名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

夢をめがけて音楽系YouTuberの日々 その2

フリーランスの作曲家として活動を始めてから1年半ほどが経つ。

これまで、アイドルを始めとしたアーティストへの楽曲提供やミックス、YouTubeでの動画投稿、楽曲添削の依頼などでなんとか食い繋いできた。

20代で既に生計が立っているのは奇跡的だが、自分はあくまでも単なるYouTuber・アイドル業界の商業作曲家で満足したくはない。

そこで、ちょうど先日の動画で告知したが、近々アイドルを自分でプロデュースする予定だ。

また、とある楽団からオーケストラ楽曲の委嘱もいただいている。

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自分の音楽の趣味は、悪く言えば無軌道に、よく言えばボーダーレスに展開されてきた。

何しろ自分は好奇心旺盛なタイプで、アイドル音楽だろうとオケだろうと、ポップスだろうと現代音楽だろうと、音楽であれば何にでも興味がある。

そんな自分の興味をそのまま反映したのが、僕のYouTubeチャンネル「音楽ガチ分析チャンネル」だろう。

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今まで分析してきた音楽は、古典派クラシックに近現代音楽、ジャズ、フュージョンR&B、テクノ、ロック、アニソン、ゲーム音楽、スカムミュージック……とにかく多岐に渡って仕方がない。

ここまで幅広く"音楽"全般を取り上げているチャンネルは、他にほとんど無いのではないかと思っている。

ただ、僕はそのことをとりわけ誇りに思っている訳ではない。

単に、自分が興味のある音楽を取り上げ続けたら勝手にこうなっただけだ。

なので、逆に言えば僕は音楽のジャンルについてあまり詳しくない。

ここは明確に今後学んでいくべき場所だ。


話が逸れたが、要するにこういうことだ。

  • ありがたいことに、音楽家として食えてるっぽい。
  • これからもっと活動の幅を広げていきたい。

そして、アイドルプロデュースとオーケストラ作曲という2つの大きなイベントが同時に訪れた現在、何となく1つの区切りを予感している。

そこでこの機会に、今考えていることをつらつらと書き綴ってみよう。


もはや言うまでもないが、自分の経歴はかなり特異だ。

音楽教育を受けた経験は特になく、ほぼ独学で作曲を学んだ。

音大には行っていないが、作曲の師匠からオンラインレッスン(という名の人生相談になりつつあるこの頃だが)を受け続けて10年弱が経つ。

就活はせず、大学卒業後はライブハウスでバイトしてアイドル業界の作曲家になったが、それと並行して自分が創立した作曲家団体で現代音楽のコンサートも行った。

そして気づいたら、いつの間にかYouTubeの動画がウケて多少有名な動画投稿者になっていた。

我ながら、やっていることがとっ散らかっている気しかしない。

しかし、結局のところ、僕の音楽の好みと全く同じように、僕の音楽活動もまた無軌道かつボーダーレスに展開されてきたというだけなのだろう。

それでいてそれらの活動は、少なくとも「音楽」活動であるという点において、僕の中では一貫している。


恐らく、僕のこうした感覚は大変に左翼的(というより自由主義的)だ。

クラシック音楽だろうとポピュラー音楽だろうと、それを愛好する人たちの多くは"とりわけそれを"愛しており、逆に言えばそれ以外は視界に入れることさえ少ないように思う。

例えば、ベートーヴェンマニアが語る"音楽"はたいてい古典派クラシックの話題に終始し、ライブハウスで掻き鳴らされる爆音のハードロックには言及しない。

ロックフェスで"音楽"の力を説くバンドマンの大半は、近現代のコンセプチュアルな音楽や、単旋律のグレゴリオ聖歌雅楽などを真面目に聞いたことがないだろう。


ここではまるでそれを問題提起するかのように書いてみたが、僕はそれを全く悪いとは思っていない。

むしろ、こうした感覚をここでは右翼的(というより排他的)なのだと、自分の感覚と敢えて相対化させることによって主張してみる。

なぜわざわざ"敢えて"と書くのかと言うと、本来は例えば現代音楽は古典音楽に対抗して生まれた左翼的な音楽だし、ロックもまた反体制から生まれた左翼的な音楽だからだ。

言ってみれば、自分の視点は1つメタ的な視点だと言える。


さて、最近おもしろい音楽を考える上で、このメタ左翼的な姿勢がけっこう大事な気がしている。

別に革新的な気づきではなく、単なるよくあるアウフヘーベンなのだが、今いちばん新しい音楽はこういった場所から生まれているように思う。

単純に考えて、珍しいものは面白い。

音大のピアノ科に、ショパンが好きな学生はいくらでもいるが、マキシマムザホルモンが好きな音大生は多分あまりいないだろうから面白い。

マイルス・デイヴィスが好きなジャズマニアはいくらでもいるが、三善晃が好きなジャズマニアは少ないだろうから面白い。

とにかく何でもいいが、閉鎖的になりがちな好奇心の境目が開けた人間は少ないので、新しいものを作れるポテンシャルが高い。

さっきから当たり前の話しかしていないな。


先日オーケストラの委嘱をいただいてから、このようなことをずっと考えていた。

何しろ、アカデミックな楽壇において一切の成果を残していない僕が、とつぜん名の知れた管弦楽団から委嘱をいただいたのだ。

控えめに言っても、そうとう挑戦的な人選だと言える。

オケの新曲委嘱が単なる音楽系YouTuberや商業作曲家に与えられることは、常識的に考えて有り得ない。

つまり、僕は単なる音楽系YouTuberや商業作曲家としての仕事を期待されているわけでは全くないのだ。


僕に声をかけてくださった指揮者の方は、僕の特異な経歴をおもしろがってくれた。

僕自身も、自分の経歴は前からおもしろいと思っていたが、なにぶん偶然こうなっただけで特に戦略的なものではないので、そこまで深く考えてはいなかった。

しかし、こうした大きな機会は良いきっかけになる。

音大卒でもバンドマンでもない僕は、他の人には立つことが極めて難しい視座から音楽を眺めているという自負がある。


ただし、このとき気をつけなければならないのは、僕が「そうした視点に偶然立っている、僕」であるということだ。

つまり、主体は「そうした視点」ではなくて「僕」の方になくてはならない。

僕は「そういう視点」そのものではない。

したがって、「そういう視点」そのものをシンボル化しただけの作品を書き残すことは、ここでは求められていないだろう。

例えば、LGBTQの作曲家がLGBTQ問題をテーマとした作品を残したとして、それがその作曲家自身の何かに深く言及しない限り、それは「その作曲家の」作品ではなくて「LGBTQの」作品にしかならない。

既存の何かに対抗する際、これは陥りがちな問題だと感じる。

作品の主体が個人である以上、究極的には個人のロマンに根ざしたものを作りたい。


長々語ってきたが、とにかく単に「音楽で生計を立てること」以上の話ができるようになってきたのは良いことだ。

1年前にアップした決意表明では、作曲家として食って行けるようになることを最終目標として話していたが、今となってはそんな消極的なことを言う気は毛頭ない。

もちろん、今の状況がずっと続くとは思っていないし、どのみち安定していないのは確かなので、高を括るようなことは言えないが、これからも音楽家として活動をさらに広げていきたい。

どうぞ応援よろしくお願いします!