皆様あけましておめでとうございます。
旧年中は当ブログ、そして何より名古屋作曲の会と私自身に多くのご指導ご鞭撻をいただき有難うございました。
この会の顧問になって数年、会長も変わり次の局面を迎えた昨年は、残念ながら当会としては満足の行く活動内容とは行きませんでした。体制の変化に伴い、徐々にヴィジョンと企画の着地に失敗することが多かったのが主たる原因と考えますが、今年はそんな雰囲気を吹き飛ばし大飛躍をしてもらいたいと考えております。まだ具体的な段階ではありませんが、支部の結成、事務局の設置、さらに外部協力者の方々と色々ご一緒させていただき、会にも大きな刺激になれば良いなと感和えております。
どうか本年もさらなるご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し上げます。
さて本年のブログ、私の担当回としては最初の回となります。やはりここはこの「コンテンポラリーの回廊」シリーズで始まり、近年のコンテンポラリーの動向をどこよりも速くキャッチし、日本の文化度の後退を止めたいとの思いを新たにしたいと思います。では早速近年書かれたユニークだと私が感じた作品を聴いていきたいと思います。
1.This Changes Everything!/Alex Temple
はじめにご紹介するのは1983年アメリカ生まれの作曲家、アレックス・テンプルの書いた曲です。アレックス・テンプルは写真でも分かる通りLGBTQをカミングアウトしており、Qとしての活動に力を入れている作曲家です。
彼女はイェール大学に学び、作曲はカスリン・アレキサンダー、マシュー・サッターに師事しており、系譜としてはポスト・ミニマル的なものと言えますが、作風はミニマリズムではなくPOPSとのクロスオーヴァーと微分音による音響に関心が置かれているようです。
この曲はソプラノ・サックスの独奏に打ち込みによる伴奏がつけられ、Jazzのイディオムを柔軟に取り入れた上で、微分音によるゆらぎを加えるというクラシック離れした内容です。非常に現代的でDTM的な視座に立った個人的な作品と捉えられますが、そこらのDTMerと名乗る人々とはやはり土台の力が全く違います。日本でパソコンのケツを眺めてシコシコやっている自称音楽家も、このくらいの精度と解像度を持って音楽に臨んでもらいたいとの思いを新たにする刺激的な作品ではないかと思います。
え?何が違うって?わからないあなたの耳はもうカビで詰まっているのでしょう。対位法の技術が詰まった作品ということにすら気が付かないようでは先が思いやられますね。さてそんなワードをヒントに聴いてみましょう。
2.Cuélebre/Demian Rudel Rey
次にご紹介するのは1987年アルゼンチン出身のデミアン・ルーデル・レイの作品です。作者はアストル・ピアソラ音楽大学でサンティアゴ・サンテロに師事し、その後は一貫してエレクトロニクスを活用した作曲を行っています。
その音楽は細かい断片を各楽器に演奏させ、一種ジョン・ゾーンのような無軌道で疾走する断片を敷き詰め、徹底的に電子加工して聴衆に届ける手法を用いています。こういった作品は今に始まった手法ではありませんが、加工の方法がギタリストでもある彼の側面を生かしたものとなっており、一般的なライブエレクトロニクスの域を遥かに超え、楽器の実音を殆ど残さない域に達しているのが現代的ではないかと思います。音楽自体は難解な響きに包まれていますが、文明の利器をここまではっきりと肯定している音楽は、アレキサンダー・シューベルトの作品を思い出すほどです。またVJ的な要素をライブに持ち込むインスタレーションアートとしても極めて独創的と言えるでしょう。
3.Reflection Nebulae/Adrianna Kubica-Cypek
3曲目はポーランド出身の新鋭作曲家アドリアンナ・クビツァ=ツィペックの書いたオーケストラ曲です。タイトルは「反射星雲」の意味で、宇宙に輝く茫洋とした星雲の一形態のことのようです。
クビツァ=ツィペックは1996年にポーランドに生まれ、デンマーク王立音楽アカデミーでニールス・ロスリング=ショウのマスタークラスを卒業、その後もアレクサンダー・ラーション、ヴォイチェック・ステピエン、デイヴィッド・チャップイス、ルカ・アンティニャーニに師事しています。現在では国際的評価が大きく高まり世界各国から委嘱を受けるようになり、人気作家として頭角を現してきています。
この頃の音楽ではもはや、調性、無調、汎調、復調、多調、旋法性、倍音性、騒音性などは音楽を分ける区分ではなくなって来ており、彼女の作品も語彙選択が自由に行われています。この曲ではよく鳴り響くポイントとなる鋭い音が、茫洋と反射され溶け込むような響きの残滓になってゆくというはっきりした描写が続きますが、調的な響きと倍音的響きの混在が明らかであり、それが違和感なく美しく調和しています。大きな視座と直感的ですらある感性が結びついたまさに今を表す作風だなと感じたので、ここに紹介してみようと思います。
4.ŒIL/Jannik Giger
4曲目はスイスの作曲家ヤニク・ギーガーの作品をご紹介します。昨今のコンテンポラリー作曲家は作曲行為だけで何かを表すだけでなく、複数の芸術ジャンル、表現活動にまたがって活動することが多くなっており彼もまたそんな一人です。
1985年にスイスのバーゼルに生まれ、現在もそこを拠点に活動する、作曲家・ビジュアルアーティストです。
ベルン大学でダニエル・ヴァイスバーグ、ミカエル・ハレンバーグに師事、更にバーゼル音楽大学でミシェル・ロスとエリック・オーナのマスタークラスを修了しています。その後メディアアートを中心に作品を発表しており、映像と音楽との関係を不可分にした表現を中心にしているようです。
今回は純粋な弦楽四重奏の作品を紹介しますが、聴けばすぐにその作風の特異性に気がつくことと思います。一見すると古典音楽のような響きなのです。しかしなにか歪でレコード変調でもしたかのような不思議な感覚にとらわれることでしょう。これは調性や微分音やゆらぎのようなものを複数の言語の統合として認識し、複雑な楽譜を通じて不思議な音体験として聴衆に正確に届けているためです。倍音管理がしっかりしているため、これら微分音と調性が無理なく結びつき、ユニークな音楽となっています。なお表題の意味は「目」。非常に曲内容とともに意味深なタイトル付けだなと感心します。
5.Alessandro Perevelli/Mithatcan Öcal
最後に紹介するのはトルコの作曲家ミタトカン・エカルの作品です。
私は常々このブログや他媒体を通じて現代トルコの作曲家はいずれ世界のコンテンポラリーの中心を築くだろうと申し上げておりますが、まさにこの曲を聴くとその思いを新たにします。トルコには非常に豊かで、またかなり細かい微分音を含む伝統音楽の歴史があります。このあたりは当会の岩附会員の専門分野ですので、彼の記事を参照されるとよいかと思いますが、この伝統のせいか先天的に音の分解能が高いという特色があるように思います。
先程来書いてきた通り、今の作曲家はあまり音楽語法について一つの言語に拘泥せず、それらを如何に混ぜるかが作風の決定的な部分となっています。その中の要素にマイクロトナリティ、つまりは微分音の復活が著しいことは、トルコの作曲の絶対的な後押しになっていると言えると思います。9分音を文化に持つ彼らは、そもそも美しい微分音というものを幼少期から染み込ませているとも言え、これが倍音を中心とした響きを作る上で絶対的なイニシアチブとなっているのです。
エカルは特にアナトリア民謡や、中東の伝説などに興味の中心を置き、現代においてこれら古典がどのように聴かれるかということを作曲のテーマにしています。このため先程の曲もそうだったように、様々な語法がそれら民族素材の上に並べられ、西洋音楽史上では出現し得なかった旋法音楽に繋がっているわけです。
エカルは1992年トルコのイスタンブール出身。ミマール・シナン国立音楽院でアフメト・アルトゥネル、メフメット・ネムトルに師事しキャリアの最初の頃から、伝統音楽への傾倒を見せる作風を確立、現在国際的にも注目される一人になっています。
この作曲家の取り組みについてはそのうち「コンテンポラリーを聴く」シリーズで詳細に取り上げたいなと思っているので今回は多くは語らず、まず彼の音楽を堪能してみてください。ベートヴェン好き、民族音楽好き、そして劇伴好きにも刺さる内容と思います。
いかがだったでしょうか。新春を彩るにふさわしい最新現代音楽の世界は。そして日本の遅れっぷり、忘れ去られっぷりとこの国における文化理解度の低さをこれほど簡単に味わえることは少ないのではないでしょうか。
陽出づる國、経済大国と浮かれてるうちに、何も学ばず、楽を覚え、権利だけが先に行き、努力も研究もせず自分の好きなものだけ食べ続けたら、それはこうなるのは必然でしょう。2024年はどんな音楽が世界から生まれてくるか、どんな表現に出会えるか楽しみですね。願わくばそこに天才的日本人の存在がほしいですが、現状では望み薄なのかなと言わざるを得ません。少なくとも私とその弟子たちは、こういったフィールドへの研究を絶やさず、小さくまとまってほしくないものだなと思うばかりです。
ということで新春から強めの刺激と厳し目の論説で始めてしまいましたが、皆様に置かれましては引き続き感染症にもお気をつけになり、この年を良い年になさってください。また当会の活動にもぜひご注目ください。