名大作曲同好会

“音楽”を創る。発信する。

サンタクロースはもういない ~gyoxiの場合~

サンタクロースはいない。そうわかってしまった今、クリスマスというものに特別な思い入れがある訳でもなく、特に楽しさを感じることもない。

 

最近では、自分はロクに片付けも料理もできないしこのままじゃ孤独死するなぁ、支えになってくれる人が欲しいなぁ、でもクソ面倒くさそうだし一人で自由に生きたいなぁ、でもやっぱり一人は淋しいかなぁ、と寝る前にグルグル考えを巡らせて精神をゴリゴリ削らせてるので、クリスマスとなると余計に精神に悪い。

 

精神に悪い考え事をしてはいかんと、サンタクロースでも来てくれて枕元に当たり宝くじか万馬券でも置いていってくれないかしら、と代わりに妄想しようとするがそうはいかない。やっぱりサンタクロースなどいないのだから。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

子どもの頃はサンタクロースの存在を心の底から信じていたし、プレゼントをもらった時は心がはちきれんばかりに嬉しかった。幼稚園の時なんかは、クリスマスの朝はプレゼントを見つけるなり布団から飛び起きて、包装を引き裂いて中身を確認した後、大急ぎで部屋の窓を開けて

 

「「「「「サンタさーーーん!ありがとぉぉぉぉ!!!!」」」」」

 

と空に向かって叫んでいた。なんてピュアなんだ、過去の自分。

 

 しかし、そんなピュア・ボーイも成長してゆくにつれて真実に薄々と気づいてしまうのが世の常であり、気づかなくとも悪友が耳元で囁くのだ。「サンタさんの正体はお前の両親なのだ」、と。

私も最初は、悪友の囁きに対しても

 

「えええ~嘘だろ!サンタさんはいるよ!」

 

と相変わらずのピュアさを発揮していたが、自分にも真実に迫る時はやってくる。

 

”サンタさんは別に自分の欲しいものをくれるわけではない”

 

自分はゲーム機が欲しかった。ゲームボーイアドバンスゲームキューブニンテンドーDS......ゲームを持っていない自分にとって、それらはまるで未来のデバイスだった...!暗いところでも画面は美しく光り、鮮やかなキャラクター達は画面の中を飛び回り、壮大な物語を展開する。それが当時の自分にとってどれだけ輝いて見えたことか...!

 

しかし私の両親は教育熱心であり、アンチ・ゲームの人間であった。なので、自分がどれだけゲーム機を切望していてもゲーム機を買い与えられたことはなかったし、買ってもらえたとしても、せいぜいアナログゲームや薄暗い画面で白黒のキャラクタが点滅する程度のものであった。

 

そんな両親のもと、いくら星空の向こうのサンタさんにむかってゲームを買ってください云々とお願いしたところで無駄なのは薄々感じてはいた。事実、毎年クリスマスイブには一縷の望みをかけて星空に向かって”お祈り”していたが、ゲーム機が枕元に置かれていたことなんて一度もなかったのだもの。

 

そんなこんなで、希望とは違うプレゼントが枕元に届く年が続き、私は中学生になった。自分は中学受験をして、所謂「進学校」に進学した。

 

初めての中間テストでは学年200人中80位くらいだった。今考えてみればそこそこの成績だったんじゃないかと思うが両親は納得せず、その時から両親が一気に厳しくなった。自分も必死でそれに従った。新しい環境についていくのに必死だった。ついていかなければならないと思っていた。今思えば全てが狂っていた。家に帰りたくなかった。保健体育の授業でやったストレスチェックには20項目中17個ほど印がついた。とにかく、毎日が憂鬱だった。

 

そんな毎日でも、やはりクリスマスは楽しみなものだった。こっちは死にたくなるような日々を過ごしているんだ、別にゲーム機じゃなくてもいい、この日くらいは「サンタさん」が”なにかいいもの”でも枕元に置いていってくれるんじゃないか.........無駄だろうと考える一方で、ほのかに淡い期待を抱きながら就寝した。

 

翌朝、枕元にプレゼントが置いてあることに気づく。

緊張の一瞬。リビングに持って行き、祈るような気持ちで包み紙を開ける......

 

入っていたものは予想どおりであり、そして期待外れなものであった。大量のノート、そして効率の良い勉強云々を長々と書き記した本。ああ、やはりサンタクロースなどいなかったのだ。サンタクロースの正体はやはり、やはり私の両親であった。私の心の中のサンタクロースはそのとき、ふっと消えて居なくなってしまった。現実が、心の中の幻想を打ち砕いた瞬間だった。現実を噛みしめつつ、私は隣で笑みを浮かべている両親に向かって作り笑いを返したのであった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本当なら毎年プレゼントを枕元に置いてくれた両親に感謝の長文を綴るべきであろうし、クリスマス・イブに家族でケーキを作ったような楽しい記憶もたくさんあるはずなのだが、クリスマスというとどうしてもこのことを思い出してしまう。

 

狂った過去は、他の美しい記憶まで歪にしてしまう。歪になった記憶を元に戻すのは難しいし、消すことすらできない。そして、そんな歪な記憶ばかりがいつまでも私を追いかけてくるのだ......

 

......私はクリスマスに楽しさを感じることは無いと言った。しかし一つ大切なことを思い出した。クリスマスはハレの日だ。ハレの日は飲酒の日だ。クリスマスの名の下に、私は飲酒の口実を得ることができる。なんと素晴らしい日ではないか。クリスマスの日くらいは、迫り来る卒論の〆切を、独りの淋しさを、そして脳にこびりついた過去のしがらみを、すっかり忘れてしまってもイエス様も怒るまい。

 

サンタさん、素敵な日をありがとう。メリークリスマス。