名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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自然共生と音楽 - レイモンド・マリー・シェーファーに寄せる

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冬のカナダ

 訃報というものはいつも突然飛び込んでくるものである。カナダの大作曲家、レイモンド・マリー・シェーファーが亡くなった。コロナ禍に世界が揺れる2021年8月14日のことだった。
 この時期、人の死の知らせを聞くとどうしても「そのこと」が頭をちらついてしまうが、彼はどうやらアルツハイマーの合併症による死であったようだ。

 マリー・シェーファーの名を私が初めて聞いたのは、かつての黛敏郎氏が司会をする時代の題名のない音楽会で、カナダ特集が組まれたときだった。当時の大使閣下を招き、会場全員起立の中、高らかにカナダ国歌を演奏してスタートした同企画の大トリで、シェーファーの音楽が紹介されたのである。
 「ノース・ホワイト」と題された、彼のオーケストラ作品の代表作であった。そして若き頃の私は大きなショックを受けることになる。鍋の底を打楽器として扱い、内部奏法を用いたピアノが出てきたかと思えば、打楽器奏者が何やらおかしなチューブを振り回し始め、最後にはスノーモービルまで登場する理解を越えた展開だった。
 しかしその音楽が紡ぎ出す音は、目に見える手法の過激さとは違い、透明で純粋、北国に吹きすさぶ冬の激しい気候と、そこに佇む一人の作曲家の姿であった。

 

 実に不思議な経験であり、鮮烈に記憶に残ったのである。

 レイモンド・マリー・シェーファー、この作曲家のことをもう少し知ってみようではないか。

 

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レイモンド・マリー・シェーファー

 レイモンド・マリー・シェーファーは1933年カナダオンタリオ州のサーニアというところに生まれる。トロント王立音楽院で、リチャード・ジョンソンに師事し、ヨーロッパ各地を回って勉強続け、サイモンフレーザー大学で教鞭をとるようになった。教育者としても音楽評論家としても優れており、これに関わる著書も多く著している。
 しかし彼の名を一躍世界的にしたのは独自の「サウンドスケープ」という表現を提唱したことにある。日本語にすれば「音の風景」あるいは「音景」などとも約される。
 この概念は大変ユニークであり、現代になっていくにつれ、音は本来環境とともにあったものが環境から切り離され、音単体として見られるようになった。そしてそれを音楽としてきたことは本来的には不自然なことであるとして、音を元の環境に返そうといういう概念である。
 この概念をもってかれはあらゆる場所の音を調べあげ、ランドマークならぬサウンドマークを地図上にプロットし、その場所固有の音に注目し、これを作曲に活かすというアイディアにたどり着いたのである。
 こういった本来音楽を構成する音自体は自然の産物であったとする彼の考えは、その後の自然はミニマリストの考えにも影響を及ぼしていくこととなる。
 また彼の音楽は、その楽譜もまたユニークである。ここで彼の作品を総合的に理解できる合唱の代表曲「ミニワンカ」を聴いてみよう。

 

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 ミニワンカとはカナダにある湖のことである。
 冒頭に素朴に歌い上げられるテーマは音を減少させながら、抽象記譜になってゆく。しかしいわゆる現代音楽のそれと異なり、そこにあるのは人為的なノイズではない。素朴に自然の中にある音を取り出した、あるいは飛び去る水鳥のようでさえある。
 様々な工夫をこらした美しい楽譜は、見ているだけで一種の風景画のようでもあり、音楽もまたとても透明感のある美しさを終始一貫保っている。

 

 もう一曲彼の作品を聴いてみよう。
 彼が生涯描き続けた室内楽弦楽四重奏」のシリーズより、第3番である。

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 ステージ上に順に入ってくる演奏者、オフステージで演奏するもの、そして集合してからは、様々なノイズを口で発しながら、狂気のような空間が展開する。この様にこの曲もどこかの「音」に取材したものだろうし、それをあらゆる表現手法を用いながら作曲の根幹にしてゆくという姿勢は、極めて独自であり、また極めて自然な美を生み出してくれる。

 上でも書いたとおり、こういった姿勢というのはある意味で自然回帰の流れとも符合する。同じ様な視点をもった新旧の作曲家を合わせてみてみよう。

 

一人は「アメリカの野人」ことヘンリー・カウエルである。

 

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ヘンリー・カウエル

 カウエルは1897年アメリカはカリフォルニア州に生まれ、カリフォルニア大学で、チャールズ・シーガーに師事して作曲を学ぶが、幼い頃から親しんでいた非西洋音楽への興味から離れられず、アジアなどに研究良好を行うなどして独自の道を歩んでいった。そういった姿勢は非西洋的前衛音楽へと結実することになり、かのジョン・ケージもカウエルの教えを受けた一人であることは、必然とも言えるもののように思う。
 こういった姿勢は、ガラクタのノイズを集めて打楽器アンサンブルを書いたり、ピアノを腕で殴打し、トーン・クラスターを作るなど、自由奔放なアイディアに結びついてゆく。しかしカウエルの前衛性というのは常に、概念だけで出来上がっているものではなかった。
 それは自然との共存、あるいは非西洋的に言えば、自然の一員としての自己を探求し続けたように見えるのである。

 彼の代表的な作品に「The Tides of Manaunaun」という曲がある。

 

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 素朴で美しいアイルランド民謡調のメロディのしたでは快適な不協和音がゴンゴンと鳴らされる実に不思議な音楽だ。「マノノーンの潮流」と約されるこの曲は「3つのアイルランドの伝説」の第1曲目とされ、マノノーンとはアイルランド神話に出てくる「動」の神の名であるとのことだ。この左手のゴンゴンした音はなんだろう。
これこそがカウエルの発明した「トーン・クラスター」である。
 腕で鍵盤の広域を押さえ「波の音」を模しているのである。その後この手法は二十世紀における極めて重要な手法となって行き、それこそ「自然から切り離された音」となり、活用されてゆくのだが、カウエルのそれはまさに自然の岸壁に打ち付ける波の轟音そのものである。

 

 この様な例を見てみると、マリー・シェーファーの言っていることの意味がはっきりと感じ取れるのではないだろうか。そしてこういった思想は、ポスト・ミニマル世代の作曲家にも間接的な影響を及ぼしていると考えられるのである。

 

 ポスト・ミニマル世代の作曲家とは、アメリカのBang on a Canというグループの構成メンバーらが、イェール大学で教鞭をとり、ミニマル・ミュージックを基本とした広範な表現を、旧来の都市賛美的なものから解き放って、ある意味で反体制的な語彙とともに、世に問う方法論として確立していった潮流である。
 そしてこの潮流は、ミニマリストというシンプルで自然と共生することを良しとする思想を持つものとも親和性がよく、その思想を持つ作曲家にも影響を及ぼしてゆくことになる。その代表例として、ジョン・ルーサー・アダムスの名を挙げたい。

 

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ジョン・ルーサー・アダムズ

 ジョン・ルーサー・アダムスは1953年にミシシッピに生まれ、ロックバンドに夢中な青年時代を送る。その後カリフォルニア芸術大学でジェームズ・テニー、レオナード・スタインに師事し作曲を学んだ後、突如アラスカに引っ越し、大自然の中で極めてシンプルな語彙による大規模作品を書き始め注目されることとなる。また彼のこういった作風はメディアともある種の相性の良さを見せ、ドキュメントフィルムの音楽なども手掛けているようだ。
 決定的に彼の名を世界に知らしめたのは2014年のピューリッツァー賞の受賞であろう。彼がここで書いた作品はラージオーケストラのための「Become Ocean」という作品である。極めて規模が大きい作品で、長大であるが、語彙は明瞭そのもので海における異なる位相の波の様子を描くことで、まさに自身が海と一体になる経験を描き出している。

 

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 非常にシンプルな素材の長い持続と繰り返しだけによる音楽であるが、やはりそこには透明感というか、自然の美が宿っているように聞こえる。

 

 こういった作風の音楽家は他にもいるが、今回はその中でも特に顕著と思われる三人を紹介しつつ、レイモンド・マリー・シェーファー死を悼みたい。


 実は私もシェーファーの思想には部分的に影響を受けている。
 彼とは採る方法は異なるかもれないが、日常の自然のノイズに耳を傾け、その音をアイディアに作曲をするというのは一種の必然だとすら思っていて、Popsの表現であってもこういったことを下敷きに様々なアイディを考えてきたつもりである。
 そしてどうしてそういう視座を私が獲得したのかと問われれば、若き日に出会ったマリー・シェーファーの音楽の衝撃が原体験となっていると答えるだろう。

 

 唯一無二、そして自然に音を還した作曲は、自らもまた自然に還って行った。

 

 ここに深い哀悼の念を示し、レイモンド・マリー・シェーファーの業績を称えるとともに、冥福を祈るものである。