名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

「四季を巡る」自作解説④ 榊山大亮「last day of summer for 2 pianos」

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last day of summer for 2 pianos

 先に行われる名大作曲同好会第4回「ピアノコンサート」
今回はコロナ禍という未曾有の事態にあってオンライン配信でお送りすることになった。

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 他のメンバーも書いていることかも知れないが、配信コンサート自体は誰でも無料で観られる形態なので、どうかその代わりと言ってはなんですがクラウドファウンディングにご協力ください。
 若い音楽家たちが身を削って、この時代に準備した文化の灯に温かい眼差しとご支援をお願いできたらと心から思っております。

 

 ということで、今回はこのコンサートに出品した新曲の解説をブログの特集としてお送りするということで、私も自作解説をすることになった。
 自作解説というと、以前のオルゴールコンサートの際に書いた「塑像」の自作解説があるが、今回は趣を変えてみたいと思う。

 

nu-composers.hateblo.jp

 

 どう変えるかというと、作曲ノートをそのまま公開するスタイルにしたいということだ。
 このため、内容は専門的な語句や理論を多く含み、付加する説明も無いので、一般的には理解しづらいものとなってしまうが、なるほど作曲家というのはこうやって自分と対峙しているのかということをリアルに感じて頂けたら幸いである。

 

 とは言えあまりにノートだけであると厳しいので、はじめにこの曲の概要を示したライナーノーツをそのままここに書くこととする。

 

 

「時の終わりに置くブーケ」
 この曲は2020年の夏の終わり頃、なんとはなく書いたピアノ独奏のための小品がベースになっている。
 毎年折に触れて小品をなんとはなく書いたりしていたが、ここ数年は夏の情景の間に間に漂う日本的な、あるいは感傷的で個人的な風景を切り取って、茫洋とその響きを書き留めていたが、2020年はある意味で極めて特殊な年になってしまった。
 当然青天の霹靂が如く、令和の世の中に悪疫が蔓延し始めたのである。全く未知のウイルスのことが少しずつ分かってくるに連れ、人と人との接触を抑えることが重要ということが言われ始め、花見もなく、歓送迎会もなく、学校や通勤でさえも一時はなくなった。飲み会も会食も、帰省さえも奪われてゆく世の中で、誰にも愛でられることなく散ってゆくソメイヨシノを眺め、なんとも言えない寂寥感に襲われた春が過ぎ、プールや海のレジャーさえも取り上げられて、気がつけば家の中で夏の終わりを迎えていた。
 ふと、耳を澄ませるとツクツクボウシが鳴いている。今年の法師蝉の声は誰も季節の風物詩として聴いてくれないのかなと思ったときに、私はまた春と同じ寂寥感に襲われた。
 そこでツクツクボウシの声、ヒグラシの声をサンプリングして周波数解析を行い、これに晩夏の最も遅い頃、誰もいない夜の帳の中で感じた空気の匂いを表現した和音群を混ぜ、一片の小品に仕立ててみたのが始まりである。
 どこにも発表することもなく書いた断片的な小品だったが、2021年になって未だ続くコロナ禍にあって、我が弟子たちが運営する名大作曲同好会がオンラインによるピアノコンサートを企画した。
 実を言うとそれ以前に本来のピアノコンサートを企画していて、別の曲も書いていたのだが、様々な事情で流れてしまい、配信形式となってもう一度一から企画することになったのだ。
 しかもちょうどそのコンサートのテーマは「四季」。とかくある時期に限定せず円環の思想が如く流れ行く四季の間に、私はこの曲を出品したくなった。そこで二台のピアノのための作品として抜本的に書き直してみることにしたのだ。
 原曲を大幅に拡張し、失われた夏の亡霊をふんだんに盛り込んで再構築した。ツクツクボウシ、ヒグラシ、なくなった祭りの高揚、かき消された海風と人々の歓声、そんなものを織り込んで曲は展開する。
 もし我々が、我々人類が一人もいなくなっても、この歌はずっと聞こえ続けるのだろう。聴き手がなくても続く歌は寂しいのだろうか、果たして寂寥とは一体どこからやってくるのか。時の終わりにそっとおいてみたい音のブーケである。

 

 

作曲ノート

 

前提とキーワードの設定

・四季の切り取り、流転、円環
・失われた夏に感じる人間的寂寥感
・感覚的に感じる夏の色彩の象徴
・聴覚的に感じ取られる夏にある実際の音
・時間の外側からの眺望
・人類が時間の一員でなくなったとしたら
・そのときに寂寥はあるのか
・寂寥とは傲慢な完成に過ぎないのか
・円環とは我々の時間の中だけに作用するのか
・滅亡の後の誕生への大きな意味での円環
・そのピリオドとしてのある夏の1ページ

 

素材

01

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夏のハーモニーテーマ

・直接感じた音Gを中心にする
・Eを第二中心とする
・T機能が連続するためにはすべてが経過的かD的である必要がある
・経過が経過の役割を放棄するようにする(円環分断の予兆)
・感覚的にまとめ上げるためにあえて和声的違反をわかりやすく付加する(対斜する進行)

 

02

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実際の夏の音1

ツクツクボウシの音
・スペクトルアナライズを用い、テンポ割に嵌入させることでリズムを得る
・特に特徴的と思われる部分を切り抜き素材源として用いる

 

02-02

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特徴的な部分1

・ハーモニーテーマと半音関係が多く結びつくとは考えにくいと感覚的に感じるもの

 

02-03

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特徴的な部分2

ツクツクボウシの鳴き止み前のカオス
・PCSによる音列化によって素材転用する

 

03

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実際の夏の音2

・ヒグラシの音
・スペクトルアナライズと平均律による平均化
・漸減リズムとフェード(時の停止への予兆)

 

 

実際の作曲に際して

 

04

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素材の変奏1

・ハーモニーテーマの変形
・繰り返しを多くミニマリズム的な処理にする(時の連続性と円環の実感)

 

05

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素材の変奏2

ツクツクボウシの変容
・ミニマル的変奏、時の一員としての表現、恣意性のある聴取の比喩として

 

06

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人間の瞬時消失

ツクツクボウシの変容のみでなる部分
・拍動を5/16を1単位とするものにして変奏する(時の連続性への疑義)

 

07

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挿句1

・失われた夏祭りの挿句
・伊福部先生的土俗性(かつて普通だった人間の夏)
・音列をツクツクボウシ由来とする(人間が気が付かない円環の象徴として)

 

08

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挿句2

・失われた歓声の挿句
・ハーモニーテーマの変奏を伴う(人間主体の象徴として)
ツクツクボウシの音列を動きのあるパッセージとして用いる
・徐々に高まる音密度(歓声の高まりとして)

 

09

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いつの間にか加わってくるヒグラシのテーマ

・ヒグラシ音形を連打のみに変形する(隠喩)
・夏のハーモニーテーマとの共存(時の終わりへの予感)

 

10

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セミの共演

・2つのセミが鳴き合う
・人はその声を意識しなくなっている
・時の交代

 

11

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ヒグラシの原型

・ヒグラシのテーマを原型のまま繰り返す
・夏の夕方の象徴として
・時の夕暮れの象徴として
・人類の夕暮れ

 

12

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コラール

・夏のハーモニーテーマの回帰
・ヒグラシの音列を和声進行化(ただし調的な並びに拘泥しない)
・人の時間にセミが介在している(という錯誤)

 

13

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終結

・すべての素材の単純化とはじめの感覚的中心への回帰
・和声中心は複数用意する
・次の人類の登場の予感
・四季は時であり、時は人のものではなく、また時もまた流転する

 

以上


あなたはコロナ禍に何を聴いたか。
私は人のエゴを聴いたのかも知れない。あるいは時の一員であるものの自然で無垢な声を聴いたに過ぎないのかも知れない。