人気があるか、裕福である事がわかります。

 

これらから以下の仮説を導くことができます。

 

仮説1:宗教家

メモリアルコンサートを開いて私家版のCDを頒布できるのは、宗教家くらいしか思い浮かばないので。

 

仮説2:金持ち

金持ちはコネクションもあり色々できるので。

 

仮説3:凄い高名な方

私が無知でゴミカスである可能性の方が、上二つの仮説の可能性より圧倒的に高い可能性が否定できない場合もあるといえなくもない。

 

 

中をみていきます。

顔写真があります。やはり先ほどの男性が清水碩二で間違いなさそうです。

ジュラール・タゲール(ダゲール?)という何か凄そうな人のメッセージがありますね。TOYOTAの文字があるので、清水碩二はトヨタに務めていた可能性が濃厚です。なので、おそらく宗教家ではない、アマチュアorセミプロの可能性が高いと言えます。

 

 

それでは早速聴いていきましょう。 以下聴きながらメモった私の感想(やや実況中継風)です。

 

・曲の合間合間にMCが挟まれており、そこで彼が何者であるかがうかがい知れます。

・まずコンサート時点(2005年5月3日)で73歳の誕生日ようです。まさか誕生日を祝われるためにこの壮大な演奏会を???? そして曲目からシャンソン歌手であることがわかりますが、そんなにフランス語の発音が上手くないのでおそらくアマチュアでしょう。

・と思ったら冒頭のMCで自分が話せるフランス語(3つくらい)を全部話してしまいました。なんなんだ。

 

・何曲か聴いて分かったんですが、自分の半生を語りながらコンサートが進行していく形式のようです。マジで何? 私は他人の半生とか興味が無いので、観客がどういう気持ちで聴いていたのか普通に気になります。別に曲が人生に対応しているわけでもないし。

 

・肝心の歌ですが、70歳にしてはかなり声が出ています。なので、普段から歌っているのでしょう(それはそう)。ただ特別上手いわけではないです。とはいえ70でフルステージ歌える人間はかなり凄いなと思います。私はカラオケで数曲歌っただけで果ててしまうので、70才では一曲歌うのも難しいのではないでしょうか。もうちょっと頑張ってみても良いなと思いました。

 

・それにしてもホールでワンマンコンサートできる力が凄いなと聴いていて思います。金の力が。

・まずバックバンドが豪華です。全員で8人いるんですが、そのうち5人が日本人で残り3人がフランス人。このためにわざわざ来日しているようです(?????)。

・「トヨタ自動車の販売会社に40年勤めた」とのことなので、海外勤務時に得た繋がりなのでしょうか。そういうコネができるなら社会に出るのも悪くないなと思いました。

 

 

・清水碩二がなぜシャンソン歌手になったのかについても言及がありました。彼は学生時代に合唱をしていたそうです。合唱部とかそういう話題がなかったので、おそらく校内合唱コンクールとかの類いでしょうかね。わかりませんが。

・それから時は過ぎ、西山伊佐子氏の勧めにより50歳からシャンソンを習うようになり、今に至るらしいです。

 

・知りたいことが大体解明されてしまいました。まだコンサート1/4くらい残ってるのに。

 

・あ、CDが限界に近づいているらしく、めちゃ音飛びする曲があります。やはりCDって長期保存媒体としてはあまり優秀ではないですね。

 

・今、師の西山のステージが挟まれました。流石にフルステージはキツいのでしょうか。

・西山、上手い! みんな西山目当てで見に来ているのではないですか? というかこのステージ自体が西山の手によるものか、もしくはすすめで開かれているものなのではないかと思い始めました。

 

・宗教家じゃないんだ、よかった~と思って聴いていたら、後半に宗教の話題がぶち込まれておやおやおやおや雲行きが怪しくなってまいりました~~~~????。と思いましたが、本願寺名古屋別院西本願寺の別院。浄土真宗本願寺派)でした。めちゃくちゃ主流~~~~!!!! そして総代なんですね。通りで客が集まるわけです。納得です。いや、総代に推されるくらい人望があるといった方が適切でしょうか。人望、俺も欲しい。

 

・あ、今終わりました。最後は「見上げてごらん夜の星を」でしめましたね。私も好きですよ、Ground Zeroのカバーが特に。

 

 

ということで、おそらく仮説2:金持ちが正しいんじゃないかと思います。

 

 

 

 

最後に、このCDの持ち主は何者だったのか解き明かしていきます。

このCDは私家版ですから、本人が焼いて配ったものでしょう。したがって、持ち主は学生時代からの友人か、会社員時代の同僚か、近隣住民か、シャンソン仲間か何かと推測できます。

それでは、なぜCDを手放してしまったのでしょうか。コンサートから17年経ってますし、客層を考慮すると亡くなったんでしょうね。となると持ち主は清水碩二と同年代と推測できます。

遺族が故人の品を処分するのは死亡あるあるなので、おそらく死んだのもここ最近なのではないでしょうか。

そしてそれが名古屋大学の古本市に出品されたということは、おそらく東海3県に遺族が住んでいることを示唆します。清水碩二は名古屋を拠点に活動していたようなので、持ち主は名古屋市在住だったのではないでしょうか。

 

今の私の力ではここまでが限界のようです。

そしてなぜ私は買って聴いてこんなブログを書いているのでしょうか、世界にはまだ解明されていない謎がたくさんあるのです。

 

ベスト・オブ・コンテンポラリー001 「マリン・ボングを聴く」

Best of Contemporary

 さて今回から始める新シリーズは、すでに進行中の「俺の視聴部屋」シリーズとは違い、もう少し専門的に一人の作曲家を掘り下げてみようと言うものである。もちろんアイキャッチとシリーズ名は某FM局の某番組のパロディである。
 記念すべき新シリーズの第1回目はスウェーデン出身の作曲家「Malin Bång」を取り上げようと思う。

ということでまずこの曲を聴いていただきたい。

 

www.youtube.com(splinters of ebullient rebellion/Malin Bång)

 まず聴いてみての率直な感想はどんなものだろうか。タイプライターやオルゴールの音が印象的で、それ以外はノイズに包まれ全くオーケストラ作品とは思えなかった。まあそんなところではないだろうかと思う。
そして「The 現代音楽」と感じる人が多く、何が何だかといぶかる人の顔が容易に想像できる。

 果たしてそんなに聴きづらい曲だろうか。

Malin Bång

 

 ここで彼女の経歴について軽く見てみよう。

 1974年スウェーデンに生まれ、現在も同地のストックホルムに住んでいる。ピテオ音楽院、ベルリン芸術大学ストックホルム王立音楽院イェーテボリ大学などで作曲をブライアン・ファーニホウ、ジェラール・グリゼー、フィリップ・マヌーリ、フィリップ・カプデナ、ハヤ・チェルノウィン、ヴァルター・ツィンマーマン、フリードリヒ・ゴールドマン、オーレ・リュツォ・ホルム、ペア・リンドグレン。ヤン・サンドストレム、ピーター・ラインらに師事。
 そして最先端の現代音楽を演奏するキュリアス・アンサンブルの創設メンバーとして、同アンサンブルのコンポーザー・イン・レジデンスとして作曲、演奏の両面で関わってゆく。なおこのアンサンブルには日本人の宗像礼も参加している。
 彼女の音楽は世界中で演奏され、多くの賞を受賞するなどしており、ノイズを主体に「摩擦の量」をテーマに動きとエネルギーの関係を探っている。

 

 ということで、まず師匠たちの顔ぶれがすごい。おおよそ今の音楽を形作る要素を作り出したレジェンドばかりだ。とりわけブライアン・ファーニホウとハヤ・チェルノウィンという複雑性とノイズをテーマとする二人の作曲家、更にジェラール・グリゼーやフィリップ・マヌーリと言ったスペクトル楽派の作曲家の名が印象的である。
 たしかに彼女の音楽には、こういった師の影響が強く現れており、特にチェルのウィンの影響が顕著に感じる。

 

 少々脱線するがこの師のなかのチェルノウィンの作品を一つ聴いてみようと思う。

Chaya Czernowin

www.youtube.com(Ayre:Towed/Chaya Czernowin)

 いかがだろうか。影響の大きさがはっきりわかるのではないだろうか。チェルノウィンの音楽は楽音と非楽音の境界線を見直すことに主題が置かれているのだが、そのあたりは過去記事を参照いただけると良いかもしれない。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 

 しかしチェルノウィンの音楽とボングの音楽には決定的な違いがあるように思う。それはボングの音楽のほうがより私的で実体験的であり、更に言うなら現実感を伴う妄想性の音楽観を感じる点と言えるのでは無いだろうか。

 チェルノウィンはファーニホウの弟子だが、いわゆるポスト・ラッヘンマン的な側面があり、さらにその弟子であるボングはポスト・チェルノウィン世代と言っていいだろう。その音楽性はラッヘンマン的な異化に満ちていたり、あるいはそれをさらに反転させたりなどを構造の中に併せ持ち、響きはチェルノウィン的なノイズに満ちている。

 ラッヘンマン的異化ということを今述べたが、ラッヘンマンの異化の概念については過去記事で触れているので合わせて読んでいただけると幸いである。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 

 ではそんな彼女の作品が放つ印象を少し深掘りしてみようと思う。


音楽の三要素とはなんであっただろうか。

1.メロディ
2.ハーモニー
3.リズム

 小学校の音楽で必ず習うはずのものだが、まずこの三要素を考えた時この曲にそれが当てはまるのだろうか。

1.メロディ → 途中で鳴るオルゴールがそれっぽいかな
2.ハーモニー → ハーモニカの音がしたかも
3.リズム → なくはないけど複雑でわからなかった

 大方の印象というのはこんなところではないだろうか。しかしここにラッヘンマンの異化のテクニックを持ち込んで考えてみよう。

1.メロディ
はじめから鳴らされるタイプライターの音をメロディーではないかと考えてみよう

譜例1

 ランダム性が強く、メロディとは感じられないかもしれないが、過去のぬくもりある時代の人間の発する音として、昔の人々の象徴として導入されていると思われる音で、これ自体が一つの主題になっている。


2.ハーモニー
 これは通常の意味での美しい和音という概念から離れなければならない。和音とはもともと3つ以上の音が重なってそうされる現象を指すのであって、それが通常の音である必要性は定義されていない。ここではノイズが一つの音として機能し、これらを重ね合わせることで、ノイズによるハーモニーを作っていると考えることができないだろうか。

譜例2

3.リズム
 これは随所に散りばめられているので比較的わかりやすく知覚できるだろうが、例えばリズムが存在する証拠に一つのリズムの音価を変えて複雑にレイヤーしている場面がある。

譜例3

 こういった現象はリズムの存在無くしては作り得ないものである。


 そうしてみるとこの楽曲は見え方が随分変わってくる。ある一定のリズムの変奏の上に、ノイズによるハーモニーが鳴らされ、主題たるタイプライターがソリスティックなメロディを演奏しているのだ。

 そして他の作曲家との違いも生じてくる。ラッヘンマンは深い伝統への敬愛を持ってその逆張りをすることで前衛を作り出し、音響作法という方法論を主張した。しかしボングの場合は異化の考え方を取り入れているが、音楽の三要素をきっちり守っていると言える。

 チェルノウィンは楽音と非楽音の境界線を再探究するにあたって、ノイズによるスペクトル合成を主とした方法を用いる。ボングは同じようなノイズに満ちているが、実はそれらが「新しいハーモニー」を作り出す要素として機能している。

こういった相違は何を意味しているのだろう。


 マリン・ボングは伝統主義者ではないだろうか。

 

 ちょっととんでもないことをいい出したと思われるかもしれないが、ちょっと楽譜を見てみながら話を進めよう。

 

譜例4

このタイプライターの主題を第一主題としてみる。

 

譜例5

その後に展開される音価を変えながらノイズハーモニーを作るこのパターンを第二主題としてみる。

譜例6

それらが同時に混合され、他の要素も加えた部分が出てくる。これは展開部に見える。

譜例7

 この骨組みの裏に声を出しながら演奏されるシーンが登場する。これは実はタイプライターの主題に対するシビアな作曲者の現代人への見方、つまり本来の人間性が文明によって遮蔽されているという対の概念を示しているようにみえる。音楽で言う対の概念は一種のオブリガートと見ることもできるだろう。

譜例8

再びタイプライターが再帰してくる。どうやら再現部のように見える。

譜例9

変奏されてはいるが、第二主題の再帰も確認できる。

譜例10


 そして印象的なオルゴールの音がランダムに速度を変速させながら鳴らされるシーンだ。強く「記憶」というキーワードを思い起こさせるシーンだ。自分の幼いときのぬくもりある風景を感じ取れる。

譜例11


その後急速に音の厚みをましてエンディングを希求するシーンが現れる。

 

譜例12

全ては粉々になって沈黙へ消えて行く。



 いかがだろうかこれはソナタ形式では無いだろうか。そしてラッヘンマンは反構造主義であり、チェルノウィンもまたそうである。さらに言えばエンディングを希求するのが音楽の宿命と言って逆にそれを希求しないスタイルを貫くのがラッヘンマンだとするなら、ボングの音楽は明らかに伝統的にエンディングを希求している。

 こう考えると彼女の音楽の正体が見えてくる。

 チェルノウィン的非楽音とファーニホウてき複雑さ、そして各要素にはラッヘンマン的異化を用いながらも、それを伝統的な形式、構造のなかに戻しているのだろう。このことでポスト・ラッヘンマン的、ポスト・チェルノウィン的な表現として世に問うていると見てもよいかと思う。伝統の中でも前衛は行えるという力強いメッセージと、この曲は人間と文明の在り方を個人的な眼差しと感じ方で表現し、現代を良いものとは感じていないという主張を内在させている。非常にメッセージ性があるが、それは彼女の極めて個人的な世界であり、非常にショッキングな音楽だが、それを形作る要素は儚いものでできている。実に個性的、実にポスト・モダン的と言える作風である。

 最後に似たテーマ性を持つ曲だが私のお気に入りの彼女の曲をもう一つ上げて、今回は北欧の前衛の担い手の一人の音楽を日本に紹介しつつ、私なりの分析を行ってみた。異論反論はあるだろうが、こういった見方もできるのではないだろうか。


www.youtube.com

(Jasmonate/Malin Bång)

 

〈作曲ものまねシリーズ〉#2 ショパン

どうも、名作会会長の冨田です。

自分は今年度大学を卒業してから、作曲家として活動すべくインプットを重ねる日々を送っております。

そんな研究成果を生かし、前回はベートーヴェンの作風をものまねして一曲作ってみました。

今回はピアノの詩人・ショパンをものまねしてみましょう。

ショパンとは

ショパン(Frédéric François Chopin)は、ポーランド出身でフランスにて活躍した作曲家です。

1810~1849年を生きたと言われ、前期ロマン派を代表する作曲家とされています。

ピアノ独奏曲の作曲が大変多く、ピアニズムと言えばショパンといったイメージがありますね。

 

さて、今回彼の作風をモノマネするにあたり、参考にした曲は2つあります。

「革命のエチュード(Op 10 No.12)」と「黒鍵のエチュード(Op.10 No.5)」です。

特徴点の分析

2曲に共通して言えることは、装飾音が大変多いということ。

右手・左手ともに過酷な連符がちりばめられていますが、単なるアルペジオの音型ではなく、倚音や刺繍音、経過音といった非和声音がかなり多用されています。

演奏効果の高い激しい連符に、装飾音によるきらめきが加わることで、和声感が大変豊かなものになります。

「革命のエチュード」冒頭

「黒鍵のエチュード」18小節目~

また、ショパンの用いる装飾音は、非和声音が強拍にくるというのも特徴です。

非和声音というのは、「ある和音の中に構成音として含まれていない音」のことを言います。

例えば、「ド・ミ・ソ」という和音が鳴っているとき、メロディが「レ」を弾いたとすると、「レ」の音は「ド・ミ・ソ」の中にありませんから非和声音ということになり、瞬間的に音がぶつかってしまう(不協和音)ことになります。

そうした不協和音は、西洋古典音楽では目立たないよう弱拍に配置することになっています。

ところが、ショパンはそうした不協和音を敢えて強拍、つまり拍の頭に置き、耳慣れない和音の響きを積極的に導入したのです。

「革命のエチュード」第1主題

「黒鍵のエチュード」18小節目~

☆POINT☆

・細かく激しい連符

・ちりばめられた装飾音

・強拍の非和声音

 

また、半音の動きを積極的に取り入れている点も特徴です。

「革命のエチュード」では大量の半音刺繍や半音階的経過音が出てきます。

「革命のエチュード」15小節目~

「黒鍵のエチュード」でも、やはり第2主題の終わりがけに左手の半音階的経過音がでてきます。

とても挑戦的な和声が導入されており、転調感が高いシーンです。

「黒鍵のエチュード」第2主題終わりがけの転調誘導

☆POINT☆

・半音進行の多用

 

また、いずれの曲もたいへんキャッチーで、ポップ音楽のように耳に残る曲です。

主題が明瞭でメリハリがあり、聞いたときに耳に残りやすいのも彼の特徴でしょう。

☆POINT☆

・明瞭でキャッチーな楽曲構成

 

ものまね曲、完成

……以上のポイントを踏まえて、ショパンをものまねしてみました。

この曲は僕が作ってみた曲です。

ショパンっぽさを感じていただけるでしょうか?

 

なお、「革命のエチュード」「黒鍵のエチュード」の詳細な分析はこちらにアップしています。

興味があれば見てみてください。

 

大好き、大須シネマ。

皆さんに“好きな映画館”はあるだろうか?

 

「好きな映画は何か」と問われればすぐ答えを出せる人は多いだろうが「映画館」と言われるとなかなかすぐ答えられる人は少ないだろう。また、「そもそも映画館なんてやってる作品どこもほぼ一緒なんじゃない?」と思う人も多いだろう。

 

おそらく、多くの人が「映画館」と言われて思い浮かべるのは、いわゆるシネマ・コンプレックスだ。

 

シネマコンプレックスとは、6~18程度の劇場(スクリーン)を持つ映画館のこと。シネコン、複合映画館、マルチプレックス(シアター)と呼ばれることもある。

シネマコンプレックス | ウシオ電機

 

そんなシネマ・コンプレックスとは違い、たった一つだけの劇場を持ち、個性的な上映作品で観る人々を魅了する映画館も存在する。それが「ミニシアター」だ。そんなミニシアターの中でも私の特に気に入っているミニシアターがある。それは...

大 須 シ ネ マ

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www.osucinema.com

 

大須シネマはその名の通り、名古屋大須にあるミニシアターだ。2019年に創館し、途中コロナ禍の波に飲まれて長期の上映中止や運営会社の変更等があったが、今に至るまで様々な映画や映像作品を上映している。

 

大須シネマのここ好きポイント

一見どこのミニシアターと変わりないように見える、そんな大須シネマの何処が好きなのか。その「ここ好き」ポイントをいくつか紹介させていただきたい。

 

1.とにかく上映作品のセンスが素晴らしい

この大須シネマ、とにかく上映作品のセンスが素晴らしいのだ。もちろん、私にも趣味趣向があるので必ずしも全作品に惹かれるということはないのだが、それでも毎回「なんかこの作品ちょっと気になるな...」だったり「おお!この作品を上映してくれるのか!」といった超超超超絶妙なところを突いてくるのだ。というわけでその素晴らしき過去の上映作品をいくつかご紹介したい。

 

千年女優

千年女優は2002年公開の今敏監督によるアニメーション映画だ。恐らく映画好きならタイトルくらいは聞いたことがあるのではないだろうか。銀幕のスターであった藤原千代子が、現実・幻想入り混じりながらインタビューアにその半生を語る。映像もストーリーも非常に素晴らしく、また音楽はあの平沢進が作曲をしている。

 

ファンタスティック・プラネット

ファンタスティック・プラネットは1973年にフランス=チェコで公開されたSF映画だ。ドラーグ族と呼ばれる巨人に支配された星で人間は虫けらのように扱われていた。ある時、人間の赤ん坊「テール」はドラーグ族の学習装置を持って逃亡し... 次々と登場する奇妙な動植物群は奇怪でまた美しく、観客を飽きさせることはない。ちなみにこの作品は会長と副会長と一緒に見に行きました。

 

③ある日本の絵描き少年

こちらは2018年公開の20分間の映像作品だ。絵を描くことが大好きな少年・シンジの半生を描いた作品で、シンジの成長に合わせてシンジの見た目も変わっていく、というなかなか実験的な作品となっている。私はこの作品は劇場で見ていませんが、あとからこの作品を見て号泣し、「劇場のでかいスクリーンで見ればよかった...」とめちゃ後悔しました。ちなみにこちらの作品、youtubeで公開されているので(上記リンク参照)是非一度観ていただきたい。

 

④夢みるように眠りたい

この作品は、大須シネマで上映されるまで存在すら全く知りませんでしたが、待合室で予告編を観て気になり、観に行った作品だ。白黒映画で、セリフが読み上げられることがほぼない、少し変わった作品だが、ラストシーンでは大号泣し、自身の人生で最高の映画体験となりました。ありがとうございました......最近やっとBlu-rayが販売されたりサブスクで配信されたりしたので、(ちゃんとあらすじを読んだ上で)是非、観ていただきたい。

 

⑤劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト

そして、2022年7月11日から公開されているのが、この「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライトだ。TVアニメが2018年に放映され、本作はその劇場となる。私は大須シネマで劇場版をやると知って予習がてらこのTVアニメを観たが、TV版だけでも非常に鮮烈な印象を受けてついには沼にハマったので、劇場版を早く観に行きたいです...観に行きてぇ...劇場版では一体何が起こるんだ...

 

以上、アニメ作品に偏ってしまったが、これ以外にも本当に様々な作品を上映しているので、少しでも気になった方は一度大須シネマの「上映作品ページ」を見てほしい。きっとそこには魅力的な作品があるはずだ。

 

2.わくわくする扉や壁の飾りつけ

扉や壁の装飾にこだわりを感じるのも、私が大須シネマを推すポイントの一つだ。

大須シネマは入り口の扉がガラス張りになっているのだが、そこにデカデカとポスターが貼り付けられるのだ。映画を観に来てそのポスターを観ると「おおついに、俺は観に来たぞ...!」と気分が高揚して非常にワクワクさせられる。

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また、券売所と待ち合いロビーの間は細い廊下で結ばれており、その廊下の壁に上映期間ごとに上映中の作品の紹介が貼られるのだが、これがまた毎回凝っているのだ。例えばアニメ映画若おかみは小学生!を上映した際は、作中に登場する老舗旅館「春の屋」の看板を再現してみたり、ミュージカル映画「ヘアスプレー」上映の際は紙と綿でヘアスプレーを作って壁に貼り付けたりと、観たことのない作品でも興味がとても引き立てられるようになっている。

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3.大須シネマの“チケット”

映画の半券を集めるのが好きな人はいるだろうか。私もなんとなく取っておいてしまうタチの人間なのだが、実はミニシアターだとそれができない場合がある。というのも、ミニシアターは大抵チケット購入順に入場して席を取るものなのだが、その整理番号札が入場の際に回収されてしまうことが多々あるからだ。大須シネマでも入場順に席を取りをするのは変わらないが、大須シネマはこの際、入場券が回収されずに手元に残るのだ。しかもこの入場券、結構しっかりとした材質でできているので長期間財布などに入れていてもフニャフニャにならず、いつまでも綺麗に取っておくことができるのである。

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4.アニレコライブの存在

大須シネマの大きな特色は、なんと言っても「アニレコライブ」というイベントがあることだ。アニレコライブとは、若手声優の方を映画館にお招きし、台詞の入っていない自主制作映画に合わせてその場で生アフレコをする、いわば活弁のようなイベントだ。私は未だこのイベントには参加できていないのだが、参加した人からは「録音してあるのか、ってくらい自然にアフレコされててめちゃくちゃ驚いた」(意訳)という声を多数見かけたので、いずれ私も是非観に行ってみたいものです...

 

行き方

大須シネマは細めの路地にひっそりと佇んでいるので、発見するのにやや手間取るかもしれない(私も最初はそうでした)。そんな人のために超わかりやすい(←?)地図をご用意した。それがこちら。

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行き方その1

大須に普段あまり来ない人はとりあえず招き猫を目指そう。招き猫に到着したら東仁王門通りのアーケード奥へと進み、李さんの台湾名物屋台が見えたら右へ!そのまま路地を真っ直ぐ進めば大須シネマにゴール!

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行き方その2

万松寺通り(スギ薬局のある通り)を進んでいるなら、そのままアーケードを奥の方へ、左手に似顔絵製作所さん、右手に大須ベーカリーさんが見えたらすぐ右へ曲がればゴール!

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行き方その3

もし今ゲームセンターにいるなら、隣のBetty's shoesさんの前に立とう。店の正面にある細い道を進んで二つ目の角を左に!そのままゴール!

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大須シネマでの映画鑑賞方法

ミニシアターで映画鑑賞するのが初めての人もいると思うので、一応映画鑑賞方法も伝えておきたい。

大須シネマに入ったらまずチケット売り場でチケットを買おう。さすれば番号付きのチケットを入手することができる。もしいい席に座りたければ朝イチでチケットを購入しに行っても良いだろう。

映画の上映十分前に劇場の扉が開くチケットの番号順に点呼がされるので自分の番号が呼ばれたら劇場に入場しよう。劇場内に入ったら自分の好きな席に座って上映を待とう。劇場内では食べ物は食べることが出来ないが、飲み物は持ち込みが許されているぞ。食べ物が食べたければ待合ロビーへ行こう。

劇場内のカーテンと扉が閉められ、暗くなったら上映の開始だ。さあ、最高の映画体験の始まりだ...!

 

おわりに

今回は大須シネマについて特集した。

今回の記事を読んで少しでも気になった方は是非公式サイトやTwitter、インスタをチェックしてほしい。

そして気になる作品があったら是非一度劇場に足を運んでみてほしい。きっと素敵な映画体験ができるだろう。

ではまた!

謎のCDを聴く 〜大学の古本市編①管弦楽金曲集〜

丁度一ヶ月前くらいに大学祭がありました。

大学祭では毎年古本市が開かれているんですが、そこで本に紛れて中古のCDが売っているんですよね~。しかも全く知らないミュージシャンの。

これが1枚3000円とかだったらまあ買わないんですが、100円なので今回はいろいろ買って聴いてみました。

書いていたら思ったよりボリューミーになったので、今回は1枚目「管弦楽金曲集」のみです。

 

管弦楽金曲集

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なんだかとても中国の香りがするジャケットですね。めちゃくちゃ中国人が作曲して中国人が演奏してそうです。あと「金曲」なので、少なくとも中国国内ではメジャーな曲が演奏されてそうです。

そうなるとCD内容の可能性としては

①民謡をオケでやる

②オケ用の曲

の2パターンが考えられると思いますが、中国語全然読めないのでわかりません。でもどっちかというと①のような気がしないでもないです。

ということで聴いてみます。

 

~♪~

 

聴きました。結論から言うと①②両方ありました。ぬかりねえな。それでいいと思います。

 

ピックアップ

1曲目「思乡曲」 马思聪(1912-1985)


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いわゆるロマン派の西洋音楽を彷彿とさせる穏やかな曲。中国音楽集の1曲目ということもあり、コテコテのステレオタイプ的な中国音楽を想像(期待)していたので、やや意外でした。まあヴァイオリンはかなり二胡っぽい使われ方をしていますが。

 

作曲者の马思聪は11歳の時にヴァイオリンを学ぶためにフランスに留学しました。その後パリ音楽院に入学し翌年帰国。1949年には中国の芸術系大学のトップに君臨する中央音楽院の初代院長に任命されるなど、かなり高名の様子です。

しかし1966年の文化大革命のときに迫害され、翌年アメリカに亡命します。

 

ヴァイオリニストということもあり、ヴァイオリンのための作品が多いようですが、管弦楽に加えてバレエ音楽やオペラの作曲もしているようです。個人的には「アジア・アフリカ・ラテンアメリカ反帝行進曲」が気になります。思想が強そうだから。

ちなみに今回収録されている曲名の「思乡」とはホームシックのこと。彼の人生と重ね合わせると、なかなか泣ける話ではあります。

 

 

5曲目「春节序曲」李焕之 (1919-2000)


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出ました、いわゆる中国音楽です。普通にかっこいい。

作曲者の李焕之は1919年香港生まれ。1938年に魯迅芸術学院音楽科に入学し、冼星海のもとで作曲と指揮を学びました。

中華人民共和国建国後は马思聪同様中央音楽学院に勤務し、その後、中央歌舞団に移籍、1960年に中央中国管弦楽団の初代監督、初代首席指揮者となります。その後は世界中で指揮を振っていたようです。

作曲家としては「春節組曲」というのが有名らしく、そのなかでも第1楽章は春節の時期になると公共の場やメディアで流れまくるそうです。日本でいうところの宮城道雄「春の海」的なポジションでしょうかね。

 

ちなみに師の冼星海はヴァンサン・ダンディとポール・デュカスに師事していたらしいです。意外なところに繋がるもんですな。

 

7曲目「火把节」王西麟(1937-)


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5曲目と同様いわゆる~という感じがしますが、より西洋音楽的な気がします。シネマティックで劇的な展開がかっこいいですね。この曲のことは全然知りませんでしたが。

 

作曲者の王西麟は1937年に河南省に生まれました。10代の頃、西洋のクラシック音楽に触れ、教会学校中国人民解放軍文化技術団第11分団で音楽理論を学んだそうです。 その後、上海音楽院で学び、丁善德、瞿维、刘庄、陈铭志などに師事しました。彼の作品は長い間注目されませんでしたが、近年中国の音楽界で広く受け入れられ、国際的に最も影響力のある中国作品の一つとなっているそうです。そんでもってこの「火把节」は中国で最も有名なオーケストラ作品の一つらしいから俺は今すぐ自殺した方が良いかもしれないな.......。ごめん全然知らなくて......。

そして交響曲四番はペンデレツキから高い評価を得るなどしているらしいです。ちゃんと聴いてみようかな......。

 

総評

中国における西洋音楽の黎明~発展を窺い知ることができて、良いCDだったな~と思います。とても勉強になりました。それはそれとして、ステレオタイプ的な中華風音楽という雰囲気のかっこいい曲も多くて満足感もありました。

まあ取り上げられている作曲家の時代が時代なので、もっと現代的な曲も入っていたらより良かったのかな~とは思います。

 

次回「清水碩二 Memorial Recital」編に続く!

コンテンポラリーの回廊 俺の視聴部屋2

コンテンポラリーの回廊 俺の視聴部屋2

 さて今回も世界中の新しい音楽を、この遅れきった国日本に紹介してこうではないか。JAPANがどうのCool Japanなんて本当にバブルの亡霊まだいたのと言う感じで、口にするのも恥ずかしいというものだが、まあどうやら文化についても我々はその亡霊に飲み込まれてしまっているようだ。前回のこのシリーズでも書いた通り、ここで紹介する作曲家は何も世界の最先端でいま売出中の存在ばかりではないのに、日本では未紹介、未演奏なんてのはザラなのである。先生方の学閥門閥のお話ほどくだらないものはないが、音楽が政争の具になって本質を見失っている間に、日本は衰退してしまっただけのことである。指導者の責任は極めて重いと言わざるをえないだろう。

 

 さて少し前置きが長くなってしまったが今日の一人目はエストニア出身の作曲家である。

Helena Tulve

 ヘレナ・トゥルヴェ(Helena Tulve)は1972年にエストニアに生まれ、自国でエルッキ=スヴェン・トゥールに師事し、リゲティやストロッパの夏期講習などを受講、IRCAMにてスペクトル・ミュージックを学んだ。このことで彼女の音楽は倍音とノイズを特徴としながらも、インスタレーション的な作品、電気増幅や変調を加える作品も多く、いわゆるエレクトリックアコースティックというスタイルを基調としていると言って良いと思う。
 エストニアは歴史的に非常に合唱が盛んな国であり、彼女もその作品群に合唱作品が多い。器楽曲で見せるのとはまた違う味わいがあって面白い。今回はオーケストラの作品「Extinction des choses vues」を紹介しようと思う。
 タイトルは難解で約すとすると「見えているものの消滅」ということになろうか。ノイズから様々な倍音を追いかけながら響きが変容していくが、構成が非常にうまく、また美しく鳴るオーケストレーションが心地よい。このあたりには合唱の影響や、本人が学んだグレゴリオ聖歌などの中世の音楽の影響があるのは間違いないだろう。特殊奏法や、珍しい打楽器が美しく響きに調和しており、厳しい現代音楽というイメージを一掃してくれる名曲ではないだろうか。

Extinction des choses vues

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Irini Amargianaki

 続いてはギリシャ出身の作曲家、イリーニ・アマルジアナキ(Irini Amargianaki)である。高名な民族音楽学者を父に持ち、1980年にアテネに生まれている。
 基礎的な作曲をテルザキスの下で習得すると、ドイツにわたり、ヴァルター・ツィンマーマン、クリステン・リーゼ等に師事、さらに電子音楽経も興味を持ちこれらも習得した。極めて興味と習得に長けた作曲家のようで、その後アラビアの民族楽器ウードを習い、これも習得している。
 作風は電子音響を伴うアンサンブルを好み、ドローンやノイズの持続を基調とするちょっと辛口のもの。今回はフルート三重奏とアンサンブルのために書かれた「N 37° 58' 21.108 E 23° 43' 23.27 Athens」という曲である。
 タイトルは座標でありアテネの遺跡「アレオパゴス」を指し示している。古代の裁判所である地の座標をタイトルにいかなる音楽が開陳するか聴いてみよう。

N 37° 58' 21.108 E 23° 43' 23.27 Athens

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Andrea Tarrodi

 最近の若い作曲家は「調性」「無調」という区別にこだわらなくなってきており、それぞれ必要なら躊躇なく選び、混在も全くいとわない。同時にノイズについても同じことが言え、語法の差を意識しなくなっている。
 そんな作風を持つ一人として、高名なトロンボニスト、クリスチャン・リンドベリの娘であるアンドレア・タッローディ(Andrea Tarrodi)がいる。彼女は1981年にスウェーデンに生まれ、ストックホルム王立音楽大学他海外を含む数校ででヤン・サンドストレム、ペア・リンドゲン、ファビオ・チファリエッロ=チャルディ、ジェスパー・ノルディン、マリー・サムエルソンに師事した。楽譜のうちトロンボーンに関するものは父のリンドベリの出版社で刊行されてはいるが、その他の作品はまだまだこれからのようだ。
 非常に北欧らしい純度の高い音楽を書き、先程指摘したように作曲技法の自由な混在を特徴としている。こういった音楽が出てくることは同じような語法を探る私としても心強く、勝手活躍を応援したくなってしまうものである。

Birds of Paradise

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Vasiliki Kourti-Papamoustou

 こういった状況から、今までは一部予算の少ない劇伴や、アマチュアの音楽家のおもちゃと言ってもいいくらいに扱われてきた「打ち込み」の手法や、midi自体もコンテンポラリーに取り入れられてきている。もちろんサンプリングした音の解析や変調には今までもそういった手法は使われてきたが、もっと直截に介入してくるようになってきた。
 そういった作風を取る一人としてヴァシリキ・コウルティ=パパモウストウ(Vasiliki Kourti-Papamoustou)がいる。ギリシャ出身の作曲家で生年を公表しておらず、また詳しい経歴もまとまったものがない。
 非常に現代というものを感じるのに十分な作風を持っており、なるほどもはやこの次元まで音楽というものは形を変えたのかと思うばかりである。私には隔世の感があるが、若い人には違和感はないのではなかろうか。

Interlude

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Eygló Höskuldsdóttir Viborg

 今回最後に紹介するのはエイグロ・ヘスクルドスドッティル・ヴィボルイ(Eygló Höskuldsdóttir Viborg)である。アイスランド人ではあるが、バークリー音大で学び、ニューヨーク大学のマスタークラスを受講したという。そしてあのポスト・ミニマル世代の代表的な牽引者であるジュリア・ウォルフ、ロバート・ホンステインに師事している。
 2019年にアイスランド交響楽団の委嘱で「Lo and Behold」を書いたことが名を知られるきっかけになったまだまだ売出中の若手である。師事した師匠を見れば明らかだが、彼女の音楽はミニマリズムを極めて特異な形で取り込み、自分の言語にしている。
今回紹介する曲も、ハーモニクスのみで構成された弦楽四重奏曲となっていて、極めて純度が高くまた静かでドライな音楽だ。アイスランド人の特性とアメリカの音楽の出会いについては、前回このシリーズで紹介したフョーラ・エヴァンスにもにた部分があるように思う。

Silfra

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 いかがだっただろうか。今回選んだのがすべて女性の作曲家であるということはもちろん偶然ではない。少し前まで女性に立派な音楽など書けぬなどと言われていたのがどうだ、今となっては自由闊達そして見下していたものを吹き飛ばす勢いではないか。そして何より大切なのは、それぞれの個性がしっかり発揮されみな「自分の言葉」を用いて音楽を書いていることだろう。ポスト・モダンの時代にあっては当たり前のことだが、これが出来ていない人は非常に多い。
 過度な批判は控えるが、良くも悪くも芸術は芸術なのである。商業に牽引され客のいいように書いたものは、やはり芸術ではなく商品である。そして世界の動向を研究し、古典を学ぶこともせず、自分の思い上がりで音楽らしきものを書いている人は、その愚かしさに気づき恥じるべきであろう。音楽を作るハードルが下がって裾野が広がるのは本末転倒であり、専門職としてきちっとした研究と発信をしてこそ音楽であり、今はそのことをもう一度見つめ直すいい時期ではないだろうか。