名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

大学の実技試験でオリジナルのコンテンポラリー楽曲を演奏する話。

(初稿)

はじめに

こんばんは。Niynuh Swidffel(ニーヌ・スウィドゥフェル)です。

前回の記事ではfripSideのメロディにおけるリズム構造について分析を行いましたが、今回は少し趣向を変えて、私自身の「実技試験」にまつわる、現在進行系のプロジェクトについてお話ししたいと思います。

私の所属する大学では、副専攻の実技レッスンとしてユーフォニアムを履修しています。来たる来年1月、その成果を発表する「実技試験」が控えているのですが、ここで私は一つ、大きな決断を下しました。

それは、「自作のコンテンポラリー(現代音楽)作品を演奏する」ということです。

一見すると、意欲的な芸術学生の挑戦のように聞こえるかもしれません。しかし、この決断の裏には、切実かつ戦略的な、ある「生存戦略」が隠されています。今回は、技術的に未熟な奏者が、いかにして現代音楽というフレームワークを利用し、試験という戦場を生き抜こうとしているのか。その作曲プロセスと戦略の全貌を、一種のドキュメンタリーとして記録しておこうと思います。最後までお読みいただけますと幸いです。

圧倒的な練習不足

まず、現状を正直に告白せねばなりません。

私はユーフォニアムという管楽器のレッスンを受けてはいますが、恥ずかしながら大して練習していません。

本来であれば、伝統的なエチュードや協奏曲をさらい、美しい音色と正確な音程で朗々と歌い上げる……というのが実技試験の王道でしょう。しかし、今の私の技術(特に唇の持久力とピッチコントロール)は極めて低く、既存のレパートリーを演奏すれば、減点法で評価される試験において、「爆死」することは火を見るよりも明らかです。

「練習不足で下手だから、点数が低い」。

これは因果応報であり、甘んじて受け入れるべき結果かもしれません。しかし、私は考えました。

「吹けない」という事実を、「特殊奏法」や「演劇的要素」として再定義できないだろうか?

現代音楽の世界において、「伝統的な美しい音色」は必ずしも絶対的な正義ではありません。むしろ、楽器の構造的限界に挑んだり、ノイズを音楽的要素として取り込んだりするアプローチが正当に評価される土壌があります。

つまり、評価軸を「技術」から「概念」へとずらすのです。

これが、私が今回の試験でコンテンポラリー作品を自作・自演することに決めた、真の理由です。これは「逃げ」ではありません。「戦略的撤退と新たな戦線の構築」です。

作品のコンセプト:『Monologue IV -"ソロ・ユーフォニアム"のための-』

タイトルに込められた「嘘」と「真実」

今回作曲した楽曲のタイトルは、『Monologue IV -"ソロ・ユーフォニアム"のための-』です。

お気づきの方もいるでしょう。「IV(4)」ということは、I、II、IIIがあるのか?、 と。

実のところ、これまでの試験で発表したこともなければ、楽譜が存在するわけでもありません。しかし、私はあえて「IV」と名付けました。

これには2つの狙いがあります。

「4回目」という文脈の利用

私は今回で4回目の実技試験(半期ごとに実施されます)を迎えます。これまでの3回(普通の曲を吹いて玉砕した過去)を、あたかも「この境地に至るまでのプロローグ」であったかのように演出するメタ的な仕掛けです。「急に路線変更した」のではなく、「2年間の苦悩と探求の末に、ついにIVが生まれた」という偽の歴史を構築するわけです。

また、サブタイトルの『"ソロ・ユーフォニアム"のための』についたダブルクォーテーション("")も重要です。

本楽曲には、実はピアノ伴奏がつきます。本来なら「ユーフォニアムとピアノのための」とすべきところを、あえて「ソロ」と銘打つ。ここに皮肉と哲学を込めました。

「このピアノは伴奏者ではない。ユーフォニアム奏者の内面世界や、過去の残響が具現化した『孤独な影』である」

……と言い張るための「""」です。これにより、ピアノに助けてもらいながらも「これはソロ曲である」という概念を成立させています。

楽曲のテーマ:『Exhaust』

楽曲の核となるコンセプトは「Exhaust(排気)」、あるいは「Guttural(喉の奥からの唸り)」です。

旋律を奏でる機能を楽器から剥奪し、金属管としての物質性、および奏者の身体性(呼吸、打撃)に焦点を当てます。

要するに、「汚い音」「変な音」を主役に据えるということです。これなら、リップスラーが苦手でも、ハイトーンが出なくても全く問題ありません。

作曲のアプローチ:技術不足を逆手に取る特殊奏法

具体的に、私が採用した「ごまかしが効く(しかし前衛的に聞こえる)」特殊奏法たちを紹介します。これらは全て、私の技術的欠陥をカバーするために選定されました。

1. エア・サウンド (Air Sounds)

楽器に息だけを吹き込み、「シュー」「フォー」という音を出します。

  • メリット: 唇を振動させなくていいので、バテません。ピッチもなにも関係ありません。
  • 記譜: 楽譜には「Air sound only」と記述します。
  • (この奏法は第4稿から削除されました)

2. ディストーション / スプリット・トーン (Distorted Tone)

低音域で、あえて唇をリラックスさせすぎた状態で息を突っ込み、「バリバリ」「ベベベ」という割れた音を出します。

  • メリット: 普通なら「汚い音」として怒られますが、現代曲では「倍音の探求」「原始的な叫び」と評価されます。一番出しやすい最低音(ペダルトーン)でこれをやると、非常に迫力が出ます。

3. 発声奏法 (Vocalization / Growl)

楽器を吹きながら、喉で「うー」「あー」と声を唸らせます。楽器の音と声が干渉し合い、「ギュルギュル」という不気味なマルチフォニックス(重音)効果が生まれます。

  • メリット: 音程が多少ズレても、むしろその「ズレ」が唸りを生むので好都合です。

4. パーカッシブ・エフェクト (Percussive Effects)

  • Valve Click: ピストンを強く叩いて「カチャカチャ」鳴らす。
  • Palm Hit: マウスピースの入り口やベルを手のひらで軽く「ポン」と叩く。
  • メリット: リズム感さえあれば、管楽器の技術はゼロで済みます。「機械的な動作音」として構成に組み込みます。

ピアノパートの構築:1週間で完成させる「トーン・クラスター」

今回、伴奏を依頼するピアニストにも無理をさせないよう、ピアノパートは「1週間未満でさらえるレベル」に設定しました。和声進行やメロディは一切排除し、現代音楽の必殺技「トーン・クラスター」を多用します。

主な指示

  • Sempre pedale: 最初から最後まで、右のサステインペダルを踏みっぱなしにします。これにより、ユーフォニアムが単音を吹くだけで、ピアノの弦が共鳴し、浴室のような残響が生まれます。
  • Forearm Cluster: 左腕の肘から手首までを使い、低音域の鍵盤をまとめて「ドゴォォォォン!!」と叩きつけます。技術不要で、見た目のインパクトと音圧は絶大です。
  • Depress silently(無音の打鍵): 鍵盤を音が出ないようにゆっくり押し込み、開放弦を作ります。そこにユーフォニアムが吹き込むことで、ピアノから共鳴音が立ち上がります。

これらの要素を組み合わせることで、「技術的な難易度は低いが、音響的には極めて複雑で重厚」なアンサンブルを実現しました。

記譜法のハック

楽譜を作成する際、私は全ての演奏指示を英語で記述しました。これは単なる形式美ではなく、心理的な印象操作です。

例えば、「汚い音で吹く」と日本語で書くと、どうしても「ふざけている」「下手」というニュアンスが漂います。しかし、これを:

Distorted tone / Loose embouchure

と書くだけで、途端に「アカデミックな特殊奏法」に見えてくるから不思議です。

他にも:

  • 手のひらで叩く → Percussive palm hit
  • 音が消えるまで保つ → Let ring until the sound fades away

このように記述することで、審査員に対して「私は現代音楽の語法を理解し、適切に指示を出している」という姿勢をアピールします。もちろん、演奏者が困らないよう、楽譜の冒頭には日本語でPerformance Notesを別記するというプランを採用しました。

指導教員との攻防

さて、問題作の楽譜とデモ音源を、恐る恐る担当の指導教員に送りました。

先生からの返信は、現代音楽の本質を突く鋭いものでした。

「斬新で面白いね。でも、この強烈な低音とか吹ける?

効果音みたいな物だから、効果的に鳴らせないと格好良く行かないからね」

「効果的に鳴らせないと格好良く行かない」

これは金言です。つまり、「迷いながら吹くな」ということです。

「あってるかな?」と不安げに吹くノイズは、ただの「雑音」です。しかし、「これが世界の真理だ」という顔で確信を持って放つノイズは、「芸術」になります。

先生は、私が技術不足を隠そうとしていることなどお見通しの上で、「やるなら徹底的に演技しろ。中途半端が一番ダサいぞ」と背中を押してくれた(あるいは釘を刺した)のです。

これに対し、私は以下のように返信しました。

「おっしゃる通りです。単なる『雑音』や『失敗』に聞こえず、意図的な『表現』として響くよう、音の質感や立ち上がりを意識して練習します。

楽譜上の音程よりも、その場の空気感や音の圧力を支配できるように詰めていきたいと思います」

もはや学生と先生の会話というより、演出家と役者の会話です。しかし、これで腹は決まりました。

実技試験に向けた戦略

今の私に必要なのは、ロングトーンの練習でもスケール練習でもありません。

「私は孤高の現代音楽家である」という自己暗示と、ステージ上での立ち振る舞いの演技です。

当日のステージプランは以下の通りです。

  1. 入場: ニヤニヤしない。客席を見ない。深刻な顔で、何かに憑依されたように歩く。
  2. 準備: ピアノの椅子に座る伴奏者とも目を合わせない。長い沈黙を作る。
  3. 演奏:
    • 汚い低音を鳴らす際は、苦悶の表情を浮かべる。
    • 楽器を叩くシーンでは、機械が故障していく様を憑依させる。
  4. 終結: 最後の音が消えた後、ペダルの残響が完全に無になるまで、絶対に動かない。
  5. 退場: やりきった顔で、しかし愛想は振りまかずに去る。

審査員が「こいつ下手だな」と思う隙を与えず、「なんだこれは……何を見せられているんだ……」と呆気にとられている間に3分間を駆け抜ける。これが私の勝利条件です。

(第5稿(決定稿))

おわりに:コンテンポラリーは「救済」か

今回、実技試験のためにコンテンポラリー作品を作るというプロセスを経て、私は逆説的に「音楽とは何か」を深く考えることになりました。

技術が足りないから、技術を否定する。これは一見すると後ろ向きな「逃げ」の姿勢です。

しかし、その「逃げ」を極限まで突き詰め、論理武装し、楽譜という形に落とし込み、一つの作品として提示する行為は、紛れもなくクリエイティブな挑戦でした。

「吹けない」ことがコンプレックスではなくなり、「吹けないからこそ出せる音」という武器に変わった瞬間、私のユーフォニアムは単なる「下手な管楽器」から、「固有のノイズ発生装置」へと変化/進化を遂げました。

『Monologue IV -"ソロ・ユーフォニアム"のための-』は、私が大学生活3年間で積み上げてきた(あるいは積み上げられなかった)技術へのアンチテーゼであり、同時に、それでも音楽を続けようとする意志の表明でもあります。

来年1月の本番。その結果が吉と出るか凶と出るか。またこのブログで報告できる日を楽しみにしていてください。

それでは、また次回の記事で。

 

追記

(※本記事は、試験対策のための思考整理を兼ねています。審査員の先生方、もしこの記事を見つけても、どうか温かい目で見守ってください)