名大作曲同好会

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【エッセイ】時流に取り残されて〜ある占い師への回想

最近、時の流れがとても速く感じる。それも異様なほどに速く。昔は時の流れの速さなど感じたことなど一度もなかったのに。私がただ鈍感だったからなのだろうか。それともやはり、年齢を重ねたからなのだろうか。

 

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私は小中高と田舎の学校に通っていた。その所為もあろう、あの頃は時の流れがゆっくりだった。時が止まっていたという訳では無いのだが、それでも記憶に残っているのは、通学駅の改札が自動改札になったことや駅ビルが整備されて飲食店が入ったこと程度で、それらに特別な感傷を覚えることなどなく、ただ流されるままに日々を暮らしていた。

 

そんな時の中でのんびりとしすぎて受験に失敗した私は、めでたく予備校生となった。そして、地元通学とは打って変わって都会の予備校へ通うこととなった。華の都会デビューである。

 

都会と言ったが、私の通っていた予備校の周りはゴチャゴチャしており、所謂「インナーシティ」という言葉が似合う場所だった。気忙しい駅前の大通りから少し歩くと、時代に取り残されたような風景がそこにはいつもあった。夜になるとサラリーマンが集う立ち飲み屋、ボロボロのビジネスホテル、色褪せた赤い看板の中華屋。客付きの悪いパチンコ屋。薄暗い路地に風俗店が軒を連ね、いつもキャッチが暇そうに立っていた。そんな光景を横目にもう少し歩くとそこはもう住宅街のど真ん中で、いつも静かで穏やかな空気が漂っていた。住宅街の中には公園があちこちに散らばっており、時々昼休みのサラリーマンがベンチで煙草をふかしていたのだった。

 

さて、私の浪人生活はというと、あまり順調ではなかった。初めのうちはコーヒーをガブガブ飲んで、行き帰りの電車の中でもバリバリと勉強していたが、疲労とカフェインの過剰摂取の所為か、授業中にパニック擬きを起こして死にそうな思いをした。それ以降はやる気がプッツリと切れ、やるべきことを怠惰にこなす日々を過ごしていたのだった。

 

しかしながら、夏はだんだん近づいてくる。受験生の天王山。そろそろやらねばならぬが、いまいち心に火がつかぬ。どうしようも無い焦りに、梅雨の低気圧が精神に追い討ちをかける。私は、気が参っていた。

 

そういえば、と私は思い立った。そういえば、あの街並みの中に「占い」の貼り紙があった。どうせ今は勉強に身が入らない。占い師に占ってもらって、何か助言でも貰ってみよう。私は有り金を握り締めて街へ飛び出した。

 

その占い師とは、いつも潰れたカラオケ屋前のソファに座っている老人だった。髭を生やして頭巾を被り、いつもボロボロの半纏を着ていた。そのカラオケ屋を住処にしているらしく、言わば「家のあるホームレス」といった感じだった。私はその老人の周りを2・3分ほどウロウロとしていたが、ついに決心を固めて老人の前まで行き、「占って欲しい」という旨を話した。その老人はニッコリと笑って、「家」へ招き入れてくれた。

 

「家」に入るとすぐの所に二階へ続く階段があり、そこには酒やらお菓子やらが乱雑に置かれていた。どうやらこの階段の先が寝室らしい。階段の手前には接客用の机があり、向かい合わせに椅子が置いてあったが、そこもまたゴチャゴチャしていて窮屈な感じだった。

 

占いの御代は5000円ということだったが、そもそもそれもいつの間にか誰かが勝手に決めたらしい、といった感じで決まった額はないようだ。しかし初めてということもあり、とりあえずキッチリ5000円支払うことにした。

 

いよいよ占いが始まった。占いは、いくつかの結果を総合するやり方なのか、手の平を見たり、瞳や額の辺りを虫眼鏡で見たり、紙に名前を書かされてその筆跡を鑑定したり、というような感じだった。そして、鑑定が終わるとその老人はニッコリと笑ってこう言った。「大丈夫ですよ。必ず上手く行きます」。

 

その言葉になんとなく勇気づけられた私は、モチベーションに翻弄されつつもやるべきことに励んだ。モチベーションが底を尽きたときには、ちょっとしたお菓子やお茶などを持ってその老人の所へ行き、話を聞いてもらった。その老人に言われた「日光浴は大事ですよ」という言葉は忘れず、昼休みになると外へ出て太陽の光を浴びるようにした。受験本番数日前もまたその老人の元へ立ち寄り、勇気づけてもらっていた。いつの間にか、その老人との会話が心の支えとなっていた。

 

そして3月。私は、無事志望校に合格した。合格発表の掲示板を見に行った帰り、私は真っ先にその老人の元へと向かった。老人は、大層喜んでくれたし、私もまた、とても嬉しかった。

 

大学に入学してからも、菓子や飲み物などを持って度々その老人の元を訪ねた。その老人に安焼酎を貰い、「家」の前で一緒に飲んだこともあった。酒に酔った眼に街を行く人々がボンヤリと輝いて、とても綺麗だったのを覚えている。

 

大学に入学して約一年後、私は春休みに語学研修で海外へ行くこととなった。出発する一月ほど前にも私は老人の所へ行き、海外へ研修に行くことを伝えた。その老人は、いつものように優しく笑って私の話を聞いてくれた。

 

語学研修後に少しバタバタしていたのもあり、再びその老人の元を訪ねたのは4月の下旬頃になった。私は研修先で買った酒を提げ、小走りでその老人の元へと向かった。しかし。老人はいなかった。彼の座っていたソファは跡形もなく、あのゴチャゴチャした玄関もポッカリと片付いており、「家」には鍵がかかっていた。

 

近くの店の人に話を聞くと、その老人は、春先に亡くなったということだった。

 

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初めて会ったあの日からもう5年が過ぎた。埋葬先だけでも知ることができれば、と思って調べ回った時期もあったが、その手がかりもプッツリと切れてしまった。その老人が亡くなった後どうなったのかは、未だに分からない。

 

そして、時の流れが街を飲み込み始めたのも、その占い師が居なくなってからだったように思う。私が浪人時代を過ごしたあの風景も、駅前の再開発によりあっという間に無くなってしまった。サラリーマンが集う立ち飲み屋は、店のある雑居ビルごと封鎖になった。客のつかないパチンコ屋はいつの間にか駐車場になった。風俗店も、気づいた時には入り口をベニヤ板で塞がれて工事関係者が出入りしていた。自分がよく行っていた公園の一つは鉄の板で囲まれ、その隙間からは重機が何台も止まっているのが見えた。

 

時の流れに飲み込まれたのはそれだけではない。私の住処の周りでは、ボロ家が次々に取り壊され、新築の家が建てられている。数年後には、今のこの景色も無くなっているのかもしれない。また、私の故郷のショッピングモールもまた、いつの間にかリニューアルされてピカピカになってしまった。夏休みによく祖母に連れてきてもらった、あの面影はもう無い。

 

時の流れは留まることを知らない。それはきっと仕方のないことだろう。年月を経れば、人も変わるし街も変わる。しかし、今の私はそれをどうしても受け入れられない。きっと多くの人は、気づかぬうちにその流れに身を委ねているのだろう。そしていつの間にか順応し、変わらぬ日々を過ごしてゆくのだろう。しかし、今の私にはその流れを直視することは出来ない。そして、心にポッカリと開いた穴を思い出で不器用に埋め続け、時の流れの中いつまでもポツンと取り残されたままなのである。