名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

巨星墜つ 野田暉行、一柳慧を偲ぶ

R.I.P

 2022年、日本はその誇るべき芸術文化の担い手、そしてその文化が華やかだった頃を知る生き証人を相次いで失った。
 すでに日本という国はかつての栄華を失い、文化、国力ともに大きく衰退し、アジア諸国は愚かすでに後進国の様相である。その中でも凄まじい勢いで失われていっているのが音楽文化の水準である。
 こういうと必ず世界コンクール受賞者や、大ヒットを出しているPops歌手の話を出す人がいる。はっきり言って猛烈に馬鹿だと断罪しておこう。世界コンクールの受賞を成し遂げた人々は、一体どこで学んでいたのか?すでに国内の音大だけでそこまで成し遂げられる水準はないのである。「音大崩壊」という本が出るのも当然である。極めて硬直化してなんの役にも立たない学閥や門閥が邪魔をし、勉強をしない教授陣が自分たちの利益のためだけに組織を作っている日本の音大に何ができるというのか。
 そしてヒットを飛ばしている歌手についても、日本国内という後進国内の一ブームに過ぎず、韓国にすら抜かれてしまっているじゃないか。そんなものをいつまでも国の誇り誤認しているのは、まだ日本がバブルの亡霊から目を覚ましていないからである。野田先生や一柳先生がその盛を迎えていたときとは全く違う状況なのである。だからこそ良い時代を知る人の存在が大きくなっていっている中、この喪失はあまりにも大きい。
もう日本文化を真っ当に伝えられる人がほとんどいないと言っていい状況に、もっと多くの人は気が付かねばならない。
 ただのバカダンスを強要するまで堕ちたNコン、一部メーカーがブームを決めるアパレル化に支配された吹奏楽コンクール、そして未だに十年一日のプログラムしか出来ない多くのオーケストラ、まだまだボカロの夢を捨てられないPops界とすべてが終わっているのだ。これを普通だと思って生きることの怖さは、未来がないという怖さと同一のものである。せめて、せめて在野研究の担い手だけでもなんとか日本の屋台骨を担っていかねばならない。それが亡くなってしまった巨匠たちへの恩返しではないだろうか。

野田暉行

 野田暉行は1940年に三重県に生まれ、独学でピアノと作曲を習得するも限界を感じ、池内友次郎の門を叩いた。東京藝術大学を大学院まで修了し、池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事した。非常に優秀な響きへの感性を持ち、同大学在学中に日本音楽コンクール一位を受賞している。この1963年の管弦楽部門一位受賞作品が「一楽章の交響曲」である。若き野田の才能をまず聴いてみよう。

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 こういった形で池内友次郎、矢代秋雄の対位法と響き、構成力をしっかりと引き継ぎ、ややもするとバランスを壊すような構想を見事な筆致で書き切る職人的作曲家となった野田はあらゆるジャンルに名曲を残してゆく。
 次に聴いていただきたいのは代表作として語られることの多い1977年に書かれた「ピアノ協奏曲」である。早速聴いてみることにしよう。

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 そして児童合唱の分野でも誰もが知る名作を書いている。岩谷時子の詩につけた「空がこんなに青いとは」である。昭和45年度Nコンの課題曲であった。

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 ところで私は名古屋作曲の会と協力しながらRMCというチャンネルで、日本人の手による忘れられた楽曲や、知られざる曲を打ち込み音源で紹介している。
 野田先生の訃報に接した際に、なにかあまり音源化されていないピアノ曲はないかと探したが、野田先生のピアノ曲はシリアスな作品でもかなり有名なものが多く中々データ化する意義のある曲が少ないかったが、「3つのピアノ曲集」はあまり良質な音源がなく、その中の第二曲目に当たる「子守歌」をデータ化させていただいた。
 ご自身の書かれた「子守歌」によって、天国でもより素晴らしい楽曲を書いてくださいとのメッセージを込め、最後に紹介したい。

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 以上簡単ではあるが野田先生の創作を紹介しつつ、氏のご冥福をここに衷心より祈るものである。

野田暉行 2022年9月18日永眠


一柳慧

 よもや、よもやである。この前までお元気でインタビューに答えたり、イベントに出演したりしていた一柳先生の訃報は本当に青天の霹靂、驚天動地の出来事であった。
 一柳慧なくして我が国の戦後前衛は生まれなかっただろう。そして私達が自由に作曲活動を行えるようにすらなっていなかったかもしれない。
 一柳は1933年神戸の生まれ。音楽一家に育ったが進学したのは青山学院であった。
しかし楽才には恵まれていて、個人的に平尾貴四男、池内友次郎に付いて研鑽を積んで行き、同校高等部在学中に毎日音楽コンクール(現日本音楽コンクール)作曲部門で三年連続入賞を果たすという偉業を成し遂げた。桁違いの才能とはこういうものを言うのだろう。そして19歳にしてアメリカのジュリアード音楽院に進み、当時のニューヨークの前衛の旗手たちと次々に交流、ジョン・ケージに出会ったのもこの頃だ。ジョン・レノンの妻として知られるヨーコ・オノともこの頃結婚関係にあり、マース・カニンガムやデイヴィッド・テューダーなどとも積極的に交わり世界の最先端前衛に心酔していった。フルクサス運動などにも積極的に参加し、その経験をもって日本に帰国し、いわゆる「ケージ・ショック」を巻き起こしたのだ。
 一柳の創作における、黎明期から初期に移るのがいわゆるこの頃である。残念ながら高校生の時に相次いで日本音楽コンクールで賞をとった作品は現在作品リストには載っておらず、破棄されたのかもしれない。ピアノ・ソナタはぜひ聴いてみたかった。そして一柳の初期はジョン・ケージの影響を受けたところから始まる。この頃の代表作に「電子メトロノームのための音楽(1960)」があるので聴いてみよう。

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 非常に実験的で無機質、まさに不確定性を体現した作品であると言える。

 その後「ケージ・ショック」に揺れる日本は一気に実験時代に入り、多くの実験作品が作られることになったが、その中一柳は自らもたらしたその潮流から突如離脱する。
そして第二期の作品を発表することになるのである。
 まず第二期は五線譜に回帰し、不確定的要素を廃し、その代わりにミニマリズムを取り込むことで、未来の音楽のようなものを標榜し始める。どうも一柳慧という人物は、常に未来の音楽を思い、それの布石を提案し続けていくようなところがあるように感じられ、まさにこの日本におけるミニマル・アートの提案はそんな一柳らしさを感じる行動だったのではないかと思う。
 この頃の作品には大名作と言われるピアノ曲「ピアノ・メディア(1972)」がある。同じフレーズを繰り返す右手と、位相を変化させながら進む左手のフレーズからなり、極めて演奏至難の曲となっている。

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 こういった作品を通じて、一柳の創作は第三期に入る。空間と音の追及の時代である。いわゆる後期一柳サウンドの確立がなされたのもこの頃かと思う。前衛時代を知っているとやや保守的に思われるかもしれないが、まずはそのことがそのままテーマになったピアノ協奏曲第一番「ピアノとオーケストラのための空間の記憶(1981)」を聴いてみよう。

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 まさに後期一柳のサウンドである。冷たさのある響きが中心となり、卓越したオーケストレーションと自身が名人級だったピアノの技巧の制御が素晴らしい。個人的にはこの後に書かれたピアノ協奏曲第2番「冬の肖像」がもっとも好きな曲なのだが、何故か音源の発売がなされていない。一柳が亡くなってしまった今こそ、ぜひとも音源化してほしい曲である。

 と、あらゆるジャンルに偉業を残した一柳の最晩年の創作はクロス・オーヴァーと自身の人生を振り返るかのような作品が増えて行くこととなる。かつてともに時代を過ごした盟友たちが次々に他界する中で、その思い出を主とした作品や、ジャズとのクロス・オーヴァーを大胆に取り入れた作品などがそれだ。2016年に書かれたピアノ協奏曲第6番「禅」はおそらくはジョン・ケージとの思い出に捧げられているのだろうと思う作品だが、ピアノの内部奏法の音から始まり、晩年作としては割に尖っているように感じる。

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 一柳の創作の歴史をざっと見てきたが、名作「パガニーニ・パーソナル」が無いと怒る方もいるかもしれない。しかしあの曲は最早ここで紹介することもない名作だし、その点では交響曲第一番「ベルリン連詩」もまたそうだろう。なので最後に紹介するのは連作として10曲かかれたピアノ曲「雲の表情」のシリーズから第9番「雲の湖」を選んだ。YouTubeにまともな音源がなかったということももちろんあるが、この曲の構成要素もまた一柳の人生の総括と言える部分があるからだ。低音に展開するフレーズの繰り返しはまさにスティーブ・ライヒ的ミニマルの思い出、そしてその上に展開する自由な音形はJazzのImprovisationを彷彿させる。RMCチャンネルとの連携でデータ化したので、これを一柳先生の御霊に捧げたい。
 ちょっと個人的な話になるが、私は一年だけ一柳先生のお世話になったことがある。作曲科中心の授業に打楽器科の私がいるのは異質だったこともあって、よく話しかけていただいた。そして目の前でモートン・フェルドマンの曲を大胆な脚色で弾く姿を見て、心底感動したのをよく覚えている。訃報を聞いた日はその思い出が頭から離れなくて、しばし呆然としてしまった。
 きっと「雲の上」でその「表情」を観察されながら、新しい曲の構想をねっておられるであろう先生に、データ化という形で再現した音を捧げて、この追悼特集を終わりたい。

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一柳慧 2022年10月7日永眠