名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

渋谷系の時代⑦カヒミ・カリィ編

さあ誰も呼んでなくともやって参りました渋谷系の時代です。

~前回の記事~

 

nu-composers.hateblo.jp

 前回トラットリアを紹介したので、トラットリア所属のミュージシャンを紹介できるようになりました。あれはそのための記事です。

 

ということで、今回は前回も登場したカヒミ・カリィを詳しめに見ていきましょう。

 

カヒミ・カリィ

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カヒミ・カリィ

名前から国籍が全くわかりませんが、どうやら本名のアナグラムらしいので多分日本人です。見た目が良い。

やくしまるえつこや青葉市子などの、邦楽における所謂ウィスパーボイスのはしり*1なので全ウィスパーボイス好きは感謝しましょう。あとマジで見た目が良い。

 

デビュー

 MIKE ALWAY'S DIALY

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1992年に小山田圭吾プロデュースでソロデビュー。プロデューサーが小山田というだけあって、ザ・渋谷系的なサウンドジャケ写もマジでそれっぽいですね。

ボーカルはかろうじて音程があるのがわかる程度にカスカス(言い方が悪い)ですが、大体こんな感じなので頑張って付いてきてください。

 

また、先ほど申し上げましたように見た目がよろしいからか、イッセイミヤケのモデルとしてパリコレなどに参加したりしていたようです。あと先ほど申し上げましたように見た目がよろしいからか、若い女性から大変人気がおありだったようで、ファッションアイコン的存在でもあったようです。なぜ僕はこんなに敬語が丁寧なんでしょうか?

 

そんなこんなでミニアルバムを次々とリリース

MY First Karie

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I AM A KITTEN

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カヒミの曲は海外のミュージシャンが書いたり、スタンダードナンバーのカバーだったりが多いので日本っぽさをあまり感じないのが面白いです。

 

そうこうしてるうちにアニメ「ちびまる子ちゃん」のOPに抜擢されました。カヒミ・カリィを知らない人でもこれは知ってるという人も多いのではないでしょうか。

 

ハミングがきこえる

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ちびまる子ちゃんのOPになったので一番有名。作者のさくらももこは趣味が高じすぎて、自身原作のアニメの主題歌には渋谷系の面々や電気グルーヴといった当時新進気鋭のミュージシャンを起用しまくっていました。いまやE-girlsとかですけどね......

ちなみに先代OPの踊るポンポコリンとの落差に、そのコケティッシュさにめちゃクレームが来たらしいです。無粋!

 

その後勢い止まらず2年連続でフルアルバムをリリース

クロコダイルの涙

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K.K.K.K.K

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とてもどうでもいいですが、僕はK.K.K.K.Kの一番最初の曲のOne Thousand 20th Century Chairsが一番しゅきです。

かつてこの曲がMステで披露されている動画がYoutubeに存在していましたが、爆音で演奏するドラム・ギター、グリッサンドキメまくるピアノ、囁きすぎてマジで聞こえないボーカルとめちゃくちゃカオスでした。

 

このアルバムをリリースした後ワールドツアーを決行。当時はワールドツアーが流行ってたので、興行的にどうだったのかは微妙ですが、とにかくワールドツアーを決行しました。東京公演のライブ映像がYoutubeに何故か存在するので見てみましょう。

 

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実に渋めな音楽をやってる割に若いおにゃのこの歓声が目立ちますね。貴様、ファッションアイコンだなッ!(それはそう)小癪な!!!!!!!

 

ちなみにこのライブのために特注のマイクを作ったらしいです。それまではどうしてたかというと大量のマイクをぐるぐる巻きにして束ねて集音してました。

なのでクッソハウリングが多いのはウィスパーボイスの宿命だと思って勘弁してやってください。

 

その後も精力的に活動を続けますが、00年代に突入する頃から曲の毛色が変わってきます。

全体的に生楽器によるセッションから、DTM的な編集が目立つようになったなという印象です。

TILT

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この曲とかはまさに00年代らしい硬さと冷たさのある音像でとても良いです。

 

Trapeziste

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 かと思えばノイズやフリージャズ的な音響になったりもしています。このころになると最早渋谷系というカテゴライズにはまらない、自由な音楽活動をしていると言えるでしょう。

 

Montage

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この曲は割と昔のカヒミっぽいですが、音が完全に「今」感あります。

 

NUNKI

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ここまで来ると何か悟りでも開いたのかな?と思ってしまいますね。

 

この悟りを開いたタイミングで結婚し、2010年にアルバムを発表して以来ほとんど曲を発表しなくなりました。

 

It's Here

Nouveau Paradis

Nouveau Paradis

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めちゃくちゃ良い感じに枯れたな(曲が)と思うのは僕だけでしょうか。

 

というところで今回は終わりです。また次回。

 

 

 

 

 

*1:Charaとかもいますけど、Charaはサビとかはちゃんと声張って歌うじゃないですか。カヒミはサビまで全部囁くので、つまり何が言いたいかというと、トッポみたいに最後までチョコたっぷりなんですよね。岡崎律子もウィスパーボイスですが、あの独特のコケティッシュ感はやはりカヒミならではだなあと思います。ただし邦楽の話。

同詩異曲のススメ

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天気/草野心平

同詩異曲-つまり同じ詩に別の作曲家が別の曲をつけた音楽のことである。

 皆さんは案外この同詩異曲が多く存在しているということを知らないのではないだろうか。
 特にPOPSなどではメロ先といって、まずメロディを作ってから歌詞を流し込んでいくことから、詩に対しての意味合いが純文学的なそれより価値が下がり、詩が詩だけとして独立に見られることが少なく、一つの楽曲の一部として認識されることから、ほぼ起こらない現象になるといえる。
しかし純音楽では、大抵の場合詩のほうが先にあって、それに曲をつけるという形になってくる。

 昔は謡曲もメロ後であったが、いつの間にか、効率を追う中でメロ先が普通になってしまった。


なので今のPOPSの作家はメロ後の作曲が大抵できない。

 

 かつてあるコンポーザーにメロ後の話をしたら「それじゃ曲が作れない」と言われたことがあって、失笑を通り越してすべてのやる気が無くなったことがある。
まあそれだけ作曲のテクニックが劣化し、幼稚な児戯にも劣る領域にまで堕落したということだ。

 

話を戻そう。

 

 純音楽では今でも尚、メロ後の原則は大体において守られており、偉大な詩人の芸術作品に、作曲家としてその魂をかけて挑んでゆくという行為が行われている。
そうなってくると、名作と言われる詩であったり、音楽的に非常に魅力を引き出しやすいと思われる詩は人気が高くなってきて、多くの作曲家が曲をつけてみたいと思うようになるのだ。
その結果、同詩異曲というものが誕生するのだが、それだけに各作曲家の詩へ理解や思い、考えや作風を比べるのには最適の素材となる。

 

今回はいくつかそんな同詩異曲を通じて、作曲家の眼差しにアプローチしてみようと思う。

 

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Johann Wolfgang von Goethe(1749.8.28-1832.3.22)

 西洋のクラシックで同詩異曲が多くあることで有名なのはゲーテの書いた詩「野ばら」であろう。

 

 日本では特にシューベルトのものとウェルナーのものが有名である。
これは近藤朔風による訳詞とともに知られたという経緯があるからなのだが、実はゲーテの詩にはその他にもブラームスベートーヴェンシューマンなどといった名だたる巨匠が曲を付けているのだ。

 

まずはそれらをざっと聴いてみよう。

 

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Franz Peter Schubert(1797.1.31-1828.11.19)

フランツ・シューベルト

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Heinrich Werner(1800.10.2-1833.3.3)

ハインリッヒ・ウェルナー

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Johannes Brahms(1833.5.7-1897.4.3)

ヨハネス・ブラームス

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Robert Alexander Schumann(1810.6.8-1856.7.29)

ロベルト・シューマン

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あれ?ベートヴェンも書いたと書いてなかったっけ?
その通り。ベートヴェンもこの詩に挑んで作曲を試みている。しかも3回も。
しかしいずれも満足行く結果を出せなかったのか、未完のまま放置され完成されたものにはならなかったのである。
 ベートヴェンはもしかするとこのゲーテの詩に、他の作曲家とは違う深遠なものを見出していて、それが故に完成に至らなかったのかもしれないというのは、些か勘ぐり過ぎかもしれないが、こうやって詩に負けてしまうということは、作曲家にはしばしばあることなのだ。


さてでは日本語詩ではどうだろうか。
実は沢山あるのだ。

 

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加藤周一(1919.9.19-2008.12.5)

 加藤周一という評論家で医者だった人物が居た。
 彼は国内外の様々な大学の教授を歴任したほか、まあ色々異論のあるところだが大江健三郎らと九条の会を結成、呼びかけ人の一人になった人物だ。
 その一方で医学から文学へと歩みを変え、韻律をもった詩を残すなどした。
そして書かれた代表作の一つが「さくら横ちょう」という詩である。
 この詩は「再会」をテーマに桜の花とその儚さ、人との距離や過去を映し込んだ、なんとも憂いに富む美しい詩である。

この詩に魅了され、また見事な解釈で曲を付けた二人の作曲家がいる。

 

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中田喜直(1923.8.1-2000.5.3)

 一人は日本歌曲のレジェンド的存在である中田喜直だ。
日本の音階をほのかに感じさせる処理を加えた、流れるような音楽には、日本的な翳が宿っていて極めて美しい。
 中田喜直その花と再会に陰影を見出して、日本的な情緒の中に淡々と、そして少し熱っぽくその過去を乗せてみせたように感じる。

中田喜直

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別宮貞雄(1922.5.24-2012.1.12)

 もう一人は徹底的にロマンティシズムに満ちた作風を貫いた別宮貞雄である。
別宮はこの詩の中の情熱の影に着目したように感じる。
 再会の裏にある悲しみや、情熱を桜の花に象徴させていると読んでいるかのような前奏と、個人の思い出のような独唱を舞曲調のリズムが支える。

別宮貞雄

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神戸孝夫(1955.12.12-)

 長くこの詩には前述の二人の名作があって、これに挑もうという人は現れなかったが、声楽家神戸孝夫が新たにこの詩に挑んだ。
 出版された楽譜が入手困難になっているのは少々もったいない気がする作品である。
過去思いだすと、その情熱が胸を高鳴らせ、儚く散った思い出の断片に桜の花が散るように感じさせる美しい曲である。

神戸孝夫

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歴史的名作ともなると様々な形でそれに挑む芸術家が現れてくる。
その一つの例が宮沢賢治の書いた「春と修羅であろう。

 

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宮沢賢治(1896.8.27-1933.9.21)

 生前に完成された第一集は69編の詩からなるもので、個々に含まれる詩を何らかの形で用いた作品は枚挙にいとまがない。
 更に未完ではあるが同名の詩集は三集まであり、これらを考えると付けられた曲の全容を追うことはかなり難しいだろう。

そこで春と修羅というタイトルに限定してみよう。

 

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信長貴富(1971.5.16-)

 まず大人気の合唱作曲家信長貴富の挑まれた合唱曲が出てくる。
氏の作品はそのポップ感あふれるキャッチーなメロディと、適度にシリアスなハーモニーが人気だが、この作品はかなりシリアス寄りの作品と言えよう。

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新実徳英(1947.8.5-)

 また男声合唱のための楽曲としてやはり合唱界のレジェンドたる新実徳英も曲を付けている。
こちらも非常にシリアスな雰囲気に満ちた難解な楽曲である。

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塚本文子(1949-)

 春と修羅の詩集冒頭の「序」に混声合唱を付けたものとして塚本文子氏の楽曲もある。
この曲はシリアスさは抑えられているし、個人的には表現が隅々に行き渡ってるようには思えず少し残念である。

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引野裕亮(1983-)

 声楽を専攻され、青島広志氏に作曲を学んだ引野裕亮氏も同名の男声合唱曲を書いている。
こちらはなかなかに緊張感が全体に行き渡っており、有名ではないが良い楽曲であると感じられる。

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藤倉大(1977.4.27-)

 最後に昨今注目の作曲家藤倉大が映画「蜜蜂と遠雷」のために書かいた「春と修羅」というピアノ曲を紹介したい。
 歌ではないが、こういった形で宮沢賢治のそれに挑む方法もあるということをしっかり示している素晴らしい名作だと思う。

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この他にも堀悦子、鈴木輝昭など錚々たる顔ぶれがこの詩に曲を付けている。

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堀悦子(1943-)

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鈴木輝昭(1958.2.16-)

それぞれの作曲家の生き様が、宮沢賢治の名作に重なっていくさまは、まさに芸術と芸術の高まり合いと言えるだろうし、ある種の闘いのようにすら感じる。

 

 

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谷川俊太郎(1931.12.15-)

 作曲家に最も人気の詩人というと谷川俊太郎の名を挙げなければならない。
そして人気であるということはまた、同詩異曲の宝庫ということでもある。

 特に人気のある「生きる」という詩に付けられた曲を聴いてみよう。
ただし、谷川は同名のタイトルの詩を複数書いているので、ここではひとつの「生きる」に絞ってみることにする。

 

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三善晃(1933.1.10-2013.10.4)

 もちろん初めは不動の人気を博する三善晃先生の書かれた曲を挙げないわけには行かない。
 谷川は「生きる」ということは「あなたとあなたのすべて」であると詩に託しているのだが、それを反語的に解釈し「死」の影に満ちた「レクイエム」に書いてみせたのがこの楽曲であると思う。

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大熊崇子(1961-)

 同じ詩でも本当に「生きる楽しさ」にフォーカスアップして書かれたものもある。
こちらも合唱の大家である大熊崇子先生の書かれたものだ。
あまりの違いに戸惑いさえ感じる。

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松下耕(1962.10.16-)

 そしてこのコロナ禍にあってやはり合唱界の大物である松下耕先生「生きる」を動画で配信されている。
 英訳された同詩を用い、演奏は有志が各家庭で録音したものを編集したのだという。
こちらは「生きる」ということは希望の光に満ちていると言わんばかりの優しい音楽である。

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なかにしあかね(1965-)

 また日本和声の体系を作られた中西覚先生の娘さんで、昨今注目の作曲家であるなかにしあかね氏もこの詩に挑戦している。
 非常に明瞭で、また温かさに満ちている楽曲であるが、ほんの僅かに薄っすらと影を加えているのが楽曲の彫りを深くしている。

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 この他にも数曲この詩には曲が付けられている。そしてその多くが再演率が高いということは、いかにこの詩が力に満ちているかを端的に示しているようである。


 このように多くの同詩異曲の例を見てきたが、私たち作曲家はある時、名作の詩に立ち挑まねばならないのかもしれない。
 そしてそこで討ち死にするのか、はたまたイーブンの拮抗を見せるか、なぎ倒し我が物にするのか。
まさに死闘となるであろう名作との闘い。


我が名作同でもそろそろそういうチャレンジを聴いてみたい気もする。

悪魔の第七旋法 "ロクリア" の封印を解く 最終話「実用と譜例」

前回までで、ロクリア旋法がだいぶ実用的ということが分かっちゃいました。

ここまできたら、後は作曲するだけ。
というわけで、僕が実際にTLTを用いて作曲したピアノ曲集、
「夜の窓辺にて」
からいくつか譜例を見てみましょう。

【もくじ】

 

譜例1:「あめんぼと流星群」

この曲の7小節目~(11秒~)を見てみましょう。

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「あめんぼと流星群」7小節目~

この曲の調はA-locrianですが、前半部は基本的にT-E-T(トニック-エニモッド-トニック)という単純な進行を繰り返しています。
7小節目からの部分に着目すると少し工夫してあり、借用和音や転調も挿入されていますね。
転調してからは、I-IV-Iを繰り返したり主張に戻ったりするだけで、やはり割と単純な作りです。
最後の終わりの和音は何とも奇妙な響きになっていますが、この点を最も工夫しました。
転調したまま元に戻らず、V調のVIの和音(平行長調のI)に終止するのですが、ここにテンション・ノートを乗せてみたのです。
結果的に、こんな構成音の和音が鳴ることになりました。

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最後の和音に注目

この終止和音はとてもロクリア旋法らしい、TLTらしい響きだなあと思います。

 

譜例2:「いらなかった鎮魂歌」

この曲は、冒頭がメロディ独奏で始まります。
ロクリア旋法らしい旋律とは???というのは割と難しいのですが、上手くいったものを聞いてみるとどこか日本民謡らしい雰囲気が漂っている気がします。
というのも、日本民謡とロクリア旋法には実は密接なかかわりがあって……というのは今回は語りませんが、とにかくそうして始まるこの曲の17小節目~(1分12秒~)を見てみます。

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「いらなかった鎮魂歌」17小節目~

ここではとても単純な反復進行をしており、しかもかなり良い効果を上げています。
従来の音楽で使われている技法は、TLTにも問題なく応用できるということが分かりますね。

 

譜例3:「水底に沈んだ星座」

最後に、この曲の9小節目~(26秒~)を見てみましょう。
かなり挑戦的な借用ずれ和音を使っていますが、全体としての響きは統率が取れているように思います。

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「水底に沈んだ星座」9小節目~

こういった譜例を見ると、TLTがマジで使えるということを分かってもらえるでしょう。
分かってくださいお願いします……。

 

ロクリアの封印を解いたぞ

というわけで、ロクリアの封印はばっちり解きました
これから先、この咎なき邪神が音楽の世界で大いに暴れまわってくれることでしょう(願望)
みんなもぜひロクリア旋法を使って作曲してください。

「いやこんな簡単な説明だけじゃ無理だべ??

という人は、上で譜例とした「夜の窓辺にて」を購入してみてもいいかもしれません。
全曲が長短ロクリアで書かれていて、譜例集としても最適ですよ。

それでもなお

「いやこんな譜例集だけじゃ無理だべ??

という贅沢さんは、ぜひ僕に師事でもしてください。(?????、?)
ロクリア旋法で作曲する人、マジで増やしてえ…………

メキシコの作曲家 17世紀から現代まで

 

メキシコの作曲家ピックアップ

 

皆さんお久しぶりです。Gです。寒くなってきましたね。コロナも相変わらず東京では数百人の感染者が出続けていますが、感覚が麻痺して来たのか慣れてしまったのか外出してる人が多くなってきました。僕のいる大学でも課外活動を段階的に許可するそうです。感染者増やしたいんですかね…

 

さてそんな情勢でもホットな国がメキシコ!10月15日にはサルバドル・シエンフエゴス前国防相(72)がアメリカの麻薬取締局に拘束されたというニュースが話題になりました。麻薬カルテルと闘っているはずの国防相がまさかカルテルと繋がっているとは…まるでドラマのような世界です。

そんなホットな国の作曲家を色々調べてきました。中々興味深い人々が出てきました。資料不足故あまり詳しい記述が書けないのはご容赦ください。

 

・メキシコにはバロック音楽があった!

さて、記録を調べると、メキシコで最も古い作曲家たちは

Juan de Lienas(1617~1654)

Francisco López Capillas(1614~1673)

Manuel de Zumaya(1678~1755)

などの17世紀の作曲家が続々と出てきました。基本的には聖歌の作曲や大聖堂のパイプオルガン奏者です。

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時代区分的にはバロックに当たります。音楽の中心地であったヨーロッパから離れたアメリカ大陸の中ではこの17世紀という時期にヨーロッパ式の教会音楽が定着していること、また史料が現存していて尚且つ音源も再現されていることは非常に珍しいことです。

 

参考までに南米の他の国の最も古い作曲家は

ブラジル

Emerico Lobo de Mesquita(1746~1805)

アルゼンチン

Amancio Jacinto Alcorta(1805~1862)

・コロンビア

Oreste Sindici(1828~1904)

などで18世紀後半~19世紀初頭にかけての間といえます。

 

ただし少数のオペラを除いて大半は宗教音楽であり師弟関係などもわからなかったことなどから、これがメキシコ音楽の源流であるわけではないないようです。

 

・カルロス・チャベス

さて18世紀にもぽつぽつと作曲家は輩出されていますが19世紀の末にビッグネームが誕生します。

カルロス・チャベス(1899~1978)です。

フルネームはカルロス・アントニオ・デ・パドゥア・チャベス・イ・ラミレスといいます。

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1937年のチャベス

長え。

そんな彼は生涯でバレエ曲5曲、交響曲6曲、協奏曲4曲、その他多数の声楽、室内楽ピアノ曲などを作曲しています。なお作曲技術はほぼ独学です。

また音楽評論家としても有名で、2冊の本と200以上の雑誌の記事を投稿しています。

彼自身の活動もさることながら注目すべきは音楽教育者としての力でありメキシコ国立音楽院の院長に就任し後に「メキシコ4人組」と呼ばれる作曲家の全員に作曲を指導しています。現代のメキシコのクラシック音楽はこの人が基礎を築いたといっても過言じゃないかもしれません。

 

メキシコ四人組

・ルイス・サンディ(1905~1996)

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Daniel Ayala Pérez(1906~1975)

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サルバドール・コントレラス(1910~1982)

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ホセ・パブロ・モンカーヨ(1912~1958)

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こうしてみるとやはり中南米の泥臭さというか力強さといったようなものを感じますね。

メキシコ四人組にはカウントされていませんが、同じくチャベス門下の

Blas Galindo(1910~1993)

も中々好みの音がします。

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サムネがなんか気になりますけど…微妙にどの文明なのかわからない造形をしています。恐らく中南米の古代のものだとは思いますが見方によってはインドっぽくも手の印から仏教ゆかりのものに見えたりします。ガランドは150曲以上の作品を作った多作家でもあります。音源は総じてサムネがなんか変な像ですけど…

 

・現代音楽

さて、メキシコにおける音楽の主流は上記のチャベス門下の流れですが、やはりというか何というか、どの国にも突出して前衛的な音楽を作曲する人がいるものです。今回は2人ほど紹介します。

コンロン・ナンカロウ(1912~1997)

動画を見てもらえれば分かるのですがこれは自動ピアノ(Player Piano)という特殊なピアノを用いた作品です。トイドラ会長が持っているようなオルガニートと同じような構造で紙のシートに穴を空けて音符を記録した楽譜を用いて演奏します。自動ピアノは日本だと浜松の楽器博物館に一台だけ展示されているのを見たことがあります。

人間ではほぼ不可能な演奏も実機で演奏することが可能です。しかし打ち込みなどの技術の発達と紙のシートの管理の大変さなどから現在は生産されていません。

ナンカロウは自動ピアノに可能性を見出し多数の自動ピアノのための曲を作曲しました。最終的にシートに幾何学模様を打ち込んで作曲を行ったりもしました。今でいうMIDIアートのようなイメージですね。

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・Julián Carrillo(1875~1965)

この人はメキシコ国立音楽院で音楽を学んだヴァイオリストでした。どうも初期は割と普通な曲を作曲していたようです。

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しかし後期になると微分音に可能性を見出し最終的には半音間を16に分割する16分音を用いて作曲をしました。

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こうなるともう訳が分かりません。僕にはお手上げです。

 

 

さてメキシコの作曲家いかがだったでしょうか。バロックから始まり現代音楽に至るまで幅広い作曲家の層とその史料が充実していたことが個人的にはかなりの驚きでした。

所見を広げるためにもご意見ご感想などありましたら是非コメントをお願い致します。

それではまた次の国で会いましょう。

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渋谷系の時代⑥ トラットリア編

~前回の記事~

 

nu-composers.hateblo.jp

 

こんにちは。

今回はミュージシャン単体ではなく、とあるレーベルにフォーカスしていこうかなと思います。

 

それはこちら

 ソース画像を表示

トラットリアです。

 

トラットリアとは

トラットリアとは、1992年にポリスターというメジャーレーベル内に、小山田圭吾によって創設されたレコードレーベルです。

小山田圭吾が創設したため渋谷系という扱いを受けていますが(実際その側面も大いにある)、中身をのぞいてみるとブリティッシュ・ポップからノイズへと、相当アバンギャルドに展開されています。トラットリア(=イタリア語で"定食屋")なのは伊達じゃないですね。というわけでその中身をざっくり見ていきましょう。

  

ブリッジ

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ジャンルで言えばいわゆるネオアコに属します。カジヒデキがかつて在籍していたことでも有名です。フリッパーズギター解散により空いたネオアコ枠に上手く入り込んだようです(そう解釈している)。

 

 

シトラス

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非常にインディーな香りのする宅録ユニットで、個人的にめっちゃ好きです。

どの曲も基本滅茶苦茶短く、解散するまでついぞアルバムを出すことがなかったらしいです。しかしベストアルバムは存在するので、現在聴く分には困りません。

 

カヒミ・カリィ

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小山田の元恋人。たばこを吸う美人。良い。いわゆるウィスパー・ボイスの先駆け的存在です(もっと前からいるにはいますが)。あと、バックについてるミュージシャンが強すぎて曲が異常に良いです。

 

ASA-CHANG&巡礼 

KUTSU

KUTSU

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現在は完全にヤバい曲を作ることでおなじみのASA-CHANG&巡礼も、初期はこんな曲を作ってました。今よりインド要素が強いですね。

ちなみにリーダーのASA-CHANG氏は元々東京スカパラダイスオーケストラのリーダーです。どうしてこうなった。

 

暴力温泉芸者

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中原昌也のソロユニットである暴力温泉芸者は、デス渋谷系の筆頭です。デス渋谷系とは所謂ノイズミュージックです。渋谷系全然関係ないです。売れるために、渋谷系を聴くファッションリスナーを殺すために安全そうなガワを被っています。

中原は文筆家としても活動し、最近はむしろそっちの方が有名です。

 

人生は驚きに満ちている

人生は驚きに満ちている

 

 

 

沖野俊太郎

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沖野俊太郎は、Venus Peterというバンドでブレイクし、解散後はソロで活動しています。聴いてわかるとおりアシッドジャズやファンクに影響を受けた、所謂渋谷系のイメージに近い作風となっています。ちょっと歌謡曲っぽかったり、逆に洋楽っぽいメロディーラインだったりして個人的に面白いです。

00年代にはアニメの主題歌をいくつも手がけ、海外ではむしろそっちの方で認知されてるとかされてないとか。

 

ムッシュかまやつ

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ムッシュかまやつは、60年代にザ・スパイダースというバンドで活動していたことで有名です。

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すげーUKロックですね。

正直ムッシュかまやつを一つのジャンルでくくるのは不可能なのですが、少なくとも90年代はファンク寄りの音楽を志向していました。若い世代のミュージシャンとの交流も活発に行っていたようで、新しいジャンルも貪欲に取り込んでいたようです。

 

 

ボアダムスとその一派

ボアダムス

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ハナタラシで活動していた山塚アイにより結成されたノイズバンド。正直渋谷系は全く関係ないが、90年代アヴァンギャルドを語る上で絶対に避けては通れない存在です。

 

ハナタラシ

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山塚アイのソロユニット。ライブハウスを破壊しまくったり、火炎瓶投げて一頃仕掛けたり(未遂)、本当に頭がおかしいです。これ一つだけで記事にできるレベル。

ちなみに山塚アイはトラットリア内にショックシティーというノイズミュージックのレーベルを立ち上げ、無数の作品を世に放ちました。狂気。

 

OOIOO

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ボアダムスのYoshimiOによるガールズバンド。チャットモンチーとかサイレントサイレンと同じ括りなので、めっちゃ安心して聴けますね。

このころはボアダムスとの差別化があまりされてませんが、次第にガムランなど民族音楽的なアプローチが多くなりました。

 

思い出波止場

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ボアダムス山本精一によるプロジェクト。個人的にめちゃくちゃ好きです。

フォーキーながら、どこか明らかに壊れた音楽です。

 

DJ光光光

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ボアダムス山塚アイの別名義。おそらくサンプリング主体の作品はDJ光光光名義で出してます。てかDJ光光光ってなんて読むんだ?

 

ボアダムス関連はここでおわりです。派生ユニットが多すぎますね。やれやれ。

 

 

補足・あまり長くてもアレなのでそろそろ〆る

トラットリアは上記の日本人ミュージシャン以外にもイギリスのインディーズや海外アーティストの再発を行っていました。というのもトラットリア自体が日英ポップスの交流の場として作られたからです。実際には当初のもくろみ以上に機能しましたが、2002年にレーベルは解散しました。多分、音楽出版の不況を受けて......。

しかし、92年から02年の10年間にリリースされた250の作品達は、きっと今でも聴かれ続けていることでしょう。中古で全然見かけないので多分そうだと思います(適当)。おわり。

マレーシアの今を聴く

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マレーシア

 我々はマレーシア生まれのコンテポラリー作曲家を何人挙げられるだろうか。

 そしてそんなマレーシアの作曲家のなかから、結構な頻度で武満作曲賞を受賞する作曲家が登場してきていることを知っているだろうか。

 

 日本人の悪いところでもあるのが、一つの考えを疑いもせず、更新もせずにいること。そのことをおかしいとすら思わず、変化に対して緩慢であり、踏み込んで言えば興味の外側のことについては存在しないのと同じと言えるぐらいに意識下に置かないという性質がある。マレーシアの音楽史について多くの人が完全に無知なのもそのせいであると言って良い。古い後進国としての捉え方から、一歩も変化しておらず、現実を見ようともしないばかりか、言われるまでそこにそれがあったことすら知らないでいる。そういう考えだからすっかり気がついたときには追い抜かされてしまっていることになるのだ。そう、マレーシアの現代音楽シーンはとてもラディカル、そしてとてもホットなのである。

 

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Valerie Ross

マレーシアの現代音楽の発生は詳しくはわかっていないが、それまでクラシック音楽の伝統がなかったところに、急に発生したということは間違いないようだ。

そのきっかけはインターネットの普及に伴う西欧文化流入が活発になったことが理由とされ、それ以前の先駆的な作曲家としては幼少期からピアノの才能を開花させ、ベルリンで学んだValerie Ross(1958-)が挙げられる。

音楽学者としてもしられ、比較文化の専門家でもあるようだ。

彼女の曲として最もよく聴かれるのはRegaslendro」という曲のピアノソロ版であるとのことなので、まずこの曲を聴いてみることにしよう。

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 こういった数人の先人の後に、西欧化の波に乗った若者は一気に海外に出ることになったようだが、それでも実態について知られるのはかなり後年になってからで、ひとつの大きなきっかけとして2002年にマレーシア・フィルハーモニー・オーケストラが自国の作曲家の作品を集めたプログラムでコンサートを行ったことが挙げられる。この際紹介された作曲家に、中国の西安音楽院で领英张大龙に師事、ブリュッセル王立音楽院Jan Van Landeghem、Daniel Capellettiに師事した後、Brian Ferneyhough、Daan Manneke、Peter Eötvös、Salvatore Sciarrino、Henri Pousseur、Hanspeter Kyburz等のマスタークラスを修了したという輝かしい経歴を持つChong Kee Yong(鍾啟榮)(1971-)の名がある。

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鍾啟榮

彼は若い世代の牽引役となったばかりか、マレーシアにおける現代音楽シーンをリードする存在としてその存在感を増してゆくことになる。現代マレーシアの幕開けを告げる重要な作曲家である。

そんな彼の作品から一つ聴いてみよう。

「モノドラマ」と題された室内楽曲であるが、たしかにその経歴に偽りなしといった、実に難解な曲想である。

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しかしどこか中華的、アジア的な音が随所に聞かれ、彼の民族性がそのままそこに名刺のように置かれているのはとても面白いことではないだろうか。

 

さらにその後、2002年に武満作曲賞を受賞したことで話題になったTazul Izan Tajuddin(1969-)の名が登場する。

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Tazul Izan Tajuddin

彼はガムランイスラム音楽の構造コンテンポラリーミュージックの発想に活かす手法を確立、Leonardo Balada、 Juan Pablo Izqueirdo、 Reza Vali、 Michael Finnissy、 Martin Butler、Jonathan Harveyに学び、Franco Donatoni、Brian Ferneyhoughのマスタークラスを受講、Iannis XenakisPierre Boulez細川俊夫などに薫陶を受けたというこれまた輝かしい経歴を持っている。

彼の作品も民族性ということを極めて重要な柱としている点は重要である。

それが端的にわかる「In Memoriam」という作品を聴いてみよう。

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民族楽器によるソロがフィーチャーされ、西洋前衛手法との統合や、離反みたいなものが舞台の上に展開される。極めて独特で、ある種活力のある音風景である。

 

その後のマレーシア音楽シーンはこれら先駆的世代の牽引を受けて、一気にラディカルに花開いてゆくことになる。

 

 先述のChon Kee Yongを中心として、MPOというフォーラムに国内外から集まった作曲家には、指揮者やサックス奏者としても活動しているAhmad Muriz Che Rose(不詳)、声楽作品を中心にオーケストラ作品も発表しているVivian Chua(不詳)、ペルシア音楽をベースにしたオーケストラ作品や、オペラまで手がけるJohan Othman(不詳)や詳しい活動内容が未だ紹介されていないTay Poh Gekなどの名に続き、Edwin Roxburgh、Joseph Schwanter、Christopher Rouse、David Liptak、Augusta Read Thomasらに師事した経歴でも分かる通り、若手注目株のAdeline Wong(黃靜文)(1964-)、多くの受賞歴を持つ国際的ピアニストでもあるNg Chong Lim(1972-)、饶余燕に師事し現在売出し中のTeh Tze Siew(郑适秀)(不詳)、伝統楽器に根ざした新しい音楽を創出するYii Kah Hoe(余家和)(不詳)、アンサンブル作品などで知られ始めているMohd Yazid Zakaria(不詳)といった顔ぶれがあり、マレーシアの層の厚さが感じられるまでになっている。

 

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マレーシアの民族性

 マレーシアの音楽的背景とはなにか。それは多人種国家であることであろう。これまで挙げてきた作曲家の名前からも分かる通り、マレーシアには数系統の人種的な血脈があり、国内では度々衝突事件が発生するなど、その関わりについては平和的なものだけではなく実に複雑であるという。
 マレーシアの国名からも分かることであるが、主たる人種はマレー系であり、およそ65%を占めているが、これも少数民族を含んでおり、その構成や部族については想像より複雑である上に、もともとヒンドゥー、仏教を主としていたところに、アラビア商人がイスラム教をもたらしたことで改宗が広まり、殆どがムスリムとなったという背景も複雑さを助長している。
 ついで、中華系であるが英国植民地時代に錫鉱労働者として入ってきたのをルーツとするもの、それ以前から貿易商として入っていたもの、さらには政治難民に至るまでこちらも複雑である。また本土の中国語とは異なり広東語などの南方方言を用いており、自分たちの話す中国語を华语と呼んで本土のそれとは区別しているのだという。さらに錫鉱労働者とは違い、もともと英国人として支配層であった、英語を母語とする中国人もおりプラナカンとトトックと呼んで区別があるようである。
 ついで多いのがインド系住人である。南インド系を主としており、こちらもイスラム教改宗組、シーク教徒、出稼ぎ労働者と非常に複雑であるとのことで、単一民族国の我々からは想像もできない状況にあるようだ。

 上述する通り、民族の多用さは音楽の多用さでもあり、特にムスリムの音楽、仏教、ヒンドゥー教に由来するもの、そして中華系の音楽はそのルーツとしてもっとも色濃いものとなっているのは間違いのないところである。さらに言えば、周辺国からの影響もあり、ガムランなどの音楽の流入もあって、音楽の嗜好についても我々からは想像もできない複雑な背景があるようである。

 

 そういったマレーシアの音楽にあって「今」を代表する一人を最後に紹介しようと思う。それがZihua Tan(陳子華)である。

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Zihua Tan

 Zihua Tan1983年にマレーシアに生まれた。名前の表記からも分かる通り中華系の家柄である。

 音楽的なバックボーンは、John Rea, Philippe Leroux, Chaya Czernowin, Johannes Schöllhorn, Vinko Globokar, Mark Andre, Brian Ferneyhough, Tristan Murail, Stefano Gervasoni, Rebecca Saunders, そして Francesco Filideiに師事したとあり、非常に充実したキャリアと言えるだろう。特にCzernowinやFerneyhoughそしてMurailの名が示すとおり、現在の現代音楽のシーンにおける花形師匠の系譜にあり、その精神はこれまでこのシリーズでも度々語ったとおり、複雑な演算と倍音操作に特徴が置かれるタイプの音楽であることは容易に想像がつく。
 彼の名が一躍知られたのは2017年の武満徹作曲賞の2位に輝いたことだろう。この年の審査員はHeinz Holligerであり、受賞作はT.S.Eliotの詩に触発されたというオーケストラ作品「at the still point」であった。Holligerはこの作品を評して「夢のような風景が繰り広げられ、植物も音もなくなった砂漠のがあって、何層にもなるミステリアスな音がオーケストラから生み出されている。」としている。なおHolliger自身はこの年の作品傾向を纏めて「もう少し規模の小さい作品も聴きたい」という言葉に凝縮させており、それは作品の持つもう一つの側面を欠点として挙げた意味があったようだ。すなわち「抑制的に書くことがなされていない」という部分である。

 

 彼の曲ではピアノの内部奏法が非常に多く使用されるなど、その経歴に違わない複雑性と前衛性を身につけているが、私が特に感心した曲を一つ紹介しようと思う。

それは「Silent Spring」と題された、打楽器三重奏の曲である。

 

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 この曲の舞台セッティングは上記のようなもので、中央のドラ両サイドには自転車のホイールが置かれている。
 ドラには演劇的な動きも求められ、ぶつかり、ひっかき、あるときには抱きつくなどの動きが見られる他、自転車のホイールは回してノイズを得るだけでなく、たたき、擦り、弓で弾くなど様々な方法でこのマテリアルから音を取り出してゆく。残念ながら楽譜は未出版であるが、この曲には彼の生まれたマレーシアという国での原初体験が眠っているように思えてならない。
 つまりそれは生活の足として身近な自転車であり、経済の高揚とともに聴こえる工業の音であり、それら「国全体から」湧き上がるノイズ、そして中華系としてのルーツに、彼の音の眼差しの原点があるのではないかと思えることである。

 

 このように数名の作家の作品を見ていくと、とても民族主義的要素、そして個々の原初体験というものが直截に表されている反面、国としての音楽の傾向があるわけではないという点に気が付かされる。

 複雑な多民族国家であること、それぞれのルーツが異なることがそれらの主な原因であるのだろうが、加えて言えば、それだけ個人様式が浸透しているとも言えるのではないだろうか。

 ポスト・モダンが言われだして久しい昨今、潮流というものはいくつかはあるものの、グローバル化の中でそれらは段々と境目がなくなり、寧ろ混沌とした差のない世界音楽になるように思われる中、かつて紹介したアイスランド人の作曲家もそうだが、そういった最先端の手法を、自らの原初体験や民族性に回帰した形で、新しい民族音楽を創出しているというのが、皮肉にも「今」の時代なのではないだろうか。

 日本人は他国の文化を取り入れ、自分たち様に変化させる天才と言われてきた。しかし日本の前衛の「今」はどうだろうか。そこに「日本」はあるのだろうか。

 否、勘違いしズレきったクール・ジャパンがあるだけだ。

 

 

唯一神バッハの欺瞞と神の超克

 「あーなーたーの髪の毛ありますかー」
の替え歌で知られる、『小フーガト短調』。中学生の頃、誰もが学校で習った曲だろう。しかし、この曲の凄まじさを知っている人は意外なほどに少ない。多分音楽の先生も知らないだろう。知っていたとしたら、授業に熱が入らないわけがない。

 『小フーガト短調』の作曲者は、所謂"音楽の父"、J.S.バッハだ。バッハはバロック後期の作曲家であり、膨大な数の作品を残すと同時に、西洋音楽の基礎を構築した作曲家でもある。しかし、その音楽の響きは正直、総じてつまらない。いわゆるクラシック音楽という感じで、ワクワクするようなリズムもなければ、工夫に満ちたハーモニーもない。ただただシンプルを極めた響きが、延々と続くだけだ。BGMとして流れているならまだしも、これだけを集中して何十分も聞くなど苦行に近い。少なくとも僕はそう思っていた。

 しかし、楽譜を分析してその意見は根本から変わった。バッハの音楽は、現代の音楽とは全く違った視点から書かれている。全ての旋律がメロディとして等しい価値を持ち、緻密に絡み合い、歌っている。それは異常なことだ。バッハの音楽には、極めて数学的・パズル的な凄まじさがある。例えるならば、何のヒントもない状態で巨大なクロスワードパズルを完成させた上、全ての単語を繋げたら美しい詩文になっていたという感じだ。パズルを完成させるところまでは出来ても、それで文章を紡ぐなど人間業ではない。バッハが生涯をかけて完成させたこの音楽形式は「フーガ」と呼ばれ、今でも音楽の最重要概念に数えられている。

 バッハの音楽は、所謂「絶対音楽」だ。つまり、例えば「夕日の綺麗さをイメージした」とか「失恋の悲しさを表した曲だ」というような具体的なテーマはない。ただ純然たる音楽としてだけ、その存在があるのだ。それに加えて、彼の曲は数学的に精緻な作りになっており、どこか自然物の美しさ──例えば、ひまわりの種が放射状に並ぶ様子とか、魚の体表の美しい模様とか──に通ずるものを感じる。以上のことから、僕はバッハに対して「神」という概念を強く意識するようになった。絶対的存在であり、不完全な肉体を超克したもの。バッハの音楽は感情を込めて弾くのが難しいと言われるが、それもそのはずだ。神の領域に達した音楽には、卑俗な感情の匂いは感じられない。

 僕は、バッハの音楽を批判することが不可能なのではないかと考えた。単なる響きの好き・嫌いを超えた場所、人間の論理で語れる地平を超えた場所、そこにバッハがいる気がしたからだ。つまり、「神は越えられない」のではないかと思ったのだ。しかし、ある現代作曲家の先生にそのことを話した折、極めて面白い言葉をいただいたので紹介しておきたい。

〝料理であれ薬であれ、作品を挟んで、大切なのはその前だけではなく、その後も大切だ(前だけで分かってくれ、食事などしないのは、神。
バッハはそのような神を終生、設定しきっていた。なぜなら神は糞など垂れてはならないからだ!)”

 バッハの音楽は絶対的な存在であり、神がかったものだったのは間違いない。バッハの音楽は"作品の前"から見た場合はあまりにも完璧だったからだ。しかし、"作品の後"から見た場合むしろ徒爾に過ぎないと先生は言った。どういうことか。

 バロック時代、バッハは最先端の作曲家だった。最新鋭の技法を開発し、それを実用化した。そうして生まれた音楽の数々は、今でも越えられることのない壁として厳然と立っているように思える。しかし、それは本当なのだろうか。現代はもはやバロック時代ではない。事実、バッハの時代から音楽は途方もない進化を遂げ、当時は有り得なかった芸術的表現の数々が実現している。バッハの音楽など、とうの昔に超克されているはずなのだ。にも関わらず、「バッハの音楽は越えられない神だ」などと未だに囁くとすれば、それは懐古主義だ。──いや、懐古主義というより、むしろ思考の放棄かも知れない。

 音楽は進化する。突然変異を起こす。どんなに絶対的に思える音楽も、必ずいつか打ち壊される。そしてその時、自分を打ち壊したそれが「突然変異した自分」だったことを知る。ある音楽は、自身の分身によって超克されるのだ。音楽史はそれを繰り返してきた。だから終わることがない。自己がある限り、非自己もまた必ず存在するからだ。そういう意味で、バッハは神であると同時に罪人でもあった。僕は作曲家として、バッハを超えなければならないだろう。もう超えているとしたら、そのことに気づかなければならない。

 人間が不完全である以上、神は超えることができる。人間に想定しうる神の姿もまた不完全だからだ。そのことに僕たちは気付かなくてはいけない。芸術に何か社会的な意味があるとしたら、「神を超える方法を教えてくれる」ということかも知れないが、それは僕にとって正直どうでもいい。僕はただ、神を神としたまま超えていくことができる、ということが嬉しくもあり、同時に恐ろしくも感じられるだけだ。それは、終わりのない生命と芸術の輪廻を意味する。