名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

高等な遊び、以心伝心

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以心伝心

 世の中に音楽は一体何曲あるのだろう。
それこそおびただしい数の音楽が存在するだろうが、これらを似た感じの曲に整理していったら、どのくらいの種類にまとまるのだろうか。

 

似た曲を聴くと必ずパクリだと騒ぎ立てる

「自称音楽通」

が現れる。

 

冒頭で結論をだすのは些か拙速だが

「おととい来やがれ」

と申し上げておきたい。

 

たしかに中には悪質なパクリが存在することも事実だ。
ときにはそれが係争に発展する例もあるし、作者がその事を認めた事例だってある。

しかし何でもかんでもパクリとしてしまう程度の低さには閉口せざるを得ないのもまた事実である。
そこで今回は非常に高等な遊び、あるいはテクニック、以心伝心としての「パクリ」を紹介しようと思う。

 

実はこれは2018年の門下会における特別レッスンで話した内容の一部でもあるのだが、とりあえず次の曲を聴いてみよう。

 

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Valses nobles et sentimentales/Maurice Ravel

 

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Maurice Ravel

 フランス近代の大巨匠モーリス・ラヴェルの書いた大傑作「優雅で感傷的なワルツ」である。
タイトルをそのまま体現した、ノーブルでセンチメンタルなこの楽曲の味わいは、バスク人を親に持つラヴェルの一端を味わうのに最高の一曲だろうと思う。

 

この曲を書くにあたってラヴェルシューベルトのワルツをモチーフにした」と語っている。

 

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Valses Nobles/Franz Schubert

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Franz Schubert

こちらがそのシューベルト「高雅なワルツ集」である。

ではラヴェルの言ったことは具体的にはどういうことか、ラヴェルのほう、特に第1番の冒頭に着目してみよう。

 

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優雅で感傷的なワルツ 第1番の冒頭部分

華やかで非常に金属質のいかにもラヴェルといったハーモニーから始まり、直ちに音階を基本とするモチーフが導入され、転調が促され気がつくとV調に終止する。

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同 和音分析

基本的なハーモニー分析を行ってみると、和声の進行は非常に基本的であり、かつ明瞭を極める。
そこに大胆な非和声音が導入されることにより、ラヴェルの音楽となっていることがわかる。またラヴェルはこれら非和声音にも別の命を与えているのである。

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冒頭の非和声音群

これは冒頭部の和音につけられた非和声音だけを抜き出したものである。
この音をさらにオクターブの別をなくして平均化すると以下のようになる。

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平均化した非和声音群

このように何気なく付加された、あるいは感覚的に付加されたように見える非和声音ですら、極めて精度の高い論理性に裏打ちされ、それが金属質のきらめきをまとった音楽に昇華していくのはまさに名人の至芸といえよう。

 

では話をもとに戻し、この冒頭部の引用元と思われるシューベルトのワルツを見てみよう。

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高雅なワルツ 第1番の冒頭部分


響きだけを聴いていても別の曲であるが、この2つは類似性がはっきり認められる。
それがリズムである。
シューベルトの冒頭のリズムと、ラヴェルの冒頭のリズムを比較してみよう。

 

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ラヴェル-シューベルトリズム比較

こうやって見るとラヴェルシューベルトのモチーフに霊感を得て、それをどう自分の音楽の中に借りたのかがよく分かる。
シューベルトのワルツはアウフタクトをともなっているが、これを一拍ずらしてみると両者はおなじになる。

 


ラヴェルシューベルトのこのリズムにはっきりと「ノーブル」なものを感じ取っていた。
そしてその霊感、味わいを自分の曲に持ち込みたいと考えた時に、極めて高度な処理と、非常に慎ましやかな尊敬の眼差しを持って先人の息吹を拝借したのだ。

 

 

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Glenda Austin

 ときは下って現代の主に教育的音楽を書く作曲家にグレンダ・オースティンという人がいる。ピアノを習ってた人は接したことがある名前かもしれない。
かのギロックの作品の演奏者としても知られる教育者である。
このオースティンがこんな曲を書いている。

 

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Valse Brillante/Glenda Austin

 

一聴してラヴェルのそれに酷似していることがわかるだろう。


見識の低い自称音楽通にはこれもひどいパクリに聞こえるのだろうか。

 

ラヴェルのワルツは美しい、そして演奏難易度が高い。
高い技術を身に着けていなければ全く太刀打ちが出来ない。

 

教育者であるオースティンはこのラヴェルの味わいをもっと平易に子どもたちに届けたいと思ったのだろうか。
この曲はラヴェルの味わいを上手に取り込みながら、子どもたちでも弾ける難易度で調整されているのだ。

 

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華やかなワルツ 冒頭部

冒頭部分はシューベルトからの以心伝心、そしてラヴェルの味わい深い不協和音が踏襲されている。
跳躍や音数は抑えられ、展開も急速なチェンジを押さえて緩やかにしてはあるものの、ラヴェルの音楽を十分に理解していることが、分析をしてみるとよく分かる。

 

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同 和音分析

まず基本的な和音進行は非常に伝統的でありながら、ラヴェルの時代ではないのでやや流動性が付加されている。
非和声音の処理についてはなるほどよく研究しているなと思わせる。
ラヴェルとは実は違う力学になっているのだ。

下の譜例は冒頭の非和声音の解決と、本和音の解決を図示したものだが、解決の遅延先行同時に行うことで、この部分が書かれていることがわかる。


そして気がついただろうか。

さり気なくリズムを更に一拍遅れさせていることに。

 

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同 非和声音構造

この三人の「高等な遊び」はそのタイトルにもよく現れている。

Valses Nobles-Valses nobles et sentimentales-Valse Brillante

息吹を伝え、それぞれの立場作風から先人に学び、それを表現する。
まさにこれこそが「オマージュ」なのだろう。

 

このような例は枚挙にいとまがない。
巨匠メシアンも先人の引用をたくさん用いていることを自著で告白しているとおり、
クラシックにおいてこの手の以心伝心はもはや一つの表現手法であり、れっきとした高等技術なのである。

それどころかそのものズバリを「引用」するというテクニックだってある。

 

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Fantaisie Impromptu/Frédéric François Chopin

 

この曲は誰でも知っているであろクラシックの超名曲、ショパン「幻想即興曲である。

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幻想即興曲 第二主題部分



物憂げで衝動的、流動的な第一主題と、温かみと幸福を夢見るかのような第二主題がコントラストを成し、終始美しくも儚い名作である。

 

この曲の第二主題を直接引用した例が次の曲である。

 

youtu.be

Makrokosmos I, Twelve Fantasy-Pieces after the Zodiac - 11. Dream Image(Love-Death Music)/George Crumb

 

20世紀アメリカの巨匠、ジョージ・クラムの代表作「マクロコスモス第一集」の第11曲にははっきりと分かる直接引用がなされている。

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マクロコスモス第1巻より


これはパクリなのだろうか?トレースなのだろうか?


いや全く違う、クラムはショパンの名曲に「愛」のキーワードを見出し、自身の曲にその象徴として引用したのである。
敬愛と理解がベースになっていないと、この手のことは絶対にできない手法であるが、ことこの曲においては限りなく効果的なものになっているのがわかる。

 

引用にはもっと激しい例も存在する。

 

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Composition 1960 #13/La Monte Young

 

冒頭で演奏者が説明している通り、この曲は「何でもいいから好きな曲を演奏しろ」と楽譜に書いてあるのだ。

 

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Composition 1960 #13/La Monte Young

この映像ではギタリストはバッハの無伴奏チェロ組曲前奏曲を演奏しているが、この瞬間にはこの曲はバッハの曲ではなく、ラ・モンテ・ヤングの曲なのである。

 


これは少々特殊な例としても、かく言う私もこういう味わいや息吹を借りることはとてもよくある。
一例を示せば例えば弟子の一人が展開しているAppliceという東方アレンジサークル
かつて主にオーケストラアレンジとして参加したときのこの曲だ。
(なお私はPopsの仕事のときはGODWOODという名義を用いている)

 

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異世界感、ちょっと宇宙っぽいSF感、疾走するキャッチーなPopでひねったコードというアレンジャーの方向性に、私は菅野よう子さんの作品世界のイメージが合うのではないかと考えて、自分の研究でわかっているエッセンスをふんだんにふりかけてみた。
なにかをそのままトレースするのではなく、先人たちの高等な遊びに学んで、息吹を拝借させていただくという方法は、こうやってPopのアレンジや、部分的なオーケストレーションでも行えるものなのだ。
そしてむしろそういうテクニックこそ、在野の趣味分野のようなところで開陳させることで、理解されるかどうかという点はあるにしろ、文化の底上げに寄与できるのではないかとすら考えている。

人は学ぶ過程である驕りが芽生えることがある。

 

「私は素人じゃないんだ」

 

知ったことが増えれば増えるほどそういった特別な意識が芽生え、ややもすると自分は選ばれた人間であるかのような振る舞いをするようになったりもする。

 

音楽にしろなんにしろ、先人の営みに学ぶことは基本なのである。
そしてこの道に終わりなどありはしない。

作る者は一生を学びに捧げているはずなのだ。
今の知識だけですべてを知ったなどということは有り得ないし、それを常に自分で訂正し続けていかねばならない宿命に生きているとも言える。

 

果たしてそれは作る側だけの命題なのだろうか。

 

聴く行為はすべての音楽の源である。
知れば知るほどに聴けるものが増えるのである。
考えれば考えるほどに味わい深くなるものなのだ。

 

いい気になる前に、もっともっと知ってみようじゃないか。音楽のことを。