名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

知られざる名古屋現代音楽史

どうも、榊原です。
最近、「記録に残りにくい音楽」について考えています。

 

中部不可聴音楽祭に行きました

音楽は、鳴った瞬間に消えていきます。
もちろん録音はできます。楽譜も残せます。プログラムノートも、批評も、チラシも、アーカイブも残せます。
けれど、それでもなお、音楽の大部分は残りません。

会場の空気や演奏前の沈黙、聴き間違い、退屈している観客の姿勢、終演後に誰かが言った微妙な感想、帰り道で思い出した曲とは関係ない記憶。そういうものが音楽体験のかなり大きな部分を占めているにもかかわらず、なかなか記録(記憶)されません。

音楽史というと、どうしても作品、作曲家、初演、録音、楽譜、受容史のようなものを中心に語りがちです。しかし、そこからこぼれ落ちるものの中にも、かなり重要な音楽的出来事があるのではないでしょうか。

 

そんなことを考えていた私は、名古屋市内の某所で行われた「第18回 中部不可聴音楽祭」に行くことにしました。

不可聴音楽祭。人はマジで少なかった......。

この音楽祭は、2000年代初頭から断続的に開催されている小規模な企画で、「聴こえないものをどのように聴くか」をテーマにしています。

今回はプログラムの中でも印象に残った曲の作曲家3人にフォーカスして紹介します。

 

犬飼リョウジ

今年の中心的なプログラムは、犬飼リョウジの「地下鉄のための弦楽四重奏」でした。

犬飼リョウジ(1938-1994)

犬飼リョウジは、1960年代末から70年代にかけて、音を発する以前の身体動作や、聴取者の内的な反応を作品の一部として扱った作曲家です。特に、休符だけで構成された室内オペラ「手続き」や、演奏者が舞台袖でチューニングを続ける「前奏のための前奏」などで知られています。

今回蘇演された「地下鉄のための弦楽四重奏」は、弦楽四重奏というタイトルを持ちながら、実際には演奏者が一音も発しません。その代わり、観客はプログラムノートに記された指示に従って、自分がよく利用する地下鉄の駅名を心の中で反復します。


私は星ヶ丘を思い浮かべました。
隣の人は、おそらく上前津だったと思います。
そのさらに向こうの人は、八事か本山だったかもしれません。もちろん、それらは実際には聞こえ(?)ません。これは一体どういうことなのでしょうか?

 

弦楽四重奏という形式は、本来4つの声部の関係によって成立します。
ところがこの作品では、声部は演奏者ではなく、観客の内部に分散しています。

つまり、「地下鉄のための弦楽四重奏」は、舞台上の4人ではなく、客席全体によって成立する作品なのです。

 

犬飼は、この作品について次のように述べています。

 

音楽とは、鳴らなかった音が帰宅するための乗換案内である。

──犬飼リョウジ「移動する沈黙について」『中部実験音楽通信』第4号、八事音響研究所、1979年、12–14頁。

 

この言葉は少し冗談めいていますが、本楽曲の本質をよく表しています。

音楽は、必ずしも音そのものだけで成立するわけではありません。
むしろ、音が鳴るはずだった時間、音を待つ身体、音を聴く準備をした耳のほうに、音楽の核心が現れることがありうるのです。

 

丹羽省吾と八事音響研究所

名古屋の現代音楽史を語るうえで、避けて通れないのが八事音響研究所です。

現在の八事音響研究所(跡地)。無人だが、時折丹羽の親族が掃除をしに来るのだという。

丹羽省吾(1939-1992)

 

八事音響研究所は、1974年に名古屋市昭和区八事本町に設立された私設の音響研究機関です。
創設者は録音技師・丹羽省吾。もともとは大学放送部や市民劇団の録音を請け負う小規模なスタジオとして始まりましたが、1970年代後半から、都市生活の中で発生する聞き間違い、録音の失敗、交通機関の反復音などを収集・分析する独自の活動へと移行しました。

特に有名なのが1978年に発表された丹羽省吾作曲の「名城線のための未完のカノン」で、不可聴音楽祭では初演以来実に47年ぶりに再演されました。

 

この作品では、複数の演奏者がそれぞれ別々の駅から地下鉄に乗り、車内放送のイントネーションを記憶して、会場に戻ってから再現します。
演奏者は、正確な録音を持ち帰ることを禁じられていました。頼れるのは、自分の記憶だけです。そのため、再現される車内放送はすべて少しずつ間違っています。
しかし、その誤差こそが作品の中心でした。八事音響研究所にとって、誤聴は単なる失敗ではありません。それは、聴取者の身体や記憶が音に介入した結果です。

 

私たちは音楽を聴くとき、いつも正しく聴いているわけではありません。歌詞や拍を間違えたり、実際は聞こえていない音を聞こえたことにしたりしています。しかし、その間違いの中にこそ、自分だけの音楽体験が生まれることがあります。

例えば、有名な曲を聴き直したときに、「記憶の中のほうが良かったな〜」と思うことがありませんか? これは原曲が劣っているというより、記憶の中で勝手に編曲されたバージョンが強すぎるのです。

 

丹羽の残したメモのひとつに、こういう言葉があります。

 

聴き間違いとは、記憶による作曲である。

──丹羽省吾「都市誤聴メモ 第三冊」八事音響研究所手稿資料、1981年、未刊。

 

音楽を「作曲家が作り、演奏家が鳴らし、聴衆が受け取るもの」と考えるなら、聴き間違いは単なるノイズです。しかし、音楽を「聴かれることでその都度作り直されるもの」と考えるなら、誤聴は創造の一部になります。

《名城線のための未完のカノン》が「未完」であるのは、単に作品が完成しなかったからではありません。都市の音は常に変化し、記憶は常に書き換わり、聴取は常に失敗します。そのため、この作品は原理的に完成できないのです。つまり、未完であることそのものが、作品の形式になっているんですね。

 

三ヶ根ユキオ

三ヶ根ユキオ(1951-2008)

三ヶ根ユキオは、1980年代後半に活動した作曲家で、生涯にわたって「演奏される前の音楽」に取り憑かれていました。彼の代表作は「まだ始まっていないピアノ曲」です。

この曲では、ピアニストが舞台に現れ、椅子の高さを調整し、鍵盤に手を置き、深く息を吸います。

そして、そのまま終演します。

 

......これだけを読むと、4分33秒のパクリのように思いますよね? 私もそう思いました。

しかしここで重要なのは、演奏中の沈黙ではありません。沈黙の直前に発生する、あの「始まりそう」という圧力です。

つまり三ヶ根は、コンサートで曲が始まる直前の空気──客席の咳が減り、プログラムをめくる音が止まる、全員が、まだ鳴っていない最初の一音に向かって耳を構える──その瞬間だけを作品化しようとしたのです。

実際、私たちが音楽に期待しているものの大部分は、音そのものではなく、「次に何が起こるのか」という予感なのかもしれません。三ヶ根の「まだ始まっていないピアノ曲」は、その意味で非常に音楽的です。

 

プログラムノートに書いてあったのですが、初演時のエピソードにこんなものがあります。

 

あまりにも曲が始まらないため、観客の一人が「始まらないなら帰ります」と言って退場した。その退場音が作品の唯一の発音イベントとなり、三ヶ根はこれを「偶発的コーダ」と呼んで大いに面白がったという。

 

このエピソードはこの曲を考えるうえで象徴的です。作品が始まらないとき、観客は単なる受け手ではいられなくなります。待つ、苛立つ、咳をする、身じろぎする、帰る。そうした反応が、作品の時間を構成してしまいます。

つまり、「まだ始まっていないピアノ曲」は、演奏者によってではなく、聴衆の待機によって進行する音楽なのです。

 

記録に残りにくい音楽

さて、この3人の作曲家に共通しているのは、音楽を「鳴った音」だけに限定していない点です。

犬飼リョウジは鳴らなかった音を、丹羽省吾は聞き間違えられた音を、三ヶ根ユキオは鳴る前の音を扱いました。

楽譜や録音に残りにくいため、通常の意味での「作品」としては扱いにくい姿勢です。そのためか、これらの試みは音楽史の中で見落とされ、これまでほとんど演奏機会が与えられることはありませんでした。
しかし、見落とされやすいことと、重要でないことは同じではありません。むしろ、音楽が実際にどのように経験されているかを考えるうえでは、こうした周辺的な実践のほうが有効な場合があります。

演奏前の沈黙、観客の咳や身じろぎは、作品外のノイズとして扱われますし、聴き間違いは正しい聴取からの逸脱とみなされます。しかし、実際のコンサート体験では、それらは完全には切り離せません。

作品は、楽譜や録音の中だけにあるのではなく、特定の場所、時間、身体、記憶の中で経験されます。
その意味で、今回紹介した犬飼、丹羽、三ヶ根の作品は、作品そのものよりも「作品が経験として成立する条件」に注目したものだと言えます。

 

地域性について

もうひとつ重要なのは、これらの実践が名古屋という都市と結びついている点です。名古屋は、東京のように大規模な前衛芸術の拠点として語られることや京都のように、大学や芸術運動の文脈で整理されることもほとんどありません。

そのため、名古屋の現代音楽史は、制度化された大きな流れとしてではなく、小規模な企画や個人的な研究、私的な録音としてしか残らない傾向があります。しかも上述した3人の作曲家は、名古屋の現代音楽史において中心的な流れとは言いにくい存在です。

そのため中部不可聴音楽祭のような企画の存在が本当に嬉しく感じられました。

 

音楽は何が鳴ったかだけでなく、どのように待たれ、どのように聞き違えられ、どのように記録され損なったかによっても形づくられる。

その点で、3人の作曲姿勢は、奇妙ではあっても単なる例外ではありません。
むしろ、音楽という出来事の扱いにくさを、かなり正確に示しているように思います本当にこいつらが実在していれば!!!!!!!!

ChatGPT5.5は優秀なのでめちゃくちゃ嘘ついてくれました。



ではまた。

 

パチンコ依存だけど、パチソンっていい曲多いよな

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みなさん、パチンコ打ってますか。パチスロ打ってますか。

どうも、ぎょくしです。

パチンコ・パチスロ、面白いですよね。楽しいですよね。

でも私は最近、パチンコもパチスロも打っておりません。

なぜなら、最近自分はギャンブル依存であると自覚したからです。

 

私とパチンコ・パチスロの出会い

私がパチンコ・パチスロを初めて打ったのは、高校卒業して浪人生活に足を踏み入れた直後です。単純にギャンブルに興味があったので、「面白そう」「やってみたい」という気持ちから、パチンコ店に通い始めました。

アニメ好きだったこともあり、最初はまどマギや化物語のようなアニメタイアップ台を最初は打っていましたが、途中から「ハナハナ」や「沖ドキ」のような演出のシンプルな台を好むようになりました。理由は簡単で、「投資金を持っていなかったから」。

当時は多くても一回3000円くらいで勝負をして、当たればラッキー!くらいの感覚だったので、「前兆」のようなまどろっこしい演出のない「光れば当たり!」とはっきり分かる台が好きでした。パチンコはどうしても回る、回らないという問題があったので、最初の頃は好みませんでした。

そこから1円パチンコで少しずつパチンコの楽しさを知り、パチスロも、単純明解な台だけでなく、演出の絡む台にも積極的に触るようになりました。その楽しさというものをめいいっぱい享受していましたが...

 

ほんとに怖い!パチンコ・パチスロ依存

恐ろしさを感じたのは、特に演出の絡むようなパチスロ台を触り始めたころからです。その頃から投資金額が一気に増えました。

当たるまで沈黙し、ボーナスの間だけビカビカ光るような台は「いつ当たるか分からない=基本いつ辞めても良い」という点で、まだ優しい方です。

一方で演出の絡む台は、「そろそろやめるか」と思ったタイミングで良い演出が出ると、そこから数ゲーム回す必要が出てきます。

追加投資→演出を確認→やめようとする→また演出発生→さらに追加投資...という負のループに陥ることが多々ありました。私のように歯止めの効かない人間にとっては、最悪の状況です。

また私は派手な勝ち演出を見るのが好きなので、たとえ少しプラスになったとしても不完全燃焼なままです。そして、「また勝ち演出が見たい」という気持ちから同じ台に何度も挑戦してしまいます。

そうしているうちに資金が尽きると、「演出を見たい」という目的が「負けを取り返したい」という目的にすり替わり、さらに熱中してしまうこととなります。こうしてパチンコ・パチスロ依存が出来上がっていくのです。

一度は強い意志でパチ禁を始めても、数週間後に気持ちが揺らいでまた店に行ってしまう。そして、そういうときに限って「勝ってしまう」。これも依存あるあるですが、「また勝てるのでは」という発想で再び沼に戻ってしまうのです。

パチンコ・パチスロは楽しい遊びです。節度を守れば一つの娯楽として大いに楽しめますし、コミュニケーションの種の一つにもなります。タイアップしている作品の魅力を知ることができる、など思わぬ出逢いもあります。

しかし、自制の利かない人間にとって、そこは地獄の入り口なのです。

 

依存から抜け出すために

というわけで、依存症だと自覚した私。自分一人では脱却できないと感じ、普段通っているメンタルクリニックの先生に打ち明けました。先生もかなりノリノリで「やりましょう」と言ってくれて、通院のたびに現状報告をしています。

しかし、それでも最初はやめられませんでした。そんな私を助けてくれたのは、「QuitMate」というアプリです。

依存症克服SNS クイットメイト QuitMate

依存症克服SNS クイットメイト QuitMate

  • Yuki Shimazu
  • ヘルスケア/フィットネス
  • 無料

apps.apple.com

play.google.com

このアプリには「どれだけやめられているか」を記録するタイマー機能に加え、依存者向けのSNS機能があります。日々の気持ちや状況を投稿でき、依存対象の種類も豊富です(ギャンブル、タバコ、アルコール、過食など)。

※(自分は未使用ですが)プレミアム版ではAIサポートや回復プログラムも利用できるようです。

自分は、特に初めのうちが辛かったので、毎日投稿して自分の気持ちに負けないようにしていました。

その結果、現状約45日間パチ禁を継続中です。日数としてはまだまだですし、誘惑に負けそうになることも多いですが、これからも続けていきたいと思います。

 

しかし、いい曲は多いよな

そんな私の依存症を加速させたパチンコ・パチスロの要素の一つとして、「パチソン(パチンコ楽曲)」があります。

パチンコ・パチスロは様々な要素によって成り立っています。派手に動く役物、点滅する光、ワクワクする演出ムービー、射倖心を煽る効果音... そんな演出の中核にあるのが「音楽」です。

パチソンはいわば「祝福の音楽」です。遊戯者が苦労して引き当てた「当たり」を最大限に盛り上げ、祝福するのが音楽の大きな役目です。そんな音楽がほかの要素とバチっとかみ合うと、聴いていて本当に気持ちが良いです。それはもう、「この曲が聴きたいからこの台を打ちたい!」と思ってしまうくらいには...

では、そんな「祝福の音楽」を何曲か聴いてみましょう。

レッドメテオ

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こちらは1999年にオリンピアが出した、宇宙をモチーフにしたスロットです。もちろん、自分は打ったことがありません。画面のついていない、横に演出ランプがあるだけのシンプルな台... しかし、曲が本当にカッコいい!どことなく「泣き」を感じる哀愁のあるメロディは、宇宙船に乗って孤独な旅をしているような気分にさせてくれます。

ちなみにこの時代のオリンピアの台は名曲が数多くあります。たとえば、「スーパースターダスト2」だったり...

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「ビーナスライン」だったり。

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きっと、優秀なサウンドクリエーターさんがいらっしゃったのだろうなぁ... 一体誰なのだろうか... と思いを馳せる私でしたとさ。

 

パチスロ化物語より「倖時間BGM-まよいタイム-」

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お次は、最近スマスロで復刻もしたパチスロ化物語です。製造はサミー。アニメ「化物語」のBGMや主題歌ももちろん使用されていますが、特に好きなのがスロットオリジナル楽曲のこの曲です。ハイテンポでワチャワチャしており、打っているときに流れているとなんだかワクワクしてとにかく楽しい!そんな一曲です。

 

CRめぞん一刻4〜約束〜より「ひだまりの詩」

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先程ご紹介したのはパチンコ・パチスロオリジナル曲ですが、こちらは、カヴァー曲がふんだんに使用されています。例えば村下孝蔵の「初恋」

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小林 明子の「恋におちて -Fall in love-」など。

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そんな中、「約束の向こう側」という特別演出で聴くことができるのはLe Couple「ひだまりの詩」のカヴァーです。この演出は、めぞん一刻の響子さんと五代くんが結婚して子供ができた「その後」を描くパチンコにしかない特別演出なのですが、この演出が本当に泣ける... 私はパチンコ屋でこの演出を見たときに本当に泣いてしまい、涙を拭いながら大当たりを消化した思い出もあります。「どうせパチンコの演出」と思っていると胸を打たれることになるので、めぞんファンは試しに一度見てみてください。

 

クイーンハナハナ

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思い出枠として入れたいのがパイオニアの「クイーンハナハナ」です。この台は普通の台より使用されているメダルの大きさが少し大きい「沖スロ」と呼ばれるジャンルなのですが、実は、私が初めて打ったハナハナシリーズはこのクイーンハナハナなのです。BGMにどこか南国感が感じられて、「いかにも沖スロ!」って感じがして大好きでした。

サウンドクリエーターさんが変わったのか、最近のハナハナはエレキギターのカッコいいBGMが増えてきましたが、私にすれば「やっぱハナハナのBGMはこれでしょ!」といった感じです。皆さんは、どのハナハナのBGMが好き?

 

パチスロ快盗天使ツインエンジェルシリーズより「ラブリー☆えんじぇる!!」

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最後はサミーのツインエンジェルシリーズから、「ラブリー☆えんじぇる!!」です。私が実機を触ったことがあるのは「ツインエンジェルPARTY」だけですが、古くからある萌えスロだけあって、台にかわいいが詰まっています。たとえば、リール配列なんかも...

こんな感じで!めちゃ可愛くないですか!?ほかにも台の装飾(?)もめちゃくちゃ可愛いので、そんな台でこんな曲聴いたらテンションめちゃ上がりますよ。ええ。ちなみにツインエンジェルはアニメにもなっているので、いつか見たいですね...

 

おわりに

という訳で、今回はパチンコ・パチスロの怖さとその楽曲の魅力について語りました。

私は今後、おそらく打つことはない……と信じたいですが、新台は日々登場しています。もし良い曲があればぜひ教えてください!

 

……いや、やっぱりいいです。打ちに行きたくなっちゃうから(笑)

 

ではまた!

トイドラのアイドルプロデュース活動

どうも、トイドラです。

相変わらず普段は作曲家として活動していますが、そのかたわらYouTubeの「音楽ガチ分析チャンネル」はもうじき登録者10万人に到達しそうです。

最近はオーケストラ作品の初委嘱に苦戦中で、楽譜とにらめっこする日々。

それ以外にも、ミキシングエンジニアをやったり、MVを作ったり、なぜか芸大和声の専用フォントを作ったりもしました。

https://toydora-music.stores.jp/items/69a6322dd648d11b6cd7ded8

自分で書いていても、だいぶ何をやっている人なのか分からなくなってきました。

僕はどこへ向かっているのでしょうか。

 

そんな僕ですが、このたびやることをもう1つ増やすことにしました。

 

トイドラのアイドルプロデュース

というのも、僕がプロデュースするソロアイドルのライブデビューが決まったのです。

その名もこむぎん

www.youtube.com

5月に東京でライブデビューします

5月に東京でデビュー予定です。

5/16のイベントはもう詳細が出ています。

今まで散々芸術的なことをやっておいて、なんで今さらアイドルなのか?

今回はそのあたりの話を軽く書いておこうと思います。

 

経緯

一番最初のきっかけは、こむぎんがアイドルをやりたがっていたことです。

僕とこむぎんは、同じ愛知県出身ということで、もともと知り合いでした。

それに加え、僕は地下アイドルの方々に曲を書いています。

ライブハウスでバイトをしていたので、地下アイドルを見る機会もそれなりにありました。

なので、アイドルというもの自体は自分にとって完全に外側の世界ではありませんでした。

 

その中で、なんとなく「プロデュースって面白そうだな」と思っていました。

僕は生まれつき、裏方で暗躍するフィクサーみたいな役回りが好きです。

ハリーポッターならスネイプ、エヴァなら冬月教授みたいなやつ。

もともと興味があったところに都合よくこむぎんが現れたので、一丁やってみることにしました。

 

アイドルソング、音楽がイカれていても成立する説

それから、地下アイドルを見ていたとき、ひとつ思ったことがあります。

あけすけに言えばアイドル曲って、かわいい女の子が歌って踊ってさえいれば、音楽がイカれてても成立するのではないか?

これは悪口ではなく、むしろポジティブな意味で。

 

アイドルというと、一般的には分かりやすくて、明るくて、みんなで盛り上がれる大衆的なものが多いと思います。

ただ、地下アイドルやライブアイドルの現場を見ていると、必ずしもそれだけではありません。

数は少ないけど、ヘンテコなコンセプトのアイドルにも一定の居場所があります。

また、ふつうのアイドルよりもお客さんとの距離が近く、チェキや物販といった形でのファンとの交流にむしろ重きが置かれています。

悪く言えば、音楽の重要性は相対的に低い。

良く言えば、アイドルとしてのコンセプトに沿ってさえいれば、コンテンポラリーな表現もやり放題なのでは?

 

そもそも、コンテンポラリー・ミュージックが受け入れられにくい理由は、音楽単体の響きとして聞いたときの魅力が分かりづらいからです。

一方、それがアイドルソングであれば、「アイドル」という入口あっての「アイドルソング」なので、受け入れられる土壌が出来上がっているのではないかと思いました。

そこに、アイドルをやりたい知り合いが現れた。

しかも、何かだいぶ変なヤツだった。

だったら、これはもう僕がプロデュースしてみてもいいのではないか、という流れです。

うまく歯車が噛み合ってしまいました。

 

そして僕がプロデュースする以上、音楽はかなり変です。

作曲は僕が手がけていますが、現在完成している曲はどれもこむぎんからの注文をもとに作っています。

ただ、その注文がなかなか厄介で、全然関係ない音楽ジャンルを同時にリファレンスしてくるんですよね。

結果として、かなりカオスな多ジャンル混合音楽になりました。

一応、地下アイドルのライブでやる以上、mixや合いの手を入れられるようなノリの良さは担保したつもりですが……。

 

ジャンルの垣根を壊したい

僕は、音大を出たわけではなく、ただ単に音楽が好きで色々やっていたら作曲家になっていたという人間です。

楽器をやった経験も部活くらいしかなく、もともとポップスもクラシックもジャンルの別なく好きでした。

なので、アイドルソングだろうと交響曲だろうとあまり差はないというか、垣根なく取り扱いたい気持ちがあります。

実際、僕は今オーケストラの純音楽作品を書いていますが、その中には極めてポップなシーンが登場します。

逆に、既に作ったアイドル曲の中にこっそり現代音楽をサンプリングしたりもしました。

音楽の垣根をブチ壊す活動の嚆矢になればいいなと思っています。

 

おわりに

活動の中心は東京になる予定です。

ただし、こむぎんも僕も愛知に縁があるので、名古屋でも今後活動していくつもりです。

東京の方も、名古屋の方も、地下アイドルを普段見ない方も、ぜひ1度見に来てみてください。

ちなみに、地下アイドルのライブはかなり独特な文化なので、普段行ったことない方はカルチャーショックを受けられると思いますよ。

 

◤iCOLONY iDOL LiVE 117 // DAY1◢
2026年5月16日(土)
会場:GOTANDA G2
OPEN 10:45|START 11:00予定

チケット:
前売 ¥2,500|当日 ¥3,300
入場・再入場 +1D

チケットURL:
https://t-dv.com/iCOLONY-117-DAY1

オープンワールドのBGMで、つい気になってしまうこと

サント・アンヌ号絶賛修復中、Southernです。

 

△関西弁ですわ(大嘘)

 

2025年度における私のゲームプレイ履歴をメーカー順に並べてみると、Switch2を購入してからNintendo製の邁進が止まらなくなっているのが想像に難くありません。
一方で、ぽこ あ ポケモンのようなサンドボックスゲームをはじめ、RPG、レースゲーム、ハンティングアクションと、ゲームのジャンル的には個人的には割れたほうなのでは? と思わなくもありません。ただしFPSは完全に引退気味です。

 

そんなゲームのジャンルのなかでも、個人的によくわかっていないのがオープンワールドというものです。

 

 

オープンワールドって何よ

 

私の印象としては、めっちゃ広い世界をシームレスに探索できるものがオープンワールドゲームなの? なんて思ったりもしてるわけです。

 

実際のところ明確な定義はないようながら、一般的にはその方向で語られることが多いようです。

When we discuss "open world games" in this article, or sometimes "exploration games," we mean those games where generally the player is left to his own devices to explore a large world. (翻訳:この記事で「オープンワールドゲーム」や時には「探索ゲーム」について議論するとき、私たちが意味するのは、一般的にプレイヤーが大きな世界を自由に探索できるゲームのことです。)

Gamasutra - Game Design Essentials: 20 Open World Games (アーカイブ)より引用

 

また昨今ではゲームの進め方が決まっていないことも、オープンワールドのジャンルを定義する一因とされていたりもするとかなんとか。

 

で、そんな定義で行くと私が直近でプレイしたオープンワールドゲームは『ポケットモンスター バイオレット』と、やはりポケモン作品になりそうです。

 

 

「ならでは」の不満

 

当作品は私にしては珍しく、未完結のまま長らく中断しているゲームになってしまっています。

その直接的な原因は、当作品は初代Switchでフレームレートが大幅に落ち、かつ安定しづらいというかなり重篤な問題があったことに起因します。60fpsと30fpsの違いがあまりわからない私が気になったレベル、と言えばいいでしょうかって自慢気に言うことじゃ絶対ない

 

△やってはいたんだけどね

 

……が、それとは異なる個人的な不満がこのゲームにはあります。

それは、「フィールド曲とバトル曲が同一主題で、かつシームレスにつながる」ことです。

 

一例として、ぽこ あ ポケモンにも収録されたBGM『南エリア*1をご紹介します。

まず、フィールド探索時のBGMはこんな感じ。せっかくなので(?)、いわゆる「ライド」状態のほうです。

 

 

 

対して野生ポケモンとのバトル時は、こんな感じで変化します。

 

 

この2つの似た主題がバトル開始・終了を合図に、クロスフェードで切り替わるのがポケモンSVなのです。

 

個人的に、この切り替わり方はメリハリが全くなく感じてしまいます。

 

 

取るべき理由、取らざる感覚

 

もちろん、この手法が世界観を表すための一手であることは疑っていません。

ポケモンSVの舞台・パルデア地方をはじめとするポケモンの世界はそこらじゅうに野生ポケモンが転がっており、草むらをかき分ける、海や川に入る、釣りをするなどといった何気ない行動で簡単にポケモンが出現し、戦闘が始まります。
言い換えれば、ポケモンと出会うことはこの世界では日常に馴染んでいるということになり、似た主題の曲を切り替えるのはこの日常を示す重要な表現だと感じます。

 

しかし、戦闘シーンというのはRPG内で切っても切れないもの。
突然敵が現れて襲い掛かってくるという状況に対し、「またか」と思えども少なからず戦闘モードにスイッチを入れる瞬間がプレイヤーにも、そして恐らくゲームの登場人物たちにもあるはずです(ポケモンSVはほぼシンボルエンカウントのみになっているとはいえ)。
似た楽曲がシームレスに切り替わる表現は、そんな状況を表し切れていないように思えてなりません。「メリハリがない」と私が感じたのはこういった理由です*2

 

はい。じゃあどういうのがお気に召すんや、という声が聞こえてきていますよ。
個人的にはPalworldのように「フィールド探索中は無音・戦闘シーンでBGM開始」のようなスタイルが良いのではないか? と考えたりもしています。なんてったって日常にはBGMはないですし、モンスターはファンタジーですから……いや、ポケモンはいますよね! どこかに!! 絶対に!!!

 

 

何を求めるのか

 

……なんてところまで含めて、私はきっとゲームに対して「空想感」を強く求めてしまっているんだろうなぁ、と感じます。

 

昨今「リアリティ」がゲームに求められる比重はずいぶん増加したように思いますし、オープンワールドの流行も、その現実に潜んでいるかのような「自由」や「日常感」を感じやすいといった側面があってこそなのかもしれません。
あるいはそれもまた、6年前からのコロナ禍が影響していたりもするのでしょうね。

 

いろいろ思うところはありますが……まあ、やりたいと思ったことはやる。それが最も重要なことと信じて、今年もいろいろなゲームをやり続けていきます。もちろん作曲も!

 

 

それではまたいつか。

 

 

 

*1:なおこの曲の作曲者は『UNDERTALE』を作成した、かのToby Fox氏だそうです。

*2:余談ですが、SVの次作に相当する『ポケモンレジェンズ Z-A』ではあまりこの状況は気になりませんでした。これは「ワイルドゾーン」や「異次元ミアレ」など、街の中でも戦闘の頻出するエリアがしっかり区分されているから、だと思ってます。

シリーズ「ロシア・アヴァンギャルド」 第二回「ニコライ・ロスラヴェッツの合成和音」 ―PCS理論発見の前に同じ基本哲学に気がついた男

 

シリーズ「ロシア・アヴァンギャルド」

Nikolai Andreevich Roslavets

第1章 問題設定

(Roslavets理論再検討の必要性)

 20世紀初頭のロシア音楽においては、調性崩壊以後の音組織の問題が、単なる無調の導入としてではなく、より構造的な音素材の再編として理解されるべき段階に達していた。すなわち、西欧の無調音楽がしばしば機能和声の否定として語られるのに対し、ロシアにおいては音素材の内部関係の再構築という形で、より深い理論的志向が見られるのである。

 この文脈においてニコライ・ロスラヴェッツ(Nikolai Roslavets, 1881–1944)は極めて特異な位置を占める作曲家である。彼の創作は単なる無調の実践にとどまらず、音素材そのものを組織的に設定し、それを時間的展開の基盤とするという体系的作曲法に向かっていた。本論ではこの体系を「合成和音システム」と呼び、その理論的意味を再検討する。

 本研究の目的は以下の三点にある。

1.ロスラヴェッツの理論をロシア音楽理論史の文脈に再配置すること
2.彼の音群組織を現代音楽理論(PCS)により再記述すること
3.その作曲原理を現代作曲のためのモデルとして提示すること

 従来研究では、ロスラヴェッツの理論はしばしば「スクリャービン以後の神秘主義的音楽語法」として扱われるか、あるいは単に十二音技法以前の実験的無調の一例として理解されてきた。しかしながら、彼の音楽に見られる素材設定と展開の方法は、より構造主義的な音楽思考に基づいており、20世紀音楽の理論史において再評価されるべき対象である。

 本論はこの観点から、ロスラヴェッツの理論の基礎哲学を「lad概念」に求め、その上で彼の音群操作を分析し、現代的理論装置を用いて再定式化することを試みる。


第2章 lad概念の理論史

 ロシア音楽理論における「lad」は、西欧の調性概念とは異なる独自の歴史的展開を持つ概念である。これは単なる音階や旋法を意味するのではなく、音の運動傾向、すなわち音がどの方向へ進もうとするかという構造的性質を指す理論概念として理解されるべきものである。

 この概念は19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ロシア理論家たちによって体系化されていった。特にヤヴォルスキーおよびホロポフの理論においては、ladは音程関係の中に内在する運動性として定義され、調性とは異なる音楽構造の基礎原理として扱われた。

 この点について、Bazayevは次のように指摘している。

 ・lad は音の階層構造ではなく、音の運動の組織である(Bazayev 2014)

 この理解は極めて重要である。すなわち、音楽の構造は和音の機能的連鎖ではなく、音程関係の中に含まれる運動傾向によって生成されるという発想である。 

lad構造模式図

 さらに、lad概念は対称性と深く結びつく。音程関係の対称構造は、音の引力関係を再編成し、従来の調性とは異なる運動秩序を形成する。

ladと対称構造の関係図

 上例はスクリャービンの神秘和音におけるlad概念の運用図である。このようにladの概念は不協和音にも適応が可能であるという点において、無調音楽への秩序の導入の意味でも役立つ。このような理論的背景のもと、ロスラヴェッツは音群の設定を作曲の出発点とする方法を採用したと考えられる。

 

第3章 ロスラヴェッツ理論の再定義

 ロスラヴェッツの創作において特徴的なのは、作品ごとに固有の音集合を設定し、それを基盤として音楽を構成する方法である。彼はこれを「合成和音」と呼んだが、その本質は単一の和音ではなく、音程関係構造を内包した音群の設定にある。

 この音群は以下の性質を持つ。

1.音程関係に基づく内部構造を持つ
2.移行可能な構造単位として機能する
3.音楽の時間展開の基礎となる

 この点において、ロスラヴェッツの理論は調性和声とも十二音技法とも異なる独自の体系を形成している。また、彼の理論は神秘主義的思想の産物としてではなく、音素材の構造的操作に基づく合理的作曲法として理解されるべきである。彼の音群操作は、機能和声の代替としての音集合運動の理論とみなすことが可能であり、この観点から再評価することが本論の中心課題となる。

 

第4章 ロスラヴェッツの形成環境と理論生成の契機

 ニコライ・アンドレイヴィチ・ロスラヴェッツ(Nikolai Andreevich Roslavets, 1881–1944)は、ロシア帝国末期からソヴィエト初期にかけて活動した作曲家・理論家であり、その創作は20世紀初頭のロシア音楽における構造的革新の一端を担うものであった。彼の音楽理論は個人的発想の産物ではなく、当時のロシア音楽理論環境および芸術思想の中から必然的に生成されたものであると理解されるべきである。

 ロスラヴェッツはモスクワ音楽院において作曲を学び、主としてセルゲイ・タネーエフの理論的系譜を受け継ぐ教育環境のもとで訓練を受けた。彼の師にはミハイル・イッポリトフ=イワノフおよびレインゴリト・グリエールが含まれ、これらの教育者はロシア音楽の民族的語法と西欧理論の統合を志向する作曲家であった。この教育環境は、形式的構造の厳密な把握と音素材の体系的処理を重視する姿勢をロスラヴェッツに植え付けたと考えられる。

 しかしながら、彼の理論的関心は単なる伝統的作曲教育の枠内にとどまらなかった。19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシアにおいては、象徴主義文学や神秘思想、さらには芸術の統合を志向する総合芸術的運動が活発化しており、音楽もまたその思想的影響を強く受けていた。この文化的状況は、音楽の構造原理を再定義しようとする志向を作曲家たちに促すものであった。

Alexander Scriabin

 この点において、ロスラヴェッツとアレクサンドル・スクリャービンとの関係はしばしば論じられてきた。両者は直接の師弟関係にはないものの、スクリャービンの後期作品に見られる和声構造の革新は、ロスラヴェッツにとって重要な問題提起となったと考えられる。すなわち、和音を調性的機能から解放し、音程関係の内部構造として再定義する試みは、ロスラヴェッツの理論的関心と同一の問題領域に属するものであった。

 ただし、ロスラヴェッツの理論はスクリャービンの神秘主義的志向を継承するものではない。むしろ彼は、音素材の内部関係を理論的に組織化することによって、新しい音楽構造を構築しようとした点において、より構造主義的な立場に立っていたといえる。彼の合成和音概念は、特定の象徴的意味内容を担う和音ではなく、音程関係の集合として定義される音群であり、その操作を通じて音楽の時間的展開を生成するための装置であった。

 なおスクリャービンの作曲モデルについては拙著ブログ記事に詳しいのでそちらを参照されたい。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 さらに、1917年革命以後のソヴィエト文化政策の変化は、ロスラヴェッツの活動に大きな影響を与えた。前衛芸術に対する政治的圧力の高まりは、彼の理論的研究および創作活動の継続を困難にし、その結果として彼の理論体系は断片的な形でしか伝えられなかった。この歴史的状況は、彼の理論が後世において十分に理解されなかった一因であると考えられる。

 以上のように、ロスラヴェッツの合成和音システムは、ロシア音楽理論の伝統、象徴主義的文化環境、スクリャービン以後の和声問題、そして革命後の政治状況という複合的要因の中から形成された理論体系である。本論ではこの理論を、lad概念の発展史の中に位置付けるとともに、現代音楽理論の枠組みを用いて再解釈することを試みる。

Mikhail Mikhailovich Ippolitov-Ivanov

 なお、ロスラヴェッツの師の一人であるミハイル・イッポリトフ=イワノフは、ロシア国民楽派の系譜に連なる作曲家として、民族的素材に基づく穏やかで牧歌的な作風によって知られている。彼の作品においては、調性的秩序と民俗的旋律語法が安定した音楽的世界を形成しており、その音楽は20世紀初頭の急進的前衛とは明確に距離を保つものであった。

 一見すれば、このような作風はロスラヴェッツの音楽に見られる鋭利な構造主義的志向とは対極に位置するように思われる。しかしながら、この対照は単なる断絶として理解されるべきではない。むしろロスラヴェッツは、ロシア音楽の文化的基盤と理論的構造を深く理解した上で、それを別の方法論によって再構成しようとした作曲家であったと考えられる。

 すなわち、イッポリトフ=イワノフらが民族的語法を通じてロシア音楽の同一性を表現しようとしたのに対し、ロスラヴェッツは音素材の構造的組織化によって、より抽象的次元における音楽的アイデンティティの確立を志向したのである。この意味において、彼の理論と創作は、伝統的国民楽派への否定ではなく、むしろそれに対する理論的応答として位置付けることが可能であろう。

 したがって、彼が当時の音楽界において周縁的存在と見なされた歴史的状況は、単なる様式的急進性の問題ではなく、音楽理解の枠組みそのものの転換を試みたことに起因するものと解釈されるべきである。

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第5章 音群理論の再記述としてのPCS導入

 ロスラヴェッツの合成和音システムは、20世紀初頭のロシア音楽理論の文脈において形成されたものであり、その理論的基盤は当時の「lad」概念の拡張として理解されるべきである。しかしながら、この理論は数学的集合論として明示的に体系化されたものではなく、むしろ作曲実践の中から導出された操作原理として存在していた。

 この点において、現代音楽理論の枠組みであるピッチクラス集合論(Pitch-Class Set Theory, 以下PCS)は、ロスラヴェッツの音群操作を再記述するための有効な分析装置となり得る。すなわち、彼が「合成和音」と呼んだ音素材は、特定の音程関係構造を持つ集合として理解することが可能であり、その移行や変容はPCSにおける転回・移調操作と対応づけることができる。

 重要なのは、本論におけるPCSの導入が、ロスラヴェッツの理論を後世の概念によって単純に説明し直す試みではないという点である。むしろこれは、彼の音楽思考が現代理論の登場以前に同様の基本哲学に到達していたことを示すための方法論的選択である。したがって、本論におけるPCSの使用は歴史的再解釈であると同時に、作曲理論としての再構築を意図するものである。

 この観点から、本論ではロスラヴェッツの作品に現れる基本音群を集合 

 𝑆

 S として定義し、その構造をピッチクラス集合として記述する。さらに、その移行形をPCSの転移操作として整理し、音楽の時間展開を集合操作の連鎖として把握することを試みる。

 このような再記述は、単なる分析的有用性にとどまらず、現代作曲におけるモデル提示としても重要な意味を持つ。すなわち、ロスラヴェッツの音楽は歴史的事象として理解されるだけでなく、音群操作に基づく作曲理論として現在に再活性化され得るのである。

 また、PCS理論におけるフォート番号の導入は、ロスラヴェッツ自身の理論を数学的体系として再構築する試みではなく、現代の作曲家にとって理解しやすい記述形式を与えるための便宜的手段として用いられる。本論においては、彼の基本音群を特定の集合クラスとして位置付け、その移行関係を集合論的に整理することによって、彼の音楽言語を構造的に明示する。

 この操作はさらに、PCSにおけるZ関係などの概念を通じて、ロスラヴェッツの音群理論を拡張する可能性を示唆するものである。すなわち、彼の合成和音モデルは歴史的完成形として閉じた体系ではなく、現代作曲理論の中で発展し得る開かれた構造として再理解されるべきである。

 以上の理由により、本論ではロスラヴェッツの音楽をPCS理論の枠組みによって再記述し、その作曲原理を現代的視点から再評価することを方法論的基盤とする。

 

第6章 基本音群 S の定義と構造

 ロスラヴェッツの作曲技法の核心に位置するのは、作品ごとに設定される固有の音群である。この音群は彼自身によって「合成和音」と呼ばれたが、その本質は単一の和音ではなく、音程関係構造を内包する集合として理解されるべきである。本論ではこの基本音素材を集合 

 𝑆

 S として定義し、その構造を分析の出発点とする。

 ロスラヴェッツの作品においては、この集合 

 𝑆

 S が単に静的な素材として提示されるのではなく、作品全体の構造生成の原理として機能する。すなわち、音楽の進行は機能和声的な和音連鎖によってではなく、集合 

 𝑆

 S の移行および変形によって組織される。この意味において、彼の作曲法は和声進行の代替としての集合運動理論とみなすことが可能である。

 特に《ピアノ・ソナタ第2番》の冒頭においては、基本音群が音列的形式で明示され、作品の構造原理が提示されている。この提示は、調性的音楽における主題提示に相当する役割を担うものであり、以後の音楽的展開はこの集合の変容として理解されるべきである。

Piano Sonata No.2/N.Roslavets

 この音群は単なる音列ではなく、内部に特定の音程関係構造を持つ集合であり、その対称性および部分構造は作品全体の音楽的運動を規定する。本論では、この集合をPCSの観点から分析し、そのフォート番号による位置付けを行う。

Normal Form 0 1 2 4 6 8 9 t 
Prime Form (0124568T)
Forte Number 8-24

 さらに、この集合は単独で機能するだけでなく、移調形との合成によって拡張された音群構造を形成する場合がある。このような操作は、ロスラヴェッツの音楽において重要な構造生成の手段となっている。

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基本集合と移行形の関係図

 このように、ロスラヴェッツの作曲法は、単一の音群の設定とその変容によって音楽を構築する方法として理解される。したがって、本論の分析は、集合 
 
 𝑆

 S の内部構造、部分集合への分割、声部配置、時間展開という四段階の観点から行われる。

 この四段階構造は、彼の音楽を機能和声の枠組みから切り離して理解するための理論的枠組みを提供するものであり、同時に現代作曲理論における音素材操作のモデルとして再解釈することが可能である。

 

第7章 基本音群 S の内部構造

(ピアノ・ソナタ第2番冒頭分析)

 《ピアノ・ソナタ第2番》の冒頭において提示される基本音群は、単なる音列としてではなく、内部に特定の音程構造を内包する集合として理解されるべきである。この集合は、後続の音楽的展開におけるすべての素材の源泉として機能し、調性音楽における主題概念に相当する構造的役割を担う。

ソナタ第2番冒頭提示音群

 この音群は、特定の中心音を基準として提示されるが、その機能は調性的中心とは異なる。すなわち、ここでの中心音は引力点としての主音ではなく、集合の構造を定位するための参照軸として機能している。この点において、ロスラヴェッツの音群提示は、機能和声における主和音提示とは本質的に異なる理論的意味を持つ。

 さらに、この基本音群は内部に複数の部分集合構造を含み、それらは声部配置に応じて分離的に用いられる場合がある。この操作は、和声の分解というよりも、集合構造の異なる層における展開として理解されるべきである。

右手部分集合の抽出

Forte Number 5-32

左手部分集合の抽出

Forte Numer 5-z17

 これらの部分集合は、単独でも音楽的文脈を形成し得るが、両者が統合されたときに基本集合の全体構造が明確に顕在化する。この関係は、調性音楽における和声分散とは異なり、集合構造の多層的提示として理解される必要がある。

 また、これらの集合は固定された形で反復されるのではなく、移行形として連続的に変化する。この変化は調性的和声進行の代替として機能し、音楽の時間構造を生成する主要な手段となっている。

移行形の展開例

 このような集合の変容は、単なる移調操作としてではなく、音程関係構造の再配置として理解されるべきである。すなわち、音楽の進行は和声機能の推移ではなく、集合構造の変形によって生起する。

 この観点から見ると、ロスラヴェッツの作曲法は、調性音楽における和声進行を集合運動に置換した構造体系として把握することが可能である。したがって、彼の音楽における緊張と解放の感覚は、音群の変形と再統合の過程として理解されるべきである。

移行形の展開例

 以上のように、《ピアノ・ソナタ第2番》冒頭における音群提示は、作品全体の構造生成原理を象徴的に示すものであり、ロスラヴェッツの合成和音システムを理解する上で最も重要な出発点となる。

 

第8章 集合運動と形式哲学

(ソナタ形式との比較において)

 ロスラヴェッツの音楽構造を理解する際、従来の形式理論の枠組みをそのまま適用することは適切ではない。特にソナタ形式との関係を論じる場合、調性音楽における主題対比や調的対立の概念は、彼の音楽には直接対応しない構造原理に基づいている。

 調性ソナタにおいては、音楽の時間展開は主題の提示・展開・再現という形式的枠組みによって組織され、その内部では調的対立と解決が構造的緊張を生み出す。一方、ロスラヴェッツの作品においては、このような機能和声的対立は存在せず、代わりに音群の変形と移行が音楽の時間的運動を規定する。

 すなわち、彼の音楽における「展開」とは、主題動機の変形ではなく、基本集合の構造変容として理解されるべきである。この点において、ロスラヴェッツの形式観は、調性音楽における主題中心的形式論とは異なる原理に基づいている。

集合運動による構造生成模式図

 さらに、この集合運動は単なる構造的操作にとどまらず、音楽の時間経験そのものを再定義する役割を担っている。調性音楽においては、緊張と解放は主として和声機能の推移によって生じるが、ロスラヴェッツの音楽では、集合構造の変容が同様の時間的ダイナミクスを生成する。

 この意味において、彼の音楽は調性形式の否定ではなく、その構造原理の別様の実現として理解されるべきである。すなわち、ソナタ形式における対立構造は、音群の差異として再構成され、再現部に相当する部分は集合構造の再統合として現れる。

 

 

集合再統合の構造例

 この観点から見ると、ロスラヴェッツの形式思想は、音素材の内部構造に基づく時間生成理論として位置付けることができる。彼の作品においては、形式は外在的枠組みとして存在するのではなく、集合運動の結果として生成される内在的構造として現れるのである。

 したがって、ロスラヴェッツの音楽は、調性ソナタ形式の単なる拡張や解体としてではなく、音素材操作に基づく新しい形式理論の先駆的試みとして理解されるべきである。

 

第9章 集合合成と拡張構造

(スーパーセットとしての音群組織)

 ロスラヴェッツの作曲技法において特徴的なのは、単一の基本音群を素材としながらも、その移行形との合成によって拡張された音群構造を形成する点にある。この操作は、単なる移調の反復とは異なり、集合構造の統合による新たな音素材の生成として理解されるべきである。

 《ピアノ・ソナタ第2番》の冒頭に提示される基本音群は、特定の音を基準として提示されるが、作品の進行においてはその移行形が併用されることによって、より広範な音域的・構造的展開が可能となる。このとき、基本集合と移行集合の合成によって形成される音群は、単一集合を超えた包括的構造として機能する。

基本集合と移行集合の合成構造

 

 このような拡張音群は、本論の観点からは「スーパーセット」と呼ぶことが可能である。すなわち、作品の音素材は単一の集合によって固定されるのではなく、その変形と合成によって動的に拡張される構造を持つ。この操作は、調性音楽における調的拡張や和声的転調とは本質的に異なる理論原理に基づいている。

 また、このスーパーセットの形成は、音楽の時間構造に対して重要な影響を与える。すなわち、音素材の拡張は単に音響的多様性を生むだけでなく、構造的緊張の新たな次元を形成する。この点において、ロスラヴェッツの音楽は、音群の変形と統合による構造生成の体系として理解されるべきである。

 さらに、このような集合合成の操作は、現代音楽理論における集合クラスの拡張概念と接続する可能性を持つ。特に、PCS理論におけるZ関係の概念は、ロスラヴェッツの音群操作を新たな視点から再解釈する契機となり得る。すなわち、彼の合成和音モデルは、固定された歴史的技法としてではなく、集合操作に基づく開かれた作曲理論として再評価されるべきである。

 この観点から、本論ではロスラヴェッツの音群理論を現代的集合論の枠組みの中で再定義し、その拡張可能性を提示することを試みる。彼の音楽は、調性崩壊後の無秩序な音素材の使用ではなく、構造的に組織された音群操作の体系として理解されるべきであり、その理論的意義は20世紀音楽史において再検討される必要がある。


第10章 未実装の未来的Roslavetsシステム

(集合操作による作曲理論の拡張)

 ロスラヴェッツの合成和音システムは、作品ごとに設定された音群の操作によって音楽構造を生成する理論として理解されるべきである。本論における分析は、この音群操作が単なる歴史的技法ではなく、現代作曲理論の中で再活性化され得る構造原理であることを示してきた。

 特に、基本集合 

 𝑆

 S の移行および合成によって形成される拡張音群は、集合操作に基づく作曲法として体系化することが可能である。この観点から、ロスラヴェッツの理論は閉じた歴史的体系としてではなく、さらなる展開を許容する開かれた構造として理解されるべきである。

 ここで重要となるのが、現代音楽理論におけるピッチクラス集合論との接続である。PCS理論における集合クラスおよびZ関係の概念は、ロスラヴェッツの音群操作を拡張する理論的契機を提供する。すなわち、基本集合の内部構造を保持しつつ、Z関係にある集合との接続を行うことによって、新たな音素材体系を生成することが可能となる。

 この操作は、ロスラヴェッツ自身が明示的に理論化したものではない。しかしながら、彼の作曲法が音群の構造操作を基盤としていることを考慮すれば、このような拡張は彼の理論の自然な発展形として位置付けることができる。

 したがって、本論ではこの拡張操作を「未実装の未来的Roslavetsシステム」と呼ぶことを提案する。この概念は、ロスラヴェッツの音楽言語を単に歴史的対象として分析するのではなく、現代作曲における創造的資源として再評価するための理論的枠組みを提供するものである。

 さらに、この集合操作に基づく作曲理論は、調性音楽における和声進行の代替原理として機能し得る。すなわち、音群の変形と接続によって音楽の時間構造を生成する方法は、従来の機能和声体系とは異なる新たな形式生成の可能性を開く。

 このような観点から、ロスラヴェッツの理論は20世紀音楽史における未完のプロジェクトとして再解釈されるべきであり、その再構築は現代作曲理論の発展に寄与する可能性を持つ。

 


第11章 構造思想としての音群理論

―東洋的作曲観との接続において

 ロスラヴェッツの合成和音システムは、音群の構造操作によって音楽を生成する理論として理解される。本論における分析は、この理論が単なる歴史的技法ではなく、音楽構造の生成原理として現代においても有効であることを示してきた。しかしながら、その意義は音楽理論の枠内にとどまるものではない。

 彼の音群理論は、音楽を構成要素の機能的連鎖としてではなく、構造の生成過程として理解する思考に基づいている。この観点は、西欧調性音楽の発展史とは異なる方向に音楽を捉える可能性を示唆するものであり、音楽の時間構造を素材操作の連続として把握する立場に通じる。

 このような構造中心的思考は、東洋的芸術観における生成概念と共鳴する側面を持つ。すなわち、音楽を固定された形式の実現としてではなく、素材の関係性の変容として理解する立場は、過程そのものを美的対象とする芸術思想と接続し得るのである。

 ロスラヴェッツの理論においては、音群は作品の開始時点で設定され、その変形と統合の過程が音楽の全体構造を形成する。この構造は、目的地へ向かう直線的進行ではなく、内部関係の変容によって生成される運動として把握されるべきである。この点において、彼の音楽は西欧的形式論の枠組みを超えた構造思想として理解することが可能である。

 さらに、このような音群理論は、現代作曲において新たな創作方法論として再評価され得る。すなわち、音素材の内部関係を出発点とする作曲法は、機能和声に依存しない音楽構造の生成を可能とし、音楽の時間経験を再定義する契機を提供する。

 したがって、ロスラヴェッツの合成和音システムは、20世紀音楽史における一時的現象としてではなく、構造思想として再理解されるべきである。この理論は、現代作曲における素材操作の方法論として再活性化されるとともに、異なる文化的音楽観との対話を通じて新たな創造的展開を促す可能性を持つ。

 本論はこの観点から、ロスラヴェッツの音群理論を歴史的対象として分析するにとどまらず、作曲理論として再構築し、その思想的意義を明らかにすることを試みたものである。


第12章 ロスラヴェッツ理論の作曲実践への応用

―習作による理論検証

 本論においては、ロスラヴェッツの合成和音システムを歴史的対象として分析するだけでなく、その理論を現代作曲における実践的モデルとして再構築する可能性を提示してきた。本章では、この理論的再解釈が実際の作曲過程においてどのように機能し得るかを示すため、筆者による習作例を提示する。

 ここでの目的は、ロスラヴェッツの作曲技法を様式模倣として再現することではない。むしろ、音群操作に基づく構造生成という原理を現代的文脈において実験的に適用し、その理論的有効性を検証することにある。この試みは、歴史的作曲技法の再現ではなく、構造原理の転用による新たな音楽言語の可能性を探るものである。

 本章で示される習作は、基本集合の設定、部分集合の声部配置、集合の時間的展開というロスラヴェッツ理論の主要原理を出発点としているが、その具体的実現においては現代作曲における音響的・構造的要請を考慮している。したがって、これらの習作は歴史的再構成ではなく、理論的継承の一形態として理解されるべきである。

 また、この作曲実験は、本論において提示した「未実装の未来的Roslavetsシステム」の具体的適用例として位置付けることができる。すなわち、集合操作に基づく作曲法が、理論的思考にとどまらず実際の音楽創作においても有効に機能し得ることを示す試みである。

 以下に提示する習作例は、分析章で示した集合構造の理解を前提としており、理論と創作の相互関係を明示することを意図している。

習作例

 本章における習作は、日本の音階構造にlad理論を応用する試みとして提示されるものである。この操作は、ロスラヴェッツの理論がロシア文化の文脈と密接に結びついていたことを前提としつつ、その構造原理が他文化的音楽体系においても適用可能であるかを検証する目的を持つ。

 すなわち、本習作は単なる理論的転用ではなく、異なる音楽文化における構造的翻訳の試みとして位置付けられるべきである。ロシア音楽におけるlad概念は、音程関係の運動性に基づく構造生成の原理として理解されるが、日本の音階においても半音的摂動を通じて類似の構造操作を導入することが可能である。ただし全音連続の箇所に補助音を一つ入れることにより運用が非常に容易になるのでこの工夫を施したものを下に示す。

陰音階におけるlad応用例

 しかしながら、このような理論の借用は、それ自体が創造的価値を持つわけではない。他者の知的遺産を素材として用いる場合、それに対する応答が自らの思索によって裏付けられない限り、その行為は単なる様式的模倣、あるいは表層的装飾にとどまる危険を孕む。すなわち、理論の移植は、それを内在的に再構築し得る思考を伴って初めて、創作行為としての意味を獲得するのである。

 

 この点において、本習作はロスラヴェッツ理論の再現を目的とするものではなく、その構造原理を媒介として新たな作曲言語の可能性を探る試論として理解されるべきである。ここで提示される試みは、異文化的理論の借用を自己の言語へと転換する過程の一例として位置付けられる。

 したがって、この作曲実験はロスラヴェッツの理論の継承というよりも、その思想的射程を現代において再活性化するための試みであり、音群理論が歴史的遺産として保存されるのではなく、創作実践の中で再生成され得ることを示唆するものである。


結語

 本論は、ニコライ・ロスラヴェッツの合成和音システムを、ロシア音楽理論史の文脈において再検討するとともに、その音群操作に基づく構造原理を現代音楽理論の枠組みの中で再記述することを試みたものである。従来の研究において彼の音楽は、スクリャービン以後の前衛的和声語法、あるいは十二音技法以前の実験的無調として位置付けられることが多かったが、本論においては、彼の作曲法を音素材の内部構造に基づく体系的生成原理として理解する視点を提示した。

 特に、基本音群の設定とその移行・合成によって音楽構造を生成する方法は、機能和声に依拠しない形式生成理論として再評価されるべきものである。この観点から、ロスラヴェッツの合成和音システムは、調性崩壊後の無秩序な音素材使用の一形態ではなく、構造的に組織された音楽言語の試みとして理解される必要がある。

 本論ではさらに、ピッチクラス集合論の枠組みを導入することによって、彼の音群理論を現代的記述形式の中で再構築し、その拡張可能性を提示した。この再記述は、ロスラヴェッツ自身の理論を後世の概念によって単純に説明し直すものではなく、彼の音楽思考が現代理論と共通する構造哲学に基づいていたことを示す試みである。

 また、音群理論の構造思想は、西欧調性音楽の発展史とは異なる音楽観と接続し得る可能性を持つ。本論において示したように、音素材の内部関係を出発点とする作曲法は、音楽の時間構造を目的論的進行としてではなく、関係性の変容過程として理解する視点を開くものである。この観点は、異なる文化的芸術観との対話を通じて新たな作曲思想を形成する契機となり得る。

 さらに、本論における作曲実験は、ロスラヴェッツの理論が歴史的対象として分析されるにとどまらず、現代作曲における創造的資源として再活性化され得ることを示唆するものであった。すなわち、音群操作に基づく構造生成の原理は、特定の時代様式に限定されるものではなく、理論的思索と創作実践の相互作用の中で再生成され得るものである。

 ロスラヴェッツの合成和音システムは、20世紀音楽史における未完の構想として位置付けることが可能であり、その再解釈は単なる歴史的再評価にとどまらず、現代作曲理論の発展に対する一つの示唆を与える。本論が提示した視点は、彼の音楽を過去の前衛として固定するのではなく、構造思想として未来に開かれた理論として理解する試みである。

 したがって、ロスラヴェッツの理論的遺産は、音楽史的対象として保存されるだけでなく、現代作曲の中で新たな言語として再生される可能性を持つ。本論はその可能性の一端を示す試論として位置付けられるものであり、今後さらなる分析と創作実践を通じて、その理論的射程が拡張されることが期待される。

 

参考文献

Bazayev, Inessa.
“Orthography in the Music of Nicolai Roslavets.” Music Theory Spectrum 35/1 (2013): 111–135.

Bazayev, Inessa.
“The Expansion of the Concept of Mode (lad) in Russian Music Theory of the Early Twentieth Century.” Music Theory Online 20/3 (2014).

Foreman, Lewis.
“In Search of a Soviet Pioneer: Nikolai Roslavets.” Tempo, no.135 (1980): 2–9.

Lobanova, Marina.
Nikolaj Andreevič Roslavec und die Kultur seiner Zeit. Frankfurt am Main: Peter Lang, 1997.

 
 

デジタルJ-Pop楽曲362曲のテンポを測定したら衝撃の事実が判明した件

【はじめに】

こんにちは。Niynuh Swidffelです。

みなさん、デジタルJ-Pop、聴いてますか。つい昨日VTuber事務所最大手のホロライブ所属の不知火フレアさんが「Silent Flame, Never Fade」というオリジナル楽曲を公開しましたが、その曲のジャンルがまさしく「デジタルJ-Pop(デジポ)」なのです。

デジポの詳細についてはzephyrさんが詳細なHowTo動画を上げていらっしゃるのでそちらに譲りますが、近年その勢いを再び取り戻しつつあるように思います。

(↓zephyrさんの解説動画)

https://www.youtube.com/watch?v=2hOhew6bjOM

 

そんなデジポですが、ジャンル名が指すようにJ-Popの要素を強く持っており、デジポの分析をすれば日本のポップスの流れをひとつの側面から見ることができるのではないかと考え、これまでにメロディのリズムなど分析を進めてきました。

(↓デジタルJ-Popを代表してfripSideのメロディのリズムを分析した記事)

https://nu-composers.hateblo.jp/entry/2025/10/19/190000

 

今回はその続編として、「デジタルJ-Popのテンポを詳細に分析する」をテーマに記事を書こうと思い立ちました。

対象となるアーティストは、2000年代初頭からアニソンやゲーソンなど幅広く活躍している八木沼悟志氏率いるfripSideとそのルーツとなった浅倉大介氏率いるaccessの2グループとしました。

【分析対象について】

今回テンポを分析する楽曲は、変化を通時的に見るために上記の2つグループの全楽曲(原則として音楽サブスクリプションサービスで視聴可能な曲)とします。最終的にはfripSideから236曲、accessから126曲が集まりました。

【分析結果(fripSide)】

それでは早速分析結果をお見せしたいと思います。私にできる限り正確に測定したつもりですが、もしミスなどあればコメントで教えていただけますと幸いです。

fripSide楽曲の分析結果①

 

fripSide楽曲の分析結果②


(fripSideは過去に2回ボーカルが入れ替わっており、現在の阿部寿世・上杉真央体制は第3期(phase 3)と呼ばれています)

まず第1期のテンポを見ると、多少浮き沈みはありますが全体的に見て上昇傾向にあることが分かります。

次に第2期のテンポは、第1期や第3期と比較して変化が少ないように見えます。これは、第2期は多くのアニメタイアップ曲を提供しておりアニソンの89秒という厳格な枠に収めるために同じようなテンポの曲が増えたのではないか、と考えています。

次に第3期のテンポですが、第2期よりは変化が大きいものの、まだサンプル数が少なく具体的に特徴を捕らえることが難しかったです。

分析結果の2枚目に移ります。

平均値・平均値(上下カット)・中央値・最大値・最小値のうち4つで「第1期<第2期<第3期」という大小関係があることが分かりました。かなり明確に違いが出ていたので分析結果を見た時とても驚きました。

総合すると、fripSide楽曲は「時代を経るごとにややテンポが速くなっている」ということが分かりました。

【分析結果(access)】

accessの分析結果①

accessの分析結果②

続いてaccess(AXS)楽曲の分析結果です。

accessは1995年に一度活動を休止しており、その後2002年に復活した以降と分けて2つのシーズンとして分析しました。

こちらはfripSideよりもさらに顕著に変化が現れていました。第1期では3.9%に留まっていたBPM141以上の曲が、第2期では43%にまで増加しています。結論としては「時代を経るごとに明らかなテンポの高速化が見られる」ということになりました。

【おまけ】

accessの分析結果をざっと見ていて気がついたのですが、やたら10の倍数のテンポが多い。

一体いくつが10の倍数なのかと気になりカウントしてみた結果、126曲中85曲(67.4%)が該当するという衝撃的な事実が判明しました。もしかしたら作曲担当の浅倉大介氏はそこまでテンポの数字にこだわりがなく、大雑把にテンポ設定しているのかもしれません(これはあくまでもいちリスナーによる見解です)。

【おわりに】

以上がデジタルJ-Popのテンポ分析レポートでした。時代を経るごとにテンポが高速化しているという考えは間違いではなかったようです。今後もデジポの分析をさまざまな観点から行っていこうと思います。それではご覧いただきありがとうございました。またいつか。

韓国のシンガーソングライターの現在地

⬇韓国ポップスシリーズ前回記事⬇

nu-composers.hateblo.jp

 

前回に引き続き、いわゆるK-POP一辺倒の国内認知を憂い、韓国のおすすめポップアーティストを紹介していく。

 

 

Kim Doo Soo

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Kim Doo Sooは、1959年生まれの韓国のシンガーソングライターである。

ギター、ハーモニカと歌のフォークな曲調が特徴で、特に4枚目のアルバム『自由魂』は「恨(ハン)」のサウンドをより押し出した最高傑作と評される。

 

恨(ハン)とは、朝鮮文化を象徴する思考・感覚の1つであり、慢性的な悲しみ・無常観や、抑圧された憎しみや怒りのエネルギーを表す。

 

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たとえば本曲は、過去の夢や自己を捨て、危険な未知の海へ船出する決意(宿命)を苦しく描き出している。

Kim自身、体が弱く病に侵されていたためか、どうしようも無い運命と格闘する、"恨"的な詞が多く見られる。

 

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こちらはKimの代表作『Bohemian』。

静謐ながら熱のあるフォークの弾き語りが沁みる1曲。

 

 

イ・ラン(이랑)

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イ・ランは1986年生まれのシンガーソングライター。映像作家・イラストレーター・エッセイストとしても幅広く活動している。

日本でも活発な活動があり、2016年には日本のシンガーソングライター・柴田聡子とともに日本全国7か所のツアーを行ったりしている。

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イ・ランは社会的・女性的な問題、社会から取りこぼされるような弱い存在を取り上げた発信が多く、現代特有のグローバルなインフルエンサーという印象を受ける。

一方で音楽や歌詞に感じる無常さからは、Kim Doo soo にも通じる恨の質感を思い出させる感もある。

 

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바다의 왕이 큰 병이 나 고칠 방법이 없대요

내 친구 해미는 얼마 전에 복강경 수술을 받았고

바다의 왕을 고칠 유일한 방법은 토끼의 간이래요

유리의 강아지 담이의 암은 완치가 되었대요

 

海の王が大きな病を治す方法が無いそうですよ
私の友達のヘミはちょっと前に腹腔鏡の手術を受けたって

海の王を治す唯一の方法は兎の肝だと
ユリの犬のダミの癌は完治したとのことです

アルバム『オオカミが現れた』の収録曲『よく聞いていますよ』。

パンソリの有名な話である『水宮歌』の話がモチーフとして登場している。病の竜王を倒すためにカメがウサギを海へ誘い、肝を奪おうとする。ウサギは機転を利かせ竜王を欺き、竜宮から逃げ帰るという話。

本曲では御伽話と現代の日常風景が交錯するような内容となっている。

 

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私たちが先に死んでしまえば

仕事を解しなくてもよく

お金がなくてもよく

泣かなくてもよく

別れなくてもよく

会わなくてもよく

手紙を書かなくてもよく

メールを送らなくてもよく

メールを読まなくてもよく

首をくくらなくてもよく

火に焼かれなくてもよく

水に溺れなくてもよく

手首を切らなくてもよく

薬を一度にものすごいたくさん飲まなくてもよく

一度にすっぱりみんな逝ってしまう 滅亡だから

同じアルバムの収録曲『患難の世代』。めちゃくちゃ暗い内容だが、イ・ランはこれを、同胞に対する愛の歌であると言う。

女声合唱付きの本曲は、終盤悲鳴の交錯へと変わり、狂気的なクライマックスを迎える。

MVも素晴らしく、これは日本の写真家・志賀理江子がタイのバンコクで撮影した『Blind Date』という作品を利用したものらしい。

 

 

Meaningful Stone

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Meaningful Stoneは、1996年生まれ、2017年活動開始のシンガーソングライターである。

アコースティックギターで弾き語るフォーク・ポップから、歪んだサウンドのシューゲイズまでを手掛け、韓国内でのインディーポップの音楽賞を受賞している。

彼女は自身の音楽を「人々の集合的無意識に触れるような」と表現しており、先述の2人のアーティストとは異なる温かさを持っている。どちらかというと、イ・ランの持つ繊細な優しさの感触に共通点があり、さらに幻想的な方向へ進化した作風といえるかも。

 

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1stアルバム『A Call from My Dream』の表題曲。

浮遊感のある哲学的な歌詞が多いのが特徴。社会的な苦悩を明確に示すイ・ランとはまた全然異なる。

넌 믿지 않겠지만 어젯밤
파란 꿈결 사이로 들어가
구름이 된 걱정 사이를 헤치고
네 이마에 쪽 입을 맞췄어


君は信じないだろうけれど、昨晩
私は青い夢心地の世界に入って
雲になった心配事の間をかき分けて
君の額にキスをした

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2ndアルバム『Angel Interview』の収録曲『_ () _』。このアルバム自体、シューゲイズやグランジなど様々なジャンルを開拓する野望的な構成になっていて面白い。

本曲は特に、テクノを取り入れた楽曲。1stアルバムで確立した作風を知っている者からすればギョッとするが、アルバムを通して聴くと不思議な納得感もあるような気がする。

これからさらにどのような方向に進化していくのか、興味深いアーティストである。

 

 

 

以上、今回はシンガーソングライター編ということで、3人の韓国シンガーソングライターを紹介した。また次回!