皆さんお変わりありませんか?とりわけご健康には留意されておられますでしょうか?
まったくひどい世相になったものです、前回の原稿執筆をしていた頃は気にもしていませんでしたが、世の中新型コロナウイルス問題一色となってしまいました。
スペイン風邪の再来とまで言われるパンデミック、今のところ日本は諸外国に比べ緩やかな推移をたどっているようですが、それにしても怖いですね。
そしてこういう世相になると打撃を被るのがエンタメ界なのは、先の東日本大震災の時にも経験をしました。
しかも今回はコンサート会場やライブハウスなどの催しにおけるクラスター感染が問題となっており、これらのイベントはすっかり開けなくなってしまっています。
だからといって音楽が無くなったわけではありません。
それだからといって文化の灯火を消して良いはずがありません。
こんなときだから出来ることを、私もいろいろ考えてみました。
そして本ブログで始めた「我が国の作曲家シリーズ」で研究したデータを音源化して、ネットで楽しめるようにしてみよう。
それもちゃんと文化継承の形になればなおさら本望だ。
すぐに会長はじめ名作同の会員の了解を取り付け、専用のyoutubeチャンネルを開設、これを会にフォローして貰う形にしました。
いずれ世の中がもとに戻った時、これらの音を打ち込みではなく生の演奏にしていきたい。
今はぐっと我慢をして、研究に軸心を置こう。
そんな気持ちで、細々と頑張っています。よかったらチャンネル登録してみてください。
さて、せっかく始めた企画ですから、本ブログとも連動をしてみようと思い、第3回の今日は成田為三を取り上げることにします。
これまで取り上げた2人に比べればその名を聞いたことがあるという人は多いのではないでしょうか。
それには理由があります。
不動の名作を残し、それが今でも多くの人に歌われているからです。
ひとつはこちら
林古渓の詩につけた有名な「浜辺の歌」です。
唱歌・歌曲に分類される曲ですが、素朴で懐かしさのあるメロディと非常に効果的で美しい伴奏が印象的です。
よく楽譜を見ればこの時代に書かれた唱歌にしては、ハーモニーの面でも伴奏の技術の面でもちょっと凝っているのがわかります。
もう一つはこちら
西條八十の詩につけた童謡「かなりや」です。
こちらも一度は耳にしたことのある曲ではないでしょうか。
というように成田為三は多くの童謡、唱歌を残した作曲家であったわけですが、それは彼の一面に過ぎないことはあまり知られていないことです。
ここで彼の経歴について見てみようと思います。
成田為三(なりた・ためぞう)は1893年(明治26年)に秋田県に生まれた作曲家です。
一度は小学校教員になるも、1914年(大正3年)に東京音楽学校に入学し、山田耕筰の門に入り本格的に作曲を学び始めます。
「浜辺の歌」が書かれたのもこの時代です。
そして1922年(昭和3年)にはドイツへ渡り、ロベルト・カーンに師事し徹底的にその語法を吸収して帰国します。
このことで、彼は当時の日本にあって有数の理論家となり、対位法についての著作なども残すに至りました。
高い技術を獲得した彼は、交響曲「東亜の光」を代表とした管弦楽曲や、歌曲だけにとどまらず多くの合唱曲、器楽曲を残しましたが、その多くが戦災で失われてしまいました。
1945年(昭和20年)に脳溢血に倒れ、51歳の生涯を閉じました。
成田為三の評価が、童謡作曲家程度となってしまった背景には戦争と病気による短い生涯が大きな原因となっているのは明白です。
しかし研究家の調べで、近年その業績は再評価されつつあり、わずかに残った楽譜からもその才能が感じられるものがあることがわかってきました。
特に近年、残存した成田のピアノ曲をすべて収録したCDが発売されたのは大きな出来事だったのではないでしょうか。
また楽譜の一部は国会図書館デジタルコレクションで閲覧できるものもあり、今後もっと多くの人に演奏されていって貰いたいなと強く思います。
さてそんな成田の語法について端的に分かる曲を一つ、例のプロジェクトで再現してみました。
打ち込みによる再現ですが、ぜひ聞いてみてください。
これは「秋 - 月を仰ぐ」と題された小品で、端書きに「四季のうち」とあることから、おそらくもともと4曲ほどの組曲として書かれたものだったのでしょう。
この楽章以外は見つかっていないことから、戦災で焼失したものと考えられます。
非常にモダンで、移ろい行く音響からなる情緒的で不思議な音楽です。
無調とまでは言いませんが、非常に調性は曖昧に書かれていて、成田の理論面での認識はここまで進んだものだったのかと驚かされるばかりです。
彼がもっと長生きしていたら、我々の認識は全く違ったものになっていたのは、この曲を聴くだけですぐに分かりますね。
これ以外の彼のピアノ曲は前述の白石光隆さんのCDを聴いてもらうのが一番だと思いますが、このCDももう中古流通のみとなってしまっているのは極めて勿体ないことだなと思います。
せっかく復刻した重要な文化ですから、もっと長く市場にあるべき素晴らしいものではなでしょうか。
こうやって多くの日本の西洋音楽黎明期の作曲家を見るに、そのレベルは非常に高く、我々は認識を改めていかなければならないと痛感します。
今後もこのプロジェクトを通じ、あるいは名作同の企画を通じてこういった楽曲の復興をしていかなければと、強く決意を新たにします。
いつも文末には作品一覧を載せていますが、成田の場合Wikipediaに主な作品表がしっかりと纏められているので、今回は割愛しようと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさんも困難な時期ですが、文化の灯火を消さないように、音楽の、芸術の輪を共に広げていきましょう。