最近、趣味で楽曲分析をはじめました。
その成果はnoteにまとめてアップしているのですが、先日アップした倉橋ヨエコの分析記事がやたら反応がいい。
彼女は有名シンガーでもなければ、2008年に活動停止してからもう14近くも経っています。
それなのに、まだ彼女の歌を聞き続けている人たちがいるんですね。
今日は彼女の音楽について、とりとめのない雑考をつらつらと書いていこうかと思います。
まず、倉橋の音楽は矢野顕子にかなり似ていると思います。
いや、似ているというか…………全然似てはいないんですが。
矢野顕子の温かみと包容力のある歌詞に対し、倉橋の歌詞は狭く暗く血肉のにおいがします。
歌い方も同じで、矢野顕子の柔らかく余裕のある声に対して、倉橋の声は芯にハリがあってキリキリと余裕のない声色です。
音楽性にしたって、矢野顕子は抜けるような長調や静的でジャジーな短調が特徴的なのに対し、倉橋は叫ぶようなド短調です。
なのだけれど、すごく似ていると感じてしまいます。
歌い方のテヌート感や、メロディラインがペンタトニック調であること、ふわふわとした声の感じ。
そして何より、転調の仕方がとても似ています。
2人とも、同主長調や同主短調にひっかける形での3度転調をとても多用するのです*1。
しかもその転調が、AメロやBメロの途中にいきなりくるというのも共通しています。
色々調べてみても、倉橋が矢野顕子の影響を受けたという情報は見当たりませんでしたが、女性シンガーソングライターかつピアノ弾き語り奏者である矢野顕子に触れて、倉橋は何かしらの影響を受けていたのではないでしょうか。
倉橋は、明和高校音楽科から武蔵野音大の器楽部に進んだといいます。
確かに、その音楽性にもクラシック的な雰囲気はしばしば見られます。
たとえば、経過和音として和音の転回形をよく使っていますし、作品中に直接ショパンの引用をした曲もあります。
これは、ソナタ3番の4楽章を。
これは、木枯らしのエチュードを直接的に引用していますね。
また、彼女のインスト楽曲である「薬指のエチュード」は、変奏曲形式で展開されていくピアノ曲で、まさしくクラシックピアノの技法が生きた曲という感じです。
まあ、途中でいきなりジャズになるのですが……。
さて、しかしこうして眺めてみると、彼女の音楽というのが音大的なものだとはとても思えません。
まず、彼女の音楽はめちゃくちゃ和音優位で、旋律線の絡み合いというものはあまりありません。
クラシック音楽には必須である対位法的な旋律動向が、倉橋の曲の中ではぜんぜん見られませんね。
加えて、彼女の音楽はクラシック的に見ると禁則だらけです。
メロディラインはしばしば和音とぶつかって不協和音を作ります。
悪いヴォイシングを敢えて用い、ぶつけなくてもいい音をわざわざぶつけたりもしています。
「夜な夜な夜な」のサビ前はその分かりやすい例です。
これは邪推かも知れませんが、倉橋は音大で勉強するピアノに嫌気がさしていたんじゃないでしょうか。
ショパンの直接的な引用をするあたり、そうした音楽自体は好きだったのだと思いますが、「薬指のエチュード」なんかを聞くとまさに『お行儀のいいピアノから解放されたい』というメッセージを感じてしまいます。
また、彼女のこうしたガンガン和音で押してくる作風、旋律同士のバランス調整を放棄して音をぶつけまくる荒仕上げ感は、ある種男性的(男料理的?)ともいえる気がします。
お上品にピアノを弾くおしとやかな女の子、というステレオタイプ的な偶像を、倉橋はどう見つめていたのでしょうか。
ところで、彼女の初期の曲は音質が悪い。
いや音質と言うか、MIXで楽器の音があまり粒立っていない気がします。
だいたいの場合、肝心のピアノがけっこう埋もれてしまっているのです。
「Quick Japan」の第78巻で、倉橋はこんな言葉を残しています。
音楽は私にとってフィルターでしかないんです。言いたいことがあるがために曲を作る。あくまで、その曲を届けるために音楽の力を借りている。だから曲そのものに関しては滅茶苦茶強情ですけれど、アレンジに関しては、こうしなければならないっていうこだわりがないんですよ。
なるほど、曲を作る段階までは相当こだわるものの、できた曲がどう仕上がるかについてはあまり細かく興味がないわけです。
彼女の曲は曲ごとに雰囲気がバラバラですが、あれも多分そういうわけでしょう。
アレンジの段階では特にこだわりがないから、曲の仕上げはアレンジャーに任せてしまっているのだと予想できます。
彼女のこうした姿勢は、今の商業音楽の世界からすると全くあり得ないことですね。
というか、多分当時の考えでもありえないことだったと思います。
売れる音楽を作るには、作曲はどうでもいいからアレンジでかっこよく仕上げ、MIXで音質を詰める。
これが常識のはずなのですが、彼女の姿勢はまさに表現者そのものだったわけです。
最後に、彼女は2008年に廃業したわけですが、2019年に「machi」という名義でなぜか中国のテレビ番組に新曲を提供しています。
「machi」が倉橋ヨエコ本人だというのは、ファンの予想に過ぎず公式情報が出たわけではないのですが、まあ音楽を聞けば疑う余地は……全くないでしょう。
今まで暗く切羽詰まった音楽を作り続けてきた彼女ですが、最後に残された音楽はこの曲でした。
突き抜けて明るいわけではなく、歌詞はすごくナーバスだしどこか後ろ向きではあります。
でも、ゆったりとしたテンポの4つ打ちで奏でられるこの曲は、僕にはどこか倉橋の歩調、どこかを去りどこかへ向かおうとする歩みを表しているように思えました。
最後まで救いのない歌詞だった「今日も雨」と対照的な曲に思えるのです。
彼女がどこで何をしているのか、そもそもまだ音楽をしているのかも分かりません。
でも何にせよ、廃業から14年経った今でも彼女の曲は令和の世に流れ続けているようです。
僕ももう少し彼女の音楽を研究してみることにします。