名大作曲同好会

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「四季を巡る」自作解説① なんすい「鏡の都市Ⅰ『秋』」

 こんにちは、なんすいです。

 好きな季節は冬です。

 

 このたび、6月26日(土)開催予定第4回名作同ピアノコンサート《四季を巡る》のために、『鏡の都市Ⅰ「秋」』という曲を書かせて頂きました。

 

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曲集『鏡の都市』について

 私の実家はでかい川とでかい山に囲まれたド田舎だったので、大学生になって愛知に移り、初めて名古屋の街を見た時は本当にびっくりしました。

 何というか………こんなに人間が居ていいんだというか、こんな高いビル立てて神様に怒られないんだというか、豚カツに味噌はさすがに無いだろというか………とにかく大都市名古屋は、見慣れた故郷の風景とは何もかもが異なっていました。

 

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名古屋駅

 そんなわけで、田舎育ちの私にとって、都市での新たな生活は驚きと発見の連続でした。名古屋に来て2年が経った今になっても、未だに都市の新しい一面に気付かされることは少なくありません。

 大学を卒業したら実家に帰るのかどうかはまだ分かりませんが、とにかく名古屋にいる今のうちに、そうした気付きをアウトプットしておきたいと思いました。

 それで作ろうと思ったのが、曲集『鏡の都市』です。

 コンセプトはそのまま、私が名古屋での生活の中で考えた「都市」についてのあれこれを、様々な切り口で描いてみようというものです。

 

第Ⅰ曲「秋」について

 さて、その第Ⅰ曲「秋」では、都市の季節感について取り上げています。

 「都市の季節感」というものを直接描くのはあまりに漠然としていて難しそうだったので、特に「秋」の季節に絞って、秋の名古屋の街での私自身の具体的な気付きをそのまま描写する方法を採りました。

 なので、でかでかとそのまま「秋」!!!というタイトルになってはいますが、描いた場面が秋であることには特に理由はないです。この曲を通して、都市の季節が持つ性格に対する、何らかの共感や発見を促せたら良いなと思っています。

 

四季について(過去の作品からの示唆)

 でも………都市といったら、無機質なビルがひしめき騒音が昼夜うるさく、自然とはかけ離れた場所って感じがしますよね。季節の花が咲く野も無ければ、春を告げる鳥の声も聞こえなさそうです。

 実際私も名古屋に来たばかりの頃は、「川でサワガニ捕って遊んだり、野生の木苺食べたりしたこともない都会の人間に、四季の何がわかるんだよ」と思っていました。

 美しい自然などほとんど見られない都市に、四季と呼べるようなものってあるんでしょうか?

 色々ある都市の側面として、敢えて「季節」について取り上げる意味ってあるんでしょうか?

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いわゆる「四季」のイメージ

 そもそも四季とは何物なのか、考えてみましょう。

 実は既に公開されているピアノコンサートのプログラムから、幾らかの示唆を見出すことが出来ます。

 

〈オンライン開催決定〉四季を巡るピアノコンサート 伊福部昭、中田喜直、Debussy、Schwantner 他…… | 名大作曲同好会 (main.jp)

 

 〈前半ステージ〉で過去の作曲家たちの既存作品、〈後半ステージ〉で私たち作曲会員の新曲という構成になっていて、〈前半ステージ〉の曲目は以下の通りです。

 

1.Igor Stravinsky:「春の祭典」ピアノ4手版 より「序奏」「春のきざし」

2.長尾淳:「春の風景」より「1. 春の夜の夢」

3.Robert Muczynski:「A Summer Journal」より「1. Morning Promenade」「2. Park Scene」「3.Midday」「6. Night Rain」

4.伊福部昭:「ピアノ組曲」より「4. 佞武多」

5.Joseph Schwantner:「Veiled Autumn」

6.淸一二:「月下の秋」

7.Claude Debussy:「子供の領分」より「雪は踊っている」

8.中田喜直:四手連弾のための組曲「日本の四季」より「6. 冬がきて雪が降りはじめ、氷の世界に、やがて春の日差しが」

 

 色分けしたように、海外と日本の「春」の作品、海外と日本の「夏」の作品…という風に、2曲セット×4つの季節って感じで並べられています。

 春→夏→秋→冬とそれぞれの季節を順に巡りつつ、同時に海外と日本の季節観を聴き比べてもらうことが出来るというわけですね。

 

 さて、この〈前半ステージ〉の最後を飾るのは、中田喜直組曲「日本の四季」の終曲です。

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中田喜直 組曲「日本の四季」

 「冬がきて雪が降りはじめ、氷の世界に、やがて春の日差しが」というタイトル(長いですね)からもわかる通り、この曲は”冬の訪れから春の兆しまで”の季節の移り変わりを描いています。

 固定されたそれぞれの季節ではなくて、季節が移ろいでいくさまに目を向けてこそ、真に「日本の四季」なのだというメッセージなのかもしれません。

 かくして、春の祭典から始まり夏→秋→冬と進んできた〈前半ステージ〉は、最終的にまた初めの春に戻ることになります。

 

 今一度まとめると、

・四季はどこかへまっすぐ進んでいくものでも、どこかで終わるものでもない。春夏秋冬春…とまたもとの季節に戻ってきて、そうしてぐるぐる回り続けていくものである

・四季とは、絶えずアナログに変化し続ける自然の移ろいを、敢えてデジタルに切り分けたものである

➡〈前半ステージ〉では切り分けられた「春」「夏」「秋」「冬」を巡ってきたけど、それって本当に適切なアプローチだったのか?

 

 という示唆・問いかけを残して、ステージは後半へと移ります。

 今度は現代を生きる私たちが、四季に思いを馳せる番です。

 

私が考えたこと

 さて、上の示唆は四季の特徴についての指摘となっているわけですが、四季の他にも、同じような特徴を持つ概念があることに気付きました。

 それは、「日節」です。

 日節って何だ…?と思われるかもしれません。実は私が勝手に作った言葉なのでそりゃそうです。

 季節が”1年”を切り分けたものであるのに対して、”1日”を切り分けたものを「日節」と呼ぶことにしました。既存の言葉でこれを指すものが思い当たらなかったんですけど、もし知ってる方いたら教えて下さい。

 1日を切り分けたものですから、代表的なのは朝・昼・夕方・夜といった切り分けでしょう。これが四季・・・春夏秋冬に相当するものになっています。

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 暗い夜はいつまでも夜のままじゃありません。そのうち明けてまた新しい朝がやって来ます。そうして日節はぐるぐるループします。

 また、1日の移り変わりはアナログなもので、日節はそこに切れ目を入れる概念に他なりません。

 どうでしょうか?季節とかなり似てますよね。どっちも一定時間のサイクルを切り分けてるものなんだから、当たり前の話ではあるんですが。

 

 では季節と日節の違いは何かと言えば、これも当たり前ですが、サイクルの長さです。季節は1年、日節は1日のサイクルでぐるぐる回っています。

 重要なのは、特に私たち人間の物差しで考えた時に、それぞれがどのような効果をもたらすのか、ということです。季節も日節を表す言葉も、人間が居なくては生まれないし何の意味も持たないのですから。

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私たち人間にとっての"1日"と"1年"の長さ

 「1日」は、私たち人間にとってはあまり長くない時間です。

 1日でめっちゃ背が伸びたりはしないし、人間関係がガラッと変わることも基本的には無いでしょう。また、私たちを取りまく世界も1日で劇的に変わることはほとんどありません。

 だから私たちは「明日も変わらない世界と自分がある」と信じて、毎晩ぐっすり眠ることが出来るのです。

 「変わらない」ことってどんなにか人を安心させるでしょう。

 

 対して、「1年」は長いです。

 土から出たセミは夏のうちに死んでしまいます。冬には多くの植物が枯れます。

 1年は長いから、そのサイクルの間にたくさんの命が生まれ、消えていきます。それは、世界がどんどん変わっていくということです。

 私たち人間も同じです。

 1年あれば容姿も変わりうるし、感性や人間関係も変わっていたりするでしょう。

 その長さが、季節と日節の決定的な違いです。

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1年は長い

 さらに、季節とはぐるぐるループするものでした。

 寒い冬が過ぎ、再び春が訪れたら、公園の桜は去年と同じように白い花を咲かせます。

 生まれ死んでいく多くの生き物の命それぞれは短いですが、それらが紡ぐ円環は無限に巡り続けます。

 でも、私たち人間は違います。逆行することも無く、四季の円環のようにどこかで戻ることも無く、そして有限です。

 大人の私がまた赤ちゃんに返って、二度目の青春を謳歌することは、残念ながら叶いません。そして私も生き物なので、そのうちどうにかなって死にます。

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 1年のサイクルで変わらず巡ってくる季節の風景、それは、 不変と信じて過ごしてきた日々の集積で、いつの間にか変わってしまった自分にはたと気付くトリガーになります。

 小さな命が紡ぐ無限円環の外で、不可逆的に変わり続けていく自らを自覚するのです。

 だから、季節は日節よりもずっとロマンチックで、そしてグロテスクなものだと思うのです。

 四季を慈しむ気持ちは、言うなれば、私たち人間の叶わぬ片想いみたいなものなんじゃないでしょうか。

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文化の円環

 私たち人間は、四季の円環に思いを馳せながら、そうはなれない自分たちの宿命をただ憂いているだけなのでしょうか。

 違います。長い歴史の中で、人間はその知恵と創造力をもって「文化の円環」を作ってきました。

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 お正月、お花見、夏祭りなどの年中行事……自然の季節に合わせた文化の集積は、自然の円環に対して「人工の円環」を形成しました。

 〈前半ステージ〉の「夏」の曲である『佞武多』の湧き上がる轟きは、紛れもなく私たち人間のものです。人間が獲得した「文化の円環」は、自然の四季に宛てた、終わることの無い祈りです。

 だから私は自然の四季そのものよりむしろ、それに伴って生み出された文化の集積が作る「四季」の方が、より本質的であるとすら思うのです。

 

 だとしたら…

 

 最初の疑問に戻りましょう。

 都市にはもちろん、人で溢れかえっています。

 文化を作り出すのは人間です。

 人間が生み出す文化こそ四季であるならば、都市に四季が無いはずないですよね。

 

 街路樹にひっそり咲いた花も、素敵じゃないですか。

 クリスマスにスーパーに並ぶショートケーキだって、季節毎に出る新作コスメだって、立派な都市の季節です。

 無機質にそびえる四角いオフィスビルすら逆説的に四季なのだ、と多少強引に言ってしまったって、おかしなことではないと私は思います。

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都市の季節

 

 という感じで、ここが私の思考の終着点でした。

 ここまで思い至って、やっぱり都市の季節を取り上げてみたい、もっと愛したいと思って、『鏡の都市Ⅰ「秋」』を書かせていただきました。

 5分間の音楽の中に、都市の季節に触れる自分自身の鏡映、そしてユニークな都市の季節の魅力を、私なりに詰め込んでみたつもりです。

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 《四季を巡る》ピアノコンサートは無料オンライン配信なので、ぜひお気軽に聴きに来て頂ければと思います。 [終わり]

 

▽名作同チャンネル▽