名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

「すずめの戸締まり」が良すぎて新海誠を嫌えなくなった 〜新海誠の芸術論 vol.2〜

注※ 本記事は映画「すずめの戸締まり」のネタバレを含みます!!

 

以前、わたくしトイドラこと冨田は新海誠の「君の名は」を批判する記事を書きました。

それも結構ボロクソに批判しております。

結果的にプチ炎上を起こし、3年たった今でもこの記事は名作会の人気記事TOP3となっています。

いや不名誉すぎるだろ……。

 

↑の過去記事にも書いている通り、何かを貶すことは何かを褒めるのと同じくらい大事なことです。

とはいえ、3年前から今までで僕の心境にもいろいろと変化がありました。

あ、変化っていうのは「炎上コワイ……」ってことではないですよ?? 炎上は適宜していこう。怖がる必要はない

秒速5センチメートル」を再視聴し、「天気の子」も観ました。

そして最新作「すずめの戸締まり」も、この前劇場に見に行ってきました。

結果、メチャいい映画だったので知り合いという知り合いにオススメしまくるオタクと化しています。

…………「天気の子」はマジクソ映画で1ミリも良さがわかりませんでしたが。

 

目次

 

2度目の「秒速」が鳴り止まない

「すずめの戸締まり」のレヴューに今すぐ行きたいのはやまやまですが、まずはここから始めねばなりません。

 

2年ほど前、友達の家で2度目の「秒速5センチメートル」を観、感想が180度変わりました

前回の記事では、「秒速」について

新海誠の作品で最も大事なのは「共感」だということです。

作品を観ることで鑑賞者に作用しようとするものが芸術だとするなら、新海誠作品は鑑賞者に寄り添いこそすれ何らの作用を及ぼしません。

つまり、観る前と後とで、見た人の価値観は何も変わりません。

と批評していました。

しかし、この批評は「秒速」が人気オタクコンテンツであるという先入観から出てきたものだったように思います。

改めて「秒速」を観てみて、

「いや新海誠ぜんぜん共感させる気ないだろ!?」

と思ったのです。

登場人物は全員90年代のアキバオタクみたいな気持ち悪い陰キャで、多くの人にとって共感できる対象ではなかったでしょう(公開当時は特に)。

ナヨっちい主人公と叶わない恋のせいで、見てる側はずっとお預け状態です。

「エモい」という言葉もまだなかった時代にあれをやったのは、思えばかなり挑戦的でトガっていたんじゃないでしょうか。

論理的にメッセージを語りかけてくるようなタイプの作品ではありませんが、性愛・感情・エモさといったある種の動物性・汚い本能みたいなものを目の前に突き付けられて、僕は結構ビビってしまいました。

ちなみに、「秒速」を観た友人はしっかり価値観に影響を受け、ことあるごとに思い返している上、初恋の人に会いに東京まで出かけたりしていました。

めっちゃ鑑賞者に作用してるじゃん。。。

 

「秒速」に描かれる風景が具体的過ぎ、ラッセンのように情報過多であるという感想は変わりません。

ただ、2回目に見たときは妙に心に食い込んできて、「秒速」は他人にオススメできる映画だなあと思うようになりました(人はかなり選ぶが)

……というか、確かその時友達の家で見たのも僕がオススメしたからでした。

つまんねーと分かっていたはずの映画を、なんで僕はわざわざオススメしたのか。

結局、メッチャ不快な作品というのはメッチャ素晴らしい作品と紙一重ということでしょうかね。

 

何も分からなかった「天気の子」

このように、僕の感性は少しずつ変わっているようです。

が、別に根っからの新海誠信者になったわけではないことを示すため、今から「天気の子」をボロカスに言おうと思います

 

 

 

▽ネタバレ注意▽

いや、マジであの映画、何が言いたかったんでしょうか(結局これ)。

つまんなすぎて内容を細かく覚えてはいないのですが、とにかく気になった点は3つ。

 

まず、主人公のグレ方が雑すぎでは?

冒頭のシーンでいきなり家出しているわけですが、

「なんで家出してるんだろ、まあ後々語られるんだろうな」

と思っていたら語られないまま映画が終わっていきました

え、結局この主人公は何者だったの???

バックグラウンドが何もないただの家出少年だったので、共感も解釈もできず「???」状態でした。

しかも、冒頭で拳銃を拾うわけですが、その拳銃を最後のほうで本当にぶっぱなします。

やりたい放題過ぎだろ。

 

そして、そんな無名家出少年である主人公に対して、ヒロイン枠の陽菜ちゃんが優しすぎる

人間、優しくされるためには当たり前ですけど理由ってもんが必要です。

理由なく優しくしてくれる年下ママを待ち続けて干からびて死んでいくのがキモ童貞オタクですので、この描写はフツーに不快でしたし、ご都合主義が過ぎます。

ついでに言うと、主人公の世話をすることになる新聞ライターの須賀さんも優しすぎます。

一応フォローしておくと、こういうご都合主義というのは、時間的制約の大きい映画であれば仕方がないこともあります。

ただ、ご都合主義をやってまで表現したい何かがその先にないと、やはり見ていられないですよね。

 

最後に、この映画のオチについて。

けっきょく主人公は、

①東京を救うために陽菜ちゃんを犠牲にする

②陽菜ちゃんを助けて東京を水没させる

という究極の2択を迫られるわけです。

いかにもセカイ系っぽい展開じゃないですか……!!

で、どうなったかというと主人公は普通に陽菜ちゃんを助けます

そのせいで東京は本当に水没し、めっちゃひどい大災害になります

何しとんねん。

別に、道徳的に正しいことをしろ!と言いたいわけではありません。

ただ、この映画のオチは本当に

「大好きな子を助けて、それ以外を全部犠牲にする」

というだけ。

いやマジで何が言いたいんでしょうか。

特に何の深みもなければ、葛藤も苦しみも成長も何もありません。

しかも、主人公はそのあと補導され保護観察処分を受けたのち、何年も後になってから陽菜ちゃんとエモ~い感じで再会します。

え、よく顔向けできたな。。。。。

お前のせいで壊滅した大都市が目の前にあるんだぞ!?!?!

この映画にエモさを感じられる人、ラッセン風の色彩で彩られれば「ゲルニカ」とか「我が子を食らうサトゥルヌス」とかでもエモ~い!って感じで見ていられるんじゃないでしょうか。

ネタバレおわり△

 

 

 

はい、というわけで今回も炎上確定です。

ただ、ネットのレヴューを見ると意外にも「天気の子」を評価する真っ当っぽいレヴューも多く、実に評価が割れているなと思います。

どうやら、新海誠は自作品でけっこう尖った挑戦をしているようで*1、同じコンセプトの映画を作らないように(少なくとも最近は)しているように思えます。

おそらく、「天気の子」を評価している人にしか見えていない部分があるのでしょう。

もしよければコメントで教えてください。

 

「すずめの戸締まり」レヴュー

では、ようやく「すずめの戸締まり」のレヴューに入っていこうと思います。

「すずめの戸締まり」は、「君の名は」「天気の子」から続く震災3部作の3つ目です。

東日本大震災に影響を受け、大災害がストーリーの中心に据えられている点が3部作で共通しています。

…………とは言ったものの、実は今作を観てはじめてそれに気づきました

だって、「君の名は」も「天気の子」も、確かに災害を中心としたストーリーではあったけど、あくまで(悪く言えば)ストーリーに彩りを添える舞台演出という感じでしたから。

必ずしも災害をテーマにする必要があったか?というと微妙な気がします。

ただ、今作では明確に東日本大震災がストーリーの中核にあり、はっきりと震災に向き合っているといえます。

 

悪かった点(いつも通りだね)

先に悪かった点を指摘しておきます。

これはみんな言っていることですが、やっぱりご都合主義が多いです。

主人公であるすずめと旅の同行者である草太、2人の仲が接近していく過程の描写がやや薄いですね。

ただ、これは先にも言った通り、映画だと多少は仕方ないと思います。

それに、今作ではそんなご都合主義をしてまで描き出したいものが見て取れたので、個人的にはそこまで気になりませんでした。

 

想像を掻き立てられる怖さ

さて、以後は良かった点を挙げていきます。

まず、本作の主人公であるすずめは、実は東日本大震災の被災者ですが、そのことが映画の後半に至るまで伏せられたままストーリーが進行していきます

なんというかこう、非常に…………リアリティがありますね。

 

映画を見ている側としては、

「すずめちゃん、行動力ヤバww」

「いきなり家出しちゃってすごいなあ」

なんて思いながら見ているわけですが、そんなすずめちゃんが

生きるか死ぬかなんて運でしかないんだから!」

みたいなセリフを吐いたシーンから

「あ、何かあるんだな……」

と(カンが良ければ)思い始めます。

すずめは、ただのお転婆はっちゃけ娘(それこそ今までの新海誠が好んで描きそう)として描かれているのかと思いきや、実は隠された一面があるという構造になっています。

 

で、少しづつすずめが被災者であることが明らかになっていきます。

いきなり明確に明らかになるのではなく、あくまで少しずつです。

すずめが叔母と二人暮らしをしていたり、死と隣り合わせの状況に何の感情も抱かなかったり、海岸を見て美しいと思えなかったり、自分の過去について一向に語ろうとしなかったり、随所に挿入される真っ黒に塗られた日記のシーンだったり……。

こうした控えめで想像を掻き立てる描写が、「被災」という体験のおぞましさをよく引き立てていました。

もしこの映画が「被災者のすずめ」という明確な情報から始まっていたら、ストーリーの面白さは置いておいても、思想の深みはかなり損なわれたことでしょう。

 

また、映画の中で震災の被害が直接的に描かれていなかったのも素晴らしいと思いました。

ストーリー上、すずめと草太が地震の発生を未然に防いでいくので、実際に地震が発生して被害が出るシーンはほぼ描かれていません

この点は賛否あるようで、人によっては「ちゃんと描いたほうが震災の恐怖を表現できたのでは?」という意見もあるようです。

ですが、僕は真逆のことを言いたい。

劇中、すずめを襲った大震災がどんな被害をもたらしたのか、直接的にわかるシーンはありません。

しかし、間接的にその想像を掻き立てるようなシーンはいくつもあります。

泣きながら母を探して走るすずめの断片的なシーン。

壊滅したまま10年間そのままになっているすずめの旧家。

地震を止めようと献身するすずめにダイジンが言った「人がたくさん死ぬね」という味気ないセリフ。

最後の後ろ戸を閉める際に聞こえる、無数の「行ってきます」の声。

そして何より、すずめが過去の記憶を求めて日記帳を開いたシーン、あれが非常に怖かったです。

ただただ真っ黒に塗りつぶされたページが大写しになり、ざわざわと幻聴のように被災時の叫び声や鳴き声が聞こえてきて、ページをめくってもめくっても真っ黒なページが続き、幻聴が大きくなっていく。

視覚的な情報量はゼロなのに、幼少期のすずめが日記を何ページも黒で塗りつぶしたという事実や、脳裏を埋め尽くす当時の幻聴から、どんな凄惨な体験があったのか想像せずにはいられません。

 

このように、具体的な被害を描かず見ている側の想像に委ねたのは、今作で非常に感動した点の1つです。

新海誠といえば、過剰に具体的な描写を重ねるイメージがありましたので、こういう深遠な表現もできるのかと見直しました。

実際に震災の被害を描こうとしたとき、具体的に「こんなことが起きました」と描いてしまえば、取りこぼす部分が必ずあるし、陳腐化してしまいますからね。

 

また、映画の中で一瞬だけ、大震災の被害が視覚的に描写されるシーンが(実は)ありました。

草太を救うために後ろ戸に入ったシーンで、当時の壊滅したすずめの故郷が壊滅した姿のまま燃えていましたね。

あの描写はえげつなすぎて、だいぶ心にキました。

すずめはものすごい表情でそんな景色をにらみつけながら、丘に向かって走っていくわけですが……。

 

「過去の自分に向き合え」という厳しいまなざし

本作は、すずめの成長を描いた作品といってよいと思います。

が、劇中を通してすずめが段々と成長したかというと、全くそんなことはありません

旅をする過程ではずっと叔母さんに要らぬ心配をかけ続け、それどころか親切にしてくれたスナックのママにも心配をかけて怒られる始末。

反省はしているようでしておらず、叔母への連絡もしないし非常に自分本位です。

 

実は、この「自分本位」というすずめの未熟さは、ダイジンを通しても描かれています。

すずめは冒頭、ダイジンに対してウチの子になる?と声をかけています。

ダイジンはそれを真に受けたので以後すずめに懐いているわけですね。

ところが、ストーリーが進むにつれてすずめはダイジンへの憎しみを募らせ、自分がダイジンに言ったことを忘れてしまいます。

この構図は、のちに叔母さんによってすずめ自身に降りかかってくることになります。

すずめがダイジンに「ウチの子になる?」と言ったことと、叔母が被災直後のすずめに「ウチの子になろう」と言ったこと、これらは対比構造になっていますね。

好き勝手迷惑をかけるすずめに対し、左大臣に憑りつかれた叔母が憎しみをぶつけることで、すずめは自分のしたことに向き合わされることになります。

 

劇中ですずめが成長するシーンは、上のシーンともう1つ、後ろ戸の中で過去の自分と出会うシーンの2つだけだと考えています。

逆に言えば、それ以外の過程ではすずめは成長していません。

この描き方も非常に見事だと思いました。

なぜなら、ここには「過去の自分に向き合え」という、被災者の方々には厳しすぎるとさえ思えるメッセージが込められているからです。

 

というわけで、次に「後ろ戸の中で過去の自分と会うシーン」に話を移します。

これは本作再終盤のシーンですが、劇中では冒頭からずっと

「幼少期のすずめは常世に迷い込み、死んだ母と会った」

という事実が匂わされ続けています。

事実、常世は死者の国であると途中で明かされるし、ありうる話ですね。

こうきますと、最後のシーンは母と涙の再会をして、すずめちゃんは過去を清算し成長する、という流れが大方想像つきます。

 

ところが、ラストシーンですずめが実際に会うのは幼少期の自分です。

それと同時に、幼少期の自分が常世で出会っていたのは母ではなく、実は未来の自分だったことが明らかになります。

幼少期すずめは、本当は母と会ってなどいなかったのに、母を求めるあまりそう思い込んでいたということです。

泣きながら「お母さん知りませんかあ?」と訴えかける幼少期すずめに対し、大人すずめがかける言葉は、

「本当は全部分かってるんだよね」

です。

つまり、お母さんは死んでいてもう二度と会えないということを、幼少期すずめは理解しているのに、目を背けているということになります。

結局、幼少期すずめとの出会いを経たすずめは、

「本当に大事なものは、はじめから全部持ってたんだ」

と口にして元の生活に戻っていきます。

 

この一連のシーン、相当ヤバいと思います。

もし、すずめがお母さんと再会してエンディングを迎えるとなれば、すずめはある意味救われたことになります。

震災で無慈悲に奪われたお母さんという存在を取り返し、お母さんを失った傷を埋める。

こういう視点で見れば、すずめは被災者であり、救われるべき被害者であることになります。

しかし、本作のエンディングではそうした救済を拒否していますね。

ストーリーの流れ的にずっとこうした救済を匂わせていながら、最後にすずめが出会うのは自分を救ってくれる母ではなく、救いを求める側の過去の自分です。

そして、過去の自分は母を失ったという事実から目を背け、ここで出会った未来の自分のことすら母だと錯覚して生きていくことになります。

そんな幼少期の自分と相対して、一旦は「どうすればいいの!?」と取り乱してしまうのも非常に赤裸々です。

が、そのあとすずめが過去の自分に語った内容。

「あなた(=自分)はこれからも、強く幸せに生きていける」

これは自分に向けてのメッセージでもあります。

この瞬間、すずめはようやく救われるべき被害者であることをやめ、自分で自分を救うことができたのです。

それを受けての「本当に大事なものははじめから全部持ってた」というセリフ、ヤバいですね。

つまり本作は、すずめが新しい経験を経て少しずつ成長していくお話ではなく、すずめが抑圧していた過去と向き合って自立する話なのです。

 

このメッセージ、結構キツくないでしょうか。

映画の中の話なら「ほえ~素晴らしいな~」で済みますが、日本には実際に被災した方々がたくさんいるわけです。

そんな方々の中には、過去と全く向き合えずに苦しみ続けている人も大勢いると予想できます。

甘いエンディングで描くことも可能だったはずなのに、よくこの重たいメッセージ性を貫き通したものです。

実に感動しました。

 

過去作からの変化

また、今作ではいわゆるセカイ系に対する自己批判みたいなものが見て取れます。

セカイ系」とは、新海誠などサブカルラノベ系の世界観をあらわした言葉で、

主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)との関係性が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」といった大問題に直結する作品群

と定義されています。

今作はまさにセカイ系で、というか「君の名は」「天気の子」を含めた3部作ぜんぶが典型的なセカイ系です。

 

こうしたセカイ系の作品は、「ぼくときみ」がいきなり「世界」に接続するので、その間にあるはずの「社会」を全く描かないことが批判されてきました。

というか、「天気の子」とかまさにそうじゃないですか???

社会を描いてたらあんな荒唐無稽な展開にならないだろ……。。。

 

で、「すずめの戸締まり」です。

今作では緻密に社会が描かれているんですよね。

というか、本作の主題はむしろ社会のほうであり、それを描くための媒体としてセカイ系を用いている印象を受けました。

事実、劇中ですずめが

①東京を救うために草太を犠牲にする

②草太を生かして東京に震災をもたらす

という非常~~にセカイ系的な選択を迫られるシーンがありますが、すずめが下した決断は「天気の子」とは真逆です。

ちゃんと社会の存在が意識されたストーリーメイキング、結構うれしいものでした。

 

 

もう1つ、些細かもしれませんが僕が感動したことを挙げておきます。

本作では、映画の一番最後にすずめと草太の再開が一瞬だけ描かれています。

このシーン、新海誠的には結構大きな意味があるのではないでしょうか。

 

以下、「秒速」のオチに関するネタバレを含みます。

 

 

 

▽ネタバレ注意▽

 

 

 

新海誠作品において、一番最後に「出会えるか・出会えないか」は非常に重要です。

 

「秒速」では、ウンタラカンタラ長々と過去の恋愛を引きずる主人公を描いておいて、ラストシーンでその人(かどうかも分からない人)とすれ違うシーンがあります。

その直後、踏切が2人を分かち、出会えるか、出会えないか、出会えるか、出会えないか、どっちなんだーーい!!!………………出会えなかった!!!!!

ウワーーーー!!!!!

ドカ――――ン・・・・・

……という感じでエクスタシーが訪れます。

 

対する「君の名は」でも、全く同じようなシチュエーションがラストシーンに用意されています。

主人公がヒロインを駅で追いかけて、出会えるか、出会えないか、出会えるか、出会えないか、どっちなんだーーい!!!………………出会えたーーーー!!!!!

ウワーーーー!!!!!

ドカ――――ン・・・・・

……という感じでエクスタシーが訪れたわけです。

 

こうした構造を気にかけながら見ていたので、本作のラストにはちょっと感動しました。

というのも、本作ではラストに「出会えるか・出会えないか」というのがエクスタシーに少しも関係なかったからです。

「出会えるか・出会えないか」という展開でラストを飾るのは、非常にエモい一方、性愛的で大袈裟で、どこかマッチョな感じがします。

青春的、とでも言いましょうか。

異性愛の一番キモい部分を煮詰めたような感覚ですので、否定する気はないけどどこか粗削りな感じがします。

そこへきて、本作でラストに「出会えた」ときに感じた感情は、エクスタシーではなく安心というか、日常感というか、そういう類のものでした。

「あ、もうそこで描くのはやめたんだな」

と思い、個人的に新海誠の変化を感じてうれしかったです。

 

 

 

ネタバレおわり△

 

 

 

おわりに

というわけで、新海誠に足を向けて寝られない身体になってしまいました。

「君の名は」以降の作風の変化については、有能なスタッフが制作陣に加わってアドバイザーとして機能しているとかいう話もあります。

古参のファンにとっては、むしろ昔のキモ陰キャオタク童貞的作風が恋しい人も少なくないでしょう。

とはいえ個人的には、今作みたいな問題意識のある作品を今後も作ってくれるなら、新海誠作品には期待したいです。

 

映画レヴューは長くて書くの疲れるので、次回作は極端に良作だったりクソだったりしないといいな…………。(???)

*1:批判にも精力的に答えているらしい。「君の名は」で東京を美化しすぎ!と批判されたら「天気の子」で東京のカゲを描いた挙句水没させ、「天気の子」の主人公が自分勝手すぎ!と批判されたら「すずめの戸締まり」のメインストーリーを人助けにするなど……

HASAMI group MVのサンプリング元をできるだけ拾う

 十五年以上もの間、アマチュアで音楽を作り続けているHASAMI groupという音楽グループが存在します。

※蜂が人間に蜂蜜を渡している様子

 若手ミュージシャンの中には彼らに影響を受けたものも存在しており、さらには当会でも度々取り上げてきたのでご存知の方もいるかもしれません。

 彼らの音楽は主にインターネット上で発表され、そのときにMVがつく場合があります。とはいえその曲のために一から作るわけでもなく、別の何かからの(文脈を完全に無視した)サンプリングです。


www.youtube.com

 インターネットの片隅で音楽を作り続ける彼らにぴったりの表現技法であるとは思うのですが、いかんせん私は元ネタが気になる。気になり続けて早七年、私は元ネタを探し続けてまいりました。その結果サンプリング大好き人間に堕とされてしまった訳なのですが、今日はその成果の一部をここに紹介しようというのであります。ちなみに上に挙げたCrazy About Allの元ネタは一切分かっていないので、知ってる人は教えてください

 

すずらん (2009)


www.youtube.com

0:00-0:34?, 0:58-1:03, 1:23-2:05, 2:47-3:27 寺山修司「書を捨てよ町ヘ出よう」

0:34-0:58 不明

1:03- 1:23 黒沢明どですかでん

2:05- 2:46 3:27-おわりまで 寺山修司「迷宮譚」

 


www.youtube.com


www.youtube.com


www.youtube.com

 「すずらん」はHASAMI groupがインターネットを中心に音楽活動しだしたときの曲で、MVが現存するのもこのへんからです。なので初期HASAMI groupの音楽以外のバックボーンをここから窺い知ることができると思います。

 見て思うのは(この時期の)青木龍一郎、寺山修司大好きだな~ということです。黒沢映画も羅生門とか七人の侍ではなく、「どですかでん」という渋いチョイス。ちなみにこの映画は評判は良くなかったようですが、黒澤明初のカラー映画ですし良い映画なのでおすすめです。

summer (2013)


www.youtube.com

0:00?- 安藤尋「blue」

 魚喃キリコ原作の漫画、blueの映画版からほぼ全編にわたってサンプリングされています。真っ暗な中Dydoの自販機の前で女子高生がキスするのはエッチすぎて良くないと思います! この映画のせいで私はDydoの自販機に対して並々ならぬ執着をみせるようになりました。ちなみに漫画も私は持っていて、こちらはこちらで面白いのでおすすめです。

 

秘密の科学 (2015)


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全編 伊藤高志「GRIM」


www.youtube.com

 伊藤高志の実験映画からのサンプリングです。伊藤高志の映画はコマ撮りみたいな映像と多重露光が特徴的で格好いいですね。HASAMI group主宰の青木龍一郎氏も伊藤高志はお気に入りのようで、別プロジェクトのorange peep showでも伊藤高志の映画からサンプリングしている。

 

景色がほしい (2018)


www.youtube.com

0:00-0:40, 1:21-2:00, 2:51-さいごまで 山田尚子たまこまーけっと

0:40-0:47, 2:00-2:07, 2:12-2:18, 2:36?-2:38 押井守うる星やつら2 ビューティフルドリーマー

0:47-0:52?, 2:25-2:28 宮崎駿ルパン三世 カリオストロの城

0:53-0:56, 1:17-1:20  芝山努らんま1/2

0:57-1:16 不明


www.youtube.com


www.youtube.com


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 80年代アニメを中心としたさまざまなアニメからのサンプリングです。たまこまーけっとだけ異質ですね。これと全く同じサンプリングの仕方をしている動画をYoutubeで発見した(失念)ので、少なくともここ5年くらいのMVはYoutubeの動画から全て拾ってきているのではないかと思っていますが、定かではないです。

 

夜風の槍 (2020)


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全編 松本俊夫「つぶれかかった右眼のために」


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 2018年ごろからHASAMI groupはYouTube上での全曲配信に精力的で、2020年以降発表の曲にはほぼ全てmvを作成しています。なので元ネタを追うのがかなり大変です。この曲に関しては伊藤高志とその周辺の映像作家を調べてるうちに分かりました。

 

 

 

 

 てかなんで私はこんな意味も無いことに時間を費やしているんだろう。おかげで映画には多少詳しくなりましたが。皆さんもサンプリングネタを追い続けるのは程々にしましょう、マジで意味がないので。

 

 

 

コンクール受賞者を追う 第1回日本音楽コンクール

コンクール本選演奏

 続くコロナ禍のなかで音楽というコンテンツ自体にも、喜ばしい方向ではない変化が出てきている。その一つに作曲コンクールが挙げられるだろう。通常作曲コンクールは譜面審査を抜けた本選で、その作品をオーケストラが演奏し、聴衆と審査員がそれを聴いて審査を行い決定する。中には一人の作曲家がブラインド譜面審査を行って入賞者を決めるという変わったものもあるが、外国のレジェンド作曲家が来日できずリモート審査となるケースも増えているようだ。
 我が国を代表する若手作曲家の登竜門的存在に「日本音楽コンクール」の作曲部門がある。数多くの有名作曲家がこの賞を受賞していることから、いまでもその権威として君臨しているコンクールである。しかし入賞者の顔ぶれを見ると必ずしもレジェンドと呼ばれる人ばかりの名が連なっているわけではなく、全く知らない作曲家の名もかなり多い。では、これらの作曲家についてわかることを調べてみるのはどうだろうと本企画を考えてみた。「日本の作曲家」企画の派生企画である。

 

第1回日本音楽コンクール作曲部門

 第1回日本音楽コンクールは1932年に開かれた記念すべき回である。今とは少し様相が異なっており、順位をつけず入選と賞からなっていた。この方式は第2回まで採られたようである。

 

 作曲部門を見渡すと以下のような受賞者がある。


・賞  益子九郎
・入選 池譲
・入選 大中寅二
・入選 岡本敏明

 

 この中で名前を知っている、あるいは作品を知っているという人物が3人以上なら、あなたは相当の日本近代音楽史通と言えるだろう。ちなみに筆者は大賞の益子九郎以外は知っていたのだが、大賞受賞者が一番知名度が低いとは意外だった。

 では入選者から順に、その横顔を見ていこうと思う。


・池譲

池譲

 池譲は1902年2月17日に神奈川県に生まれた。中国で政治家秘書として活躍した父をもつ名家の生まれで、この時代の作曲家としてはそのキャリアの前半を海外で積んだ希少な人物である。
 東京音楽学校で学びベルリン・シュテルン音楽学校に留学して、ウィルヘルム・クラッテに学んだ。またヴァイオリンについてもキャリアを積んでおり、演奏者としての力量も当時としては高かったのだろう。
 帰国後はヴァイオリニストとしての経歴が先行する。デビューコンサートからオーケストラへのヴィオリストとしての参加など、なかなかに華々しい凱旋帰国と言えるのではなかろうか。
 そうして培った知識を作曲に応用することで新興作曲家連盟に参加、本回の入選を勝ち取るなど軸足を作曲に移しつつ、、そのキャリアを持って東宝専属となり、映画音楽の世界へ入っていくことになる。
 専属作曲家としての期間は短かったが、さらなる高みを求めて同社を去り、東京放送管弦楽団の指揮者に就任、放送音楽にも従事するようになる。
 このように多くのキャリアを経験したが、戦争に招集されることとなり、一時的にキャリアは途絶えるものの、生還を果たし戦後は再度映画音楽を中心に作曲活動を展開、母校での指導者としても多くの門弟を排出し1990年5月12日に亡くなった。

 代表作には「ヴァイオリン・ソナタ」や新邦楽作品等があるようだが、現在では歌曲の一部がひっそり知られるかどうかという状況になっている。

二つ星/池譲

 なお作品の音源はYouTubeでは見つけられなかった。

 

 

・大中寅二

大中寅二

 大中寅二は1896年6月29日に東京に生まれた。クリスチャンであり、大阪で育った後故郷である東京の教会のオルガニストに。その後作曲に興味を持ち、山田耕筰に師事した後、こちらも渡独しカール・レオポルド・ヴォルフに師事した。帰国後は更新の育成に力を入れ、オルガン曲、賛美歌、童謡、唱歌と名作を書き、日本における教会音楽の礎を築いた。
 こと童謡唱歌の作品では「椰子の実」など今でも歌い継がれる名作が多く、出版も多くなされている。なおご子息はやはり有名な作曲家となった大中恩である。1982年4月19日没。

 

 上述のとおり、代表作は童謡や唱歌、そしてオルガン曲であるが今日聴かれるのは童謡が大半である。

フーゲ/大中寅二

YouTubeではオルガンのための「前奏曲」の音源が見つかった。

www.youtube.com

 

 

・岡本敏明

岡本敏明

 岡本敏明は1907年3月19日に宮崎で生まれたが、父の仕事の関係で全国を転々とする幼少期を過ごし福島中学卒業後、出来たばかりの東京高等音楽院に進み一回生として卒業した。
 東京江東音楽院ではハインリッヒ・ヴェルクマイスターに学び、ドイツ留学も経験、帰国後はさらに成田為三に師事し見識を高めた。
 その後玉川学園の創設に関わり教育者として仕事をする一方、合唱における指導を中心に、作曲活動も行うようになる。基本的にはこの様な経緯から合唱にかかわる曲が多いが、器楽曲、とくに変奏曲を残しており、名作会連動企画のRMCでも紹介した作曲家である。1977年10月21日没。

 

 代表作は国民的な童謡「どじょっこふなっこ」や文部省唱歌の「かえるの合唱」の作詞でも知られている。

ローレライ変奏曲/岡本敏明

www.youtube.com

 

 

そして栄えある音楽コンクール賞受賞者である。
・益子九郎

益子九郎

 第一回の賞に輝いた作曲家は益子九郎である。と言っても知らない人のほうが圧倒的に多いはずだ。私もその一人である。
 益子は1899年10月27日に東京は湯島の士族の家系に生まれ、幼くして父の高いから家督を継いでいる。その後東京音楽学校へ進み、ピアノを学ぶ傍ら作曲は弘田龍太郎に師事した。またこの頃知人を介し信時潔を知り、こちらにも師事するようになる。
 信時潔が日本に帰国し本格的に師事するが、すぐに学校を辞め静岡へ移住してしまう。しかし師との関係は継続していたようで、師の旅の際はその世話をしたようだ。
 関東大震災罹災後に世田谷の上馬にまたも移り住み作曲に情熱を燃やし、本回に「管弦楽のための牧歌」を出品、見事賞受賞となった。その後は師の信時潔らと教育活動に勢力を注ぎ込み、教科書の編纂などの仕事をこなし、師の助手などを勤めた後、小田原に転居し余生を過ごした。1990年7月16日没。

 

 この様な経緯で大賞を受賞した「管弦楽のための牧歌」についてもよくわからず、現在入手できる資料としては唱歌の類が僅かにあるのみと思われる。

小春三景/益子九郎

 なお作品の音源はYouTubeでは見つけられなかった。

 

 以上「第1回日本音楽コンクール作曲部門」入賞者の略歴とその作品の紹介である。特に大賞受賞者の益子九郎については資料が少なく、また作品も多くは内容で極めて限定的な情報しかない状態である。これらの作曲家の作品がより知られるようになり、多くの人の再解釈を経て認知し直されることを望まずにはいられない。

 

 

 なお本稿執筆のため以下の資料参考にしたので併記する
 ・日本の作曲家 細川周平片山杜秀監修 日外アソシエーツ
 ・Wikipedia
 ・国立国会図書館デジタルコレクション
 ・日本音楽コンクール入賞者一覧
 ・信時潔研究ガイド - 作曲家 益子九郎について
 ・ピティナ調査・研究 - ジェームス・ダン第3回
2022/11/26 Erakko I. Rastas氏の指摘を受け一部改稿

回顧へと向かう音楽 ーリバイバルの波ー

2022年、アメリカの音楽ユニット「シルク・ソニック」がグラミー賞を総なめにする快挙を達成しました。

しかもたった1曲のシングルで。

その曲こそが、この「Leave the Door Open」です。

この曲を聴いて、僕は

「なんか『Stop, Look, Listen』っぽいな……」

とふと思いました。

しかし、改めて調べてみると『Stop, Look, Listen』はなんと1970年代の歌。

2022年のグラミー賞受賞曲からそんな太古の響きがするとは驚きです。

しかも、懐かしいのに決して古臭くなく、どこか新しい、そんな不思議な響き。

そう、近年の音楽業界では、90年代以前のカルチャー・リバイバルがすっかり流行になっているのです。

 

今回は、そんな回顧をはらんだリバイバル音楽について特集したいと思います。

 

 

大衆文化・情報社会・そして回顧へ

リバイバル音楽の火付け役ともなった「Vaporwave」「Lo-fi Hip Hop」といったジャンルは、いずれも2010年代に生まれたものです。

インターネットが普及し、情報の波に飲まれ、大量生産・大量消費を繰り返す目まぐるしい世の中が2010年にはありました。

そうした世相の中で、リバイバル音楽は海外を中心に広がっていきました。

”古き良き過去”を回顧するような低音質、実際に既存のレコードをサンプリングしたり、反復したり、あえて作家性を排除し自らぼやけていくような音像。

現代社会に対する疲れ・商業主義にうんざりした者たちの息遣いが、そこからは感じ取れます。

アンディ・ウォーホルが無数のマリリン・モンローを毒々しく描いて見せたのと、その本質は似ているかもしれません。

アンディ・ウォーホル ポスター マリリン・モンロー1962 A1482|アート&フレーム|絵と額縁の専門店

Vaporwave

「Vaporwave」は、実験音楽的な要素を多分に含んだジャンルです。

一昔前の低音質な音楽(有名ではない曲もしばしば)をサンプリングし、テンポとピッチを落とし、何度も反復させて作る音楽とされます。

ミニマル・ミュージック的な執拗な反復が、何とも言えないトランス感を生み出していますね。

誇張され、彩度を過度に上げられたたレトロ感、とでも言いましょうか。

ナンセンスな表現とも結びつき、ときに完全に著作権アウトな音楽・画像・映像のサンプリングさえ多用されます。

ある種反権力的ながら、もはや思考を拒否したような脱力感があるといえるでしょう。

 

Lo-fi Hip Hop

それに比べると、同じく過去曲のサンプリングを特徴とする「Lo-fi Hip Hop」は少し違った趣がありそうです。

不気味さはなく、よりイージーリスニングで、純粋にLo-fiな音質を楽しむ娯楽性があります。

日本の昭和アニメ風のMVも特徴的で、YouTubeのLo-fi Hip Hop専門ラジオでもジブリ風の女の子のアニメーションがリフレインされています。

90年代の日本産アニメがアメリカに輸出され流行したことがきっかけとなっているようです。

名前の通りLo-fi(低音質)なサウンドと、全体的にかなり不安定なリズムが特徴的です。

また、ジャズのレコードなどをしばしばサンプリングすることで、直截にレトロな響きを指向します。

リフレインが執拗で、音の輪郭がぼやけていて、作家性が薄いという点は「Vaporwave」とも共通していますね。

また、日本では「Nujabes」が有名で、日本で流行したきっかけとなっています。

 

反動のはずが新たな潮流へ

このように、過去の音楽のリバイバルは、行き詰った現代からの逃避として安易なサンプリングから始まりました。

没価値的で、そこに新しい価値のある何かを求めてはいなかったのです。

 

しかし、こうした退廃的なコンセプトとは異なり、純粋に新しい音楽がそこにあると考えていた人たちもいます。

韓国人DJのNight Tempoは、日本の昭和歌謡をサンプリングした上でダンサブルなビートを付け加え、「Future Funk」というジャンルを創始しました。

日本の昭和歌謡の中でも、おしゃれなコード進行・チャキチャキした音使い・歩くくらいのテンポ感の踊れる音楽性など、洋楽指向のものは「シティ・ポップ」と呼ばれます。

そんなシティ・ポップに対し、テンポを上げたりリズムを足したりして、Daft Punk風のアレンジを加えたのです。

youtu.be

 

ただ、Night Tempo自身はすでに「Future Funk」を捨てています。

フォーマットの決まった音楽性に新鮮味を感じなくなってしまったようです(参考)。

とはいえ、彼がきっかけとなって日本のシティ・ポップが世界中に流行しています。

山下達郎大瀧詠一のレコードがとんでもない価格で取引され、若者世代の耳にまで届いています。

それだけでなく、こうした日本昭和歌謡っぽい音楽を新たに作るアーティストも増えてきました。

アメリカのバンド「Ginger Root」は、2020年ごろからかなり昭和アイドルソングっぽい音楽を製作するようになりました。

また、K-popアイドルたちがシティポップ風の新曲を披露して世間を騒がせています。 

 

Night Tempoは「Vapor Wave」に影響を受けて「Future Funk」を始めましたが、そのコンセプトにはかなり差を感じます。

「Future Funk」を発端に注目されたシティ・ポップは、もはや商業音楽として世界中で消費され始めているからです。

 

アウフヘーベンとしてのリバイバル音楽

当初はアンチテーゼとして生み出された実験音楽であったリバイバル音楽が、ようやくアウフヘーベンされつつあると感じます。

正直、シティ・ポップを安直に取り入れただけの音楽が作家性に欠けるのは事実です。

一方で、たとえば上に挙げた「Ginger Root」の音楽では、Lo-fiな音質の中に明確に現代を感じさせる捻じれたコードやHi-fiな音色・エフェクトが混在しており、独特です。

また、紅白歌合戦にも出場した藤井風は、アメリカ90年代のR&BやLo-fi Hip Hopを取り入れて新たなJ-popを生み出しています。

 

こうしたアウフヘーベンの頂点として生まれたのが、シルク・ソニックの「Leave the Door Open」だったのではないでしょうか。

メインカルチャーが飽和し、反動が溢れ出したと思えばそちらも行き詰まりを見せ、そのあとようやく新しいものが生まれる。

こういった流れを見ると、まさしく文化だなあと思います。

 

一方で、日本のシティポップにみられるリバイバルは、現代J-popが世界にとって魅力を失ってしまったことを意味します。

このままで良いのでしょうか。

山下達郎のLPがどれだけ売れても、令和の日本が高く評価されたことにはならないのです。

ムジカ・ピッコリーノが面白い

こんにちは、gyoxiです。

 

秋アニメの放送開始から約一ヶ月経ちましたが、皆様如何程でしょうか。私は前期からの引き続きでうたわれるもの〜二人の白皇〜」と、(映画で既に観ていますが)「羅小黒戦記」を観ています。

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そして忘れちゃいけないのが、NHKで放送している「魔入りました!入間くん」の第3シリーズ!これが無茶苦茶面白いんですよね。普通のアニメって、活躍する主要人物が数人いて、あとの人はあまり見せ場がない感じじゃないですか。でもこの作品では登場人物の一人一人にちゃんとスポットライトが当たっている感じがして、好感度がめちゃくちゃ高いのです。そんな訳で毎週土曜日の18:25〜、毎回ドキドキワクワクしながらテレビの前で待機しています。

 

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で、入間くんを観終わった後に放送されている番組がムジカ・ピッコリーノです。

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「ムジカ・ピッコリーノ」は音楽の基本的なしくみを映像化して物語に織り込むことで、子どもたちが音楽を感覚で理解できるようになることを目指す、子供向け音楽エデュテイメント番組です。

ムジカ・ピッコリーノ - NHK

 

なにやらごちゃごちゃ書いてありますがこの番組、分かりやすいうとクインテット」の後釜です。こう言うと、子供の頃テレビに齧り付いていた人は「ああ〜なるほどね〜」となるかもしれません。

 

この番組を知ったのは、僕の友達がフワッとオススメしてきたことに端を発します。その友達も自分と同じく音楽好きで、かつ、NHK好きだったのですが、その友達がある日「ムジカ・ピッコリーノ、結構面白いですよ」と教えてくれたのだ。で、「へぇ、面白いのかぁ〜」と思いつつも当時TVを持っていなかった自分は視聴の機会を逃し続け、TVを手に入れてからも自分から積極的に観ることもなく、そして今に至るのです。

 

で、今回やっと入間くんの後番組ということで視聴の機会を得た訳ですが、いや、面白いわこの番組。流石はNHKといったところです。やー、面白いね。

ざっくりとしたおはなしは

 

音楽が失われた大地、ムジカムンド。そこではかつての名曲を閉じ込めたモンストロがさまよっていた。モンストロを治療し、音楽の記憶をよみがえらせる。そんな使命を持ったムジカドクターたちの物語。

ムジカ・ピッコリーノ - NHK

 

って感じですが、私は途中視聴勢なので、ストーリーは全くわかっておりません。一応Wikipediaを見ると詳細なストーリーが纏めてあるのですが、ネタバレを踏むのが怖すぎて見れません...

 

ですが大体の毎回の流れとしては、

 

「名曲」を閉じ込めたモンストロ登場、「名曲」の1フレーズを奏でるその1フレーズをどう演奏するか登場人物達が探るここで音楽に関するTipsが挟まる登場人物たちがその曲をカヴァーするモンストロの治療完了、めでたしめでたし

 

って感じです。うーん、分かりやすいね!

 

で、その番組内でカヴァーされる「名曲」なのですが、今まで4回視聴して4回とも「名曲すぎるわ!!」ってなりました。マジで。その証拠に、放送後+その翌日は放送で流れた曲を延々と聴いています。

さあそれでは、放送で流れた曲を実際に聴いてみようではありませんか。

 

1. SMAP - ダイナマイト(10月8日放送)

まず一曲目は国民的アイドルグループ、SMAPのダイナマイトです。SMAPの曲までカヴァーしちゃうの!?」って思う人もいるかもしれませんが、しちゃうんです、この番組。1997年にリリースされ、フジテレビ系バラエティSMAP×SMAP』のテーマソングとして使用されていました。SMAPは私そんなに詳しくなく、この曲ももちろん知りませんでしたが、カヴァー曲が流れた瞬間必死で曲をサーチしました。やっぱSMAP良い曲多いですね...ええ......

 

2. ミシェル・ルグラン - キャラバンの到着(10月15日放送)

お次はミシェル・ルグラン「キャラバンの到着」です。この曲は、フランスのロシュフォールを舞台に双子の姉妹を中心とした人物達の恋模様を描く、ロシュフォールの恋人たちという映画で流れる曲です。ムジカ・ピッコリーノを教えてくれた例の友達は、元吹奏楽部ってこともありこの曲を知ってましたが、勿論僕は知りませんでした... この放送の翌日、私はいそいそと「ロシュフォールの恋人たち」を視聴したのでしたとさ。因みにめちゃくちゃ良い映画だったのでオススメです。

 

3. 君の瞳に恋してる(10月22日放送)

フランキー・ヴァリ

ボーイズ・タウン・ギャング

この曲は動画が二つあります。というのは、1967年にフランキー・ヴァリのソロシングルとして発表されたヴァージョンと、1982年にボーイズ・タウン・ギャングがディスコ調にアレンジしたヴァージョンがあるからです。そして有名なのは後者です。恐らく曲名を知らなくとも聴くと誰もが「あっ!この曲かぁ!」となるでしょう。なります。(私も)なりました。

 

4. エドヴァルド・グリーグ - 山の王の宮殿で(10月29日放送)

この曲は戯曲ペール・ギュントの劇付随音楽です。すなわち、バリバリのクラッシック音楽です。この曲も割と有名なので知っている人も多いことでしょう。ムジカ・ピッコリーノ本編ではカヴァーの際、演奏にエレキギターなんかが使われてカッコよくアレンジされていました。

 

 

因みに過去の楽曲はベルカント号のSONGBOOK」として各配信サービスで配信されております。どんな名曲がフィーチャーされているか知りたい人は聴いてみると面白いでしょう。

ベルカント号のSONGBOOK I

ベルカント号のSONGBOOK I

  • ムジカ・ピッコリーノ
  • チルドレン・ミュージック
  • ¥1833

 

おわりに

今回は、最近私がハマっているムジカ・ピッコリーノについて紹介しました。この番組はこれから私にどんな曲を聴かせてくれるのでしょうか。非常にワクワク・ドキドキしながらテレビ前で待機しております... こういう良き音楽番組、もっと増えて欲しいな。

 

...ん、もう18:20か。そろそろ入間くんとムジカ・ピッコリーノの黄金コンボを決める時間だ...!

 

ではまた!

日本のエクストリームミュージック⑧名古屋のアングライベント がごぜ

こんばんは。

みなさんは、ライブに行ったことはありますか? アリーナとかドームとか路上とか場所には色々ありますが、やはりライブハウスなるものが音をアンプリファイする小編成だと程よい距離感で私は好きです。

でまあライブハウス(俗にハコという)にも色々あって、地下アイドルが主にやってるところだったり、バンドが主にやってるところだったり。

 

で、思うわけですよ。

「アングラがやれるイカれたハコに行くしかねえ!!!!!!!!!」

 

行くしかねえ

そうです。この連載、ノイズミュージックをろくに生で聴いたことがない*1やつが書いてたんですよ。死んだ方がいいと思うだろ? 私もそのせいか知らないですが希死念慮がすごいので聴きに行きましたよ。

いや、食いに行きましたよ。

 

ノイズカレーをね!

 

ノイズカレー、来名。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

10月某日、ノイズカレーが名古屋に現れるという噂を風の噂で聞きつけ、私は鶴舞にあるライブハウス、鶴舞Daytripの扉を叩いた。

ノイズミュージックをやっている人間に対してそこはかとない恐怖感を感じていたので、なんすい会員も道連れにした。


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↑そこはかとない恐怖の原因

 

もし命の危険が生じた場合、なんすいを生贄にして私だけ逃げるという算段である。

 

そういえばライブについて説明するのを忘れていたので、ここでしてしまおう。

 

がごぜ

ノイズカレー (@Noisecurry) / Twitter

日本のインダストリアルハードコア界を代表するミュージシャン、進入禁止が主催するイベント。進入禁止なのに、このイベントにあーしが進入しちゃっても、いいんすかね? 氏は当日一番激しいノイズミュージックを披露していた。こんな感じの↓


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激ヤバノイズイベントであると覚悟して聴きに行ったが、ノイズを中心としながらも、アンビエントやミニマル、南インド古典などかなり聴きやすい音楽も多かったので意外と全部見られました。比較対象がノイズなので、なんでも聴きやすい音楽になってしまうね。

ちなみに名古屋でノイズ・アングラ系のイベントというと栄のリタというライブハウスが有名で、こちらは当会会員のgyoxiさんが詳しいはずなので、きっとそのうち記事にしてくれるんじゃないかという気がします。

 

ということで、聴いた中でも特に印象に残った方々を紹介しようかな。

 

ノイズカレー

とりあえず進入に成功した我々はノイズカレーを聴いた。

知った上で聴きに来ているのだが、実際にステージで調理する様はシュールだった。他の多くの演者がモジュラーシンセでノイズを発していたのに対し、ノイズカレー氏はアンプを直接操作してノイズを発するなど視覚的に映える表現だった。いや、そもそもカレーを調理している時点で視覚的に映えまくっている。

30分くらいで演奏は終了したように思う。カレーを作るにはいささか短いのではないか? 

 

演奏終了後、トイレに行こうと扉を開けると、そこにはノイズカレー氏がいた。

「ここからが長いんですよ」と言いながらカレーを調理していた。当然ではあるが、あれで終わりではないのだ.......。

それから約1時間後、完成したノイズカレーが売られていた。

 

実食

うまい。ノイズカレーというくらいだから超激辛カレーかもしれないと覚悟して食ったが、美味しい。スパイスが効いていながらも同じく加えられたチーズがまろやかな味わいにしている。

「よく言われます」とはノイズカレー氏の談。

 

性闘士☆準矢

茨城の古河からやってきたラッパー。最低最悪の下ネタを、超大味のサンプリングに乗せて歌う。歌詞を覚えきれていないので見ながら歌う。これがヒップホップ(?)。


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酒が入っている時に見たので私は面白く見れたが、見る時と場合を間違えると大滑りしてしまいそう(というか、する)なスリリングさがある。だがそこが良い。ヒェアー。

ノイズカレーと仲良しらしく、ノイズカレーと併せて名古屋にやってきた。明らかに浮いていたが、彼が浮かないライブってマジでなんなんだという感じもするのでそれでいい。

一応ヒップホップ文化圏の中には存在するらしく、固定ファンのノリが納屋橋の地下に生息するラッパーのそれだった。彼らはずっとセックスとオナニーの話をしていたが、見ず知らずの私に話しかけてくれたりテキーラのショットを奢ってくれたりするなど、とてもいい人たちだった。人は見かけによりませんね。よるよ。

ちなみに彼曰く名古屋の音楽事情は特殊らしく、演者も客も変な人が多いとのこと。あなたもだいぶ変ですよ。

さて、性闘士☆準矢のその正体はいしつかねこというベーシストである。昔Vulpes Vulpes Schrenckiというバンドをやっていた時に準矢の人格が生まれたらしい。人間の業は深い。本業よりもこっちの方が人気が出てしまって本人的には複雑な心境の様子。そういうところも含めて面白い。今はsolesというバンドもやっているらしい。

 

平岡俊之+この子の三つのお祝いに with和代人平

ウォーターフォン+怖い話+光絵という編成。

ウォーターフォンとはホラー映画の効果音でよく使われる(初出はエルム街の悪夢だったかな?)怖い音の出る楽器である。実物初めてみた。

このウォーターフォンを操るのがホラー映画音楽作曲家の平岡俊之氏である。エフェクターを駆使することによってかなり多彩な音表現がなされていて面白い。


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そんなホラーな雰囲気を最大限に高めるのが和代人平氏である。なんかやけに狭いライブハウスだな〜と思っていたのだが、それは彼のキャンバスがど真ん中にぶち立っていたからなのであった。キャンバスは光が当たるとそれに応じて光るようになっており、それを利用して光絵を作る。そのためライブハウスの照明は完全に落とされ、和代氏の持つペンライトとキャンバスのみが怪しく光るのだ。


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そんな雰囲気で怖い話を聞くのだからかなり臨場感があってよかった。

 

Plugman


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モジュラーシンセサイザーミュージシャン。モジュラーシンセを使ってやばいビートを繰り出す。途中からアーメンブレイクかましていてそれはそれでよかったが、前半マジでどうやって出しているのかさっぱりわからない謎の音でブレイクコアしており興味深かった。個人的にモジュラーシンセはいつか手を出してみたい分野の一つです。

 

林栄一+野口UFO義徳

サックスとジャンベによるフリー・インプロビゼーション。トリ。

林栄一氏はサックス奏者で、かなり著名らしかった。家に帰って色々調べたら、山下洋輔大友良英忌野清志郎と共演しており本当に著名でした。無知ですまない。私は山下洋輔を愛聴しているため、彼の演奏を知らず知らずのうちにたくさん聴いていたことになるのだが、まさかこんなところで実際に見ることになるとは思いもよらない話である。


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各種さまざまなアングラ音楽詰め合わせでとてもいいイベントだったと思う。名古屋は文化不毛の地とはよく言うが、なんだかんだ色々あるのだな。

ちなみにこれだけ聴いて2000円。安すぎる。おすすめです。

*1:6年前に特殊音楽研究会のキタダさんのパフォーマンスを見たことが一応ある

巨星墜つ 野田暉行、一柳慧を偲ぶ

R.I.P

 2022年、日本はその誇るべき芸術文化の担い手、そしてその文化が華やかだった頃を知る生き証人を相次いで失った。
 すでに日本という国はかつての栄華を失い、文化、国力ともに大きく衰退し、アジア諸国は愚かすでに後進国の様相である。その中でも凄まじい勢いで失われていっているのが音楽文化の水準である。
 こういうと必ず世界コンクール受賞者や、大ヒットを出しているPops歌手の話を出す人がいる。はっきり言って猛烈に馬鹿だと断罪しておこう。世界コンクールの受賞を成し遂げた人々は、一体どこで学んでいたのか?すでに国内の音大だけでそこまで成し遂げられる水準はないのである。「音大崩壊」という本が出るのも当然である。極めて硬直化してなんの役にも立たない学閥や門閥が邪魔をし、勉強をしない教授陣が自分たちの利益のためだけに組織を作っている日本の音大に何ができるというのか。
 そしてヒットを飛ばしている歌手についても、日本国内という後進国内の一ブームに過ぎず、韓国にすら抜かれてしまっているじゃないか。そんなものをいつまでも国の誇り誤認しているのは、まだ日本がバブルの亡霊から目を覚ましていないからである。野田先生や一柳先生がその盛を迎えていたときとは全く違う状況なのである。だからこそ良い時代を知る人の存在が大きくなっていっている中、この喪失はあまりにも大きい。
もう日本文化を真っ当に伝えられる人がほとんどいないと言っていい状況に、もっと多くの人は気が付かねばならない。
 ただのバカダンスを強要するまで堕ちたNコン、一部メーカーがブームを決めるアパレル化に支配された吹奏楽コンクール、そして未だに十年一日のプログラムしか出来ない多くのオーケストラ、まだまだボカロの夢を捨てられないPops界とすべてが終わっているのだ。これを普通だと思って生きることの怖さは、未来がないという怖さと同一のものである。せめて、せめて在野研究の担い手だけでもなんとか日本の屋台骨を担っていかねばならない。それが亡くなってしまった巨匠たちへの恩返しではないだろうか。

野田暉行

 野田暉行は1940年に三重県に生まれ、独学でピアノと作曲を習得するも限界を感じ、池内友次郎の門を叩いた。東京藝術大学を大学院まで修了し、池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事した。非常に優秀な響きへの感性を持ち、同大学在学中に日本音楽コンクール一位を受賞している。この1963年の管弦楽部門一位受賞作品が「一楽章の交響曲」である。若き野田の才能をまず聴いてみよう。

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 こういった形で池内友次郎、矢代秋雄の対位法と響き、構成力をしっかりと引き継ぎ、ややもするとバランスを壊すような構想を見事な筆致で書き切る職人的作曲家となった野田はあらゆるジャンルに名曲を残してゆく。
 次に聴いていただきたいのは代表作として語られることの多い1977年に書かれた「ピアノ協奏曲」である。早速聴いてみることにしよう。

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 そして児童合唱の分野でも誰もが知る名作を書いている。岩谷時子の詩につけた「空がこんなに青いとは」である。昭和45年度Nコンの課題曲であった。

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 ところで私は名古屋作曲の会と協力しながらRMCというチャンネルで、日本人の手による忘れられた楽曲や、知られざる曲を打ち込み音源で紹介している。
 野田先生の訃報に接した際に、なにかあまり音源化されていないピアノ曲はないかと探したが、野田先生のピアノ曲はシリアスな作品でもかなり有名なものが多く中々データ化する意義のある曲が少ないかったが、「3つのピアノ曲集」はあまり良質な音源がなく、その中の第二曲目に当たる「子守歌」をデータ化させていただいた。
 ご自身の書かれた「子守歌」によって、天国でもより素晴らしい楽曲を書いてくださいとのメッセージを込め、最後に紹介したい。

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 以上簡単ではあるが野田先生の創作を紹介しつつ、氏のご冥福をここに衷心より祈るものである。

野田暉行 2022年9月18日永眠


一柳慧

 よもや、よもやである。この前までお元気でインタビューに答えたり、イベントに出演したりしていた一柳先生の訃報は本当に青天の霹靂、驚天動地の出来事であった。
 一柳慧なくして我が国の戦後前衛は生まれなかっただろう。そして私達が自由に作曲活動を行えるようにすらなっていなかったかもしれない。
 一柳は1933年神戸の生まれ。音楽一家に育ったが進学したのは青山学院であった。
しかし楽才には恵まれていて、個人的に平尾貴四男、池内友次郎に付いて研鑽を積んで行き、同校高等部在学中に毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)作曲部門で三年連続入賞を果たすという偉業を成し遂げた。桁違いの才能とはこういうものを言うのだろう。そして19歳にしてアメリカのジュリアード音楽院に進み、当時のニューヨークの前衛の旗手たちと次々に交流、ジョン・ケージに出会ったのもこの頃だ。ジョン・レノンの妻として知られるヨーコ・オノともこの頃結婚関係にあり、マース・カニンガムやデイヴィッド・テューダーなどとも積極的に交わり世界の最先端前衛に心酔していった。フルクサス運動などにも積極的に参加し、その経験をもって日本に帰国し、いわゆる「ケージ・ショック」を巻き起こしたのだ。
 一柳の創作における、黎明期から初期に移るのがいわゆるこの頃である。残念ながら高校生の時に相次いで日本音楽コンクールで賞をとった作品は現在作品リストには載っておらず、破棄されたのかもしれない。ピアノ・ソナタはぜひ聴いてみたかった。そして一柳の初期はジョン・ケージの影響を受けたところから始まる。この頃の代表作に「電子メトロノームのための音楽(1960)」があるので聴いてみよう。

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 非常に実験的で無機質、まさに不確定性を体現した作品であると言える。

 その後「ケージ・ショック」に揺れる日本は一気に実験時代に入り、多くの実験作品が作られることになったが、その中一柳は自らもたらしたその潮流から突如離脱する。
そして第二期の作品を発表することになるのである。
 まず第二期は五線譜に回帰し、不確定的要素を廃し、その代わりにミニマリズムを取り込むことで、未来の音楽のようなものを標榜し始める。どうも一柳慧という人物は、常に未来の音楽を思い、それの布石を提案し続けていくようなところがあるように感じられ、まさにこの日本におけるミニマル・アートの提案はそんな一柳らしさを感じる行動だったのではないかと思う。
 この頃の作品には大名作と言われるピアノ曲「ピアノ・メディア(1972)」がある。同じフレーズを繰り返す右手と、位相を変化させながら進む左手のフレーズからなり、極めて演奏至難の曲となっている。

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 こういった作品を通じて、一柳の創作は第三期に入る。空間と音の追及の時代である。いわゆる後期一柳サウンドの確立がなされたのもこの頃かと思う。前衛時代を知っているとやや保守的に思われるかもしれないが、まずはそのことがそのままテーマになったピアノ協奏曲第一番「ピアノとオーケストラのための空間の記憶(1981)」を聴いてみよう。

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 まさに後期一柳のサウンドである。冷たさのある響きが中心となり、卓越したオーケストレーションと自身が名人級だったピアノの技巧の制御が素晴らしい。個人的にはこの後に書かれたピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」がもっとも好きな曲なのだが、何故か音源の発売がなされていない。一柳が亡くなってしまった今こそ、ぜひとも音源化してほしい曲である。

 と、あらゆるジャンルに偉業を残した一柳の最晩年の創作はクロス・オーヴァーと自身の人生を振り返るかのような作品が増えて行くこととなる。かつてともに時代を過ごした盟友たちが次々に他界する中で、その思い出を主とした作品や、ジャズとのクロス・オーヴァーを大胆に取り入れた作品などがそれだ。2016年に書かれたピアノ協奏曲第6番「禅」はおそらくはジョン・ケージとの思い出に捧げられているのだろうと思う作品だが、ピアノの内部奏法の音から始まり、晩年作としては割に尖っているように感じる。

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 一柳の創作の歴史をざっと見てきたが、名作「パガニーニ・パーソナル」が無いと怒る方もいるかもしれない。しかしあの曲は最早ここで紹介することもない名作だし、その点では交響曲第一番「ベルリン連詩」もまたそうだろう。なので最後に紹介するのは連作として10曲かかれたピアノ曲「雲の表情」のシリーズから第9番「雲の湖」を選んだ。YouTubeにまともな音源がなかったということももちろんあるが、この曲の構成要素もまた一柳の人生の総括と言える部分があるからだ。低音に展開するフレーズの繰り返しはまさにスティーブ・ライヒ的ミニマルの思い出、そしてその上に展開する自由な音形はJazzのImprovisationを彷彿させる。RMCチャンネルとの連携でデータ化したので、これを一柳先生の御霊に捧げたい。
 ちょっと個人的な話になるが、私は一年だけ一柳先生のお世話になったことがある。作曲科中心の授業に打楽器科の私がいるのは異質だったこともあって、よく話しかけていただいた。そして目の前でモートン・フェルドマンの曲を大胆な脚色で弾く姿を見て、心底感動したのをよく覚えている。訃報を聞いた日はその思い出が頭から離れなくて、しばし呆然としてしまった。
 きっと「雲の上」でその「表情」を観察されながら、新しい曲の構想をねっておられるであろう先生に、データ化という形で再現した音を捧げて、この追悼特集を終わりたい。

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一柳慧 2022年10月7日永眠