名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

ピアノでも弾いてみようかな

ピアノ

 私は作曲家・編曲家とともに鍵盤奏者を名乗ることもあるのだけど、実はちゃんとピアノを弾くのは苦手なんですよね。
 井口基成先生の系譜にある孫弟子で、母の無二の親友である小宮隆子先生に入試前に師事、桐朋学園入学後は最近お亡くなりになられた小森谷泉先生に師事したものの、やはり本科ピアニストのように弾けるわけではありません。
 そもそも指が滑らかに動かないので、速い曲は苦手、基礎訓練がおろそかなので子どものための曲でも嫌らしいやつやツェルニーなってまっぴらごめんです。
 しかし即興演奏だけは昔から特技でして、鍵盤の前に座れば勝手に曲を弾けるというのと、打楽器科出身者の強みで、変拍子や難解なリズムは大の得意です。なのでピアノを弾くのはPopsか現代音楽ということになるのが通例というわけです。

 10年ほど前から実家を離れていて、ピアノが弾ける環境になかったので、普段適当に即興演奏するという機会もなくなり、コロナ禍以降はますますそれも少なくなって、ピアノアレンジの収録くらいしか鍵盤に触れていないという状態になって、すっかり腕も化石になってしまいました。
 しかし父が亡くなり、貧血発作持ちの母を一人にしておくのは危険と、世界一の親不孝者を自負する私が唯一の孝行なんてことを考えて実家に戻ったのを気に、ピアノ弾きたいなという欲求が顕在化してきました。

 母が使っていた頃から数十年ノーメンテナンスで放って置かれたYAMAHAのグランドピアノがあり、昔私が誤って弦を切ってしまったままに転がっています。もともとピッチもずれていたのですが、改めて測ってみると半音と1/4音ほど低くなっています。

 自分は舞台のスタッフを経験したり、制作で舞台を仕切ったりという仕事を結構していたので、小屋でピアノモノのコンサートがあるときに調律師さんと話す機会が多くありました。だいたい舞台の明かりなんかを仕込んでるときにいらっしゃって調律作業を始めるので、手が空くと覗きに行ったり、どうやってやったりするのか質問したりしていました。そういう経緯で自己流ではありますが、弦の張替えとピッチ合わせくらいはできるようになっていたので、せっかくなら自分の家のピアノを調律してみようということになり道具を購入してみました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08B1GYLFF

 タッチ感の調整とか難しいことは出来ませんが、最近は道具も手に入りやすくなったので、早速一日かけて調整してみたら、ちゃんとなるようになりました。こうなるとますます弾きたい欲求というものが出てきます。

「久しぶりに練習再開するか」

 とまあこうなるのは必然ですよね。問題は何を弾くかです。難しいのは無理だし見たくもないので、好きな曲で、かつ自分の得意なものといろいろ探し回ったので、それらの曲をご紹介がてら記事にしてみようと思ったというわけです。
 同じようにあまり難しいのは無理だけど、現代曲は結構好きよとかいう稀有な人がいれば、いっしょに触ってみても良いのではないでしょうか。加えて能動性のない演奏家の方のレパートリー探しの一助になれば幸いです。

 

1.Adagio/Samuel Barber

Samuel Barber

 言わずとしれた大名曲です。
 とくに映画プラトーンに使われて、その悲劇的なシーンの背景に流され多くの涙を誘った感傷的な曲です。
 この曲はそもそもはバーバーの弦楽四重奏曲ロ短調の第2楽章として書かれたものを、本人の手で弦楽オーケストラに編曲され、これが世界的に愛される作品となりました。
 自分はもともと原曲原理主義者なのでアレンジは嫌いなのですが、この曲は昔から聴くたびに涙が出るほど大好きなので、やはり弾いてみたいなと思いピアノ版を探しました。もちろん複数の版があるのですが、もともとが基本的に4/2という拍子で、見慣れない人には読みにくいということもあって4/4に直されていたのが大きく気に入りませんが、曲そのものはしっかり尊重されうまくアレンジされているものを見つけました。弾いてみるとデュナーミクのコントロールが思ったより難しく、繊細な場面で音が立ってしまったり、感情の高ぶりのシーンで鳴らせないなど情けない限り。しかし曲自体の難易度は低いので、じっくり向き合えばモノになりそうです。せっかくなのでピアノ版の演奏を聴いてみましょう。

www.youtube.com

 

2.Adagietto/Gustav Mahler

Gustav Mahler

 ドイツロマンは私の苦手ジャンルだったりします。未だにブラームスブルックナーもリヒャルトもその良さにたどり着けません。なぜか合わないんですよね。でも数年前にマーラーは克服したのです。今では交響曲の真の金字塔はマーラーしかないとさえ思っています。そしてその中でも極めて完備で感傷的なことで知られるAdagiettoのピアノ版がYoutubeで偶然レコメンドされてきました。

あーこれは弾いてみたいとなったわけです。

 今更書くほどのことではありませんがAdagiettoはマーラーの大傑作交響曲第5番の第4楽章のことです。こちらも映画「ベニスに死す」に使われたことでも有名ですね。
調べてみるとこの曲もプロ・アマ問わず多くピアノ版が書かれているようです。その一つ、はじめにレコメンドされてきたものを味わってみましょう。

www.youtube.com

 

3.10 Miniatures/Helen Grime

Helen Grime

 ここからは現代曲です。私の好きな作曲家の一人にスコットランド出身の作曲家ヘレン・グライムがいます。
 1981年生まれで作曲はアイスランド出身のハフルディ・ハルグリムソン、ジュリアン・アンダーソン、エドウィン・ロクスボロに学んでいます。スペクトル的な手法と音列的な方法論を用いているように見えますが、その曲は案外平易でわかりやすく、暗い影のあるトーンに満ちており、カラフルではないですが、とても心象的です。
 もともと彼女の管弦楽曲が好きだったわけですが、ピアノ曲はないのかと探したところ、少ないもののいくつか書いていました。この「10の小品」と題されたピアノ曲は、ごくごく短い10の部分からなっていますが、すべて通して演奏されます。多少難しいところもあるのですが、何故かこういうタイプの曲は弾けてしまうんですよね。
 とても響きへの直感に溢れた良い曲です。ちなみにグライムはオリヴァー・ナッセンサイモン・ラトルの指示を得て極めて有名になり、その功績を称えられ若くしてMBEに叙せられています。

www.youtube.com

 

4.Reminiscence/Anna Thorvaldsdottir

Anna Thorvaldsdottir

 こちらも好きな作曲家のピアノ曲ということで選びました。どうも私はアイスランドの作曲家に強く共感するところがあるようで、その代表がこのアンナ・ソルヴァルドスドッティルです。
 彼女の管弦楽曲のMetacosmosは現代の生んだ傑作の一つと思って疑わないのですが、擦過音の中からリリカルな調性感に満ちた響きが立ち上がるところは、本当に美しく自分の感性にぴったりなのです。
 1977年生まれでアイスランド芸術大学を経て渡米し、ランド・スタイガーとレイ・リャンに師事しています。「自分のことを書く」というように自身が語るとおり、個人的な音楽ですが、その世界はとても映画的な印象を受けるものでもあると感じます。
 ちなみにこの曲は内部奏法が多用されていますが、自宅のピアノなので怒られる心配もないので楽しんで弾かせてもらっています。

www.youtube.com

 

5.Night Pieces/Peter Sculthorpe

Peter Sculthorpe

 オーストラリアを代表する巨匠スカルソープの曲も弾きたい曲に選びました。スカルソープも日本ではあまり聞きませんが、1929年に生まれ小さいときから楽才を発揮し、シドニー大学に奉職し2014年に亡くなった作曲家です。管弦楽曲の「アース・クライ」が特によく知られ、環境問題への切込みと、アボリジニー文化を積極的に取り入れ、ディジェリドゥという長い筒でできた民族楽器を多用したりしています。非常に広大な音楽を得意にしており、オーストラリアの風景そのものを切り取る名手でした。弦楽四重奏を多く書いており、世界中の四重奏団のレパトリーとなっています。
 ピアノ曲ももちろん残しており、この「夜の音楽」の他にも「山の音楽」なども極めてスカルソープらしいスケール感で好きな曲です。こちらの「夜の音楽」は難易度が低く設定されており、私向きの内容です。調性は手放していませんが、非常に幻想的でスケール感のある美しい小品群からなっており、レゾナンスに耳をすますとそこはもうオーストラリアの大自然の只中です。

www.youtube.com

 

6.彼岸花の幻想/八村義夫

八村義夫

 日本のクラシックを研究してるのに海外の曲ばかりだと怒られそうなので、最後にもう一つ。これは子どものために書かれた世界一の難曲といってもいい「彼岸花の幻想」です。このブログでも何回か扱いましたが、弾いてみると本当に難しく、全く歯が立っていません。
 しかし八村の世界に触れるだけで、自分は幸せなんです。もし自分がギターを弾けたなら、武満徹のギター編曲作品に触れられたらどれだけ幸せだったか。武満のそれに及ばずとも、八村の苦悩のほんの少しは共感できる自分としては、彼の自滅的な美学の追求はある種の理想論です。私はそこまで踏み込めない臆病者なので、あこがれと尊敬を持ってこの曲に触っていけたらと思っています。

www.youtube.com

 

 そんなわけで自分で直したピアノで好きなように好きな曲を弾く時間は、普段の音楽の仕事とは違って体中で音楽に浸れる喜びと同時に、名手たちの書法の凄まじさに恐れおののく時間となって、新たに私の日常に組み入れられました。ウイスキーを飲みながら、スティーリー・ダンを聴くのと同じくらいに幸せな時間なのです。
 みなさんも楽器を演奏するのはとても良いことですし、それが仕事でなければ誰に文句を言われることもない聖域ですから、難しいことを考えないで触れてみるだけで、人生が充実すると思いますよ。
 あ、仕事にしてる人はだめです。あなたの音は責任の塊ですから、深い洞察をしてくださいね。