名大作曲同好会

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巨星次々に堕つ -モリコーネ、カプースチン、服部克久、田中利光

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鎮魂

長い梅雨がコロナとともに国民に強いストレスを与えている中にあって、中共と米国の緊張は高まり、日本の馬鹿は相変わらず寝ぼけているというとき、世界中から相次いで衝撃的な訃報が届いた。

 

まもなく梅雨は明け、今度は凄まじい酷暑が列島を包み込む中、
彼らの追悼文を、今を生きる一作曲家として書かないわけには行かなかった。

 

本来なら一人ずつ稿を分けて書くべきところではあるが、追悼文ばかり続くのもいかがなものかと懊悩し、ここにまとめてしたためることに決した。
やや長くなるかも知れないが、お付き合い願えればと思う。

 


エンニオ・モリコーネ

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エンニオ・モリコーネ


 言わずと知れた、映画音楽界の大巨匠である。その名を知らないという人すら少ないだろうし、その音楽を無意識的にでも聴いたことがない人はほぼいないだろう。
ことに日本ではロマンス系映画における、彼の甘美でどこか哀愁のあるメロディは人気が高かった。


 アメリカの映画音楽の潮流には、様々な潮流があるが、その中でもコープランドからバーンスタインジョン・ウィリアムズといった所謂「純アメリカ系」に対して、彼はもう一つの巨大潮流である「イタリア系」を代表する一人であった。
 イタリア人を祖先に持つアメリカ人作曲家というのはたくさんいるが、モリコーネ正真正銘のイタリア人である。


1928年にローマに生まれゴッフレド・ペトラッシに作曲を学んだ。
ロマンス映画に親しんでいた層からは驚かれるかも知れないが、彼がまず得意にしたのはウェスタン系」の映画音楽であった。
その後もどんどんアメリカ映画界での存在感を増し、あのニュー・シネマ・パラダイスでその名を不動のものにしたのだ。

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Cinema Paradiso

 

 これぞモリコーネワールドであり、イタリア人たる彼のカンツォーネに至るルーツをも感じることが出来るだろう。

 しかしこの側面だけでモリコーネを語る人の多いことには正直言って憤りを超えて辟易する以外にない。
なぜなら、上記の通り彼はペトラッシ門下の作曲家であり、そのキャリアの基本はクラシックの作曲にあるからだ。

 映画音楽で成功した作曲家にはよくみられることではあるが、例えばニーノ・ロータジョン・ウィリアムズも純音楽作曲家としての一面があり、日本でも坂本龍一久石譲がそうであることはもっと知られなくてはならないことではないだろうか。
 事実、モリコーネ自身も自分が「現代音楽の作曲家である」と考えていると語っているように、純音楽を聴かずして彼について語り終えることはできないのだ。

 

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20世紀イタリアの3大巨匠

 師匠のペトラッシは、ルイジ・ダラピッコラ、ジャチント・シェルシと並び20世紀イタリアの3大巨匠の一人と言われる独特の作風をもっていた。
もともとは新古典主義の作風だったが、次第に作風は晦渋になっていく。しかし当初から叙情性を表に出すことを恐れず、それは終生変わることなく貫かれた。
 このことがペトラッシの作風を独特のものに至らしめ、またその側面から弟子であるモリコーネ「映画音楽家」「現代音楽作曲家」の二面性を眺めるのは非常に面白いかも知れない。

 自身をポスト・ウェーベルン世代の作曲家だと位置づけていたモリコーネの純音楽は時代によっても変わって行くが、師匠のペトラッシが最も得意にした管弦楽のための協奏曲」というスタイルの曲を彼もまた残している。
そしてその作風、及びペトラッシ門下であることの証とでも言えるこの曲を紹介しようと思う。
師匠譲りの晦渋と叙情の両立が図られた、実に良曲ではないかと思う。

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Concerto per Orchestra

愛とは悲しみの一種なのかも知れない。
モリコーネの音楽はいつもそのことを私に語りかけてくる気がしてならない。
2020年7月6日ローマにて没。自宅で転倒し大腿骨を骨折、療養中のことであったという。
ここに深い哀悼の意を表したい。

 

 

ニコライ・カプースチン

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ニコライ・カプースチン

 モリコーネと全く同じ時期、コロナ禍に揺れるロシアからも大きな訃報が届いた。
ジャズのイディオムでクラシック作品を書き続けてきた巨匠カプースチンの死である。
一般にロシアの作曲家と区分される彼だが、少々その背景は複雑である。


 1937年にウクライナに生まれ、父はベラルーシ人、母はロシア人、二次大戦下ではキルギスタン疎開を経験すると行った具合で、旧ソ連諸国の多くと関連がある生い立ちをもっていた。
 彼は前述の通り、ジャズをその作曲の言語の中心としたクラシックの作曲家という非常に特異な位置にあり、その創作姿勢は常に賞賛と批判の両方が向けられていた。
 しかしその功績は、間違いなくクラシックピアニストの演奏の幅を広げるものであり、また誰だかの言葉ではないが「クラシックとポップスの安易な結婚」真っ向否定するに足る素晴らしいものであったことは間違いのないところだ。

とりあえず彼自身の演奏でその特異な作風の楽曲を聴いてみよう。

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Inpromptu Op.66 No.2

 この老齢にして正確無比なピアニズムと、官能的で技巧的なジャズのフレーバーが融合し、独特の宇宙を形作っている。
この正確無比なピアニズムは彼が、正当なロシア・ピアニズムの申し子であることを表している。

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カプースチンの師たち


 彼のピアノの師匠は「楽譜を正確に弾く」ことを信条とし、ラフマニノフの正統後継者とも言われたアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルの門下であった。
また師匠のゴリデンヴェイゼルは作曲家でもあり、タネーエフ、アレンスキー、イッポリトフ=イワノフに師事していたことから、カプースチンも流れ的にはロシア民族主義に位置するはずであった。
 そんな彼の作曲語法を大きく変えたのは、ラジオから流れるジャズであった。
すっかりその音に魅了された彼はその後オレグ・ルンドストレム国立ジャズ音楽室内管弦楽団のピアニストになり、ゴリデンヴェイゼル正確無比なピアニズムでジャズを弾く無二のピアニストとなっていった。
 そしてその楽団時代、その後のロシア国立映画交響楽団員時代に、彼らしいピアノ協奏曲を発表するなどしていたのだ。
ここで彼のルンドストレム楽団時代の演奏を見てみようと思う。

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Toccata Op.8

 長く演奏家として活動していたが、その楽曲が評価され始めたのは晩年である。
マルカンドレ・アムランなどが好んで取り上げたことで、世界のクラシックファンに大きな衝撃を巻き起こし、一気にスターダムへとのし上がったのである。

 演奏家を引退後の彼は、作曲に専念し実に20曲ものピアノソナタ、6曲以上のピアノ協奏曲の他、様々な楽曲を書き、その作品番号は160を超えるという。
 世界中から新作が期待され、そのたびにカプースチン節を披露して、ファンの期待を裏切らなかった彼だが、長い闘病の末、2020年7月2日にモスクワに没した。
 私は主にPops曲のアレンジにおいて、そのピアノパートの在り方の一つとして彼の影響を強く受けたと思っている。
ここに深い哀悼の意を表したい。

 

 

服部克久

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服部克久

 上記の海外の巨星の訃報が届く少し前に、国内に衝撃が走った。
劇伴、ことセミクラシック調のPops作品をその中心とし、今のテレビ音楽の草創からそのスタイルを確立、大きな影響を与え続けた服部克久の死である。
 服部家と言えば日本の音楽史の中核に位置する音楽一家の一つで、克久の父は日本歌謡曲の、そして日本Jazzの生みの親である服部良一であり、克久氏の息子と言えば、同じく今の劇伴や多くのPopsアーティストのアレンジから、純音楽までを手掛ける服部隆之である。

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服部家3代


 隆之氏のお嬢様はヴァイオリニストであり、実に4代も音楽に関わる家系となり、そのいずれもが商業音楽の分野で大成功しているのだ。

 服部克久1936年東京生まれ、父良一より徹底的な英才教育を受けて育ち、パリ国立高等音楽院を卒業している。
その経歴はクラシックの作曲家だったとしても最高度に優秀なものであるが、克久氏は純音楽の道には一切進まず、その高い技術と知識を用いて劇伴、商業音楽の水準向上に一貫して取り組まれた。
 我々今の世代が映像音楽を作るときに、克久氏の作り出した手法は最早定石となっていると言って過言ではない。
 美しく鳴るオーケストレーションには確固たるクラシックの基礎がありながらも、類まれなるメロディセンスと瀟洒な空気感で重さを全く感じさせないのは職人芸と言っていいだろう。
 自らメディアに露出し、私の子供の頃は多くのテレビ番組において、軽妙なトークで笑いを誘っていた。
まずはそんな克久先生の代表的な作品「自由の大地」を自らのタクトで聴いてみよう。

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自由の大地

 このメロディを知らない日本人はいないのではと思うほどに知られたメロディ、そしてその下支えとなっているのはやはり確かなオーケストレーションテクニックである。
Popsだから、軽音楽だからと勉強を遠ざけ、我流に走って悦に入るようなことがまかり通る現在のそれとは根本から違う。
 多くの日本人が服部の系譜をもっと当たり前に知り、学ぶことが求められると言って過言ではない。
そして同じように、山本の系譜、宮川の系譜という日本劇伴界の大系譜は、音楽の定石として教育でももっと扱われてよいべきものだろう。

 克久氏のもう一つの代表作「ル・ローヌ」克久氏、隆之氏、そして隆之氏のお嬢様であるヴァイオリニストの服部百音さんの共演で作られた映像を最後に見ていただきたい。
2020年6月11日、腎不全のため永眠。
心よりご冥福を申し上げる次第である。

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ル・ローヌ(河)

 

 

 

田中利光

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田中利光

 次々に巨星墜つの報に悲嘆に暮れていた7月末、もうひとりの作曲家が静かに亡くなったとの情報が舞い込んできた。
ここまでの巨人たちと比べればその存在は確かに小さいのかも知れない。
しかし合唱、歌曲、とりわけ打楽器作品の分野ではその功績は大きく、氏の曲を試験曲で選んだ学生も多いのではないだろうか。

 田中利光は1930年に青森県に生まれ国立音楽大学に学んだ。
そして青森の民族素材を生かした作品群を作り続け、青森の県民歌である「青森県賛歌」の作曲者でもあるなど、郷土愛を持ち続けた人であった。
まずはそんな田中先生の代表的な作品である、打楽器作品を聴いてみよう。

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マリンバのための二章より第1楽章

 現代的な響きのマリンバ独奏曲だが、随所に日本的な雰囲気が香ってくる。
こういった作品の中に、自身の郷土性を生かしていくのは並大抵のことではないのだが、堂々とその2つを並べ、あるときはぶつけ合って独特の世界を生み出されている。

 かつて田中先生の世代に近い恩師が「としみっちゃん」と呼んでいたのを思い出す事があるのだが、実は田中先生は教育分野の仕事もされたようだ。
そして合唱や歌曲を通じて、日本というものの原風景を伝え続けたという意味でも、今この世の中だからこそ見つめ直すべき点が多々あるのではないかと思う。
 我々はともすると、文明の便利さを利用するつもりですっかり利用され、しらずしらずにそれを自分の実力と過信してしまう。

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ふるさと

 しかし「故郷」をもつ者なら、帰省したときの旧友との時間に、かけがえのないものを感じることは多いだろう。
氏の作品はそういった時間軸の中にあったように思う。

ここでそんな郷土の素材を余すところなく使った氏の代表作を聴いてみたいと思う。

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津軽の音素材による混声合唱「四季」

 

こういった音楽の母語というものはいつ形作られるのだろうか。
あなたの母語はなんだろうか。
私は今母語を話しているだろうか。

そんなことを思いながら氏の作品に浸る。
2020年7月30日、肺がんにて逝去される。
謹んでご冥福を祈るものである。

 

 最後に私が続けている「忘れられた音楽」シリーズとリンクさせ、氏のピアノの小品を紹介して追悼に代えたい。
田中先生はこの「ある風景」の向こうに行かれたのだろう。
各巨星たちも、自らが望んだ音風景の向こうで、ゆっくりと休まれているに違いない。

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ある風景の向こうへ

 このコロナ禍の世の中、そして戦争の気配近づく中、残された我々は先人への敬意を忘れずに、一歩一歩歩んでいかねばならない。

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ある風景