名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

会長として過ごした6年の総括

どうも、会長のトイドラ・もとい冨田悠暉です。

実はこの度、2017年の当会発足から丸6年間つとめてきた会長の座を降りる運びとなりました。

2023年4月以降、2代目会長のなんすいに名作会を託し、僕は一般会員として活動に参加することになります。

週に1本ずつ上げているこの名作会ブログも、僕の担当は今回が最後となる予定です。

最後のブログでは、会長を継承することになった経緯と、この6年間の名作会について総まとめ的に書き綴っていこうと思います。

 

【目次】

 

会長降板の理由

まず、僕こと冨田が会長職を降りる理由について。

端的にひとこと、「本格的に音楽を仕事にしていくため」です。

 

もともと自分は、音楽で食べていくという野望を持ってこの6年を過ごしてきました。

その過程で「名古屋作曲の会」を発足し、コンサートを行う・CDを作って売るなどの興行をしてきました。

クラウドファンディングで利益を上げたこともあったし、コロナ禍では県の助成金を取ってオンライン・コンサートを実施するに至り、1人の大学生がいきなり発足した団体にしてはずいぶん規模が広がったな、と思っています。

 

一方で、名作会の運営とは別に、僕は個人的な音楽活動にも力を入れています。

名作会の特別顧問・榊山先生の門下生として作曲の勉強をしつつ、その成果を「冨田悠暉」名義や「逆さまのイドラ。」名義で発表し、あらゆるジャンルの音楽を作り続けてきました。

作曲技術を磨くため、最近ではYouTubeの「音楽ガチ分析チャンネル」で楽曲分析にも取り組んでいます。

そうした地道な活動が最近になって実り始め、ぼちぼちと作曲のご依頼をいただくようになりました。

 

そうはいっても、まだ音楽で食えているとは到底言えないレベルです。

ここからさらに自分の活動を広げるために、名作会の運営よりも自分のソロ活動を優先したいという気持ちが強まりました。

 

もう1つの理由として、「次世代にこの経験を継承したい」という思いもあります。

自分の手でこの会を発足してから、実にいろいろなことがありました。

思えば、当たり前のようにホールを借りて曲を書いて企画書を作って……とやれているのが信じられないくらいです。

当然はじめから全部できたわけではなく、山ほどの失敗があったし、その先にたくさんの学びや成長もありました。

短い人生、経験しないと得られないものは無数にあります。

この経験を僕が独り占めする理由はもはやない、と判断しました。

 

なんすい会長抜擢の理由

ただ、2代目会長を誰にするか?ということで非常に悩みました。

順当に言えば、5年間副会長をつとめている榊原氏を会長にすべきだったと思います。

しかし僕が会長に抜擢したのはなんすい会員、会の中でも年少の一般会員です。

挑戦的な人選ではありますが、なんすい新会長の抜擢にはもちろん理由があります。

 

まず、彼の作る楽曲が非常に優れているという点です。

作曲企画にこれまで精力的に参加してきた彼ですが、会の中でもとりわけよく構想を練る方で、比較的規模の大きい重厚な楽曲をよく制作しました。

名作会には演奏会員・作曲初心者などの会員もいますが、やはり「作曲の会」である以上、会長には作曲技術に長ける者が就任すべきと考えました。

 

次に、その人間性が非常に独特でアーティスティックである点です。

分かりやすい例を挙げると、直近のオンライン・コンサートで彼はなぜかメイド服を着用して会場に現れました。

当日までこんな奇行に出ると聞かされていなかったので、会長の立場としては心底イラっとしましたが、彼のこうしたユニークさは表面的なものではありません。

彼の楽曲や言葉からは、通底した繊細な孤独と萌芽を待つ狂気的な質量が感じられます。

同時に、こうしたニヒルな感性は実に "現代の若者" 的でもあります。

チャレンジングではありますが、こうした極度に新しい価値観を積極的に取り込んでいくのは、在野芸術集団の使命と感じています。

また、副会長を続投する榊原氏の安定した存在感があれば、会がむやみにかき乱されることはないと信じています。

 

長かった6年間

さて、肩の荷が下りた気分です。

この6年、本当に短いようで長かった。

大学で吹奏楽部の意識の低さに絶望し、茫然とキャンパスを彷徨った18歳の夏を起点に、この旅は始まりました。

本当に少しずつ積み重ねてきた成果ではありますが、名作会が今後2代目の手に渡っても失われず続いてほしいことがいくつもあります。

今後も続けてほしいこと

まず、自由な芸術表現を忌憚なく行える団体であること。

名作会は、一般的な演奏団体と比べて演奏する音楽が非常に独特です。

会員たちが作る音楽は極度に個性的で、個人的で、時として音楽の枠組みすら飛び越えていきます。

現代の日本において、こうした試みを在野が行うことは非常に有意義であり、使命的です。

音大をはじめとするアカデミックな土俵が大衆化に飲まれつつある今、本当の意味で先進的な芸術、「破壊と創造」を旨とする本質的なアートに従事できるのは、我々のような在野芸術団体に他なりません。

 

次に、本気で音楽をやれる団体であること。

大学生や社会人のサークルをはじめとする音楽団体は、往々にして本気で取り組めるほど強固な土台を持っていません。

そういう緩い居場所があることも、決して悪いことではないと思います。

その一方、僕や会員たちのように並々ならぬ熱量を持って音楽をやっている人間は、緩い居場所に収まることができず排除される運命にあります。

名作会がそういう誰かの受け皿として機能することを切に望みます。

また、妥協や惰性など唾棄するほどのエネルギーを持って何かに取り組む経験は、人生において大きな意味を持つと信じています。

 

そして最後に、この会を存続させること。

当然のようでこれが一番難しいかもしれません。

僕の築いた6年間の結晶が、今後も世界に何らかの作用を及ぼし続けていくことを望みます。

 

今後は改善すべきこと

逆に、僕の治世では実現できなかった反省点もあります。

まず、業務・責任を分担すること。

この6年間、悪く言えばずっと僕のワンオペ状態が続いていました。

他の人に責任を負わせることが苦手で、ずっと克服できずにいました。

しかし、みんなで責任を分担し手分けして運営する方が、会員たちの当事者意識も向上するし、企画が無理なく進むはずです。

ぜひうまくやってほしいと思います。

 

次に、アクティブな会員を増やすこと。

コンスタントに作曲企画に参加してくれるような作曲会員、精力的に演奏に取り組んでくれるような演奏会員がもっといれば面白いでしょう。

特に最近の企画で、作曲者が固定化してしまっているのが少し気がかりです。

新しい風をどんどん吹かせられたらいいですね。

 

さいごに

偉そうにいろいろ書きましたが、結局ここまでやってこられたのは全て仲間たちや師の協力があったおかげです。

ただ反抗心に満ちていて叫ぶばかりだった自分が、6年経って一応大人の形になってきた気がします。

この会の会長として積んだ経験は、そのすべてを今後の人生に生かすものとします。

ここまで応援してくださったすべての方に深く感謝の意を表しつつ、次期会長であるなんすいに持てる期待の限りをかけ、今後も名作会の一員として活動していく所存です。

今まで本当にありがとうございました。