名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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ヘテロフォニーの死 - 西村朗の訃報に接して

西村朗

 2023年、収まらぬコロナ禍の中9/7に大きな訃報が飛び込んできた。我が国を、いやアジアを代表する作曲家、西村朗の突然の死である。私は、久しぶりに、いや一柳先生以来だからそれほどでもないが、思わず「えっ!」と声を上げてしまった。西村先生は1953年生まれ、まだ69歳であった。しかも誕生日は9/8なのでその前日、70歳を目前にしての本当に突然の、若すぎる死だ。

 このところ日本は残念なことに国際的にも衰退激しく、もはや国力は途上国並みとも言われる。その中でも妙脈を保っていた音楽文化の独自性だが、その担い手たる巨匠の相次ぐ死に言葉もない。特に西村先生は今や大巨匠の域に達し、これからさらなる熟練の筆が期待されていただけに、その喪失は計り知れない。さらに、日本の伝統音楽や汎アジア主義の作曲家多い中でも、ひときわ異彩を放ち、その個性的な音楽言語は他を圧倒していた。汎アジア主義とはこういうものだという、一つ確固たる答えを出した作曲家だったと言えるだろう。

 彼の武器はもう誰でも知っていると言っても過言ではない「ヘテロフォニー」である。

 このブログの読者に今更ヘテロフォニーとは何かを説明しても、それは釈迦に説法だということは重々承知の上だが、念のために軽く触れておきたい。

 ヘテロフォニーとは今日我々が聴く殆どの曲、つまりは西洋式の音楽が和音、メロディ、リズムの三要素を主体とするポリフォニーであるのに対し、同じ音を複数の楽器でなぞり合い、その楽器の個性から生まれるズレで形作られる音楽のことである。
ちょっとそれぞれの例を聴いてみよう。

ポリフォニー音楽
マタイ受難曲/J.S.Bach

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ヘテロフォニー音楽
三曲合奏「夕顔」

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 一聴にして明らかだが、全く別の音楽哲学の上に立脚した形態である。西洋のポリフォニー成立以前には、一つの旋律を歌うモノフォニーというものもあったが、これはそれぞれの歌い方によるズレは考慮されない点で全く違う。この東アジア近辺に見られる「ヘテロフォニー」に注目したのが西村朗だったというわけだ。

 西村先生は大変に多作家であった。そしてその多くが出版、録音されている人気作曲家でもあったから、その中から代表作を絞るのは難しい。しかし今回はそんな西村先生の作品の中から、個人的に好きなもの、重要なものと思うものを紹介して行こうと思う。


 西村朗は1953年9月8日に大阪府に生まれた。両親は自転車屋と公務員という全く音楽的な家ではなく、何故かその頃の夢は比叡山で僧侶になることだったそうだ。
 実はこの幼い頃の夢がヘテロフォニー音楽への傾倒に至ったのではないかと個人的に思っている。
 作曲は東京藝術大学で池内友次郎、矢代秋雄、野田暉行という、いずれも名高い対位法の名手について学んだ。なお本人曰く自分はそれほどピアノが上手くないのに、その時の藝大作曲家には野平一郎、藤井一興というピアノの大名人がいたおかげで、課題の難易度がどんどん上がり非常に苦労したといっていた通り、周りにも超人が集まっていたのである。

 1974年の日本音楽コンクールの第一位受賞を皮切りに、在学中より活躍を始めた西村朗は、実は当時から色濃く旋法性、それもアジア的旋法性を意識していたことがわかる。

 次にお聴きいただくのは、彼が大学院在学中1978年にかいたピアノのための小品「TRITROPE」である。この曲は「3つの」「屈折」いったような意味で、激しい同音連打とエネルギッシュでダイナミックな音楽性がすでに完成されている。

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 一聴にして西村作品とわかる個性的な音楽が10代20代の若い頃より出来上がっていることに驚嘆を禁じえない。ありとあらゆる作曲賞を受賞している作曲家で、ことに尾高賞はもはや常連という感じで、5回の受賞経験を持つに至る。


ヘテロフォニーは複数の楽器でなぞり合いズレゆく音楽

 

 であるなら単一の楽器のために書かれた音楽ではどうするのか。その一つの答えが、先程の作品のように激しい同音連打と旋法性、そしてピアノの場合その連打の効果で高音の揺らぐ倍音を聴かせることができる。というのが一つの答えであったのだろう。この思想の発展形態として初期の大傑作の呼び声高い「2台のピアノと管弦楽のためのヘテロフォニー」が生まれる。1987年の作品である。

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 実はこの頃西村は交響曲をよく発表していた。その数は3曲あるが、なんと多作家で知られる彼の作品にしてこれらの実態は全くよくわからない。かろうじて藝大修士卒業作品である第二番の「3つのオード」と題された1979年の作品は楽譜も出版されており、その中身を知ることができる。すでにアジア性への傾倒がみられ、西洋的な方法を拒絶して響き合いにヒントを求めた作品だ。そして前述のヘテロフォニーへの発見へとつながるのである。

 西村は晩年に室内交響曲のシリーズを5曲書いており、こちらの印象が強く、初期の交響曲が忘れられているのはもったいない。できれば出版と音源化を果たしてほしいと切に願う。

 そして西村の汎アジア主義を象徴する大傑作である打楽器6重奏曲「ケチャ」が書かれたのは、先程の「2台の~」より前の1979年というからまた驚きだ。脂ののった作品に聞こえるから中期ころの作品と思う人もいるだろうが、修士在学中の作品だ。

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 名人時を選ぶことなしということか、こんなに若い頃から凄まじい作品を連発しているのは改めて名人の凄さを再認識させられる。


 さて同音連打でヘテロフォニーの弱点を克服したとも言える西村だが、そうも行かない場面も出てくる。あまり語られることがないもう一つの側面をちゃんと抑えておきたい。一時ラッヘンマンにも傾倒していたと本人が言っていたが、1992年に書かれた弦楽四重奏曲第2番「光の波」は少々趣が異なる作品だ。

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 アジア的旋法性はキープされているが、冒頭などは明らかにルトスワフスキのカルテットの引用だ。その後もどちらかというと西洋ポストモダンの技法をたどるかのような作品展開となっており、彼の作品としては異質に聞こえるかもしれない。民謡的旋律を持ち、和声もつけられていてそれがなぞられるからヘテロフォニックではあるものの、少しこれまでと様子が違う。

 このアジア性を失わず西洋音楽を再取り込みしようと試みたことが、彼の名人とその後の大作曲家としての人生を支えていると私は思う。一つに拘泥しているように見えて、実はあらゆる音楽への研究を絶やしておらず、まるでカメレオンのように自在に自身の作風の形を組み替えて取り入れて見せる。まさに超人的な筆である。

 次に1997年にアルト・サクスフォンとピアノのために書かれた「ラメント」を紹介したい。

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 Youtubeに見つからなかったのでナクソスのリンクであるが、聴ける方は聴いてみてほしい。サックスは重音や特殊な指使いによるトレモロによって書かれ、ピアノが混じると一気にガムランのゴングのような響きになる不思議な楽曲だ。サックスの大名人である須川展也氏の異色で書かれた曲だが、微分音もふんだんに用いられ、新境地という感じすらする。

 こういう風にどんな曲でも、編成でも、自分の汎アジア主義という根底を変えず、あらゆる方法論を取り込み、また素晴らしい構成力で聴かせてくることが、実は彼の一番の魅力なのではないかと思う。実際にそれをやってみようとすると、手法に食われたりして本当にうまく行かないものなのだ。

 野心的な中期を経て晩年は、より自由変奏を多くした汎ヘテロフォニーと言った面持ちの作風が強くなってくる。オーケストラでは室内オーケストラ作品を多く書き、また板倉氏や隠岐氏といった人々の誘いもあり、全く魅力のない吹奏楽の世界にも新作を書くようになった。

 その中でも特異なものに平成6年度のNコン高等学校の部の課題曲になった「そして夜が明ける」がある。この曲の作詞は局の要請でなかにし礼が手掛けている点も変わっていて、その詩は青春の暗闇に焦点をあてながらも、やはりちょっと歌謡曲調である。
これに西村先生がどんな風に曲をつけたのかは興味深い。

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 お聴きの通り、エモい、クサいメロディーでなかにし礼のらしさを引き出し、通常通りの和声を汎ヘテロフォニックな手法でクリシェの多様という結節点からまとめ上げてしまった。東洋、西洋、調性、旋法性、歌謡、芸術という様々な音楽の交差点にこの楽曲は言いしている。忘れられがちな大名曲だと私は思う。

 同じように2015年度の吹奏楽コンクールの課題曲として、本人曰く「初心者でも吹けるように」という注文付きで吹奏楽連盟の委嘱で書かれた「秘儀III~旋回舞踊のためのヘテロフォニー~」もまた度肝を抜かれた。もう難曲が生まれたりする素地がなくなり、すっかりばかみたいに似通った音楽が芸術の顔をして跋扈しているだけの世界にあって、吹奏楽連盟の野暮な「注文」をすべて叶えた上で、彼は全く揺るぎない自分の音楽を書ききった。今の偽芸術を量産している作曲家たちよ、この曲の前に懺悔するが良い。

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 この課題曲が「難解な現代曲」として嫌われるなら、なぜ9番まで書かれるロングシリーズになり得たのか。答えは嫌われてなどいないからだ。もう十年一日のクラシック風味の商業曲と下手なオーケストレーションは飽きられてきてるかもしれないぞ。

 

 こうやってその晩年までセンセーショナルかつ、実に自由に音楽を書き続けた西村朗先生。最後に私がなにか一つ彼の曲を挙げよと言われたらどうするか大分悩んだ。
 その結果、演奏で辛酸を嘗めさせられた打楽器アンサンブルの名作「マートラ」を挙げることにしたい。二度と演奏はゴメンだ。しかし何度でも聴きたい。

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 もう二度と新しい高揚には出会えないのか。
 我が国は巨大な作曲家を、辛辣なユーモアと若者を慈しむような笑顔とともに失ってしまった。

 心よりご冥福を祈りたい。


西村朗 2023年9月7日右上顎癌により死去 享年69歳