どうも、トイドラです。
先日、東京の青ヶ島へ友達と旅行に行ってきました。

青ヶ島と言えば、「月よりも遠い島」とか「神の加護がなければいけない島」などという大層な枕詞をつけて呼ばれる秘境です。
一応 "東京都" ということになっているものの、東京の喧騒とはまったく無縁の海に浮かぶ孤島。
本土からあまりにも遠いがゆえに、文化的にもかなり独特で、独自の音楽文化も持っています。
青ヶ島、アクセス困難すぎる
まず、青ヶ島はどこにあるのか。
東京の竹芝桟橋から南へ実に358km、八丈島を経由して船で合計13時間も南へ進んだ太平洋上に位置します。
僕は今回名古屋から青ヶ島まで行ったのですが、アホみたいなルートで行く羽目になりました。
直線距離で行けたらいいのに。

物理的な距離もさることながら、この島を「絶海の孤島」たらしめている最大の要因は、黒潮の荒波です。
島の周囲は、高さ50mから250mにもなる断崖絶壁に囲まれており、穏やかな港というものが存在しません。
そのため、本土からの直行便はなく、まず八丈島まで飛行機か船で渡り、そこから9人乗りのヘリコプターか、連絡船「あおがしま丸」に乗り換えるのが唯一のルートとなります。
ヘリコプターは1日1便で予約必須。
そして船はというと、東京湾から出る大型客船とはわけが違い、就航率は季節によりますが、年間平均で5割から6割程度。
少しでも波が高ければ、すぐに欠航してしまいます。
1週間船が出ないこともザラだとか。
そして、何を隠そう、僕たちの旅もその洗礼を受けました。
1泊2日の旅行を予定していたのですが、帰りの船は高波で欠航し、それから2日島に閉じ込められたのです。
しかし、2日ていどで済んだのはむしろ運がいい方だと思います。
そもそも、島にたどり着けた時点でラッキーなのです。
「還住」の歴史
青ヶ島の歴史を語る上で絶対に欠かせないのが、「還住(かんじゅう)」という出来事です。
青ヶ島は、世界でも珍しい二重式カルデラ火山でできています。
この火山の島は、人々に温泉や地熱といった恵みをもたらす一方で、常に噴火の脅威と隣り合わせの歴史を歩んできました。
そして、その最大の悲劇が、江戸時代の天明5年(1785年)に起こった「天明の大噴火」です。
1780年頃から地震や噴火が頻発し、島民は不安な日々を送っていました。
そして1785年の大噴火で、島の植物は全滅。
当時の全島民約300名は、故郷を捨てて八丈島へ避難することを余儀なくされました。
こうして、青ヶ島は無人島となったのです。
避難先の八丈島も当時は飢饉に見舞われており、避難民の暮らしは困難を極めました。故郷の土を再び踏むことなく亡くなった人々も少なくありません。
しかし、島を追われた人々は故郷を諦めませんでした。
何度も島への帰還を試みますが、荒れ狂う黒潮がその行く手を阻みます。
そんな中、リーダーとして立ち上がったのが、名主の佐々木次郎太夫でした。
彼は綿密な計画を立て、幕府の許可がないまま、幾多の困難を乗り越えて、ついに文政7年(1824年)に本格的な帰島を開始。
そして天保6年(1835年)、ついに島の復興、すなわち「還住」を成し遂げたのです。
全島避難から、実に50年もの歳月が流れていました。
この、想像を絶する苦難の末に故郷を取り戻した歴史はもともと「興し返し」と呼ばれていました。
しかし、民俗学者の柳田國男に「還住」という言葉を当てられてからはそれが定着したようです。
「還住」は島の人々のアイデンティティの根幹をなしています。
そして、2025年は、この還住達成から190周年にあたる記念すべき年なのです。

火山の恵み
天明の大噴火で猛威を振るった火山ですが、現在の青ヶ島では人々の暮らしに欠かせない恵みをもたらしています。
その象徴が「ひんぎゃ」です。
「ひんぎゃ」とは、島の言葉で「火の際(ひのきわ)」が語源で、地面から水蒸気が噴き出す穴のことを指します。
島のカルデラを歩いていると、あちこちから「シューッ」という音と共に白い蒸気が立ち上っており、まるで地球が呼吸しているかのような光景が広がっています。
ちなみに、地面全体が床暖房のように温かくなっており、そこら中でネコが寝ています。

この地熱は、天然の暖房や調理、製塩などに利用されてきました。
特に面白いのが、この蒸気を利用した「地熱釜」です。
誰でも自由に使える蒸し器が屋外に設置されていて、卵や野菜、魚などを入れておくだけで、ホクホクの蒸し料理が完成します。
青ヶ島の音楽「還住太鼓」
還住の歴史は、青ヶ島の芸能にも色濃く反映されています。
それが「還住太鼓」です。
この太鼓は、約50年前の1978年に、還住の苦難とそれを成し遂げた先人の偉業を後世に伝えようと、新たに名付けられた郷土芸能です。
そのルーツは、避難先であった八丈島で親しまれていた「八丈太鼓」にあります。
伊豆諸島には、神事としてだけでなく、庶民の娯楽として太鼓を楽しむ文化が広く根付いています。
特に八丈太鼓や還住太鼓は、一つの太鼓を二人で両側から叩くのが特徴です。
一人が「下打ち」として基本のリズムを刻み、もう一人が「上打ち」として、そのリズムに呼応するように即興で叩きます。
まるで太鼓を通して会話しているかのような、自由で躍動感あふれる演奏スタイルです。
還住太鼓には、さらに独特な動きがあります。
紅白に染められたバチを高く放り投げ、クルクルと回転させるのです。
この動きは、激しい噴火を表現しているとも言われ、先祖の苦難を忘れないという強い意志を感じさせます。
ちなみに、太鼓とは別に、青ヶ島にはさらに古くから伝わる「でいらほん」という歌があります。
これは青ヶ島の民謡と紹介されることがありますが、実際には宗教儀式で使われる歌で、民謡ではありません。
「でいらほん」は、お盆の時期に夜を徹して、島の特定の場所で、限られた歌い手のみによって歌い継がれてきました。
その歌詞は古語が多く、意味が完全には解明されていない部分も多い、神秘的な歌なのです。
流刑地としての歴史
伊豆諸島の歴史を語る上で、もう一つ忘れてはならないのが「流刑地」としての側面です。
平安時代から、伊豆の島々は都から遠く離れた流罪の地とされてきました。
特に、八丈島や青ヶ島には、政治犯や思想犯といった重罪人が流されることが多かったと言われています。
関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将、宇喜多秀家が八丈島に流されたのは有名な話です。
この「本土からの隔絶」は、島に独自の文化を育む大きな要因となりました。
本土の文化や政治の影響を受けにくかったため、他の地域では失われてしまった古い文化が、まるで化石のように残っているのです。
その代表例が「八丈方言」です。
八丈島と青ヶ島で話されるこの方言は、奈良時代の『万葉集』に記されている古代の東国方言の特徴を色濃く残しており、言語学的に非常に貴重な「生きた古代語」とされています。
ユネスコによって消滅の危機にある言語にも指定されており、日本語のルーツを探る上で重要な手がかりとなっています。
また、宗教観にもその独自性が見られます。
本土では明治時代に政府によって神道と仏教を明確に分ける「神仏分離令」が出され、多くの寺で鳥居が取り壊されたり、廃仏毀釈のような仏教を排斥する運動がおこったりしました。
しかし、本土から遠く影響が及びにくかった伊豆諸島の一部には、お寺の敷地内に鳥居が残っている場所があります。
これは、神も仏も共に敬う、古来からの神仏習合がそのまま残っている証拠と言えるでしょう。

幻の焼酎「青酎」
さて、僕にとってこの旅の最大の目的だったのが、幻の焼酎「青酎(あおちゅう)」です。
伊豆諸島には「島酒」と呼ばれる特産の焼酎が数多くあるのですが、中でも青酎は青ヶ島で作られる独特な芋焼酎。

青酎のルーツは、江戸時代末期、嘉永6年(1853年)に遡ります。
薩摩の商人であった丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)という人物が、密貿易の罪で八丈島に流されてきました。
故郷・薩摩の焼酎造りの技術を知っていた彼は、島の気候に合わせて焼酎造りを始め、島民にその製法を伝えたのが、伊豆諸島の「島酒」の始まりとされています。
犯罪者が新しい文化を作った、というのは独特で面白いと思います。
青酎の製造方法は、ふつうの芋焼酎とはかなり違います。
主原料は、島の特産品であるさつまいも。
これを麹菌で糖分へと分解していきます。
通常、芋焼酎には米麹が使われますが、青酎では麦麹を使います。
これは、稲作が難しい島の気候に適応した結果です。
おどろくべきことに、青酎に使われる酵母や麹菌は、培養されたものではなく、島にすみ着く野生のものを使用します。
酵母菌は酒蔵に住み着いたものを自然に取り込み、麹菌は島に自生するシダ植物・オオタニワタリの葉に付着している天然の菌を蒸した麦に重ねて繁殖させるのです。
まさに、青ヶ島でしか作ることができない酒。

また、青酎にはさらに特別な存在があります。
それが、青酎の「初垂れ(はなたれ)」と呼ばれる希少な部分。
焼酎を蒸留する過程で一番最初に出てくるごくわずかな部分のことで、アルコール度数が60度もあり、香りや旨味成分が最も凝縮された、いわば焼酎のエッセンスです。
本来、日本の酒税法では、アルコール度数が45度を超えるものを「焼酎」として販売するには厳しい規定があり、「初垂れ」を販売することはできません。
しかし、最近になって島焼酎特区の認定を受けたことにより、島の中だけで販売できるようになりました。
島内の飲食店などでしか味わうことのできない、とても貴重な一杯です。
ちなみに、グラス一杯2000円。

青酎の味は、野性味あふれる独特のもの。
中国の白酒(パイチュー)や、ドリアンなどの南国フルーツを思わせる独特の香りがあり、好みこそ分かれるものの、他では代えがたい個性を持っています。
洗練された味とは対極にある、まさに野性味あふれる味わいでしょう。
おわりに
青ヶ島は、文化という側面で見たときに唯一無二の場所です。
惜しむらくは、あまりにも行き辛いということでしょうか……。
旅程が大幅にズレ込むことを覚悟の上で旅立てるなら、ぜひとも一生に一度は行って損のない場所だと思います。
ところで、今回の旅では青ヶ島還住太鼓代表の荒井智史さんにお話を伺いました。
青ヶ島の文化にとても詳しく、色々と貴重なお話を伺うことができてとても楽しかったです。
荒井さんとの対談の様子は、僕の運営するYouTube「音楽ガチ分析チャンネル」のメンバー限定動画としてそのうち公開予定ですので、興味がある方はぜひメンバーシップへ加入してみてください。