名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

スティーブ・ライヒはミニマルなのか

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Clapping Music

 我が名作同も逡巡と試行錯誤の中、このコロナ禍での音楽活動を模索、実行している。在野から世界へという我々の野望は、ただのありふれたキャッチコピーや政治家の公約とは違い、人生と魂をかけた決意と言っても良いものなのだ。こんなことくらいで打ち破れるなら、はじめから音楽などしなければよいだけである。

 そしてその模索化結実し、これまでで最長時間、最大内容を誇るLo-fi Minimalアルバム「YOURS HOURS」が完成した。

 

名作同Web

nu-composers.main.jp

 

アルバム特設ページ

yours-hours.studio.site

 

みなさん各配信サービスで配信開始されましたら聴いてみて下さい。

 

今日はそれに関係して、ちょっと物騒なタイトルを掲げてみた。

 スティーブ・ライヒという名を聞いてミニマルミュージックの教祖的存在であることを疑う人は殆どいないだろう。現に日本で活動している知り合いのミニマル・ポップのバンドのメンバーも、ライヒに褒められたことを誇りに思っている。
 そして現在のミニマルシーンで活躍するアーティストをライヒ自身も擁護していることを見れば、更に疑う余地はなくなるというものだ。

 

ではなぜそこに疑問を呈するのか。

 

 まずミニマル・ミュージック草創期を見てみるといわゆるNY三羽烏と言われた存在がある。

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Steve Reich

一人目はもちろんスティーブ・ライヒである。

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Philip Glass

二人目はフィリップ・グラスであるが、グラスはすぐにこの運動から離脱し、自分はミニマルミュージックは書いていないと言うまでになっている。

 

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Terry Riley

三人目はテリー・ライリーであるが、彼はインド古謡に目覚め詠唱による即興性の強いジャンルへ傾倒していった。

 

三羽烏は一様にミニマルの祖とみなされている。

スティーブ・ライヒの初期のフェイズシフトの発見
フィリップ・グラスの反復の音楽
・テリー・ライリーの集団即興的音楽

 

 これらはその後、別々の道に進み別々の支持者によってそれぞれ進化していった。そしてそれらの底辺には確かに「単純性」という共通点とアンチ西洋的な哲学があるのは事実である。

 

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minimalist

 しかし「Minimal」という英単語の意味はそもそも何なんだろうか。辞書によれば「最小(限度)の; 極小の,極微の」といった意味を持つ語であるという。
 この観点から想像される一般的な像は、音楽に親しむものと少し違っていて、昨今流行りの断捨離ブームなどと密接な「ミニマリスト」の方である。

 生活から不必要なものを取り除き、最小限のシンプルな生活を目指すというライフスタイルを指している。

 私はどうもこの生活における「ミニマル」と音楽における「ミニマル」が全く同一の語で説明されることに違和感を感じるのである。


 そこで音楽の方を掘り下げていってみることにする。するとこのNY三羽烏以外の「真のミニマル」と言われる音楽家の系譜に立ち当たることになったのだ。

 

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Morton Feldman

 皆さんはモートン・フェルドマンという作曲家を知っているだろうか。1926年にNYに生まれ1987年に没したアメリカの作曲家である。

・第一期はセリエールな現代音楽を書き

・第二期でジョン・ケージと影響しあい、図形楽譜による抽象化に踏み切る。

・第三期では反復が多くなり曲が抽象表現主義的で長大になってくる。

・第四期ではさらに楽曲が長大になり、さらに殆ど強奏のない静謐な反復に終止するようになる。

・第五期ではやや長大さと反復は減るもののこの時期の試みは成功には結びつかなかったとされる。

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フェルドマンの楽譜の一例

 この第四期の作風は一つのマイルストーン的な意味を持っている。長大で反復が多く、静謐な音楽はまさに音楽の単純化そのものと言えるだろう。

 一つ彼の典型的第四期作品である「弦楽四重奏曲第二番」(1983)を聴いてみよう。5時間半ほどの長大な作品である。

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 このフェルドマンの姿勢はジョン・ケージの晩年に強く影響として現れてくる。晩年のケージは「ナンバーピース」と称して「One」などの番号をタイトルにしただけの非常に単純な音楽を多く書いた。それはただの音の持続を基調とするもので、その後そこに即興性を取り入れたエクスペンタリズムの音楽というものにつながってゆくことになる。

 

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ナンバーピースの例

 この時代のケージの作品「Four」(1989)である。

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 この二人の試みの最果てに「究極のミニマリスト」と呼ばれた作曲家がいる。

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La Monte Young

 それがラ・モンテ・ヤングである。
 いわゆるアナーキスト、昔風に言うならヒッピーであり、フルクサス運動やハプニングイベントなどにも参画し、ヨーコ・オノの詩をそのままテキストスコアとした作品群はよく知られている。そしてそれらの作品は、どれも複雑性どころか一切の音楽的枠組みを超えて、必要であるものさえ捨て去ってしまった音楽になる。

代表的なものを一つ紹介しよう。

彼が1960年に書いた「Composition 1960 #7」という曲がそれだ。

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Composition 1960 #7

そしてこれを演奏した音源もあって、なんと3時間近くこの音が鳴らされている。

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 ご覧のように和音が一つ書かれ、長くならせと指示されているだけの曲である。
果たしてこれが曲なのだろうか。
 これに先んじて1952年にジョン・ケージは無音の世界というか、すべての音が音楽の要素たりうるとして音を無秩序に解き放つ作品「4分33秒」を書いている。私はこれらは違う着想から始まったものではあるが、似たような哲学を内在させていると思えてならない。ジョン・ケージ鈴木大拙について禅の思想を学んだことと、アナーキストのそれは何故かにてくる側面がある。そしてこれこそがいま現在、生活をシンプルにしたいという人々の「ミニマル」に最も近い概念ではないだろうか。

 

では話をスティーブ・ライヒに戻そう。

 

 ライヒはテープを重ね合わせて、それを少しずつずらすフェイズ・シフトを発見したことから、ミニマル・ミュージックの祖と呼ばれているが、その手法自体はすでにミュージック・コンクレートでも見られるものでもあった。そういう意味ではシェッフェール的な西洋性を内在しているとしても良いかもしれない。
 またズレというのは音楽の縦方向のものではなく、実際には横方向に線として関わってくる概念であり、必然的に対位法的と言える方法ですらある。
まずこの頃のライヒの代表的な音楽を聴いてみよう。

1966年作曲「Come Out」である。

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確かに初期のフェイズシフトがテープによるズレによって聴かれる。

 

ライヒはこの現象を生の楽器でもやって見るようになる。
ガーナ音楽の研究をヒントに誕生した1971年の作品「Druming」である。

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 この2作品をラ・モンテ・ヤングの作品と比べてどう感じるだろうか?

 ライヒはその後このフェイズ・シフトを機械的楽譜に割り付ける「擬似的フェイズ・シフト」へと進化させてゆく。そして様々な手法を加えて独自の音楽を作り、世間一般に「ミニマル・ミュージック」の理論化、体系化が行われたと認識されている。
例えば、加算フェーズ、カウンターポイント、延長、旋律抽出等といったテクニックがそれだ。そしてそれらを駆使した作品として「18人の音楽家のための音楽」を1974-1976年に書いている。

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 私達はこの音楽をミニマル・ミュージックの大傑作としている。しかしここに使われている手法は以下のように考えられるのではないだろうか。擬似的フェーズシフト、カウンターポイントはそのまま対位法の応用だ。加算フェーズ、減算フェーズは階梯導入的であるし、厳格対位法の声部導入にもにている。延長などはオルゲルプンクトと言っても良いかもしれない。旋律抽出などは変奏の一種だろう。

 こうしてみると随分と成長的で伝統的な音楽のように見えてくる。そこにはパルスを伴う反復が多いというだけの違いしか見いだせないと言っても良い。ではこれらは複雑性なのではないだろうか。こういった西洋の手法の果にミュジック・セリエルが生まれ、その反動としてのジョン・ケージやラ・モンテ・ヤングの登場だったのではないのか。それが「新しい複雑性」と「新しい単純性」という対立軸をもってそれぞれ発展し、新しい複雑性を種とするグループが権威側についたことで、一部からはミニマルは否定された手法だとまで言う人がいる。


しかしそれは大きな誤解だったのではないのか。

 

 スティーブ・ライヒユダヤアメリカ人である。実は最新の彼の作風はユダヤ回帰なのである。その点に触れて論じる日本人音楽家や評論家の少なさは呆れる思いがする。ルーツに回帰したライヒの音楽は政治的な色合いを濃くし、さらに民族性も強くなっている。また初期の手法を映像とともに再取り込みした方法で、メディアアートに進化していてそれはもはやミニマルでもなんでも無い、現代アートの一つになっていると言えるのではないだろうか。そして書かれた一大プロジェクト「The Cave」(1993)は最早ミニマルとは全く別次元の音楽ではないだろうか。

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 そう、スティーブ・ライヒミニマリストなどではないのだ。

 彼は純粋にユダヤアメリカ人として現代の都市賛美、文明賛美から始まり、自らのルーツへと回帰していったアーティストであり、それをミニマルと呼ぶことに違和感を感じた一人が、最も最初に離反するフィリップ・グラスだったのではないだろうか。

 現在はこれらの歴史は混沌として、4つの流れそれぞれをルーツとするものすべてをミニマルとしてしまっていて、その細分化に対しての研究はされていない。ミニマルの手法がより自由に使われ、ポップカルチャーとの融合などもあって、ポスト・ミニマルというジャンル形成につながっただけである。そのことで、ライヒの真実は見えに悪くなり、誤った受容のまま歴史に刻まれてしまったように私は思えるのである。

 

 さて私達名作同のミニマルアルバムは果たしてミニマル・ミュージックたり得るのか。はたまたポスト・ミニマルなのか。
いやそれとも…。