~前回の記事~
さて、超弩級不定期連載「渋谷系の時代」、今回は割と間を空けずに戻ってきました。
今回はピチカート・ファイヴ編ということで、ようやくフリッパーズギターの二人から離れられました!やったー。
ピチカート・ファイヴとは
1984年から2001年まで活動していた音楽グループです。フリッパーズギターが1987年から1991年までなのを考えると、活動期間が長いですね。ピチカート・ファイヴの誕生と終焉は、渋谷系の誕生と終焉と考えても差し支えないでしょう。
ファイヴとつくくらいなのでメンバーも5人なんでしょうな~と思ったら、5人だった時代は一瞬たりともありませんでした。なんでや。
1984 デビュー
小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子の四人で結成。結成時で既にピチカート・フォーだが、誰も気にしない。
小西康陽はかの有名な慎吾ママのおはロックを作曲してたりしますね。
ですが、私としては隠れた迷曲小倉優子のオンナのコ♡オトコのコという曲を是非聴いていただきたいです。
小倉優子 「オンナのコ♡オトコのコ」 [TV] [2004年]
小倉優子の虚無に満ちた顔と声と踊りで毎回爆笑してしまいます。やる気という概念はないのか。
高浪慶太郎は有名どころだとたまのさよなら人類の編曲を共同でやってますし、鴨宮諒はナースのお仕事のサントラ作ったりしてます。
ワシ、「さよなら人類」も「ナースのお仕事」のサントラもめちゃ好きなんですよ。どうでも良いですね。
ちなみに残りの一人の佐々木麻美子は全然知りません。
1st Album
1987 Couples
曲も普通に渋谷系っぽくて良い感じなのでさぞかし売れたんだろうな~と思ってしまいますが、細野晴臣御大プロデュースなのに鳴かず飛ばずで全然売れず、ライブのできるボーカルにしろというレーベルの一声で佐々木麻美子が脱退したらしいです。無慈悲。あと鴨宮諒は方向性の違いにより脱退。
でたー!!!!「「方向性の違い」」声に出して言いたい日本語ですね。俺も方向性の違いで脱退するためだけにバンドを組みたい。
全然売れなかった理由として、当時は第二次バンドブーム最中と言うことで、このようなソフトな内容はあんまり受けなかったというのがあるかもしれません。そもそも渋谷系自体もニッチなムーブメントですし、余計にそうかもって感じです。
ただ幸運なことに、後に渋谷系の金字塔的作品として祭り上げられます。よかったネ。
で、抜けたボーカルの枠を埋めるべく「ライブのできるボーカル」こと田島貴男が加入。
特徴:歌が上手い
これならライブも安心ですね。実際安心でした。
このとき田島はオリジナル・ラヴとピチカート・ファイヴの二足のわらじでやってたらしいです。大変そうですね。
脱退とメンバーチェンジにより最早ピチカート・スリーですが、なんだかんだレーベル側の条件も満たしたということでアルバムを次々と発表していきます。
2nd-4th Album
1988 Bellissima!
1989 女王陛下のピチカート・ファイヴ
1990 月面軟着陸
田島貴男にバンドが食われて、もはや別のバンドに聞こえなくもないですが、すげーかっこいいなと思います。かっこよければ全ては許される。
Couplesと比較して、ちょっとブラックミュージックぽいダンサブルな感じになってるのが本当に良いですね。その後のピチカート・ファイヴの曲と比較してもかなり新鮮です。
それもそのはずで、当時次やる音楽を模索していた小西に対して田島がソウルミュージックを提示したからなのです。
して、肝心のセールスはと言うと、すげーニッチな層にのみウケただけで、商業的には閑古鳥だったそうな。
このころのピチカート・ファイヴには基本的に時代を先取りしすぎる節があります。可哀想。
1990 移籍・脱退
全然売れないのでソニーから日本コロンビアにレコード会社を移籍しました。
「二足のわらじはやっぱりしんどいンゴ!」とは言ってないと思いますが、似たような理由で田島貴男が脱退し、代わりに野宮真貴が加入。お前は誰だ。
いや本当に誰????
そしてここから始まるピチカート・ファイヴの一転攻勢。
説明しようにもここからが長い。だって活動期間長いしぃ~、たくさん脱線したいしぃ~(するな)、仕方ないよねぇ~てことで次回〈後編〉よろしくお願いします。