先日、現代音楽のアーティスト集団「mumyo」による第2回コンサート「euphoria」に行ってきました。
「mumyo」とは、作曲家の山根明季子さん・梅本佑利さん・そしてヴァイオリニストの成田達輝さんの3人で2022年から活動しているグループです。
[お知らせ]
— mumyo (@mumyollc) 2024年7月13日
mumyo第2回公演 "euphoria" きょうからチケット一般販売が始まりました。本日、7月13日からオンライン、14日から電話予約開始です。https://t.co/2JLMDi3sdB
会場:長久手市文化の家 (愛知) 森のホール
主催:長久手市
日時:2024年9月7日(土) 15:00開演 (14:30開場), 17:00終演予定
山根明季子さん・梅本佑利さんといえば、このブログでも何回も名前が登場している、まさに今注目すべき作曲家たちではないですか!
しかもどういうわけか、今回の公演は愛知県の長久手という田舎でやってくれる上、他の場所で再演する予定はないとのこと。
地方で現代音楽のコンサートを見られるのは珍しく、"名古屋"作曲の会としては行かざるを得ません。
しかも、「たくさんの初演曲を含む作曲家主体のコンサート」という活動内容、われわれ名作会としては他人事に思えない……。
僕と会長のなんすい、副会長の榊原、3人で聴きに行ってきました。
というわけで、今回はその感想とレビューをつらつら書こうと思います。
感想を一言でいうなら、大変面白く、興味深く、このようなコンサートをいつでも見たいなあと思えるような充実した内容でした。
とはいえ、どこがどう良かったのかキッチリ言語化するのが僕の役目でしょうから、ここから先は踏み込んだレビューをしていきます。
「euphoria」とは何なのか
まず初めに、今回のコンサートには「euphoria」という題名がついています。
これは日本語に訳すと、
多幸感、(根拠のない)強い幸福
といった意味の言葉です。
今回のコンサートでは、この「euphoria」というテーマが演奏曲すべてを強力に貫いていたように思います。
1曲1曲が全く別のコンセプトで書かれているというより、このテーマを軸としたコンセプトアルバムのように1つのコンサート自体がまとまっていました。
各作曲家の視点から、それぞれの「euphoria」を眺めるという体験は、バラエティ豊かな曲を期待した人にはやや平坦に思えたかもしれません。
しかし僕としては、今回のコンサートで最も面白かったのがこの部分なのです。
というのも、「euphoria」というテーマ自体が、彼らの感性を探る上で極めて重い意味を持っていたからです。
これを話すために、「euphoria」というテーマの持つ意味について少しばかり説明が必要でしょう。
先ほども言った通り、「euphoria」は「(根拠のない)強い幸福」とも訳されるように単なる幸福とは異なったニュアンスを持っています。
そもそも「euphoria」というテーマは、梅本氏がベン・ノブト氏の楽曲「BREAK-UP MANTRAS」を聞いて着想を得たものだそう。
この楽曲では、ラブソングのサンプリングが何度も繰り返され、とても甘く切ないハーモニーがそれを彩っています。
歌詞を聞いてみると、
…まだ感じてる…君が全てだって…君のことを考えてる…私のものだと言って…
という感傷的な失恋ソングです。
この曲を聴いた人は、たぶん
「ああ、なんて切なく美しい曲なんだろう……」
という気持ちになることでしょう。
ところが、実はこの曲に使われているサンプリングは、ネットで拾ってきた適当な素材なのです。
ここに「euphoria」のキーとなる感覚があります。
適当にネット上でエモいサンプルを拾ってきて、典型的な失恋ソングの歌詞を反復させ、キレイな伴奏を付けると、聞いた者は強制的にエモい気持ちにさせられてしまう。
こうした生理現象としての避けがたい幸福感、いびつな陶酔感こそが「euphoria」であると感じました。
インターネットの浸透やSNSの発展で、僕たちは確かに日々こうした幸福感に包まれています。
Instagramで勝手に流れてくるショート動画のネコはかわいいし、YouTube広告でアニメ声の広告が流れてきたらなんかカワイイと思っちゃうし、TikTokでダンスが流れてきたらワクワクするし……って感じでしょうか?
こうした、溢れんばかりの情報に埋め尽くされながらの強制的幸福感というのは、いびつで不気味なものです。
しかし同時に、まぎれもない幸福感でもあるわけで、ここにはキツい倒錯が隠れています。
これはまさに現代的な感性だと思います。
ただ単にいびつさを浮き彫りにしただけでなく、
「でもやっぱり幸福だよね?」
というところにまで切り込んだのが面白いです*1。
面白いと同時に、メッチャ傷ついたのでエネルギーを消費しました。
これは誉め言葉です。
見たくなかったものをいきなり眼前に突き付けられるの、サイコ~!
各曲レビュー
さて、ここから1曲ずつレビューします。
とはいえ、さっきも言った通り、このコンサートでは1曲1曲よりも全体としてのコンセプトの方を強く感じました。
なのでさほど深入りはせず、ざっくり感想のノリでまとめていきます。
1.梅本佑利/LOL STREAM
SNSに流れてくる大量の喜怒哀楽と、それに振り回される心を描いた作品。
「ウフフ」みたいな感じの女の子の声がピッチシフトを伴いつつ繰り返され、そこにヴァイオリンが鬼のような連符を休みなく刻み続けます。
まさに梅本節とでも言うべき作品でしょう。
感想としては、まずヴァイオリンが上手すぎてビビりました。
一切休みなく続く滝のような連符を、無感情かつ一定に淡々と弾き続ける演奏技術はヤバい。
全ての曲に言えることですが、今回のプログラムは成田氏の演奏があって初めて完成していたように思います。
圧倒的な演奏技術だけでなく、とても滑らかで安定した表現力と、ずっしりした奇妙な存在感を感じさせるプレイヤーでした*2。
2.梅本佑利/Divinely fuckin Gucci bag
この作品は、後に演奏される「from Heaven_NFT」「Rest in my friends, McDonald」と合わせて3曲で連作になっています。
Twitterで「euphoria」に関するつぶやきを探し、それをAIに学習させ、マルコフ連鎖をもとに生成したランダムな文章からタイトルを取っているとのこと。
各曲でそのテキストが機械音声によって読み上げられ、音声のサンプリングをヴァイオリンで模倣しながら曲が進みます。
これもかなり直截に梅本節です。
作品の着想には、Twitterのスパム(いわゆるインプレゾンビとか)が吐き出す無意味な文章が根底にあるようです。
機械が吐き出した妄言が、時として神聖さをまとった啓示のように読めてしまうことがある。
その空虚な神聖さを音楽で補強したらどうなるのか、という実験的意図があるのだと解釈しました。
作品の感想ですが、まず題材をTwitterとマルコフ連鎖で作るの現代チックだな~~と思いました。
次に、曲のコンセプトをかなりしっかりと明文化してプログラム・ノートに書いているのが面白いと思いました。
今回配られたプログラムには、それぞれの曲に対して楽曲コンセプトがしっかり書いてあり、それなりの文量になっています。
個人的に、この姿勢は好きです。
現代音楽はどうしても、音の響きから作曲意図やテーマを類推するのが難しいですからね。
一点思ったのは、逆にこれだけ詳細にコンセプトを明文化していながら、音楽としてはやっていることが普段とあまりにも同じである点にどういう意図があるのだろうか、ということです。
細切れにしたスピーチに楽器のメロディを合わせる、というのは梅本氏のオハコで、これまでにも何度もやっています。
もし仮にコンセプトが文章に書かれていなければ、この曲の意図を理解するのはほぼ不可能に近かったでしょう。
また、ヴァイオリンの演奏方法も割とシンプルに弓弾きするだけで、もっと多様な音使いをしたら音楽的に広がりも出るのでは……?とも思いました*3。
ただ一方で、「どうせこれ意図的なんだろうな……」という薄ら怖さも感じました。
特殊奏法に関しては、梅本氏はむしろ過去にバンバン使ってますし。
個人的な感想ですが、梅本作品は深読みしようとすると過剰に単純に見え、単純に見ようとすると過剰に入り組んで見えるという厄介さを感じます。
楽曲コンセプトにしても、コンセプトはしっかり文章で書いてくれているのに、最終的にこの作品が何を主張しているのか、という最もクリティカルな部分は書いてありません。
つまり、鑑賞者に対して強制的にこの作品を解釈させ、その上で明快な答えは用意しない、というボコスカ殴られるようなエネルギーを感じるんですよね。
さらに踏み込むと、今回の梅本作品4曲で面白かった点がもう1つあります。
テーマの「euphoria」に対して、山根氏やベン・ノブト氏は「euphoriaの内側」にいたように感じたのですが、梅本氏は外側から眺めているように感じられたことです。
要は梅本氏は、情報の海みたいなSNSの内側で脳みそチクチクされて「ワァ~気持ちい~」みたいな受動的な幸福(euphoria)を得ることを、究極的には快く思ってないんじゃないか*4、と感じたわけです。
アフタートークのとき笑い交じりに「ボクらには幸福感が足りない」と仰っていたのはそういうことじゃないかと思っています。
…………というようなことを、コンサート後にサイゼリヤでずっと議論していました。
隣の席で晩酌していたおじいちゃんは怖がっていました。
フツーに僕らの考えすぎかもしれません。
3.山根明季子/Hyperpopvlar
2010年代初頭のヴェイパーウェイヴを題材とした作品で、CVLTVRΣの「マーケティング 現金 - マーケティング キャッシュ - マーケティング 金」に影響を受けて作られたそうです。
ヴァイオリンがバッハのサンプリングを演奏する中、とつぜん無関係な4つ打ちドラムが鳴り始めて???となりました。
「画面の向こう側とこちら側」というレイヤーの遠近感を、リズムが合わないドラムビートによって表現したようです。
4.山根明季子/夢の泉
幼少期のユメカワ文化に思いをはせた1曲。
ファミコンの「星のカービィ 夢の泉の物語」からタイトルを取っているようです。
背景でキラキラした効果音が鳴りまくっている中、ヴァイオリンがarcoとpizzを織り交ぜて演奏するという曲でした。
今回のコンサートでは、バックの電子音響が積極的に使われていて、今後は現代音楽でも同期演奏がフツーに使われるようになるのだろうか、と考えさせられました。
個人的に電子音響は賛成派なので、バシバシ使って面白い曲が生まれたらいいと思います。
5.アレックス・パクストン/Lurrv U
弦楽四重奏曲「Floidhorrid」を改作したもので、タイトルは「ラアアアヴュ!!!」と読むそうです。
要は「Love You」ということで、愛の囁き(というか呻き?)でしょう。
原曲を聞いた成田氏が
「なんかこの曲、アイラヴューってみんなで言い合ってるみたいだね~」
と言ったのがパクストン氏に伝わり、
「じゃあそういうことにしよう!」
という流れでタイトルを変更した*5とか。
ちなみにこの曲の説明文は意味不明で、なんともeuphoriaじみています。
Programme notes for FloridHorrid by Alex Paxton - don't miss out on hearing this wonderful and wacky piece for the first time ever, tomorrow at RETAKE! 1pm, 8th March, @ the Tabernacle Notting hill.#maconchyquartet #retakeconcerts pic.twitter.com/rem430pnxS
— MaconchyQuartet (@MaconchyQuartet) 2020年3月7日
音楽的にも、この曲は印象に残りました。
同じセンテンスがずっと執拗に繰り返され、その中でイントネーションが変化し、ついには狂気的に歪んでいきます。
クライマックスではとんでもないヴィブラートをかけながら演奏しており、鬼気迫る様相で見ていて背筋が冷えました。
成田氏がどっか飛んでいくかと思いました。
6.梅本佑利/from Heaven_NFT
上記の通り・・・
7.山根明季子/楽園
この曲は、今回の山根作品の中では一番好きでした。
非常~にシンプルな3和音のアルペジオをひたすら繰り返しながら、スル・ポンティチェロやスル・タストによる音色の変化をモジュレーションのように徐々にかけていくだけ。
大変シンプルながら、このシンプルさは山根氏らしいです。
使われる和音は4つしかなく、コード進行は2パターンしかありません。
冒頭、いきなりハ長調で「ドミソド・ソシレシ……」と弾き始めたので、心の中で爆笑してしまいました。
このあり得ないくらいシンプルな秩序に「楽園」と名付けられていると、どうも怖さを感じます。
あと、こんな繰り返しが多くてシンプル極まりない曲をちゃんと弾き切れる成田氏の表現力もヤベ~と思いました。
8.ビリー・アイリッシュ/オキシトシン & 9.ソラージュ/煙を燻べる者
この次の曲、なんとビリー・アイリッシュです。
しかもプログラムには「※ 音源のみ」と書かれています。
何が起こるの???と思いながらドキドキしていたら、なんと舞台が暗転して舞台裏でビリー・アイリッシュが流れ始めました。
マジ何???
成田氏は直立不動です。
と思っていたら、急に舞台上のスピーカーからも音楽が流れ始めました。
いきなり爆音になったのでびっくりして
「PAミスか!?」
と思ってしまいましたが、どうやら正しい演出だったようです。
こうしてひとしきりビリー・アイリッシュが流れている最中、成田氏がまだ曲が終わらないうちから次の曲を演奏し始めました。
やがてスピーカーの爆音が止み、流れるように「煙を燻べる者」の演奏へ移行。
かなり攻めた演出で面食らいましたが、効果は抜群でした。
この2曲の演出は、まさに今回のテーマ「euphoria」に直結するようなものだと感じます。
まずビリーの「オキシトシン」は、端的に言ってセックスの歌です。
「オキシトシンのためにあなたが欲しい」という歌詞から分かる通り、クッソ退廃したセックスをしてお天道様に顔向けできないほど気持ち良くなりたいという内容。
そして次にソラージュですが、14世紀フランスの生没年不詳の作曲家。
バッハより古い時代の超マイナー作曲家です。
「煙を燻べる者」は半音階的手法で書かれた怪作で、アヘンや大麻を吸う光景をサイケデリックに描いたものだとか。
セックスもドラッグも、われわれを強制的幸福にいざなう暴力的な「euphoria」です。
ここでは、それを時代を超えて結び付けたわけですね。
さらに言えば、ビリー・アイリッシュは現代音楽の人ではなくポップ・シンガーです。
現代音楽の舞台で、ポップスの原曲音源をただ流すというのはなかなか攻めていると思います。
ポップスと現代音楽とで共通する価値観を描き、時代を超えて共通する価値観をも描いた、不思議な2曲でした。
10.ベン・ノブト/BREAK-UP MANTRAS
さあ、ここでベン・ノブトの曲がついに出てきました。
先に述べたように、今回の「euphoria」というテーマはそもそもこの曲に端を発しています。
そういう意味では、このコンサートのサビとも言える曲だったんじゃないでしょうか。
元々は木管と弦のアンサンブルだったのを、生演奏のヴァイオリンと録音のチェロにアレンジしての演奏でした。
この曲のコンセプトは先に述べた通りです。
個人的にベン・ノブトはかなり好きなのですが、今回この曲を聞いて初めて彼の作品に不快感を覚えました*6。
これは悪い意味ではなくて、むしろ面白い体験でした。
ベン・ノブト作品はシンプルにカッコいいから好きなんですが、この曲を聞いてから考えてみると、彼の作品に宿るカッコよさ・聞きやすさって実はかなり悪意に満ちているのでは……???
「コンセプトにも関わらず、強制的にカッコよくorキレイに聞こえる」音楽を彼が意識的に書いているとしたら、なかなかに暴力的です。
11.梅本佑利/Rest in my friends, McDonald
上記の通り・・・
舞台演出について
という感じで、バチクソに濃密な11曲でした。
舞台演出についても言及したいことがいくつかあるので、書いていきます。
まず一番驚いたのが、11曲演奏する間MCが一切なく、拍手すらなく、ぶっ通しで演奏しきったことです。
舞台が暗転し、薄暗いスポットライトの中に成田氏が現れた瞬間の緊張感が、演奏後も途切れることなく維持されていました。
そのせいで、曲が終わっても誰も拍手できなかったのです。
これはスゲ~~~カッコいい。
おちゃらける気が一切ないということがよく伝わってきました。
正直、この演出に関しては不満だった方もいるでしょう。
現実的な話、曲中にプログラムを見返すことができなかった(明転しないから冊子が読めない)のは善し悪しだと思います。
11曲ぶっ続けで演奏する中で、せっかくプログラム・ノートにも相当の文章量があったので、読み返したい人はいたでしょう。
というか、今何の曲を演奏しているのか迷子になった人も多かったかも。
ただ、個人的にはあのキィィィィィィィンと張りつめた緊張感は他に代えがたく、最高だなと思いました。
というか、自分たちがコンサートで面白いんだかよく分かんないMCを挟んでいたことが俄に恥ずかしくなってきました。
おちゃらけで誤魔化そうとしてはダメなこともあるんだと学びました。
また、さっきも触れましたが、ビリー・アイリッシュ~ソラージュの2曲は曲自体が演出と言ってもいいような使われ方をしていました。
舞台裏でビリーの曲が流れている間、舞台裏の天井に対して赤色の照明が照らされていたのですが、これはクラブのトイレでドア越しに音楽を聴いている表現だ、とアフタートークで明かされました。
このへんの演出はシビれますね。
ただ、舞台上のスピーカーから音が出始めるとき、ちょっとびっくりしてPAのミスかと思ってしまったのがやや惜しかったと思います。
たぶんトイレのドアを開ける瞬間の表現だったんだと思いますが、音量変化のさせ方次第でびっくりせずに済んだ気がします。
最後に、終演後のアフタートークについて。
これは最高でした。
まあ、僕はそもそも山根氏や梅本氏のファンなので楽しかったのは当然ですが、やっぱり個性豊かな音楽家たちの話を直接聞けるのは面白いです。
三者三様という言葉が似合いすぎるほどのカオスなトークで、かなり楽しめました。
演奏だけ聞いてアフタートーク聞かずに帰った人もチラホラいたんですが、フツーになんで?????と思いました。
まとめ
というわけで、明らかに文章が長くなりすぎですね。
この辺でまとめて〆にしようと思います。
全体的に大変完成度が高く、満足度も高い公演でした。
音楽からはしっかりダメージを受けたし、記憶に残るものです。
また、やっぱり「たくさんの初演曲を含む作曲家主体のコンサート」の良さを再確認しました。
逆に言えば、僕は「既存曲を前提とした聴衆主体のコンサート」を面白いと思えません。
既存曲というのは、歴史的にそれなりの価値を認められていて(そうでなければ残らない)、いわばぜんぶ傑作です。
良い曲だと分かって聞きに行き、良い曲だったと再確認して帰るのでは、頭も全然使わないし意外性もない。
もちろん、そうした軽めの楽しみ方を好む人がいるのは理解できるし全然それでいいと思いますが、僕の好みではないのです。
そういう意味で言えば、今回のような「たくさんの初演曲を含む作曲家主体のコンサート」は、ぜんぶ傑作(歴史に残る)ということはないでしょう。
事実、終演後に梅本さんとお話ししたとき
「今回の演奏曲のうち、再演される曲は一体いくつあるのか……」
と唸っていました。
ただ聞き手としては、先入観やレッテルなしに音楽と向き合えるので、たいへん刺激的でスパイシーな体験です。
もちろん魂とか心臓・MP・肝臓・大脳新皮質などが多少すり減りますが、それが楽しいし、体験として重厚だからこそ、こういうコンサートは今後も是非あってほしいと思います。
*1:これについて、アフタートークで梅本さんが
「ベン・ノブトは最終的に幸福感に持っていけるからすごい、ボクらには幸福感が足りない(笑)」
と言っていたのが個人的にツボでした。
むしろこれを幸福として結論付けられてしまうベン・ノブト、ヤベぇ悪党なのでは???(誉め言葉)
*2:舞台衣装にはどデカい龍?がプリントされており、派手でカッコよかったです。
こうした攻めたファッションスタイルは、mumyoの3人全てに言えることですが、現代音楽の発信のしかたとして新鮮で良いと思います。
*3:実際、他の曲では音色を変える弾き方や特殊奏法が多く使われていました。
*4:ちなみに僕は全く快く思っていません。
現代の情報化社会は地獄です。
テレビを見なくて済むためだけに実家を出たくらいです。
*5:作曲者としては、演奏者が自分の作品を解釈してくれたら嬉しいので、共感できるエピソード。
*6:現代音楽を聴かない方には伝わりにくいかもしれませんが、「音楽を聴いて不快になった」というのは誉め言葉です。
聞き手の心が動いたということは、作曲行為が成功した証です。