名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

年のはじめに歌う歌

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賀正

 みなさまあけましておめでとうございます。
 旧年中はコロナの激震に揺れる中、名作同をご支援ご注目頂き本当にありがとうございました。本年も、我々一同頑張ってまいりますので、引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

 さてお正月ということになると、ひと昔前は新春かくし芸大会を観ながらお節をつまんでゆっくりするのが定番でした。そしてその番組のテーマソングと言えば、正月には欠かせない「♫とーしのはーじめの…」と始まるあの曲でした。

 

 ところでみなさんあの曲のタイトルご存知ですか?

 

―「お正月でしょ?」
―「年の始めに決まってるだろう」
―「一月一日(いちがつついたち)じゃなかったかしら?」

 

 ああ最後の方惜しい!
 実はあの曲のタイトルは「一月一日(いちがつ いちじつ)」もしくは「一月一日(いちげつ いちじつ)」といいます。そして同じタイトルの唱歌として実は1892年発表のもの、1893年発表のもの、1916年発表のものと3つもあるのですが、我々がよく知ってるものは1983年発表のものなのです。

 

作詞は千家尊福、作曲は上真行です。

 

って誰よそれ?

 

 今ではこの作詞作曲をした二人について知っている人も少ないでしょうから、今年最初のブログはこの二人をご紹介して、あの曲を正しく楽しんでみることにしましょう。

 

千家尊福
まずは作詞をした千家尊福について見ていこうと思います。
ちなみに「せんげ たかとみ」と読みます。

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千家尊福

 1845年(弘化2年)出雲国の生まれ、1918年(大正7年)に亡くなった出雲国造家に生まれた出雲大社宮司で、政治家、そして従二位、勲一等に叙せられる男爵でした。まあ簡単に言えばすごい名家の生まれ、そしてものすごく偉い人だったわけですね。そんな詩とは縁もなさそうな方がなぜこの詩を書いたのでしょうか。
 この曲は先にも書いたとおり1983年に発表されています。正確には同年の官報に文部省唱歌として告示されたのです。そして初等教育の場面で「小学校祝日大祭日儀式用」として用いられるようになったのですが、実はこの曲の歌詞は新年を祝っているだけではないのです。
 今では「門松を立てる」ことは正月の年中行事の一環となっていますが、この意味は天皇陛下の御代が絶えること無く繁栄することを祝う意味があり、そんな年の始めは素晴らしいなと歌っているわけです。国歌君が代と同じような内容ですね。
 二番の歌詞になるとその色はより顕著なのですが、そもそも二番の歌詞を知っている人自体が減っていますので、せっかくなので見てみましょう。

1.
年のはじめの例(ためし)とて
終りなき世のめでたさを
松竹(まつたけ)たてて門(かど)ごとに
祝ふ今日こそたのしけれ

2.
初日の光 さし出でて
四方(よも)に輝く 今朝の空
君がみかげに 比(たぐ)へつつ
仰ぎ見るこそ 尊とけれ

 二番の意味するところはこの美しい初日の出を見ると、陛下の姿を思い出し、尊い気持ちになりますというような感じです。つまりは正月に行われる諸々の行為が天皇陛下の御代が栄え続くことを喜ぶ意味を持っていたんですね。それを読み込んだこの歌は、まさに出雲国造の千家にしてぴったりの歌詞だったということに他ならないように思います。

 千家尊福についてはもっと日本史的な意味でも重要な人物であり、伊勢派出雲派の対立など、神道世界の様々なことに大きく関わった人でもあるので、興味のある方はじっくり調べてみては如何でしょうか。

 

 

・上真行
つぎに作曲を担当した上真行についてみて行こうと思います。
ちなみに上真行(うえ さねみち)と読みます。

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上真行

 上真行は日本の作曲家、雅楽家チェリストで、生まれは1851年(嘉永4年)京都です。上家は代々雅楽師の家柄であったことから幼少期より日本伝統音楽の素養と教育を受けてきた人であるわけですね。その才能は高く、4歳から雅楽を学び11歳にはすでに宮中に仕官し楽仕となったとのことです。1874年には式部寮の伶人にもなりその道を極めたといえるのですが、彼はそれでは飽き足らず西洋音楽を勉強し始めます。
 この頃日本は童謡や唱歌を教育に取り入れていくという政策の下、お雇い外国人に彼のような伶人たちに積極的に西洋音楽を学ばせ、多くの童謡唱歌を作っていきます。彼もフェントンにトロンボーンを習い、エッケルトやメーソンにヴァイオリンやチェロ、ピアノを師事し、さらに作曲も習っていたようです。
 その後その才能も開花し、メーソンの補佐役を努め学習院等で教鞭をとり、唱歌や音律の研究を行ったとのことです。そして東京音楽学校で教授職につき、作曲攻究会を組織し、小山作之助、幸田延、安藤幸、滝廉太郎などを輩出するなど、日本の西洋音楽の黎明期を形作った立役者となったのです。その後も政府要職にあって活躍し、1937年(昭和12年)に他界されたということです。

 

 というわけで、我々が正月に何気なく歌っていたあの歌は、こんなにも古く伝統ある唱歌であり、その製作者はいずれも日本の文化的礎となった大偉人であったということに驚かされます。日本の作曲家が1800年代中盤にもういたという点でも非常に驚きがあり、我々はこの時代の作曲家についてもう一度学び直すべきなのかもしれません。

 

 ではとりあえず「一月一日」このあたりで聴いてみようではありませんか。

www.youtube.com

 

 発表された際は和声はついていないことを考えると、伴奏はのちの誰かが付けたものと思われますが、改めて聴いてみると清新な気持ちになる良い曲ですね。

 なお発表された時の楽譜は国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。

dl.ndl.go.jp

 

 貴重資料がすぐに見られるなんて良い時代になりましたね。


 さあ今年も頑張っていきましょう。そしてこのコロナ禍を今年こそは撲滅し、新たな時代を切り開きたいものですね。


皆様も良い年をお過ごし下さい。

末筆になりますが、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。