名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

個人的音楽が芸術なら、青木龍一郎も芸術家ではないのか ―「HASAMI GROUP=現代音楽」説―

 

”現代音楽”

現代音楽という言葉ができてから、いったいどれほど経ったのだろうか。
今様色が今や今様ではなく、「ナウい」が古語となったように、現代音楽などとっくに”現代の”音楽ではない。

そもそも、現代音楽とはどういう音楽かといえば…………。

・・・メロディを歌ってはいけない・・・協和音やハーモニーなどもって
のほか・・・感覚(聴いて心地よい)より知性(論理的であること)を優
先するべきである・・・芸術なのだから、大衆に受けたりしてはいけな
い・・・新しいこと、人のやっていないことをするべきである

上の文章は2013年のロクリアン正岡氏の言葉を引用した*1ものだが、 それ以前から現代作曲家の吉松隆氏が唱えていた思想でもある。
伝統という足かせ(調性、教科書通りの演奏法、協和音、権威主義、などなど……)からの解放を目指して作られた新しい潮流は、やがてそれ自身が新たな足かせとなり果て、新たな権威となり果てる。
12音技法の時代以降、芸術音楽はどんどん不協和音に満ち、心躍るビートを失い、”聞きづらく”なり続けていった。
その結果、逆に”聞きづらく”なければ芸術音楽と認められないというバカらしい風潮が醸成されていったのは言うまでもない。
無論、現代になって印象主義を復古することに意味があるとは言えないだろうが、だからと言って何の考えもなく聞きづらい音響に走っても同様に意味がない。
芸術はその意味内容が重要なのであって、表面的な手触りに翻弄されてはいけないのだ。

 

個人主義の台頭

それでもあえて現代音楽という言葉を使い続けるとしたら、本当の意味での現代音楽は個人音楽であろうか。
これまで音楽においてタブーとされていた極度に個人的で主観的な表現が、今や新たな表現としてその芸術性を認められている。
榊山大亮先生が当ブログでまさにその内容を書いてくれているので、読んでいない方は是非読んでほしい。
個人音楽の先駆けとなったのは、「線の音楽」で知られる近藤譲である。

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近藤譲

彼の音楽は、平たく言うと非常につまらない。
胸を打つメロディも、美しいハーモニーも、見事な対位法もない。
ないというより、それを読み取ることを(私が)許されていない気がするのである。
無秩序に彷徨するような音の連なりは、他者と共有可能な何らのものをも表してはいない。
ただ個人的な音楽としてのみそこにあり、排他的であり、共感も意思の疎通も許さない。

 

HASAMI GROUPに見る個人主義

話は変わるが、「HASAMI group」というインディーズ音楽ユニットがある。

YouTubeやBandCanpで自身の音楽を無料公開している彼らは、青木龍一を筆頭に活動しつつ、最近徐々に知名度を上げてきている*2
彼らの音楽はいわゆるJ-popの影響を顕著に受けており、かなりイージー・リスニングなポップスが多い。
同時に、hip-hopやダンス・ミュージックの影響をも強く受けており、4つ打ちのドラムや日本語ラップ、リフが頻繁に登場するあたり、まさに現代のダンサブルな商業音楽に近い。

しかし、彼らの音楽はそれだけでは終わらない。
HASAMI groupの音楽は、ポップスであると同時に、奇妙なほど強力に個人主義である。
現代の商業音楽を席巻するポップ・ミュージックと見かけこそ似ているが、その哲学性はまるで逆なのである。
どういうことか。

 

というわけで、まずは実例から見ていこう。

 

1.ありがとう

この歌は、「ありがとう」というタイトルからは全く想像できない前奏から始まる。
やがてラップによる歌詞が始まるのだが、その歌詞はというと……

宮下草薙 / 街裏ぴんく / ダイアン / さんさんず / 錦鯉 / 永野 / 銀座ポップ / 虹の黄昏 / モダンタイムス / 野性爆弾 / 令和ロマン / ランジャタイ / かまいたち / 銀兵衛 / うるとらブギーズ / ジャルジャル / くるくる / モシモシ / ゴリゴリ / 秀正 / 八田荘 / 加藤誉子

(中略)

ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

なんとお笑い芸人の名前を言い続けるだけ
一応2番もあるのだが、芸人の名前が変わる以外はほとんど変化がない*3

つまり、この「ありがとう」という歌は

青木龍一郎がお笑い芸人にお礼を言う歌

でしかなく、完全に個人的な音楽であることが分かる。
実際、お礼を言いまくっているとは思えないほど激しい不協和音やクラスター、不気味な旋律に満ちているが、彼にとってはこれがある種「感謝の響き」なのかもしれない。
「ありがとう」というタイトルのポップスなど無数にあるだろうが、これほどまでに個人的な「ありがとう」を聞いたのは初めてで非常に衝撃を受けた。

ちなみにMVもだいぶ奇怪だが、青木龍一郎は普段からYouTubeで再生数の少ない動画を漁ったり、日本中でリリースされた全て(文字通り)の音楽を漁ったりして、サンプリングの素材を収集しているらしい。
彼の音楽やムービーにはサンプリングによるコラージュが多用されており、この技法は彼の分かりやすい特徴といえる。

 

2.てて様

この歌もわかりやすく個人的だ。
「てて様」とはお父様という意味だが、なぜお父様ではなく「てて様」がタイトルなのかは誰にも分からない。
それどころか、サビの歌詞がなぜ「Rabbit Rabbit Rabbit Rabbit......」なのかとか、MVはなぜ朝青龍なのかとか、全くもって分からないことが多すぎる。
こうした歌詞やMVの凄まじいナンセンスさは青木龍一郎の大きな特徴だが、よくよく見ていると単にナンセンスなだけではなく、何らかの意味を秘めているように見えるものが少なくない*4
まさしくこういった個人的な表現を何の臆面もなくやっているのが、彼の音楽ではなかろうか。

 

3.景色がほしい

上では意図的に分かりやすく奇妙な歌を2つ挙げたが、HASAMI GROUPの作品の多くはむしろイージー・リスニングである。
「景色がほしい」はかなりポップス寄りの歌で、明確なハーモニーやメロディがある。
しかし、注目すべき点は他にもあるのだ。

まず、歌詞とMVを見る限りどうやらこれはラブ・ソングのようだ。
しかし、いわゆるラブ・ソングと違って歌詞はかなり難解(というかナンセンス)であり、はなから万人へ向けた歌ではないということが分かる。
これは彼の個人的な感情をもとにした作品であり、彼のための歌だと言えるだろう。
とはいえ、この歌から強く感じられるリビドーや諦念を纏った青春の香りは、聞き手にとっても全く共感できないというわけではない。

ちなみにこの曲に使われているサックスの音だが、なんとフリーの楽譜作成ソフト「Muse Score」のフリー音源らしい。
高価な音源などなくても表現はできるということだろうか。

訂正:MuseScoreの音源ではなかったようです。大変失礼致しました……。

 

総括 HASAMI groupは現代アートではないか

正直、ここで紹介できた歌はほんの一部に過ぎない。
HASAMI GROUPの歌の特徴である複調、被せられるノイズ、激しいコード進行、生のヴォーカルなど、まだ紹介できていないことはたくさんある。
それらは興味があれば聞いていただくとして、以上のことから自分はこう言えるのではないかと思う。

HASAMI groupは日本の最先端音楽なのでは?

青木龍一郎は単なるサラリーマンらしいし、恐らくだが芸術のキャリアもさほどないと思う。
作る音楽はYouTubeに無料で上げられている。
しかし、彼の表現していることに着目すれば、これはかなり先鋭的なことをしているのではないだろうか。

ポップスの形態をとった個人音楽。
それは彼自身が「個人的に」hip-hopやダンスミュージックが好きだったからそうなったのであろう。
従来の個人音楽と異なり、彼は作曲技法に徹底した独自性を求めない。
独自性を求めないことでむしろ個人的なコンセプトが達成され、従来のように聞き手の共感を拒絶することなく、むしろある種の共感が可能な個人音楽となっている。
それでいて、この音楽は青木龍一郎にしか到達できなかった地平に到達しているのだ。

 

私たち名大作曲同好会には、在野の若い作曲家が集まっている。
青木龍一郎のように、在野で音楽活動をしつつもかなりアーティスティックな表現に至っている人たちを見ると、気が引き締まる思いがする。
その一方、現代日本の音楽を取り巻く状況を考えると、その空虚さには寒気がする思いもある。
芸術とは何だろうか。
現代の世の中、本物のアートを見つけるためには、前澤友作社長の懐をまさぐるよりも案外ゴミ捨て場を漁った方が早い気さえする。

*1:雑誌「音楽の世界」2013年10月号より
『特集:21世紀音楽の潮流は?(3)』
21世紀の今、音楽の本道に則った作曲を!

http://locriansaturn.com/phirosophy.html

*2:実は10年ほど前にTV出演した時が一番知名度が高かったらしい。

*3:むしろ同じ芸人が2回出てきたりもする。どういうことだ。

*4:単にナンセンスなだけ、というものもたまにあるのだが。