新型コロナが低調になる中、梅毒、サル痘に続き、マールブルク病、鳥インフルエンザの人への感染といったように、令和という時代は本当に感染症の時代となってしまいました。恐ろしいやら、以前の生活が懐かしいやら思いは複雑ですが、私も今年はコロナ禍で止まっていた種々の事柄を動かしだすときときめて気合を入れています。
そして私は数年前より「日本近代音楽を中心とした再発見、再評価、文化伝達」を柱とした研究をスタートさせ、このブログでもその成果を書いてきました。今回は以前に特集したことのある、成田為三について新たな発見がありましたのでその報告に紙面を割きたいと考えています。
ひとまず本題に入る前に成田為三について過去記事を貼りますので、経歴など基礎的な背景の参考にしてください。
成田為三について書いた以前の記事はこちら
ということで、成田為三について理解していただいたと思うので話を本題に進めます。
今回、前回にも紹介した成田為三の残存したピアノ曲をすべて取り上げたはずの白石光隆さんのCDに、収録漏れがあり、未収載の楽曲があること。またそれらの楽譜が閲覧できるものであることが判明しました。
と、仰々しく書いては見ましたが、同じ発見をしている方は案外多いことも付け加えねばなりません。現にいつも貴重な情報をくださるErakko E. Rastas様も同様の発見Twitterでなさっていますし、気がついている方は存外いらっしゃるはずです。
何故か。
答えは簡単で、国立国会図書館デジタルライブラリーの個人利用における会報資料の充実と、検索方法にAIを導入し画像から文字を抽出して検索結果に反映させるというアップデートが施され、かなりの範囲拡張がなされたということが背景にあるからです。そしてそこで「成田為三」とタイプしたときに、ちょっとした目の錯覚を掻い潜ればこれらの資料にアクセスできるようになったのです。
ここで多くの人は以前のCDの収録作品研究のときに、なぜそれらが見つからなかったのかという疑問に立ち当たると思います。
しかしこれにも明瞭な答えがあるのです。
1.すでに発見されている曲と同名タイトルだった
2.掲載されたのが音楽誌や販売楽譜ではなく、大衆誌であったこと
この2点から先行研究からこぼれ落ちてしまったのだろうことが想像されるのです。
大衆紙とはどういうことでしょうか。
それは1922年に「プラトン社」から創刊された雑誌「女性」という物がありました。これは大変に文化的な雑誌で、小節やエッセイ、詩歌から音楽に至るまで一冊に収載され、阪神間モダニズムの勃興に寄与したというものでした。
この雑誌はその廃刊の1928年までに48巻刊行され、また復興合本が1991年から1993年にかけ6巻出されたとのことです。
この中の音楽の項は当初山田耕筰が担当していましたが、その後を受けて成田為三が担当し基本的には童謡・唱歌・歌曲を寄稿していました。ところがその中にガチガチの難解な器楽曲が少なくとも3曲含まれていたのです。
1.RONDO h-moll(1925)
2.FUGE C-Dur(1926)
3.KANON für Violin und Piano(1925)
がその全容です。
また成田為三が著作者となったワルツ集なる楽譜集が上下巻発刊されていたことも同時にわかっています。ここにはかなりの数の簡単なワルツが収載されており、これも前述の研究からは抜け落ちているようです。
これらの資料はすべて国会図書館デジタルコレクションの個人送信もしくは図書館送信で閲覧ができます。(※個人送信は要登録)
ところが前掲の「KANON für Violin und Piano」は収蔵資料にカケがあり全体が揃っておりませんでしたので、私個人で当該巻号の資料を古書として買い求め、全ページ揃った楽譜を確保いたしました。
こういった事情を鑑みるに、まだまだこれからの知財関係の規制緩和などを踏まえて、残存楽曲が見つかるおそれは高く、前述のCDは第2巻を発表するべき時が来ているのかもしれません。
こうして発見に至った「RONDO h-moll」と「FUGE C-Dur」については私の運営する、研究発表チャンネルでもあるRMCから再現音源を発表させていただきましたので、お聴きいただけたら幸いです。
RONDO h-moll
www.youtube.com
FUGE C-Dur
ワルツ集は資料の精査が必要なためまだ音源化はしていません。
Kanonについてはヴァイオリンという楽器の性質を考え生演奏のほうが好ましいのではないかと思案している段階です。しかしいずれも当チャンネルで取り上げていこうとは考えておりますので、引き続きお聴きいただければ幸いです。
ということで今回は少し短いのですが、成田為三の未発見作品の発見の途中報告とさせていただきたいと思います。