名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

知られざる東欧シンフォニズムの系譜

東欧諸国

 私には交響曲は長すぎる。しかし年に何度か交響曲を欲する時期があると数回前の記事でも書いた。


またやってきてしまった。


 ちょっと収まっていて、前回は重い論文的な記事などもあげて、興味は中田喜直などの研究に向いていた。


しかし来てしまったのだ。

 

 きっかけは単純明快、現代的な出会いからだった。Youtubeを開くと、なじみのチャンネルの過去にあげられた動画がオススメとしてレコメンドされていた。見れば全く知らない作曲家の未知の交響曲であった。「ほう、どんなものかな」と軽い気持ちで開くと、直前どっぷりウストヴォーリスカヤに浸っていた私にはお誂え向きの厳しいクラスターを伴う音楽であった。
 かくしてこの作曲家のことが気になってしまい、ついでにこの作曲家が東欧出身ということも手伝い、いつもの病気が始まったというわけだ。

 そんなわけで今回は「その作曲家」を中心にまた数曲私の趣味にお付き合いいただきたいということである。前回はかなり重い内容のもの書いたので今回はなるべく簡潔にまとめたいと思う。


Jiří Válek

Jiří Válek

 その出会いとなった作曲家はJiří Válek(イルジー・ヴァーレク)という作曲家である。各国の交響曲事情を大作にまとめられた、大崎滋生氏の著作にもその名は登場していない作曲家でありながら、実に20曲+番号なし1曲という量の交響曲を書いたという。

 1923年プラハにピアノ制作者の父アロイスの下に生まれ、ギムナジウムからプラハ音楽院でJaroslav Řídký(ヤロスラフ・ジードキー)に学んだ。また個人的に哲学、美学、音楽史なども同時期に学び哲学の博士号を得るに至ったようだ。その後は出版社に奉職し、2005年に癌を患いプラハで没したのだという。

 私は全く知らなかったが、かなり多作家であり、交響曲群の他にも多数のコンチェルトや声楽曲も残している。出版社勤務であったのだが、自作の出版は多くなく(あるいは今は探しにくくなってしまっているのかもしれない)、交響曲の出版譜は2作しか見つけられなかった。非常に興味をそそられているので、できれば沢山楽譜を読み漁ってみたい。

 話を交響曲に戻すと、一貫してモダニストとして作品を書いていることがわかる。しかもそのほとんどは交響曲でありながらソリストを伴い、編成も特異なものが多く、またサブタイトルを持つものが多いのも特徴的である。

 ということでまず初の交響曲である第1番から聴いてみてほしい。サブタイトルは「1948年」と題され、トランペットとピアノのソロを伴う作品となっている。まあ世界史に通じる人ならわかりやすいタイトルだが、この年の二月にチェコスロヴァキアではソ連を背景とした共産主義革命が成功し、勝利の二月などと呼ばれる出来事があったが、それをテーマとした曲といったところだろう。

www.youtube.com

 いかがだろう、晦渋であり共産主義的な書法も見られる中、決してこれを手放しに喜んでいる曲には見えない。本人のインテリジェンスがこの事件を単純なものと感じさせなかったのだろうし、闘い自体に対する悲劇性や絶望も見え隠れする。しかしおおっぴらにそう書くわけにもいかない事情もあったのか、どちらともとれる不思議な折衷性を持った、やや狂気を感じる曲ではないだろうか。
 また構造的にもこの時代のものはその骨格はしっかりしているが、テーマの中断などとりとめのなさを示す彼の作風がもう現れているといえる。彼の作品には哲学性と政治性が打ち出されることが多く、第5番の交響曲は「ゲルニカ」と題されていたりすることから、創作態度は一貫していた言えるかもしれない。

 さて次に聴いていただきたいのは、私が彼を知ることとなった偶然の出会い第6番の交響曲である。サブタイトルは「Ekpyrosis」と哲学者らしいもので、ギリシャ哲学の用語で「火から出たもの」すなわち「世界の破滅・再生の際の大火」を意味する。

www.youtube.com

 

 いかがだろうか。晦渋な表現の色合いが強くなり、東欧の暗さと重さが備わった上に、実に散発的でとりとめがない音楽になっている。しかしその一方でこの散発性と表現性のコントラストがなぜか絶妙なバランスで成り立ち、崩壊しそうでしない音楽になっている。
 私が聴いた限り、彼の色合いが最も強く感じられると思ったのがこの第6番である。小規模な室内オーケストラを背景にフルート、ピアノ、打楽器アンサンブルがそれぞれ独立してフィーチャーされていて、極めて特異な世界観を形成している。なるほど哲学的な作品と言うことを強く感じさせるにあまりある曲だ。

 最後に晩年の作品をということで第20番を紹介したかったが、どうやら音源がないようだ。聴ける交響曲の中で一番後期のものは第14番であったのでこれを紹介してみたい。サブタイトルは「Triumphal」と付され「勝利の交響曲」ということらしい。例によってソロが付けられ今回は二台のピアノがフィーチャーされている。チェコ65周年と二次大戦終結40年を記念して書かれた作品だという。

www.youtube.com

 

 なるほど祝典をテーマにしているので少しばかりわかりやすいが、相変わらず晦渋でピアノは表現的なフレーズを多く弾かされている。とりとめのなさこそ弱まっているが、彼の考えが「祝勝」というものの後ろにある「犠牲」に向けられているのは間違いなさそうだと感じる。この曲も一見支離滅裂だが、力強さと抽象性に哲学性の浮かぶ実に知的な音楽だと感じる。しかし彼はシンフォニーとコンチェルトにどのような区別を持っていたのだろうか。興味は尽きない。

 

Jaroslav Řídký

Jaroslav Řídký

 ヴァーレクの師にあたるJaroslav Řídký(ヤロスラフ・ジードキー)も実は隠れたシンフォニストであったらしい。大崎本には複数の作曲家の師として紹介され「7曲のシンフォニーを書いたが詳細不明」とわずかな情報しかない。どうやら名伯楽であったが、作品はあまり知られていないようだ。


そこで私も調べてみた。

 ジードキーは現チェコ共和国のリベラックに大工の助手と使用人という両親の下に生まれた。裕福とは言えず音大への進学を諦め従軍しながら軍楽隊で音楽の基礎を学ぶが、これを脱退したことで逮捕され罪に問われるという、不遇な若年期を過ごす。しかしその後に正式にプラハ音楽院で学ぶことが叶い、Jaroslav Křička(ヤロスラフ・クジチュカ)、Josef Bohuslav Foerster(ヨゼフ・ボフスラフ・フェルスター)、Karel Boleslav Jirák(カレル・ボレスラフ・ジラーク)に師事した。特にフェルスターとの関係は深く修士課程でも彼のクラスに在籍したという。
 在籍中からすでに成功を収めており、そのまま母校で教鞭を執り、特に交響曲室内楽で代表作というべき優れた作品を残したという。しかし重病を患い、1956年に58歳にしてチェコスロバキアの温泉にて亡くなったが、死後胸像が作られるなど、本国ではその偉業が大きく知られているようだ。しかし本邦でその名を聞くことはまずない。

 さてその交響曲群だが、確かに先述の本の通り7曲が書かれており、代表作は最後に書かれた第7番であるらしい。本来は初期作品から聴いてみたいところだが、音源が見つからない。なんとか代表作たる第7番は音源があったのでこれを紹介したい。

www.youtube.com

 

 作風はドヴォルジャークスメタナなど郷土の国民楽派のレジェンドに続くスタイルであり、穏健かつ朴訥とした風味が実に趣深い。ことに緩徐楽章の美しさは素晴らしいもので、これは国が誇る作曲家として十分な風格があると言える。逆に言うとこういった作風の師の下からヴァーレクのようなモダニストが誕生したことが驚きかもしれない。他の交響曲も早く聴いてみたいというところが本音である。

 さてこのジードキーは名伯楽だったらしいということでその弟子の名前を見てみると確かに素晴らしい弟子を多く育てたことがわかる。その中から二人の作曲家が目についた。ヴァーレクという未知の出会いが既知の作曲家と結びついていく瞬間に、なんとなく高揚感を感じる。

 

 

Josef Matěj

Josef Matěj

 Josef Matěj(ヨゼフ・マチェイ)の名はトロンボーン奏者なら結構知っているのではないだろうか。以前マチェイのトロンボーン協奏曲がコンクールの課題曲として選ばれ、その難易度の高さとあまりの録音、資料の乏しさに泣いた人はきっと多いはずだ。
もしかするとマテイの名がある程度大きな形で本邦に紹介された瞬間がそれであったかもしれない。


さてどんな作曲家なのか見てみたい。

 

 マチェイは1922年にチェコスロバキアのブルーシュペルクに音楽一家の一員として生まれた。父親からトロンボーンの指導を受け、オーケストラ団員となるに至り、その後プラハ音楽院で今度はオルガンと作曲を習ったようだ。作曲の師はEmil Hlobil(エミル・フロビル)とZdeněk Hůla(ズデニェク・フーラ)であったとのことで、ジードキーとの出会いはその後の舞台芸術アカデミーでのことだったようだ。
 もっぱらトロンボーン奏者として活躍し、このため協奏曲の内容が技術的にも高いのは必然だったと言えるだろう。交響曲は5つ書き時期によって音楽性は少し変わっていくようだ。

 

まずは最初の作品交響曲第1番を聴いてみよう。

 

www.youtube.com

 

 牧歌的で民族的、はっきりと国民楽派に連なる作風を持っていたことがわかる。
そして自らの得意とするトロンボーンセクションが非常に活躍する。ジードキーに連なる手堅い作風とも言える。いやより民謡的になっているとも言えようか。

 

では最後の交響曲となった第5番はどうか。

 

www.youtube.com

 

 作風の変化が著しいと感じられる。牧歌性は打ち消され突き刺さる表現が多くなったことに加え、全体に悲痛さが感じられるようになった。これはやはり戦争の影響が彼の作風を変えたと考えて差し支えないのではないだろうか。
 それでも同門ヴァーレクなどよりはずっと穏健ではあるが、モダニズムの影がはっきり加わってきた。この重さこそ戦後東欧の多くの作曲家に見られる暗さと言える。同じように大きな戦争による痛手を経験した我々にもこの影のある響きは突き刺さるものがある。

 なるほど聴き応えのある作品であるし、自らが演奏家であったという強みがオーケストレーションに生きている。本邦では先述のコンチェルトなど数曲が知られるのみだが、この第5番などは演奏される価値があるのではないだろうか。
なおマチェイは1992年に他界したとのことである。

 


Karel Husa

Karel Husa

 最後にジードキーの弟子として目を引いたのは、吹奏楽、それも本格的な吹奏楽愛好家なら誰しも知っているだろうKarel Husa(カレル・フサ)である。吹奏楽愛好家ならソ連の介入で弾圧された1968年のプラハの春を題材とした「プラハ1968のための音楽」や「この地球を神と崇める」といった作品は忘れ得ぬ大傑作として知っているだろう。
そんなフサもまたジードキーの教えを受けた一人であった。

 

 1921年プラハに生まれ、プラハ音楽院で指揮と作曲を習う。無論作曲の師はジードキーであり、在学中より高い才能を発揮し、修士課程でもジードキーに師事している。しかし祖国での経歴はあまり語れることがない。それは彼が後年アメリカに渡ったことから本国では顧みられない存在となってしまったこと、さらにパリでの経歴、すなわちパリ音楽院とエコールノルマルでオリヴィエ・メシアンとナディア・ブーランジェに師事したというインパクトが大きいことが原因であろう。
 パリに渡ったフサはそのまま長くパリにとどまり、その後はアメリカに渡ってコーネル大学で教鞭を執ることになった。そしてアメリカの地で「プラハの春」を迎え、これに抗議するために先述の作品を書き上げたのである。あからさまに政治的、また「この地球を神と崇める」では環境問題をテーマにするなど、リアリズムとシリアスさを持った作風を確立。セリエリズム、音列主義など当時最先端のモダニズムを取り込み、極めて濃度の濃い作風を持っていたが、その土台には祖国の民族主義に連なる精神があったと言われている。ご存じの方も多いかもしれないが、フサは長命であったが2016年にアメリカで95年の生涯を閉じた。

 フサというと本邦では吹奏楽のイメージが先行してしまっているが、交響曲は2曲書いている。第1番は「プラハの春」より前、フランス時代の再末期の1953年に書かれており、「リフレクション」の副題のある第2番は大分後期になってから1983年に書かれている。このことから作風の変化が非常にはっきり感じられるようになっている点が面白い。まずは第1番から聴いてみよう。

 

www.youtube.com

 

 実に堂々としてモダンな交響曲である。非常に高度な書法を用いて書かれており、この頃から厚みのある作風を確立していたことがわかる。しかし民族主義の匂いも強く、いかにも東欧の響きを感じ取れるのもまた事実である。
 しかし苛烈と言えるあのフサの音にしてはまだ軽いとも言える。特に副題はないが、なるほど若い頃からすごい才能を持っていたことがわかる。


さてでは第2番「リフレクション」は一体どんな感じだろうか。

 

www.youtube.com

 

 非常に厳しくまたある種繊細な音の動き、響きの移ろいが特徴的ではっきりといわゆる現代音楽といわれるスタイルになっている。しかし慎重な構成の中に重厚な暗さが表れる彼の元々の作風には全く変化はなく、むしろ先端語法に習熟するほどにその純度が上がっている気さえする。非常に沈痛であるが、その中に美意識をはっきりと感じられる名曲だと思う。

 

 と、なんと偶然の出会いは、最近炎上に巻き込まれるなど私の身近な吹奏楽の世界にまでつながってしまった。東欧についてはまだまだ不勉強なのだが、こういったジードキーという作曲家を中心に、シンフォニズムの輪が広がっていたとは驚きである。
 そしてばったり出会ったヴァーレクの作風がいかに特異なものかも、同門、同時代人の作品を聴くとよくわかった気がする。

 よくPopsの楽しみ方で気に入ったグループのプレイヤーやプロデューサーに着目して、それらが関わる作品を連鎖的に聴き倒していくやり方をすることがある。これは当然クラシックにも応用可能であり、今回もそんな感じで偶然の出会いを、一瞬の出来事に終わらせず、しっかりと調べを進めていくことで、一つのシンフォニズムの輪を探り当てられた。
 こうやって知らないことを知ることは無上の喜びであり、こういうことが楽しめないとか面倒だと感じる人は、それこそ私には「音楽が好き」とは映らない。音楽が大好きなら、こんなに楽しい瞬間、これほどの学びは他にあるまい。こういった経験や知識を積み上げることもせず、口をとがらせて自分の狭い世界を人に押しつけ、あるいは誹謗中傷の限りを尽くしてくるなど言語道断であり、昨今の一部アマチュアはもっと音楽を知ってから出直してこいと思うことしきりである。

知のない批判は、何よりも愚かである。