
ご無沙汰しております。当会では持ち回りでブログを執筆していましたが、いままで不定期執筆だった方々が定期執筆に加わっていただいたことで、定期執筆をしていたコアメンバーの負担が軽減され、執筆間隔が長くなりました。いやー嬉しいですね。しかし空いてみると、今度はネタをどうするか逆に悩むようになってきました。
人間というのは欲深い生き物ですね。
そんなわけで今回は久しぶりに最近の現代音楽シーンの中で私が気になった楽曲と作曲者について紹介するこのシリーズを書くことにしてみました。前回の第6回の文末にまだまだ曲があるのですぐに第7回を書くとか書いていましたが、なんだかんだ時間が空いたので、その時のネタは陳腐化してしまいましたので、また別のものを紹介することにしようと思います。
1.Trio for Flute, Violoncello and Piano/Aslıhan Keçebaşoğlu

はじめにご紹介する曲は1994年トルコに生まれた女性作曲家、アスリハン・ケチェバショルの書いたフルート、チェロ、ピアノのための室内楽曲です。タイトルは絶対音楽的で「トリオ」とだけ書かれた潔いもの。曲の内容はその他のトルコの作曲家同様に非常に倍音への間隔が研ぎ澄まされており、はっきりとした中心音設定と旋法性がありノイズに彩られながらも、全体にトナリティーを崩さず美しく心地よく響く曲となっています。
作曲者のケチェバショルはトルコのアンカラに生まれ13歳でアンタルヤ国立音楽院に入学しました。ユーリ・サユトキンに師事し、主にピアノの習得に励んだようです。そしてショパン国際コンクール3位入賞など輝かしい成績を残すも、その後作曲に転向し、オヌール・トゥルクメンに師事して大学での学習を開始したとのこと。すぐに頭角を現し、ガレージ・アンサンブルの演奏などにより国際的に紹介されるようになりました。一躍国際舞台での活躍を手にした彼女はその後、更に専門性を高めるためにマーク・アンドレに師事し2018年にビルケント大学を卒業し、さらにシベリウス音楽院の修士課程に入学、ヴェリ=マティ・プーマラに師事しているとのことです。
おそらく次代を担う若手作曲家になるであろう彼女が、このトリオを書いたのは2016年。マーク・アンドレに師事する前に書かれた、いわば初期作品ということになります。すでに確固たるスタイルを築いており、カイヤ・サーリアホ、マグヌス・リンドベリにも師事するなど積極的にキャリアを伸ばしているだけに、今後の作風の変化には大いに注目したいところでもあります。
なお、この世代の作曲家には特に不運だったのがコロナ禍であり、彼女もこの影響を受けてしまい、演奏プロジェクトの中止や延期など、キャリアのスタートダッシュに暗い影を落としていましたが、本作はその後2021年にアンサンブル・アンテルコンタンポランに取り上げられるなど、暗い影を吹き飛ばす破竹の勢いでその名を世界にアピールしています。
そもそもがピアニストであることから、大きな編成より小さな編成に強みを発揮しそうではありますが、本作を聴くに、そもそもはメロディをもった音楽を基調とした作風のように思えます。これは若い作曲家に共通して言えることですが、かつての前衛は死に絶え、いまはそのイデオロギー闘争とともにあった前衛に対して闘いを挑むことが新しいコンテンポラリーの基軸となっているように感じらます。そこには実験時代の産物の完全なる咀嚼とともに、調性やPopsなどとそれらコンテンポラリーの言語を分け隔てなく使うことと、極めて個人的な方法で集団に立ち向かうという方法が採用され、一層集団的な姿勢を批判的に見ることが鮮明化しているように思います。
日本でも一部の音楽評論家は「政治的集団的闘争」こそ音楽とは不可分で、そのような姿勢と激動こそが名作を産むといまだに言っている人が散見されますが、若い世代の作曲家の「自己紹介的な作品づくり」の前に、そういった言葉は虚しくこだまするだけになっていると言って差し支えないでしょう。もう貴方がたの時代は去ったのだとこの曲も知らせてくれるようではないでしょうか。
それではさっそく聴いてみましょう。
2.Equality/Brett Dean

この特集は難解なものが多くなりがちなのが初心者には分かりづらくなってしまうといううらみがあるのですが、次の曲はそういう要素を有る意味で吹き飛ばして楽しめる痛快な音楽です。作曲したのはオーストラリア出身の作曲家、ヴィオリスト、指揮者であるブレット・ディーンです。タイトルは「平等」の意味で、ピアノ独奏(セリフ付き)のために書かれています。
セリフ付きとはどういうことかというと、演奏者がセリフを有るときは絶叫するがごとくに朗読しながら演奏するのです。そしてそのセリフ必ずしも道徳的とは言えない野卑な内容を含むのが面白いところではないでしょうか。
ブレット・ディーンは非常にユニークなキャリアを持つ作曲家です。1961年生まれと、幾分ベテランの領域に入る年齢ですが、ブリスベンに生まれ、8歳からヴァイオリンを習いはじめ、クイーンズランド音楽院ではヴィオラを専攻しました。大変優秀な成績を修め、1985年から1999年までなんとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のヴィオラ奏者を務めていました。キャリアとしてはトップクラスとも言えるのですが、それと並行し彼は作曲に興味を示し1988年から作曲活動も開始しています。そして2000年にはそのキャリアを捨てフリーランスとして活動することを選ぶと、母国に戻り様々なイベントに参加、また作曲家としても台湾国立交響楽団のレジデント・コンポーザーを務めるなど活動の幅を広げ、カルロ・ジェズアルドに影響された「カルロ」という作品が大成功し、国際的に作曲家としても知られるようになりました。作風は複雑なリズムと極端なデュナーミクを特徴としているそうですが、本作でもそういった特徴は現れているように感じます。
しかし本作はそういった難解さよりもポップさが際立って聞こえ、先述したようなセリフの存在によってユニークで笑ってしまうような曲に仕上がっています。しかしタイトルが示す通り作品が示す本来のテーマは「平等」であり、このあたりのテーマ性は若手作曲には少なくなりつつある旧世代的前衛の精神を感じることが出来ます。
オーストラリアの作曲家といえば、ピーター・スカルソープやバリー・カニンガム、カール・ヴァインなどが思い出されますが、いずれも調的、旋法的、そして民族的イディオムを含んだ作風を持つことが多く、極端な難解さは持たないスタイルの作曲家が多い中、やや複雑でもそれを軽く聴けるものとしたり、柔軟な対応を見せる彼の作風はなかなか個性的と言えるのではないでしょうか。
それでは聴いてみましょう。
3.musica pyralis/Katherine Balch

次にご紹介するのはアメリカの若手女性作曲家、キャサリン・バウチの作品です。バウチは1991年にサンディエゴに生まれ、イェール大学などに学び、これまでに作曲はジョージ・ルイス、ゲオルク・フリードリヒ・ハース、マルコス・バルター、ゾーシャ・ディ・カストリ、アーロン・カーニス、クリス・テオファニディス、デイヴィッド・ラングなどに師事したとのこと。多彩な作曲家に師事したことも影響してか、いわゆるイェール系ポスト・ミニマル路線とは違う独自の音楽感を有しているように感じます。
今回取り上げたのは短いオーケストラ曲で2023年に書かれた「musica pyralis」です。邦訳はちょっと難しかったのですが、ピラリスは基本的にメイガという蛾の学名であるようで、それをとるなら「メイガの音楽」となりますが、たしかに蛾の飛ぶような効果音の存在が確認できるように思います。
作風はもう一つの若い世代の作曲家の特徴である、微分音の積極的利用が挙げられます。これまでの微分音の用いられ方とは変わってきており、新しい響きを想像するというより、倍音に溶け込ませたり、音律的に用いたりということが普通になってきつつある中で、彼女の音楽には調性に溶け込む形で用いられており、音響の発明家の異名を取る彼女の作風の重要な要素となっているのは間違いなさそうです。
おそらくこのあたりの響きのコントロールのセンスはスペクトル的な手法、師の一人ハースの影響が顕著なのではないでしょうか。またイェール系の作曲家に独特な反復の多様も見られるほか、ロマン派のオーケストレーションかと思うほどにわかりやすいメロディの使い方、更には特殊楽器による響きとオーケストラの音を見事にミクスチャするなど、キャリアで吸収した手法を彼女の中のロマンティシズムと自然音への興味、もとから備わった歌心と結びつけ、なんとも魅惑的な世界を作っていると言えるのではないでしょうか。
彼女の作品はショット社から出版され、ニューヨーク・フィルロンドン・シンフォニエッタ、アンサンブル・モデルンも取り上げるなど、その注目度の高さがわかります。また本邦でも武生音楽祭、サントリーサマーアーツなどで取り上げられ、すでに紹介済みという点は、本邦の閉鎖性とアカデミアの凋落、堕落っぷりからすると意外な気がします。
彼女は現在イェール大学で助教の地位にあり、すでに後進の育成にも力を入れているようです。ちなみに愛猫の名は「ツァラトゥストラ」なのだそうです。
それでは聴いてみましょう。
4.Flashes of Illumination/Žibuoklė Martinaitytė

次は1973年リトアニア出身の作曲家ジブオクレ・マルティナイティテの作品を紹介したいと思います。彼女のキャリアのはじめは母国のカウナス・J・ナウジャリス芸術学校に始まり、リトアニア音楽演劇アカデミーに進みブロニウス・クタヴィシウス、ユリウス・ユゼリューナスに師事しました。その後各国で夏期講座などを受講、ボグスワフ・シェッフェール、マレク・ホウォニエフスキ、ブライアン・ファーニホウ、ホセ・エヴァンジェリスティ、ジャン=リュック・エルヴェ、ジョナサン・ハーヴェイ、マイケル・ジャレル、オーレ・リュッツォウ=ホルムなどに師事し、その幅を広げていきました。
一見するとそのキャリアは最先端前衛の系譜を渡り歩き、複雑な音楽を書く人のように見えますが、彼女の音楽は保守性の強いリトアニアの作曲家の系譜に位置していて、大変美しく、旋法性を全面に打ち出しており、キャリアからその音楽性を想像するのは難しいタイプと言えるでしょう。とはいえ、曲によっては複雑性を、また別の曲ではスペクトルの技法をと千変万化であり、表面現象は彼女の師事した作曲家の影響をはっきりと如実に映し出しているように見えます。しかし根底はリトアニアの合唱団のような美しく住んだ響きにルーツを感じるのは間違いなく、特に今回紹介するピアノ曲はそういった要素が強く感じられるものです。
本作は「光の閃光」と訳せるもので、眩さを感じるものとなっています。たしかに聴けば光に満ち溢れた中にいるかのような感覚を共有できる作品となっています。明確なメロディーというよりは動き自体が響きを形作っていく書き方となっており、そのサウンドコントロールは高いキャリアによる裏付けを確かに感じさせられます。一方非常に聞きやすい音楽であり、一般の人でもその音楽の良さを楽しむことは簡単でしょう。こういった響きを使うことに作曲家が抵抗をなくしていることを回帰的としてしまうのは間違えており、これまで行われてきたケージ以降、あるいはブーレーズ以降の音楽への強い挑戦の現れなのかもしれませんね。
それでは聴いてみましょう。
5.Strains in the Signal/Natalie Draper

さて今回の最後となりますが、アメリカの作曲家ナタリー・ドレイパーの作品を紹介したいと思います。彼女は1985年に生まれ、ジョンズ・ホプキンス大学、ピーボディ音楽院などに学び、オスカー・ベティソン、ジョエル・ホフマンに師事しました。作品の範囲は広く、ソロ作品からオーケストラ、そして吹奏楽作品も書いており、多くの演奏家にも恵まれ演奏の機会を得ているようです。その音楽は力強さを強調されることが多いようですが、本作は力強さというよりは、日本的なテクスチャを感じる旋法性を感じ、音列主義的で、ちょっと出だしは武満徹を彷彿とする柔らかさを感じます。しかし武満が嫌がった反復が多く見られ、さらに金子仁美が「時の層」のシリーズで見せいていたねじれゆく時間のようなものをテーマにしていることがはっきりと聞き取れます。
それを示すように「信号の歪み」と訳せるタイトルをっており、彼女の作品群では初期作品ということもあって、その後作風が変遷していっていることを感じ取ためにも記念碑的な作品といってもよいのではないでしょうか。
テーマを聞き取るという意味ではわかりやすい作品でありますが、それだけにやや表面的な印象はありますが、現代音楽への接近という意味ではこういう作品の存在は重要じゃないかなと思います。
それでは聴いてみましょう。
ということで、最近聞いた作品から印象に強く残った作品5曲を紹介しましたが、いかがだったでしょうか。
本邦の音楽界の停滞に嫌気が差した若い作曲家が、積極的に海外に出ていっているように、その他の産業でもどんどん人材流出が加速していますが、海外で輝く日本人が増えてきたのも興味深く、また新しいカルチャーの発信になんの衒いもなくなったことはとても良いことだなと感じます。
私も歳を取ったものですが、まだまだ理解ができる範囲に音楽があるので、少しホッとする部分もあります。
いつしかそれができなくなったとき、私は引退せねばならないのでしょう。そうならないよう、常に新しい発信の擁護者でありたいと思う次第です。