前回今年最後の担当記事と言いましたが、クリスマス特集をやるという会長の意向でカムバックしてきました。どうも榊山です。
時は12月、クリスマスの音が迫ってきますね。
恋人の時間?
ミサの時間?
サイレントナイト?
ホーリーナイト?
ということで、今年もこの季節に街に出るとクリスマスナンバーコレクションが楽しめますね。
大抵が80年代から00年代のヒットソングで、ボカロ以降にはまともなクリスマスナンバーを生み出せていない日本の体たらくを感じさせてくれます。
え?あんたが知らないだけだって?
バカ言えよ。
皆が知ってる国民的な音楽になってこそのクリスマスナンバーだろうが。
みんな山下達郎を超えられなかったんだよ。
とまあ現代のポップスをめぐる事情の愚痴になる前に、それなら伝統と格式のクラシック音楽ではどうなんでしょうか。
まあもともとクリスマスはキリスト教文化圏の文化ですから、そりゃたくさんあるでしょうよ。
でもミサ曲を列挙してクリスマスナンバーだぞ!というのではちょっとあまりにも面白くありませんので、ちょっと本気で調べてみようと思います。
まずクラシックファンならこの曲から思いつく人もいるでしょう。
アルカンジェンロ・コレッリの書いた「合奏協奏曲第8番」です。
コレッリはバッハなどより少し前の時代のバロック時代の作曲家で、イタリアバロックを代表する、そして合奏協奏曲スタイルの音楽を代表する人です。
例によってkrkrのカツラをお召になっていますね。
この合奏協奏曲第8番は「キリスト降誕の夜のために作曲した」と作曲者が書いていることもあり、クリスマスの夜のミサにのみ演奏されるべき音楽とされてきました。
しかしこの曲は人気であり、また映画などにも使われた事も手伝って、今はクリスマス以外にも演奏されまくってますけどね。
ちょっとおもしろいのがクリスマスに演奏されるのはこの曲の最終楽章のパストラーレが、クリスマスの夜に演奏される楽章となっていますが、バロック時代には他にもキリストの降誕を表すシーンとして、パストラーレが用いられていたということです。
パストラーレは日本語では牧歌とも書かれる舞曲の一つですが、一般に近代以降は羊飼いの音楽や、そこに引っ掛けた牧神の音楽などで見られるものになっていますね。
しかし古くは田園劇を表すものであったようで、おそらくは大衆とキリスト教を結ぶ線が、牧歌的な劇というラインでつながるのではないかと思います。
ということでそのパストラーレ、聴いてみましょう。
え?結局はミサ曲じゃないかだって?
まあまあいいじゃないですか。伝統と格式の世界ですからね。
ちなみにあのバッハも「クリスマス・オラトリオ」という大きなカンタータ集を作っています。
彼もカントールの立場であったように、教会の人ですからもちろんこの曲は降誕祭を含むクリスマスから新年の顕現節の休日に演奏されるものとなっています。
とは言えちょっと教会から離れてみましょうか。
皆さんはフランツ・リストをご存知ですよね?
そうですあの超絶技巧ナルシストですね!
そんなナルシストもクリスマスにちなむ曲を残しています。
孫娘のために書いた「クリスマスツリー組曲」という組曲です。
この曲集は12曲からなっていて50分くらいの大きな作品ですが、その中には様々な回想を含む曲のほか、いわゆるクリスマスキャロルの編曲作品が入っています。
いつもの超絶技巧はなりをひそめて、なかなかかわいらしい曲多くてほっこりした気持ちになります。
もっともリストに可愛さを求める人は少なく、あまり演奏されないんですけどね。
同じような趣旨の曲ではフェリックス・メンデルスゾーン=バルソルディも子供のための6つの小品「クリスマス小品集」なんてのを残しています。
では50分の少々退屈な時間へご招待しましょう。
次は少々目線を変えてロシアの作品を紹介してみようかと思います。
ロシア五人組の一人で、オーケストレーションの達人とも呼ばれたニコライ・リムスキー=コルサコフが書いた歌劇「クリスマス・イブ」です。
今度はイブ限定で来ましたか!恋人たちの物語なんじゃないの?
おお!いい読みをしてますね!実はそのとおりであらすじはこうです。
まず自分が世界一美しいと勘違いしてるクソヒロイン「オクサーナ」という人物がいます。
これに恋をしたのがヴァクーラというヤツです。
ちなみにヴァクーラの親はソローハと言って、悪魔の力を借りて吹雪を起こしたり、悪魔と愛し合ったりします。
ヴァクーラはついにクソオクサーナに告白をするも「女帝の靴をクリスマスプレゼントにくれ」と言われてしまいます。
そして色々あって悪魔を従わせたヴァクーラはその力を借りて女帝の靴をゲットして二人の恋は成就するのでした。
…って滅茶苦茶かよ!!!
そのとおりです。台本はニコライ・ゴーゴリの書いたものを原作にしています。
やっぱりというかなんというか、初演は大失敗だったらしいですね。
だってなんかクソな感じしかしないでからね。
まあともあれ曲自体はとても凝った技術で書かれているので聴いてみようではありませんか。
ちょうど聞きやすいオーケストラ用の組曲になっているバージョンがあります。
ロシアつながりでアメリカの有名な吹奏楽作曲家、アルフレッド・リード博士のクリスマスナンバーを紹介しましょう。
日本大好きで度々来日をしていた博士は全世界にファンが多く、吹奏楽に関わったものならその名を知らないわけはないというほど有名です。
リード博士はクリスマスピースとして「クリスマス・セレブレーション」というキャロルをもとにした曲も書いており、これはこの季節の吹奏楽系のイベントでは耳にするのですが、今日紹介するのはそれではありません。
「ロシアのクリスマス音楽」と題された混声合唱と吹奏楽のための大規模作品です。
曲はいかにもリード節というフレーズもたくさん出てきますが、シンフォニーを彷彿とする華やかさもあり、実は大傑作ではないかと思うほどです。
ほんと日本の吹奏楽文化って表面をなでただけのクソ文化なんだなと、こういう曲が知られていない現状を見ても感じますね。
ともあれ聴いてみましょう!
時期ものということもあって吹奏楽にはキャロルベースのクリスマス曲はたくさんあります。
ジェームズ・カーナウのクリスマス・パーティや、アンドレ・ジュトラのセ・ノエルなどがそれですが、あまりここで紹介する気にはなりませんね。
作曲家にとっては音楽が使われる機会の多いシーズンだけに、イイオカネになる仕事だったりもする機会音楽ですからね、まあ仕方ありませんが。
もちろん私も委嘱受け付けてます!!
次はドビュッシーです。
え?ドビュッシーもクリスマスナンバーを残してるの?
そうなんです。しかも最晩年の作品で、自身の作詞による歌曲なんです!
なんかかわいい曲な気がする!
すごく印象的な和声で満ちてそう!
そんな想像を掻き立てられますね。
この歌曲のタイトルは「もう家のない子のクリスマス」といいます。
…は?
最晩年のドビュッシーは戦乱に飲まれる世界に心を痛めていたんだそうですね。
そしてそれを子供の心に重ね合わせて沈痛な歌詞を書きました。
要約すれば「戦争が私の家も、ベッドも、学校も、教会も、イエス様も奪ってしまった。メリークリスマス奴らを罰してください!」という感じです。
……痛い…重すぎる
幸せで平和の象徴である降誕祭が戦争で蹂躙されてしまったという表現は、なんか「あの手の人々」に利用されそうな内容ですが、逆手に取った表現が沈痛さとドビュッシーの怒りを強調していますね。
しかしクリスマスナンバーだから楽しい曲じゃなきゃいけないって誰が決めたんですか?
そんな常識捨てましょうよ。
この曲を聴いて、クリスマスと芸術、神と悪魔について考えをめぐらせればいいんですよ。
ほらあなたの中にも悪魔が宿ってるじゃないですか。
さて最後にご紹介するクリスマスナンバーはこちら。
アメリカの現代音楽作曲家ジョージ・クラムが書いた「紀元1979年クリスマスのための小組曲」です。
イタリアのパドゥア礼拝堂のフレスコ画にイメージを得た作品ということだそうですが、そこはクラムの作品です。
不思議な音程関係の音列が不気味に響き、内部奏法がそれを助長します。
しかしたしかによく聴いてみると、透明で神聖な雰囲気をまとっているようで、純度が高い作品だなと思わされます。
いやー実にトリに相応しい曲ですね!
いかがでしたか?
クラシック版クリスマスナンバー特集は。
どれもが非常にクリスマスらしい名曲でしたね。
え?そうじゃなくて恋人たちのロマンスを表現したような甘い曲がいいって?
紹介したじゃないですか!リムスキー=コルサコフのやつを!
あんな支離滅裂のやつじゃなくて、ラブバラードみたいのが聴きたい?
やなこった。
誰がそんなの紹介するかもんかと言いたいところですが、まあせっかくなのでイメージ通りのクリスマスナンバーを最後の最後に紹介しましょう。
ここまで何度も出てきていましたが、いわゆるキャロルものと言える作品です。
アメリカのセミ・クラシックの大巨匠リロイ・アンダソンが書いた「クリスマス・フェスティバル」という曲です。さすがちゃんと仕事してくれています。
同じ趣旨の曲は5万とあれど、そこはさすがアンダソンです。
しっかり聖なる雰囲気を演出しながらも、ショーとしてのエンターテインメント性も担保して、誰でも楽しめる内容にまとめ上げる素晴らしいオーケストレーションになっています。
これぞクリスマスという曲ですね。
せいぜいこの曲を聞いて「世俗的なクリスマス」を噛み締めましょうかね。
特に寂しい人をより寂しくしてくれそうですね!