名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

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「君が代」はハ長調ではない 〜日本音楽の真実を暴く〜 その③

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「君が代」はハ長調ではない 〜日本音楽の真実を暴く〜 その② - 名大作曲同好会

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今回は、日本固有の音楽がどのように損なわれていったのか、実例を見つつ追っていきましょう。

特に、今回は「演歌」というものに注目したいです。

演歌は日本の民俗音楽の雰囲気を引き継いで発展していきましたが、ある時代からは純粋な日本民謡を完全に逸脱してしまっているのです。

 

 

演歌の歴史

まず、演歌の簡単な歴史を見ていきましょう。

1880年代の終わりごろ、川上音二郎によって謳われた「オッペケペー節」が流行りました。

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なんつーかかなりレジスタンスな歌詞ですが、そもそも初期の演歌にはこのように政治性・風刺性が強いものが多いです。

 

また、1900年代に入ると、作者不詳の「東雲節」(別名「ストライキ」)が流行りました。

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これもなんつーか直接的なタイトルですね。

しかしそんなことより大事なのは、この時点ではまだ音楽に日本民謡性が残っているということです。

メロディラインや和声を見てみると、日本民謡の聴感に立脚していることが分かります。

 

ところで、1900年ごろ日本はすでに明治時代でしたが、明治と言えば日本に西洋音楽が広まりつつあった時代でもあります。

山田耕作滝廉太郎が活動していた時代が、ちょうどこの時期とカブっていますね。

滝廉太郎は1900年、ピアノ曲の「メヌエット」を完成させています。

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メヌエット」は西洋音楽の語法で書かれていますが、たまに明らかに日本的な響きが香る箇所があって面白いですね。

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赤線で囲った箇所が日本民謡っぽいメロディになっています*1

たぶん狙ってやったのではなく、無意識のうちに日本っぽくなっちゃったんでしょう。

 

というわけで、当時の日本人にとって西洋音楽ナウでヤングなカッチョイイものでした。

もっと言えば日本民謡は後進的でダサいとも言われていました。

1914年、中山晋平は作詩家の島村抱月から

「学校の唱歌ともならず、西洋の賛美歌ともならず、日本の俗謡とリードの中間のような旋律を考えて欲しい」

と依頼を受けて、かの有名な「カチューシャの唄」を作曲します。

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この歌は、メロディラインがヨナ抜き音階で作られており、日本っぽい雰囲気を残しつつも音楽的にはまごうことなき西洋音楽になっています。

つまり、「日本の俗謡とリードの中間」という島崎の注文に対して出した答えこそが、

日本民謡の音階を西洋音楽的に変化させて使う

ということだったのでしょう*2

 

また、1918年に発表されて流行った「パイノパイノパイ節」こと「東京節」は、なんと、ヘンリ・クレイ・ワーク作曲「ジョージア行進曲」の替え歌です。

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著作権もクソもない時代だったからこそできた芸当ですが、ここでもやはりメロディは少し変更されており、「東京節」のメロディは完全にヨナ抜き音階になっています。

 

さて、これ以降の時代になると徐々に日本民謡が怪しくなってきます。

1921年中山晋平作曲の「枯れすすき」、別名「船頭小唄」が発表されましたが、これはもはや日本民謡とは言えなくなっています。

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西洋的な和声進行が用いられ、メロディラインを見ても明らかに純粋な形の陽旋(や陰旋*3)ではなくなっています。

具体的には、「どうせお前も枯れすす~」のところでメロディがⅠの和音の根音(主音)に進行していますが、この動きは日本民謡には見られません。

この歌は短調のヨナ抜き音階で書かれていますね。

1932年の古賀政男作曲「影を慕いて」も、同様に短調のヨナ抜きで書かれています。

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東海林太郎が歌った1933年「キャラバンの鈴」、1934年「赤城の子守唄」も同様に、もはや日本固有の音階は捻じ曲げられています。

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日本民謡西洋音楽」の転換点は?

以上のような流れを経て、演歌の世界から純粋な日本音楽の響きが失われて行きました。

しかしはっきりとした切れ目があるわけではなく、1935年に同じく東海林太郎の「野崎小唄」には日本民謡の響きがかなりはっきりと見られます。

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それでも、敢えてどこかに区切りをつけるとしたら、おそらく

「カチューシャの唄」

ではないでしょうか。

「カチューシャの唄」を区切りにして、日本音階がヨナ抜き音階へ、日本民謡西洋音楽へと切り替わっていったように思います。

 

ちなみに、1945年に第2次世界大戦が終戦しましたが、これが日本音楽に対するとどめの一撃になったと考えています。

終戦後の日本では、戦前の文化は軍国主義に通ずるものとして自粛の機運が高まりました。

そうでなくとも、国民主義的な文化や愛国主義の芽が摘まれていくのが敗戦国というものですね。

すなわち、西洋音楽に切り替わりつつあった状態で敗戦を迎えたので、もはや日本民謡を再興することが実質不可能になってしまったのだと思います。

 

そしてこうなった

それ以降の歴史は簡単ですね。

こうなって、

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こうなって、

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こうなって……

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こうなってこうなってこうなってこうです。

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というわけで、もうヨナ抜き音階はそれ自体新たな日本文化として定着してしまったとも言えます。

上に挙げた曲たちはどれもヨナ抜き音階をベースに作られていますが、時代を追うごとにヨナ抜き音階の形も変わっていき、最近の歌ではもうハッキリとヨナ抜きした形では使われないことも増えてきました。

こうして進化を重ねた結果生まれたヨナ抜きっぽさは、最近のJ-pop全体にかなり浸透しています。

 

とはいえ、上に挙げたようなヨナ抜きっぽさが純粋に演歌の流れを汲んだものなのかというと、それは判然としません。

なぜなら、ヨナ抜き音階自体は世界各国でフツーに使われている音階だからです。

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民族音階としてヨナ抜き=ペンタトニックスケールを持っている国は数多くあるようで、アジアだけでなくヨーロッパやアメリカでもこの音階は見られます。

だから日本におけるヨナ抜きの定着も、実際のところは

「演歌からの影響を基礎としつつ、洋楽の影響も混ざり合う形で定着していった」

というのが実情かも知れません。

*1:ここの旋律は陽旋ではなく、もう一つの日本的音階である「陰旋」に似てる。陰旋とは、「ミ・ファ・ラ・シ・レ」という音階のことで、陽旋と対を成す日本音階。これも陽旋と同じく曲解を受けて演歌などでよく使われている。詳しくはググってください。

*2:もちろん、これを中山氏が狙ってやったのかは分かりません。

恐らく、当時の人々が西洋音楽に慣れていなかったせいで無意識にこうなってしまったんじゃないかと僕は考えています。

*3:脚注1を参照