早くも初夏の陽気も終わり始め、梅雨の匂い漂う今日このごろですが、皆様サイド増加傾向のコロナなどに罹らず、お元気に暮らしてらっしゃいますでしょうか。
私は先日、糖尿病と白内障が発覚しましたが、幸いにも薬でのコントロールも効いていて、落ち着いております。
さて、夏が近づくと思い出すのが「怪談」ですね。
最近は呪物ブームなども相まって、怪奇の流行が来ているとも言いますが、大抵の怪談は夜の世界が舞台になっています。昔から人間は暗闇に恐怖を感じ、あるいは子供に危険な場所に近づかせない教えとして、妖怪話や、怪奇話を伝えていったといいます。
音楽でも「夜」は神秘の象徴、そして東西で別の文脈を持ってミステリーの舞台として扱われてきました。そんな夜の音楽を日本と世界でちょっとだけ聴き比べてみましょう。結局宗教観が違ってもそこは人間同士、恐怖や不思議といった文脈でわかり合えるのがこのテーマの良いところでもありますし、そもそも夜は副交感神経が有利になることから想像力が働き、創作に向く時間ですからね。
まずは日本の例をひとつ。
長谷川良夫の書いた夜をテーマにしたピアノ曲です。長谷川良夫は理論家として高名ではありますが、作品を聴く機会は少ない作曲家です。
1907年に東京に生まれ、作曲は信時潔と、クラウス・プリングスハイムに支持しています。現在の東京藝術大学の前身である東京音楽学校師範科をを卒業後、ドイツに渡って研鑽を積んだ経歴の持ち主です。「管弦楽のためのバラード」といった代表作も、今日あまり顧みられることがなく、再評価の待たれる作曲家です。
そんな長谷川が書いたピアノの小品に「夜の歌」という曲があります。こちらも現在全く忘れられており、音源もなかったのでRMCチャンネルで再現してみました。
(夜の歌/長谷川良夫)
出版:春秋社
茫洋として掴みどころのないメロディに、怪しい響きを作り出す伴奏という構成で書かれていますが、調性は保たれており、解決した瞬間に少しだけ安堵感を感じます。しかしその調性感はすぐにモダンな響きに飲まれてゆき、不安定ななかに玄妙な心象風景を描いています。夜に対する東洋人的な「恐怖」や暗さからくる音の深さの表現が秀逸ですね。
このような玄妙さや、暗さのコントラストのようなものは東洋的な夜の表現の一つの手本と言ってもよいのかなと思います。逆に西洋的な夜の表現というと、昔はモーツァルトのEine Kleine Nachtmusikのように、ポジティブな題材として描くものが多かったのですが、やはりそういう表の姿に対して、単純に夜といえば恐怖を感じていたことは言うまでもありません。このモーツァルトの作品のタイトルをオマージュし、それぞれの感じた夜が描かれていたりします。
西洋的夜の表現の代表例というべき、ジョージ・クラムの例を聴いてみましょう。
クラムは1929年アメリカはウェストヴァージニア州チャールストンに生まれ、イリノイ大学で学んだ後、ドイツに渡り、その後ミシガン大学で博士号を取得しています。作曲はボリス・ブラッハー等に師事していますが、初期はバルトークやリゲティの作風を手本にすることが多く、後年は数字と音列を駆使しながら、特殊奏法と変則編成の音楽を武器に、あの世を描くという独特のスタイルを確立しました。
特に電気増幅された弦楽四重奏のための「ブラック。エンジェルズ」はエクソシストのBGMにも使われ、極めて難解であるのにもかかわらず、再演の絶えない名作として知られています。そんなクラムは夜の音楽の名手ですが、上述のようにモーツァルトの名作タイトルをオマージュした、Eine Kleine Mitternachtmmusikという曲を書いています。
(Eine Kleine Mitternachtmusik/George Crumb)
出版:EDITION PETERS
ピアノの内部奏法を駆使し、実に悪魔的な表現をするのはクラムの得意とするところですが、東洋的なそれとは恐怖の対象が少し違うようです。
キリスト教文化圏では、昼と夜という二項対立をそのまま神と悪魔という二項対立の象徴とみなす節があり、これはまさに悪魔の時間の覗き見と言った面持ちで描かれているのです。クラムの多彩な音響術が、西洋における夜を完全に描ききっていて秀逸な音楽ですね。日本ではホールでの内部奏法が禁止されていることがほとんどで、こうった作品を演奏する機会が得にくいのは実に問題であると言わざるを得ません。
さてはなしを日本に戻してみようと思います。
では日本人的夜の表現として更にピッタリ来る曲と言ったら何でしょうか。個人的には細川俊夫の「Nacht Klänge」ではないかと思います。
細川俊夫は日本の現代音楽の水準を大きく高めた一人として極めて重要な作曲家です。1955年に広島に生まれ、国立音楽大学に入学するも中退、その後にドイツに渡って尹伊桑、クラウス・フーバーといった重鎮に師事し、西洋最先端の前衛音楽を秋吉台で紹介するプロジェクトで若手作曲家を牽引し、秋吉台世代と呼ばれる一群を生み出すに至っています。
作風は故郷に由来する反戦的、左翼的視点をもった作品と、アダージョの作曲家とも言われるゆっくりと動く響きに、衝動的なフレーズを被せる作風で、私にはあるシュのロマンティシズムを持っているように感じます。二度堆積とも言われる和音ですが、武満徹からの影響も大きく、また西洋的と言われることも多いですが、実は作品には巧妙に東洋的、日本的な表現が満ちているのも重要です。
「Nacht Klänge」は「夜の響き」と訳される2001年作曲のピアノ曲ですが、10分ほどの中に濃密な東洋性と夜へのいびつなロマンティシズムが満ちています。
Nacht Klänge/細川俊夫
出版:SCHOTT
極めて広い音域を使い、ペダルによる倍音の残響を聴かせる工夫から、まさに暗闇にこだまする怪しげな存在をイメージさせます。この恐怖はまさに幽霊的な超自然的なものへの恐怖であり、そこには子供の頃から植え付けられた伝統的な日本の教育的背景、民族的背景を表したものと言えるのではないでしょうか。
この曲もクラムと同じく内部奏法が使われており、こういった奏法が、表現にとって不可欠なものという事がよくわかります。なんとか日本のホールにおける内部奏法アレルギーが無くなってほしいと願うばかりです。
次の例はヨーロッパと言ってもちょっと辺境のラトビア出身のペーテリス・ヴァースクスの例をご紹介します。
ヴァースクスは1946年ラトビアのアイズプテ出身。牧師の家に生まれたことが彼の音楽の根幹を支えているように思います。様々な事情から隣国のリトアニア国立音楽大学で学び、その後ラトビアを代表する作曲家になっていきます。初期は前衛的な作風を取り、クラムの影響も顕著でしたが、ラトビアの多くの音楽家がそうなように民謡性や保守性に回帰し、印象的な響きの住んだ音楽を書くようになります。また多様式主義者と言っていいほど多くの手法を用いることでも知られ、環境問題を訴える姿勢もまた彼の創作の中心となっています。
ヴァースクスの音楽というと弦楽四重奏やシンフォニーが有名ですが、今日はピアノ曲「Eine kleine Nachtmusik」をご紹介します。タイトルはそのままモーツァルトの作品と同じですが、クラムの影響も受けたヴァースクスは一体どう描いたのでしょうか。
Eine kleine Nachtmusik/Pēteris Vasks
出版:SCHOTT
特定の音列の繰り返しから生まれる闇の描写に、かなり調的なメロディ感がありますが、クラムの影響という点では表現の方向性が同じな気がします。牧師の家に生まれたことから、夜に対して悪魔的なものを感じていることがわかりますが、しかし北国の出身であることからクラムのそれよりももっと夜が身近なものであるようにも思います。
またミニマリズム的手法を駆使していながらも、アメリカの潮流とは大きく異なり、表現手法としてのツールというところまで薄められているのも特徴的です。
この曲においての悪魔は一体誰のことなのでしょうか。あるいはそれは人間の欲望に対する憎悪なのかもしれませんね。
さて後二曲ご紹介しますが、残りはすこしピアノから離れてみようと思います。
はじめは日本の大木正夫が書いた管弦楽曲「夜の思想」です。
大木正夫は1901年静岡県の現磐田市に生まれ、尺八をたしなみながら育ち、現大阪大学で応用化学を選考し一般職に就職しました。しかしすぐに退職し長野県で教職につくも、これも辞め、石川義一などに師事しながらもほぼ独学で作曲を身に着け、教鞭をとるに至ったという経歴の持ち主です。もともとは保守派で民族主義的な作風でしたが、戦争で国に尽くしたことを後悔し、左翼に転じて徹底的な反戦姿勢を打ち出した作風に変わります。そして代表作であるグランド・カンタータ「人間をかえせ」や交響曲第5番「ヒロシマ」を書き上げていきます。しかしその評価は遅れており、大半の曲が未出版未紹介状態であることには嘆きと怒りを感じざるを得ません。
大木はその後も自責の念やまず、晩年は宗教に救いを求めるほどだったといいます。これほどまでに反戦を作風とすることを許された作曲は他にいないと思います。戦後生の表層的な反戦などバカバカしいの一言で吹き飛ばす力強さ、そして民族的には日本への愛情を捨てなかった点から、反日色の強い左翼作曲家とも一線を画しています。彼の作品はもっと演奏されなければならないし、教科書で学ぶべき一人と思えてなりません。
さてそんな大木の初期作品に「夜の思想」(「夜の瞑想」)があります。日本的な世界と尺八に親しんだ作者の民族音楽への思いが垣間見られる幽玄な曲となっています。
夜の思想/大木正夫
出版:新興楽譜出版社
これこそ日本の夜の風景そのものであり、日本の宗教観が投影された名曲と言えるのではないでしょうか。夜の玄妙さと、その中に尺八とともに佇み無を探求しようとする。月明かりに照らされた虚無僧の姿が浮かび上がるかのような音楽です。
西洋では神と悪魔の二項対立がはっきりありますが、日本では仏教と神道が混ざりあった独自の宗教観に二項対立がありません。正確に言えばそれらは淘汰されていってしまったものです。例えば神道においては「祝詞」と「呪」が対立しているはずですが、後者は当然タブー視され、二項対立であったことも忘れられています。仏教においては救済と攻撃は一体的で、さらに無我の境地をめざす方向性を持つものが多く、生と死のみが二項対立として残るだけになっているわけです。
なんでも日本は自分たちの文化に他の文化をうまく組み入れる天才ですから、もともと悪の大王であっても祀ってしまえばその力を守りに使えると考える独特の宗教観をもっています。そしてその中に、廃された対立部分として妖怪や幽霊の存在が残るのでしょう。しかしそれをも浄化せんとする民族的な考え方は大木の作品にも内在しているように感じます。
最後にちょっと変わった夜の作品を一つ挙げてみようと思います。
それはアストル・ピアソラの「ブエノスアイレス午前零時」という作品です。
ピアソラは日本でも大ブームとなったアルゼンチンタンゴの鬼才にして、バンドネオン奏者です。1921年にアルゼンチンのマル・デル・プラタに生まれたイタリア系の作曲家です。その後ニューヨークに移り住んでいた頃にジャズに触れたことが音楽を志す動機になったと言われます。母国に戻ると、バンドネオン奏者として活動を開始し、アルベルト・ヒナステラに師事し作曲を学びました。師匠がクラシックの作曲家だったため、純音楽の作品を多く残すこととなったのは極めて異質で面白い点ではないかと思います。
しかし保守的な単語業界に嫌気が差し、新しい音楽を求めてパリに渡り、ナディア・ブーランジェについて、クラシック作曲家を志したものの、ブーランジェの指摘は鋭く、タンゴを改革するという夢を持って帰国し、ブエノスアイレス八重奏段で早速その改革に着手しました。当然その姿勢は攻撃の対象となり、ニューヨークに活動拠点を求めたことで、新しいタンゴが一大旋風を巻き起こすことになったわけです。
そんな彼の曲は今では世界中で愛され「アディオス・ノニーノ」や「リベルタンゴ」は様々な編成にアレンジされて演奏されています。しかし「ブエノスアイレス午前零時」はあまり演奏回数は多くない曲の一つとなっています。実にユニークな曲なのでまずは聴いてみましょう。
Buenos Aires hora 0/Ástor Piazzolla
引用:Musescore
街を歩くようなオスティナートにノイズが兼ねられ、なんとも独特のムードです。途中にタンゴらしいメロディが現れますが、雰囲気は極めて怖い感じです。この怖さは何でしょうか。宗教観ですか?あるいはおばけの類?いいえ違います。治安の悪さではないでしょうか。結局のところ夜の住人で最も怖いのは人間なのでしょう。そんな危ない夜街を歩くひとりきりの自分。犬の鳴き声や、風がなにかを揺する音、そして不穏な空気。まさにその状況を知っているからこそ欠ける作品で、しかもその印象はユーモラスに聞こえます。夜の描き方も千差万別だなと思わせられる一曲ではないかと思います。
いかがだったでしょうか。
作曲家にとってよくあるお題「夜」について現代の例を紹介していきましたが、あなたが夜を描くならなにをどう描きますか?今日ご紹介した曲の中に共感できる作品はあったでしょうか。他にもたくさん「夜の曲」はあります。皆様も探してみてはいかがでしょうか。