名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

メキシコの作曲家 17世紀から現代まで

 

メキシコの作曲家ピックアップ

 

皆さんお久しぶりです。Gです。寒くなってきましたね。コロナも相変わらず東京では数百人の感染者が出続けていますが、感覚が麻痺して来たのか慣れてしまったのか外出してる人が多くなってきました。僕のいる大学でも課外活動を段階的に許可するそうです。感染者増やしたいんですかね…

 

さてそんな情勢でもホットな国がメキシコ!10月15日にはサルバドル・シエンフエゴス前国防相(72)がアメリカの麻薬取締局に拘束されたというニュースが話題になりました。麻薬カルテルと闘っているはずの国防相がまさかカルテルと繋がっているとは…まるでドラマのような世界です。

そんなホットな国の作曲家を色々調べてきました。中々興味深い人々が出てきました。資料不足故あまり詳しい記述が書けないのはご容赦ください。

 

・メキシコにはバロック音楽があった!

さて、記録を調べると、メキシコで最も古い作曲家たちは

Juan de Lienas(1617~1654)

Francisco López Capillas(1614~1673)

Manuel de Zumaya(1678~1755)

などの17世紀の作曲家が続々と出てきました。基本的には聖歌の作曲や大聖堂のパイプオルガン奏者です。

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時代区分的にはバロックに当たります。音楽の中心地であったヨーロッパから離れたアメリカ大陸の中ではこの17世紀という時期にヨーロッパ式の教会音楽が定着していること、また史料が現存していて尚且つ音源も再現されていることは非常に珍しいことです。

 

参考までに南米の他の国の最も古い作曲家は

ブラジル

Emerico Lobo de Mesquita(1746~1805)

アルゼンチン

Amancio Jacinto Alcorta(1805~1862)

・コロンビア

Oreste Sindici(1828~1904)

などで18世紀後半~19世紀初頭にかけての間といえます。

 

ただし少数のオペラを除いて大半は宗教音楽であり師弟関係などもわからなかったことなどから、これがメキシコ音楽の源流であるわけではないないようです。

 

・カルロス・チャベス

さて18世紀にもぽつぽつと作曲家は輩出されていますが19世紀の末にビッグネームが誕生します。

カルロス・チャベス(1899~1978)です。

フルネームはカルロス・アントニオ・デ・パドゥア・チャベス・イ・ラミレスといいます。

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1937年のチャベス

長え。

そんな彼は生涯でバレエ曲5曲、交響曲6曲、協奏曲4曲、その他多数の声楽、室内楽ピアノ曲などを作曲しています。なお作曲技術はほぼ独学です。

また音楽評論家としても有名で、2冊の本と200以上の雑誌の記事を投稿しています。

彼自身の活動もさることながら注目すべきは音楽教育者としての力でありメキシコ国立音楽院の院長に就任し後に「メキシコ4人組」と呼ばれる作曲家の全員に作曲を指導しています。現代のメキシコのクラシック音楽はこの人が基礎を築いたといっても過言じゃないかもしれません。

 

メキシコ四人組

・ルイス・サンディ(1905~1996)

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Daniel Ayala Pérez(1906~1975)

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サルバドール・コントレラス(1910~1982)

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ホセ・パブロ・モンカーヨ(1912~1958)

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こうしてみるとやはり中南米の泥臭さというか力強さといったようなものを感じますね。

メキシコ四人組にはカウントされていませんが、同じくチャベス門下の

Blas Galindo(1910~1993)

も中々好みの音がします。

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サムネがなんか気になりますけど…微妙にどの文明なのかわからない造形をしています。恐らく中南米の古代のものだとは思いますが見方によってはインドっぽくも手の印から仏教ゆかりのものに見えたりします。ガランドは150曲以上の作品を作った多作家でもあります。音源は総じてサムネがなんか変な像ですけど…

 

・現代音楽

さて、メキシコにおける音楽の主流は上記のチャベス門下の流れですが、やはりというか何というか、どの国にも突出して前衛的な音楽を作曲する人がいるものです。今回は2人ほど紹介します。

コンロン・ナンカロウ(1912~1997)

動画を見てもらえれば分かるのですがこれは自動ピアノ(Player Piano)という特殊なピアノを用いた作品です。トイドラ会長が持っているようなオルガニートと同じような構造で紙のシートに穴を空けて音符を記録した楽譜を用いて演奏します。自動ピアノは日本だと浜松の楽器博物館に一台だけ展示されているのを見たことがあります。

人間ではほぼ不可能な演奏も実機で演奏することが可能です。しかし打ち込みなどの技術の発達と紙のシートの管理の大変さなどから現在は生産されていません。

ナンカロウは自動ピアノに可能性を見出し多数の自動ピアノのための曲を作曲しました。最終的にシートに幾何学模様を打ち込んで作曲を行ったりもしました。今でいうMIDIアートのようなイメージですね。

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・Julián Carrillo(1875~1965)

この人はメキシコ国立音楽院で音楽を学んだヴァイオリストでした。どうも初期は割と普通な曲を作曲していたようです。

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しかし後期になると微分音に可能性を見出し最終的には半音間を16に分割する16分音を用いて作曲をしました。

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こうなるともう訳が分かりません。僕にはお手上げです。

 

 

さてメキシコの作曲家いかがだったでしょうか。バロックから始まり現代音楽に至るまで幅広い作曲家の層とその史料が充実していたことが個人的にはかなりの驚きでした。

所見を広げるためにもご意見ご感想などありましたら是非コメントをお願い致します。

それではまた次の国で会いましょう。

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渋谷系の時代⑥ トラットリア編

~前回の記事~

 

nu-composers.hateblo.jp

 

こんにちは。

今回はミュージシャン単体ではなく、とあるレーベルにフォーカスしていこうかなと思います。

 

それはこちら

 ソース画像を表示

トラットリアです。

 

トラットリアとは

トラットリアとは、1992年にポリスターというメジャーレーベル内に、小山田圭吾によって創設されたレコードレーベルです。

小山田圭吾が創設したため渋谷系という扱いを受けていますが(実際その側面も大いにある)、中身をのぞいてみるとブリティッシュ・ポップからノイズへと、相当アバンギャルドに展開されています。トラットリア(=イタリア語で"定食屋")なのは伊達じゃないですね。というわけでその中身をざっくり見ていきましょう。

  

ブリッジ

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ジャンルで言えばいわゆるネオアコに属します。カジヒデキがかつて在籍していたことでも有名です。フリッパーズギター解散により空いたネオアコ枠に上手く入り込んだようです(そう解釈している)。

 

 

シトラス

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非常にインディーな香りのする宅録ユニットで、個人的にめっちゃ好きです。

どの曲も基本滅茶苦茶短く、解散するまでついぞアルバムを出すことがなかったらしいです。しかしベストアルバムは存在するので、現在聴く分には困りません。

 

カヒミ・カリィ

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小山田の元恋人。たばこを吸う美人。良い。いわゆるウィスパー・ボイスの先駆け的存在です(もっと前からいるにはいますが)。あと、バックについてるミュージシャンが強すぎて曲が異常に良いです。

 

ASA-CHANG&巡礼 

KUTSU

KUTSU

  • provided courtesy of iTunes

現在は完全にヤバい曲を作ることでおなじみのASA-CHANG&巡礼も、初期はこんな曲を作ってました。今よりインド要素が強いですね。

ちなみにリーダーのASA-CHANG氏は元々東京スカパラダイスオーケストラのリーダーです。どうしてこうなった。

 

暴力温泉芸者

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中原昌也のソロユニットである暴力温泉芸者は、デス渋谷系の筆頭です。デス渋谷系とは所謂ノイズミュージックです。渋谷系全然関係ないです。売れるために、渋谷系を聴くファッションリスナーを殺すために安全そうなガワを被っています。

中原は文筆家としても活動し、最近はむしろそっちの方が有名です。

 

人生は驚きに満ちている

人生は驚きに満ちている

 

 

 

沖野俊太郎

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沖野俊太郎は、Venus Peterというバンドでブレイクし、解散後はソロで活動しています。聴いてわかるとおりアシッドジャズやファンクに影響を受けた、所謂渋谷系のイメージに近い作風となっています。ちょっと歌謡曲っぽかったり、逆に洋楽っぽいメロディーラインだったりして個人的に面白いです。

00年代にはアニメの主題歌をいくつも手がけ、海外ではむしろそっちの方で認知されてるとかされてないとか。

 

ムッシュかまやつ

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ムッシュかまやつは、60年代にザ・スパイダースというバンドで活動していたことで有名です。

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すげーUKロックですね。

正直ムッシュかまやつを一つのジャンルでくくるのは不可能なのですが、少なくとも90年代はファンク寄りの音楽を志向していました。若い世代のミュージシャンとの交流も活発に行っていたようで、新しいジャンルも貪欲に取り込んでいたようです。

 

 

ボアダムスとその一派

ボアダムス

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ハナタラシで活動していた山塚アイにより結成されたノイズバンド。正直渋谷系は全く関係ないが、90年代アヴァンギャルドを語る上で絶対に避けては通れない存在です。

 

ハナタラシ

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山塚アイのソロユニット。ライブハウスを破壊しまくったり、火炎瓶投げて一頃仕掛けたり(未遂)、本当に頭がおかしいです。これ一つだけで記事にできるレベル。

ちなみに山塚アイはトラットリア内にショックシティーというノイズミュージックのレーベルを立ち上げ、無数の作品を世に放ちました。狂気。

 

OOIOO

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ボアダムスのYoshimiOによるガールズバンド。チャットモンチーとかサイレントサイレンと同じ括りなので、めっちゃ安心して聴けますね。

このころはボアダムスとの差別化があまりされてませんが、次第にガムランなど民族音楽的なアプローチが多くなりました。

 

思い出波止場

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ボアダムス山本精一によるプロジェクト。個人的にめちゃくちゃ好きです。

フォーキーながら、どこか明らかに壊れた音楽です。

 

DJ光光光

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ボアダムス山塚アイの別名義。おそらくサンプリング主体の作品はDJ光光光名義で出してます。てかDJ光光光ってなんて読むんだ?

 

ボアダムス関連はここでおわりです。派生ユニットが多すぎますね。やれやれ。

 

 

補足・あまり長くてもアレなのでそろそろ〆る

トラットリアは上記の日本人ミュージシャン以外にもイギリスのインディーズや海外アーティストの再発を行っていました。というのもトラットリア自体が日英ポップスの交流の場として作られたからです。実際には当初のもくろみ以上に機能しましたが、2002年にレーベルは解散しました。多分、音楽出版の不況を受けて......。

しかし、92年から02年の10年間にリリースされた250の作品達は、きっと今でも聴かれ続けていることでしょう。中古で全然見かけないので多分そうだと思います(適当)。おわり。

マレーシアの今を聴く

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マレーシア

 我々はマレーシア生まれのコンテポラリー作曲家を何人挙げられるだろうか。

 そしてそんなマレーシアの作曲家のなかから、結構な頻度で武満作曲賞を受賞する作曲家が登場してきていることを知っているだろうか。

 

 日本人の悪いところでもあるのが、一つの考えを疑いもせず、更新もせずにいること。そのことをおかしいとすら思わず、変化に対して緩慢であり、踏み込んで言えば興味の外側のことについては存在しないのと同じと言えるぐらいに意識下に置かないという性質がある。マレーシアの音楽史について多くの人が完全に無知なのもそのせいであると言って良い。古い後進国としての捉え方から、一歩も変化しておらず、現実を見ようともしないばかりか、言われるまでそこにそれがあったことすら知らないでいる。そういう考えだからすっかり気がついたときには追い抜かされてしまっていることになるのだ。そう、マレーシアの現代音楽シーンはとてもラディカル、そしてとてもホットなのである。

 

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Valerie Ross

マレーシアの現代音楽の発生は詳しくはわかっていないが、それまでクラシック音楽の伝統がなかったところに、急に発生したということは間違いないようだ。

そのきっかけはインターネットの普及に伴う西欧文化流入が活発になったことが理由とされ、それ以前の先駆的な作曲家としては幼少期からピアノの才能を開花させ、ベルリンで学んだValerie Ross(1958-)が挙げられる。

音楽学者としてもしられ、比較文化の専門家でもあるようだ。

彼女の曲として最もよく聴かれるのはRegaslendro」という曲のピアノソロ版であるとのことなので、まずこの曲を聴いてみることにしよう。

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 こういった数人の先人の後に、西欧化の波に乗った若者は一気に海外に出ることになったようだが、それでも実態について知られるのはかなり後年になってからで、ひとつの大きなきっかけとして2002年にマレーシア・フィルハーモニー・オーケストラが自国の作曲家の作品を集めたプログラムでコンサートを行ったことが挙げられる。この際紹介された作曲家に、中国の西安音楽院で领英张大龙に師事、ブリュッセル王立音楽院Jan Van Landeghem、Daniel Capellettiに師事した後、Brian Ferneyhough、Daan Manneke、Peter Eötvös、Salvatore Sciarrino、Henri Pousseur、Hanspeter Kyburz等のマスタークラスを修了したという輝かしい経歴を持つChong Kee Yong(鍾啟榮)(1971-)の名がある。

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鍾啟榮

彼は若い世代の牽引役となったばかりか、マレーシアにおける現代音楽シーンをリードする存在としてその存在感を増してゆくことになる。現代マレーシアの幕開けを告げる重要な作曲家である。

そんな彼の作品から一つ聴いてみよう。

「モノドラマ」と題された室内楽曲であるが、たしかにその経歴に偽りなしといった、実に難解な曲想である。

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しかしどこか中華的、アジア的な音が随所に聞かれ、彼の民族性がそのままそこに名刺のように置かれているのはとても面白いことではないだろうか。

 

さらにその後、2002年に武満作曲賞を受賞したことで話題になったTazul Izan Tajuddin(1969-)の名が登場する。

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Tazul Izan Tajuddin

彼はガムランイスラム音楽の構造コンテンポラリーミュージックの発想に活かす手法を確立、Leonardo Balada、 Juan Pablo Izqueirdo、 Reza Vali、 Michael Finnissy、 Martin Butler、Jonathan Harveyに学び、Franco Donatoni、Brian Ferneyhoughのマスタークラスを受講、Iannis XenakisPierre Boulez細川俊夫などに薫陶を受けたというこれまた輝かしい経歴を持っている。

彼の作品も民族性ということを極めて重要な柱としている点は重要である。

それが端的にわかる「In Memoriam」という作品を聴いてみよう。

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民族楽器によるソロがフィーチャーされ、西洋前衛手法との統合や、離反みたいなものが舞台の上に展開される。極めて独特で、ある種活力のある音風景である。

 

その後のマレーシア音楽シーンはこれら先駆的世代の牽引を受けて、一気にラディカルに花開いてゆくことになる。

 

 先述のChon Kee Yongを中心として、MPOというフォーラムに国内外から集まった作曲家には、指揮者やサックス奏者としても活動しているAhmad Muriz Che Rose(不詳)、声楽作品を中心にオーケストラ作品も発表しているVivian Chua(不詳)、ペルシア音楽をベースにしたオーケストラ作品や、オペラまで手がけるJohan Othman(不詳)や詳しい活動内容が未だ紹介されていないTay Poh Gekなどの名に続き、Edwin Roxburgh、Joseph Schwanter、Christopher Rouse、David Liptak、Augusta Read Thomasらに師事した経歴でも分かる通り、若手注目株のAdeline Wong(黃靜文)(1964-)、多くの受賞歴を持つ国際的ピアニストでもあるNg Chong Lim(1972-)、饶余燕に師事し現在売出し中のTeh Tze Siew(郑适秀)(不詳)、伝統楽器に根ざした新しい音楽を創出するYii Kah Hoe(余家和)(不詳)、アンサンブル作品などで知られ始めているMohd Yazid Zakaria(不詳)といった顔ぶれがあり、マレーシアの層の厚さが感じられるまでになっている。

 

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マレーシアの民族性

 マレーシアの音楽的背景とはなにか。それは多人種国家であることであろう。これまで挙げてきた作曲家の名前からも分かる通り、マレーシアには数系統の人種的な血脈があり、国内では度々衝突事件が発生するなど、その関わりについては平和的なものだけではなく実に複雑であるという。
 マレーシアの国名からも分かることであるが、主たる人種はマレー系であり、およそ65%を占めているが、これも少数民族を含んでおり、その構成や部族については想像より複雑である上に、もともとヒンドゥー、仏教を主としていたところに、アラビア商人がイスラム教をもたらしたことで改宗が広まり、殆どがムスリムとなったという背景も複雑さを助長している。
 ついで、中華系であるが英国植民地時代に錫鉱労働者として入ってきたのをルーツとするもの、それ以前から貿易商として入っていたもの、さらには政治難民に至るまでこちらも複雑である。また本土の中国語とは異なり広東語などの南方方言を用いており、自分たちの話す中国語を华语と呼んで本土のそれとは区別しているのだという。さらに錫鉱労働者とは違い、もともと英国人として支配層であった、英語を母語とする中国人もおりプラナカンとトトックと呼んで区別があるようである。
 ついで多いのがインド系住人である。南インド系を主としており、こちらもイスラム教改宗組、シーク教徒、出稼ぎ労働者と非常に複雑であるとのことで、単一民族国の我々からは想像もできない状況にあるようだ。

 上述する通り、民族の多用さは音楽の多用さでもあり、特にムスリムの音楽、仏教、ヒンドゥー教に由来するもの、そして中華系の音楽はそのルーツとしてもっとも色濃いものとなっているのは間違いのないところである。さらに言えば、周辺国からの影響もあり、ガムランなどの音楽の流入もあって、音楽の嗜好についても我々からは想像もできない複雑な背景があるようである。

 

 そういったマレーシアの音楽にあって「今」を代表する一人を最後に紹介しようと思う。それがZihua Tan(陳子華)である。

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Zihua Tan

 Zihua Tan1983年にマレーシアに生まれた。名前の表記からも分かる通り中華系の家柄である。

 音楽的なバックボーンは、John Rea, Philippe Leroux, Chaya Czernowin, Johannes Schöllhorn, Vinko Globokar, Mark Andre, Brian Ferneyhough, Tristan Murail, Stefano Gervasoni, Rebecca Saunders, そして Francesco Filideiに師事したとあり、非常に充実したキャリアと言えるだろう。特にCzernowinやFerneyhoughそしてMurailの名が示すとおり、現在の現代音楽のシーンにおける花形師匠の系譜にあり、その精神はこれまでこのシリーズでも度々語ったとおり、複雑な演算と倍音操作に特徴が置かれるタイプの音楽であることは容易に想像がつく。
 彼の名が一躍知られたのは2017年の武満徹作曲賞の2位に輝いたことだろう。この年の審査員はHeinz Holligerであり、受賞作はT.S.Eliotの詩に触発されたというオーケストラ作品「at the still point」であった。Holligerはこの作品を評して「夢のような風景が繰り広げられ、植物も音もなくなった砂漠のがあって、何層にもなるミステリアスな音がオーケストラから生み出されている。」としている。なおHolliger自身はこの年の作品傾向を纏めて「もう少し規模の小さい作品も聴きたい」という言葉に凝縮させており、それは作品の持つもう一つの側面を欠点として挙げた意味があったようだ。すなわち「抑制的に書くことがなされていない」という部分である。

 

 彼の曲ではピアノの内部奏法が非常に多く使用されるなど、その経歴に違わない複雑性と前衛性を身につけているが、私が特に感心した曲を一つ紹介しようと思う。

それは「Silent Spring」と題された、打楽器三重奏の曲である。

 

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 この曲の舞台セッティングは上記のようなもので、中央のドラ両サイドには自転車のホイールが置かれている。
 ドラには演劇的な動きも求められ、ぶつかり、ひっかき、あるときには抱きつくなどの動きが見られる他、自転車のホイールは回してノイズを得るだけでなく、たたき、擦り、弓で弾くなど様々な方法でこのマテリアルから音を取り出してゆく。残念ながら楽譜は未出版であるが、この曲には彼の生まれたマレーシアという国での原初体験が眠っているように思えてならない。
 つまりそれは生活の足として身近な自転車であり、経済の高揚とともに聴こえる工業の音であり、それら「国全体から」湧き上がるノイズ、そして中華系としてのルーツに、彼の音の眼差しの原点があるのではないかと思えることである。

 

 このように数名の作家の作品を見ていくと、とても民族主義的要素、そして個々の原初体験というものが直截に表されている反面、国としての音楽の傾向があるわけではないという点に気が付かされる。

 複雑な多民族国家であること、それぞれのルーツが異なることがそれらの主な原因であるのだろうが、加えて言えば、それだけ個人様式が浸透しているとも言えるのではないだろうか。

 ポスト・モダンが言われだして久しい昨今、潮流というものはいくつかはあるものの、グローバル化の中でそれらは段々と境目がなくなり、寧ろ混沌とした差のない世界音楽になるように思われる中、かつて紹介したアイスランド人の作曲家もそうだが、そういった最先端の手法を、自らの原初体験や民族性に回帰した形で、新しい民族音楽を創出しているというのが、皮肉にも「今」の時代なのではないだろうか。

 日本人は他国の文化を取り入れ、自分たち様に変化させる天才と言われてきた。しかし日本の前衛の「今」はどうだろうか。そこに「日本」はあるのだろうか。

 否、勘違いしズレきったクール・ジャパンがあるだけだ。

 

 

唯一神バッハの欺瞞と神の超克

 「あーなーたーの髪の毛ありますかー」
の替え歌で知られる、『小フーガト短調』。中学生の頃、誰もが学校で習った曲だろう。しかし、この曲の凄まじさを知っている人は意外なほどに少ない。多分音楽の先生も知らないだろう。知っていたとしたら、授業に熱が入らないわけがない。

 『小フーガト短調』の作曲者は、所謂"音楽の父"、J.S.バッハだ。バッハはバロック後期の作曲家であり、膨大な数の作品を残すと同時に、西洋音楽の基礎を構築した作曲家でもある。しかし、その音楽の響きは正直、総じてつまらない。いわゆるクラシック音楽という感じで、ワクワクするようなリズムもなければ、工夫に満ちたハーモニーもない。ただただシンプルを極めた響きが、延々と続くだけだ。BGMとして流れているならまだしも、これだけを集中して何十分も聞くなど苦行に近い。少なくとも僕はそう思っていた。

 しかし、楽譜を分析してその意見は根本から変わった。バッハの音楽は、現代の音楽とは全く違った視点から書かれている。全ての旋律がメロディとして等しい価値を持ち、緻密に絡み合い、歌っている。それは異常なことだ。バッハの音楽には、極めて数学的・パズル的な凄まじさがある。例えるならば、何のヒントもない状態で巨大なクロスワードパズルを完成させた上、全ての単語を繋げたら美しい詩文になっていたという感じだ。パズルを完成させるところまでは出来ても、それで文章を紡ぐなど人間業ではない。バッハが生涯をかけて完成させたこの音楽形式は「フーガ」と呼ばれ、今でも音楽の最重要概念に数えられている。

 バッハの音楽は、所謂「絶対音楽」だ。つまり、例えば「夕日の綺麗さをイメージした」とか「失恋の悲しさを表した曲だ」というような具体的なテーマはない。ただ純然たる音楽としてだけ、その存在があるのだ。それに加えて、彼の曲は数学的に精緻な作りになっており、どこか自然物の美しさ──例えば、ひまわりの種が放射状に並ぶ様子とか、魚の体表の美しい模様とか──に通ずるものを感じる。以上のことから、僕はバッハに対して「神」という概念を強く意識するようになった。絶対的存在であり、不完全な肉体を超克したもの。バッハの音楽は感情を込めて弾くのが難しいと言われるが、それもそのはずだ。神の領域に達した音楽には、卑俗な感情の匂いは感じられない。

 僕は、バッハの音楽を批判することが不可能なのではないかと考えた。単なる響きの好き・嫌いを超えた場所、人間の論理で語れる地平を超えた場所、そこにバッハがいる気がしたからだ。つまり、「神は越えられない」のではないかと思ったのだ。しかし、ある現代作曲家の先生にそのことを話した折、極めて面白い言葉をいただいたので紹介しておきたい。

〝料理であれ薬であれ、作品を挟んで、大切なのはその前だけではなく、その後も大切だ(前だけで分かってくれ、食事などしないのは、神。
バッハはそのような神を終生、設定しきっていた。なぜなら神は糞など垂れてはならないからだ!)”

 バッハの音楽は絶対的な存在であり、神がかったものだったのは間違いない。バッハの音楽は"作品の前"から見た場合はあまりにも完璧だったからだ。しかし、"作品の後"から見た場合むしろ徒爾に過ぎないと先生は言った。どういうことか。

 バロック時代、バッハは最先端の作曲家だった。最新鋭の技法を開発し、それを実用化した。そうして生まれた音楽の数々は、今でも越えられることのない壁として厳然と立っているように思える。しかし、それは本当なのだろうか。現代はもはやバロック時代ではない。事実、バッハの時代から音楽は途方もない進化を遂げ、当時は有り得なかった芸術的表現の数々が実現している。バッハの音楽など、とうの昔に超克されているはずなのだ。にも関わらず、「バッハの音楽は越えられない神だ」などと未だに囁くとすれば、それは懐古主義だ。──いや、懐古主義というより、むしろ思考の放棄かも知れない。

 音楽は進化する。突然変異を起こす。どんなに絶対的に思える音楽も、必ずいつか打ち壊される。そしてその時、自分を打ち壊したそれが「突然変異した自分」だったことを知る。ある音楽は、自身の分身によって超克されるのだ。音楽史はそれを繰り返してきた。だから終わることがない。自己がある限り、非自己もまた必ず存在するからだ。そういう意味で、バッハは神であると同時に罪人でもあった。僕は作曲家として、バッハを超えなければならないだろう。もう超えているとしたら、そのことに気づかなければならない。

 人間が不完全である以上、神は超えることができる。人間に想定しうる神の姿もまた不完全だからだ。そのことに僕たちは気付かなくてはいけない。芸術に何か社会的な意味があるとしたら、「神を超える方法を教えてくれる」ということかも知れないが、それは僕にとって正直どうでもいい。僕はただ、神を神としたまま超えていくことができる、ということが嬉しくもあり、同時に恐ろしくも感じられるだけだ。それは、終わりのない生命と芸術の輪廻を意味する。

トリップへようこそ~サイケデリックトランスの世界《後編》

 

〜前回〜

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はじめに

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みなさん、脳内物質キメてますか。どうも、gyoxiです。

 

そろそろサイケの後編記事書くか~と思って下書き掘り起こしたら、保存日付が去年の11月になっていました。遅れてどーもスンマセン。

 

さて後編はサイケデリックトランスの細かいジャンル分けの話でございます。 「そもそも細かいジャンルなんて気にするもんじゃねぇだろ、なんでわざわざジャンル分けしていくんじゃ」、というご意見もあると思います... それはそう、一曲が複数ジャンルの要素を持ち合わせていることなんてザラにありますし、個人の印象によっても分類の仕方は変わってきます

でも、ジャンルって知っておくだけで「あっ、こういう雰囲気の曲が聴きてぇ!!!」ってなった時に、自分の求める雰囲気の曲に着地しやすいんですよね。

なので今回は、「自分の好きなサイケトランスにたどり着けるようになる」ことを目標に、サイケトランスを個人経験の主観と偏見まみれで雑に、大雑把に解説していきたいと思います。紹介してる音源とかも「いやこれ絶対ジャンル違うだろ!?」ってのもあるかと思いますがご容赦を...

 

それでは順に見ていきましょう!!!

 

これがサイケのジャンル達だ!

Goa


X-Dream - Children Of The Last Generation


Veasna – Energy (GOA)

まずはGoa Tranceから。ヨーロッパで生まれたトランスがヒッピーカルチャーの聖地であるインドのゴアに持ち込まれてできたのがGoa Trance。聴いていて分かるように、なんというかこの...いかにもインド”って感じのメロディが特徴。レコード・CDのジャケットなんかでもヒンドゥー教の神様が描かれていたり、フラクタル文様が描かれていたりと、「あーこれはインドだなぁ!」って香りを強く感じるものが多いですね。

 

Psychedelic Trance・Psytance

お次はPsychedelic TranceとPsytranceです。この2ジャンル名前は似ていますが違うものらしく、Psytranceについては、

This subgenre organically fits between Progressive Psy and the classic Psychedelic in the BPM range, combining the best elements of these two.

 http://psytranceguide.com/

 ...という事らしいですが自分は完全に混同しています。というよりそもそも「Psychedelic Trance国(別名Psytrance国)の中にGoa地方とかFull-On地方とか、地方都市(ジャンル)が散らばってる」くらいのイメージでしか捉えてなかったです。

ま、サイケのジャンル内の一番ベーシックなスタイルとでも考えておきましょうか。代表的な曲、と言われてもこれに関してはマジでイメージが湧かないので曲紹介はパスで。気になる人はyoutubeで「psychedelic trance」とでも検索しましょう。きっと無難なのが出てきますよ、多分。

 

Full-On


Vibe Tribe - Rearranged


Artsense - New style

イケトランス、と言われてこのジャンルを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。個人的には「カッコ良さにステータスを振ったサイケ」というイメージですね。ベースラインが特徴的で、一般的な(?)サイケが割と単調なのに対し、Full-Onはデケデケデケデケ→デケデケ↑デケデケ↓だったりとベースラインが動くのも特徴の一つかと思います。あと、メロディラインも音色豊かに尖っていて、なんというか、こう、カッコイイですよね(語彙力)。

 

Progressive


SoundFanatic - L.S.D


Rye Smugglers - Customs Maiden, Progressive Psytrance

こちらは展開重視サブジャンル。他ジャンルに比べて壮大さがマシマシになっていたり、曲に緩急がつけられていたりとその展開の仕方も様々です。こちらもFull-Onと同じく、今のサイケシーンを支える一大ジャンルです。ちなみに2曲目みたいな明るめのProgressiveは”Morning Psy”なんて呼ばれてたりもしますね。Morning Psy、結構好きです。

 

Dark Psy


Fraktal Noise - Paranoic Disaster


Get Funkier

一気に雰囲気変わりましてお次はDark Psy。名前の通り、サイケ独特の「ダークさ」「不気味さ」が存分に摂取できるサイケです。DarkPsyの別名に、「エイリアン」という呼び名もあるらしく(初めて知った)、ビコビコ感や電子感(?)が強いのも特徴ですね。

 

Forest


02 - Abducted Brain - Reptilian Illusions (148BPM) Darkpsy/Forest


Ectogasmics & Mubali - Apocalypsis

自分の好きなサブジャンルの一つです。言ってしまえばDark Psyの派生系。Dark Psyからビコビコ感・電子感が差し引かれ、より単調に、不気味に、暗く進化してできたのがこのジャンルです。DarkPsyが宇宙ならForestは密林奥深く、と言った感じでしょうか。ジャケットイラストも鬱蒼とした森感のあるものが多いですね。個人的にはこれ聴いてる時が一番トびます。

 

Hitech


Cosmo - Acid Monster (darkpsy)


Alien Chaos - Killerbugs

速く、より速く...そんな進化を遂げたのがHitech。音的にはDark PsyやForestに近いので、「速くてDarkなジャンルだな」と覚えておきましょう。BPMも200越えのものがあったりと、いやぁ攻めてますね。音は暗いのにテンポはアッパーなので、聴いてると脳と心臓がへんなかんじになってきもちいいです。

 

Suomi


Squaremeat - Golden Accordion


Bechamel Boyz - Tosi Anssi

サイケは北欧フィンランドの地にて独自の発展を遂げたのだ。。。別名、Suomisaundiとも。聴けば分かる、確かにこれはサイケなんだけど、なんだこれは。なんだこの滲み出る変人・変態感は。最高。大好き。愛してる。ベースラインもフリーダム、音もグニャグニャ。ちょっと自由すぎやしないか?って感じのジャンルがこのSuomi流石白夜の国、クレイジーだぜ(褒め言葉)。

 

Psybient


DohM - Silent Existence


Iacchus - Yurgen

名前からお察しの通り、サイケデリックアンビエント。テンポゆっくりで、怪しくて、サイケデリックなやつ。別名Psychill。個人的にはDowntempoってジャンル名で認知してましたが、これらのジャンル名が同じジャンルを指してるかどうかは...ワカンネ。自分がサイケ知った最初の最初のころはDowntempoばかり聴いていました。ボーっと聴いてるとたまにブワッと鳥肌立つ瞬間が来て、最高。

 

 

もっと聴きたい!もっと知りたい!

さて、一通りジャンルを紹介した訳ですが、紹介してないジャンルもあったり、冒頭に書いた通り個々人によってジャンル分けの方針は異なってくる訳で。「もっと詳しくサイケのこと知りたい!!」という方や「お前の説明はどうも信用ならん」という方も多くいらっしゃると思うので、自分が良く使用してたサイトこれいいな!と思ったサイトも紹介させていただきます。

 

Psykelopedia

Psykeさんのブログ。各アーティストやアルバムにフォーカスした記事から、ジャンル定義の考察の記事まで、サイケ好きにはたまらない記事が盛りだくさん。また、「属性」というタグで、曲紹介記事は分類されているので、「こういう雰囲気の曲が聞きたいんだけど」というときは、このタグを手掛かりに好きな曲を探すのも良いだろう。ジャンル紹介記事も必見だ。

psytrance101.hatenablog.com


Psytrance Guide

Psytranceのジャンル紹介の海外サイトページデザインが綺麗でとても見やすい。また、各ジャンルについて精緻に説明がついており、それぞれのジャンルについて、著名なアーティストとレーベルの紹介もされている

psytranceguide.com


Ektoplazm

サイケのフリー音源ポータル。現在は更新が止まってしまっているが、莫大なフリー音源が紹介されており、MP3・FLAC・WAVでダウンロードできるこのサイトが無かったら自分は、サイケを聴き込むことはなかっただろうし、この記事を書くほどサイケにはハマっていませんでした(自分語り)。

ektoplazm.com

 

ざらしサイケデリックトランスのサブジャンル解説

最近UPされた、DJもこもこあざらしさんのブログ記事。こちらもジャンル解説の記事だが、2010年代前後にはクラブでどんなジャンルが流されていたか、現在クラブでどんなジャンルが流されているかという視点も盛り込んで様々なジャンルが解説されている。このブログで紹介されてる「ミドル系」って括りは自分も全く知りませんでした。いやぁ、勉強になります...

note.com

 

 

おわりに

さて、後編ではサイケデリックトランスのジャンルについて解説し、それに関連してオススメサイトをいくつか紹介しました。色々と抜けている部分はあると思いますが、サイケデリックトランスをあまり知らなかった人は、このブログがサイケを知るキッカケとなれば幸いです。

そして、サイケに興味が湧いてきたというそこの貴方。自粛ムードが収まったら是非是非クラブへ出向いてサイケを浴びてみてください!!きっとドップリ楽しめると思いますよ!

 

それではまた!

HAVE A NICE "TRIP"!!!

 

渋谷系の時代⑤ ORIGINAL LOVE編

はい、忘れ去られたころに戻ってくる渋谷系の時代のお時間です。

 

~前回の記事~

 

本当に久しぶりに書くっぽいですね。草。

 

前回までに渋谷系御三家と言われたり言われなかったりするFLIPPER'S GUITERPIZZICATO FIVEを紹介したので、残りのORIGINAL LOVEをやります。

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ORIGINAL LOVE

一応本人たちは、ORIGINAL LOVE渋谷系ではないと公言してますが、渋谷系は音楽ジャンルではなく、90年代の渋谷で売れたら問答無用で渋谷系なので、気にせず渋谷系に分類しましょう。

 

1985年 結成

田島貴男秋山幸広小里誠により前身バンドThe Red Curtainが結成されました。この後ギターが増えたりなんだりがあり、1987年にORIGINAL LOVEに改名します。

このころは特にアルバムとかは発売してないためまとまった音源はありませんが、オムニバスアルバムに提供した曲が2曲ほどあるようです。

この時点で御三家のほかのふたつとは明らかに雰囲気が違うのがわかりますね。

どっちかというと山下達郎とか80年代シティポップっぽい気がします。コーラスワークがゴスペルチックだったり、ファルセットの合いの手があったりするせいかもしれません。

さらに言えばほかの二つのボーカルがなよなよ系・かわいい系であるのに対し、オリジナル・ラブのボーカルの田島は声がかなりマッチョなのもあり、渋谷系特有のナイーヴさがあまり感じられないですね。本人が渋谷系じゃないとキレるのも納得がいくくらい別物です。

 

1988年 田島、ピチカート・ファイヴに加入

小西に目を付けられた田島がピチカート・ファイヴに加入しました。ここら辺の話は前回の記事にも書いてあります。

 

二足のわらじで頑張りながら、インディーズで1stアルバムORIGINAL LOVEを完成させました。どうでもいいですがセルフタイトルアルバムってめっちゃカッコよくないですか?アニメの最終話のサブタイトルがアニメのタイトルになってるくらいかっこいいと思っています。

しかしこの時の音源がどこにも転がってないんですよ(CDは売ってる)。どうやらピチカート・ファイヴに入るとなると制作ができないから作っちまおう、的なノリで作ったらしく、録音の仕方が相当適当だったらしいです。そのため田島が黒歴史認定しているとか。

 

まあそんな感じで1,2年の間、田島がピチカートでお留守なので、ORIGINAL LOVEとしての活動は減少しました。

 

1990年 田島、ピチカート・ファイヴをやめる

さすがに二足のわらじはキツかったので、ピチカートをやめてきた田島。しかしそれと入れ替わるようににオリジナルメンバーの秋山が脱退。もうオリジナルORIGINAL LOVEじゃねえ。

その後メンバーが入れ替わったり増えたりして、この形になりました。

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この形

 

1991年 メジャーデビュー

シングル「DEEP FRENCH KISS」でメジャーデビュー。

この後にメジャー1stアルバムLOVE! LOVE! & LOVE!をリリースしました。このアルバムは黒歴史へのリベンジであるだけでなく、第33回日本レコード大賞ニュー・アーティスト賞を受賞しました。

 

さらにはドラマとのタイアップで知名度が向上します。メジャーデビューするとはそういうことです。

めっちゃファンキーでカッコよい。やっぱり渋谷系というよりはシティポップっぽいんですが?なんで渋谷系にカテゴライズされてるのか意味わかんないですね。フロントマンがピチカートファイブに在籍してたからってだけで渋谷系にしてね?

 

そんなかんじで一躍スターダムをのし上がったORIGINAL LOVEですが、ここら辺から田島の曲提供が始まります。たとえば最近悪い意味で有名な石田純一に曲を提供してます。

 

曲名がジゴロで腹筋が崩壊できるんですが、歌詞が完全に石田純一のそれすぎて笑いが収まるという恐ろしい曲です。今回は石田純一の紹介ではないので、石田純一への言及はこれくらいにしておきましょう。曲はいかにも田島っぽくてかっこいいと思います。

 

1993年 接吻が売れる

みんな大好き接吻が発売されました。

改めて聴くと田島貴男が愛を歌うのと石田純一が愛を歌うのとではここまで違うのかと驚嘆します。

 

余談ですが、何年か前に接吻をパクった疑惑が生じた曲がありましたね。

サビの冒頭がほぼ一致という快挙。

超好意的にとらえると、良いメロディはいつの時代にも受け入れられるんだな~と思いますね。ちなみに僕はパクリ・パクリじゃないにかかわらずこの曲が本当に嫌いなのでどうでもいいです。まあ接吻を聴かずに音楽業界を生きることはほぼ不可能なのでは?とは思いますが。

 

 

さて話を戻しますと、実はこのころからメンバーの離脱が相次いでいました。

で、最終的に1995年に田島だけになりました。つまり現在のORIGINAL LOVEは田島のソロユニットなのです。ただ、ワンマン感の強いバンド(例:くるりとかくるりとかくるり)はめっちゃメンバーが入れ替わる傾向があるので、メンバーが在籍していたときから実質ワンマンバンドだったかもしれないですが。

 

以降インプロ的側面が強くなり、

今こんな感じになっています。今が一番かっこいいのではないか????????

ひとしきり歌った後に始まるインプロタイムが個人的にツボです。ぜひライブでみたいですが、そんなこと言ってられなくなっちゃいましたね。つら......。

 

というか

完全にソウルミュージックでは??渋谷系よりも10年ほど前に流行ったソウルミュージックではないか??

今回、渋谷系の基準が「90年代に渋谷で売れた」以外の何物でも無いことを改めて感じました。では。

 

 

我が国の作曲家シリーズ004 「三谷俊造」

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シリーズ我が国の作曲家

 名作同の企画連動記事や、大作曲家の追悼記事などでご無沙汰となっていた本シリーズ、久しぶりの今回は三谷俊造を取り上げます。
といってもその名前にピンとくる人は極僅かなのではないでしょうか。
何よりその作品に触れたことのある人は、もっともっとずっと限られてくると思います。


ほぼ作品は失われた…はずだったのですから。

 

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月刊楽譜

 皆さんは、かつて日本で「月刊楽譜」という雑誌が発刊されていたのをご存じでしょうか。
現在も大手楽器店として発展を続けておられる「山野楽器店」等の頒布により、1912年から1941年まで30巻10号まで発行されていた雑誌です。
この雑誌には菅原明朗氏や大田黒元雄氏などによる論評の他に、ある巻まではピアノ曲や器楽曲、歌曲などの楽譜の付録がついていました。

 ちょうどこの頃の日本のクラシック音楽事情を研究してた私は、これらが国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料として遠隔閲覧できることを知り、地元の中央図書館にその詳細を見に行ってきました。
そうして、その中からとりあえずピアノ曲を抽出してリストを作り、これらから古書として入手可能なものを古書店で購入し、不可能なものは先述の遠隔閲覧を頼って目を通し始めました。
すると1934年発行の「第二十三卷 十一月號」に奇妙な作曲家名を発見することになりました。

dl.ndl.go.jp

 

「サン・タン」

 

 この号には伊藤宜二(1907.6.2-2003.9.6)という小津安二郎映画作品他、劇伴作品を中心に作曲していた人物の作品も同時掲載されており、何らかの関係があるのかとあちこち調べてみましたがめぼしい資料には出会いませんでした。
「サン・タン」響きとしては中国系の人名か、あるいはフランス系でしょうか。とにかく謎だらけの出会いです。
そして掲載曲のタイトルは「Primula Sinensis」とこれもパッと見では意味がわかりません。

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Primula Sinensis

 Primula Sinensisとは調べてみると「寒桜」を意味する学名であるようです。
桜といっても所謂さくらそう科」の植物なので、樹木の桜とは違いますが、なるほど桜の花に似た雰囲気のある花を咲かせるんですね。

しかしいっこうにサン・タンの謎は解けません。
次の手をどう打つか考えているときにあることを思い出しました。

先程の月刊楽譜には掲載付録の作曲者のコメントが必ず載せてあるので、それを読めばなにか分かるのではないだろうか。

 もう一度図書館に走り、当該ページを参照してみると、曲の説明の代わりに別の津川なる人物がこの曲についての説明を書いていおり、それを読むとだいたい以下のようなことがわかりました。

・サン・タンは偽名である
・実際は三谷俊造のことである
・早くに渡米して活躍している人物である
・本誌掲載に当たり堀内敬三に「San Tan」の匿名で曲を寄せた
・堀内氏はその趣を大切にその名のまま掲載した

サン・タン=三谷俊造

 その素性がやっとわかりました。しかしこの名前を聞いてもピンとくる人は殆どいないでしょう。
 Wikipediaには同人の項目がちゃんとあって、結構しっかり纏められているのでここに引用したいと思います。

ja.wikipedia.org

 

1885年(明治18年)12月25日に兵庫県に生まれキリスト教に入信したのをきっかけにオルガンを通じて音楽に出会い、本格的に学ぶために1904年に渡米したとあります。
 日本初の音楽留学は幸田延(1870.4.19-1946.6.14)が米国に渡った1889年であるはずなので、三谷の渡米はそれから15年後、日本人としてはやはりかなり早い時代の留学ということになります。

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幸田延

 しかも三谷はそのままアメリカに住み、研鑽を積み上げて米国における初の日本人教育学博士となるに至っています。
様々なアメリカの学校を渡り歩き、ピアノ、指揮、作曲を学び、自らピアニストとして活躍していたとのことですから驚くべきことです。

 ちょっといい方は悪いかも知れませんが、作曲を学んだ師はそれほど有名ではなく、はっきりと名前のわかっている人としてはWalter Keller、Stillman Kellyのみのようです。

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大東亜戦争

 ともあれ米国でどんどんキャリアを積み上げていった三谷ですが第二次世界大戦の勃発で運命が狂ってしまったようです。
 日本は米国から見れば当然敵国なので、敵国人として失職に追い込まれた上、かなりの差別を受けたと記録にあるようです。
 そしてさらなる悲劇が三谷を襲います。それは自宅の焼失です。

 

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大澤壽人

 早い時代に海外留学を遂げ、そのまま海外で活躍して凱旋帰国、後年そのあまりにもモダンな作風で書かれた曲が大量に見つかった作曲家として、ナディア・ブーランジェ門下の大澤壽人(1906.8.1-1953.10.28)がいます。
 彼の場合その作品がちゃんと保管されて「生き残って」いたので後年の再評価に繋がったのですが、三谷の場合この自宅の焼失で殆どの作品が失われてしまったことから、早い留学と米国での活躍という、当時の金字塔というべき経歴に反して歴史に埋没してしまったものと思われます。

 実際どのような曲を書いたのかもよく分かっていないようであり、本人が日本でのコンサートで自ら振った第二交響曲「太平洋」のみが記録されているに過ぎません。
恐らくこの曲のスコアも失われてしまったことでしょう。

 

そうそうそんな三谷氏のご尊顔を見てみたいとは思いませんか?

 

日本語で検索してもほとんど情報が出てこないのでもしかしてと思って英語で調べてみると、やはり写真が残っておりました。

 

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三谷俊造

 おお、なんだか雰囲気がありますね。スーツ姿も決まっていてちょっとこの時代の日本人にはないオシャレのセンスを身に着けておられます。

 そして三谷氏の眠られる墓地についても調べることが出来ました。
Hillsboro Mennonite Brethren Church Cemeteryというところに眠っているとのことですが、Wikipediaの記述と生年月日が異なります。

 お墓の記載のよれば1885年12月15日生まれ、1972年7月11日に亡くなったとなっており、墓石にしっかりそのことが彫り込まれています。

 

話をPrimula Sinensisに戻しましょう。

 そう、恐らくこの曲は匿名で堀内敬三氏に送られ、月刊誌に掲載されたことで焼失を免れることになった唯一の氏の作品かもしれません。
 曲はとてもゆったりとほの暗く、ドイツロマン派の情緒を感じる美しい曲になっています。
 また和声進行に特徴的な部分があり、これは当時のアメリカでは結構見られる進行なので、そういったものを取り入れたのではないかと思わせます。
 しかしメロディにははっきりと日本的な音形、スケールチョイスがされておりはるか米国から日本を思って書いたのだろうということがすぐに想像できます。

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Primula Sinensisの第1ページ

 このように楽譜の作曲者欄には「By. San Tan」とあります。なぜサン・タンなのかはわかりませんが、三谷の「み」は「さん」とも読みますし、谷は「たん」と訛ることもあります。
なので個人的には「三谷」をもじって付けたのではないかと考えていますが、本当のところはどうなんでしょうか。

 

 皆さんはこの「すべてを失ってしまった」偉大な先人の音楽を聴いてみたいと思いませんか。
 私はその興味が押さえられず、自分のYouTubeで展開するチャンネルの題材に選び、早速データ化していきました。
 打ち込みではありますが、なるべくなまで演奏した質感が出るように工夫して作っているつもりです。しかし最終的には全て生演奏音源に切り替えてきたいですね。
 ギャラは出なくとも音源化に協力するよというピアニスト、その他声楽家、楽器演奏者の方は是非コメントを下さい。

 

ということで失われた響きを蘇らせてみましょう。

San Tanこと三谷俊造作曲の「Primula Sinensis」です。
ゆっくりお楽しみください。

www.youtube.com

 

いかがだったでしょうか。

なおこのRMCというチャンネルでは毎週水曜日こういった発掘系の楽曲や、演奏歴の少ない現代の作品を(いまのところ)打ち込み音源にてご紹介しています。

よかったらチャンネル登録してみてください。

 

それでは今回はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございました。