世界中が中国武漢を発生源とする、新型コロナウィルスによる肺炎に揺れる中、そのニュースは飛び込んできた。
去る2020年3月29日に20世紀を代表する作曲家、指揮者のクシシュトフ・ペンデレツキ氏が亡くなったという。
時節柄新型肺炎との関連も噂されたが、どうやら長年の闘病の果てのことであったようだ。
ペンデレツキはポーランド楽派の草創から勃興、発展とその全てに関与した作曲家最後の一人といっても良い存在であり、その偉業は数しれない。
また初期の一般的には「大変前衛的なスタイル」から「新古典的なスタイル」へ大転換した作曲家としても知られている。
彼の訃報について世界の報道では『映画「エクソシスト」「シャイニング」などの音楽でも知られと』と表記されることも多かったが、これは殆ど誤りと言っても良い表現である。
たしかにそれらの映画では彼の初期作品が使われるには使われた。しかし、これらの映画の音楽全体を担当したのではなく、SE的な効果として彼の曲が引用されたに過ぎないということは、広く一般にあっても常識とされるべきことではないだろうか。
ともあれまた一人の巨人が逝ってしまったことは甚だ残念でならない。
私がペンデレツキの初期作品に夢中になったのは中学生時代であった。
当時いわゆる「ゲンダイオンガク」に興味を惹かれていた私は、毎日のようにより過激な音がする作品はないかとラジオのエアチェックやCDの物色をしていた。
つまりは作品の表面に現れる音現象が激しいものを探し求めるだけで、その作品の中身について洞察することのない実にバカバカしい行為をやっていていたわけだ。
その姿はまさにバンドを組んでPopsでは飽き足らず、Rock、Metalと過激になる若者の姿であったり、ダンスミュージックが気がつけばスオミやゴアに至るタイプと酷似しているかもしれない。
もちろんこの時代に多くの作品に触れられた事自体には後悔はないが、後々考えると「浅はかであったな」と思うばかりである。
まあとにかく私の青春時代にあって、彼の初期作品の音は刺激的な薬物のような衝撃を与えてくれたのは間違いない。
そしてあちこち探し、親に頼み込んで買ってもらったのが「広島の犠牲者に捧げる哀歌」のスコアであった。
彼の代表作の一つとして知られる「広島の犠牲者に捧げる哀歌」はヒロシマの原爆による惨状と、その犠牲者に捧げられた反戦の曲として取り上げられた。
しかしこの作品は確かに刺激的なクラスターや特殊奏法の多用からなる音響体による作品ではあるが、はじめから反戦を意識した作品であったわけではない。
不定量記譜による作品であることもあって、もともとは「8分37秒」という作品名であったようだが、様々な経緯があってこのタイトルに落ち着いたことで、ある種プロパガンダ的利用を伴い世界に知られたと言ってもよいだろう。
とはいえ、彼自身がポーランド人で、アウシュビッツを経験している世代であることから、彼の創作の根底には反戦的イディオムがあったのは明白であるし、平和の希求にとどまらず人類の救済を描いていたという点まで掘り下げれば、その解釈は間違いではないかもしれない。
しかしそういった現代音楽にありがちな後付タイトルと、聴取側の価値の押しつけが曲に別の意味をもたせてしまったことは、この曲にとって幸運なことだったかどうかは分からない。
この曲についてはyoutubeに面白い動画がある。
秒数制御と指揮者の合図によって進行するこの曲の楽譜を切り刻んでアニメーション化したものだ。
まずはこれをご覧いただきたい。
四分音まで含むトーンクラスター、特殊奏法の嵐とまさにゲンダイオンガクのそれである。
この時代の作品として吹奏楽出身者にはもう一つ語らねばならない作品がある。
それが「ピッツバーグ序曲」であろう。
アメリカン・ウィンド・シンフォニー・オーケストラの指揮者ロバート・オースティン・ブードローの委嘱で、1967年に作曲された曲であるが、軽妙な調性音楽ばかりに慣れた吹奏楽部員はこの曲に出会ったときは度肝を抜かれたことだろう。
これを知った過激組の男子は「ぜひ定期演奏会でやろう!」となり、穏健派の女子部員は「ぜったいやだー!」となるのがある種のお決まりである。
と、ここまで彼のいわゆる前期の作風時代の作品をきいてきたが、私がこの時代の作品として一番に選んでおきたい曲をもう一つ紹介しようと思う。
「ははーんルカ受難曲だな」と思った方は、正当なペンデレツキファンだ。
私は少しねじ曲がったファンなので「Fluorescences」を挙げておきたい。
この曲は「のこぎりで木を切る」指示がされていることでも知られる曲で、まさにその後の21世紀の音楽に通じるかのような先見性が感じられる。
そして彼の創作は「ルカ受難曲」でその頂点を迎えつつも、段々と厳しさを失っていくことは先刻ご承知の方の多いところである。
ここからは後期作品ついても見ていってみたい。
例えば男声合唱曲としてよく知られる「Benedicamus Domino」である。
すっかり厳しさは消え、美しく宗教的なムードが支配しているように聞こえる。
吹奏楽ファンのためにも後期に書かれた吹奏楽作品を一つ紹介しておこう。
「Ubu Rex Burlesque Suite」と題された曲であるが、たしかに“日本の良くある吹奏楽団”が“普段演奏する曲”よりは響きはもちろん難解であるが、先述の曲と比較してみれば作風の変化はすぐに分かるだろう。
さてこの吹奏楽曲にも「ちゃんと」登場したのだが、後期のペンデレツキ作品には自作からの流用旋律が非常に多くなる。
旋律自体に意味をもたせているという意味では、現代に至るまでこういった手法を採る作曲家は沢山いたし、武満徹なども顕著であったのでなんの不思議もないが、ちょうどよいのでこの流れで交響曲へ話を進めようと思う。
ペンデレツキは8曲の交響曲を書いており、長年欠番であった6番も最晩年の2017年に完成させている。
クラシックファンであれば9番まで完成させ、9番リストに名を連ねて欲しかったという点はあるが、その中でも第2番の「クリスマス」や第7番の「エルサレムへの門」は大傑作と言われている。
しかし私が個人的に選ぶのは第3番である。
なぜならばこの作品はある意味後期のペンデレツキとともにあった作品とも言えるからだ。
すでに後期様式に転換していたペンデレツキが1988年に「パッサカリアとロンド」として書き、これを長年保管しておいた。
机の中から出てきたこの原稿をもとに1995年に完成させたと、来日時の林光との対談で言っていた。
このように作品を途中まで書いて、熟成させるという手法を彼自身はよく採ったのだという。
重苦しい序奏から始まる第1楽章、全体に満ちる対位法と半音階、リズムモチーフと非常に工夫された管弦楽法はまさに巨匠の筆そのものだと思う。
先程の吹奏楽曲にも見られたリズムパッセージと半音の動きが主たる動機となっており、これは打楽器のロトトムの重奏という特殊なアイディアにまで徹底されている。
更にコールアングレ、バストランペットなど特殊楽器のソロも織り交ぜられ、それらはまさにマーラーを代表とするドイツ後期ロマンのスタイルに続くものと考えられる。
私はこの曲は交響曲史における傑作の一つと思っている。本当に素晴らしい名曲である。
最晩年はどちらかという指揮者としての活動が多く、作品への評価が軽んじられていたように思うが、このような正当派のシンフォニズムを継承する真の巨匠を失ったことは、現代に生きる我々にとっては大きな損失だと思うべきではないだろうか。
そして今後私達はホロコースト、そして現代の音楽史の生き証人であった氏の音楽をもっと深く鑑賞せねばならないのではないだろうか。
しかしペンデレツキは本当に作風の大転換をしたのだろうか。
この疑問の投げかけでピンと来る人は八村義夫先生の指摘をご存知の通人であることは疑いようもない。
私もペンデレツキは大転換などしていないと思っている。終生徹底した古典主義者だったのだと思うからだ。
では話を「広島の犠牲者に捧げる哀歌」に戻そう。
この曲の構造をざっくり眺めるとあることに気付かされる。
高音の咆哮と特殊奏法、クラスターからなる前半、そして複雑なテクスチュアからなる中間部分、そしてクラスターの後半と大きく分けることができるではないか。
これはこの曲が様々な前衛のイディオムを用いてはいるものの、構造的には古典的三部形式からなることを意味している。
さらに高音の咆哮を序奏、特殊奏法の軋みを第1主題、クラスターを第2主題とすると、中間部のテクスチュアはこれらをかけ合わせた展開部に見えてくる。
その後、もう一度特殊奏法部分を経て、クラスターへ戻るのは再現部とみなすこともできることから、この作品自体がソナタ形式で書かれているとみても間違いはないはずである。
もっと踏み込んで見れば、この曲のクラスターの動きは多くポルタメントを伴う。
これは後期作品の半音の動機(ため息のモチーフとも呼ばれる)に結びついているし、広島の犠牲者に捧げる哀歌の中間部分をよく読めば、実は複雑なテクスチュアの殆どはカノンを基礎とした対位法で書かれていることは明白である。
ではピッツバーグ序曲はどうだろうか。
ここまでくればこのブログの読者であればもうおわかりいただけるのではないだろうか。
あの曲にも半音の動機と結びつくポルタメントが多用され、クラスターを構成する金管楽器の同音連打はファンファーレをもとにするフレーズである。
そしてその間に打楽器とピアノの内部奏法だけの部分が間奏的に挿入されるが、コープランドの市民のためのファンファーレと同じような構成であることは明らかだし、ティンパニーの複数人による重奏はベルリオーズの幻想交響曲との関連も感じさせられるのではないだろうか。
このような構成に、大きく三部形式を当てはめて作られている実に古典的な序曲と考えられるのではないだろうか。
そうペンデレツキは大転換などしていなかったのだ。
扱う音響素材が変化したのは間違い無いが、それであっても前期と後期に関連性を見出すことは可能である。
厳しさを表出させなくなったが故にバッシングを受けた時期もあったが、その扱いはまさに聴衆側の無理解、評論側の無知によるものであったと断じても差し支えないだろう。
そしてこの偉大な作曲家を「前衛の寵児」とした事自体が、愚かな評価だったと言えなくもないだろう。
私の中学時代がその名の通りの「中二病」であったことは書いたとおりであるが、結局の所多くの人が見た目のインパクトばかりに引きづられたり、見せかけのインテリジェンスに騙されたりするのは世の通例である。
クシシュトフ・ペンデレツキの死と、禍々しき疫病の蔓延する今こそ、我々は本質を見ること、そして自ら考えることの大切さをこそもう一度見つめ直すべきなのではないだろうか。
最後に世界の不和と不幸に嘆息し、人類の救済を求め続けたこの偉大な作曲家を彼自身の「古典様式による3つの小品」の「アリア」で送りたい。