名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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最大のファンタジー作曲家、逝く - ジョージ・クラム追悼とその音楽

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George Crumb

 偉大なるファンタジー作曲家、ジョージ・クラムが死んだ。2022/2/6のことだった。92歳の大往生、しかしそれでも私はもっと生きてほしかった。そしてあの世のファンタジーを聴かせ続けてほしかった。
 今回は私が敬愛してやまない作曲家の一人だったジョージ・クラムの音楽の変遷と、その世界の解釈をしながら、偉大な作曲家の御霊に捧げたい。


 ジョージ・クラムは1929/10/24にアメリカのウェストヴァージニア州チャールストンチェリストの母とクラリネッティストの父の間に生まれた。作曲は少年時代からはじめていたという。本格的な作曲の勉強はイリノイ大学で始まり、ベルリン留学を経てミシガン大学で博士号を得るに至っている。なおベルリン時代にはボリス・ブラッハーに師事していた。
 初期の作風はバルトークリゲティの影響が顕著であり、その後徐々に変速編成の室内楽と特殊奏法の組み合わせによる独自の境地を確立し、代表作として名高い弦楽四重奏曲「ブラック・エンジェルズ」などに結実していく。
 バルトークスタイルからの転換にあっては、全く作風が変わったと言って良いほどの変化であり、作曲法もバルトーク流のそれ(黄金比や数学的分割法)ではなく、メシアン的なトータル・セリエリズムを援用した旋法主義に到達していることはあまり触れらていない。
 ペンシルヴェニア大学で教鞭をとり、オズバルド・ゴリホフなどを育てた。数学的な秩序と、オカルトとも言える数秘術的な指向を結びつけ、さらに電気増幅させた上での特殊奏法のコンビネーションによって、描写音楽としても極めて優れた内容を持ち、数と表現における表現の折衷という問題をクリアしている。またその曲一部はアンチクライスト的とも取られることがあるが、これは無理解からくる大きな誤りだと指摘しておきたい。

 

・初期の作品-バルトークの匂い


 バルトークが祖国に見切りをつけアメリカに移住してきたの1940年頃であり、クラムの少年期に重なる。独自のスタイルを構築し、新しい音楽を求道するバルトークの影響を受けたのはこの時期的思想的重なり合いからだったのは間違いないだろう。そしてこの頃の作品として、いまでもよく演奏会で取り上げられる曲がある。バルトークの盟友コダーイの代表作を彷彿させる「無伴奏チェロソナタ」である。1955年の作品で26歳の時の作品である。

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 そして大きな変化が生じるまでにはそれほど時間を要さなかった。ソプラノとチェレスタ、二人の打楽器奏者のための「夜の音楽I」ではすでに異色のコンビネーションが試行されており、神秘主義的な音楽世界に、詳しく見るとメシアン的な数理構造が見られるようになっている。そして描き出された音は確かに現代音楽だが、タイトルの通りの響きに満ち、それが神秘的で極めて幻想的なものになっているのである。

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 クラムはこういった作風の特性からあまり大編成の曲は得意でない印象を受ける。オーケストラの中での陳腐な音の組み合わせに彼自身があまり興味を持てたかったのではないと私は思っている。そんな中1967年に彼の珍しい管弦楽曲「時と河のこだま(エコー第2集)」が書かれる。この曲はある意味で彼の出世作となり、ピューリッツァー賞受賞作となる。たしかに素晴らしい曲だが、私にはあまりらしくない曲だなと感じてしまう点もある。

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 そしてここから創作の黄金期に入った彼は次々に名作を生み出して行く。そしてそれと同時に神秘性、悪魔性を強めていくことになり、これが大きな誤解を招く結果になったのだと思う。そしてその代表的な作品が、彼の最大の代表作、いや人類史上最高傑作と言っても良い弦楽四重奏曲の発表であった。
 その曲は「ブラック・エンジェルズ」と題されドビュッシー風のサブタイトル「印象I」と付されている。この曲は拡張された弦楽四重奏の為に書かれており、各楽器はアンプによって音を拡大するよう指示され、更にグラスハープ、銅鑼、マラカスの演奏や、叫び声まで求められる強烈な作品だ。題材ははっきりと「ベトナム戦争」であり、組曲となった各部分は厳密に数字に支配されている。特にその全体を支配する二つの大きな数字が「7」と「13」であり、これ様々に組み合わせることから素材の厳選としている。例えば13/7とか7☓13とかそのバリエーションは様々であるが、ベトナム戦争に神と悪魔の戦いを見出し、その様子を数的に、表現的に描ききった作品である。なおよくあるハッピーエンドには終始しないとと、ルネサンス期のマドリガルの引用であったり、非常にその表現の層は厚く、細かいものである。こういった悪魔的な音楽をそのまま捉えてしまうと、悪魔崇拝者などという誤った結論に達してしまう。特にこの種の勘違いは日本で多く散見されるのも面白い。

 これは宗教の差そのものであり、クラムのそれは悪魔崇拝ではなく、敬虔なクリスチャンとして神があるなら対として悪魔があるという概念を踏襲し、神側からの視点、悪魔側からの視点を等価に描いているだけにほかならない。
 一方日本人における神は神道のそれであるが、その対の概念とはなにかと言って即答できるものは少ない。例えば生きるものと霊体という対の概念は仏教的観点からも表せるが、神道となると神の対として同じだけの悪なる存在がなくてはおかしい。
 これは古代に徹底的に対の世界を潰され、或いは神として祭り直されるなどしてきた日本の歴史が関わってくる。しかし現代でもこの対の概念はそれこそ夜闇に紛れて残っている。所謂「呪い」である。
 神とのやり取り、或いは神に告げるための言葉として「祝詞」があり、その対として悪なるものに告げる言葉として「呪(しゅ)」があるのだが、徹底的に弾圧された「呪」の世界は、一種のファンタジーぐらいの意味に認識されて現代に至っているため、クラムのキリスト教的世界観に対して誤解が生じやすいのである。
少々話が長くなったが、早速この曲を聞いてみよう。

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 非常に強烈で、極めて幻想的な作品ではなかっただろうか。なおこの曲の末尾には完成の日付が書いてある。「1970年3月13日金曜日」と。

 これはベトナム戦争中の13日の金曜日に書き終わったと言う意味で、ここにまで徹底して「13」という数字へのこだわりが突き通されている。


 そしてこの翌年には「Vox Balaenae(クジラの声)」という代表作を完成させている。まさに脂が乗りきっていると言った印象だ。
 この曲もクラムの作品の中では好まれ、ピアノの内部奏法をふんだんに伴うにも関わらず世界中で再演され続けている。私が最も感銘を受けたクラムの曲でもあるが、地球の始まりから終わりについて「時の始まり」から「時の終わり」として曲が書かれている。そして「時の始まり」にあってクジラの鳴き声が響き、そこから地球の歴史を人の姿を登場させることなく地層時代を表すサブタイトルを持つ楽章でたどっていく。そして愛の時代として描かれる部分にわずかに人間の影、あるいは神の愛を描いて、人類の姿はまた全くなくなり、時の終わりにクジラの声だけがまた響くのである。
 あれ、それってこの前の自分の曲の設定と似てない?と指摘されたら嬉しいが、実は前回発表した二台ピアノの拙作のヒントはここにもあったのは事実である。
 さてではクラムの「鯨の声」を聴いてみよう。なお、この曲には演奏者はマスクを付けて演奏することが求められている。

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 そして立て続けに初期のクラムが尊敬してやまなかったバルトークの有名な練習曲「ミクロコスモス」に対して「マクロコスモス」という性格的音楽を完成させる。
 本家バルトークはミクロコスモスを6巻書いているが、クラムのマクロコスモスは4巻書かれている。
 ピアノに対する徹底的な内部奏法、演奏者に歌う、ささやく、叫ばせるなどの身体表現を要求し、さらにアンプによる拡張もなされる。そして今度のテーマは第1巻と第2巻は「ゾディアック」つまり黄道十二宮をめぐる音楽となっている。彼の曲の中でも「あの世感」が非常に強い曲と言える。今回は第1巻を紹介するがこの中の「ゴンドラ乗りの幽霊」は本当に不気味で、演奏者にはベルリオーズファウストの劫罰の中の死者の言葉を発せさせられる。

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 奇妙な曲と思う前に私達はピアノ単体による表現がここまで細かく行えるのだということに驚嘆せねばならないだろう。特に曲を書くことをする人間は、自分の表現の陳腐をこの曲の前で恥なければならないとすら思う。


 これほどあの世を描いた作曲家はいないだろう。そしてそれは幻想的な物語として書かれている点がユニークである。例えばアンプリファイされたピアノとソプラノのために書かれた「幽霊」というそのものズバリの曲もある。
 これは分類としては歌曲になるが、あまり有名な作品ではないが幽玄な幻想に包まれた作品だと言える。

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 そんなクラムは流石に晩年になると創作の速度は著しく下がってくる。また娘が声楽になったことから、娘のために書かれた声楽作品が多くなるのも1980年代に入った頃だ。

 作品の発表はこの頃すでに4年に1曲くらいのペースになっている。

 2000年代に入ると懐古的とも言える作品を連続で2巻書いている。マクロコスモスを思い出すこの曲には「Metamorphoses」とタイトルが付けられている。変化や変身といった意味だ。一連の彼の創作姿勢を考えれば何の変化なのか、何の変身なのかは明白な気もするが、早速聴いてみよう。

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 この作品は第1巻が2017に、第2巻は2019年に書かれている。ほぼ最後の作品と言えるだろう。

 

 最後に彼の遺作となったと思われる曲を紹介したい。打楽器のアンサンブルのために書かれている曲で「Kronos-Kryptos」と題された曲である。もちろん「クロノス」はギリシア神話の大地、農耕の神であり、クリプトスはビル・サンボーンの暗号で埋め尽くされた彫刻のことであろう。もともとクリプトスはギリシャ語で「隠す」の意味があり意味深なムードである。
 実は打楽器のみのアンサンブル曲はクラムにとってこの曲が初めてだったという。2018年に書かれ2020に改定されたということで、未知の作品以外ではこの曲が遺作ということになるのではないかと思う。

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 いかがであっただろうか。偉大なる芸術家、ファンタジストというほかない。
 未だにブラック・エンジェルズに出会った衝撃は忘れられないし、鯨の声に何度触発されたかもわからない。一時はずっとクラムの曲ばかりを聴いていた時期すらある。
 そしてもう一人の私の敬愛する作曲家武満徹との間に、ファンタジックなリアリズムと、愛を信じる気持ち、さらにメシアン的語法という共通点があるのも面白い。

 

 実は私が大学に入学する一年前、夏期講習で大学に行ったときに図書館の資料が一日だけ借りられるらしいので利用カードを作りに行って、真っ先に借りたのがクラムの楽譜であった。ニコニコしながらその神秘の蓋を開けるとそこには「献呈資料」という文字が書いてあった。クラムの楽譜なんぞを寄付するやつは相当マニアックだなどと思いながら献呈者の名を見ると「武満徹氏寄贈」とあるではないか。
 私よりはるか前にクラムの楽譜を手に入れ、研究をしていた武満徹というもうその時点で感動に包まれるばかりだった。なぜだか自分がやっていることは間違いないんだという確信みたいなものを覚えてしまい、毎日毎日家族のしかめっ面も他所にスコア片手に聴きふける日々が続いた。そして気がつけば折衷主義的な面白さと、人を音楽から排除することでよりリアルに人を描くことが出来るということを学び、対の概念の大切さを教えられた気がするのだ。

 

 気がつけば私の尊敬する武満徹も、そしてジョージ・クラムも鬼籍に入ってしまった。私はせいぜい彼らの音楽を読み、その理解できた何%かを後進に伝えていくくらいしか出来ないだろう。しかしそれが以心伝心、文化継承の一歩になることを信じて頑張っていこうと思う。

 

 ありがとうございました。そしてゆっくりお休みください。ジョージ・クラム先生。

 

 なお、不思議なことにこの原稿執筆中にロシアがウクライナに侵攻を開始し、世界中が戦争の緊張感に包まれることになってしまった。あまりの偶然に驚きを禁じえないが、クラムがマクロコスモスの楽譜に残した「平和の希求」を最後に掲げざるを得ないだろう。私自身は平和を信じない、しかし希求をしている。その複雑な心中とクラムの音楽が不思議に融合するのだ。

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ピースサインを楽譜のレイアウトに取り入れた例