名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

シリーズ「ロシア・アヴァンギャルド」- 第1回「スクリャービンのエクスタシー・システム」

シリーズ「ロシア・アヴァンギャルド

アレクサンドル・スクリャービン
― ロシア神秘主義と拡張調性の創造

 

Aleksandr Scriabin

1. 序論

 20世紀ロシア音楽の前衛的展開は、ほとんど例外なくアレクサンドル・スクリャービン(1872–1915)を起点として始まる。ロスラヴェツ、ルリエー、オブホフ、ヴィシュネグラツキーら第一期ロシアン・アヴァンギャルドの作曲家たちは、いずれもスクリャービン後期語法を参照点として自らの理論的音組織を構築した。したがってスクリャービンは、単なる革新的作曲家ではなく、「ロシア独自の調性変革モデル」を提示した存在と位置づけられる(Taruskin 1997; Schloezer 1973)。

 これまで個別作曲家の部分的研究は散見されるものの、彼らの作曲法や理論体系に踏み込んだ包括的研究は多くは存在しない。本シリーズでは、各作曲家が採用した作曲システムを実例分析とともに提示し、実際にそのシステムで作曲可能な水準まで整理することを目的とする。シリーズが完結したとき、文化史的にも作曲技法史的にも高い意義を持つ研究体系が形成されることを期したい。

 

2. ロシア神秘主義の思想的背景

 19世紀末から20世紀初頭のロシア思想界には、哲学・文学・宗教が融合した独自の神秘主義潮流が存在した。その創始的思想家はウラジーミル・ソロヴィヨフ(1853–1900)であり、彼は「全一性(всеединство)」の概念を提唱した。これは、物質と霊、主体と客体が最終的に統合される霊的秩序へ世界が向かうとする思想である(Soloviev 1877; Lossky 1951)。

Vladimir Solovyov

 ソロヴィヨフの思想は、詩人ブロークやベリイ、哲学者ベルジャーエフ神学者フロレンスキーらに継承され、象徴主義芸術運動と結びついた。芸術は「霊的実在を可視化する秘儀的行為」と理解され、とりわけ音楽は最も直接的に霊的次元へ到達する手段と考えられた(Berdyaev 1916)。

 スクリャービンはこの思想環境の中で成長し、自らの芸術を「世界を変容させる秘儀」と捉えるようになる。未完の《ミステリウム》構想は、音楽・光・香・舞踊・建築を統合し、人類を霊的変容へ導く最終儀式として構想されていた(Schloezer 1973)。

 このロシア神秘主義の成立は、時代的背景および宗教文化的基盤を抜きにしては論じ得ない。それはロシア正教という確固たる霊性基盤の上に成立した思想体系であり、単なる個人主義的・快楽主義的神秘思想とは本質的に異なる。生と死の循環の中に神の顕現を見出し、それを儀礼的象徴体系の内部に封じ込める霊性観が背景にあり、作曲家はその象徴体系を操作し顕現させる媒介者として位置づけられる。この視座から出発することによってのみ、スクリャービンの音楽思想の本質に接近することが可能となる。

 

3. 共感覚と神秘和音

神秘和音の例

 スクリャービン後期語法の中核を成すのが、いわゆる「神秘和音」である。代表的構成は
C–F♯–B♭–E–A–D
で示され、四度堆積構造を基礎としつつ内部にトライトーンを含む。この音集合は機能和声的には属和音の極端な拡張体と解釈可能であるが、スクリャービン自身は機能概念を拒否し、これを「緊張エネルギー場」として扱った(Bowers 1986)。

 

神秘和音のヴァリエーション

 神秘和音は固定形ではなく、転回・転置・部分抽出を通じて連続的音響空間を形成する。和声進行は解決志向型ではなく、音響密度の変容過程として構築される。特にトライトーン関係による和音推移は、調的中心を暗示しながら終止を回避し、「中心は存在するが解決しない浮遊調性」を生み出す(Taruskin 1996)。

 

神秘和音の属和音性

 上記の通り、神秘和音を通常の機能和声法的に眺めるとその和音には属和音としての性質がある。
 それは多くの研究者が指摘しているとおり通常の三度の堆積の形に変形し、ここでは試しに根音をGとしたときに上に示す図のような形となる。
 この形にしてみると属九の和音を基本としていて、通常の第五音と下方変異した第五音が同時に存在していると見做す事ができ、この和音自体に属和音としての性質があることは明らかである。
 また初期研究の別説として、神秘和音と自然倍音列の類似性に言及するものもあり、一時はこれが主流とされていたようだが、この和音に属和音の性質が強くあることは間違いなく、私も基礎研究を行った川西三裕氏の意見に賛意を示すところである。
 川西説の一つの裏付けとなっているのは、氏の論文「A.スクリャービンの作品における作曲法の変遷についての考察」で触れられている通り「神秘和音の構成音が倍音列に含まれるということは、スクリャービンが後期において、音響学者からの指摘で初めて気づいた」とサバネーエフが書き残していることと、秋庭佳代子の研究(2012)においてスクリャービンの初期中期作品、つまり神秘和音によるシステム完成以前にスクリャービンが好んで使用したハーモニー「I+V9」の和音が変化して、神秘和音に至ったとするものである。
 私もその筋書きに全く賛同するところであり、自然倍音列による説明では空白の説明や、終止感のなさについて十分に説明し得ないと考えるところである。(A.スクリャービンの作品における作曲法の変遷についての考察, 川西三裕, 2014.)

 

初期和音からの変遷


 上記のように「I+V9」から神秘和音の種にたどり着くのは極めて容易である。主属混合和音はあえて一般論的なわかりやすさを優先して書くならば、Popsの文脈で言うイレギュラーのAvoid NoteであるFを含む形でのI13と解されるものと同じになる。この和音がそもそもF音をAvoidするとしているバークリセオリーでは、F音を嫌う理由として短9度の響きを内在することで生じる音の濁りと、五度圏に五度堆積和音として順に積み上げたときには、Fより先にF#が登場し、F音は堆積の最後に登場する非常に遠隔な音であること、そして何よりスクリャービンの初期の狙いであった通り、主和音の中に属和音を生じさせてしまい、機能の衝突による混沌が発生することを嫌って使用不可とした。
 バークリーセオリーではこのF音を邪魔なものとして取り去る道を選んだのだが、スクリャービンは根音を省略するクラシックの和声法では標準的な方法論を採ることで和音の安定を図ろうとしていく中で、様々なヴァリエーションを試し、結果的に属九の和音に相当する部分に下方変位を与え、主和音部から根音を省略することで最終的に残存した音を再配置した際に神秘和音の形になったと理解するのがやはり自然であろう。

 セオリーにおける考え方の分化としてあえてPopsのセオリーとの比較を行ったが、このことで、なぜスクリャービンが根音を省略する方向に動いたのかがクラシックの文脈として自然で歴史的な方法論と態度であることをより明確に示すことができるのではないかと思う。またここでも付加的に自然倍音列由来説を再否定できるものと考える。(秋庭佳代子の研究, 秋庭佳代子, 2012)

 

スクリャービンの音と色の対応表

 またスクリャービンは音高と色彩の共感覚を有していたとされ、独自の音‐色対応表を作成し、《プロメテウス》において光響装置を導入する構想を持っていた。ここでは和声推移は色彩場の連続変化として理解され、音楽は空間的・視覚的次元へ拡張される(Peacock 1985)。
 こういった共感覚の保持者というのは、独特の思考方法が行動を一般的なそれとは違うものにすることは、近年の研究でも示されており、数字に色がついて見えるという人は、数式の計算を色で認識することで学習を短絡するという方法を持っていたり、特定の音に色合いが見える共感覚を保持していると、描く対象の色合いで和音や、調、そして場合によっては基本的なメロディーが決まってしまうということも起きるのである。
スクリャービンもそうした色と音の共感覚を保持しており、これが和音の選好形成と密接に関係した可能性は十分に考えられる。むしろそうでなければ逆に不自然だろう。
 いずれにしても、様々な観点からスクリャービンの神秘を追い求める試みと共感覚、そして音への美学が必然的結末として神秘和音を作らせたということに何ら無理はないだろう。
(※蛇足ではあるが筆者も音と色の共感覚を一部保持しており、その事による自身の体験と合わせて考えると、スクリャービンの神秘和音の生成において共感覚が影響しなかったと捉えることは極めて不自然に感じるのである)

 

4. 《法悦の詩》における音響エネルギー構造

 交響曲第4番《法悦の詩》(1908)は、神秘和音語法が管弦楽規模で展開された代表作である。作品は従来のソナタ的対立構造を持たず、短い動機細胞が拡大・変容しながら連続的高揚曲線を描く。

 和声的には神秘和音およびその転位形が連鎖し、旋律線は和声内部音から抽出されて形成される。すなわち「旋律が和声から生成され、和声が旋律へ溶解する」横軸的統合構造が成立している(Bowers 1996)。最終クライマックスでは全管弦楽が神秘和音音集合を極度に拡張配置し、巨大な音響エネルギーの放出そのものが到達点となる。ここにスクリャービンのエクスタシー観が音楽構造として具現化されている。

 

法悦の詩における神秘和音の連続

 このように、神秘和音の転置・部分抽出・トライトーン関係的連結によって和声的骨格が構築される。この構造を抽象化すれば、集合演算とトライトーン連結モデルに整理可能であり、アルゴリズム的生成手法への転用も理論上は容易である。

 それではここからスクリャービンの和声システムについて詳しく見てみよう。

 

5. スクリャービンの和音法則

 スクリャービンは上記のように、徐々に神秘和音を形作るように自らの語法を変化させていった。そしてこの和音が完成した後はどうだったのだろうか。
 結論を先に言えば、神秘和音を主としたハーモニー連結についても、独自の眼差しや工夫を加えていき、最終的にスクリャービンの和声原則」(秋庭佳代子)と言える一種のハーモニーセオリーを構築するに至った。
 それはどのようなものだったか、本項ではその実際に迫り、さらに秋庭佳代子らの研究を下地にさらにその考えの延長線上に何があったかを整理しなおし、主に作曲家にとって利用しやすい和声モデルとして定義していくこととする。

―1.スクリャービンの和声法則 I

 参考論文ではこの第1原則を神秘和音の中心軸による同一性を定義するものとしているが、これは上述の通りすでに明白なため、定義から外し、本来第2原則と定義されたものを私はスクリャービンの和声法則 I」として定義し直すことにした。

 スクリャービンはその和声法則を、神秘和音の形成と同じくして、徐々に整備していった。その結果として制御機構も感覚的なものから徐々にシステム的な原則を増やしていく形で発展していったので、時期によってその運用は揺らぎのあるものであることを先に断っておくことにする。これら原則の成立の経緯については出典論文中の研究を参照してほしい。
 ここでは最終的なスクリャービンの和声システムをセオリーとして整理し直すことにし、最後には本人が将来的実装を見据えていたであろう共感覚をもとにした法則を仮説的にまとめて行く。

中心軸システム

 神秘和音は構造上基音をもつ和音として使われる。そしてこの和音自体には転回形もあり、これらを自由に組み合わせてその場のハーモニーをコントロールしていることは前述のとおりである。ここに新たにこの基音に対してスクリャービンは大きな発見をしている。
 バルトークの中心軸システム」と呼ばれる、12半音を3等分することで得られる、4音を根音とする和音は同じ機能を持ち、相互に代理し合うという考え方である。
バルトークがこれを発見し理論化するより前に、彼が同じ半音分割法に気が付き、これを自身の曲で実践したことは驚きであるが、感覚優位の神秘和音の運用に、数学的なコントロールが導入された瞬間でもあり、この事をもってスクリャービンが和声システムでの作曲に完全に舵を切ったと言えるだろう。
 バルトークのシステムとの違いは、バルトークがあくまで通常の三和音を基礎にこの分割を用いて、和音の機能(T,S,D)について十二半音の中にそれぞれTグループ、Sグループ、Dグループと定義できる4つの基音群を等分という数学的方法で割り出したのに対して、冒頭より述べている通り、そもそも神秘和音はスクリャービンの主観による主和音であり、それは主和音プラス属和音という混声和音を源流とするもので、機能は一般的に言えば属和音的であり、この和音で埋め尽くした音楽にそもそもの機能和声感は存在しない。つまり同じ分割による基音のコントロール法にたどり着いたとしても、それはバルトークのように機能をグループ化するものではなく、性質を異にする神秘和音のグループ化であって、機能和声的代理構造ではないことは言うまでもない。

 

中心軸によるグループ回転図

 バルトークは先述の通り、この3機能を4音でグループ化することで、12半音の中に機能別グループを構築し、相互に代理可能としたことで、遠隔調転調のような効果も実は非常に理論的に、かつ秩序だって行われることを示した。スクリャービンは形こそ同じではあるが、これらのグループに属するそれぞれの神秘和音は別の性質のものであると考えている態度を示し、一種の機能のようなものを付加させようとした痕跡が読み取れる。
 バルトークと全く同じ着想だが、スクリャービンにとってはこの基音上に立脚するのはあくまで神秘和音であることが重要であり、そのことでこれらの和音は数学的には本来同一の性質の集合体の移行形であることは先程来繰り返しているところだが、ここに機能的な役割を付加するに当たって、さしあたって従来のような機能和声的記号、つまりT, S, Dのようなものを用いてよいかどうかという疑義が生じる。
 筆者は同一性質の和音の移行形であるグループを機能で整理することにはいささか抵抗があり、ここは川西の研究の先例に倣って、それぞれのグループに仮符号I, II, IIIを付すことを支持したいと思う。このグループの中核をなす1音に対して例えばIとした場合、同一グループ内にある残り3音を基音とする神秘和音は同一のものと考えiと表記すれば分かりやすい。
 同様にIIグループの中心的な代表をIIとするならグループ内の他の3音を基音とする神秘和音をiiとおける。
 こうやってグループ別に数字表記を用いて整理することで、これらが移行という方法で、転調に変わるシステムとして一種の神秘和音の連続における機能のような役割を持ち始めることになるのである。

―2.スクリャービンの和声法則 II

 スクリャービンはこの分割方法によって作られた神秘和音のグループI, II, IIIについてさらに興味深い規則を用い始めるようになる。それが各グループの和音の連接における規則である。

 

神秘和音のグループの連接規則図

 通常機能和声では、和声と和声の連なりを「連結」ないしは「進行」と呼称し、その連結に際して様々な規則を設けている。しかしここではそれぞれの和音と言ってもグループが違うだけで全ては神秘和音であるから「連結」という言葉はなじまないと考える。これは各グループの和音に移る操作が、伝統的な意味における「転調」ではなく単なる「移行」にすぎないという数学的性質を重要視すれば当然のことであり、あえてここでは和声の「連接」と呼ぶことにしたい。
 そしてこの和声連接について上記のような、連接循環システムを考案し、実践していくことになる。
 おそらくはスクリャービンの中では伝統的な音楽の構造と同じように神秘和音を用いたいということから、こういった仕組みに思い至ったと考えられるが、数的な秩序の中では原則は数学的なものを優先すべきであろうことから、呼称については前述のように慎重な態度であるべきだろう。
 この循環システムは非常に単純であり、グループIの諸神秘和音からグループIIの諸神秘 和音へ連接させ、さらにグループIIIの諸神秘和音を経て、再びグループIの諸神秘和音に回帰するというものである。伝統的な機能和声の循環を模倣してはいるが、通常の伝統的機能和声ではカデンツが3種類あるのに対し、これは一種類の原則だけに絞っているところから、スクリャービン本人も、神秘和音の循環システムを機能和声に準じさせるのは不可能だと察知したのではないかと考えられる。
 このような和声連接の循環方式が導入されたことで、一気に神秘和音による作曲技術は理論的な側面を強くしていったと言えるだろう。
 なおスクリャービンの和声法則 II」は参考論文では第3原則とされていることを付記しておく。

―3.スクリャービンの和声法則 III

 スクリャービンは更にこのシステムに、和音の連接だけでなくメロディの一部も呼応させて連接する方法を考案する。
 これは参考論文では更に後記のシステムとして、原則としては定義されていないが、ここでは一連のシステムの至った最終形としてスクリャービンの和声法則 III」として定義するものである。

 

トライアングルレイアウト図

 和音グループを三角形に配置し、それぞれの群の中に減五度を基準とした連接ラインを設ける。
 そうしてそれぞれのグループが同じ直線上に共通音を介して連接し、循環していくことが可能になるという、より数学的秩序を持った構成となっていくのである。これをここでは「神秘和音のトライアングルレイアウト」と呼ぶことにする。
 このトライアングルレイアウトがわかりやすく見えるように、各グループを行き来するときに利用される、共通減五度には赤、緑、青の色を便宜的につけてみた。注意してほしいのは共感覚の保持者であったスクリャービンの感覚による色付けではなく、連接の規則性をわかりやすくするための着色である点である。
 このような共通音を介してグループを連接させる方法に至るなら、例えばグループIからグループIIIへ逆周りもできるだろうが、スクリャービンは第II法則を重視し、あくまで循環の方式は片側周りの一方通行としている。これは通常の音楽で言えばD回転のみに音楽を縛っているというようなものであるが、S回転といえる逆回転を採用しないことは、スクリャービンが伝統的な和声連結を参考にシステムを秩序立ったものにさせようとしたことの強い現れであろうと考えられる。

 ここまでの法則については「A.スクリャービンの作品における作曲法の変遷についての考察, 川西三裕, 2014.」の先行研究にあるとおりであるが、この先については今回の文章化に際しての仮説となることを付記しておきたい。

―4.共感覚とシステムの統合(スクリャービンの和声システム IV)

 スクリャービンが音と色の共感覚の保持者であったことは述べているとおりであるが、スクリャービンは生前その共感覚について語っていて、それに基づくと以下のように各色と色の対応図が出来上がる。ここでもう一度その図を再確認しておこう。

スクリャービンの色と音の対応表

 そしてこれら自分の共感覚を取り入れた音楽を構想し、鍵盤を弾くとそれに対応する色を放つことできる「色光ピアノ」なるものを開発し、これを自作の交響曲第5番「プロメテウス-火の詩」で実際に用いるつもりでいた。残念ながらこの色光ピアノを実際に使った演奏を生前に「観る」ことは叶わなかったが、現代において実際にその試みを再現するイベントは何度か行われているようである。
 ちなみにここでよく疑問に思われることを整理しておきたい。
 それは各音に色がついて見える共感覚なのだから、神秘和音はそれらが渾然となった色合いとして認識されたのかという問題である。
 実はこのことはサバネーエフに語ったところによれば、それぞれの音にそれぞれの色が見えるのであって、混ざり合うということはないのだそうである。
 これは鍵盤別に色が塗ってあるようなものであり、和音になったからと言ってそれらが違う色に変化するのではないということである。

 

基本的神秘和音の色分布図

 このようにして横軸に基本的な神秘和音の構成音列を並べ、それに対応する色を縦軸に書いてみると、非常に色彩豊かな空間が彼の中に見えていたことがわかる。

 

神秘和音の構成音を仮に混ぜ合わせた図

 巷間、たまに言われている誤解を具現化して、これら神秘和音の構成色を混ぜてみると上図のようになる。

 極めて地味な、なんとも面白みのない色となってしまう。

 このように、あくまで単一の音に色が呼応するのであって、決してそれらが都度混ざって合成色を感じていたわけではないことが、この方法を通じれば共感覚のないものにもとてもわかりやすく感じるのではないだろうか。

 そして色光ピアノの開発を志したことから、スクリャービンは自らの感覚と和声システムを最終的に統合したかったのではないかという仮説が生じることとなる。
 スクリャービンは初期作品から連綿と自らの感覚に符合する音をもとめ、はじめは感覚的探索だったものに、徐々に秩序を付加していき、神秘和音を形成、そしてそれを連接循環させるシステムや、減五度の共通音を介して連接する方法で、さらに作品を秩序だったものにしようと語法をデベロップしてきたことはこれまでに見てきたとおりである。
 であるならば、その果てにあるものは自身の感覚とシステムの究極的融合であろう。そしてそれを一般に「観せる」方法として色光ピアノを用いた総合芸術的作品を考案したのであって、そこには色と音の結びつきのモデル化を意図していたと考えるのが自然だろう。

 

トライアングルレイアウトに対応色を加えた図

 上記はスクリャービンの和声法則 III」の図に対応する色を流し込んだものである。
 各グループをつなぐ線の色は便宜的なものだが、音に対応する色を加えてみると、極めてカラフルな色の循環システムが浮かび上がってくるのがわかる。
 そしてグループ連接が、共通する減五度によってなされていたのも、スクリャービンとしてみれば共通色によるグループ感の橋渡しであり、連接先のグループでまるで転調に似た「転色」という作用が起きていたことが非常にわかりやすく図示されているのではないかと思う。
 スクリャービンが求めたものの最終形態を仮にこの色と音の関係性を統合するモデルだったとすれば、これは未実装に終わったスクリャービンの和声法則 IV」と呼ぶべきものとなり得るだろうし、共感覚を舞台に投影しようとしたスクリャービンがこのことを意図していなかったとは考えにくいと思う。
 これが神秘和音の最終形態であり、それはスクリャービン本人の目と耳でおきていた、実にカラフルな色の交錯であり、その交錯の中に身を置くことが神秘そのもの、そしてエクスタシーと呼べるものであり、かつ神の啓示のように感じたとしても全く無理はないと思うのである。


以下、これらの和声法則の実例を楽譜上で見ていってみよう。

 

5. 後期ピアノソナタの内的宇宙

 第6番以降のピアノソナタ群は、より凝縮された形で後期語法を示す。とりわけ第7番《白ミサ》、第9番《黒ミサ》は、宗教的象徴と音響構造が直接結びついた作品である。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解1

 上図はこのソナタの冒頭である。まず三全音による接続からメロディーもハーモニーも生み出されていることがわかり、これは一種の主題提示のように振る舞う。
 追っていくとすぐに同型の頒布で主題の確保のようなことが行われていることがわかる。ここで確保をするなら次は推移が来るはずである。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解2

 その直後、悪魔的なトリルと速い分散和音からなる音型が示され、まさに黒ミサと思わせるミステリアスなシーンとなるが、こういった譜面の書き方はたしかに古典的なソナタにおける推移の部分に見られる、不安定な調変化とそれを支える連続転入的な和声の形状と符合する。ではこれは本当に推移なのだろうか。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解3

 たしかにその動きの次には第二主題提示のような動作が行われ、謎めいたまま解決しない和声、神秘和音の連続体による構造ではあるが、特徴の違うメロディー要素を持った部分が登場する。
これが第二主題なら確保が行われるはずである。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解4

 ところが直後に現れるのは悪魔的なトリルと速い分散和音によるパッセージを特徴とする、上述の推移と思われる部分になるのだ。
 しかしこれも伝統的なソナタの様式の中でも、第二主題の確保を保留し、推移からいきなり転回部へジャンプすることは見られるものであり、それ自体はそこまで驚くことではない。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解5

 ところがその後には何故か第一主題がほぼ完全な形で再帰してくるのである。ではこれは転回部の冒頭なのであろうか。それならばこの先に第二主題の要素を絡めながら高頂点へ登っていくはずである。

 

黒ミサにおける従来ソナタと異なる部分と神秘和音の構造分解6

 そんな期待は裏切られ、何度も不思議な変奏を続けているのか、あるいは新規要素を提示しているのかさえわからない混沌の果てに、なんと第一主題を薄く再現するかのように置いて曲が終わってしまう。

 これらを総合すると伝統的なソナタ形式自体の哲学や骨組みは残存させつつも、かなり大規模な構造破壊を伴うオペレーションを実施し、提示の概念は素材の提示に過ぎず、テーマと言うよりはモチーフの提示になっていて、このモチーフの変容を重視して曲全体が変奏的展開部の連続体のように振る舞うように書かれていると言えるのではないだろうか。
 これを「モチーフの細胞化」と定義してみよう。
 そして各図中の音程関係に注目してみれば、上述したモデル図のとおり、三全音による和声連結システムが完全に機能していて、まったく通常の和声法とは異なる「神秘和声法」とでも言うべきスクリャービンの和声法則」のみで紡がれていることもわかるであろう。
 ここではあえて図中になんの注釈も加えなかったが、三全音にすべてマークを施してみるととてもおもしろいので、自作に応用する前に試してみることを強くおすすめする。
 そして推移部分にあったトリルから速い分散和音によるパッセージだが、これは後年のスクリャービン作品における署名的なフレーズとでも言えるものであり、この音型は彼にとって神秘と色彩が迸るようにい感じたものであろうことが想像される。

 

6. 交響曲第4番「法悦の詩」における構造とソナタとの類似点

 スクリャービンの作品群の中でも最も多く演奏され、傑作の呼び声の高い交響曲第4番「法悦の詩」だが、この曲も既存の伝統的交響曲と大きく違う点が多々見受けられる。まず第一に楽章設定がない単一楽章による交響曲であることは最も重要な点として考えなければならないだろう。
 しかし交響曲の歴史はマーラーに終わるとも言われ、伝統的なドイツ的メカニズムによる交響曲も拡大、アレンジを施されて飽和点を迎え、それ以上の様式的発展が望めないところまで来ると、一気に解体が進み、それは形式の破壊を伴って最後は哲学性だけを残した残骸にまでなっていってしまう。
 それでも現在においても交響曲は昔ほどの重要性はなくなったとしても書き続けられている。しかし絶対性を一度を失い表題性の音楽へと変貌してしまった現代の交響曲の様相は、かつてのドイツロマン主義の頂点を形成したそれとは根本的に違うものであると言っても良いかもしれない。
 スクリャービンもそんな独自の目線を持った「解体者」であったことは単一楽章性という事を見ても明らかであろう。無論過去に例がないわけではないが、この単一楽章にしたことによる、ベートヴェン的楽章循環性や、各楽章に残存したバロック時代からの古典舞曲に端を発するというメカニズムは失われてしまう。かわりに今までの複数楽章性に匹敵しうる充実した単一楽章の標題音楽として、その哲学を入れ替え、我が語法を余す所なく展開し、新しい形態を作ったスクリャービンには、もはや複数楽章性の拘束はあまりにも窮屈に感じられたのかもしれない。

 

交響曲第4番における特徴点1

 上図は導入からすぐに現れる和音と対位法にいろどられた一見古典的なオーケストレーションで書かれた部分であるが、その体を装っているだけで、神秘和音連接によるスクリャービンの和声法則」に則った形で切り出された音が、メロディーのように振る舞い、これがカノンのように追いかけられるが如き書法によって伝統的に見えているに過ぎない。
 しかもよく読めばカノンですらなく、それぞれ神秘和音から切り出された音による旋律線が、減五度接続の法則を多く内在させられながら、レイヤリングされているということがわかるだろう。
 このような書き方は伝統的な哲学を学んでおり、意識はしていても、むしろそこに自分の哲学と語法で伝統に比肩しうる世界を書ききってみせるというスクリャービンの確固たる態度表明のように感じられるものである。

 

交響曲第4番における特徴点2

 曲調が大きく変わる瞬間を取り出したのが上図であるが、ここでは弦の訥々とした伴奏の上に、点描的と言って良い書法で管楽器群が配されている。しかしこれも対位法の援用と神秘和音からの素材切り出しに減五度接続を施しただけのものであり、冒頭部分と様相が違うだけで書法は同じものに統一されていることが読み取れるのである。

 

交響曲第4番における特徴点3

 ここは中盤、先程見たソナタと類似の音型が登場するシーンである。一瞬の伸ばしと上下に分散和音を激しくゆすり、怪しさと激しさを表出させようと企まれた部分であり、「黒ミサ」になぞらえれば宗教的儀式と色彩の乱舞、そして法悦の神秘そのものを体現していると言える書法であり、スクリャービンの書き癖とみるよりも、むしろ意識的に連用した書き方で、これ自体がスクリャービンにとって宗教性と神秘性、そして色彩の乱舞とエクスタシーをつなぐライトモチーフ的な役割を果たしていたのではないかと予想することができるだろう。

 

交響曲第4番における特徴点4

 ここは最後の終止部分である。目に見えるのは長く引き伸ばされ持続する和音が減衰することなく高頂点を維持し集結する部分であり、楽曲のタイトルから想像するにまさに絶頂点の表現とも言えるだろう。そしてその絶頂とともに曲は締めくくられるのであって、これは彼にとっての完全な終止和音の姿である。無論神秘和音で書かれており、彼はここに不安定なまま解決しない和声モデルを一定の基音を置いて調性の代わりとし、その循環構造を和声法の代わりとして用い、自らの中にあるありったけの宗教観と神秘主義を色の乱舞と法悦になぞって表現しきってみせたわけである。
 伝統に対抗する個人主義というのはもっと後の時代になって登場するのだが、彼の音楽は個人主義的な側面を強くもっている。しかし一方で巷間言われるような完全なる破壊者、改革者かと言われるとそうではなく、あくまでも伝統を意識し、それを尊重しながらも個人主義によって塗り替えていく慎重な姿勢が見られることもまた事実であり、これは伝統への経緯がなくては起こり得ない方法論の進化であったと結論してもよいだろう。

 このように作品を振り返ると、主題提示・展開・再現といった古典的形式枠は尊重されながらも自身の代替語法によりほぼ消滅させられ、微細な動機細胞が神秘和音空間の中で変形し続ける。和声的重力は中心音を保持しながら常に滑走し、聴覚的には「浮遊する調性空間」が生じる。このような神秘主義と宗教性を内的宇宙的構造に結びつける試みは、後にロスラヴェツの合成和音理論、オブホフの宗教的超調性、ヴィシュネグラツキーの連続音高空間理論へと分岐していく出発点となったのは先行研究のとおりであるのは間違いないだろう。(Ewell 2013)。

 既成の調性を否定するのではなく、自己の感覚体系との統合を試みた結果、和声的中心を一般に属和音的音集合に結びつける独自システムが成立した。この体系は感覚的選好から出発しながら、結果的に調性解体と集合的作曲理論の先駆を生むこととなったのは極めて面白い示唆であると言えるだろう。
 現在では神秘和音を一つのピッチクラス集合として扱うことで、同質和音が同じ集合体の変形であることを利用してパラメータ化し、もっと論理的構造体の変容の結果として描き出す方法が考え出されており、スクリャービンの語法もその中の一つに過ぎないと統合されている。
 しかしそれを自らの音の好みや、共感覚という個人的な感覚から紡ぎ出し、慎重な実験を経て。これまでの語法に変わる体系として一人で整備してしまったスクリャービンに異能の天才という評価をすることに何ら迷いは必要ない。まさに個人の思想から毎回のモデルを作り、そこに何かを問うというのは今も変わらず続けられている、現代音楽の哲学と同じものであると言っても良い。しかし大きく違うのはジョン・ケージを経験した我々は、解体や発明ということに重きを置く時代を経て、つねに個人が様式を作り出すということにすっかり慣れてしまった。一方翻ってみれば、中心音性の維持、機能に変わる連接機構、減五度接続による構造構築は、伝統的語法を尊重したもので置き換えられていったものであり、そのものを破壊し、新規性にばかり拘泥する今の姿とは違う品格のようなものを感じる点であろう。

 

7. スクリャービンのシステムの体験

 ではここで、これらのスクリャービンのシステムを用いて短い楽節を作成してみる。

自作譜例

 この楽節作成にあたって、リズムに関する厳密な理論体系は存在しないため、作品から抽出される典型的リズム型を参考に構築した。リズム的非厳密性こそがスクリャービン音楽の有機的生命感を形成しているとも言え、安易な固定化は避け、この点においては感覚的判断を優先することが妥当であろう。

 上記のようにできた短いピアノの楽節をあらためて聴いてみると、確かに楽曲として高い精度でかけるし、その内容はスクリャービンの示した神秘の空間にほかならない。この論考では作曲家に対してスクリャービンの作曲システムをモデルとして示し、作品制作に使える形にして保存することであるため、このように習作が作曲できることは、上記の通り検証してきたシステムがシステムとして正しく作用し機能していることを表すと言ってよいだろう。

 

8. 結論

 スクリャービンの革新は、調性の否定によってではなく、その内部変容によって達成された。ロシア神秘主義思想、共感覚的色彩観、神秘和音による拡張調性構造が統合され、調的中心を保持しながら終止しない浮遊音響空間が実現された。この構造モデルは第一期ロシアン・アヴァンギャルドの理論的出発点となり、ロスラヴェツ、オブホフ、ヴィシュネグラツキーらの体系的展開へと継承されていく。

 スクリャービンは単なる作曲家ではなく、ロシア神秘主義芸術の最初の完全な音楽的体現者であった。そしてその試みが西欧伝統クラシック音楽の発展とは異なる独自の体系的進化を生んだことは極めて重要であり、現代において自己の表現体系を模索する作曲家にとっても、スクリャービン的視座は今なお有効な技法的資源であり続けるだろう。


参考文献(主要研究ソース)

一次・主要研究

Schloezer, Boris. Scriabin: Artist and Mystic. University of California Press, 1973.

Taruskin, Richard. Defining Russia Musically. Princeton University Press, 1997.

Bowers, Faubion. The New Scriabin: Enigma and Answers. St. Martin’s Press, 1986.

Bowers, Faubion. Scriabin: A Biography. Dover, 1996.

Peacock, Kenneth. Instruments to Perform Color-Music: Two Centuries of Technological Experimentation. Leonardo, 1985.

A.スクリャービンの作品における作曲法の変遷についての考察, 川西三裕, 2014.

秋庭佳代子の研究, 秋庭佳代子, 2012

理論・分析研究

Ewell, Philip. “Scriabin’s Octatonicism Reconsidered.” Music Theory Spectrum 35/1 (2013).

Taruskin, Richard. “Scriabin and the Superhuman.” In Defining Russia Musically, 1997.

Cheong, Wai-Ling. “Orthography in Scriabin’s Late Style.” Music Theory Online 2010.

思想史背景

Soloviev, Vladimir. Lectures on Divine Humanity. 1877.

Berdyaev, Nikolai. The Meaning of the Creative Act. 1916.

Lossky, N.O. History of Russian Philosophy. 1951.