名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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コンテンポラリーの回廊 俺の視聴部屋6

コンテンポラリーの回廊


 なんか最近天気荒っぽくないっすか?ネットもすぐ炎上するし、誹謗中傷が当たり前みたいになってきて、なんか殺伐としていますね。そういう行動が良いとは全く思いませんし、匿名性の中から火炎瓶を投げつける輩など、ゴミみたいなものだととある精神科医に言われましたが、全くそのとおりだと思います。なんならちゃんと面と面を突き合わせて、やり合おうやって話です。

 さて私のアンテナにかかったコンテンポラリーを聴くシリーズも6回目となりました。前回からあまり空いていませんが、結構面白い曲が溜まってきたので紹介していきたいと思います。特に今回は近作が多く、そういう意味では国内未紹介作品が多いのではないかと思います。
 しかし毎回このシリーズを書くたびに、日本のアンテナの低さに辟易するわけですが、在野研究の本当の良いところは、こうやってしがらみなくやれることだとも思うので、どんどん紹介に努めたいと思います。

 

Cullyn Murphy

 まずはじめにご紹介するのはアメリイリノイ州に1993年に生まれたカリン・マーフィーの作品です。
 コントラバスと声のために書かれた「Garrulous; Cut Up」は2020年に書かれた作品で、その内容はかなりユニークで思わず笑ってしまいそうなものになっています。
 作曲者は理学士と作曲家という異色の経歴で、ルイビル大学で学びました。作曲はロイ・マグナソン、カール・シメル、エリック・モーなどに学んだようです。
 作曲のテーマは「演劇的で音楽の組織を拡張する独自のスタイル」と形容されるように、まさにジャンルに囚われない世俗感のようなものを持っています。なるほど現代カルチャーをある種磔にして、これを一種の雛形にし、あふれるアイディアで脚色し、それをまた現代に放つといったプロセスが感じ取れる作品になっています。
 実はこの曲には似た先例があります。まあ現代音楽が好きでコントラバス独奏と声といえばある種有名な作品なので、二曲目に紹介しようと思います。
とりあえず聴いてみましょう。

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Tom Johnson

 さて一曲目の紹介の際に「先例がある」と書きましたので、その先例をこの際ついでにご紹介してしまおうと思います。
 それはトム・ジョンソンの書いた「Failing "A Very Difficult Piece for Solo String Bass"」という曲です。コントラバスを演奏しながら語るというコンセプトが非常に良く似ていますね。

 しかし作曲思想は全く別のものなのです。

 トム・ジョンソンは1939年にアメリカに生まれ、イェール大学に学びました。基本的には音楽の余分な要素を排し、ミニマリズムに徹するという点から、図形譜などを用いた即興性の強い作品を各作曲家です。
 現在はパリに住んでおり、単純な規則から生み出される要素を算出して楽譜に書くという、プロセス自体がミニマリズムの影響を受けており、出来上がった作品がライヒ的な響きのミニマルになるわけではない点がユニークです。思想的には、ラモンテ・ヤングに連なるミニマリズムとも解することができるかと思います。
 ちなみにこの作品は案外人気で多く演奏されている点もまた現代の音楽におけるある種の金字塔と言っていい作品だと思います。

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 と、似た雰囲気を持った作品を2つ紹介したので思い切って雰囲気を変えてみましょう。

 

Mirela Ivičević

 次は1980年にクロアチアに生まれた、ミレラ・イヴァチェヴィッチの「Überlala. Song of Million Paths」をご紹介します。タイトルは作者の造語のようで詳しい意味はわかりませんでしたが、多くの道の歌とのサブタイトルが付いています。
 作者は極めて官能性の強い作風で知られ、その音楽創作の原点には、イデオロギーから解き放たれる真の自由への闘いという思いがあるようです。なるほどこのあたりも現代的で、保守的なものに対する左翼的闘いという構図すら古く、あらゆるイデオロギーを敵に回して、そこから解放されるために闘うというわけです。彼女は作曲をベアト・フラーらに師事しており、その言語の先鋭性は師からの影響があるのでしょう。
 この曲はヴァイオリン協奏曲の形をとっており、2024年に書かれた新しい作品です。非常に多様式的な側面があり、言語のチョイスは彼女の経験的な感覚から来ているようですが、自由奔放で官能的という表現はたしかにしっくりきます。とくに高音の処理が美しく、金属質の響きがある種の打楽器のように散りばめられ、これが作品の雰囲気を決定づけているように感じます。そうかと思うと、いきなり三和音が登場したり、なるほど「今の音楽」の性格をよく表しているように聴こえますね。

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Yonatan Ron

 次はアメリカ生まれ、イスラエル育ちの作曲家ヨナタン・ロンの作品「Times sway. Echoes, decay... 」をご紹介します。タイトルは「時代は揺れる」と訳せるメインタイトルに「反響、減衰…」と付け加えられています。作曲家の背景を考えれば納得のタイトルではありますし、この作品も2024年の作品ですから、その背景には政治的な情勢も関与しているかもしれません。
 作者は幼い頃からギターを習っていたそうですが、作曲の師にはゲオルク・フリードリヒ・ハース、フィリップ・ルルーの名もあり、倍音構造に重心を置く響きを構築するタイプの作風を持っているのも頷けます。
 この作品は室内アンサンブルのために書かれていますが、こちらも今の世代らしく、多くの微分音を用いており、微分音の再解釈のブームに沿った曲と言ってもよいかと思います。しかし単なる微分音を使いました的な作品ではなく、響きの演算の中に登場する微分音を巧みに使っているおかげで、ハースの作品と同じく、その響きに違和感は少なく聴きやすくすらあるように感じます。
 ただ、タイトルに比して作品の内容はやや軽く聴こえ、もう少し骨格や構造面でさらなるインパクトを作っても良いような気もします。
ともあれ聴いてみましょう。

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Liina Sumera

 今回のラストはエストニアに1988年に生まれた作曲家リイナ・スメラの「Kimäär」をご紹介します。
 作曲者名を聴いて現代音楽に通じる人ならレポ・スメラの名を思い出す人も居るのではないでしょうか。私もその一人でしたので詳しく調べてみると、レポ・スペラとはなんの関係もないようです。それどころか彼女は結婚しており、旧姓はKullerkuppであり、夫の姓が偶然故郷の大作曲と同じだっただけのようです。
 とはいえ、彼女は結婚によりその大作曲家と同じ姓になり、イニシャルも同じになることに戸惑いがあったことをインタビューで述べております。その上で、レポ・スメラを尊敬しているし、同じ姓になれて嬉しい。できれば一度あってみたかったとも言っています。
 さてそんなリイナ・スメラは幼くして、フルートとポップジャズシングを学び、すぐに作曲に興味を持ったそうです。その後ヘレナ・トゥルヴェ、マルゴ・コラルに師事し、作曲を習得すると、エンジニアリングを学び、さらに電子音楽、映画音楽、ゲーム音楽も学んでいきました。この経歴もまた現代的だなと感じます。マルチな才能をもっており、コンテポラリーを書くだけではなく、ロックバンドも結成していたりとなにかに縛られることはないようです。
 今回紹介する曲のタイトルは「キメラ」の意味を持っており、音楽の内容は師のヘレナ・トゥルヴェの影響を濃く感じます。響きを立ち上げていくタイプの書き方ですが、その直感が素晴らしく、またその中に平然と三和音が登場するのもやはり「今の音楽」を感じさせます。楽器法も非常に見事であり、芳醇な響きの濃淡は透明感を持っており、エストニアの作曲家やラトビアの作曲の多くがそうなように、根底には歌があるように感じます。
 なおこの作品も2024年の作品であり、彼女の今後の動向には目が離せないものがあるといえるでしょう。

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 ということで今回も近作を中心に5曲紹介いたしました。まだまだ最近作で面白いものを見つけており、近日第7回を書こうかなと思っています。
 今を生きる作曲家として同時代性というものは極めて重要であり、また若い人の着想を「権威の名の下に」一蹴することで、年寄の憂さ晴らしをするようでは、この国の現代音楽シーンは終わりを告げるでしょう。
 そういった古い時代の化石に、それこそ引導を渡し、あらゆるイデオロギーから解放された新時代の音楽を築き上げていかねばならないと強く思う今日このごろです。