名古屋作曲の会(旧:名大作曲同好会)

“音楽”を創る。発信する。

「特殊音楽研究会」を忘れない

突然ですが、

特殊音楽研究会

という名前の非公認サークルを知っていますか?

現在でもTwitterアカウントは残っているものの、その更新は久しく途絶えてしまっていますね。 

twitter.com

今日は、この特殊音楽研究会についての思い出を書いていきたいと思います。

というのも、僕が名古屋大学に入学して一番最初に入ったサークルこそ、この特殊音楽研究会だったからです。

今の名大作曲同好会があるのは、特殊音楽研究会のおかげだと言っても過言ではありません。

というわけで、もはや活動を停止してしまったこの特殊音楽研究会でのあれこれ、思い出しながら書いていきます(メメント・特殊音というわけ)。

 

目次

  

特殊音との出会い

もう約3年前のことになりますが、僕も当時は受験生でした。

頭の硬い教師共に反骨心を燃やしながら、当時はそれを燃料に何とか生きていました。

第一志望は名古屋大学、後輩や教師や大人たちに合格を豪語しつつ、センター試験はボーダーより数点上というやや辛いC判定。

2次試験当日、午前のテストを終えて弁当を食べ終わった僕は、必死に単語帳やらノートやらをめくっている他の受験生を横目に、外に出て息抜きに散歩をしました。

「ここが将来僕の母校になる学校だぞ!

と自己暗示をかけながら、僕は全学教育棟の周りを歩いて回りました。

そして見つけたのです。

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後にも先にも、こんなにイカれたしたチラシはないでしょう。

全学教育棟前に設置された掲示に、特殊音のチラシを見つけました。

 

特殊音に入る

チラシに貼られていたQRコードを読むと、会長の自作曲であろうと思われる厳しめのノイズミュージックが聴けました。

「こんな面白そうなサークルがあるのか」

と、以後の受験勉強の動機にもなりました。

そして厳しい受験をかいくぐり名大に合格した僕は、入学するよりも前に特殊音に入会することになります。

 

図書館での顔合わせに行くと、真っ黒な服を着た会長のキタダさんが何冊かの哲学書と現代音楽書を用意して待っていました。

長髪に喪服のような整った服装と、蟷螂のように痩せた彼の体つきが印象的でした。

「書籍の閲覧目的じゃないと、学外者は図書館に入れないからね」

と言って、会合のときはいつも何冊もの本が用意されていましたが、当時の僕にはほとんど意味が分からない難解な本ばかりでした。

会員は当時僕を含めて3人、もう1人の会員はキタダさんの先輩らしく、身内じゃない外部からの会員は実質僕が初めてだったらしいです。

 

特殊音での活動

特殊音は、特に決まった活動内容があるわけでもなく、時たま図書館で会合をするだけでした。

彼らとの雑談は楽しく、名古屋大学毒クレープ事件の話や音楽サークルの話、文化サークル連盟の裏事情の話、グラインドコアブラックメタルの話、今はなきPHONONカフェの店長の話など、他では聞けない色々なことを話しました。

 

あるとき、大学の学園祭で特殊音がステージに立つことになりました。 

とはいうものの、正式なライブステージではなく、大学生の自由研究という非公認サークルによって設置された路傍の非公認エクストラステージなのですが。

nujiyuken9.html.xdomain.jp

どうして公認ステージに立たないのかキタダさんに聞いたところ、

「実行委員会と色々あってね……」

とのこと。

どうやら昨年のステージで、ノイズ演奏に熱狂したキタダさんが自作ノイズ楽器を客席にぶん投げて出禁になったらしいです。

いや最高だなと思いつつ、

「僕もステージに立ちたいです!」

と名乗り出ました。

 

学園祭当日、吹奏楽部の練習を抜け出した僕は、急いでエクストラステージに向かいました。

路傍に着くと、大学生の自由研究の発起人・江坂さんとキタダさんが雑談をしていました。

江坂さんと僕とはこの2年後に改めて知り合うことになりますが、このときはまだ初対面です。

キタダさんも大学生の自由研究のメンバーだったようで、エクストラステージの開催を手伝っていました。

(余談ですが、自由研のブログでは未だにキタダさんのブログ記事が読めます)

このあとの特殊音ステージでは、キタダさんのノイズ生演奏と僕の自作ノイズ楽器・改造騒音リコーダーの生演奏を行うことになっていました。

www.youtube.com

路傍なので、普通に人が通ります。

キタダさんはステージに上がり、おもむろに機材の準備を始めると

「ぶつかったら危ないから、ちょっと離れてて」

と口にしました。

そして、彼の演奏が始まりました。

何かのCMソングが流れたかと思うと一瞬で音は歪み凄まじい電気的ノイズとなって路傍の通行人に襲いかかります。

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髪を振り乱し演奏するキタダさん

そのとき運悪く(運良く?)隣で大道芸人が芸をやっていたので、大道芸のBGMを殴り倒すような爆音ノイズに2度見3度見を繰り返す通行人が面白くて面白くて、僕はずっと興奮していました。

お前らどうせマイクトラブルか何かだと思っていやがるんだろう。

だがこれは音楽だ。

お前らの”常識”だけが世界ではないぞ!

今にもそう叫び出しそうな、とても熱狂的な一瞬でした。

 

キタダさんの演奏の次は、僕の改造騒音楽器の演奏でした。

僕は彼にも楽器を手渡し、

「全くのアドリブでいいので、僕の音を追って演奏してください

と言うと、キタダさんは試しに吹いてみながら

「なかなか難しいけど、この音いいね」

と言いました。

かくして2人でステージに立ち、改造騒音リコーダーの即興演奏が始まりました。

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歴史的瞬間

本当に楽しかったです。

道行く人に変な目で見られても、観客がたった2人しかいなくても、この瞬間僕らは確かに “音楽” をやっている気がしました。

 

こうして幸せな時間が流れ、演奏が想定外に早く終わったので、僕とキタダさんでトークをすることになりました。

何を話したか最早よく覚えていませんが、最後のトークまでしっかり聞いてくれた観客が2人だけいて、そのうちの一人が実は榊原拓、現在の名作同宣伝部長だったりします。

 

こうして楽しい時間は過ぎ、僕は吹奏楽部のステージに出るために講堂へ戻ります。

講堂のちゃんとした舞台で、さっきよりはるかに大きなコンサートで、吹奏楽部員として演奏しました。

それなのに、どうしてか僕の中では物足りない気がして、やはり

「さっきの特殊音のステージ良かったなあ」

と思ってしまうのでした。

 

非公認サークルの寿命

さて、そんな風にして細々と活動していた特殊音。

あるときは、TwitterにDMを送ってきた他大学の人と会合をしたこともありました。

あるときは、ライブハウスまで繰り出して、僕の後に入ってきた会員も一緒に4人でアドリブセッションをしたこともありました。

しかし、いつしか段々最後の活動からの時間が延びていくようになります

思えば、あの頃キタダさんは4年生、つまり就活の真っ最中だったのでしょうか。

結局そのまま ”次の会合” はなく、現在に至ります

 

これが「非公認サークルの寿命」なのでしょう。

非公認サークルは、多くの場合会長が命です。

発起人たる会長がいなくなると同時に、サークル自体も消えていきます。

つまり非公認サークルの寿命は4年。長くてもです。

特殊音も例外ではなく、他の数多くの非公認サークルと同じように、キタダさんと共に活動を停止してしまいました。

 

特殊音がくれたもの

特殊音での体験は、僕にとって決して多くはありません。

たまにある会合、もっとたまにしかないイベント、せいぜいその程度ですからね。

とはいえ、特殊音での経験は僕に大学生としての在り方、そして非公認サークルの在り方について考えさせてくれました。

そして、僕は吹奏楽部を辞める決心をします。

友達とか部活とかじゃなく、ただ純粋に音楽ができるサークルを自分の手で発足するために。

 

ある会合の日、僕はキタダさんに

「実は、名大作曲同好会っていうサークル作ったんすよ」

と話しました。

キタダさんが何と言っていたか覚えていませんが、

「ふーん、そうなの」

程度の返しだったように思います。

当時の名作同は会員2名、しばらくはずっと3、4名のままでした。

そう考えると、今はずいぶんと増えたものですね。

感慨深いものです。

 

そして現在

……なんてことを思い出しました。

きっかけは、僕が今年3年生になってやっと入部した大学生の自由研究

この前、休学のせいでいまだに卒業できていない江坂さんと2人で、当時を回想しながらお茶を飲んでいました。

「キタダも就職するらしい」

とつぶやいた江坂さんは、旧友を想ってなのかどこか遠い目をしていました。

 

そういえば、大学生の自由研究は「非公認サークルの寿命」にも関わらず生き続けています。

江坂さんが消えた後も、有志によって未だに活動を続けているサークルです。

果たして今後、名作同はどうなるんだろうなあ。

未来のことはなかなか想像できませんね。

やがて誰かが、

「名作同を忘れない」

なんて記事でも書いてくれるんでしょうか。

 

そういうサークルになれたらいいね。