名大作曲同好会

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我が国の作曲家シリーズ004 「三谷俊造」

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シリーズ我が国の作曲家

 名作同の企画連動記事や、大作曲家の追悼記事などでご無沙汰となっていた本シリーズ、久しぶりの今回は三谷俊造を取り上げます。
といってもその名前にピンとくる人は極僅かなのではないでしょうか。
何よりその作品に触れたことのある人は、もっともっとずっと限られてくると思います。


ほぼ作品は失われた…はずだったのですから。

 

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月刊楽譜

 皆さんは、かつて日本で「月刊楽譜」という雑誌が発刊されていたのをご存じでしょうか。
現在も大手楽器店として発展を続けておられる「山野楽器店」等の頒布により、1912年から1941年まで30巻10号まで発行されていた雑誌です。
この雑誌には菅原明朗氏や大田黒元雄氏などによる論評の他に、ある巻まではピアノ曲や器楽曲、歌曲などの楽譜の付録がついていました。

 ちょうどこの頃の日本のクラシック音楽事情を研究してた私は、これらが国会図書館デジタルコレクションの図書館送信資料として遠隔閲覧できることを知り、地元の中央図書館にその詳細を見に行ってきました。
そうして、その中からとりあえずピアノ曲を抽出してリストを作り、これらから古書として入手可能なものを古書店で購入し、不可能なものは先述の遠隔閲覧を頼って目を通し始めました。
すると1934年発行の「第二十三卷 十一月號」に奇妙な作曲家名を発見することになりました。

dl.ndl.go.jp

 

「サン・タン」

 

 この号には伊藤宜二(1907.6.2-2003.9.6)という小津安二郎映画作品他、劇伴作品を中心に作曲していた人物の作品も同時掲載されており、何らかの関係があるのかとあちこち調べてみましたがめぼしい資料には出会いませんでした。
「サン・タン」響きとしては中国系の人名か、あるいはフランス系でしょうか。とにかく謎だらけの出会いです。
そして掲載曲のタイトルは「Primula Sinensis」とこれもパッと見では意味がわかりません。

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Primula Sinensis

 Primula Sinensisとは調べてみると「寒桜」を意味する学名であるようです。
桜といっても所謂さくらそう科」の植物なので、樹木の桜とは違いますが、なるほど桜の花に似た雰囲気のある花を咲かせるんですね。

しかしいっこうにサン・タンの謎は解けません。
次の手をどう打つか考えているときにあることを思い出しました。

先程の月刊楽譜には掲載付録の作曲者のコメントが必ず載せてあるので、それを読めばなにか分かるのではないだろうか。

 もう一度図書館に走り、当該ページを参照してみると、曲の説明の代わりに別の津川なる人物がこの曲についての説明を書いていおり、それを読むとだいたい以下のようなことがわかりました。

・サン・タンは偽名である
・実際は三谷俊造のことである
・早くに渡米して活躍している人物である
・本誌掲載に当たり堀内敬三に「San Tan」の匿名で曲を寄せた
・堀内氏はその趣を大切にその名のまま掲載した

サン・タン=三谷俊造

 その素性がやっとわかりました。しかしこの名前を聞いてもピンとくる人は殆どいないでしょう。
 Wikipediaには同人の項目がちゃんとあって、結構しっかり纏められているのでここに引用したいと思います。

ja.wikipedia.org

 

1885年(明治18年)12月25日に兵庫県に生まれキリスト教に入信したのをきっかけにオルガンを通じて音楽に出会い、本格的に学ぶために1904年に渡米したとあります。
 日本初の音楽留学は幸田延(1870.4.19-1946.6.14)が米国に渡った1889年であるはずなので、三谷の渡米はそれから15年後、日本人としてはやはりかなり早い時代の留学ということになります。

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幸田延

 しかも三谷はそのままアメリカに住み、研鑽を積み上げて米国における初の日本人教育学博士となるに至っています。
様々なアメリカの学校を渡り歩き、ピアノ、指揮、作曲を学び、自らピアニストとして活躍していたとのことですから驚くべきことです。

 ちょっといい方は悪いかも知れませんが、作曲を学んだ師はそれほど有名ではなく、はっきりと名前のわかっている人としてはWalter Keller、Stillman Kellyのみのようです。

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大東亜戦争

 ともあれ米国でどんどんキャリアを積み上げていった三谷ですが第二次世界大戦の勃発で運命が狂ってしまったようです。
 日本は米国から見れば当然敵国なので、敵国人として失職に追い込まれた上、かなりの差別を受けたと記録にあるようです。
 そしてさらなる悲劇が三谷を襲います。それは自宅の焼失です。

 

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大澤壽人

 早い時代に海外留学を遂げ、そのまま海外で活躍して凱旋帰国、後年そのあまりにもモダンな作風で書かれた曲が大量に見つかった作曲家として、ナディア・ブーランジェ門下の大澤壽人(1906.8.1-1953.10.28)がいます。
 彼の場合その作品がちゃんと保管されて「生き残って」いたので後年の再評価に繋がったのですが、三谷の場合この自宅の焼失で殆どの作品が失われてしまったことから、早い留学と米国での活躍という、当時の金字塔というべき経歴に反して歴史に埋没してしまったものと思われます。

 実際どのような曲を書いたのかもよく分かっていないようであり、本人が日本でのコンサートで自ら振った第二交響曲「太平洋」のみが記録されているに過ぎません。
恐らくこの曲のスコアも失われてしまったことでしょう。

 

そうそうそんな三谷氏のご尊顔を見てみたいとは思いませんか?

 

日本語で検索してもほとんど情報が出てこないのでもしかしてと思って英語で調べてみると、やはり写真が残っておりました。

 

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三谷俊造

 おお、なんだか雰囲気がありますね。スーツ姿も決まっていてちょっとこの時代の日本人にはないオシャレのセンスを身に着けておられます。

 そして三谷氏の眠られる墓地についても調べることが出来ました。
Hillsboro Mennonite Brethren Church Cemeteryというところに眠っているとのことですが、Wikipediaの記述と生年月日が異なります。

 お墓の記載のよれば1885年12月15日生まれ、1972年7月11日に亡くなったとなっており、墓石にしっかりそのことが彫り込まれています。

 

話をPrimula Sinensisに戻しましょう。

 そう、恐らくこの曲は匿名で堀内敬三氏に送られ、月刊誌に掲載されたことで焼失を免れることになった唯一の氏の作品かもしれません。
 曲はとてもゆったりとほの暗く、ドイツロマン派の情緒を感じる美しい曲になっています。
 また和声進行に特徴的な部分があり、これは当時のアメリカでは結構見られる進行なので、そういったものを取り入れたのではないかと思わせます。
 しかしメロディにははっきりと日本的な音形、スケールチョイスがされておりはるか米国から日本を思って書いたのだろうということがすぐに想像できます。

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Primula Sinensisの第1ページ

 このように楽譜の作曲者欄には「By. San Tan」とあります。なぜサン・タンなのかはわかりませんが、三谷の「み」は「さん」とも読みますし、谷は「たん」と訛ることもあります。
なので個人的には「三谷」をもじって付けたのではないかと考えていますが、本当のところはどうなんでしょうか。

 

 皆さんはこの「すべてを失ってしまった」偉大な先人の音楽を聴いてみたいと思いませんか。
 私はその興味が押さえられず、自分のYouTubeで展開するチャンネルの題材に選び、早速データ化していきました。
 打ち込みではありますが、なるべくなまで演奏した質感が出るように工夫して作っているつもりです。しかし最終的には全て生演奏音源に切り替えてきたいですね。
 ギャラは出なくとも音源化に協力するよというピアニスト、その他声楽家、楽器演奏者の方は是非コメントを下さい。

 

ということで失われた響きを蘇らせてみましょう。

San Tanこと三谷俊造作曲の「Primula Sinensis」です。
ゆっくりお楽しみください。

www.youtube.com

 

いかがだったでしょうか。

なおこのRMCというチャンネルでは毎週水曜日こういった発掘系の楽曲や、演奏歴の少ない現代の作品を(いまのところ)打ち込み音源にてご紹介しています。

よかったらチャンネル登録してみてください。

 

それでは今回はこの辺で。最後までお読みいただきありがとうございました。