名大作曲同好会

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「四季を巡る」自作解説③ 榊原拓「星色の水面」

我々は、かつての四季を失いつつあるだろう。

こんばんは。榊原です。センセーショナルな見出しを書いてしまいました。さて、今回はピアノコンサート用に書き下ろした曲「星色の水面」について書きます。

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これは楽譜の表紙の一部

 

 

過去の記事にも書きましたが、現代の季節感と過去の季節感にはズレが生じている気がしてなりません。温暖化により平均気温は上昇しましたし、文明機器により冬は暖かく、夏は涼しく過ごせるようになり、昔より温度変化に対しての反応が希薄になったといえるでしょう。ちなみに僕はお腹が弱いので文明(エアコン)大好きです。ありがとう文明社会。

 

それとは別に、日本文化は都市化・西洋化の波に揉まれてきました。明治維新や高度経済成長期にこの傾向が顕著ですが、これは現在進行形で起こっているこっていることでもあります。

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(別に女人禁制が日本文化だと言ってるわけではありませんよ。伝統が時代の要請により変化する一例として取り上げているだけです。念のため)

このように時代の要請によって文化は姿を変えるのです。また、姿を変えるだけでなく都市部への人口流出によって失われる文化も多いですね。

 

このように、都市化・西洋化は気候変動の主要因であり、季節を改変するだけでなく、我々の季節感・しいては日本文化を塗り変えているといえます。

今回、この両者の関係性に注目し、実際の現象としての四季、そして我々の四季感の変化とその展望について考えることにしました。

 

星色の水面について

前述の通り、この曲は自然・文化両面から日本の四季、あるいはその感受の変化について表したものです。この変遷がリズム、メロディ・和声の両面で進んでいきます。

 

リズム

この曲は5/4拍子で始まります。そしてこの5/4拍子は自然の象徴です。この説明をするには、ごく個人的な旅行の話をしなければなりません(理由が個人的すぎて)。

 

8月の終わりに、私はコロナ禍で精神的に調子を崩し、療養も兼ねて静岡県沼津市を訪れました。

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沼津


クソ暑かったので熱中症になり、体調的にも最悪になりました。

ぐったりした私とは対照的に海は澄み、極彩色の魚が大小泳ぐお魚天国でした。


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そこで私は夜光虫を見たのです。

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夜光虫

夜光虫はルシフェリン-ルシフェラーゼ反応により発光する生物です。夏頃に大発生し機械刺激により容易に光るため、夏夜の波打ち際は、まるで星が零れたかのように賑やかになります。この光景に大変感激した結果、夜光虫は私の中で自然と強くリンクした生物になったのです。

 

ということで、星色の水面では自然の象徴たる夜光虫を海面に浮かぶ星に喩え、曲は5/4拍子としました。5/4にしたのはこうして各頂点を結ぶと星型になるからです。単純~*1

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さらに途中から5/4拍子と4/4拍子のポリリズムが始まります。これはDC/PRGの構造Ⅰにもろに影響受けてます(くわしくはこちら)

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演奏者に負担かけて申し訳ないの図

4/4はすなわち四つの季節、四季です。これまた単純な発想。
そして5/4と4/4を同一の小節に収めているこの状態=夜光虫の概年リズムと一年の周期が一致している状態を、現象としての季節がある状態としました。


さて、私は夜光虫に感激すると同時に不安にもなっていました。夜光虫は今でも比較的見ることができる生物ですが、これすらみられなくなる日が来てしまうかもしれない、と思ったのです。なぜこのような不安を抱くに至ったかというと、それは私の住む町に問題があります。

 

私の住む町は、沼津市同様港町です。決定的に違うのは工業港であることです。工業港なので工場があります。化学工場なのか何なのか知らないですが、マジで臭いです。そして常に海が濁っています。こうなってしまってはもはや夜光虫が増殖する隙はありません。しかし漁業やるより漁業権売って工場に土地明け渡す方が金になったんだから仕方ないですね。漁港に限らず田舎というのは常にこうなる可能性があるのです。――このようにして我々の営みは自然から切り離されていく、という思いが私の根底にあります。

 

我々の営みから切り離された自然は、無関心の下に破壊されていきます。

 

このこと、つまり現象としての四季の喪失は、曲中では5/4拍子のメロディー(あるいはリフ)と4/4拍子のリフが徐々にずれていくことで表現されています。
そして最終的に5/4拍子は4/4拍子に取って代わられます。このことが何を表しているかは、記すまでも無いですね。

 

メロディ・和声

私にとって身近な、四季を感じられる日本文化は、地元の春祭りでした。

星色の水面で象徴的に用いられているモチーフは、その祭りのお囃子「神迎え」の冒頭三音からとられたものです。

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これ以外にも色々モチーフをとりました。これらは古来からの日本文化を象徴しています。

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採譜したもの。どれが使われたか、実際の演奏を聴いて答え合わせをしよう!

さて、このお祭りは漁師による信仰の下に行われていたと推測されますが、その元々の意義は工業港化により喪失しました。以後徐々に形骸化し、今では町おこし的なサムシングとして市に利用されています。さらにユネスコ無形文化遺産に登録されてからというもの、外国人向けの観光化を市の上層部は目論んでおり、このことが現場との軋轢を生んでいます。マジでうんこみたいな状況です。何が春祭りだよ文化財全部燃や

これを表すように、モチーフたちは海面の波紋のように徐々に形を変えてゆき、和音はメロディと乖離します。そして本来の姿を完全に失うまで変容は続くのです。これが四季感の喪失です。

 

また、この曲には「日本和声」を用いています(日本和声の記事はこちら)。

初めは非常に日本的な和声で始まりますが、徐々に西洋的な和声付けに変化していきます。これもまた日本的な四季感の喪失であります。

 

 

とまあここまで都市化・西洋化による四季(感)の喪失をひたすら描写してきたわけです。

都市化と西洋化、これらを否定するつもりはないですが(エアコン好きなので)、確実に破綻に向かっているのではないでしょうか?

 

そう、我々は今、岐路に立っているといえます。

この曲で表したように、四季(感)≒日本文化というのは都市化・西洋化により良くも悪くも変質してしまいました。

悲観的に考えれば、このままいくと少子高齢化により各地の文化は無くなってしまうでしょうし、開発=ジェントリフィケーションによって既存の文化が排除されようとしています。温暖化にも歯止めが掛からなくなり、地球が金星のような不毛の惑星になるという可能性すらあるそうです。

 

果たして希望はあるか

しかし私は、このような状況でもなお、一縷の望みを抱かずにはいられません。存続し続けようと思う人々が、自然に対する眼差しを持つ人々が少しでもいる限り、希望は存在する。少なくともそう思いたいです。

 

また多少楽観的かもしれませんが、文明の発達がもたらしたのは必ずしも破壊だけではありません。我々は口伝の代わりに、インターネット上に容易に情報を残すことができます。それによって、かつては考えられないくらい不特定多数の人間が文化・自然の担い手になり得る時代に生きているのです。


この曲の終結部には、そのわずかな希望を託したつもりです。そしてこの曲がオンラインコンサートにより多くの人々に聴かれ、その同志を増やすきっかけにでもなれば、そんなに嬉しいことはありません。

 

ということで

6/29、是非聴いてくださいね!

nu-composers.main.jp

クラウドファンディングに協力していただけると、なおうれしいです!

nu-composers.main.jp

以上曲紹介と宣伝でした。

*1:一応Tigran HamasyanのLevitation21に着想を得ています。(10) Facebook