この頃寒くて仕方がない。
年の瀬が猛烈な勢いで迫ってくるので、その足音のあまりのすごさに思わず怯んでしまう。
来年で22歳になる僕だが、20歳を過ぎてからの時間の経ち方が10代の頃のそれとあまりに違って、少しばかり怖い。
このままの勢いで年を取るなら、あれやこれやオロオロと考えているうちに気付いたらオジサンになっていて、堪らず「アッ!!」と叫んだ声がヤマビコして返ってくるのを待たずして僕は老いの内に死ぬんじゃなかろうか。
21歳の若造にこんな老けた考えを持たせるほどには、最近の年月の流れ方は尋常じゃないのだ。
さて今の時期、街はクリスマスの雰囲気にほろ酔いだ。
シャンメリーに含まれる炭酸と酒税法に引っかからない程度の微量なアルコールのせいで、繁華街から住宅街まですっかり頬を赤らめて幸せな夢うつつに浮き足立っているように見える。
全く、日本人はアルコールに弱いね!
ところで、こんな僕にもかつては少年時代があって、人並み以上にはクリスマスという聖夜を心待ちにしていたもんだ。
僕は両親に恵まれた。
子思いの母とユーモアを絶やさぬ父は、彼らの2人の子どもたちに毎年の誕生日プレゼント、ケーキ、そしてクリスマスプレゼントを与えることを忘れなかった。
そういうわけで、僕の部屋には今でも過去に貰ったクリスマスプレゼントの残骸が(どこかに)残っている(はずだ……)。
今思えば、当時親にねだった品物というのは実に下らない。
例えばラジコンカーなんてどうだろう。
僕は過去に(少なくとも)3,4台はラジコンカーをねだっていたらしく、各々違う思い出としてそれらを遊んだ記憶があるのだが、そう何年も同じものを頼み続けたのは、どのラジコンも1年せずに壊れてしまうからだ。
大して乱暴に遊んだとも思えないんだが、なぜだろう。
どうやら当時のおもちゃの品質はそんなもんだったのだ……。
ラジコンで言えば、確か一度は車でなく飛行機だかヘリだかのラジコンを買ってもらったこともあったが、あれはものの数日で壊れて飛ばなくなった……。
僕は感受性の高い子供だったので、
「壊れたことが親に知れると親を残念がらせてしまう!」
と妙に細やかな気遣いの技量を発揮して、貰いたてのおもちゃに数日で飽きたふりをしたこともあった(結局すぐにバレたのだが)。
また、いつの年だったかに買ってもらった顕微鏡は、なぜかx500とx1000の対物レンズが壊れていてまともに観察できなかった。
僕は慎ましくx200のレンズで満足するよりほかなく、葉っぱの表面やニンジンの断面、パパの陰毛のキューティクルなどを観察して嬉々としていたのだった(冗談です……)。
クリスマス前日ともなれば、幼い僕は高気圧下のリンゴのごとくツヤツヤした赤色ほっぺを携えつつ、大好きなマンマとクリスマスケーキを手作りもした。
僕は小学2年生の頃から菓子作りに精を出していて、母が働きはじめる前は週末になるとカップケーキだのプリンだのを2人で焼いていた。
そういうわけで毎年のケーキ作りも半ば恒例行事と化し、ある年は抹茶クリームを練って△に切ったスポンジケーキを段々重ねしつつクリスマスツリー型のケーキなんかも作ったりした。
クリームを練りながら、南側の窓からやたらと日光が差し込んできたことを覚えている。
今となっては、数年前に建った家のせいでその窓から日光は差してこないのだ。
なあ窓よ、君の愛する太陽クンが別の窓に浮気しているぞよ……。
クリスマスという愉快な宗教用語には、みんな知ってるあの白髭おじさんの存在がついてまわる。
彼は森の畜生をして虚空を飛翔せしめ、真言密教の法具にも似た鈴をジングルジングルさせながら深紅の法衣に身を包み、「法、法、法。」と真理への道を衆生に説くという……。
冗談はさておいて、この奇妙なカーネル・サンダースもどきの存在を純真な子供たち一派はあまねく信じているのだ。
そりゃあもちろん、最初っから夢も希望もネコもシャクシもないッというガキも一部にはいることだろう。
しかし、同級生に向かって
「知ってるかい、サンタって実はホゴシャなんだぜ!」
などと得意気に言い放とうオマセな野郎には、地動説を唱えたガリレオ・ガリレイよろしく激しい思想弾圧が待っている。
これは真剣勝負、世界最年少の宗教家たちによる人畜無害な聖戦なのだ……。
さらには、親たちの中に小賢しくも謀略を仕掛けてくる者まである。
子どもたちに奇ッ怪な赤色おじさんの存在を信じさせるべく、何らかの実際的な作戦を練ってくるのだ。
僕の友人には、深夜に差し掛かった折にどこからともなく鈴の音が聞こえてきた、と言った者がいた。
大方、両親が屋外でお遊戯会用の鈴でもブンブン振り回していたんだろうが、その光景をこの年になって妄想してみれば滑稽極まりない。
だが、再三繰り返すようにこれは聖戦だ。
イデアの使者に、滑稽だなんて言ってはならんよ!
また、僕自身も親からそういった小細工を仕掛けられたことがあって、ある年はソリのガレージと思しき雪まみれの小屋の写真がプレゼントに添えられていたことがあった。
どうしてソリでもトナカイでもサンタ自身でもなく、雪まみれのガレージを撮影したのか?
それは些細な問題だが、当時の僕にとってその写真は儚い夢の寿命をほんの少し延ばすにはとても十分だった。
また、当時から理路整然とした思考回路を持っていた僕は次のようにも考えた。
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もし実際にはサンタ卿が存在しないと仮定した場合、この日本中あまねく全ての親々が
「サンタ卿に化けて我が子に贈物すべし!」
という同様の使命感を持っていなければならない。
しかし、かくも多くの人々の行動原理が自然と一致するなんて不可解だし、かといって首相官邸から
「12月25日には、子女・子息に望みの物を与えること!」
と日本中にオフレが出ているわけでもなさそうだ。
ということは、やはり全て1つの意志を持つ1人の人間の仕業であるのに違いあるまい!
しかし、いくらなんでも世界中を1人で飛び回るのは時間的に無理があるから、きっと地域ごとの部署で宅配業務を分担しているのだろう…………。
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さて、当時の僕は我ながら先見の明があったと言わざるを得ない。
結局のところその通りで、見事に「各家庭」という部署ごとに業務は分担されていたのだ。
ただ実際には、人類を一つにするのに下らないオフレなどは必要なかった。
ただ1つのディヴィニティ(神性)、これがあれば良かったのである。
そしてもう一つ見落としていたことがあって、実際にはクリスマスにプレゼントを貰えない家庭もたくさんあったのだ……。
僕は音楽家だが、親から特別音楽的な教育を受けたわけではない。
だが、情操教育の一環でよくカセットテープを聞かされていて、毎年クリスマスが近づくと食事中にクリスマス・キャロルが流れる期間があった。
僕は、我ながら恥ずかしいくらいにクリスマス・キャロルが大好きだ。
「赤鼻のトナカイ」、「あわてんぼうのサンタクロース」、「サンタが町にやってくる」、「きよしこの夜」、こういったメジャーなクリスマスソングも当然好きだが、僕にとって馴染みがあるのは、むしろあまり有名じゃない歌たちなのだ。
「わらの中の七面鳥」、「もみの木」、「さあ飾りましょう」、「もろびとこぞりて」、「ホワイト・クリスマス」、「前歯のない子のクリスマス」、「神のみ子は」、挙げればキリがないが、中でも今考えると
「ママがサンタにキッスした」
これは名曲だ。
この歌は、Jckson 5 の「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」を日本語に編曲したものなのだが、僕は日本語版の方が好きだ。
原曲の方の歌詞では、主人公の子どもがサンタの正体に気付いていないので、
「わあ、ママがサンタさんに浮気してるぞォ!」
という感じのカワイらしい内容なのだが、日本語版ではどうもニュアンスが少し違う。
主人公の子自身がもうサンタの正体に気付いていて、どこか哀愁というか子供ながらの情趣が感じられて良いのだ。
サロンっぽい雰囲気の編曲も非常にいい。
これらの曲を聴いていると、僕には1つの風景がぼんやりと思い出される。
家族4人が席に座っていて、机の上には肉料理やサラダ、僕の好きなオニオンスープなどが並べられている。
居間は石油ストーブの香りに満ちていて、小気味良くクリスマスキャロルが流れる中で夕飯が始まる。
そういったオレンジ色の靄のような風景を思い出すのだ。
僕のクリスマス・キャロル好きは、きっとそういった楽しい思い出、特別な日、石油ストーブの香りやブイヨンの染み込んだ玉ねぎの味と密接に結びついていると思う。
取るに足らないようなメロディや下らない歌詞でも、僕の思い出にとっては輝かしく、温かみのある味わいなのだ。
これは僕が人間であることの証明でもある。
成人した今になっても、耳のどこかにあのキャロルの残り香が通奏低音のように響いている。
こういったことを考えてみると、僕は昔から少しも変わっていない。
否、変わっていない、というのは少し違うのだ。
背が伸び、声も変わり、友人も減ったり増えたりしたし、眼鏡をかけ、髪も伸ばしたり切ったりし、恋人ができて、中学生になり高校生に、そして大学生になった。
そもそも当時は音楽に全く興味がなかった。
人としては全く、別人になり果てたと思う。
だが、ラジコンカーや顕微鏡をいじって喜んでいた当時と同じように、僕は今でもコマゴマとした工作や自然科学が好きだ。
母と菓子を作っていた僕は、今や時たま家族の夕飯をこしらえるまでになった。
サンタに関する背理法的検証をしていた僕は、もはや資本主義社会の妥協点についてまで悟ってしまった……。
そして、何となァくクリスマス・キャロルに思いを寄せていた僕は、十数年の時を経た今や音楽家と名乗っている。
これはもう因果を超えた世界だ。
運命論というのが遺伝子の観点から説明できるとすれば、人々の心の中に広がる内的宇宙こそが、その人の運命であり、居場所であり、一生かけて押し広げていくべきゴム製の土俵なのだと思う。
――とにかく、クリスマスってのはそのくらい人々の人生にブッスリと突き刺さっているのだ。
だからこそ、街はかくもシャンメリーのピンク色に酔っている。
年の瀬も近い書き入れ時、絢爛なイルミネイションやら商業広告やらで僕らの頭はクラクラのフラフラ、そして気づくと財布がボッテリとしぼんでいるというわけ。
そんな都会を横目に見ながら、そう言えば、本国ではクリスマスにはチキンでなく七面鳥を食らうそうだね。
ま、僕はチキンでいいや。
そんなことより日本人、きたる4/8の灌仏会には何を食らうんだい。
――え、高野豆腐?