名大作曲同好会

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自作曲あけすけ解説シリーズ①「夜の窓辺にて」~ライナーノーツ編~

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……などといきなりぶっこんでみましたのは、名作同にもう2年間新しい会員が入ってきていないからです。

私たちが何をやっているのか、周りの人にうまく知ってもらえていないのかも。

 

まあ当然、私たちは作曲をやっているわけですが、それにしたってイマイチ想像がつきづらいと思います。

「作曲って具体的に何するの?!」と思う方は多いでしょう。

特に、私たちは芸術方面からのアプローチを常にするようにしているので、

「カッチョイイEDM作ってるんですか?」

とか

「ボカロで作曲したりするんですか?」

などという声を聴くと、ウ~ン少し違うんだよなあとなるわけです*1

何が違うかというと、

「作曲をするときに考えていること」

がかなり違います。

 

以前、↓の記事にて僕が作曲をする際に考えていることを洗いざらい話してみました。

書いてみて思ったのですが、こういうことをするのって僕たちのやっていることを知ってもらう上で結構大事かもしれません。

というのも、芸術家って自分の作品について語りたがらない人が多いですよね。

それも芸術家として正しい態度だとは思いますが、それゆえに芸術というものが一般人からは遠い存在になってしまうのも事実。

芸術家の頭ン中を覗けたら、その分理解や共感も深まると思うのです。

というわけで、

自作曲あけすけ解説シリーズ

いってみましょう。

普段、芸術家が作品を作る際の頭の中をあけすけに見られる機会はめったにないと思いますが、僕はあけすけにしても全然平気なタイプなので、どんどん話していこうと思います。

 

【もくじ】

 

ピアノ小品集「夜の窓辺にて」

この曲集は、僕が2020年に作曲した子供のためのピアノ曲集です。

ピアノ小品集「夜の窓辺にて」 /冨田悠暉 - YouTube

この曲集を作る動機になった出来事は、2つあります。

 

まず、三善晃の「海の日記帳」に心酔したこと。

「波のアラベスク」をはじめとする数々の名曲を含んだこの曲集は、子供のために書かれた28曲のピアノ小品集であり、三善晃の作品としては広く知られたものです。

僕は当時、作曲の勉強としてこの曲集を読んでいましたが、その素晴らしい内容に強く衝撃を受けました。

1曲あたり1、2分の短さなのに、極めて工夫と遊び心、メッセージ性に満ちていて濃厚。

また、曲のタイトルが良いのです。

「うつぼの時計」「おやすみ、夕映え」「沈んでいった鍵盤」「わんぱく さざえ」など、三善先生の子どもに対する温かかつ精緻な眼差しが感じられ、素晴らしいものがあります。

子ども相手だからと言って決して作風を変えず、三善節を貫きつつ、それでいてとても叙情的なこの曲集に、僕はおったまげてしまいました。

 

そしてもう一つは、この頃ちょうどトイドラ式ロクリア旋法理論、もといTLTが完成しつつあったということです。

TLTについては↓を読めば詳しく書かれていますが、ざっくり言ってしまえば、

「ロクリア旋法っていう超キモチワルい音階をキレイに使うための音楽理論

のことです。

 僕にとって、このロクリア旋法というのは大きな意味を持っています。

というのも、話すと長いので結論だけ言いますが、ロクリア旋法は

「善は本当に善なのか? 悪は本当に悪なのか?」

というきわめて鋭い問いを僕に投げかけてきたからです。

つまり、常識や固定観念を疑うことで初めて見えてくる世界があるのでは?ということですね。

このメッセージ、大人よりも子供に届けたいな、と僕は思いました。

 

以上の2つの出来事があって、僕は「夜の窓辺にて」の作曲に着手しました。

三善先生の「海の日記帳」を参考にしながら、TLTを使って独自のメッセージを込めた曲集を作った、というわけです。

芸術音楽をやるうえで大切なのが、このメッセージの部分だと僕は考えています。

ただカッコイイ・美しいだけではなく、伝えたいメッセージはあるのかどうか。

そしてそれがどう伝わっていくのか……。

 

ちなみに、「夜の窓辺にて」はコチラで楽譜を販売しています。

ライナーノーツに書いた詩

というわけで曲の解説に入っていくのかと思いきや、今回はそこまで行きません。

ライナーノーツ、つまり楽譜の前書きの文章を解説して、次回に渡そうと思います。

 

このライナーノーツというやつは、音楽を読むうえでかなり重要です。

というのも、音楽というのはどう頑張っても抽象的な表現方法ですが、言葉はそれに比べると具体的で、音楽に込められた意図を汲み取るための手掛かりとなることが少なくないから。

また、作曲家によってかなりの個性が現れるポイントでもあり、長い人や短い人、簡単な人や難解な人、その有りようはさまざまです。

ちなみに、先述の三善先生は毎回ライナーノーツに詩題がついています。

内容も、子供向けの曲でも相当に難解で哲学的。ワオ。

 

さて、今回「夜の窓辺にて」では、ライナーノーツとしていきなり一遍のを載せています

その詩がこちら。

夜の窓辺にて


夜の窓辺で みたものは
窓の向こうの 夜の森
田んぼにうつった 水の月
それから、
窓にうつった 暗い部屋
に 白くうかんだ ぼくの顔

窓の向こうは 広い海
海のそこは 暗い空
ぼくは
空にむかってすいこまれながら
じめんの下でゆれる
水の星を ながめた


海のなかでは 夜がいっとう 明るいのに
みんな 夜に目をとざして ねむる


夜の窓辺で ぼくが
みたものは
ねむりについた 静かなまち
逆さにしずんだ アトランチス

この詩は、この曲集全編を通して伝えたいメッセージが全て詰まった詩です。

いわば、最初のページに全ての答えがすでに書いてある、というわけ。

子どもに向けた小品集を構想したとき、ライナーノーツは長々とした文章よりも詩の方が抽象的に子供に伝わりやすいと考えました。

 

そして、この詩を読解するための手掛かりとなるのが、この後に続くライナーノーツ本編の方です。

ーこの曲集について一


夜、月、虚像に実像。どれも光の対照としてあるものだ。

ということは、光は陰の対照としてあるものだ。

光が照らさない場所を陰というなら、陰が照らさない場所を光というのだ。

人々は平和を願うが、世界中が平和になったとき、一体何が“平和”の意味になるのだろうか。

差別を嫌う人々は、世界が差別に満ちたとき“差別がなくなる”ことを知らない。

鏡に映った君自身は、君ではないものに囲まれて、いかにもおぼろげだ。

少年少女はそのとき、はじめて自分が「世界の一部」ではないことを知る。

そして、自分以外の誰もが“自分ではない”ということも。

 

だから、この曲集は「こどものための」曲集なのだ。

夜、自室で窓の外の世界を見つめるのは、大人ではなくこどもだから。出来るだけ平易なピアノ曲集に仕上げたっもりだが、結果としてさほど”こども向け”の難易度にならなかったかも知れない。だとしたらそれでも良い。この曲集は、必ずしもこどもが「弾くための」曲集ではない。ただし、幼いピアニストがこの曲集を弾くとしたら、その意義は計り知れないものになるだろう。


「ロクリア旋法」という旋法は、まさに音楽の「陰」の部分だ。

上下さかさまになった世界で、“音楽”がもてはやされる代わりにロクリア旋法はどんどん無視されていった。

人々は音楽を「光」だと思いたがったのだ。

しかし、光に満たされた視界で人々は“何を“見るのだろうか。

月の見えない白夜の地平で、人々はだんだんと飽和した光の中に飲み込まれていった。

みずから進んで“闇の輝き”を忘れ、思い出さず、そしてそのまま大人になっていった。


この曲集では、そんな“輝かしき闇”を28曲ご紹介する。

28曲の全てがロクリア旋法で書かれ、この“闇の音楽”は君たちが弾き慣れた“光の音楽”とは少々異なった運指を要求するので、はじめは戸惑うかも知れないが、きっとすぐに慣れるだろう。

なぜなら、闇や陰は常に光とあるものだから。

悪魔の旋法は、もはや忌まわしきものではない。

漆黒の翼をもって夜の空に飛び立ち、月の光を浴びながら水面に降り立つくらいのことはできるのだ。

 

この文章を解説していきましょう。

まず、第1段落では、「夜、月、虚像、実像」というこの曲集のモチーフが示され、曲集全体を貫く思想が提示されます。

光と闇を反転させる、という発想は、先ほど述べたロクリア旋法から来たものです。

そして、この鏡写しの関係性=2項対立は、子ども自身に対して「自 vs 他」というものの見方を植え付け、

「自分≠世界」

という現実を突きつけます。

 

第2段落、

「自室で窓の外の世界を見つめる」

というのは、

「自分のアイデンティティを探し求める」

ということの暗喩です。

子どもは、外の世界と自分とを対照することで、アイデンティティの確立を求めるようになります。

 

第3段落では、「光」、すなわち常識や固定観念に染まってしまった大人の姿が示唆されます。

これに対し、「闇の輝き」という言葉が現れ、これもまたこの曲集のテーマとなっていきます。

 

第4段落、

「漆黒の翼をもって夜の空に飛び立ち、月の光を浴びながら水面に降り立つ」

という文章は、この曲集で僕がやろうとしていることを、この曲集のモチーフを絡めて描写しています。

「悪魔、夜、月、水」といった、陰とされるものを勢ぞろいさせているわけですね。

 

以上をまとめると、ここで示された曲集のテーマは次のようなものになります。

つまり、この曲集は主人公を子どもとしてみたとき、

「あたりまえを疑うことを知り、自分が何者なのか分からなくなり、自分らしさを探し始める」

という子供の成長ストーリーになっているのです。

 

これを踏まえて、先ほどの詩を読んでみてください。

まず、第1連では

「夜、窓、水、月」といったモチーフが示されています。

ここでは、顔を映し出す「窓」というものは「鏡」と同じはたらきをしていますね。

最後の2行で、

窓にうつった 暗い部屋
に 白くうかんだ ぼくの顔

とあり、世界と自分との対比(暗い部屋 vs 白い顔)に不安を感じているのです。

 

第2連では、出てくる名詞の陰と陽、上と下が逆転しています。

窓の向こうは 広い海
海のそこは 暗い空
ぼくは
空にむかってすいこまれながら
じめんの下でゆれる
水の星を ながめた

という文章は、現実的には

窓の向こうは 広い
海のそこは 暗い
ぼくは
にむかってすいこまれながら
水面でゆれる
の星を ながめた

の方が正しいことになります。

ここで、価値観の転倒を表しているわけです。

 

2行で終わる第3連は、この詩で最も重要な部分になります。

本当は、みんなが思っている上と下、善と悪、光と闇は、逆なのかもしれない。

主人公の子どもが、そんな気づきを得たシーンです。

 

第4連、

夜の窓辺で ぼくが
みたものは

「ぼくが」という主語が挿入されることで、アイデンティティが確立されたことを表しています。

ねむりについた 静かなまち
逆さにしずんだ アトランチス

という部分は、夜の町が海の底に逆さまに沈む、という価値観の転倒を表した暗喩で、これをもってこの詩は終わります。

 

曲集のテーマ

というわけで、長々と語ってきましたが、

という結構でかいテーマがこの曲集にはあります。

これが実現される過程を、曲集では描いているわけですね。

次回の記事では、具体的な曲のコンセプトや小ネタについて語っていこうと思います。

作曲家の生々しい頭ン中を楽しんでもらえたら幸いです。

*1:もちろん、EDMやボカロで芸術をやることも可能だと思いますが、一般的に言ってこれらは娯楽音楽の方が多いでしょう。誤解を防ぐため、念のため。