我々はマレーシア生まれのコンテポラリー作曲家を何人挙げられるだろうか。
そしてそんなマレーシアの作曲家のなかから、結構な頻度で武満作曲賞を受賞する作曲家が登場してきていることを知っているだろうか。
日本人の悪いところでもあるのが、一つの考えを疑いもせず、更新もせずにいること。そのことをおかしいとすら思わず、変化に対して緩慢であり、踏み込んで言えば興味の外側のことについては存在しないのと同じと言えるぐらいに意識下に置かないという性質がある。マレーシアの音楽史について多くの人が完全に無知なのもそのせいであると言って良い。古い「後進国」としての捉え方から、一歩も変化しておらず、現実を見ようともしないばかりか、言われるまでそこにそれがあったことすら知らないでいる。そういう考えだからすっかり気がついたときには追い抜かされてしまっていることになるのだ。そう、マレーシアの現代音楽シーンはとてもラディカル、そしてとてもホットなのである。
マレーシアの現代音楽の発生は詳しくはわかっていないが、それまでクラシック音楽の伝統がなかったところに、急に発生したということは間違いないようだ。
そのきっかけはインターネットの普及に伴う西欧文化の流入が活発になったことが理由とされ、それ以前の先駆的な作曲家としては幼少期からピアノの才能を開花させ、ベルリンで学んだValerie Ross(1958-)が挙げられる。
彼女の曲として最もよく聴かれるのは「
こういった数人の先人の後に、西欧化の波に乗った若者は一気に海外に出ることになったようだが、それでも実態について知られるのはかなり後年になってからで、ひとつの大きなきっかけとして2002年にマレーシア・フィルハーモニー・オーケストラが自国の作曲家の作品を集めたプログラムでコンサートを行ったことが挙げられる。この際紹介された作曲家に、中国の西安音楽院で领英、张大龙に師事、ブリュッセル王立音楽院でJan Van Landeghem、Daniel Capellettiに師事した後、Brian Ferneyhough、Daan Manneke、Peter Eötvös、Salvatore Sciarrino、Henri Pousseur、Hanspeter Kyburz等のマスタークラスを修了したという輝かしい経歴を持つChong Kee Yong(鍾啟榮)(1971-)の名がある。
彼は若い世代の牽引役となったばかりか、マレーシアにおける現代音楽シーンをリードする存在としてその存在感を増してゆくことになる。現代マレーシアの幕開けを告げる重要な作曲家である。
そんな彼の作品から一つ聴いてみよう。
「モノドラマ」と題された室内楽曲であるが、たしかにその経歴に偽りなしといった、実に難解な曲想である。
しかしどこか中華的、アジア的な音が随所に聞かれ、彼の民族性がそのままそこに名刺のように置かれているのはとても面白いことではないだろうか。
さらにその後、2002年に武満作曲賞を受賞したことで話題になったTazul Izan Tajuddin(1969-)の名が登場する。
彼はガムランやイスラム音楽の構造をコンテンポラリーミュージックの発想に活かす手法を確立、Leonardo Balada、 Juan Pablo Izqueirdo、 Reza Vali、 Michael Finnissy、 Martin Butler、Jonathan Harveyに学び、Franco Donatoni、Brian Ferneyhoughのマスタークラスを受講、Iannis Xenakis、Pierre Boulez、細川俊夫などに薫陶を受けたというこれまた輝かしい経歴を持っている。
彼の作品も民族性ということを極めて重要な柱としている点は重要である。
それが端的にわかる「In Memoriam」という作品を聴いてみよう。
民族楽器によるソロがフィーチャーされ、西洋前衛手法との統合や、離反みたいなものが舞台の上に展開される。極めて独特で、ある種活力のある音風景である。
その後のマレーシア音楽シーンはこれら先駆的世代の牽引を受けて、一気にラディカルに花開いてゆくことになる。
先述のChon Kee Yongを中心として、MPOというフォーラムに国内外から集まった作曲家には、指揮者やサックス奏者としても活動しているAhmad Muriz Che Rose(不詳)、声楽作品を中心にオーケストラ作品も発表しているVivian Chua(不詳)、ペルシア音楽をベースにしたオーケストラ作品や、オペラまで手がけるJohan Othman(不詳)や詳しい活動内容が未だ紹介されていないTay Poh Gekなどの名に続き、Edwin Roxburgh、Joseph Schwanter、Christopher Rouse、David Liptak、Augusta Read Thomasらに師事した経歴でも分かる通り、若手注目株のAdeline Wong(黃靜文)(1964-)、多くの受賞歴を持つ国際的ピアニストでもあるNg Chong Lim(1972-)、饶余燕に師事し現在売出し中のTeh Tze Siew(郑适秀)(不詳)、伝統楽器に根ざした新しい音楽を創出するYii Kah Hoe(余家和)(不詳)、アンサンブル作品などで知られ始めているMohd Yazid Zakaria(不詳)といった顔ぶれがあり、マレーシアの層の厚さが感じられるまでになっている。
マレーシアの音楽的背景とはなにか。それは多人種国家であることであろう。これまで挙げてきた作曲家の名前からも分かる通り、マレーシアには数系統の人種的な血脈があり、国内では度々衝突事件が発生するなど、その関わりについては平和的なものだけではなく実に複雑であるという。
マレーシアの国名からも分かることであるが、主たる人種はマレー系であり、およそ65%を占めているが、これも少数民族を含んでおり、その構成や部族については想像より複雑である上に、もともとヒンドゥー、仏教を主としていたところに、アラビア商人がイスラム教をもたらしたことで改宗が広まり、殆どがムスリムとなったという背景も複雑さを助長している。
ついで、中華系であるが英国植民地時代に錫鉱労働者として入ってきたのをルーツとするもの、それ以前から貿易商として入っていたもの、さらには政治難民に至るまでこちらも複雑である。また本土の中国語とは異なり広東語などの南方方言を用いており、自分たちの話す中国語を华语と呼んで本土のそれとは区別しているのだという。さらに錫鉱労働者とは違い、もともと英国人として支配層であった、英語を母語とする中国人もおり、プラナカンとトトックと呼んで区別があるようである。
ついで多いのがインド系住人である。南インド系を主としており、こちらもイスラム教改宗組、シーク教徒、出稼ぎ労働者と非常に複雑であるとのことで、単一民族国の我々からは想像もできない状況にあるようだ。
上述する通り、民族の多用さは音楽の多用さでもあり、特にムスリムの音楽、仏教、ヒンドゥー教に由来するもの、そして中華系の音楽はそのルーツとしてもっとも色濃いものとなっているのは間違いのないところである。さらに言えば、周辺国からの影響もあり、ガムランなどの音楽の流入もあって、音楽の嗜好についても我々からは想像もできない複雑な背景があるようである。
そういったマレーシアの音楽にあって「今」を代表する一人を最後に紹介しようと思う。それがZihua Tan(陳子華)である。
Zihua Tanは1983年にマレーシアに生まれた。名前の表記からも分かる通り中華系の家柄である。
音楽的なバックボーンは、John Rea, Philippe Leroux, Chaya Czernowin, Johannes Schöllhorn, Vinko Globokar, Mark Andre, Brian Ferneyhough, Tristan Murail, Stefano Gervasoni, Rebecca Saunders, そして Francesco Filideiに師事したとあり、非常に充実したキャリアと言えるだろう。特にCzernowinやFerneyhoughそしてMurailの名が示すとおり、現在の現代音楽のシーンにおける花形師匠の系譜にあり、その精神はこれまでこのシリーズでも度々語ったとおり、複雑な演算と倍音操作に特徴が置かれるタイプの音楽であることは容易に想像がつく。
彼の名が一躍知られたのは2017年の武満徹作曲賞の2位に輝いたことだろう。この年の審査員はHeinz Holligerであり、受賞作はT.S.Eliotの詩に触発されたというオーケストラ作品「at the still point」であった。Holligerはこの作品を評して「夢のような風景が繰り広げられ、植物も音もなくなった砂漠のがあって、何層にもなるミステリアスな音がオーケストラから生み出されている。」としている。なおHolliger自身はこの年の作品傾向を纏めて「もう少し規模の小さい作品も聴きたい」という言葉に凝縮させており、それは作品の持つもう一つの側面を欠点として挙げた意味があったようだ。すなわち「抑制的に書くことがなされていない」という部分である。
彼の曲ではピアノの内部奏法が非常に多く使用されるなど、その経歴に違わない複雑性と前衛性を身につけているが、私が特に感心した曲を一つ紹介しようと思う。
それは「Silent Spring」と題された、打楽器三重奏の曲である。
この曲の舞台セッティングは上記のようなもので、中央のドラと両サイドには自転車のホイールが置かれている。
ドラには演劇的な動きも求められ、ぶつかり、ひっかき、あるときには抱きつくなどの動きが見られる他、自転車のホイールは回してノイズを得るだけでなく、たたき、擦り、弓で弾くなど様々な方法でこのマテリアルから音を取り出してゆく。残念ながら楽譜は未出版であるが、この曲には彼の生まれたマレーシアという国での原初体験が眠っているように思えてならない。
つまりそれは生活の足として身近な自転車であり、経済の高揚とともに聴こえる工業の音であり、それら「国全体から」湧き上がるノイズ、そして中華系としてのルーツに、彼の音の眼差しの原点があるのではないかと思えることである。
このように数名の作家の作品を見ていくと、とても民族主義的要素、そして個々の原初体験というものが直截に表されている反面、国としての音楽の傾向があるわけではないという点に気が付かされる。
複雑な多民族国家であること、それぞれのルーツが異なることがそれらの主な原因であるのだろうが、加えて言えば、それだけ個人様式が浸透しているとも言えるのではないだろうか。
ポスト・モダンが言われだして久しい昨今、潮流というものはいくつかはあるものの、グローバル化の中でそれらは段々と境目がなくなり、寧ろ混沌とした差のない世界音楽になるように思われる中、かつて紹介したアイスランド人の作曲家もそうだが、そういった最先端の手法を、自らの原初体験や民族性に回帰した形で、新しい民族音楽を創出しているというのが、皮肉にも「今」の時代なのではないだろうか。
日本人は他国の文化を取り入れ、自分たち様に変化させる天才と言われてきた。しかし日本の前衛の「今」はどうだろうか。そこに「日本」はあるのだろうか。
否、勘違いしズレきった「クール・ジャパン」があるだけだ。