名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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5thコンサート曲解説-Night Walkers & Shuffled City/冨田悠暉

先日公開されたオンライン・コンサート名古屋の作曲家たちの楽曲紹介をしようと思います。

前回は作曲者のなんすいが「組曲『新栄』」の解説をしてくれましたが、今回解説するのはコンサート冒頭で演奏された2曲、「Night Walkers」と「Shuffled City」です。

 

 

原曲とコンセプト

さて、これらの曲は今回演奏した曲の中では分かりやすく一風変わった曲です。

「Night Walkers」は大量のセリフと怪音に満ちた混沌とした曲だし、「Shuffled City」は演奏中に別の奏者が入場してきて別の曲を演奏し始めます。

どうしてこういう曲になったのかを説明するためには、まずこの2曲の元となった原曲について話さないといけません。

「Night Walkers」と「Shuffled City」は、それぞれ榊原拓作曲の「Night Walker」「シャッフル都市」というピアノ曲を原曲としています。

作者に原曲のコンセプトを尋ねたところ、これらの2曲はともに

コロナ禍で瓦解した日常に対する問いかけ

がコンセプトだということでした。

「Night Walker」は都市生活から離れて何気ない夜の風景に叙情を見いだす様子を描いており、「シャッフル都市」ではコロナ禍で衰退した都市や自分の望まない方向へ変化していくさまざまな事象を描いているようです。

つまり、①コロナ禍における夜の都会の閑散 と、②世界は常に(ときに自分の望まない方向へ)変化しつづけるということ が最も中心的なテーマと言えます。

①は楽曲における叙情的なモチーフであり、②は主張と言うべきものでしょう。

 

編曲に際して、僕はこれらのコンセプトにもう一歩踏み込んでみることにしました。

 

日常という虚像、世界への錯覚

コロナ禍も2年以上にわたり、失われた日常という言葉をよく耳にしていました。

おもに、「日常はいつ戻ってくるのか」といった嘆きの文脈で、この言葉は用いられます。

それは原曲のテーマでもありました。

 

しかし、考えてみれば妙だとは思いませんか。

”日常”なんてものが一体いつ実在したことがあったでしょうか。

今日あることが明日も続き、明後日も続くと思い込んでしまうのは、人間の思考回路にいささかの惰性があるせいです。

実際には、誰しも明日死ぬ可能性があるし、今日いた人が明日いるとは限らないし、今日の平和が明日続くとは限らない。

”日常”というもの自体、ある種の幸せな平和ボケから生じた虚像に過ぎません。

日常なんてそもそもないし、あるとしてもそれは刻一刻と変わりゆくものであって、不変であったり失われたりする性質のものではないのです。

 

それでも人間は弱いから、”以前までの日常は取り戻せる”と思い込むために、多くの人が日常を「失った」ことにしました。

けれど、人は皆別々の視点から世の中を眺めているので、取り戻すべき”日常”というものに絶対的な正解などありません。

結果、多くの人々は世界の広さを見誤ったのだと思います。

陰謀論が目立ち、主義と主義とのぶつかりあいが増え、荒唐無稽な世界観がどんどん膨れあがっていったのは、「世界」もまた日常と同じように絶対的なものではないからです。

それでも人間は弱いから、自分の頭で納得できる最も好都合なシナリオを本当だと思い込むことにしたのでした。

 

変わる日常と変わらない神

日常とか世界といったものは、絶対的に見えて実は茫洋としたもやにすぎません。

しかし、多分僕たちの周りには変わらないものもあります。

それは日常や世界よりももっと大きくて、毎日朝が来て夜が来ることよりも大きくて、言語化することは難しいものですが、敢えて言うとしたら「自然」が一番近いかも知れません。

ここでは、それを一旦「神」と呼ぶことにします。

僕が今回作った2曲では、不変の自然である「神」と、相対的な個体としての「人間」を音楽的に対置させ、コロナ禍における”日常”に対して問題提起をしてみました。

 

Night Walkers

この曲では、背景でずっとオルゴールが流れています。

オルゴールの音色は「神」を表しており、他のパートからの干渉を受けないまま一方的に進行していきます。

その上にたくさん散りばめられたセリフは、いずれもコロナ禍における日常について述べた別々の立場からの感想・意見・つぶやきです。

それらは1つ1つは具体的なものですが、いっぺんにばらばらに読み上げられることで、何か得体の知れない抽象的なうごめきとなります。

やがてセリフは管楽器によるさらに抽象的な音型へと変化していき、絶対性を失った状態で楽曲が完結します。

 

Shuffled City

この曲でもオルゴールが「神」を表しています。

楽曲は途中まで、無人のまま「神」の旋律が響くだけですが、そこへ3人の管楽器奏者が入場してきます。

この3人は、「神」の旋律が聞こえているのかいないのか、3人だけで全く別の音楽を奏であっています。

3人の旋律は絡み合い、相対的に溶け合っているようです。

やがて「神」の旋律はフェードアウトし、3人の旋律だけが響くようになります。

 

いささか抽象的ではありますが、これが僕なりに出した結論でした。

短い期間でテーマ製のある楽曲を仕上げるのは難しく、やや実験的な曲になってしまいましたが、これはこれでなかなか面白かったと思います。

皆さんも皆さんなりに、ぜひ色々感じながら聞いてみて下さい。

 

楽譜は無料で公開しています。

楽譜無料公開! 5thコンサート「名古屋の作曲家たち」 | 名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)