そろそろロトの血が流れ始めてもいいと思っている、Southernです。
私の人生はドラゴンクエストシリーズにかなり染められています(ナンバリング厨ですが)。
HD-2D版『ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…』ももうすぐ発売ということで、今から楽しみでなりません。
※プロモーションを含みません
で、ドラクエシリーズといえば故すぎやまこういち氏の手がけた数々の名曲もヒットの一因だと思っています。
例えばDQⅢだけでも『冒険の旅』や『おおぞらをとぶ』など、一般認知度もあり他のドラクエでも使用されている、名曲と言っていいものは多く出てきます。
特にオーケストラ版はもはや、素晴らしい以外の感想が出てきません。
あまりにもオーケストラ版が良すぎて、私は「楽曲がすべてオーケストラ版になるから」という理由で『ドラゴンクエストⅪ 過ぎ去りし時を求めて』3DS版を所持しながら拡張版のDQⅪ Sを購入した経験もあります。ちなみにマジで良かったです、BGMがオーケストラになるの。
あとフルボイスは結構あり派です。
今回の記事ではそんなドラゴンクエストの、とあるフィールド用BGMの立場について軽く考察をします。ケチをつけたいわけではないので、そこはご了承をば……。
※可能な限り当該作品のストーリーのネタバレは排したつもりですが、当記事の性質上ふわっと触れざるを得ないところもありましたので、なんの情報も得たくないという方は閲覧をお控えください。
議題の曲
まず早速ですが、今回紹介する曲はこちら。
『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』フィールド曲、『地平の彼方へ』です。
いわゆる天空シリーズとされる、DQⅣ、DQⅥのフィールド曲*1と比較すると、金管楽器が主旋律を務めていないのが特徴でしょうか。1ループの長さや構成もやや抑えめです。
ただお話したいのは曲の良し悪しではなく、DQⅤのストーリー展開を考えた時に「フィールド曲をこれ以外に変えてもいいのではないか」ということです。
以下で説明をしていきます。
フィールド曲が変わるとき
まず、ドラクエシリーズのナンバリングタイトルにおいて「フィールド曲が切り替わるタイミング」について、軽くまとめてみます。
『ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々』から『ドラゴンクエストⅨ 星空の守り人』までのナンバリング作品は、フィールド曲がゲームプレイ中に変わる明確なタイミングがあります*2。ざっくり以下の例に分けられます。
- そもそも異なる世界に移動する
大体のタイトルが対象。DQⅣだったらゴットサイド地方に行ったり、DQⅥだったら上下世界を行き来したり。ラスボスが別世界にいたらよくわかる。 - メンバーチェンジが起こる
一部のタイトルが対象。DQⅡではフルメンバーがそろったとき、DQⅣでは先頭のメンバーが変わったときなど。DQⅨのようにマルチプレイとシングルプレイで変化する変わり種も。 - 特定の乗り物に乗る(乗ってる時だけ)
こちらも大体のタイトルが対象。船、気球、空飛ぶベッド、果てはクジラやジャガイモ飛空石など、これを使ったら行動範囲が広がるという乗り物の時が多い。
……思い出せる限りでは、大体この3パターンに区別されます。
これらは言うなれば、ストーリーにおいてある種の「転換点」が訪れたタイミングと捉えることができます。
付け加えるなら、現状唯一の例外と言える「DQⅪで通常フィールドのBGMが変わるタイミング」も、ストーリー中で主人公くんが大きな転換点を迎えたことがきっかけとなりますので、この共通点は合っているのだと思っています。
DQⅤのストーリーの「転換点」
次はDQⅤのストーリーについて……といきたいところではありますが、いくら30年以上前の作品とはいえさすがに軽率にネタバレを踏んで怒られたくはありません。今は未プレイの方でも、スマホ版ですぐ始められますからね。
なのでストーリーにおける転換点について軽く触れるくらいにしておきます。
当作での転換点は、ズバリ主人公が成長すること。

各種パッケージ写真や、スマホ版での説明画像を見ればわかる通り、子供が大人になり子を産むまでに成長しており、相応の時間が経っていることがうかがえます。
……そう、今回の考察は「主人公が成長した転換点でフィールド曲を変えなかった理由ってなんぞ?」です。
理由付けを考える
この理由について、私は両方の理由をいくつか思いつきます。
個人的に思う変えてもいい理由としては
私の年齢でこう書くと怒られそうなことが多い気もせんでもないですが、人生の中でも時が経てば向かっているものに対する見え方や考え方が変わったり、あるいはそれまで見えることもなかったもなが見えたりなんてこともあると思います。それが人生観を変えるなんてことも十分あり得るものだと考えてます。
一方で変えなくてもいい理由は
- 人間の本質はそう簡単に変化しない
- 何があっても変わることのないただ一つの人生
結局のところ生きていても変わることのない自らの矜持というものはきっと誰しもあるでしょう。それに従い向かっていく人生は、本質的には一続きの同じものと見なすこともできると思います。
これは哲学か???
主人公の人生って?
ここでもう一度DQⅤのストーリーを考え直してみます。
説明がたいへん難しくなりますが、今作のストーリーの本質は『DQⅤの主人公くんは大人になってから父パパスの旅の目標を受け継ぎ、さらに子へも共有している』ことだと考えています。
この考え方は主人公くんの旅において基本的に一貫している、つまり彼の人生のマストオーダーは変わることがなく進んでいきます。
そう言った意味では目標が変わることもなく、また厳しい人生でもその目標を持ち続けていて歩んで行ったと言えるでしょう。
有り得そうな結論
そう考えると、「なぜフィールド曲を変えなかったのか」という疑問に対するアンサーとして合ってそうなのは、理由として最後に挙げた『「何があっても変わることのないただ一つの人生」という部分をゲームにおいてフィーチャーしているから』ということになってくると思われます。
主人公くんは「親子三代にわたる旅」の中で、目標を受け継ぎ受け継がせる立場にあります。心に持ち続けた矜持、それを果たす旅で世界の救済に挑む彼の人生は、そこにどんな色が付こうとも変わらずに続いていったことでしょう。
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ドラゴンクエスト ロト三部作の次は、今回扱ったDQⅤを含む天空三部作もHD-2Dリメイクされることになるのでしょうか?
FF7も含めスクウェア・エニックス社のリメイクは最近力が入っているように感じるので、機種がどうなるかわかりませんが、ぜひともやって欲しいですね。
そうして私の財布は軽くなっていくのです。
それではまたいつか。