プロローグ
高校二年生の春。
次の年に受験を控えてはいましたが、モチベーションが1ミリもなく、というより微塵も沸いてきませんでした。とはいえ、志望校もないままズルズル3年生になったところで、受験しても落ちるのは目に見えているのも事実ではありました。
落ちるのは困る。
仕方が無いので、名大祭のパンフレットを見ることにしました。面白くも何ともありませんでした。
しかし、その中に一つだけ輝いて見えた文字列があります。
そう、「特殊音楽研究会」です。
忘れるといけないので、とりあえずツイッターアカウントをフォローしました。
そして時が経ち高校三年生。
もれなく発狂していた私は、こんな投稿を目にします。
【お知らせ】明日の18:00より、久しぶりにミーティングをやります。場所は図書館です。興味がある人は来てね pic.twitter.com/4jPNBJ1ccC
— 名古屋大学特殊音楽研究会 (@nu_tokushuon) June 1, 2017
記号で埋め尽くされた背景、完全に目がイッてる猫という奇天烈かつ不気味なこの絵に魅了されてしまいました(一時期LINEのアイコンにしていたほど)。
この絵を描いたのがねこぢるです
ねこぢる
ねこぢる知らない人のために一応ざっくり説明しておくと、素朴なタッチでエグい描写を描く女性漫画家です。夫も漫画家です。
あまりに適当で怒られそうなので、Wikipediaのリンクも貼っておきます。
とまあ、ねこぢるはそれなりに有名なので、アイコンについて言及されたりもしました。
先輩「それねこぢるだよね?」
僕「しらねえよ(そうですね)」
知らないままなのも癪なので、ねこぢるについて片っ端から調べました。決して受験勉強から逃避したわけじゃないですよ、ええ決して。
その過程でねこぢる草にハマったりなんだりしました。
NEKOJIRU-SOU/CAT SOUP (ねこぢる草) - FULL MOVIE [ENG SUB]
(幻想的な描写など、湯浅政明の演出がかなり効果的で、一見の価値はあると思います。)
そんでもって色々調べた結果、月刊漫画ガロという雑誌、ねこぢるの夫である山野一の漫画に一旦行き着きました。
月刊漫画ガロ
世の中では「少年ジャ○プ」などの「友情・努力・勝利!! 売れない漫画は打ち切りな!!!!」みたいな陽キャのための漫画雑誌が蔓延っている訳ですが、「俺はこういうのもいいと思うズェ...(ニチャァ)」みたいな、クソ陰キャオタク童貞のための漫画雑誌も少なからずある訳です。その極北が月刊漫画ガロでした。
ガロでは「面白ければなんでもOK(意訳)」という編集方針の下、商業性のカケラもないヤベー作家が世に放たれます。蛭子能収とか。
僕はガロを二冊ほど所有しているのですが、全編通してアバンギャルド、ナンセンス、アートが渋滞しています。世界は広い。
ただ、そんな漫画雑誌が売れるわけがないので、原稿料はゼロです。
とはいえ自由を求めて連載する作家は多かったようです。
そんな作家の中に山野一もいました。
山野一
彼もガロに連載をしていました。ガロが漫画界の極北ならば、山野一は極北の極北でした。例によって詳しくはWikipediaを参照してくれ!
いやぁWikipediaは便利だなあ~!!
購入、そして完全に心が壊れる
受験生だった僕は発狂していたとはいえ、そこらにいる人をボコスカに殴るわけにもいかず*1、なんらかの鬱憤のはけ口を探していました。そして受験生は金が貯まる一方です。
もうこれは買うしかない!漫画の登場人物よ、俺のために死ね!そう思い、ジュンク堂に足を運んだのです。(ジュンク堂に行けば新書なら大抵置いてあるという偏見)
ジュンク堂はすごい。他の書店にはなかった山野一著「四丁目の夕日」がありました。
無論即決で購入し、無事、鬼畜系漫画との邂逅を果たしたのです
四丁目の夕日
なんだか「三丁目の夕日」みたいな題名ですね。きっと下町情緒あふれるハートフルヒューマンドラマなんだろ~な~!
現在最も手に入りやすいのはこちらの扶桑社文庫版のもの。
帯を見ると「読むと心が傷つくように感動する。素晴らしい漫画だと思います。」という推薦文が書いてあります。
さ~て、どこがどのように素晴らしい漫画なのかな~?
主人公の別所たけしは都内の進学校に通う高校三年生。印刷業を営むやや貧しい実家で、両親や弟妹と共に平凡に暮らしていた。成績優秀・恋人持ちと、それなりに順風満帆な人生を送っていたが、喫茶店で「二人で思い出をつくりたい」と切り出した恋人の願いを無下にし、別れを告げられる。
たけしは飛び出していった恋人を追う際に暴走族と揉め、ボコボコにされる。大企業の御曹司である友人・立花にお金の力で助けられ家に帰り着くが、そこでは母親がごみの焼却中にスプレー缶を爆発させ、全身に大けがを負っていた。
父は費用を捻出するため、仕事量を以前の三倍に増やした。しかしある日、過労がたたってふらついた拍子に輪転機に体を巻き込まれ、全身をぐちゃぐちゃに切り刻まれ死ぬ。
葬式中にサラ金業者が取り立てにやってきて、父が経営の為に多額の借金を背負っていたことが発覚。たけしは受験を諦め、実家の印刷業を継ぐことを決意するがあっさり倒産。たけしは退学して弟妹と共にボロアパートへ引っ越し、二人を養うために鉄工所の工員として働きはじめる。
鉄工所に入ったたけしは、職場で陰湿ないじめを受けるようになり、慣れない労働や劣悪な環境での生活もあいまって徐々に精神を追い詰められていく。立花と再会しても異様な言動が目立つなど、過去の姿は見る影もなくなっていた。
それでも貧しいながらもまだそれなりに平穏な暮らしを送ることができていたが、弟の誕生日会に階下のキチガイジジイが乱入。たけしを残して惨殺する。たけしはついに発狂し、ジジイをはじめ近隣住人を無差別に殺害。刑務所にぶち込まれる。
数十年後、かつての恋人は平凡な主婦に、立花は社長として悠々自適な生活を送る中、たけしは清掃員として社会復帰する。さあかけがえのない第二の人生の出発だ。
https://bibi-star.jp/posts/4880 より抜粋。一部加筆修正。
いや素晴らしい。最高ですね。
ここまで明確な悪意を持って、かつ淡々と不幸の無間地獄を描ける人間はそうそういないと感心しました。
当時受験生だったのもあるんですが、塾でよくある「頑張ればできる」みたいな努力崇拝が本当に嫌いで、いや頑張っても無理なものは無理だろ燃やすぞ、と常々思ってたわけです。
その状況でどうあがいても不幸になる主人公と家の力で大成する友人を描ききった本作を読んだので「これだよこれ!」と声を上げたいほど共感しました。
さて、ここで問題が生じます。
「頑張ってもどうにもならないよ」という後ろ盾を得たのは良いのですが、現実はそんな論理を適用するわけにもいきません。
規模は矮小であるものの、1984年さながらの二重思考をする羽目になり、徐々に心は蝕まれていきました。てか壊れました。
あれから1年半経過し、さすがに立ち直りはしましたが、「頑張ってもどうにもならない」というのは、ニーチェが言うところの消極的ニヒリズムなわけで、これは早急に矯正する必要があるなあと思います。消極的ニヒリズムは何も生まないので。
とはいえ、四丁目の夕日が私に強烈なインパクトを残したのは事実であり、これ以降蛭子能収、根本敬、丸尾末広などによる鬼畜系と呼ばれる作品に触れることになったのです。
というところで今回は終わりです。
次回は山野一の諸作品を軽くレビューしたいと思いますが、なんか他の記事(渋谷系の時代① フリッパーズ・ギター編 - 名大作曲同好会 の続き)を書かないといけない気がするので、いつになることやら......。
まあさっさと書けって話なんですけどね。
*1:結局ボコスカに殴りました。