こんにちは! gです。突然ですが今回はターキッシュ・ポップスというジャンルについてお話します。
といっても突然こんなことを言ってもわからないと思うのでまずは一曲聴いてみましょう。Tarkan で≪Dudu≫です
いやーかっこいい…
でも家族からは「インド人が経営している料理店の有線放送みたい」と言われました。言いたいことは分かるが、良さがなぜわからんのだ。
ここでターキッシュ・ポップスの歴史的系譜を見てみましょう。大衆音楽の分野においてターキッシュ・ポップス以前にトルコに存在していた音楽は概ね2種類ありました。「ハルク」と「アラベスク」です。
「ハルク(Halk)」は英語で考えると ”folk” のようなモダンな都市的音楽の意味も含んでいますが、”folklore” のような民謡や語り部による伝承のような意味もハルクには含まれています。1930年代ー1960年代が最盛期で、演奏には主にバーラマやサズといった民族楽器が用いられていました。
動画はアーシュク・ヴェイセル・トゥルオウル(Asik veysel )によるもの。現在のトルコ大統領エルドアンも彼の曲を聴いていたそうです。*1
さらにいうとハルクのもっと前には、オスマン帝国時代の古典宮廷音楽の歌謡化したものである「サナ―ト」と呼ばれるジャンルも存在します。マカームによる微分音を多く含み技巧的であった宮廷音楽をラジオやテレビを通して大衆の耳に届けたという観点から大衆音楽の先駆けともいえるでしょう。
一方で「アラベスク」は1960年代に入って盛んになった音楽で先ほどのハルクに加えて文字通りアラブ音楽の要素や欧米の音楽要素を取り込みながら成長していった音楽ジャンルです。トルコの経済の発達に伴う経済格差の影響を受けた音楽で、時に”退廃的”と批難されるような表現を歌詞に取り入れ1970年代にトルコ国営テレビでは放送を禁止していたこともあります。
フェルディ・タイフールの≪Aramizda Engeller Var≫を紹介します。
放送禁止を受けたこともありますが、しかしこのアラベスクによってアーティストのアルバムの売上は一人につき数千万枚(フェルディは生涯2700万枚で第3位)にも上り、トルコ音楽産業の商業的な発展が進んだことは確かです。
さて、こうした背景のなかでターキッシュ・ポップスというジャンルはアラベスクの同時代に発展しました。初めはエルヴィス・プレスリーなど他国のロックスターの活躍に伴い英語の曲のカバーやそれのトルコ語訳という文化の輸入という形でしたが次第に独自のポップスの形態を取るようになりました。
ターキッシュ・ポップス初期には映画女優でもあるアジタ・ペクカン Ajda pekkan(1946ー)とセゼン・アクス Sezen Aksu(1954ー)が先頭に立って牽引した。
というより二人ともまだ現役だし、ペクカンに至っては若返っているようにさえ見える
そして最初に紹介したタルカンTalkan(1972ー)がターキッシュ・ポップスで最も活躍している人物であるといえるでしょう。ドイツ生まれではあるが両親がドイツ移民でありタルカン自身もルーツはトルコにあると宣言しています。ウシュクダル音楽アカデミーで音楽を学んだ後イスタンブール・プラク・レーベルと契約して発表したファーストアルバム≪Yine Sensiz≫ではトルコ音楽史上初めてスラングを取り入れた歌詞で若者に大きな影響を与えました。
タルカンの曲で個人的に好きなのは2017年のサナートを歌ったこの映像。伝統的なオーケストラと共に上手くマカームの揺らぎを表現しており、タルカンが確かな歌唱力を持っていることが伺い知ることができます。
ターキッシュ・ポップスの特徴としては
・伝統に囚われずに積極的に西洋やアラブ諸国の要素を取り入れていること
・様々な要素を含みつつも根本のリズムパターンや器楽編成にはある程度共通した要素があること
の二点が挙げられます。
最後に現在私が注目しているアーティストを紹介して終わろうと思います。
Cem Belevi(1987ー)2013年にデビューしたアーティストです。
典型的なターキッシュ・ポップスの特徴を抑えつつもクラブ・ミュージック的な新しい音を積極的に取り入れて独自のサウンドを創り上げています。
また≪Dön Bebeğim ≫では全体的にボサノバ的な雰囲気をまとわせつつ力強い歌声を上手く調和させています。
ではまた!Güle güle!