どうも皆さん、gです。今回は前回に引き続きトルコ五人組の詳細についてできる限りお話します。話の流れがわからない、忘れてしまったという人は前回の僕のブログをのぞいてみてください。
トルコの国民楽派の成立について - 名大作曲同好会 (hateblo.jp)
今回はジェマル・レシット・レイとハサン・フェリト・アルナルの二人についてお話します。音源を実際に聴いて見ると同じトルコ国民学派でもかなり方向性に違いが現れているのがわかり面白いですよ。
なお参考文献は
著 濱崎友絵『トルコにおける「国民音楽」の成立について』(2013年 早稲田大学出版部)です。それではいきましょう。
・「トルコ五人組」という言葉
「ロシア五人組」「フランス六人組」にちなんで付けられた名称である。トルコ共和国成立から15年ほど経ったころ、ある五人全員が集まった演奏会で音楽学者のハリル・ベディイ・ヨネトケンが「ロシア五人組」を引き合いに出した上で「トルコ五人組」という名称を用いることを論じた。この話をした次の日の新聞には「トルコ五人組」という言葉は使われていないが彼らを一つのまとまりと見なして称賛する記事が掲載された。
しかしその内の一人であるサイグンは五人がそれぞれ独自の音楽性を持っていることを理由に「五人組」という枠組みに否定的な見解を残していたりもする。
・ジェマル・レシット・レイ(1904~1985)
エルサレムで生まれる。
青年期はパリとジュネーヴの音楽院で西洋音楽教育を受け、19才でイスタンブールの音楽学校のピアノ、作曲講師になった。
先ほども述べた濱崎先生の文によると、レイの音楽には大きく3つの方向性があるとされる。
国民音楽の定式に沿った音楽技法の探究、民衆に対して西洋音楽の普及と促進、そして自身の思想、内面の探究による作品の創出の三つである。
これらの特徴はそれぞれ1920年代、1930年代~40年代、それ以降といった順で現れている。それぞれ順番に参考音源と共に見ていこう。
「アナトリア民謡Sarı Zeybek」 Anadolu'dan Türküler Sarı Zeybek(1926年)
アナトリア地域に古くから伝わっていた単旋律の民謡をメロディーとして、西洋的な和声付けを施している。
「スナップ写真(オーケストラの為の印象群) Enstantaneler ( Impressions pour Orchestre ) (1931年)
局所にトルコ民謡の様なテーマがあるものの、全体としてフランス印象主義の影響を受けていると考えられる作品である。
「交響詩 トルコ」Türkiye (Symphonic Poeme)(1971年)
後年になるとトルコ古典音楽に注目するようになり、マカームに基づいた旋律を扱うようになった。
また、レイはトルコ五人組の中で唯一オペラなど民衆音楽に近いジャンルで作品を残している作曲家である。
・ハサン・フェリト・アルナル(1906~1978)
幼少期からトルコ古典音楽による訓練を受けていて、優秀なカーヌーン奏者であった。
カーヌーンとはトルコの民族楽器である。
その才能を買われ1927年から1932年にかけてウィーンに留学し作曲法をヨーゼフ・マルクスに学んだ。「プレリュードと二つの舞踊」(1)、「カーヌーン協奏曲」(2)などが代表曲であり、西洋的な楽器編成ではあるものの、伝統的なマカームを用いた曲を作曲した。ただ、伝統的な要素を含みながらもあくまでもオリジナルの表現を追求したことが評価されている。
また、楽譜の多くが所蔵場所不明になっており、上記2曲と「チェロ協奏曲」(3)の三曲が現在演奏されるもののほとんどである。
(1)Prelude and Two Dances(1935年)
(2)Kanun Konçertosu
(3)Viyolonsel Konçertosu ( Cello Concerto )(1942年)
今回はここまでです。同じジャンルの枠組みでも作風にかなりの違いがみられつつも、しかし根底にはトルコ各地の民謡が存在していることがハッキリと分かります。次回の担当回はトルコ五人組の残りの三人について触れていきたいと思います。