名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

打楽器アンサンブルのススメ

打楽器アンサンブル

 暖冬と言われる今冬、たしかに例年より温かい気がしますが、その分花粉の飛散も早く、ワタシ、すでに苦しんでいます。
 それにしても年初から大きな出来事が相次ぎ、先行きが思いやられる立ち上がりになりましたね。本当に災害でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、一刻も早い復興を願いたいと思うばかりです。
 さて唐突ですが、今回は、打楽器アンサンブルについてまとめてみようと思っています。それは、打楽器アンサンブルに対する知識の不足が世の中顕著になってきたのかなと思うところがあるからです。
 打楽器アンサンブルというジャンルはその確立が現代になってからと、とても歴史の浅いジャンルです。そして鍵盤打楽器類のように音程のある楽器だけでなく、本来はむしろ音程のない打楽器によるリズム要素と、響き要素で作られる楽曲がその本分であったわけです。

 音楽という芸術活動は、基本的にそれまでのあり方に抗う性質を持っていますから、この事自体がそれまでの西洋音楽のクラシックの伝統に抗う意味があり、あえてメロディ要素を持たせないことが良いとして発展してきたと言えるのです。
 ところが最近の打楽器アンサンブル、特にアンサンブルコンテストなどの状況を見るに、シロフォンにメロディを、マリンバがハーモニー、ドラムセットをバラしたような打楽器がリズムをという、たった一つの形態だけの打楽器アンサンブルが台頭しているではありませんか。これはこのアンサンブル形態全体に対する無理解が背景であり、また本来の面白さをかき消し、大衆の知っている小さな世界だけに阿ろうとする、極めて危険な文化破壊と言って過言ではないとさえ言えます。しかもそれが、吹奏楽界の一部レーベルや、その世界でしか目にしない作曲家の独占的市場となっていることに、打楽器出身で作曲に転身した私としては、極めて強い憤りに似た感情を覚えています。
 また昨今SNSの台頭で、演奏家として大変な経歴をお持ちの方が、こういった状況を擁護、現役世代に思い切り阿ることで、本来の打楽器アンサンブルの姿を隠し、ときに平然とそれを批判するような発言を、公開の場に喧嘩腰に発信している姿は疑問でしかありません。そういったはっきり言って音楽と無縁な児戯にも劣る行為がまかり通ってくると、その世界自体が閉じてしまって終りを迎えていくことになります。私はそれを看過するつもりはなく、真の打楽器アンサンブル形態への知識レベルを上げていくことで、ニセモノが駆逐され、健全な文化的土壌を守れるのではないかと思っています。

 

 私は作曲のレッスンを行う中で、常に感じていたことですが、一般的に作曲を志す人間が一つの壁としてあたってしまうのが、案外打楽器であり、その集まりであるアンサンブルは理解するのに苦労している印象を受けます。
 これは打楽器という括りがあまりにも広範であり、これを理解することが難しいからということと、それら膨大なマテリアルの音、さらにその膨大な演奏法からなる音を記憶し、頭の中でコンビネーションさせることが難しいからだと考えます。このことへの対処法はできる限り多くの打楽器に触れ、音を記憶し、コンビネーションは無限で、いまだに色々思考する余地しかないという自由度を主眼に、実験をし続けていけば良いと教えています。つまり定跡のない力戦の将棋のように、本来の創造性を発揮して立ち向かえば、自ずとそこには新たな音楽が完成しうるということなのです。


この方法への布石として、打楽器をいくつかの分類法で整理して教えています。

1)音程の有無
2)楽器の材質
3)演奏法

これらを組み合わせると、例えば以下のようなコンビネーションができます。

音程があり-膜面楽器であり-叩くことを基本とする

これに該当する楽器の代表はティンパニですね。

ティンパニ

もう一つぐらいやってみましょう。

音程はなく-木質楽器であり-打ち合わせることを基本とする

これを代表する楽器は「拍子木」「クラヴェス」といったものですね。

拍子木

 このように形質などでその属性を整理してしまって、そこに楽器を当てはめて覚えていけば、圧倒的に理解しやすくなるのが打楽器です。


 次にこれにレッスンではその楽器の演奏法、つまり膨大にある特殊奏法を含む演奏法をある程度大きな括りで同じように整理します。これは詳しくやると大変な文章量になってしまいますから、ここでは割愛しますが、ちゃんと整理できるものなのです。

 これら楽器分類と演奏法の分類を知ったら、いよいよ打楽器アンサンブルの形態を分類していきます。本来は有料のレッスンの中でやっていることですが、昨今の無理解の広がりに一石を投じるべく、また無理解にパラサイトする輩に警鐘を鳴らすためにもここにその考察を紹介していきたいと思います。

 

I.通常の音楽の書法を用いるもの
-1.異種混合でいわゆる調性音楽をめざすもの

 この方法論は、メロディ、ハーモニー、リズムの要素を持ち、そもそも調性があり打楽器アンサンブルの本質から本来的には外れる、いわゆる現代文化の生んだスタイルと言えます。打楽器アンサンブルの面白さをある意味捨てて、わかりやすさを優先して一般に阿るスタイルが顕著な形態であり、これは本質的に音楽に興味を持った若者に、視野狭窄と一部の人気者を神格化させ、響きの学習の機会を失わさせる極めて恐ろしい副作用があることに注意が必要です。それでも書き方としては成立し、それは一つのスタイルでもあるので、ここではちゃんと分類して代表的な曲を紹介したいと思います。

 

失われた宮殿/嶋崎雄斗

嶋崎雄斗

 作者は1986年千葉県生まれで、自身が優れた打楽器演奏家です。名門を渡り歩き、武蔵野音楽大学のヴィルトゥオーソ学科に学び、その後は各コンクールで優秀な成績をかさね、ユーチューバーとしても活動する人気の作家です。彼の作品の中でも演奏回数の多いこの作品は、I-1の代表的な例になります。

失われた宮殿

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 思わしげな序奏を聴けば作者が打楽器アンサンブルについて本来はよく知っていると理解できますが、その後の展開はとても大衆音楽的で芸術を志向してはいないように感じます。

 つまりこのスタイルで書くというときには、作曲者には暗に2つの選択肢があるということを示しているとも言えます。

・思いっきり商業主義的作品として割り切って書く
・サラリーミュージシャンとして大衆に阿ると腹をくくったとき

 そうでない限りは芸術作品として新機軸を打ち出しにくく、本来メロディやハーモニーの美しさが他のアンサンブルと異なる打楽器でやる意味は薄く、出来上がりも芸術的とは言えなくなるので、積極的に避けた方が良いスタイルとなってしまうと言えるかもしれません。まあ量産しやすいし、売上に繋げやすいので否定はしないですけどね。これだけが打楽器アンサンブルの世界と誤認させるような在り方は流石に良くないように思います。

 

 -2.通常書法を拡大する
  -ア)同属楽器アンサンブル

 この方法論は同じく通常の音楽の書き方に立脚するものが多い中、それを拡大し特にマリンバなど鍵盤打楽器の同属性を利用した形態です。マリンバは非常に音域の広い鍵盤打楽器でありながら、奏法によって多彩な音を取り出せる稀有な楽器でもあります。
このためこれを数台寄せ集めて書かれるアンサンブルには木質の豊か響きの統一感が生まれます。

Tambourin Paraphrase/安倍圭子

安倍圭子

 安倍圭子は1937年に東京に生まれた世界的マリンビストであり、この世界のパイオニア的存在です。学芸大学に学び、自らこの楽器の可能性を信じて、まだこの楽器の作品の殆どなかった頃から、自ら作品を書き、また多くの作曲家への委嘱活動を通じて世界的な奏者となりました。
 その後は積極的に世界中で後進を育成、また書かれた作品はマリンバの定番曲となったもの極めて多く、マリンバの世界をかたるに、この人を除くことはできません。
 そんな安倍先生の曲にフランスの田舎で、ハンドドラムを叩きながら民謡を歌う少年の印象から仕上げられた素晴らしいアンサンブル曲があります。ソロ曲から改変された曲で、同属性の良さと楽器の可能性を追求した、真に専門的な名曲です。今回は大合奏版を聴いてみましょう。

Tambourin Paraphrase

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 統一感を中心とした観点で見ると、先程の異種混合スタイルはそのスタイル自体が原因となる響きの不味さがはっきりします。こちらは物語性も伝わる柔らかく楽しい音楽になっていますし、やはり統一感がもたらすサウンドの説得力がありますね。しかしこのスタイルを書くのはマリンバという楽器に対する専門的な知識がかなり問われます。特にバスマリンバなど、特殊マリンバを加えたりする際は、実際に楽器屋さん等で実機を触ってみることを強くおすすめします。

 

 -2.通常書法を拡大する
  -イ)役割の変更
 この方法論はI-1に近いのですが、先程来触れている響きの不味さの原因を探って、役割をより打楽器的なものに置き換えていく考え方です。この方法論では同属でも異種混合でも可能ですが、メロディ、ハーモニー、リズムを例えばパルス、集合、フェーズなどに置き換えるとミニマル・ミュージックの組成になります。つまりはミニマル・ミュージックに極めて親和性の高いスタイルともいえ、I-1にあったような欠点が逆に強みに変わっていきます。

 

Six Marimbas/Steve Reich

Steve Reich


 スティーブ・ライヒは言わずとしれたミニマル・ミュージック創始者、発展者として世界的な伝説となっている作曲家です。
 1936年ニューヨークの生まれ、コーネル大学で哲学を学び、その後ジュリアード音楽院で音楽を学びんだ後、ルチアーノ・ベリオダリウス・ミヨーに師事しました。これら師匠の影響を残しつつも、テープをズレて再生させるというアイディアから、フェーズシフティングという技術を確立、ミニマリズムの潮流を起こしました。
 彼は自らオーケストラ作品は特異ではない旨を語っており、アンサンブル曲がその多くを占めていますが、打楽器をよく使う作曲家であるとも言えます。今回はそんな中から同属楽器による例としてこの曲を選びました。

Six Marimbas

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 このようにとても打楽器によく合うスタイルになっており、響きもハーモニーではなく群として制御されることで、寧ろ構造性が押し出されPopsの響きに寄っていきます。
これは一般に耳馴染みが良い音ですし、打楽器の性能を無理なく発揮できることから、打楽器アンサンブルの基本の一つと言っても良いと思います。
 当然マリンバのみで書くときはI-2-イ)と同じようにその楽器への知識が必須になりますが、異種混合のI-1の編成でも無理なく書けるのがとても便利です。まずミニマリズムの作曲を知り、このスタイルから打楽器アンサンブルを書いてみるとうまく行きやすいと思います。

 

 

II.リズムのユニークさを主眼とした書法
 -1.調性的雰囲気を残したもの

 いよいよ打楽器の専門的な世界に入っていきます。このスタイルの書き方は、通常の音楽的構造と打楽器の性能を混合し、その中から打楽器の性能の方に傾斜し音楽を形作るものになります。このためソリストをおいて、打楽器で伴奏するという形に非常に相性がよく、打楽器の配置としても中央のソリストと、対向配置の背景というオーケストラ的要素が加わってきます。ただ背景の楽器がハーモニーを作るとは限らず、寧ろそこにはむき出しのリズム性が出てくる方が良い用に思います。

 

Uneven Souls/Nebojsa Jovan Zivkovic

Nebojsa Jovan Zivkovic

 作者は世界的に有名なマリンビストであり、1962年にセルビアに生まれたという経歴も国際的には異色と言えるでしょう。正確無比で超絶技巧を軽々とこなすスタイルは常人離れしており、また早くから自作を発表する作曲家でもあります。
 音楽性は民族性を臆することなく押し出すスタイルで、特に農民歌、労働階級の視線を持ったしっかりした主張のある作品を多く書いています。なんだか演奏家出身の作曲家はスタイルが似るのかもしれませんが、それぞれ作風は大きく異なっていて、それが本人の表現者としての哲学の違いだと言えます。
 この方法論で書かれる曲は、打楽器の専門知識を駆使した作品が多いので、同じようなスタイルで書くにはかなりの経験が必要ですが、演奏する楽しみや、聴く楽しみは非常に高いものです。

Uneven Souls

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 非常に豊かで主張に満ちた芸術作品であることがわかります。実はこの曲の演奏に携わったことがありますが、聴き易さとは裏腹に、途中にはポリテンポなども登場する難解な曲です。しかしその演奏は内的高揚を誘われる素晴らしい曲でした。

 もしこのスタイルで書く事ができれば、作家としてはもう打楽器曲の名手と言えると思います。そして本来打楽器アンサンブルが目指すべきはこういったスタイルであるべきと強く思います。それが本来の音楽性と、楽器特性の集合体であり、他の形態の真似事のような作品であってはいけない理由でもあります。

 


 -2.純粋なリズムのみで作るもの

 こうなるともうI-1やI-2のように「メロディ」の存在に頼る作曲方法は使えなくなります。しかしその分純粋な打楽器のアンサンブルであることから、古代性や祭祀性などを帯びた楽曲とは抜群の相性です。
 また新たな創作楽器や、音を加える隙も大きくなり独自性が追求しやすいのも大きな特徴になります。最近はこれにエレクトロニクスを加えた作品も多くなってきて、いよいよ世界では中心的なスタイルとなってきていますね。

 

Ogoun Badagris/Christopher Rouse

Christopher Rouse

 作者のクリストファー・ラウスは1949年にボルティモアに生まれた作曲家です。この世代の作曲家にしては珍しくロック好きを公言し、有名なドラマー、ボーナムの名をタイトルにした打楽器アンサンブルも書いています。またこれまでの人々と違い、打楽器奏者でなく作曲専門という点でも、彼の知識が専門家を超える域であったことがわかるでしょう。
 オーバリン音楽院でリチャード・ホフマンに、コーネル大学でカレル・フサに、さらに個人的にジョージ・クラムにも師事したという経歴からも、思考する音楽が力強いモダニズムにあふれていることがわかります。
 打楽器アンサンブルの名作をいくつも書いた彼ですが、純粋にリズムで勝負したこの作品はバーバリスティックな土俗性を感じる名曲です。

Ogoun Badagris

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 打楽器全般に対する知識が問われ、また真に面白いリズムの掛け合いはどういったものかを、感覚面だけでなく、数的な面からも知らなくてはならないですが、これぞ王道という響きです。
 打楽器の世界というのはこうやって広がってきたという原点性の点でもこういったスタイルの曲が、このジャンルの中心的なレパートリーでないと本来はおかしいのです。

 

III.響きを中心とした書法

 芸術性を中心として、作曲家としてアンサンブルを考えた場合最も創造性を必要とし挑みがいがある反面、かなりの専門知識と難解な楽曲構想が問われるスタイルがこれです。少し細分化してみてみましょう。

 

 -1.コアになる音を設定するケース
 特徴的な音というのは、その楽曲の性格を決める上で打楽器アンサンブルにとって最も重要な要素です。そこであまり見ないような楽器や、ヴィルトゥオーゾ性のあるものを中心に据え、この中心からアンサンブルに音楽が波及する構造をもたせる書き方がこれです。構想自体はシンプルなので、波及構造に様々な作曲法を持ち込みやすく、ある程度熟練してくれば書きやすく扱えると言える方法論です。

 

Drums/Sven-David Sandström

Sven-David Sandström

 作者は1942年にスウェーデンに生まれた作曲家で、ストックホルム王立音楽大学で作曲を学び、様々なスタイルの音楽言語を自在に操り、初期は極めて破滅的なサウンドを特徴とした前衛音楽に傾倒、徐々に軟化し、現在はPopsの言語も用いた作品を書くなどしています。
 彼の作品の中に非常に複雑な構造を持つこの曲があり、演奏も至難ながら、まずカオスに満ちた音楽をどう聴くべきかかなり考えさせられます。実はこの曲の構造は単純で、カオスを構成している打楽器群にティンパニが司令塔になって素材を投げ込んでゆくと、それに応じてアンサンブルのリズムが変化して、カオスが解消されます。引き続いてティンパニは今度反対に自ら崩壊の道を進み、これに巻き込まれるようにカオスが復活してくるというものです。
 やや長い曲なので演奏者は極度の集中を維持する必要があり、体力的にも大変な曲ですが、もうこうなると多くの人が知っている打楽器アンサンブルの世界が、如何にこの媒体の表面しか見ていないかがはっきりしてくるのではないでしょうか。

Drums

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 相互に影響し合いながらカオスが形を変えていくさまは、ある種音の視覚化とも言える効果を生み出し、これまでの打楽器に求められる在り方を変える、極めて印象的なものになっていると言えます。

 

 -2.コアを複数とし、波及構造をさらに複雑化する
 この手法はI-1のように異種の楽器をコアに据えることから、それをそれぞれの同属楽器に波及させるか、異種混合に波及させるかで様相が異なります。手法は自由度も高く、波及構造をプログラム処理するなどの方法も魅力的です。出来上がるものは複雑になりますが、非常に大きな編成を必要とすることから、もはや打楽器アンサンブルというよりも、オーケストラ的な世界観が出現します。サウンドのコントロールはかなり難しく、相当の作曲技術がなければ書きこなせないのは明白ですが、聴き応えのある重厚な作品が類例に多いです。

 

レイディアント・ポイント/安良岡章夫

安良岡章夫

 作者は私も個人的にお世話になった先生ですが、1958年に東京に生まれ、作曲は野田暉行、三善晃に師事、日本音楽コンクール作曲部門第一受賞を皮切りに、純粋に音楽書くという行為を追求され、重要な作品を残しています。
 そして特筆すべきはその圧倒的な打楽器に対する知識です。どの曲でも多く打楽器が活躍し、独特の作風の中であるときは唸り、あるときは波打つような自在なコントロール力を持っておられます。アール・レスピラン主宰として、自らタクト持ち様々な作品を世に送り出しておられます。
 このレイディアント・ポイントという曲は流星群にヒントを得て、放射点と波及の構造を巨大な打楽器アンサンブルに応用、マリンバのソロや放射点のチャイムを据えて、ダイナミックに展開する曲です。また編鐘という中国の古代楽器を用いていることもこの曲の大きなポイントとなっています。

レイディアント・ポイント

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 着想はわかりやすいですが、その構想をこの大きな編成の中で実現するのは大変な力量が求められると思います。

 

 -3.中心群とそれ以外という構造を持つもの
 この方法は群を群で囲うような構想を中心としていて、失敗すると音の明瞭性が失われ混沌としてしまいます。しかしうまく音に差をつけるなどして書いていくと、極めてエネルギッシュな曲に結びついてきます。実は結構多く書かれるスタイルですが、響きに力点をおいて書かれることが多く、それぞれの作家の色彩を味わうにはとても良いスタイルになっています。
 ただいざ書こうというときに、しっかりした構想力を求められるのと、演奏には多くの楽器が必要になりやすいので、その点には留意した方が良いものとも言えます。

 

ケチャ/西村朗

西村朗

 作曲者は現代日本を代表する巨匠でした。2023年、突然の訃報には本当にショックを受けました。
 1953年大阪生まれ、全く音楽に縁のない家庭に生まれ、僧を志すようになっていったところ、クラシックに触れて一気にその世界にのめり込んでいったそうです。そして池内友次郎に作曲を師事し、東京藝術大学に入学、野田暉行、矢代秋雄に師事、在学中より東アジアの音楽、特にヘテロフォニーに関心を持ち、同音連打から高揚を作る独自のスタイルを確立、大きく活躍されました。その音楽はあらゆるジャンルに及び、その中でも打楽器のアンサンブルは名曲ぞろいで多くが現在のアンサンブルレパートリーとして定着しています。
 この曲はインドネシアのケチャにヒントを得て、旋法性と原始の音楽とをまといながら恐ろしいまでの高揚感を作る名曲中の名曲です。その音楽は反復が多いことと、リズムのズレを基本とするため、なかなか演奏は難しいですが、この曲を除いて打楽器アンサンブルは語れないと思います。

ケチャ

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 中心のグループをティンパニとチャイムのグループが取り囲み、更にPAで増幅された声によるリズムも加わります。三重のリズムグループと響きが相互に関連性を持ちながら、火の玉のごとくエネルギーを放っていくと言う構想ですが、これが20代の作品ということで西村先生の天才性が伺われます。

 

IV.これまでの分類に属さないもの
 これは作曲家の発想の元、様々に作られた形態の打楽器アンサンブルです。一応細分化して見てみましょう。様々な響きにきっと出会えますよ。

 

 -1.音響体として扱われるケース
 このスタイルは同属楽器、異種混合問わず、また波及構造のようなものもなく、それぞれのアクションが音響体となって展開するものです。非常に作曲家自身の音に対する鋭敏な感性が求められる難しいスタイルです。音楽的経験だけでは決して書けない楽曲が多く見られます。

 

雨の樹/武満徹

武満徹

 武満徹は日本を代表する、そして私の最も敬愛する作曲家です。1930年に東京に生まれほぼ独学で音楽を学び、その後実験工房に参加し劇伴と純音楽の両方で大成功しました。父の影響で触れたシャンソンの響きを一生涯大切にし、愛をテーマに真にオリジナルな作風を気づいた作曲家です。1996年に亡くなったときは私は大いに泣き、しばらくは立ち直れないほどのショックを受けました。
 武満はシリーズを持って作曲に当たる人でしたが、その中の「雨シリーズ」(水シリーズでもある)に打楽器アンサンブルの名作があります。それが「雨の樹」です。この作品は舞台照明も効果として楽譜に書かれ、その明かりと響きだけの中で展開する、静謐な音楽です。
 真に自らの欲する響きを、打楽器の編成に投影し書かれており、その書法は打楽器の書き方にとどまらず、自らの音楽の方法論として選択されており、これまでの作品とは大きく異なります。

雨の樹

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 素晴らしい幻想的な空間と響き、真にオリジナルな打楽器の使い方、全てにおいて武満徹という人間そのものを映し出しています。本来の芸術とはこうでなくてはいけないと気が付かされる大名曲であり、圧倒的な存在感にジャンルの入り口に無数に存在する簡便な楽曲がいかに芸術のなりをしているだけであったかを思い知らされます。


 -2.大規模アンサンブルとしての書法
 この書法は先にも出てきたものに近くはありますが、波及構造などその曲のコンセプトに応じて編成が大きくなったのではなく、最初から大きな編成で書くことを主眼にしたものです。
 いわゆる打楽器オーケストラであり、これを従来のクラシック音楽のように制御することは意味をなしません。なぜならその役割をこなす、つまりはメロディ役もハーモニー役も置かれないことに特色があるからです。逆に言えばI-1のようにこのタイプを扱って書けば、それは商業的に手返しがよく、ジャンクフードのように気軽に楽しめる作品になるでしょう。しかしそういう要素を廃して、真に打楽器オーケストラとしての独自の書法で書かれた世界はもう同じ打楽器アンサンブルと言えないくらいかけ離れた音楽となっていきます。

 

IONISATION/Edgard Varese

Edgard Varese

 エドガー・ヴァレーズは1883年フランスに生まれ、アメリカに帰化した後1965年に亡くなったモダニストです。はじめはフランス印象派の音楽からスタートし、その後未来派の影響を受けつつ電子音楽を先駆けて導入、一貫して前衛の道を突き進みました。その中にモダニズムの代表的な形として打楽器アンサンブルの曲を書き、今ではその作品はこのジャンルにおける古典として親しまれています。
 特にこのイオニザシオンは、サイレンの音を打楽器として用いたり、ピアノにトーンクラスターのみを演奏させることで、打楽器として扱うなどの独特な眼差しが加えられ、シンプルなリズムから始まる音楽とは思えない、大規模で個性的なものになっています。

IONISATION

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 アンサンブル・アンテルコンタンポランの超人的な演奏で細部まではっきりわかる素晴らしい録音となっています。本当に打楽器がオーケストラとして扱われ、しかもその要素にハーモニーもメロディーも使われていないことがわかると思います。これこそが本来的に打楽器アンサンブルが担っていた、モダニズムとしての役割といえます。だからこそ今になってメロディやハーモニーを呼び戻して書くということには理由が必要になると思うのです。商業音楽であると割り切らないのなら、その曲にこの曲を超えるような意味を求めなければならなくなります。それが芸術の宿命なのではないでしょうか。

 


 -3.パフォーマンスとしての書法
 このスタイルは、打楽器が大きくモーションを伴うこと、そして表現主義の影響を受けてヴィジュアライズされたものとして登場してきます。
 実は案外多くの作品があるこのスタイルですが、演奏と肉体の動作というものが深いつながりにあるということをその哲学のベースとしています。つまりは打楽器というものは触媒にしかなっておらず、作者の意図は打楽器であることと必ずしも同一ではないことが多いというのもこのスタイルの特徴と言えるでしょう。

 

L'art bruit/Mauricio Kagel

Mauricio Kagel

 作者のマウリシオ・カーゲルは真に独特な作曲家でした。1931年にソ連から亡命した両親の下アルゼンチンに生まれ、その後ドイツに渡って活躍した作曲家です。この複雑なバックボーンと、作曲は独学であったことが、アイディアマンだった彼の才能を開かせます。
 パフォーマンスを音楽の一部とみなし、殆どの作品でそういった要素が既存の音楽への皮肉として取り入れられており、ティンパニ協奏曲ではソリストティンパニに頭から飛び込むといった指示がされたり、指揮者が胸を掻きむしって倒れるという指示のなされた曲もあります。
 この曲はコンセプチュアル・アートの先駆けと言っても良い面白い曲で、実は打楽器アンサンブルではなく打楽器のソロ曲として書かれています。しかしその内容はアンサンブル的性質をもっており、助演者が参加することで、ソロなのに二人で完成させる作品となっている作品です。とにかく見てみないとわからないと思う曲なので動画をご覧ください。

L'art bruit

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 こういったスタイルの作品は表現主義の作曲家ヘスポスや、日本では川島素晴の作品にも見られます。アイディアが強く求められる一方、ちょっとしたジョークという面もあるので、難しく考えずいたずらごころを鑑賞する気持ちで、面白かったら笑ってしまってもいいと思います。
 ここまで来ると流石に意味がわからないと言って眉をひそめる人もいるでしょうが、なぜ眉をひそめるのでしょうか?音楽にはメロディがなきゃいけないのですか?美しいハーモニーが必要ですか?それが響きを作ることに向いているとは言い難い編成でもですか?
 こういう視点の転換こそが打楽器アンサンブルの真の面白さに繋がっていきます。だからメロディがないとか、和音がないとか、そういう次元で語られるべきものではないのではないでしょうか。

 


 -4.今までの一切に当てはまらないもの
 最後はどの分類も拒否する高いオリジナリティを持つものを見てみたいと思います。
これは無理やり分類すればこれまでの何かには当てはまるでしょうが、カテゴライズを拒絶するという点に力点があることが最も重要です。
 このスタイルで書くというのは相当に困難であり、もはや生まれ持った才能が大きな役割を占めているとも言えますが、現代ではこのスタイルこそ世界標準であることは、作曲をするものとして、特に近年の日本における作家は重く受け止めねばならないのではないかと思います。

 

花庭園/藤家溪子

藤家溪子

 作者の藤家先生は1963年京都府生まれ。小学校三年でオペラを作曲するなど幼い頃から特筆すべき才能を発揮し東京藝術大学八村義夫間宮芳生に師事しました。
 男性社会であった作曲界に女性性ということをそのまま武器に切り込み、ある時期は反構造的な作風と母というキーワードを強く盛り込み大成功しました。尾高賞を二回受賞するなどその経歴はまさにレジェンドそのものであり、その後の日本の音楽界のあり方を根本的に変えたとも言えます。
 藤家先生の作風は時期とともに変わっていきますが、特に女性性を打ち出していた頃の作品に素晴らしい打楽器アンサンブルがあります。それが「花庭園」で、内容は先生の代表作でもあるオーケストラ曲「思い出す ひとびとのしぐさを」とやや似ており、一人の女性の一日を打楽器アンサンブルを通じて描いています。しかし打楽器だけではなく、チェレスタ、鍵盤ハーモニカ、コーラスや電話まで使って表現され、どのようなカテゴライズも拒絶する凄みがある曲になっています。

花庭園

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 実はこの曲の演奏に関わったことがあり、本当に衝撃を受けたことをよく覚えています。これこそ新しい打楽器アンサンブルの金字塔といえるのではないでしょうか。

 

 さて今回は大分長くなってしまいましたが、私のレッスンで教える打楽器の扱い方をベースに多くのスタイルの打楽器アンサンブルを見てきました。
 多くの方はこのジャンルがこんなにも豊かで、こんなに多彩な曲が書かれていることをご存じなかったのではないでしょうか。多少勉強しないとわからないという性質もありますが、だからこそ通り一遍の量産品が入り込んで来てしまうだと思います。繰り返しになりますが、そういうまやかしで若者にイメージを固定させるようなビジネスは、本来の意味での学習の機会を奪っていることに注意しなければならないと思います。
 本当の打楽器アンサンブルの奥深さを少しでも多くの人に知っていただき、ある形だけがこのジャンルの正当な書き方だというような固定観念を改めて頂くチャンスになれば本望です。そしてそういったものを芸術のふりをして書くものたちがSNSyoutubeで幅を利かせているという現状は文化の衰退のボタンを連射していることと他ならないのです。首謀する者たちに言っても意味をなさないことなので、市場を担う一人ひとりがもう一歩深く、もう一歩高く探求することで、市場自体の在り方もきっと変化していくことになるでしょうし、その日を心待ちにせずにはいられません。